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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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希望につながった恩師との出会い

 高校入学のときには希望がなかった。

受験に失敗し、行きたかった高校へは行けなかった。
そんな思いで作陽高校に入学してしまった。

共学なのに男子が多い分溢れてしまい男子クラスに。
しかし、そこから不思議なご縁をいただいていく。

クラスの半分くらいが全国大会を目指すアスリートばかりだった。
1年からサッカー部のレギュラーで全国大会にいった生徒、柔道部、剣道部もインターハイに出た。
野球部は1年生大会で優勝し、話題になった。

私は卓球部だった。
強いチームではなかったので、上級生を追い越してレギュラーになった。
しかし、個人も団体も全国大会にはほど遠かった。

それでも余剰エネルギーがあった私は、それ以外にもチャレンジする余裕が出てきた。

高1の夏のバイトで自転車を買って、秋からサイクリングばかりの日曜日。
姫路城まで100キロの道のりを3時間半で行く元気。
2年の夏にはフェリーを使って小豆島に日帰りで行った。
またある日は、午後から日帰りで鳥取の千代川河口に行って泳いだりした。



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 高1の秋の挫折で冬からボクシングを始めた。

全国大会に出たかったからだった。

ロッキーを観たり、あしたのジョーを観ているうちに、根性だけで勝てると思って始めた。

2年の夏のデビュー戦は国体予選だった。
インターハイに出た選手に判定で敗れた。

高3になって、卓球では県総体に出られなかったので、ボクシングで県総体に出たいと担任の先生に相談すると「わしが顧問になっちゃろう」と快諾していただいて出た。

担任の先生は3年間担任だった中島先生だった。

先生はすぐに私の練習を観に来た。
サンドバックを力一杯連打するのを見て拍手しながら、試合が楽しみじゃと言ってくれた。

県総体1日目はシードで不戦で、翌日が決勝戦。
昨年対戦した相手に判定で負けだった。

先生は三脚を立ててビデオ撮影をしてくれた。
その試合は、数日後のホームルームでクラスのみんなの前で上映された。

2年からは家政科の女子と一緒のクラスだったので3分の2が女子で少し恥ずかしかった。


 そして夏休み。

最後の国体予選も初戦がシードで不戦、そして、決勝戦、共にダウンを奪い合ったが、前回と同じ相手に判定で敗れた。

結局同じ相手に3連敗して終わった。


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試合後すぐ、関西高校のコーチから名刺をいただいた。

大学への推薦だったが家に帰って両親に話すも、軽く流されてしまったのでそのままだった。

残りの夏休みはバイトして、後半に中学校時代からの親友と中国地方一周のサイクリングに行く計画をたてた。

担任の中島先生に許可をいただきに行くと「そりゃ面白いのう」と笑って快諾してくれた。

2学期が始まって間もないホームルームで、先生から「これからこの君が面白い旅の話をするけん、みんなで聴こう」と言われ、私は黒板に中国地方の簡単な地図を描いて、1日目から7日目までのサイクリングのすべての日程と内容を話したら、みんなはびっくりして、たくさん質問をしてくれて、私は得意になって答えた。


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 秋から就活。

すぐに決まったが、辞退。

11月も終わるころだった。

関西高校のコーチから学校に電話があって、駒澤に行く気はないかと最終確認だった。

まだ、一枠が決まていなくて、私に声がかかった。

中島先生は笑いながら「どうする」と言っていた。

就活までしている状況から見れば、親が行かせる訳ないとは分かっていたと思う。

私の本音は行きたかった。

これまでの駄目人生を思うと、一発逆転の満塁ホームランのような出来事にしがみついてでも人生を変えてみたいと思った。

翌日の放課後、中島先生にその思いを話しに行った。

途中から涙が出てきて嗚咽の状態で思いを伝えると「先生が今晩お前の家に行って親を説得してやろうか」と言ってくれた。

最後の望みをかけてお願いした。

夜、中島先生は家に来た。

両親は承諾した。

しかし、翌朝、父から「やっぱり無理じゃ、お前を東京にやるだけのお金はうちにはない」と言われ、諦めかけたが何か方法はないかと赤本の説明を見ていて夜学を受験することにした。

