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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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中島義道先生が贈った卒業生へのはなむけの言葉



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「乾いた心に潤いを!」~私の心に突き刺さった言葉~


 学生諸君に向けて、新しい進路へのヒントないしアドバイスを書けという編集部からの依頼であるが、実はとりたてて何もないのである。

しばらく生きてみればわかるが、個々人の人生はそれぞれ特殊であり、他人のヒントやアドバイスは何の役にも立たない。

とくにこういうところに書き連ねている人生の諸先輩の「きれいごと」は、おみくじほどの役にも立たない。


 振り返ってみるに、小学校の卒業式以来、厭というほど「はなむけの言葉」を聞いてきたが、すべて忘れてしまった。

いましみじみ思うのは、そのすべてが自分にとって何の価値もなかったということ。

なぜか? 言葉を発する者が無難で定型的な(たぶん当人も信じていない)言葉を羅列しているだけだからである。

そういう言葉は聞く者の身体に突き刺さってこない。

だとすると、せめていくぶんでも本当のことを書かねばならないわけであるが、私は人生の先輩としてのアドバイスは何ももち合わせておらず、ただ私のようになってもらいたくないだけであるから、こんなことはみんなよくわかっているので、あえて言うまでもない。

これで終わりにしてもいいのだけれど、すべての若い人々に一つだけ(アドバイスではなくて)心からの「お願い」。

どんな愚かな人生でも、乏しい人生でも、醜い人生でもいい。

死なないでもらいたい。

生きてもらいたい。


   哲学博士の中島義道先生が
     電気通信大学の卒業生に贈ったはなむけの言葉より



以前投稿した、文化高等学院通信 第25号 (平成26年 10月 1日)
へジャンプ → https://ikenosai.exblog.jp/22487342/







by ikenosai | 2019-02-15 10:10 | 私的視点 | Comments(3)

“民主主義”の中の“自己責任”

文化高等学院通信(研究誌) 第23号
  (平成26年  2月 1日)
                  
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
                  
  特定非営利活動法人 文化高等学院


“民主主義”の中の“自己責任”

生きていくためになすべきこと!

“やさしさ”は
   標準装備されている


 人は本来間違っていることや楽しそうでないことなど、不幸な人生に対して回避する力を持っているものだと思います。嫌なことは嫌、間違っていることは間違っていると言える感覚はあったはずだと思います。しかし、国家レベルでの大きな安心や安定のようなものを信用したり、依存したりして心までも操られていくこともあるようです。特にみんながそうだからという大衆の流れに惑わされやすいものです。そんな中、ふと子どもの頃はどうだったのかと思うことがあります。小学生の頃夢中になって観ていた「フランダースの犬」というベルギーを舞台にしたアニメーションがありました。おじいさんと少年のお話です。貧しい生活の中にあってもささやかな愛情が注がれていて心やさしく育っていくネロ少年。そして彼を取り巻く人々の心温まる情景に感動し、人としての正しい生き方を子ども心にも強く感じていたのを憶えています。

 そんないい物語もやがて月日が経ち、やさしいおじいさんが亡くなります。周囲の人たちのやさしい関わりも一変し、強い立場の者たちの感情に左右される中でどんどんネロ少年は不幸な状況になっていきます。愛犬パトラッシュと共に過ごす貧しく苦しい生活の様子を観ていた視聴者の子どもたちから「ネロを殺さないで!」という内容の投書がテレビ局に殺到したそうです。人は子どもの頃にはやさしさや思いやる心、和を築くような、人の幸せを願うような心があったのではと思います。しかし、そういった感性も環境や年齢と共に妥協とでも言いますか、マイナスの意味での遠慮のようなものが働いて良いものまでも抑制してしまうのではないでしょうか。社会資源に焦点をあててみると、ネロ少年にはいくつかのキーパーソンが存在していたはずです。まず一番仲良しの少女アロア、彼女の両親、そこで働いている男、隣に住むおばさん、牛乳の配達先の街アントワープにいる友だち。しかし、強い立場の者の振る舞いで彼の生活はどんどん苦しい状況になっていくのです。誰かが手を差し伸べなければならない非常事態にも周囲の大人たちは鈍感でした。

 ネロ少年と愛犬パトラッシュにとっての最期の日の出来事がその物語の中では強烈に記憶に残っています。アロアの父が大金を落とし「我が家はもう破産だ」とあきらめている場面と頼みの綱だった絵のコンクールで落選するネロ少年。どちらも死をも覚悟するほどの深刻な場面。失望のネロ少年と愛犬パトラッシュが辿る帰路の雪道。たくさんの金貨の入った袋を拾うのです。彼はその金貨がアロアの父のものだと分かり届けに行きます。後になって戻ってきたアロアの父に母が「ネロはこの中の1枚の金貨があれば助かったのに」とつぶやきます。今の世の中はどうでしょうか?弱い立場の人たちをも含めた民主主義はどうでしょうか。もしアンバランスな状況であるとしたらそれは今の政治の“膿”と言えるのではないでしょうか。ひとりひとりが意識した政治への参加が今の現状への歯止めとなることでしょう。国家とは何か?国家に望むものは何か?それは私たちひとりひとりが意識を持ってつくり上げていくもの、本来あるべき姿、未来を次世代に託すための理想のかたちを真剣に考え、その舵取りを責任を持って行うために組織された機関であって欲しいと思うのです。そして、そのために私たち自身も責任を果たさなければという答えに気づくことになるのではないでしょうか。


“幸福”
   について考える

「奇跡の中にある
     命に気付く」

 自分の目の前に子どもがいるという状況を当たり前だと思わないでほしいんです。自分が子どもを授かったこと、子どもが「ママ、大好き」と言ってまとわりついてくることは、奇跡と奇跡が重なり合ってそこに存在するのだと知ってほしいと思うんですね。そのことを知らせるために、私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。

 そのお母さんは、出産予定日の前日に胎動がないというので来院されました。急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは大変なことなんです。普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」と励ましますが、死産をするお母さんにはかける言葉がありません。赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、死産のときは本当に静かです。しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。明日にはお葬式をしないといけない。せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。私たちは「いいですよ」と言って、赤ちゃんにきれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、子どもを抱いていました。「大丈夫ですか」と声をかけると、「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。

