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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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夏の思い出・・・②


 8月17日の晩遅く津山から帰ってきた。

今回の帰省は、娘が18泊19日のキャンプに行っていたため、息子と2人きりだった。

2人だと、車で帰るのは、運転が厳しいかな?と思い、また、新幹線ではもの足りないし、車よりもお金がかかりすぎるとあれこれ考えていた。

そして、たどり着いたのが「青春18きっぷ」と言うことだった。

以前の青春18キップとは変わって、まず5枚つづりではなくなっていて、一枚に5回分のスタンプを押してもらうか同時に5人分までのスタンプを押してもらうかになっている。

とりあえず、11,500円内で往復すれば良いかと軽い気持ちで考えていた。

しかも、1日乗り放題で改札を何度出ても良いので、駅構内に店が無ければ、外に出て食事なども可能。

1日分なんと2,300円。

実際に乗車券を買うと片道10,190円、しかも改札からは出られない。

夏休みと冬休みにだけ発売される特別な切符。

有効期限も大学生の夏休みに合わせているような設定。

ありがたくも、この切符を使ってのんびり帰省することにした。


往路

 朝、5時54分立川発の中央線快速東京行きに乗る予定で、うちの奥さんに車で駅まで送ってもらった。

しかし、改札を通る頃にはすでに電車は発車していたので、一瞬、第2の選択肢を考えていた。

同じ東海道線に乗るにはもう南武線しかない。

川崎までの時間を確認すると、6時6分発で間に合う。

始発から終点までの各駅停車で川崎駅に着いた。

少し時間があったので、早朝からやっていた駅構内のベーカリーでパンを買って東海道線に乗り込んだ。

小田原が終点の電車だったので、熱海行きに乗り換えた。

熱海からは興津行きに乗り換え、発車までに少し時間があったのでホームの売店で助六寿司を買った。

息子はやっとお腹が空き始めたようで、持参した水筒のお茶を飲む飲む、ベーグルをかじっていた。

買っておいた助六寿司も私と半分にして食べた。

電車が発車してしばらく行くと、柿田川の大きな看板が見えた。

きれいな湧き水の写真を見て、息子は春に行った静岡の旅行を思い出した。

熱海から13駅が過ぎ、興津に着いた。

台風の影響でもの凄い豪雨だった。

次は掛川まで、東海道線は長い、トンネルをいくつも越えていく。

トンネルの数を最初は意気込んで数えていた息子も、次第にどうでも良くなってきた様子。

14駅が過ぎ、掛川に到着。

途中の信号機のトラブルで10分近く遅れが出た。

それでも、待ち合わせなどで時間調整をしていたので、2つ先の待ち合わせではロスした時間が解消されていた。

雨あしが段々弱まり、どんよりとした曇になってきた。

一面の茶畑や太平洋を望む車窓を横目に、息子と絵を描いたり、本を読んだりして過ごした。

さらに14駅先の豊橋まで行くため、また乗り換えた。

座席を確保するため、早め早めに並んだ。

お盆前ということもあってか、結構乗客がいたが、運良く全てで座れていた。

1時間前後の乗車で乗り換えるところが多かった。

次の大垣までも1時間とちょっとの乗車だった。

あっという間に12駅が過ぎ、大垣で昼食の調達を試みたが、駅構内に大した店がないので改札を出て駅ビルの中を散策した。

足りないお土産を買い、ドラッグストアでアクエリアスと水を買って、弁当屋を探した。

息子に好きなものを選ばせると、焼き鯖が入ったやつを選んだ。

私は、残ったパンがあるので、ドトールで温かいカフェラテを買って、米原行きの電車に乗り込んだ。

列に並んではいたが、やや乗り遅れてしまって、すでに熟年カップルがいたボックス席に入れさせてもらった。

ペルー人の男性とその彼に同行して奈良を観光する保育士さんと向かい合わせに座った。

息子は嬉しそうに焼き鯖の弁当を食べていた。