中島先生はすぐに推薦状を書いてくれて、平均評定3.5以上にするため、各教科の先生に掛け合ってくれて、3.9になったぞと報告に来た。

あとはお前が勉強するだけじゃ「まだ雲をつかむような話じゃけど、受かったら凄いことじゃ」と言われ、私はその気になった。

そして、卒業式が終わってから私の大学受験があって、何とか合格した。



 大学1年の夏には国体予選があり、中島先生も応援に来てくれた。

初めて勝って、中国大会に出た。

5戦目にして日本チャンピオンの赤木武幸氏と対戦し敗れた。

大学2年の国体予選も中島先生は応援に来てくれた。

1回戦は岡山大の選手を1ラウンドで倒した。

その日の夜は、先生の地元の保育園のお涼み会に連れて行かれ、暑さもあってかビールを何杯か飲んだ。
家に帰って体重を計ると2.5キロオーバーしていて、真夏の夜、ウインドブレーカーを着て走った。

次の早朝もまだ1キロオーバーしていて、会場になっていた倉敷工業高校に着いてから予備計量したら、まだ600グラムもオーバーしていて、ウインドブレーカーを着てシャドーボクシングをして、直前にリミットを下回り60キロ以下になった。

決勝は高校の時の3連敗の相手だった。

みんなからは4度目の正直と笑いながら励まされ、試合に挑んだ。

1ラウンドで手応えがあり、勝ちを確信しかけていたら、2ラウンド途中、気を抜いた瞬間だった。

相手の右フックをまともに受けて倒れ、レフリーに止められた。

左ひざを大きくねん挫してしまった。

その傷は今だに梅雨の時期に痛む。

その日、中島先生は3人娘のうちの2人を連れて応援に来ていて、試合後、「これから赤穂に潮干狩りに行くぞ」と私を誘い、夕方から米袋に2俵分のアサリを採って1俵ずつ担いで運んだ。

次の年の国体予選も応援に来てくれた。

その年、私は中国大会で優勝した。

その後、私は大学を卒業し、さらに何年かして田舎に帰った。

ことあるごとに就職の相談もしたし、先生の縁故で福祉の仕事もさせていただいた。

そして、一時ではあるが中学校で先生をした。

その時の同僚に中島先生の奥様がいた。

ずいぶんと善くしていただいた。

中島先生には今でも会いに行くし、年賀状を出している。

今は優秀な孫がいて、おじいさんになっている。

私が高校に入学したころは当時の市川染五郎によく似ていてハンサムだった。

今思えば、高校受験に失敗はしたが、「人間万事塞翁が馬」「怪我の功名」と言った言葉が私のこれまでの人生を締め括っている。

作陽高校に行って良かったことは、何の取得もない私にここまで付き合ってくれて、最後は大学に行かせてもらって、教員にまでなれたことだと思う。

あの先生に巡り逢わなかったら私の人生は白黒のままだったと思う。

中島先生、ありがとうございます。

何度も何度もお礼を言いたいです。





by ikenosai | 2019-08-16 14:11 | 思い出のポケット | Comments(4)

「和顔施」 作陽高校の同窓生、渋野日向子さんの活躍


開経偈

無上甚深微妙の法は
百千万劫にも遭い遇うこと難し
我今見聞し受持することを得たり
願くば如来の真実義を解したてまつらん

現代語訳
最高にして深遠な(仏陀が悟られ、説かれた)真理には、
どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。
しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。
願わくは仏陀の説かれた真理を体得せん。


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 週1時間の宗教の授業。
始めにこのお経を唱えていたのが懐かしい。
今は毎日、朝晩の読経で唱えてるこのお経。
作陽高校の精神の礎はこのお経にあるとさえ私は思う。
そして、「念願は人格を決定す、継続は力なり」の教育理念。


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 かつての私たちの高校は今も地域とともに渋野日向子さんのようなステキな卒業生を輩出している。
凡夫の私ではあるが、がんばらなければと元気をいただく。
そんな私のできるお布施「和顔施」「愛語施」つまり、笑顔とやさしい言葉かけ。
ひとりひとりの卒業生の一隅を照らす草の根運動。
恩師たちの思いをこれからも継続して守っていきたい・・・。






by ikenosai | 2019-08-08 10:03 | 私的視点 | Comments(2)

「失望が感謝にかわった日」


 徳山大学まで来るとすぐにボクシング部の道場は見つかった。
道場の入り口に整列している徳山大学のボクシング部の部員たちが国体の中国地区予選のお世話をしていた。

前日の午前中に家を出て姫新線から津山線に乗り継ぎ、岡山駅まで行くと、待ち合わせになっている岡山駅の改札にはすでに選手団が待っていた。
そこから新幹線で徳山までの小旅行。
ありがたいことに、国体は交通費、宿泊費などの旅費が公から支給されるため、小遣を持参する程度でよかった。