 死産であっても、胎盤が外れた瞬間にホルモンの働きでお乳が出始めます。死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を飲ませて止めますが、すぐには止まりません。そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたらじわっとお乳が滲んできたので、それを飲ませようとしていたのです。飲ませてあげたかったのでしょうね。死産の子であっても、お母さんにとって子どもは宝物なんです。生きている子ならなおさらです。一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。母親学級でこういう話をすると、涙を流すお母さんがたくさんいます。でも、その涙は浄化の涙で、自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。

「到知」に連載された 特集「大人の幸福論」より抜粋。


「縁を生かす」

 その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

 二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」。先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れて来たのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、おかあさんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」

 十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になって僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」と一行、書き添えられていた。

「到知」に連載された「鈴木秀子先生に教わった話」より抜粋。



「38億歳 奇跡の生命」
~38億年の最終ランナー~

 宇宙はおよそ137億年前に極微の1点が大爆発をして始まったそうです。最初の生物から38億年。両親が子どもをつくる営みを始めてから9億年。ヒトは目覚ましい進化を遂げ、環境の変化にも適応してきました。約3千万種の多種多様な生物が地球上には存在しています。

 母胎の中の赤ちゃんは38億年の生物の進化に似たことを38週間で進行していくのです。それぞれの段階で魚や両生類になって、もの凄いスピードで遺伝子暗号のプログラム通りのドラマが展開されていくのです。そして、人間として誕生するのです。

 生物誕生から伝承してきた命のリレーで私たちは38億歳という最高年齢ということなのです。そして、ひとりひとりの遺伝子暗号は選ばれているのです。これは偶然ではないようです。私たちが選ばれて生まれてくる確率は、宝くじの1等に100万回連続で当たり続ける以上に凄いことなのです。両親の染色体の組み合わせにより生まれてくる可能性は70兆通りもあり、70兆分の1の存在が皆さんひとりひとりなのです。これは地球1万個分の人口よりも多いことになるのです。そして、おおよそ半々ずつの男女が見事に生まれてきています。男女の役割は違いますがそれぞれに大切な存在であるということでは価値は平等なのです。

 生命科学はもの凄い進歩を遂げましたが、世界中の科学者を集め、世界中のお金を使っても、細胞1つを元からつくることができないのです。それは生き物を動かしている本当の力とは何かということが未だに解っていないからなのです。

 ヒトの身体には宇宙の進化の歴史が凝縮されているのです。どんな人も全宇宙を背負って生きているということになるのです。命は自分だけのものではないのです。そういう意味で命は尊いのです。

 命を壊すのは簡単です。しかし、1度壊したら2度とつくれないのです。命を粗末にするということは、大自然がつくり上げてきた最高傑作を無駄にすることになるのです。

 今、生きる自信を失いかけている人に伝えたい。この世に生まれてきたことは途方もない奇跡的な出来事だったのです。自分の命も、他人の命も絶対に粗末にしてはいけないのです。私たちは自分の力で生きているように思いがちですが、自分の力だけで生きている人なんて地球上にひとりもいないのです。太陽・水・空気・動物・植物・地球・・・等々、他にも目に見えない大自然の偉大な力のお陰で生かされているのです。

 遺伝子レベルで見ると人はそれぞれ違うのです。それは誰もがかけがえのない人間として生まれてきたという意味なのです。他人と比較して生きるのではなく、自分の花を咲かせるために生きていくのです。
(筑波大名誉教授 村上和雄先生の話より編集)


健康と予防


 国家戦略と国民生活の
      “ジレンマ”

 人間は習慣として楽を得ると後戻りできなくなります。洗濯機をやめて手洗い、掃除機をやめて箒と塵取りと言ったように・・・。
 しかし、便利を商売にしている中にも、自社製品のパンを一切食べない社長がいたり、原発を推し進める政治家や東電の役員だって、いくら安全と言ってはみても原発の敷地内に住むことはしないでしょう。いや、そこまでの安心・安全はなく、覚悟もないでしょう。そういった面で“率先垂範”できるようなリーダーが存在しない国家戦略があまりにも多く、一つには国民を騙していることになるのです。誰のためなのか分かりにくい目先の評価に惑わされていて、子々孫々の生活などイメージする力はないでしょう。そう考えると今は100年単位の人体実験をしているのかもしれません。それでも信用できない安い外国製品を選択し、国産農業を衰退させている以上は安心・安全・健康を次世代に残す意識など見えにくいものなのでしょう。ハイチの悲劇に学んで欲しいものです。


尊き“産声”の瞬間

 子どものときから命の大切さについては、親からも先生たちからも伝えられてきました。なので命は大切なのだとは思っていました。しかし、これほどまでに、命の大切さを強烈なかたちで私に教えてくれたのは、息子が生まれてきたときでした。そのときの話をお伝えさせていただきます。

 いよいよ、出産の日がきました。陣痛が始まって、妻は陣痛の周期をはかり、助産院への入院の準備を始めました。着いてからも、まだ余裕があったようで、私は家に足りないものをとりに帰りました。
 再び助産院に着いたときは、外は暗くなり始めていました。「ご主人、代わっていただけますか?」といわれ、背後の脇から手を入れて彼女を抱え上げました。次第に息んでいく様子がはっきりと私の意識の中に入ってきました。力尽きながらも、私も耐えて、彼女を抱えています。

 2時間ほどたったのかな?助産師さんが言います。「頭が出てきたよ、ほら・・・」しかし、そこから、なかなか出てこられない様子でした。赤ちゃんは、頬に手をくっつけたままそこで止まっていました。しばらくして、そのままの姿勢で出てきたのです。肘まで出てきたら、あとはつるんと出てきました。「坊やよ・・・」助産師さんの言葉でおちんちんを確認して、赤ちゃんを抱きかかえて彼女に見せました。仰向けになって休む彼女をみんなでよく頑張ったねと褒めました。嬉しそうに、みんなの名前を呼びながら「ありがとう、ありがとう。」と彼女が答えました。しばらくして、後産の胎盤が出てきて、私は臍の緒を切らせてもらいました。そして、彼女のお腹の上にのっている赤ちゃんの写真を撮りました。娘もはしゃいで赤ちゃんを抱っこして写真を撮りました。「お姉ちゃんになったね・・・」と私が言うと、笑顔で「嬉しい・・・」と答えました。

