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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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哲学の小径

 人間には考える時間が必要だ。

それは、ぼんやりとして何かを考える時間である。

以前勤めていた学校には5キロほどの道のりを自転車で通った。

雨の日も、雪の日も、ひたすら自転車に乗って。

西武拝島線の玉川上水駅から東大和市駅にかけての静かな遊歩道。

玉川上水の遊歩道から、野火止用水の遊歩道につながる小さな小径。

毎日通ったこの道は、私にとって今日一日を考える大切な時間だった。

今日一日の日課を、そして、授業の内容をどう組み立てるか考えた。

会報の原稿も考えた。

色々なことを考えたり、イメージしたりした。

わずか5分ほどの道のりだったが、私には哲学の小径だった。

わずかな時間だが、色々なことがひらめいた。

ときには微睡みの時間でもあった。

ボーッとして通る日もあった。

人通りが少ないのでぼんやりできた。

途中、雑木林があり、天気の良い日でさえ、薄暗く、所々に木漏れ日がさす程度だった。

子どもを保育園にあずけ、それから、ひとりになって通る道だった。

仕事に向けて、自分をリセットするための小径だった。

 最近の子どもたちを見ていて思うことがある。

それは、ひとつのことだけに費やす時間があまりにも少ないことである。

常にふたつ以上のことを同時進行していることが多い。

テレビを見ながら食事をしたり。

歩きながら、ケータイをいじったり、ゲームをしたり。

音楽やラジオを聴きながら、勉強したり・・・。

仕事をしていて感じることだが、ふたつのことを同時に進行させることさえ、意識してさらに集中力を高めておかないとどちらかがなおざりになってしまう。

ひどい場合は両方ともダメになってしまう。

特に子どものうちはひとつのことに集中してやり遂げることが大切である。

想像する力や思考する力でイメージを高め、先を読んだり、相手の心の内を理解できるようになることはとても大切である。

そして、しっかり睡眠をとることや、ぼんやり微睡むこともまた、大切な時間である。

子どものころ、もらった小銭を握りしめ、駄菓子屋に行ったことを思い出す。

何を買おうかと迷い、握りしめていた小銭が手汗で濡れていた。

必死で考え、今日は何を買おうか?

どんなものがどれだけ買えるか?

などなど、様々な思いをその小銭に託し、色々なパターンをイメージして買い物をした。

時には目当てのものにいちもくさんということもあった。

小さな世界は、やがて、大人になってからの大きな世界につながる。

遊ぶことだって同じである。

友だちとただ集まって、座る場所だけ確保して、別々のゲームに興じるようでは、やがて進む大人社会や会社の組織に順応することにはつながらない。

話をしていたって、相手がゲームをしながら、ケータイをいじりながら聞いていたのでは、何だか話す気力も段々と失せていく。

今は大人でさえ間違っていることが多い。

お父さんの話をよく聴きなさい。

お母さんの話をよく聴きなさいとついつい言ってしまうことがある。

果たして、どれだけ子どもの話を子どもが求める姿勢で聴いているだろうか。

親にその甘ったれた姿勢があったなら、必ず、ある時期から子どもに同じような態度をとられるようになっていく。

ひとつのことをイメージし、考え抜くこと。

そんなトレーニングは暇のある子どもの時期にもっともっと培うべきである。

その子どもの時期に、訳も分からず、忙しく、慌ただしい時間を課せるのは、子どもを苦しめているだけに過ぎない。

受験に対応せざるを得ない環境に振り回されて、本当に何が必要なのか見えなくなっている。

しかし、周りが受験勉強をしていれば、何となく影響を受けるのも分からないでもない。

だから、大人も“哲学の小径”が必要なのだとつくづく思う。

哲学は、哲学者が何を言ったかを覚えることではなく、そのときどんな状況で、なぜそのように思ったか、考えたかを考えることである。

覚えるだけの学習ではなく、覚えた知識がやがて智恵につながるようになることである。

















by ikenosai | 2010-04-18 19:53 | 私的視点 | Comments(0)

微睡みの中で



 私たちは、微睡み(まどろみ)の中で生きているのかもしれません。

特に子どものころは、微睡む時間が多いものです。

以前、あるテレビ番組で宮崎駿さんが創作に行き詰まったら、寝ることだと言われ、昼寝をされていました。

昼寝から覚め、机に向かうと、ひらめいたのか、バケツに入ったポニョの絵をササッと描いたのです。

宮崎さんはよくこの方法で創作をされているそうです。

微睡む時間というのはとても大切だそうです。

作家や芸術家の中には、枕元にペンとメモ帳を置いていて、ひらめいたら書きとめて作品につなげていく人もいらっしゃるそうです。

それだけ、微睡みの時間にひらめきは多いようで、ファンタジーの世界ともつながっているのです。

昨年、天に召された石井桃子さんは当時、洋書だった「くまのプーさん」を五・一五事件にたおれた犬養元首相の三男、犬養健邸で子どもたちにせがまれ、即興で和訳にして読んでいるうちに、自分自身が突然その世界に入り込んでいく不思議な体験をされたそうです。