不器用に箸を短く持ち、魚の身をほぐしていた。

その他のおかずは全部食べ、魚の骨と半分ほど残したご飯だけになった。

息子は「もう無理だよ父ちゃん。」と言い、私の方へ残りの弁当を渡してきた。

その様子に、向かい席の熟年カップルは互いの顔を見合わせて笑っていた。

次第に会話が始まり、息子も嬉しそうに答えていた。

私も息子の食べ残した弁当を食べながら会話に加わった。

どうやら、10数年日本にいるが、日本語が覚えられないとのこと。

息子の会話を聞いて、「日本語が上手ね。」と笑っていた。

周辺にペルー人がたくさんいて、コロニーをつくっているもんで、全然日本語を使わないらしく、覚えられないまま今に至っているとのこと。

そうこうしているうちに、6駅が過ぎ、あっという間に米原に着いた。

降りる間際に、1つだけペルーの言葉を覚えてねと「グラーシャス」と息子に教えていた。

そして、両手に南米産のビスケットを一袋のせてくれた。

息子は、ママにもあげると言いながら、大事にリュックにしまった。

米原からは26駅。

ありがたいことに3時間近くも乗り換えがないのでのんびりできる。

車内のトイレも確認し、本を読んだり、絵を描いたりして過ごした。

新幹線では通らない駅が多くて私は退屈せずにすんだ。

彦根、安土、近江八幡、大津、神戸、明石など途中では明石海峡大橋が見え息子と色んな話をしながらあっという間に姫路に着いた。

夕方5時47分に着いた。

20分ほど時間があったのでホームの立ち食いそば屋に行き、冷たいそばを1つ注文した。

最初に息子に食べたいだけ食べさせた。

子ども用に立ち食いテーブルで黙々と食べていた。

私が食べようと器の中をのぞくと、ほとんど食べ尽くしていて、残ったコマ切れの麺と汁をすっすったらなくなった。

息子は大人並みに食べた立ち食いそば屋に大喜びだった。

山陽本線に乗って、岡山まで18駅、田舎の18駅は結構長い。

途中の相生や上郡、和気は自転車で何度か行ったことがあったので懐かしかった。

岡山に着き、津山線に乗り換えた。

ここまでくると概ね帰ってきた感じがする。

みんなに会える、そう思うとまた気力が湧き、元気になった。

快速だったので8駅、1時間ちょっとだった。

外はもう真っ暗で、停車するたびに田んぼからカエルや虫の鳴き声が響いていた。

津山に着いた。

急いで向かいのホームに駆け込み、姫新線に乗り換えた。

あと2駅。わずか10分で美作大崎に着く。

1両のワンマンカーには半分ほどの空席があった。

高校生と運転免許のない高齢者くらいしか利用しない、そんな鉄道が地方にはたくさんあって採算が合わなければどんどん廃線になっている。

それでもここは何とかつながっている。乗り換えを何度かして第三セクターででも持ちこたえている。

ありがたい、故郷につながるこの線路にただただ感謝していた。

駅に着いたら、姉が迎えにきていた。

姪と甥も一緒だった。

10分ほど歩けば家に着く場所なのにわざわざ迎えにきてくれていた。

夜9時を過ぎていた。

実家に帰ると父も母も起きて待っていた。

加齢と暑さでバテバテでの父は本当にぐったりと疲れた様子だった。

それでも、愛想をふりまき出迎えてくれた。

11回の乗り換えと電車やホームでの3度の食事。

故郷は遠い、だから帰省もひとしおだと思った。

父も母もまだ入っていない一番風呂に息子と入り、虫の鳴き声が聞こえる静かな部屋で息子の手をつないで眠った。


夏の思い出・・・②_e0148909_20131458.jpg


# by ikenosai | 2010-08-22 20:13 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

夏の思い出・・・①


 娘が合宿に出て2週間が経つ。

息子が何度も、「僕もねーねみたいにキャンプに行きたい。」と言うもんで、奥多摩にある川井キャンプ場を当日の朝予約した。

残念ながら、曇。

我が家には大きなテントがあるが、まだ1度も使ったことがない。

今回は使おうと思ったが、曇っていたので止めて、バンガローにした。