 女性は凄いと思いました。これが女性の力なんだ、宇宙の力なんだと感動していました。そして、赤ちゃんは自分の力でこの日を選んで生まれてきたのだと思いました。このときの記憶は今も強烈に残っています。


お薦めの“1冊”

 国家とわれわれいま、抵抗のとき

著 者 : 徳永 俊明 

出版社 : 合同出版 

価 格 : ¥1,575 (税込)

 
 昨年末、大学の恩師、著者である徳永先生からこの本が送られてきました。この本を読んでいくことによって先生が何を思われ教壇に立たれていたのかを詳しく読みとることができました。私たちは今、子どもたちに何を残せるのかというヒントがこの1冊の中に書かれています。自らが社会をつくる一個人として生きていくことが大切であることを切に願い書かれた現代、そして次世代へのメッセージだと思います。政府に依存してきた私たちがそのしがらみから脱するきっかけになる1冊になるでしょう。


編 集 後 記

 資源にも財源にも限りがあり、平家物語の“おごれる人も久しからず”とはよく言ったものです。ドバイの繁栄も石油の枯渇とともに衰退していくのでしょう。財源がなければあの地域であんな生活は困難になるでしょう。
 それでは次の世代に残す滅びることのない資源とは何か・・・?と考えますと、それは魂とでも言いますか、やはり精神ではないでしょうか。

 子どものころテレビで観ていたフランダースの犬が劇場版になったのを観たのは大人になってからでした。ネロ少年が最期に観ていたルーベンスの絵の前でアロアが孤児院の子どもたちとともに祈りを捧げている場面でした。孤児院で仕事をしているアロアはシスターになっていたのです。一瞬にしてあの日のネロの死の悲しみとその後のアロアの生き方に感動せずにはいられなかったのです。ネロ少年に捧げた残りの人生に私はとめどなく涙が溢れ、それがオープニングの一番最初の場面からでした。子どもの頃に残してきた忘れ物を取り戻したような感覚でした。あの一瞬の重みは、人の一生の大切さ、重さを実に上手く伝えていました。

 長野県上田市にある戦没画学生の美術館「無言館」の絵の提供者の中には、戦争で失った恋人や好きだった従兄弟を思い、生涯独身を貫いている女性がいます。まず、その存在に私は大きな衝撃を受けました。あの戦争の負の一面を後世に伝える絵からも憲法改正への悲しい感情が読み取れるのではないでしょうか。そして、心に響くお話しは私たちの意識へも何か深い意味を持った種を蒔いてくださっているのでしょう。 (S・I)(http//ikenosai.exblog.jp)

by ikenosai | 2014-02-28 10:53 | 文化だより | Comments(0)

“食”を考える 食べることは、体をつくり、心もつくる!  文化だより 第22号

“食”を考える 食べることは、体をつくり、心もつくる!



“歯”に由来する
     人間の食生活


 大人の歯は全部で32本あり、うち尖った犬歯が4本ありますから、32分の4、つまり8分の1の範囲内であれば動物性の食品を摂っても大丈夫だと考えられています。そして、穀物は8分の5、野菜においては8分の2となります。動物性の肉や牛乳などの乳製品その他、魚貝類なども含めて8分の1が歯の由来による理想的な食事バランスだと言われています。人間が安定した心を維持するためには、食事の安定供給が重要だと考えられます。農業だって収穫期に1年分の穀物が確保できることで精神的なゆとりが出てきます。その安定の1コマが毎回の食事なのです。しかし、現代の特に若い世代の食事は全く逆転しているようで、肉などの動物性のものが多く、主食のご飯が少しだと、次の食事までもたず、イライラしたり、興奮したり、心が乱れるものです。しかも、次の食事もままならなければ、不安定にもなっていきます。それに加えもっと恐いのが、ちょっとした空腹時に、砂糖の多い食品を摂ってしまうことなのです。カロリー計算だけの食事はあまり意味がありません。白砂糖の多い食品が今、子どもたちを蝕んでいます。


“四里四方に病なし”
旬のものには
 “生きる力”が宿っている!


 “地産地消”がなぜ大切なのか?ここには実は神の力とでも言いますか、ごくシンプルな理由があるのです。地場の植物というのはその土地を生きぬく力を持っています。例えば、寒い冬の野菜は、少しでも暖かな土の中や土のそばで生命をつなぐ工夫がなされています。つまり、寒さに対抗して温めようとする力を神から授かっている訳です。長い歴史の中で生きていける基本がインプットされている訳なのです。逆に、暑い夏の野菜は日に向かって葉をひろげ、暑さに耐えられる強さがあります。つまり、冷やそうとする力を授かっている訳です。つまり、旬のものにはその季節に合わせて体調を整える力が備わっているのです。夏の野菜は体温を下げる効果があり、冬の野菜は体温を上げる効果があるということなのです。しかし、これを逆にして食べてしまうと、冬にキュウリやトマトを食べると体を冷やしていく訳です。生産地別に考えてもそれは言えるのです。南洋の果物を真冬に食べたりするのも同様です。
 今、日本の畑は中国やアメリカなどの諸外国に依存している状況です。それでも政府は国際貿易のバランスを重視し海外からの農産物を輸入する政策をとらざるを得ない状況なのです。夏に温めるものを食べるのにはそんなに影響はないでしょう。しかし、冬に冷やすものを食べるのは大変恐ろしいことなのです。今、低体温の子どもたちが増えています。住環境と食の影響が主な原因です。低体温は色々な病気を引き起こします。逆を言えば、温かい体には病気は棲まないということなのです。炎症反応をみてもそうです。病原菌や癌細胞と戦える体は基本は温かい体であることが必須条件なのです。そして、夏など暑い季節でも基礎体温が温かいと外気との温度差が狭いため少々の暑さには耐えられるのです。暑い、暑いと言って耐えられない人は普段から冷たいものをがぶがぶ飲んで体をどんどん冷やしてしまっている低体温の人が多いのです。冬の暖房も少し工夫が必要です。半袖でいられるくらい温かい部屋にいたら、喉が渇き、冷たいものをどんどん摂ってしまいます。これも冷えの原因になります。冷えは内臓の機能も低下させます。下痢をしたり、便秘になったり、生殖器系の病気をも引き起こすのです。工夫としては、着込むことです。昔の人たちたちは重ね着をして対処していました。今でも温かい靴下やスパッツを履いたり、腹巻をしたりして季節ごとに工夫するのです。体が温かいと動きも快活になり、行動力にも影響していきます。爬虫類のように動けなくなって冬眠している子どもたちの引きこもりの原因にはこの住環境と食生活による低体温などの問題も潜在しているのです。


