いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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カテゴリ:私的視点( 28 )


ルールやマナーがあってこそスポーツの価値はある



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高校時代、無償でボクシングを教えて下さった江見トレーナーと選手だった私
江見トレーナーは元プロボクサー、中日本新人王で松田ジム出身


江見トレーナーの記事へクリック→ https://ikenosai.exblog.jp/13157956/



 最近、プロボクシングの世界戦で計量失敗による対等でない対戦が複数あった。

ボクシングは柔道やレスリングと同様に、約束された体重制限のもとでその階級の勝敗を決める。

柔道では無差別に対戦する試合もあるがボクシングでは体重が違うと、かなりのハンディキャップが生じるのも私の経験上よく理解できる。

まず、でかい人間と戦うのは実際に怖くて恐ろしい。

一発振り回すだけで何が起こるか分からない。

体重制限は、あらかじめ決められているルールであって、そのルールを守ってこそ原理原則に基づいた試合が成立するはず。

そうでなければ、体重別の価値はなくなり、路上のチンピラ同士の喧嘩にレフェリーが入る程度のもの。

やはり、納得がいかないし、大きいのは有利になるのは当然。

 学生時代にアマチュアボクシングではあったが、参加した大学のリーグ戦。

会場は東京ドームの隣の後楽園ホール。

私が大学1年の時はまだ後楽園球場があったが、翌年から取り壊され、3年、4年の時には東京ドームができていた。

リーグ戦の日に隣で「マドンナ」のコンサートがあって、控室そばの非常階段に出るとマドンナの歌声が聞こえていたのを覚えている。

当時は、夕方5時から試合が始まった。

計量と医師による検診は当日の朝8時に後楽園ホールの選手控室集合で始まる。

エントリーしている選手は、丸裸になり、陰部を手で隠して計量の順番を待つ。

傍から見ると異様な光景である。

素っ裸の男衆が列をなす不思議な光景に最初のうち私は違和感があった。

まして、私なんかは200~300gは余裕を持って秤にのっていたので、パンツを履かせて欲しいくらいだった。

 大学1年のリーグ戦では、重い階級の先輩が夜逃げしていなくなっていて、ライト級(当時60kg)の私は、ウェルター級(当時67kg)で出なさいと言われ、増量しても足りない状況で出場した。

1戦目は大きさに戸惑いを感じ、一発もらった時点でセコンドがリングにタオルを投げ込んで棄権負けになった。

私は悔しかった。

2戦目も増量してのウェルター級だった。

相手はミドル級(当時72kg)の選手が減量して私と対戦する。

普段は60kgの階級の人間が72kgの人間と戦うのには、相当の覚悟が必要で、これこそがまさに「清水の舞台から飛び降りる」思いだった。

しかも、その相手は前年のミドル級の高校チャンピオン。

それでも戦略を必死で考えながら過ごしてその日を待った。

初顔合わせの相手で、向こうには私のデータなどない。

私には色々な情報が入り、アマチュアの試合は1ラウンド3分の3ラウンドで終わるので、短期決戦なら勝算もあるのではと浅はかながら思い、最悪よりも最高の状態をイメージしながら思考をこらしていた。

そして、一発ももらわないうちに奇襲攻撃をかける戦略で挑んだ。

試合が始まった。

相手には2年連続高校チャンピオンというプライドがあった。
しかも、彼の栄光とは違って、私は地区予選で負けていた無名の選手。
周囲も、彼自身も100%、私には勝算がないと踏んでいた。