今回は優勝できそうなほどに体調が良かった。
整列している徳山大学の選手を見渡すと見覚えのある顔。
高校時代の同級生だった。
彼とは高校の時、同じクラスでよくつるんでいた時期があった。
忘れはしない1年の2学期の放課後、土曜日だった。
寮生の弁当を一緒に食べて、サッカー部の寮の奴にバレて半殺しのめにあった。
彼をかばっていたら僕が標的にされ、そこから一方的にボコボコにされ、気が付くと誰もいない教室で僕だけが泣いていた。
恥ずかしくて、悔しくて嗚咽の状態だった。
週明けに彼はすぐに謝ってきた。
僕は「大丈夫」とだけ言ったが、それ以上の言葉が見つからず、悶々としていた。
それからだった、ボクシングを始めたのは。

久しぶりに会った彼が開口一番「僕も大学でボクシングを始めたんでぇ・・・、本当はずっと前からやりたかったんじゃぁ。」って話してくれた。
その言葉で、あの時のままだった悶々とした気持ちが晴れた。
岡山代表で来ている僕を彼は嬉しそうに同僚たちに紹介してくれた。

計量、健診後からすぐに一回戦が始まった。
僕の初戦は山口県代表だった。
絶好調だったこともあって、1ラウンドKO勝ちだった。
汗も出ないうちに終わって、ノーダメージで翌日の決勝戦をひかえ、夕方の練習をした。
引率は三菱自工のボクシング部の指導者たちだった。
僕自身がこんなところにまでこられるとは予想もしてなかったし、高校時代は岡山代表になったことなどなかったので、三菱自工の人たちとの面識はなく、ミット打ちも初めてだった。
僕の重いパンチを受けながら「明日も期待しとるで・・・」って声をかけてくれた。

その晩はマムシの焼酎漬けを分けてもらって飲んだ。
カーっと喉が焼けるような感覚と生臭さにおそわれたが優勝への後押しと思い感謝した。
それにしても、あんなまずいものは初めて飲んだ。

 翌日の早朝、少年、成年を合わせた代表チーム全員で走った。
シャドーボクシングをしていても不安は全く感じられず、こんな絶好調な感覚は初めてだった。
その感覚は今でもはっきりと覚えている。
何にも支配されない自由な感覚、何にでも勝てる感覚だった。
ただ、マイクタイソンには勝てないとは思ったけど、今日の試合は完璧に勝てると確信していた。
本当にこんな感覚は初めてだった。

 ゴングと同時にすこぶる元気が爆発し、軽快な動きと共に相手に放つ右のストレートとロングフックがよく当たっていた。
まれに受ける相手の右ストレートもまともには受けなかったので、あっさり判定で勝った。
ノーダメージのまま試合が終わって、僕は中国地方の王者になった。

たいしたことではないと思うけど、僕の中では最高の成績だった。
試合後すぐに同級生の彼がやって来て「おめでとう、かっこよかった」って嬉しそうに言葉をかけてくれた。
まだ僕は弱虫だと思われていたと思っていた。
しかし、そんな消極的な感覚はきれいさっぱりと消えていった。

実家に帰ると父が新聞を持ってきた。
KOで勝った1回戦の結果が載っていた。
「連絡がないけん、どうしたんかと思とったけど、今朝の新聞で分かったわ。勝ち進んどったんじゃなぁ」って嬉しそうに言った。

 その日まで僕の中には弱虫がいたんだってわかった。
その日は、晴れ晴れとした青い空に何にも染まらない僕が存在していた。
高校時代の同級生がそれに気づかせてくれた。

 「ありがとう」って僕は思った。

 そのころからだった、サッカー部を心から応援するようになったのは・・・




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僕の心の立ち直りを手弁当で支えてくれた今は亡きトレーナー

丹下段平のような情熱で僕を強くしてくれた

そして、高校時代の恩師と共に僕を大学へ押し上げてくれた

こんな拙い僕のために・・・




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僕は、この地から東京行の切符を手に入れて上京した

そして、美しい花嫁にめぐり逢った

あのときの悔しさからボクシングをやらなければ

無念を残したまま田舎にとどまって腐っていただろう

今でもあの辻(交差点)を思い出しては

ただただ感謝が込み上げてきて、涙がにじむのです・・・



クリック →  https://www.youtube.com/watch?v=aSWtMVbw3N4








by ikenosai | 2019-01-24 10:02 | 思い出のポケット | Comments(4)