 酸性過多
   が引き起こすもの


 酸性の強い食べ物には、白砂糖・精白小麦・卵黄を使ったケーキなどのお菓子。刺身や焼き鳥に日本酒、焼肉にビール、その後のラーメンやそばなど中和を考えない偏った食事は酸性体質になり、血液を汚します。痛風やリウマチの悪化はこういった偏食と過食が大きく影響しているようです。また、酸性体質はガン細胞が増殖していく上でとても好条件なようです。血を汚す環境には、すでに肝臓や腎臓への負担が大きくなっていて、その他の病気にも発展していきます。まず、腹八分目が大切なこと、これは低体温にならないための秘訣です。食べ方も、焼き魚にショウガ、すき焼きにコンニャク、干しぶどうの入ったパン、ご飯に梅干し、豚はショウガ焼きなどにし、動物性のものに野菜を付け合わせるなどして工夫したバリエーションを楽しみながら美味しくいただくことが大切なようです。粗食が中心になっていきますと、たまに外食していただく焼き肉や洋食などがとても有り難く嬉しいものです。家でも外でも、ご馳走ばかり食べていたら、内臓は休まる暇がありません。



※下の表は酸性・アルカリ性の食品の強いものから弱いものまでを一例として分けたものです。

酸性のもの~
(強) 砂糖・卵黄・マグロ
(中) 鶏肉・そば・豚肉・牛肉・白米
(弱) うどん・エビ・ビール・パン

アルカリ性のもの~
(強) 梅干し・ワカメ・蒟蒻
(中) 昆布・生姜・干しぶどう・椎茸・大豆
(弱) 小豆・小松菜・じゃがいも・キャベツ・大根


低体温の子ども達
    冷え性の大人達


 幼稚園や保育園などでは、体温が37度代中盤位から登園できないなんてことが多いようです。もともと子どもは体温が高いことが抵抗力につながっています。しかし、最近では、季節外れの果物や清涼飲料水、アイスクリームなど口当たりの良いものばかり食べていて、主食のご飯の量が減っています。基礎体力がつかない食生活で、しかも、低体温は病原菌に対して抵抗力がありません。そのため、病弱な体になって、少し食べ過ぎたときや、睡眠不足などで身 体が休まらないときに熱を出して寝込むことが多いようです。大人も同様の生活をしていけば、冷え性などの影響で、生理痛や腰痛を引き起こしてしまいます。冬の過ごし方、夏の過ごし方と工夫が必要になりますが、足下を冷やさないこと、冷たいものを摂りすぎないことは1年を通してとても大切なことのようです。また、喘息やアレルギー性の疾患には白砂糖を極力減らすだけでも改善することが整体などでも紹介されています。適度な運動や笑うこと、歌うことは血行を促進し、体を温めます。呼吸の浅い人には特にお薦めです。そして、深呼吸もしましょう。

調理できる力と工夫
  こそ生きる力となる


 ビワの葉やタンポポの根っこの効用はあまり知られていません。風邪などで喉が痛いときダイコンやショウガを下ろして飲んだり、また、お腹を下したときなどには、ニンジンをつぶしたスープが良いそうです。野菜が持つ自然の力を今では誰も教えてくれません。また、八百屋さんが旬の野菜の調理法をアドバイスしていた風景も、今のスーパーでは希薄なのかほとんど見ません。昔、天皇の料理番をされていた秋山徳蔵さんは、それぞれの食材の調理法や適切な保存法を本で紹介されています。その本には、鍋にお湯をはっただけの調理法やレンジで温めるだけの調理法はありません。生きるために命をつなぐ大切なことは本当は手間をかけて作るもののようです。5百円玉を持たせばお昼は何とかなるでしょう。しかし、命をつなぐ大切な意識はどんどん遠のいていっていることが何よりも心配です。


「まごは(わ)やさしい」

ま⇒まめ=豆類・豆腐・味噌・納豆:たんぱく質とマグネシウムが豊富
ご⇒ごま=ゴマ、ナッツ類:老化の原因となる活性酸素を防ぐ抗酸化栄養素
わ⇒わかめ=ワカメ、昆布などの海藻類:カルシウムなどのミネラルが豊富
や⇒やさい=野菜:ベータカロチンやビタミンCが豊富
さ⇒さかな=魚類:不飽和脂肪酸のオメガ3が豊富なたんぱく質
しい⇒椎茸=キノコ茸類:ビタミンDが豊富


健康と予防

 人類は
“粗食”に耐えて進化した


 杉の樹齢は長くて5百年程度ですが、栄養の少ない花崗岩の屋久島では寿命が長くなり樹齢2千年以上にもなる木があります。現代人の食事は栄養過多で、半分以上は医者のために食べているという専門家もいます。食事内容を3世代ほど前に戻すことや腹八分目は今後の課題になるでしょう。
 テニスで復活を遂げたクルム伊達公子さんは食事の改善で玄米食に切り替えたそうです。80才90才の元気な長老は粗食が長生きの秘訣になっているようです。 