なので、奇襲攻撃をかけてもなかなか通用しない。

殴っても、殴っても倒れない。

ゾンビのように私の前に立ちはだかるのである。

開始のゴングからずっとワンツーの連打や、ボディーへのアッパーを繰り返していて、打ったパンチがほとんど当たって、かなり手応えがあった。

2度もダウンを奪っているのにも関わらず、無表情なデスマスクで立ち上がってくる。

「あしたのジョー」の矢吹丈と戦うホセメンドーサのような心境だった。

「いったい私は誰と戦っているのだろう、奴の幻影なのか?」って。

それでもあきらめずにひたすら連打を続けていたら、相手が3度目のダウンをして試合が終わった。

開始のゴングから60秒が経っていた。


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前年のミドル級高校チャンピオンをロープに追い込み連打
ウェルター級(67kg) リーグ戦(後楽園ホール)



 

 あんな試合は後にも先にも、あの一戦しかない。
それ以外で重い階級の選手と対戦すると、一発貰うごとに精神的に萎えていき選手生命すら縮めていく結果へ。

試合だけではない、スパーリングですらそうだった。
(山中慎介選手の心境がよく解る)

しかし、減量を気にせず食べられるのだけはまだ救いだった。

しっかり食べられるので体は元気だった。
自分だけ減量した感じだったら、さらに萎えるはず。

 高校チャンピオンを倒した次の第3戦は元の階級、ライト級で出るように言われた。

しかも、宣告されたのは試合の5日前だった。

65kgは裕に超えていた体重を60kg以下にしなければならない。

過酷な減量で試合当日は59.7kgになっていた。

5日間、まともな食事はほとんど取れず、栄養ドリンクやカロリーメイトのような栄養補助食品だけだった。

試合が終わったら、あれも食べよう、これも食べようと色々なものを食べる妄想に襲われていた。
朝の計量後から夕方までにマックのハンバーガー2個、シェーク、渋谷の食堂でカレーライス、寮に差し入れがあった仕出し弁当2人前、ヨーグルト3パック、果汁100%のオレンジジュース1リットル等々と減量中の妄想と計量後、自由になったこととのギャップで、食べたいだけ食べてしまった。

夕方の試合直前には3kg以上も体重が増え、むくんでいた。

現代に話を戻すが、そんな苦しみを抱えて出ているのに、一方が体重オーバーでも試合をするというのは、やはり「ぬるい」。

アマチュアですらそんな事は許されなかった。

現に、当時、計量オーバーは即、失格。

私の大学では、部の掟で丸坊主にされることになっていた。

全てにおいて覚悟が試されるのが本来のアスリートとしての条件、資格だと私は思う。

まして、お金をもらうプロスポーツ。

そんな「ぬるさ」では人には感動を与えられないし、報酬はその対価に値しない。

 大相撲の暴力事件にしても、他を傷つける穢れた力士が土俵に上がるのでは、女人禁制の土俵はすでにその輩で穢されていて、目に見える伝統やしきたりに囚われているだけにしか過ぎない。
果たして何が聖域なのか、どんな神の怒りに触れるのかと考えてしまう。

 スポーツは平和や感謝の祭典であったり、捧げものであって欲しいと私なりに思う。
怒りにまかせて人を殴るような人間が平和や感謝につながる種まきはできない。

 私が中学時代の男子バレー部、地区で一番強いチームだった。
顧問は公共物であるモップの棒を細工して選手のお尻を叩いていた。
毎週ではないが、土曜日の部活で1年生の仕事は、先生の通勤用の車を学校の水道で洗うことだった。
もちろん、先生の私物への奉仕であった。
地区大会優勝で後には高校総体出場選手を輩出している。
顧問の先生の貢献はかなりの評価があったはず。
しかし、その副産物は私たち1年生の1部を退部へと追い込んだ。
1年生だった私たちは部室でよく先輩に殴られた。
職員室では先生にも殴られた。
不思議なことに、あれ以来、バレーの試合を見なくなった。
あの時以来。
顧問の先生は後に市の教育長になり、私立大学の学長にもなった。
顧問の先生には私が大人になってからも何度か会った。
その時は本当に優しくて、就職でも大変お世話になった。

