人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新のトラックバック
カテゴリ
画像一覧
フォロー中のブログ
記事ランキング
最新のコメント
明けましておめでとうござ..
by PC-otasukeman at 17:06
おはようございます 少..
by yumechiyan at 04:47
> miyabiflow..
by ikenosai at 09:59
わくわくとうれしいひとと..
by miyabiflower at 19:20
> saheizi-in..
by ikenosai at 12:04
以前の記事
2023年 07月
2023年 06月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
メモ帳
ライフログ
タグ
ファン
ブログジャンル
検索
その他のジャンル

先生との再会


 20代の頃、田舎の中学校で働いていたときのことだった。

卒業式当日、私は保護者の受付をしていた。

一段落したのか、列もなく、のんびりと気楽な気持ちで、いらっしゃる方々を迎え入れていた。

そうしていると、どこか見覚えのある顔、そして、表情に何か胸が熱くなるのを感じた。

名簿にチェックされた場所を確認すると、違う・・・?、あ、旧姓・・・?

でも、やっぱり先生だ・・・?。

急いで声を掛けると、やっぱりそうだった。

幼稚園のときのあの先生だった。

相変わらず、美しい方だった。

当時、先生の前だと、ドキドキ緊張していたのを思い出した。

今でもドキドキするほどだったので、その感覚をすぐに思い出した。

「先生、覚えていますか・・・?」と声を掛けると、先生はすぐに、一緒にいた他の保護者の方に、「わあ、懐かしい、私が初めて受けもったクラスの園児よ。」「随分と立派になって、嬉しいなあ。」と話していた。

当時、私はダンプにはねられ、3ヶ月も入院していた。

多動症で、落ち着きがなく、それでいてシャイだったりもして、先生から見ると、足りない困った園児だったと思う。

そんな思いもあってか、こんな私が娘の通う中学で先生をやっているとは夢にも思わなかっただろう。

先生はすぐに「お父さん、お母さんは元気・・・?」とたずねてきた。

母や父の苦労ぶりが思いおこされてのことか、先生はよくまあ育ったなあと言わんばかりに、そう思ってか、話しかけてきたのだと思う。

大変な異端児だったことを私は振り返った。

それにしても、20年以上も経っているのに、こんなつたない私を今でも覚えてくださっているのだと思い、何だか嬉しかった。

先生は結婚し、苗字が変わっていたのに、また旧姓に戻っていた。

聞けはしなかったが、色々とあったのだろうと思った。

そんな中でも、しっかり子育てをされていることが、卒業する娘さんの状況からもうかがえた。

20数年来の再会、先生は相変わらず美しかった。

まるで、時間が止まっているかのように感じて、胸がドキドキした。

何よりも、先生に大人になった私を見ていただけたことが嬉しかった。






# by ikenosai | 2010-02-21 19:33 | 思い出のポケット | Comments(0)

今は勇気より根気・・・かな?


 昨年の今頃は、関わっていた生徒たちの単位認定試験が終わり、本腰を入れて就職活動を始めていた時期だった。

不安ながらも家族の支えが心細い私を紛らわしてくれていた。

就職活動にしても、今はやたらとパソコンに頼りがちになる。

それだけ、パソコンを介しての情報は大きく影響している。

ハローワークも福祉人材センターもインターネットを使えば、家のパソコンで調べられる。

たまに、ヤフー動画(今はGyaO!)を見ながら、折れそうな心を紛らわしていた。

中西保志さんの歌うカバー曲を何度も何度も聴いたりしているうちに、いつの間にか4才の息子が歌詞を口ずさんでいたのには驚いた。

「恋するカレン」を感情をこめて歌っているのには思わず吹き出してしまい、不安な心も紛らわされた。

洋楽も、聴いていた。

一押しの、ビューティフルソングで紹介されていたジェイムス・ブラント(JamesBlunt)の「ユアビューティフル」の動画を何度も何度も観ていたら、息子が全く同じ動きをしながらデタラメながらもそれらしい感じに歌っている様子に思わず笑ってしまった。

息子はこの曲が大好きだと言っていた。

さびの部分の「You're beautiful. You're beautiful.You're beautiful, it's true.」のところが一番好きと意味も知らない英語を発音していた。