食育は“自己管理”の源

 食べることでは、自分がどれだけ食べればよいのか、あるいは食べられるのかという自分を管理できる力も重要です。レストラン等でのバイキングで食べ残しの皿が多いのも、食育の問題として考えていく必要があるようです。戦国時代の小田原城主北条氏康が息子氏政がご飯に汁を注ぎ足しているのを見て、自分の食べる量も解らないようでは、人の気持ちなど解るはずがないと失望したそうです。案の定、息子は秀吉に滅ぼされ切腹します。名家である北条家には存続の話もあったはずです。しかし、何度会議を開いても北条家は何の決断もできないのです。これが世にいう“小田原評定”です。今でこそ平和ボケした世の中ですが、昔はご飯を食べることでさえ命に関わる重要なことだと名将たちは捉えていたようです。


“思春期”に寄り添う

 世界で一番大きな砂時計が島根県の仁摩サンドミュージアムというところにあることをご存知ですか?世界一の砂時計は全部の砂が下に落ちるまでに1年かかるそうです。
 私がこの砂時計を知ったのは、マレーシアから帰国する飛行機の中で観た映画からでした。
 例年になく重い不登校だった生徒たちが多い年で、さらに、直前で何人かの生徒が旅行のキャンセルをした年でもありました。クアラルンプールからペナンに移ってから連日の雨に見舞われ、なんて運の悪い生徒たちなんだろうと可愛そうにさえ思うほどでした。風邪を引くなど体調を崩す生徒もいました。それでも、旅行中は何とか必死で私に着いてきてくれて、寄り添う姿勢を見せてくれていた生徒たちに大きな成長振りを感じ、入学当時からを振り返りながら、感慨深いものがありました。心の病に押し潰されてリストカットをしたり、両親の離婚で不安を抱えていたりとそれぞれに重い悩みを抱えながらもがんばって生きている。それだけでも褒めてあげたいとさえ思えたくらいでした。
 あと2時間もすれば成田に着陸というころ、私は映画を観始めました。「砂時計」という少女コミックの実写版映画でした。少女時代に母が離婚し、海で自殺をし、やがてその少女も大人になって海で自殺をしますが未遂に終わるのです。とても悲しい映画でした。しかし、その少女は最後には心の拠りどころとなる恋人に救われ生きる道をしっかりと踏み始めるようになるのです。その場面が、まさに同乗している年頃の生徒たちと重なって、涙が溢れて止まりませんでした。両サイドに生徒たちがいて涙を拭うこともできず、私は何度も乾くのを待ちながらずっとその姿勢で映画を観ていました。
 その映画の最後の場面が大晦日に砂が全部落ちた砂時計をひっくり返す場面で、あまりにも大きな砂時計なので大勢の人たちが砂時計に繫がれたひもを引っ張っている場面でした。1年間の重みを感じながら恋人同士が顔を見合わせながら引っ張っています。共に歩む1年、互いに寄り添い希望に満ちた光景に若者の可能性を強く感じた思い出の映画でした。


幸せを願うとはどういうことなのか

 若くして息子さんを亡くされた方がいました。筋ジストロフィーという難病のため23歳で亡くなったそうです。当時は医者のほとんどがこの病気を知らなかったそうです。病院を虱潰しに訪問し、やっと息子さんの病気の真相が明らかになった夜、眠る息子さんの前で夫婦ともに向き合い、一晩泣き明かしたそうです。経営していた会社を離れ、息子さんの病気とともに人生を歩むことになります。小学校の途中で歩行困難になり、毎晩、お父さんの介助で入浴をしていました。14歳のある日、お風呂の中で息子さんが「僕の病気は治るの・・・?」と尋ねます。お父さんは、覚悟はできていましたが、とうとうこの日がきてしまったかと複雑な気持ちだったそうです。それでも真実を話すしかないと決めていました。お父さんが「治らない。」と答えると、息子さんが「じゃあ何歳まで生きられるの・・・?」と尋ねます。お父さんは「20歳位だと言われている。」と答えたそうです。どうやら、息子さんは分かっていたようです。しかし、お父さんがどう答えてくれるのか、それを確かめるために質問をしたのです。僕には僅かな時間しかない。と息子さんは悟ったそうです。残されたわずかな人生そして今を息子さんはどう生きるべきか考えたのだと思います。翌日から猛勉強を始めたそうです。息子さんにとって悔いのない生き方とはおそらく、今を懸命に生きることだと思ったのでしょう。そして、両親は息子さんの幸せな生き方を願いながら最期まで寄り添ったのです。短命であるから不幸、長生きであるから幸せとは限らないのです。それは如何に自分らしく自己実現に向けて生きていくかが幸せに生きていくためには必要なのです。その生き方への知恵を授けることが教育の最大の目標だと言えるのです。幸せを願い、自己実現に向けての知恵を授けることなのです。それは知識優先型で偏差値の高い大学に身の丈も合っていないのに苦しんで勉強して進学することではないのです。しかし、それが苦しみでなければいいのですが・・・。その知識優先型偏差値教育の象徴である官僚ですら、汚職事件で裁かれたりして決して親が願ってはいない、自分でも願ってはいない自己実現とはほど遠い人生を歩む人もいるのです。話が極端かもしれませんが、誠実に生きるための知恵を授けることが本当は大切なのです。


人の一生“生きるに値する人生”