これこそが、微睡みの中の不思議な体験だったと思います。

石井さんはこの体験から絵本作家へのきっかけをいただいたのではないでしょうか。

微睡みの時間の善し悪しは、微睡む人それぞれによって、その後どうなっていくかに差がつくものです。

秋田で娘と近所の児童を殺害した女性はおそらく、微睡みの中だけで生きてきた典型的な人間だったのではないでしょうか。

供述も二転三転し、事件のときも、その後の記憶もはっきりしない微睡みの中をただただ好き勝手に生きてきたから、思考力を持たず、自分の都合だけに合わせて不確かな人生を送ってしまったのだと思うのです。

ここで改めて、子どもが育つ環境に何が大切なのか考えていく必要があるようです。

子どもは微睡みと正しい生活環境とを行ったり来たりしてその反復の中から成長していくのです。

正しい環境にいれば、正しいものに影響され、微睡みの中にも素晴らしいファンタジーが芽生えるのです。

暴力や虐待を受けて育っていけば、微睡みの中に恐怖が芽生えてくるのです。

そして、親から可愛がられることもなく、誰からも大切に育てられることもないまま生きてきたものには微睡んだままでいるほうが楽だからと、はっきりしない曖昧な生き方をしてしまうこともあるようです。

人間は、生きていく中で、最もニュートラルな状態というのは、やはり赤ん坊のときです。

そこで規則正しい習慣と親の愛情に満たされてきた子どもは毎朝、微睡みの中から目を覚まし、自分が何ものかを確認し、自分の記憶の中に強く愛される正しい自分を印象づけていくのです。

その強く印象づけられた自分が正しいものをからだ全体で受け止め、理解していくのです。

周囲の愛情をたっぷり受けていることが重要なのです。

そして、正しいものを常に感じる環境が需要なのです。

すべての記憶はその積み重ねによる影響を受けて確かなものか、不確かなものになっていくのです。

ほんとうに強く生きる力なんてものは、もともと備わっているものよりも、育っていく過程で影響されるもののほうが大きいのです。

親の血を引くという表現をよく耳にしますが、親の習慣に影響されていることのほうが大きいのです。

親が規則正しく生活し、子どもに愛情を注いでいけば子どもはしっかり育つのです。

たとえ、思春期に挫折をしても、日頃から正しく生きている親の姿を見ていれば、しっかり立ち直れる力は備わっていくのです。

微睡みの中だけで生きてきた人には、人への恩も、感謝の気持ちも薄いのです。

微睡みの中だけでは、願望や欲求を満たそうとする本能だけが優先され、利己主義的な生き方をしてしまうのです。

母親に殺害されたあの少女の最期の日は、朝、まだ起きてくれない母親に空腹をうったえたあと、買い置きのカップ焼そばを食べさせてもらい、その後、母親はスーパーマーケットで自分が食べたい手巻き寿司とたばこを買っていたそうです。

母親の微睡みの中で、少女はうとましくなり、微睡みの中で母親の短絡的かつ無責任な欲求として、悲しい結末を迎えてしまったのです。

もし、正しいものの中で、愛されて育った母親なら、娘の死に対する悲しみがその不安や恐怖と一緒に、事件を起こす前にイメージできたはずなのです。

それすらできない感覚であるなら、誰からも大切に育てられていないということなのです。

思考することのない、微睡みの中だけで生きていたなら、未来に向けての大切なイメージは湧かないのです。

心の病気にかかる人は、現実と微睡みのバランスと、育つ環境に強い影響を受けているのです。

つまり、一緒に過ごす大人にかかっているのです。

大人がどう関わるか、親がどう関わるかで、次の代の子育てにまで影響を及ぼすのです。

しかし、起きてしまったことはもう戻せません。

できることは、そこから学び、そうならないために何をどうすればいいのか考えていくことなのです。

最近の子どもたちの学習について、不安を感じることがあります。

理解できればよい、学術的なことを教わるだけでよいと安易に考えがちです。

それは、ゴミのポイ捨ては良くない、挨拶ができないのはよくないと言葉だけで理解させようとしているのと同じです。

しかし、ほんとうに大切なのは、行為なのです。

ゴミのポイ捨てをしない習慣を親ぐるみで継続すること、挨拶をする習慣を親ぐるみで継続することが大切なのです。

行いの正しい習慣は、親ぐるみで反復されることで、体にしみついていくのです。

どんなに学校の勉強ができたって、偏差値の高い大学に入ったって、挨拶もできず、正しいことも解らないままでは、決して良い生き方にはつながらないのです。

周囲に協力的である親の姿を子どもは見ているのです。

それがごく自然な生き方であれば、必ず子どもにも良い影響を与えていくのです。

すべては親ぐるみの習慣なのです。

人々の中で生きていくことが習慣付いていれば、ひとりだけの孤独な世界より、誰かと過ごすことのほうが楽しく感じるものです。

しかし、ひとりで過ごす習慣が長いまま育ってきた子どもには、人々の中にいるほうが窮屈でつまらないものになるのです。

そして、ひとりになる時間があまりにも多いと、微睡みの中で過ごす可能性は高くなり、思考する時間を持たなくなるか、余計なことまで考えすぎる神経質な性格になっていくのです。

どちらにせよ、社会性に乏しい大人になっていくことには違いありません。

正しいもの、正しい人とのふれあいがあってこそ、微睡みの時間は有意義なものになっていくのです。

by ikenosai | 2009-01-28 17:17 | 私的視点 | Comments(0)