あともう一つのところで・・・



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あともう一つのところで実現できなかったことがある。

僕はボクシングで高校時代インターハイに行きたかった。

しかし、県大会決勝戦で負けた。

国体にも同じ相手に決勝戦で負けた。

そこからだった。

冷静に自分に足りないものを考えた。

そして、少しずつ改善するようになった。


従弟のけんちゃんは僕と同じ高校に入学した。

そして、野球部に入った。

野球に捧げた高校三年間だった。

県大会準優勝。

春の甲子園センバツ予選の中国大会で4位。

夏の甲子園の県予選も準優勝だった。

最後のあと一勝が遠かった。

僕は今でも思う。

僕のあと一つはどうってことはないって。

でも、けんちゃんたち野球部のあと一勝とそこまでの勝利は輝きが違うって。

そう思う。

みんなが同じ目標に向かい、どれほどの練習に耐え、がんばってきたかって思うと、僕の青春より美しくて、僕までもらい泣きしそうな、けんちゃんたちの青春。

がんばったねって讃えたい。

40歳を過ぎても、その輝きは今なお僕を感動させている。

僕は今でも祈っている。

作陽高校がいつかきっと甲子園に行きますようにと。


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「あとひとつ」へクリック→ https://www.youtube.com/watch?v=ir5cF-EvBig

 この曲に彼らの思いを重ねて・・・涙が出るほどに・・・涙が出るほどに・・・

  そしてまた僕はこの感動を反芻するように・・・何度も何度もこの曲を聴きながら・・・






by ikenosai | 2018-09-11 10:40 | のぼーる(野球) | Comments(4)

青山敏弘君への感謝状!

青山敏弘君、ありがとう。

私は、作陽高校の卒業生として、心から感謝しています。

我が作陽高校卒業生として、サッカーワールドカップ初出場に何よりも感謝です。

これまでの、母校とのご縁を振り返り、サッカー部の存在の有り難さにつくづく感謝が込み上げています。

日本代表は、グループリーグ敗退で、とても残念ですが、何か熱い思いをいただけたこと、こんな気持ちになれたことを嬉しく思っています。

最後の最後まで、楽しませていただいたグループリーグ。

覚悟を決めて、それでも祈りつづけていたこと。

スタメン起用が分かるまで、ずっとずっと祈りつづけていたこと。

そして、それがかなったとき、この上ない喜びでした。

感謝とともに、世界が平和でありますようにという思いが込み上げてきて、涙が出そうでした。

こんなすてきなスポーツの祭典の代表に選ばれた君に感謝をしつつ、これからの活躍を祈っています。

最後まで、紳士であった君に、そして、日本代表選手たちに心から感謝です。

「継続は力なり」

岡山県の星

作陽高校の星

強く、輝いていた君にありがとう!


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by ikenosai | 2014-06-25 10:52 | 照于一隅 | Comments(0)

日本代表 青山君がんばれ!

 まだ、作陽高校の恩師が現役で共に駒沢競技場の応援スタンドから声援をおくっていたのを覚えている。

その年の高校サッカーの初戦の相手は名門帝京高校だったので、後がないと思い、無理矢理うちの奥さんに頼んで応援に行かせてもらった。

味方のパスがとおり、最前線に上手く出てきた選手がいた。

相手のディフェンスを振り切り、オフサイドにもならず、完全フリーになって先制のゴールを入れたのが、まだ1年生だった青山敏弘君だった。

その1点が決勝点となった。

次は静岡学園に勝ち、ベスト8で鹿児島実業に負けるまで、私は必死で彼らを応援していた。

翌年は、地区予選の決勝でゴールを入れたのが青山君だったが、審判の誤審のまま、無得点でPK戦になり負けてしまった。

野村雅之監督が育てた選手のワールドカップ初陣。

青山君の活躍と日本の勝利を今から待ちわびている。

作陽のサッカー部がなければ私はたぶん今、東京にいない。

カテゴリの中のキャリア・デザインに詳しく著しているが、とにかくサッカー部には感謝している。

彼のプロフィールを見ていて、好きな言葉に「継続は力なり」と書いてあった。

「念願は人格を決定す、継続は力なり」作陽高校の正門の横の石碑に刻まれている。

私も大好きな言葉である。

作陽が誇る三羽烏。オダギリジョウ君、岸本斉史君、そして青山敏弘君。

彼らに続け作陽の高校生たち。

by ikenosai | 2014-05-13 23:12 | 私的視点 | Comments(0)