わずか4畳ほどの掘っ立て小屋のようなバンガローに寝袋を持ち込んで泊まった。

調理は一切せず、近所のコンビニまで買い出しに出かけて済ませた。

それでも、冷たい川で泳ぎ、夜はハックルベリーの家のようなバンガローで過ごし、息子は大喜びだった。

ことあるごとに「楽しい、楽しい。」と言葉にしていた。

夕方は、近所の旅館の温泉に入り、少し散歩をした。

テレビも何もない部屋だったので、9時前には消灯にして、3人とも寝てしまった。

夜中はずっと雨が降っていた。

朝も少し降っていたが、止んだので、息子と川井駅まで散歩した。

無人駅のホームに入ってくる電車を見て大喜びだった。

何もかも楽しかったと、何度も何度も言っていた息子だった。

家に帰ってから、すぐに画用紙に絵を描き始めた。

キャンプ場の絵だった。

詳しく丁寧に描いていた。

こんな記憶の積み重ねがこの子の心の成長を支えていくのだと思うと、もっともっと楽しいことを経験させてあげたいと思った。

今日から津山に帰省する。

青春18切符で息子と2人で帰る。

もうすぐ出発。

着くのは夜9時過ぎ。

長い長い道のり。

楽しい1日になりますようにと願っている。

# by ikenosai | 2010-08-12 05:21 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

今日は広島の原爆の日



 今朝のラジオでも、電車内のニュースでも報道が無かったので、通勤のバスを降りてから、「そうだ、今日は原爆の日だ。」と思い出していた。

私が生まれる20年以上も前のことだからピンとこない。

それでも、中学校時代の夏休みの登校日や平和教育で、詳しく学んだ記憶がある。

あんな酷い目にあっても、日本はアメリカにやさしい。

大したもんだと思う。

一向に謝罪のないアメリカをここまで受け入れている日本は本当に偉いと思う。

8月は、終戦の月、何年経っても、癒されることのない戦争被害者の霊魂が誰かの供養を求めて漂っているのではないかと思うことがある。

本当に戦争はいけないものだとつくづく思う。

どんな形で終わっても、必ず誰かが悲しい思いをする。

 昔、NHKの連ドラでやっていた“おしん”の中で、戦時中におしんの夫、竜三がどんどん若者を戦地に送って、敗戦になったとき悔やんでいたシーンがある。

竜三とおしんの最後の夜に、竜三が「私の人生の中で一番素晴らしかったことは、おしんと巡り会えたことだよ。」とおしんに告白する。

私は、それを再放送で妻と観ていて、涙をグッと堪えていたのを今でもハッキリ覚えている。

翌朝、竜三は誰もいない草むらで自刃してこの世を去る。

いくら、フィクションとはいっても、こんな思いをして自決した人も少なくないと思う。

少なくとも、原子爆弾を落として、平気でいられるヤンキーよりは正常だと私は思う。

それでも、社会が、世の中がひとつの方向に突き進みだしたとき、後戻りすることが難しくなって、どうにもならなくなってしまうことは多々あると思う。

だから色々な意見が言える環境は必要である。

とにかく、原理主義に陥らない環境が大切であり、全体で協調し合うことである。

それは家族でも同じであり、国家間でも同じである。

# by ikenosai | 2010-08-06 20:19 | 温故知新 | Comments(0)

思いがけず行った動物園


 
 昨日から小5の娘は18泊19日の合宿に参加した。

今年もどうしても参加したいと言い、しかも今までで一番期間の長い合宿に参加したというので、希望どおりにさせた。

西武池袋駅に集合し、そこで「行ってきまーす。」と元気に電車に乗り込んだ。

寂しいのは私たち親の方だけのようだった。

合宿中に宿題をするように勧めても、「いや、やらないから持って行かない。」なんて簡単に判断し、やる気が全くうかがえない。

合宿が終わってからだと大変だと伝えても、そんなことは上の空。

結局、私がぶち切れて、「やるやらないは関係なく持って行きなさい。」と一喝入れて持たせる始末。

夜のあいた時間にみんなが勉強し始めたら、退屈だからと諭し、嫌々ながら持たせた。

それにしても、朝早くから池袋は遠い。