ジェイムス・ブラントが寒そうに雪のちらつく海上の特設ステージでパーカーのジャケットを着ているところから始まる。

息子はそこから真似をし始める。

曲に合わせて歌い、上着を一枚ずつ脱いでいく。

上半身が裸になったら、あぐらをかいて座り、脱いだ靴を前に揃え、ポケットの中のものを出して、靴の両サイドに揃えていく、指輪をはずし、そして、立ち上がる。

静かな空に、鳥が寂しそうに飛んでいる。

そして、最後は覚悟を決めて、その高い、高いステージから深そうな海に飛び込んでいく。

不安で行き場のない私の心の内を表現するかのように・・・。

息子は、椅子の上にのり、そこからジャンプして飛び降りる。

ジェイムス・ブラントは格好良く降りていく。

たぶん私は不細工だろう。

うちの奥さんと初めて“としまえんえん”のプールに行ったとき、私は格好つけて一番高い飛び込み台にのぼった。

長い列に並んで、大勢のギャラリーに囲まれた深いプールに飛び込んだ。

イメージと現実は大きくかけ離れていた。

私は、頭から飛び込んだのだが、真っ逆さまにならず、顔から腹部、足の先までを水面にぶつけて全身打撲でしばらく沈んだ。

周囲の声が大きく「痛ったあー。」と響いたそうである。

しばらくして私が浮き上がり、全身打撲で、ちぎれそうになった下腹部の痛みをこらえ、何でもない振りをしてプールから上がってくる私をあかの他人であって欲しいと思わず願ったと彼女は言っていた。

そんなドジな私も、ちゃんと学習して、その後は上手に飛び込めるようになった。

数年前には、高知の四万十川に行って、沈下橋から飛び込んだ。

近くの鰻重のお店のおばあさんは、昨日は飛び込んだ学生さんがいて、まだ見つかっていないなんて恐ろしいことを淡々と話していた。

勇気も必要だが命には代えられない。

あんな高い飛び込み台から飛び込むことを思えば、日常のことは大した勇気もいらない。

ただ必要なのは根気だけだ。

お陰で、再就職して半年が経った。

今、私に必要なのは根気だろう。

息子よ、ありがとう。

折れそうな私の心を和ませてくれて。

娘よありがとう。

元気な姿を見せていてくれて。

妻よ、ありがとう。

私に寄り添ってくれて。

だから、私は生きていかれる。

いつまでも、いつまでも・・・。



          http://hitspv.com/article/30389029.html

# by ikenosai | 2010-02-21 07:21 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

『“卒業論文”に代えて』


 私が大学4年生だったとき、世間はまさにバブル経済のピークでした。私は教職希望だったので、売り手市場にもかかわらず、一般企業への就職活動を全くしませんでした。学部での卒業論文はなく、自由研究すらもなかったのです。体育会系の部活が終わり、大きなできごとといえば、教育実習ぐらいでした。しかし、大学を卒業するにあたって、これまでの自分を振り返り、これからどうしようかと考えた中で、やはり、けじめをつけて心に誓うことを書き出そうという結論となり、この文章を書き上げました。
 27才のときに講師をしていた中学校の生徒たちへのお別れのメッセージの中の一部にこの文章を贈りました。生徒たちから反響があり、この言葉を大切にしたいと話してくれたことに感激しました。数名ながら、先輩の先生から感銘のお言葉をいただいたのが、今でも私の大きな支えになっています。そのためにも、しっかり生きていこうという希望が湧き、今でも見果てぬ目標があるのはそのお陰だと思います。
 大学を卒業してから20年が経つ今も、この文章は、私の指針になっています。




『卒業論文』(“卒業論文”に代えて)