 世代間連鎖とは恐ろしい。
同じようなことを次の世代に繰り返すのだと私は思う。
私は、あの中学のバレー部退部以来、後輩への暴力は意識的に出来なくなっていた。
だから、後輩からなめられることもあった。
しかし、時間をかけて関われば、必ず心は通じ合う。
そして、強い信頼が得られることを、あの時以来、これまでの生き方で学んだ。

 結論から言えば、その都度、何が善で、何が悪かを考えながらその道、アスリートとしての道をどうか、どうか極めて行っていただきたいと切に願う。
そこにこそ輝きがあるのだと私は思う。



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全日本選手権2回戦(大学2年生)
ライト級(60kg)(8オンスのグローブ)




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国体岡山県予選決勝(高校3年)
ライト級(60kg)(10オンスのグローブ)


過去の動画と戦績が見られます クリック→ https://ikenosai.exblog.jp/22218302/









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by ikenosai | 2018-04-20 11:13 | 私的視点 | Comments(0)

「火垂るの墓」への思いによせて・・・

 昨日、作家の野坂昭如さんが天に召された。

老若男女問わずに知られている名作に「火垂るの墓」がある。

私が師と仰ぐ今東光大僧正の「毒舌 身の上相談」という著書がある。

その著書の中で、野坂昭如さんのことが書かれている。



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「野坂昭如が十幾つの時、養子にもらわれていった。

そのときに、三つくらいの女の子をもらったんだ。

その家で、将来、野坂のカカアにでもするつもりだったんだ。

それが空襲で両親がやられた。

目の前でおっかさんが焼け死ぬのを見ながら、その妹をかついで野坂は逃げた。

それから六甲の麓の芦屋のあたりの断崖絶壁に掘ってある穴で暮らした。

闇市に行っちゃあ、食糧を盗んできて食わしたんだ。

ところが、子供はミルクでも生のまま飲ましちゃあいけないのに、そんなことわからんから、何でもかんでも食わせたから、胃腸をこわして死んじゃった。

それをいつまでも野坂は「おれが殺した、おれが殺した」という自責の念を持っているんだ。

(中略)

野坂が十何歳くらいで、その妹を養うために闇市をさまよって、そして養ったというその辛さとか、人間に対する愛情とか、誠実さとか、そういうことを少し考えてみろと言いたいよ。」



 名作の裏にあった事実を知ったとき、私は野坂昭如さんの心にある仏様を見た。

どんな思いで、あの映画をご覧になったのかと思うと、胸が苦しくなる。

しかし、戦争はいけないんだという思いが、過去のつらい経験の中から表出し、今も私たちに戦争の悲しさ、悲惨さを伝えているのだと私は思う。

 心よりご冥福をという気持ちでいっぱいである。



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12月9日の夕日






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by ikenosai | 2015-12-10 13:01 | 私的視点 | Comments(2)

小さい秋を追いかけて!

 秋が僕から逃げていく・・・。

思春期に聴いたオフコースの「秋の気配」を思い出していた。

秋はやっぱりもの寂しい・・・。

休日も何かやることがあったり、仕事があったりして、結局、今年の秋は遠出できなかった。

なので、夜勤明けの今日の午後に、国分寺で途中下車して殿ヶ谷戸庭園に行った。

晩秋にもなると、大勢の人が来園していたが・・・?

紅葉は何かもの足りない感じだった。

それでも、小さい秋が所々にあった。

もうすぐ冬・・・。

青空の下でも、時折吹く冷たい風が、少しずつ、冬の訪れを伝えていた。


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by ikenosai | 2015-11-28 21:21 | 私的視点 | Comments(6)

休日はメンテナンス

 飛び石連休と言っていたのも結構昔のこと。

世間では大型連休、1週間以上休みの人もいるが、私の休みは今日からの3連休。

昨日は夜勤明けのまま野球に参加し、夜は息子との外食。

生活習慣にない運動で、はしゃぎ過ぎたら翌日か、翌々日には筋肉痛に襲われるのに、昨日はいつもと違う?