息子も連れて行ったものの、見送りのあと解散し、せっかくだからサンシャインにでも行こうと誘ってみた。

妻は、風邪で調子が悪そうだったので、そのまま電車で帰宅したが、私と息子はウルトラマンショーがあるから行ってみようとサンシャインまで歩いた。

相変わらず、複雑な建物の中を迷いながら、インポートマートまで行って会場にたどり着いた。

が、しかし、長蛇の列に驚き、しかもまだチケットを買っていない。

12時の公演ですでに立ち見が決定していたので、息子にどうしようかと聞いてみた。

こんな状況では可愛そうかなと思い、電車の乗って、上野動物園に行こうかと言うと、即座に「うん行こう。」と嬉しそうに返事が返ってきた。

上野に着いたら、上野公園のストリートパフォーマンスにまず感激していた。

動物園に入り、象を観ては大喜び、ライオンを観ては大喜び、虎を観ては、ゴリラを観ては、熊を観ては・・・と、どの動物を観ても大喜びで楽しそう。

園内のモノレールに乗っては大喜びで、大きなゾウガメ、おきなニシキヘビにもう大満足だった。

遠く微かに見える、完成前の東京スカイツリーを見つけてさらに大喜びだった。

2人で600円の動物園の入園料はありがたかった。

ウルトラマンショーだったら、2人で3千円近くもして、しかも立ち観。

帰りにアメ横を散策しながら御徒町駅から東京駅に出て中央線に乗って帰ってきた。

中央線の全駅を把握している息子は、お茶の水を過ぎた頃、急に立ち上がり、外の景色を見ながら東京ドームを見つけて、「父ちゃん、東京ドームシティが見えたよ。」と嬉しそう。

暑かった動物園ではよく歩いた。

ぶら下げた水筒のお茶を何度も何度も飲んで、無くなったら水を入れて飲んでいた。

疲れていた息子は、新宿を過ぎた頃から私に寄っかかって寝はじめた。

家に帰ったら、1日のできごとを嬉しそうに妻に話していた。

チケットや案内図を白い紙に貼り付けて、今日の新聞ができたと喜んでいた。

明日、保育園でみんなに見せようとはしゃいでいた。

暑かった1日が終わり、息子が「父ちゃん頭を坊主にして。」と言うもんで、バリカンできれいさっぱり丸坊主にした。

「これでかゆくならないや。」と嬉しそうに鏡を何度も眺めていた。

# by ikenosai | 2010-07-26 08:57 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

真夏の減量


 かつて、大学時代の今頃は、ボクシングの国体県予選に出ていた。

大学1年生のときは、予選で勝ち、中国地区大会では、当時、鳥取代表だった全日本チャンピオンの赤城(赤木)武幸さんと対戦し、私の左フックがヒットしたらそこから赤城さんが目を覚ましたようで連打の猛攻撃を食らって試合は終わった。

しかし、そこから私の快進撃は始まった。

関東大学リーグ戦で2年連続高校チャンピオンを60秒で倒し、翌年の国体県予選1回戦までは5連勝できていた。

5連勝目の試合は50秒ほどで終わり、高校時代の恩師とともに帰路についた。

帰路につくはずだった。

この恩師は高校3年間担任で、私がボクシングの試合に出たいと言えば、二つ返事で顧問になってくださり、足りない成績に下駄を履かせてまで大学に押し込んでくださり、しかも大学に進学後も私の応援のために、すべて手弁当、いや持ち出し金まであるほどに私の面倒をみてくださった、あとにもさきにも出逢うことのない最高の恩師だった。

その恩師の友人が経営する保育園のお涼み会があるから寄っていこうと誘われて、翌日の決勝戦も考えず、出されるビールに焼き鳥にと、どんどん、どんどんと口に入れていったのである。

減量の影響もあり、五臓六腑に染み渡るビールが美味しくて、美味しくて、この上ない至福のひとときを過ごしたのだが、家に帰って、その至福の時間が一転し、地獄絵図の入り口になってしまった。

体重が3キロもオーバーしていて、30℃を超える真夏の晩にウインドブレーカーを着て4キロほど走り、それでも体重が全然下がらず、今度は熱い風呂の中でお湯をぐるぐるかき回して、汗をいっぱいかいたが、それでも思い通りには体重が下がらなかった。