 人は何のために生きているのだろうと深く考えた時期があった。

モラルにとらわれず、金持ちをうらやみ、どんと稼いで将来を遊んで暮らす方法を必死で考えていた。

そんなとき、ふたりの金持ちの人生を知るきっかけがあった。

ひとりは、アメリカの偉人カーネギーである。彼はアメリカのフロンティアに名を残した鉄道王である。

アメリカ大陸に線路を敷きつめた彼は、莫大な利益を得ることができた。

あまりにも莫大な財産に彼は考えた。

あまりにも多すぎるこのお金は、人々から仕事を通して集めた大切なお金だ。

生きていく上で必要なお金は十分にある。

それ以外のお金は全て還元しなければと、各地域に図書館などの施設をつくった。

あのカーネギーホールはそのシンボル的存在である。

もうひとりは、赤坂の土地を売却したばかりの土地成金の妻だった。

彼女は私がアルバイトをしていたレストランに遅めの朝食を食べに来ていた客だった。

彼女は毎日をパチンコに費やし、「今日は朝だけで5万円も負けているの。」などと言い、有り余るお金の使い道に困って暇つぶしにパチンコに来ていると言う。

「1ヶ月に5百万円も預金の利息が入って大変なの 。」と言っていた。

「主人は病気で入院していて、いっそ死んだ方がいいんだけど死んだら相続税が大変だから生きていた方がいいみたいね。」などと言っていた。

見るからに成金という感じで気品が無く、引かれる魅力も皆無だった。

そんな金持ちを見たとき私は、かつてそうなりうる可能性というか価値観を持っていた自分を恥ずかしく思った。

それから幸福について考え始めた。

私が思うに幸福とは将来の安定でもなく、苦労しない人生でもなく、偉くなることでもなく、金持ちになることでもない。

それは価値観の問題で、その基準をどこに置くかで大きく左右する。

そこには生きている環境とこれまでにつくりあげてきた個々の性格でその受け止め方は変わってくる。

私の生きてきた人生はまだ若干の20数年にしか過ぎない。

人生観はここ数年で大きく変化した。

私にとっての人生は1度しかない大きな舞台である。

この世に生を受けてから臨終に際したとき過去の出来事が走馬燈のようにまぶたの裏に映し出されるだろう。

そのときの内容が人生の大きさと価値を表すことだろう。

しかし、映し出される1つ1つに充実していたものが込められていなければきっと無意味なものにしか感じられないと思う。

その中にはきっと、人間社会における倫理観や人生への向上心、未知への好奇心、喜怒哀楽を感じられる豊かな感情、そして、それをコントロールできる情緒や理性。

失敗を恐れず、信じるべく素直な自分をつくりあげること。

内なる自分に強くたくましい人間を持つことができたらきっとそこからが幸福の入り口だと思う。

人間ひとりの能力はそんなに大きな力を持っていない。しかし、手持ちのもので楽しみをつくることはそんなに難しいことではない。

そして、幸福とはその手持ちのものをいかに上手に利用し、幸福というものの基準を現在、過去において、さらに未来への目標や夢との兼ね合いの中で個人の持つ価値観で感じることで生まれてくるものだと思う。