 宮崎駿さんがアニメ製作から退かれることを知り、とても残念に思われている方が多いことでしょう。宮崎さんは“生きるに値する人生”を伝えていくことをテーマにこれまで取り組まれてきたそうです。最後の作品となった「風立ちぬ」は彼自身がどうしても作りたかった作品だったように思います。まず、彼は堀辰雄文学をこよなく愛していたことが作品から感じ取れます。それは「風立ちぬ」だけでなくいくつかの作品の中から持ち寄ったことによってその相乗効果が現れています。その作品を彼流にアレンジし、堀文学にはなかった心地よい終わり方をしています。できればこういう終わり方をしたかったという彼の愛情のようなものがヒロインの菜穂子から汲み取れるのです。
 そして、平和主義でありながらなぜ零戦の話を題材にしたのか?という疑問が出てきます。1つには、時代に翻弄されながら生きた人たちの誠をこめた生き方を表現しているのだと思います。そして、結核で命を落とす最愛の妻とのひと時の新婚生活。あの時代のほとんどの人たちが戦争という大きな歴史の波で愛しい人との生活までも遮られてしまっていたこと。そんな切ない思いを結集させたのだとも思います。あの一瞬の幸福の日々にどの人も涙を流し、感動したのではないでしょうか。実は堀辰雄の小説はこんなストーリーではないようです。そこを何とも言えぬ美しい恋愛にまとめているのが宮崎さんのこの作品への思いだったのでしょう。あの菜穂子の生き方、主人公の二郎の生き方そのものが“生きるに値する人生”そのものだったのだと感動し、涙をぬぐいながら劇場をあとにしました。
 私たちはどうでしょう。夫婦、親子で互いに思い合える瞬間はあるのでしょうか。もし、あったら“生きるに値する人生”だと実感することができるのではないでしょうか。人は一人では生きていけない。もし、一人になっても誰かを思ったり、誰かとの思い出を大切にしているからこそ生きていけるのであって、会えなかったり、離れているときにその人を大切な存在として思うのではないでしょうか。つまりは距離感も大切であり、疎遠になりすぎたり、踏み込んで干渉し過ぎたりするのではなく適度な距離感が重要になると思います。相手の心にどう触れ、寄り添っていけるか、そんなバランスによっても心地よさは変わってくるのではないでしょうか。


お薦めの“1冊”

おしんの遺言

著 者 : 橋田 壽賀子 

出版社 : 小学館 

価 格 : ¥1,470 (税込)

“渡る世間は鬼ばかり”などで人気を博していることとは裏腹に、ネット上のネガティブな書き込みなどと賛否両論ある著者ですが、この一冊でほとんどの悪評が払拭されることでしょう。
 この一冊に込められた橋田さんの思いを読んでいくと涙が溢れ、こんな思いをこの本に託されているのだというけなげな気持ちがストレートに伝わってきます。
 「おしん」は最初は売り込んでも全く受け入れられず、鳴かず飛ばずの作品だったそうですが、あるきっかけから世界に轟く名作になったそうです。しかし、橋田さんは「おしん」がブームになっていたころの辛抱が美徳だなどとは全く思っていなかったそうです。実は「おしん」で書きたかったのは、『日本人はもうこれ以上、経済的に豊にならなくてもいいのでは?!』『そろそろ身の丈にあった幸せを考えてみてはどうですか?』ということを伝えたかったと後に話しています。

編 集 後 記

  ~病んでいる現代の膿~

 「半沢直樹」というドラマを一喜一憂して観ていた方は多いのではないでしょうか。流行語にもなった「倍返し」と「土下座」が如何に良くないのかを論じるにはスペースが足りませんが、倍返しはネガティブな執念を拡大するだけであって、土下座は感情の無いパフォーマンスにしか過ぎないというお粗末な結果しか産まないということのようです。勧善懲悪が好きな日本人にはぴったりの内容だったのでしょうが、最後に半沢直樹は銀行から出されてしまい、裁かれるはずの上司は降格をしたものの銀行に踏みとどまります。頭取の判断は的確だったと私は思わず頷いてしまいました。職場においても家庭においても大切なのは「和」だったのです。半沢直樹はかなり人格的に問題のある生育暦を辿っていて、父親の自殺と銀行への復讐を視聴者は自分のことのように捉え、主人公の視点に入り込んでいったようです。そこまで考えると人には協調する視点から離脱しやすい心癖のようなものがあるのだということがこのドラマから学び取れます。現代社会においてもその傾向が強いのではと感じる場面を最近の報道等でよく見ます。(S・I)

by ikenosai | 2013-11-04 17:29 | 文化だより | Comments(1)

「人間の子育ては本能ではできない」 第19号(24年2月発行)

「人間の子育ては本能ではできない」
“次世代に残したい正しい子育ての「文化」”   ~築かれた母性の中で愛着は築かれていく~ 

 1回目の自我成立は3歳ぐらい、そして2回目の自我成立は思春期で個人差はありますが中学生ぐらいの年齢で訪れます。どちらにせよその辺が反抗期でもあります。まず1回目の反抗期では自主独立的ではないですが、母親に規定された自我に目覚めます。そして、思春期の自我は、自己反省によって自主的に自分を組み直す作業によって築いていき確立されていくのです。しかし、これらの課程が思い通りに上手くいくとは限りません。自我の確立の失敗は重大な精神障害を招くかもしれません。また、1回目の自我成立のときに周囲との人間関係、特に同世代との距離感がつくれていないと思春期での2回目の自我成立が足踏み状態となり、心身共に自立していくことが困難になることも予想されます。困難の原因について考えていきますと、家族の存在が与える影響にたどり着きます。それぞれに個人差はありますが、両親の関係や親の関わり方や考え方がどうであったかということです。つまりこの部分においてが育てる側がこれまで築いてきた結果に他ならないのです。現代において世間的な子育てと育てる側の主観的な子育てとにいくつかの違いはあるでしょう。育てる側から見ても、育てられる側から見ても、世間の考えと主観との間に生じるズレによって違和感は生まれ、育むべき愛着に支障を来し、その世間とのギャップによって子どもの心の発達にも影響を及ぼし、全体の中の自分をつくることが出来ていないことも不登校やひきこもりへの原因として注目すべき課題となります。

~育て直しの基本は親が変わるところから始まる~  
 本来、人間は育てられたとおりの子育てをする癖があります。それが子どもに良い影響を与えるのであれば問題はありません。しかし、どんな子育てのモデルを持つかは次の世代の子育てにどんな影響を及ぼしていくのか?ということになるのです。簡単に説明しますと、叩かれて育った人は叩いて子育てをしてしまい、学校でも同様で、軍隊的教育で体罰や暴力を受けて指導されてきた人が何も学ばないで先生になると、やはり、同じことをしてしまうものです。今の親御さん世代には理不尽な教員の教育を受けたという嫌な経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。だから、リセットする機会が必要なのです。リセットする機会をつくること、それ自体が、教育や子育ての正しい文化をつくることになるのです。
 赤ちゃんを産むと母体の変化から母性が形成されていくと専門家は話します。確かにその通りです。しかし、あまりにも多い情報と多様な生き方の中で、身近なものの影響を受ければ、本来の(理想とする)子育てからは離れてしまうものです。親の影響、特に母親の影響は怖いものです。その母親を支えなければならないのが父親なのです。相互のバランスは人間にしかできない素晴らしい子育ての可能性を持っています。