運動不足のままレフトのポジションに着いたら、守備範囲は、自分の許容範囲をはるかに上回っていた。

その数時間後には、全身に違和感がでてきて、太ももの裏と、ふくらはぎの上部に明らかに肉離れの症状。

結局、シャワーだけ浴びて、お湯にはつからず、早く寝た。

朝、寝返りうって、足の筋肉痛で目が覚めた。

やっぱり、歳はとっている。

昔のアスリートの肉体も、面影も、今はない。

生きているってことは、こういうことなのだと思い、受け止めている。

それでも、同世代の現役アスリートの三浦知良さんは凄い。

これまでの努力に、ただただ尊敬するしかない。

さらに年上のドラゴンズの山本昌広投手は50歳でもまだ現役でしかも一軍に定着している。

ここまでくると、仙人のような存在。

どちらも、継続は力なりという言葉があてはまる。

私の職業は、スポーツではない。

やはり、専門職に支障がないようにしなければ、周りに迷惑をかけてしまう。

この3日間はメンテナンスの時間にして、休み明けから元気に仕事に向かいたい。

今日は、ゆっくり目覚めて、ご飯を食べて、洗濯物を干して、家族を送り出したら、家の掃除。

それでも、ゆっくり過ごしながらブログの更新。

午後からは、買い物へ。

今日の夕食は私の担当。

家族に日頃の恩返しをしなければ・・・。

明日は1日、息子の野球を観に・・・(筋肉痛で一緒にはできないけど)。

スローペース、スローペースと自分に言い聞かせながらベランダ越しに青々とした昭和記念公園のこもれびの丘を眺めながら・・・。


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一昨日は、昭和天皇の誕生日。
昭和記念公園は入場無料の日だった。
近所にこんな公園があるのはとてもありがたい・・・。





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by ikenosai | 2015-05-01 13:54 | 私的視点 | Comments(0)

6才のボクが大人になるまで

(3月3日(火)のできごと)

 今日は念願かなって、映画「6才のボクが大人になるまで」を観に行った。

子どもたちの目線で描かれているこの映画には、大人になってしまった私にとっては、たくさんの気づきがあった。

男親としての立場からは、「男ってダメな生きもの」だと痛感させられる。

どこかで気づきがあり、やり直そうと、変えようとしないかぎり、女に捨てられるんだという感じがした。

結局、最初の夫が一番良かったと私は思った。

人間はどこか、ないものを欲しがったり、求めたりするんだとも思った。

映画の中で見られた子どもの目線、あの目線が大人にも大切なんだと思った。

12年の歳月が醸し出したものを、ぜひ、まだ観られていない方々にも観ていただきたい。

かつて、それぞれがたどってきた幼少から大人になるまでのことを良い意味で思い出していただければ・・・。

あのとき、思っていたこと、すっかり忘れていたこと、考えもしなかったこと・・・。

小説で読んだ、リリー・フランキーさんの「東京タワー」を思い出していた。

家族の始まりと、別れ、くっついたり、離れたりといろいろあっても、どこかつながっていたもの。

これが結局は本物だったのかなと感じること。

それぞれに似たようなことがあっても実際に渦中にいるのはかなりキツイと思う。

この映画を通して、家族の幸せについてあらためて考えることができた。

そして、子どもたちを愛おしく思える時間にもなった。

若い時に乗り越えられなかった些細なこと。

そのときはもっとも重大な不一致と捉えてしまった。

その後の夫たちと比べると、最初の夫ははるかに恰好が良くて、魅力的だった。

子どもたちが巣立ってひとりになるとき、その現実を受け止められずに悲しんでしまう場面がある。

しかしこれは、遠い過去で乗り越えられなかったことへのツケだったのだと思う。

それが、もうあと戻りできないでネガティブなままになっているその人の性(サガ)なのだと思った。

そんな中にいても、子どもたちは育っていった。

自分らしく自分の花を咲かせて・・・。


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by ikenosai | 2015-03-05 22:38 | 私的視点 | Comments(0)

日本代表 青山君がんばれ!