私は将来を決して恐れはしない。

たとえ、不安定で経済的に貧困な人生を送っても。

なぜならば、幸福というものを感じることができるから。

そして、希望とは、その人生の中から生まれ、心の中を鮮やかな色で染めていく。

恋愛をすることも大きな意味で希望を持つことである。

そこには人間らしさをつくるために必要な3つの欲求が含まれている。

3つの欲求とは、人を愛したり愛されたりすること。

空腹を満たすこと。

社会において、自分の存在を感じること。

つまり、性・食・社会においての欲求を満たすことである。

これらの欲求を満たし、人生を価値あるものにしていくために私はこう考えた。

人生は永いものでも短いものでもない。

中身の濃さで意味をなす。

その中身の濃さは決して素晴らしい業績をあげたり、偉人になることではない。

他人からの評価は平凡でも、その人生が自分の持つべきパターンにあてはまっていれば、その時点で価値を感じることができる。

決して悲観的になってはいけない。

過ぎ去ってしまったことをいつまでも引きずっていてはいけない。

自分の力ではどうにもならない現実は受け止めなければならない。

命のあるかぎり理想を持つべきである。

人々の幸福な顔を見て、心からそのできごとに遭遇した自分を幸福だと感じる心を持ちたい。

1日1日を無駄にしてはいけない。

夢を持ち、生きていることの素晴らしさ、命の尊さを理解し、どんなに辛い人生を送ろうとも、そこに生きていくだけの価値があることを心の中に強く記憶させておきたい。

愛する人が現れたとき、私はきっとそのできごとに運命を感じるだろう。

そして、過去の恋愛を今日という日のために与えられた道のりだったのだと感じるだろう。

なぜ別れてきたかという疑問に、この人と巡り逢うために別れてきたのだという答えが返ってくる。

人生はままならない。

約束された道をゆっくり進んでいくようなものだと思う。

未来は見えず、今をひたすら踏みしめて。

それは未来に背を向けて歩いているように。

通り過ぎていく過去を眺めながら。

馬車のうしろに腰を降ろし、過ぎ去る景色を眺めているように。

しかし、それだけでは幸福はつかめない。

ひとつの馬車に積める荷物には限界がある。

まさに、それが心の器である。

そうなると何かを捨てなければならなくなる。

それぞれの器には個人差があり、その個人差は能力によって異なる。

だとしたら、気づいた時点で悪いものを捨てていかなければならない。

そして、空いた空間には何かいいものを積み込みたい。

そして、交差点にさしかかったときは、信じるべく理想の道へと切り替えていかなければならない。

完成されつつある己の内なる声に問いかけて。

そして、次の世代に何かを伝えていかなければならない。

それは、人生を精一杯生きようとする熱狂的な精神ではないかと思う。

生きることの喜びを自分で理解していなければ適切に伝えることは難しい。

しかし、それができたなら無限の価値ある財産を残すことになるのではないかと思う。

人はなぜ生きるのか。

そこには人生があり、生きていく価値が十分にある。

この言葉が分かるとき、きっとそのときは幸福の本当の意味を理解できたときだと思う。

 私は今、幸福です。

# by ikenosai | 2010-02-13 10:44 | 思い出のポケット | Comments(0)

強く願わなければ結婚は成就しない

 
 コンカツ、コンカツと巷では、結婚しなければ、いい人を探さなければ・・・、と30才を過ぎた人たちが何だか急がされているように感じることがある。

しかし、人生最大のイベントのような捉え方をさせ、それに群がる無責任なビジネスも多いと私は思う。

コンカツ詐欺女なんて言われる事件も起きていて、いったい結婚とは何なのだろうと考えさせられる。

私にとっての結婚は、自分自身を成長させるための最大の出来事だった。

それまでの恋愛で結婚までを深く願望したことはなかった。

なので、恋愛は人生の通過点のように過ぎ去っていった。

しかし、ある時期に来て、この人と一緒にいると、絶対に自分は成長し、幸せになれると感じてからは命がけでその人の心を掴もうと必死で追いかけていた。

つまり、100パーセント、この人と結婚したいと強く願わなければ、結婚を現実に近づけることは難しいということである。

結婚できたらいいな・・・と待っているようではダメなのである。

まず、結婚したいと強く思うこと。

そして、ひたすらそれを実現するために行動をおこすことである。

そして、パートナーを死ぬまで愛し続ける覚悟がないと幸せは続かない。

途中には、子育てもあり、もっと、もっと成長をさせてくれる。

パートナーによって、子どもによって人は成長していくのである。

ジョージ秋山さんの『浮浪雲』の中で、主人公の浮浪雲が何も行動をおこせぬ年ごろの息子に“富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ。”と話しかける場面がある。

何事も本気で覚悟しておかないと、やがて大きなツケがやってくる。

今では、平気で離婚する夫婦がいる。

あのときの誓いは何だったのか、チャペルで誓った人なら、どんなときも愛し続けると誓ったはずである。

男も女も覚悟して結婚し、互いを愛し続けるべきである。

それが子育てにどれだけ大切か、私はたくさんの生徒たちから教わった。

だから私は自分にできる精一杯のことをこれからもずっと家族にしていきたいと思う。

何がおこるか分からないことを覚悟しながら・・・。

# by ikenosai | 2010-02-07 20:51 | 私的視点 | Comments(0)

ふるさとへ、ふるさとへ


 18才で上京した私は、先輩が経営する仕出し弁当屋で働いていた。

世田谷区弦巻の住宅街の中だった。

その弁当屋と道をはさんだ真向かいに80才くらいのお爺さんが住んでいた。

東京ガスに長年勤め、退職金としてもらった真向かいの土地に家を建てて住んでいた。

大きな屋敷で、2世帯になっていて、しかも2部屋は賃貸で別の人が住んでいた。

よく、弁当屋に顔を出しては、私たちにキャラメルをくれた。

 上京して早々なのに、私は5月の連休に帰省をした。

お土産のきびだんごを見てお爺さんがおもむろに、私の田舎も岡山だよと言う。

詳しく話を聞くと、建部町の福渡だった。

私は津山ですよと返すと、母は津山の城のそばの旅館の娘だったとのこと。

津山駅から今津屋橋を渡って遊びに行ったもんだと話してくれた。

何だか嬉しくなって、夏に帰省したときは、直接自宅にお土産を持って行った。

すると、義理の息子夫婦が同居していて、お返しにカニの缶詰をたくさんもらった。

あまり込み入った話は聞けなかったが、どうやら、このお爺さんは、元々はあかの他人だったが訳あって親戚になった夫婦と同居しているらしい。

嫁さんは、お爺さんは随分歳をとってしまっているから、ひとりでは田舎に行けないので、誰か一緒に行ってくれる人がいたらいいんだけれどと話していた。

そうだろうな、お爺さんは田舎に行ってみたいだろうなと私は思った。

翌年の夏休み、国体予選くらいしか帰省の目的がなかったので、お爺さんの家に行って嫁さんに、お爺さんと一緒に岡山に行きましょうかと話してみた。

すると、嫁さんは、今はそれどころではないんですよ、お爺さんはすっかりぼけちゃって、トイレも間に合わないことがあって大変なんですよ、と現状を私に話してくれた。

年寄りには時間がない。

今、できることをしてあげなければいけない。

明日には何が起こるか分からない。

もっと早く一緒に岡山に行けばよかったと悔やんだ。

ただただお爺さんの喜ぶ顔が見たかった。

あのお爺さんを岡山に連れて行きたかったと今でも悔やんでいる・・・。

# by ikenosai | 2010-01-31 19:59 | 思い出のポケット | Comments(0)