母から聞いた修学旅行の思い出
 私の母は終戦の年の昭和20年生まれです。兄、姉に続いて3番目に生まれ、その後に5人の妹や弟が生まれました。愛媛県南宇和の漁師町で周囲も裕福な家は少なかったようです。それでも修学旅行にはクラスの半分以上が行ったそうです。母の実家は貧乏で修学旅行へ行くお金などとても出してもらえなかったそうです。それでも行かれない生徒たちが集まり、日帰りの遠足を楽しんだそうです。出発の日は、まず先に修学旅行組を見送ったそうですが、さすがに行かれない生徒たちとともに辛くて辛くて泣いたそうです。子ども心に、行かれない現実が辛くて、貧乏が辛くて…。と母は語ってくれました。
私が小学校の修学旅行のとき、我が家の家計の優先順位はまず修学旅行の積み立てでした。母が子どもの頃に苦い思い出があったからでしょう。お陰で私は楽しい修学旅行に何の不安もなく参加することができました。それは中学でも高校でも同じでした。あのときの母のやさしさ、思いやりは今でも私の宝ものです。
子どもは親の背中を見て育ちます。あのときこうしてくれた。ああしてくれたという記憶がいつまでも強く心の奥に残っていくのです。一家団らんでご飯を食べたり、たわいもない会話をしたりと、親子の関係はこんな日常の積み重ねが大切なのです。そんな思い出が大きな財産となり、心の中に刻まれていき、豊かな心の礎(いしずえ)となるのです。


与えられた仕事に感謝を! ~専門職としてのプライドを~ 
 ケーブルテレビのローカル番組で映画「おくりびと」のモデルになった「納棺夫日記」の著者である青木新門さんの講演が放送されていました。
 富山で貧乏作家をしていて、子育て中にも関わらず貧しくて粉ミルクも買えない有様だったため、近所の葬儀屋に就職します。そこでの仕事は、遺体を拭き、棺桶に入れることでした。死後、何日も経って発見された老婆の遺体など様々な人の死と日々向き合い、生きていきます。当時は特に穢(けが)れる職業ということで、差別や偏見を受け、親戚からも、妻からも辞めるようにと言われていたそうです。そんな状況の中で、青木さんは、かつての恋人の家にお仕事に向かいました。彼女の父の納棺に立ち会ったのです。懸命に仕事をしていた彼の汗を隣でぬぐってくれたかつての恋人の行為に、仕事への自信と誇りが持てるようになっていきます。やがて、清らかで真っ白な白衣に身を包み、納棺夫の七つ道具を入れた素敵なカバンを持って出向くようになりました。遺体の処理だけ済ませば、さっさと帰れと言う雰囲気だったのが、応接間に座布団が敷かれ、お茶が出され、さらに先生とまで言われるようになっていったそうです。そして、年老いたお婆さんから「私の時にはあんたに来て欲しい」と予約まで受けるようになっていったそうです。
 青木さんはその講演でこうもおっしゃっていました。「現代では、死が身近なところでなくなっている」と。心地よく死を受け入れて、身近な人に「ありがとう」と言うことができたなら・・・。死を迎えるその瞬間、臨終に立ち会えた人がやがて次の世代にも同様に「命のバトンタッチ」をしていくことが大切であると話されていました。実は「おくりびと」にはこの場面がなかったから、原作の扱いにならず、タイトルすら別ものになったそうです。
 ガンジス川が流れるインド、ベナレスには生老病死が常にあり、そこには人の死がごく普通に存在しています。人の死と誠実に向き合ってきた青木さんだからこそここまでの偉業につながったのだと感動させられました。



お薦めの“1冊” 

母親幻想 

 著 者 : 岸田 秀

 出版社 : 新書館

 価 格 : ¥1575 (税込)


 この本は「人間は本能が壊れた動物である。」という著者独自の考えから始まっています。これまで、世間一般的に母親は自分の子どもを愛して育てるものだという幻想がつくられてきていること、そしてそれが長らく「文化」として人々を規制してきたことに大きなメスが入れられています。かつては親子の縁など薄いものだったのですが、それが近代国家になって、徴兵制と税金の問題などから、どうしても「家族」という幻想が必要になったことや、親子の関係から、母性との深い関わりが出てきたのだということに触れています。幻想にがんじがらめになっている人には、ガツンと一発の書になり、違和感を感じている人にとっては救いの書になることでしょう。
 母性愛は母親の自己愛の延長に過ぎない、利己主義な母親が子どものためにとあれこれしていることは自分の心を満たすものとしての子育てになってしまっているということなど、母親が子どもに与える影響が精神分析によって細かく書かれています。世間の常識に子育てが大きく影響を受け、多数派の影響によってさらに社会がつくりあげられ、構成されているということ、そして、それが肯定的に見られる傾向によって、正しいものへの基準が解りにくくなってしまっています。そして、本来、親のすべき子育ての境界線を越えてしまった学校教育の難しさが浮き彫りになってきています。子どもがおかしいのは親の責任がほとんどです。しかし、日本では、生徒が非行を犯したりすると学校や教師が非難されます。これは日本の教育の考えに、人は段階を追って成長するものだという「成長の思想」が入ってきたためだと書かれています。たとえば、「自動車教習所には、成長の思想はありません。そこは純粋に運転の技術だけを学ぶ場所です。技術を学んだものが、学んでいないものよりも成長しているとか、大人であるとか言いません。」と、こんなふうに説明が入っています。学校はいつの間にか躾(しつけ)を学ぶところ、成長させてもらえるところという学校教育の「文化」がつくられていきました。そして、さらに、学業はその専門のところに通わせればいいという発想までもが生まれてきます。だからその延長線上に学習塾の必要性が出てきました。学習塾が躾までも担っていたこともありました。洗濯機が誕生し、掃除機が誕生し、買い物は毎日でなくても良い、届けてくれるところもあります。だから、安心して社会に出て行けます。お母さんの家事は減りましたが、便利な時代になったのに母親が子どもと過ごす時間が減り、母個人が有意義に過ごす時間が増えました。またそういう人が増えたから価値観が変わっていきました。さらに、価値観を変えるもう1つの問題がマスメディアの発達です。なので今の時代に「おしん」は流行りません。どの人も今どきのドラマの様な格好いい女性に憧れるのです。子育てという現実逃避が晩婚化をすすめ、親になったとしても、自慢の子どもにしようとして、習い事に通わせ、塾に通わせ、自分の価値を高める材料としての子育てになってしまっているのです。それに失敗した子どもは惨めです。可哀想です。自己肯定ができないのです。母に受け入れられず、自分の存在に疑問を持つようになるのです。母に受け入れられること、いや、誰か身近な人に受け入れられることで、人は生きる力が湧くのです。それに気づかされる1冊です。