 まだ、作陽高校の恩師が現役で共に駒沢競技場の応援スタンドから声援をおくっていたのを覚えている。

その年の高校サッカーの初戦の相手は名門帝京高校だったので、後がないと思い、無理矢理うちの奥さんに頼んで応援に行かせてもらった。

味方のパスがとおり、最前線に上手く出てきた選手がいた。

相手のディフェンスを振り切り、オフサイドにもならず、完全フリーになって先制のゴールを入れたのが、まだ1年生だった青山敏弘君だった。

その1点が決勝点となった。

次は静岡学園に勝ち、ベスト8で鹿児島実業に負けるまで、私は必死で彼らを応援していた。

翌年は、地区予選の決勝でゴールを入れたのが青山君だったが、審判の誤審のまま、無得点でPK戦になり負けてしまった。

野村雅之監督が育てた選手のワールドカップ初陣。

青山君の活躍と日本の勝利を今から待ちわびている。

作陽のサッカー部がなければ私はたぶん今、東京にいない。

カテゴリの中のキャリア・デザインに詳しく著しているが、とにかくサッカー部には感謝している。

彼のプロフィールを見ていて、好きな言葉に「継続は力なり」と書いてあった。

「念願は人格を決定す、継続は力なり」作陽高校の正門の横の石碑に刻まれている。

私も大好きな言葉である。

作陽が誇る三羽烏。オダギリジョウ君、岸本斉史君、そして青山敏弘君。

彼らに続け作陽の高校生たち。
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by ikenosai | 2014-05-13 23:12 | 私的視点 | Comments(0)

小保方さんに象徴される現代の組織

 理研の一連の騒動は、小学生にもお茶の間を通して知られている。

人が働く場は、ある意味人を育てる環境である。

むしろ、育てる環境にあってこそマネジメントも意味をなす。

今回の騒動で浮き彫りになっていることを私の視点から述べると、つまるところ現代社会においての職場での人材育成の無さに尽きる。

年功序列、終身雇用が崩壊して、人々が失ったものが、あの理研にも象徴されているように感じる。

年齢ごとに役割があり、後輩を育てる環境、そして、その基礎を育てる高校や大学。

特に、大学のゼミは将来のキャリアデザインを思い浮かべる大切な環境である。

彼女の母校は、そこまでの育成を怠っていたことに謙虚になることもなく、迷惑な卒業生扱いをして、さらには除名処分にまで話が進んでいる。

1月に誇らしげにもてはやした関係のあった大学や職場は一転して、ならくの底に突き落とす有様はあまりにも無責任に思う。

どちらにせよ、信頼関係が構築できてなかったことや日頃の「和顔愛語」の希薄さがこれまでの記者会見で感じ取れた。

学者にも素晴らしい人格者はいるであろうと切に願っている。

今後の若者の育成はそれぞれの職場にかかっている。

その結集が日本の姿に反映すると私は思っている。

今回の出来事で、後輩を、若者を大切に育てていく一如たりうる私でありたいと願った。

偏差値はあまり高くない私の母校駒澤大は、早稲田や慶応のような絢爛雅やかなところはない。

しかし、念じ、願う心、相手を思いやり、謙虚に生きるべき建学一如の精神が在学当時の学生手帳につづられている。

 この仏の精神が彼女の職場にもあれば、ここまでの問題には発展しなかったであろう。

そして、今日も身の丈にあった小さな世界で一隅を照らす喜びに満ちている私がいる。

 ああ感謝、感謝。

どうか、小保方さんも頑張って生き抜いて欲しい。

ただただ祈らせていただくしかない。
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by ikenosai | 2014-04-10 02:49 | 私的視点 | Comments(0)