 風呂から上がって、汗を拭き、首にタオルを巻いて、またウインドブレーカーを着て朝まで眠った。

暑い真夏だけにかなり堪えた。

早朝に目が覚め、体重を量った。

まだ、1キロ以上オーバーしている。

また、覚悟を決めて、4キロほど全力で走った。

それでも、体重が思い通りに落ちなくて困った。

前日同様、先生の車に乗せていただいて、津山から遙々、倉敷工業高校まで行った。

車の中には2人のお嬢さんが、わざわざ私の応援のため同乗されていた。

「昨日はKO勝ちで、今日も勝つぞ。」と娘さんたちに話し、終わったら、潮干狩りに行こうとも話していた。

会場の秤で計量したら、まだ600グラムもオーバーしていたので、またウインドブレーカーを着て、シャドーボクシングを5ラウンドほど全力でやった。

計量本番で何とか体重が50キロ台に下がっていた。

私は60キロのライト級がベストの階級だった。

昨年、高校チャンピオンを倒したときの階級はウェルター級で67キロ。

食べても、食べてもリミットにいかないくらい減量とは無縁の階級だった。

 さあ、いよいよ試合が始まった。

相手は、高校で3連敗している強豪選手。

周りからは3度目の正直ならぬ、4度目の正直と言われ、私も勝つ気十分だった。

ゴングが鳴って、ワンツーから得意の左ストレートを何度も何度も打って、ポイントを重ねていった。

1ラウンドが終わり、インターバルで三谷大和君の親父さんが「強うなった、今日は勝てるぞ。」と大きく声をかけてくださった。

周りの人たちも、口々にそんな感じのことを言っていた。

高校時代から指導してくださっている江見トレーナーも、「その調子だ、今日は勝てるぞ。」と嬉しそうに声をかけてくださったので、私は絶対に勝てるという安心感で2ランド目に挑んだ。

やはり、左ストレートが良く当たった。

調子に乗って、ばんばん打っていったら、ガツンという衝撃とともに、一瞬にして頭が真っ白のなって気がつくとキャンバスに伏せていた。

エイトカウント目のことだった。

レフェリーが私の顔をじっと見て、もう無理だと言わんばかりに首を横に振って試合を止め、私は自分のコーナーに戻されてしまった。

右フックを一発だけもらった瞬間に、トレーナーは頭を抱えてしゃがみ込んでしまったらしい。

一発逆転のKOパンチだった。

一瞬にして、膝が崩れ、左膝を大きく捻って歩くのも困難になっていた。

試合後、高校時代の恩師が、「さあ、赤穂に潮干狩りに行くぞ。」と午後から車を飛ばして一気に赤穂に向かった。

あと数時間しかできないが、こんな事であきらめないのが先生。

秘密兵器を準備して、2人で米袋2俵分たっぷり採って、それぞれに一俵ずつ担いで車に戻った。

膝はけっこうやばかった。

それでも、楽しくてKO負けしたことなど忘れていた。

途中、うどん屋に寄って食事をした。

それからは、千種川沿いを通って上月まで行き、179号線を通って帰ってきた。

中学時代に自転車で相生まで出かけたときに通った道だった。

懐かしくていろいろ思い出していた。

家に着いたら、先生が母に「お母さんバケツ!」と一言。

母がバケツを準備すると、いっぱいにアサリを入れてくださった。

母はびっくりして、「こんなにええんですか?」と言うと、先生は、まだ2俵あるけん大丈夫と笑いながら答えた。

何も考えず、その日は風呂に入って寝た。

翌朝、目が覚めると起きあがることも苦しいくらい、左膝が痛かった。

その日から予定していた酒販会社のバイトは休んだ。

午後に、整骨院にいった。

「風呂に入っちゃいけんなあ!」と整骨院の先生に言われた。

それでも翌日からバイトに行って普通を装って働いた。

今でも、梅雨などで長雨が続くと膝が痛いときがある。

そのたびに、先生と行った潮干狩りのことを思い出す。

 今週は暑い1週間だった。

それでも、我が家はクーラーを付けず、汗をかくかく眠りにつく。

あの日の減量に比べれば、自然の風に当たるだけでもこの上ない天国の境地だと私の脳幹が記憶している。

そして、こんなエコ親父(もしかしたらエゴ親父)に付き合ってくれる家族にただただ感謝である。

# by ikenosai | 2010-07-25 06:11 | 思い出のポケット | Comments(0)