 健康と予防  
 免疫力とストレス(続編)

 前号で紹介させていただいた安保先生のお話によると、病気の根本的な原因に自律神経の乱れが影響していることがあげられています。この自律神経の乱れが白血球中のリンパ球と顆粒球のバランスを左右し、免疫力を低下させ病気を引き起こしているそうです。自律神経は自分の意思とは無関係に体の60兆個もの細胞をコントロールしている重要な神経で、免疫系に限らず内分泌系にも関わり、病気にならないよう一体となって働いています。この自律神経には交感神経と副交感神経があります。この2つの自律神経の片方が優位になると片方が下がるというようにシーソーの様になって拮抗して働いているのです。この揺れが激しいほど体調は崩れていきます。また、交感神経も副交感神経もどちらかに偏った状態が長く続くと低体温になり、免疫力も下がり病気になります。交感神経は主に昼間の活動中に働く神経です。この交感神経を優位にするのは、働き過ぎ、悩みや心配事などの過剰なストレスが影響しています。交感神経が優位になると、副腎からアドレナリンがたくさん分泌され、血管を収縮させるため全身に血流障害が起こり、細胞に酸素や栄養が届かなくなります。アドレナリンはストレスホルモンです。アドレナリンの分泌に伴い、顆粒球が大量に分泌されます。そこで増え過ぎた顆粒球が活性酸素を放出して、周囲の正常な細胞までも酸化させ炎症を起こさせ破壊して病気を引き起こす原因になります。顆粒球の増加はリンパ球を減少させ免疫力が低下します。特に胃や十二指腸に潰瘍ができ、それがエスカレートすることで癌を引き起こすのです。一方、副交感神経は、寝るときや食事を摂るときなどリラックスする時間や楽しい時間などに働きます。笑ったり、趣味に没頭しているときなどもそうです。副交感神経優位の状態は、過保護な状態です。ストレスがなさ過ぎる状態が続くと、免疫が過剰に反応します。今度は、アドレナリンではなく、アセチルコリンというホルモンが分泌されます。このホルモンの影響は血管を拡張させ過ぎることなどがあり、それが原因で血液の循環障害を招き低体温になります。副交感神経優位のときには、消化の過程で現れる体に不都合な物質を処理するためにアセチルコリンを出してその受容体を持つリンパ球を増やすのです。リンパ球の増加は顆粒球を減少させ、敵とはみなされないものにまでリンパ球が過剰に反応し、花粉症やアトピー性皮膚炎、喘息といったアレルギー反応を引き起こします。自律神経は1日の中でも、季節でも、天候によっても色々なリズムがあります。免疫学の見解では夜中や明け方にアレルギーや喘息が多いのは夜が副交感神経優位でリンパ球が増えるためで、また、明け方にリウマチの関節のこわばりが起こるのは夜間に増えたリンパ球が炎症を起こすためです。冬に心筋梗塞や脳卒中で倒れる人が多いのは、冬は交感神経優位で顆粒球が最も多くなり、春にアレルギーの病気が多いのは、春から夏にかけて副交感神経優位でリンパ球が最も多くなる時期だからです。春や秋の変わり目は特に注意したいものです。


編 集 後 記
 今号では人間は本能の壊れた動物、もともと母性はなく、つくられていくもの、意識して取り組むものの中から生まれるものだと結論づけてしまいました。しかし、最も大切なことだけはお伝えしなければと思います。私たちにとって子育ての最終ゴールは、死に向かう準備を誠実に行える人間になっていくことではないでしょうか。青木新門さんの講演で、「飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ」という映画の原作者、癌のため32歳という若さでこの世を去った井村和清医師の残した次のような手記が紹介されました。「レントゲン室へ行き胸部写真を撮ったのですが、出来あがってきた写真を見た瞬間、覚悟はしていたものの、一瞬背中が凍りました。転移です。私の右足に発生していた肉腫の肺転移。それをさせないために切断した右足でしたが、その甲斐なく、肉腫は肺へ侵入してきたのです。(途中省略)私は心に決めていました。免疫療法を始めよう、この治療法なら、体力のある限り仕事を続けてゆける。治療のために仕事をやめることも、入院する必要もない。歩ける限り、自分の足で歩いていこう。そう考えていました。その夕刻。自分のアパートの駐車場に車をとめながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いて見えるのです。スーパーに来る買い物客が輝いている。走りまわる子供たちが輝いている。犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が、小石までが美しく輝いて見えるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊く見えたのでした。」
 井村先生の文章が読まれ涙が溢れてきました。この瞬間、この境地こそが井村先生を育てた親の子育てへの評価だったのです。手を合わせたいほどの気持ちになれる。そんな最期を迎えられたらどんなに素敵な人生になることでしょう。(S・I)


by ikenosai | 2012-02-18 18:47 | 文化だより | Comments(0)