死刑の意味を考えた午後

 先週、うちの奥さんが2冊の本を私に買ってきた。

 今回は、105円の古本だった。

 うち一冊が、「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田隆将著)だった。

 山口県の光市母子殺害事件の本だった。

 200ページぐらいまでを数日で読み、昨日は夜勤明けだった。

 しかし、午後の合い間にカフェで読んで、帰りの駅ビルのベンチで読んでいるうちに330ページ余りの1冊が読み終わってしまった。

 私は、吸い込まれるようにその裁判の世界に引き込まれ、死刑について深く考えていた。

 そして、何よりも、あの無残な事件の被害者家族の本村洋さんと彼を支えた周りの人たちに深く感動し、涙が抑え切れない場面が何度もあった。

 そして、死刑制度がどんな意味を持っているのかが解ったように思う。

 人の社会で生きていく中で、色々なことを考えた。

 そして、今日は休日出勤の電車の中でエピローグとあとがきを読んだ。

 この事件が裁判制度を大きく変えたこと、本村さんが乗り越え、成長したこと、被告人が死刑判決後から変わっていく様に人間としてどうあるべきかがこの1冊に集約されているように私には思えた。

 この本は奥の深い1冊であり、それがノンフィクションであることに何か尊いものが篭められているように感じられる。

 上手く表現できないが、誰か読まれた方からのコメントがあれば、嬉しい。

 そして、また感じたことを投稿したい。
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by ikenosai | 2014-03-15 22:26 | 私的視点 | Comments(0)

「風立ちぬ」より

 9月7日(土)、息子と二人で「風立ちぬ」を観に行った。

恥ずかしながら、宮崎映画を劇場で観るのは初めてだった。

妻から笑われ、娘からはあきれられ、とにかく私のブームはいつも時代が去ってからやってくる。

勿論、DVDやビデオでは何度も観ている。

304億円の興行収益を出した「千と千尋の神隠し」ではモデルとして噂になった長野県上田市に行って研究したぐらいの気の入れようで、何度も別所温泉にも行った私。

宮崎監督が引退を表明され、やはり残念だと思った。

しかし、あの映画は、CGを駆使して作る今どきの映画ではなく、1枚1枚手作りで作る町工場のような大変な作業を要する。

それもあってだろう。

心身ともに憔悴し、老骨に鞭を打つような大変な作業が3年間も続いたのだと推測する。

この映画に篭めた思い、大人の捉え方が、これまでのジブリ作品とは大きく違っていた。

そして、この映画で登場するほとんどの人が善人で、人間関係のわずらわしさが出てこないのですっきりとし、心が洗われる感じで観終わる。

息子は「僕にはちょっと難しかった。」と話してくれた。

二郎の上司の黒川さんが良かったと言い、4人だけの厳かで小さな結婚式が良かったと話していた。

息子にとって難しかったところは、やはり恋愛の部分かもしれない。

二郎と菜穂子の急速に発展していく思い。

萌ゆる思いに共感し、涙を流した人が、特に年配の方々には多かったのではないかと思った。

パパは泣いていたね!と息子は言っていた。

 宮崎監督は堀辰雄文学をこよなく愛しているのだと思った。

そして、いくつかの作品で、本当はこうしたいと思うところをいくつか集めて、この映画に託したのだと思う。

これは「風立ちぬ」だけでなく、「菜穂子」という作品とも重なるところがある。

宮崎映画のいちばん素晴らしいところはファンタジーだと思う。

想像する力、人の心の内を読む力が抜群だと思う。

私もこんな人間にならなくてはと思った。

そして、主役の二郎のような紳士に憧れている。

しかも、45歳にもなる中年が・・・。

本当のインテリはあんな人のことを言うんだろうなと感動している。

 最後に、ひこうき雲について、ユーミンが高校生の頃感じて作ったとのこと。

同世代のカップルの飛び降り自殺と小学校時代の同級生が筋ジストロフィーという難病で亡くなったことに心打たれてのことだったと記されている。

この年代の筋ジストロフィーは本当に解明されない難病で家族の方たちがかなり苦労されたことを以前学んだことがある。

そのときの講師の方の息子さんは24歳でこの難病で亡くなっている。

ユーミンと同い年の青年である。

 
 共に思うことは、人の命は長いから良い、短いから悪いということではないとつくづく思う。

誠を篭めて生きたかが重要なのだと思う。

そして、つぎの世代に“生きるに値する人生”を伝えていかなければと宮崎監督同様に私も願っている。

この映画はそれを強烈に感じさせてくれる映画だった。

最初で最後の「私の劇場で観たジブリ映画」の感想より。

皆様に“熱風”が届きますように!!
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by ikenosai | 2013-09-10 12:33 | 私的視点 | Comments(1)

ニュースポーツ推進で変わるもの

 昨日は、国営昭和記念公園で行われたニュースポーツEXPOin多摩2013に販売で参加した。

 働いている施設の商品の販売だった。

 今年は東京で国体が開催される。

 かつて私は18歳と20歳のときに岡山県代表で国体に出場したことがある。

 そんな中で、当時とは大きく変わってきていることがある。

 それは、超高齢化社会で健康であることが今や医療費削減の大きな鍵であり、今後の医療費節減、国の予算を考える上での大きな柱になってきている感じがひしひしと伝わってきている。

 みんなが健康であること、それは、精神の面でも、人生に対するモチベーションにも影響するであろうと感じる。

 健康が一番であることは結局は国益につながっていくとつくづく思う。

 しかし、これまでのスポーツでは実現しないであろうとも考えられる。

 そこで、スポーツのジャンルに着目し、小さな子どもにも、高齢の方にもできるスポーツが考案されてきている。

 今回はそのデモンストレーションを兼ねたイベントと国体開催への意識向上、そして、オリンピック招致が重なっての大イベントだった。

 3人のオリンピック選手、1人のパラリンピック選手とお笑い芸人のコラボに加え、ウルトラマンのヒーローショーと盛りだくさんの中で、販売の応援に来た息子も大喜びだった。

 バルセロナ五輪の水泳(平泳ぎ)で金メダルを獲った岩崎恭子さんもゲストでいらしていた。

 リアルタイムで見ていたころの20歳代の自分を思い出していた。

 当時彼女は14歳だった。

 パワー水泳から水の抵抗を無くす泳法に変わる時代の幕開けだった。
 
 あとの2人は私の得意ジャンルであるボクシングの選手。

 1人は同じ岡山で同じ駒澤大のボクシング部の後輩の清水聡君だった。

 壮行会にも銅メダルの祝賀会にも仕事の都合で行かれなかったが今回は仕事のお陰で彼と久々に会えるということだったので本当に楽しみにしていた。

 早々に挨拶に行き、帰りに販売ブースに寄っていただいた。

 大喜びの息子はツーショットで記念撮影をした。

 周囲の人から次々と声をかけられ、握手や写真撮影に応じる清水君を見てオリンピックはすごいなと思った。

 そして、今回のニュースポーツはこれまでにない、誰にでも出来そうな競技が増え、スポーツの裾野が広げられていた。

 そんなジャンルにも全国大会を設け、誰でも目指せるスポーツの祭典が今後は計画されていくということだった。

 スポーツは楽しむもの、陸上短距離の為末大選手の著書でも紹介されている。

 14歳で金メダリストになった岩崎恭子さんは金メダル獲得後、色々なプレッシャーなどで本来楽しむはずのスポーツである水泳が嫌いになってしまった時期がある。

 それでも、何年間も悩んで、彼女なりに克服し、本当に泳ぐことが好きになれたというエピソードがある。

 スポーツは楽しむもの・・・。

 平和につながる人類最高の祭典になることを私なりに願っている。
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by ikenosai | 2013-03-17 10:25 | 私的視点 | Comments(0)