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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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子どものゲーム依存は向き合わなかった親への課題

 学校に行くこともできず外にも出られないといった問題を抱える子どもたちの中で、なかなか改善にいたらないと悩んでいる親は多いようです。

そんな子どもたちに共通していることのひとつに、育ってきた環境の中にコンピューターゲームが深く影響していることがあげられます。

うちの子はゲームをやらない、パソコンもいじらない、携帯電話も持っていないとおっしゃる方もいらっしゃることと思います。

それでも不登校だったり、ひきこもりだったりするのはなぜなのか、一言で言えば、成長や発達段階に合わせた親の適切な関わりと心の充実につながる魅力的な何かが与えられなかったことが、大きく影響しています。

お母さんだけの力ではできないこと、お父さんやその他の家族、近所や地域の人々によっても子どもの心は成長していくのです。

心と心を結ぶコミュニケーションと魅了されるものが何であるかがその後の成長に影響を与えていきます。

なので、そういったこともふまえて、子どもの成長を支えてあげられる存在になっていただきたいのです。

お母さんだけでなく、お父さんも、家族の人たちもです。

そういった中で、依存性の強いゲームの中で育った子どもたちの問題をとりあげさせていただきます。

特に、幼少期から思春期までどっぷりとゲームに浸かってしまい現実世界の楽しみ方が分からないまま経過している子どもたちの問題についてです。

私が育った時代は、コンピューターゲームは高嶺の花で裕福な家庭にしかありませんでした。

せいぜい、野球盤とかオセロゲームが主流の時代でした。

遊びといえば、魚釣りや泥団子をぶつけ合う戦争ごっこなどでした。

その他には工事現場や空き地などで隠れん坊をしたりすることも多かったです。

集団の場合は野球やサッカーもしていました。

手取り足取り教わったせいか、左利きの私ですが打つのは右打ちになっていました。

小学校2~3年生で近所のお兄さんたちから釣りの手ほどきを受け、しだいに自分で釣り具を集めるのが趣味になっていきました。

近くの小川や池で鮒や鯉を釣り、下手は下手なりにも何匹か釣っていくうちにその魅力に引き込まれていったのです。

寒い冬でも、防寒し、たなごや鯉を1日かけて釣ったりしました。

穴場を見つけ、そこで名人級のおじさんたちに極意を教わったりもしました。

朝から暗くなるまで釣りばっかりしていたのをよく思い出します。

中学生になって、通学用の自転車を買ってもらってからは、遠くまで釣りにいくことが増えました。

はるばる岡山と鳥取との県境までヤマメやアマゴを釣りにいきました。

夜が明ける前に家を出て静かな渓谷で釣ったこともありました。

全くつれない日もありました。

ブラックバスを釣りに遠くの池までいったこともありました。

とにかく釣りに魅了され、私は釣りばかりの日々でした。

当時、「釣りキチ三平」というマンガが流行ったのも影響してか、釣り仲間が結構たくさんいました。

ルービックキューブや任天堂のゲームウォッチが登場しても、釣りはやめませんでした。

高校になって、ファミコンが登場します。

ある日、仲の良かった後輩と彼の友だちの家に遊びにいきました。

そこで初めてファミコンをやりました。

最初にやったのはゴルフだったと思います。

その日以来、どうしてもファミコンが欲しくなって、冬休みにアルバイトをしてファミコンを買ったのです。

当時は、予約してもすぐには手に入らないほどの人気でした。

マイナーな玩具店が予約してすぐ手にはいるという噂を聞き、予約して買ったのです。

日に日にゲームのソフトを増やし、あっという間に10本ほどになりました。

休日は朝から晩までやっていました。

父も母もあきれていました。

友だちや後輩が遊びに来て一日中一緒にゲームをしました。

マリオブラザーズがまだ中心だったころです。

スーパマリオはまだ登場していませんでした。

ひとりでやるゲームよりふたり同時にやるゲームが主流でした。

私も考えて、友だちはひとりずつ家に呼んで遊びました。

高校2年生の春休みが私にとってはゲームの全盛期でした。

それから、半年ほど経ってみると、ゲームはあまりやらなくなっていました。

夏休みは、中国地方を自転車で一周する旅に出かけ、クラブ活動にも一生懸命取り組んでいました。

私には、体を動かす、スポーツの方がはるかに楽しかったのです。

無用になったので、ファミコン本体にゲームソフトをたくさん付けて汽車で通っていた通学仲間に2万円で売ったのです。

その仲間はとても喜んでゲームをやっていましたが、やはり飽きて、次の人に3万円で売ったそうです。

その後、ファミコンがなくなっても何も困ることはありませんでした。

父は笑いながら「ゲームはもう卒業か」と言っていました。

それでも依存していた人が大勢いました。

その人たちがその後のゲーム業界を支えたユーザーだと思います。

私にはコンピューターゲーム以上に私を魅了するものがたくさんあったのだと思います。

なので、その後のゲームの話題にはほとんどついていけません。

幼少期から少年期にかけてコンピューターゲームにどっぷりと浸かってしまい、それに魅了されるようになったら、依存性が強く、なかなか抜けられなくなるのは当然のことでしょう。

パチンコに依存する人とよく似たところもあります。

パソコンもケイタイもメールだけでなく色々なものに依存し影響されるのです。

大人ですらアルコールやたばこに依存してしまって抜けられないなんてこともよく聞きます。

大人が関わってコントロールできる年齢ならまだ改善の余地はあるのですが、それをこえてしまったら、命がけで関わる覚悟が必要になります。

しかも、それで治るという保証はありません。

依存しすぎてしまえば、それは家族よりも大切な存在といえるのです。

家族よりも魅了し、癒してくれるからなのです。

そばにあって、楽しくて安心できる存在なのです。

若いうち、特に小学生や中学生のころから依存症になってその後に悪い影響を与えるようなものは、できるだけ近づけないなどの工夫や与えないですむ環境を用意してあげなければならないのです。

結局のところは親が子どもをしっかり遊んであげて現実的なものに魅了される喜びを体験させてあげることなのです。

それを小さなころからしてあげることが今の社会の波に流されない幸せな生き方につながっていくのです。

 子どもにコンピューターゲームを与えれば、その場は大人しく、静かに過ごしてくれることでしょう。

電車の中でもゲームに夢中になっている子どもをたくさん見かけます。

その横で、母親はメールに夢中です。

それぞれが好きなことをやっていて、そのときは楽しいかもしれません。

しかし、そのままではいつまでも子どもの心を引き寄せることができないままでいるのです。

子どもとの信頼関係はなるべく小さいうちから関わってつくりあげていくものなのです。

思春期で子どもの成長が著しいとき、不安で揺れる心の中ではそれまで向き合おうとしなかった親の言うことなど信頼してくれるはずがありません。

真剣に向き合った時間の量だけ子どもは親を信頼するものです。

それなのに、中学生になって成績が下がったとか、悪い仲間と過ごしているだとか、言うことを聞かなくなったと不満を嘆いても遅いのです。

子どもの一番欲していたもの(信頼関係)をずっと先送りにしてきた親へのツケなのです。

子育てが大変な時期でもなおざりにしなかった親とどうにかなるだろうとものやお金だけに頼って向き合おうとしなかった親とでは子どもとの関係にも差は出ます。

結局のところ親たちの都合で今の子どもたちが育ってきていて、本当は何が楽しい遊びなのかが分からないままなのです。

それを先輩たちからも教わっていない、大人たちからも教わっていないとなると遊び方すら分からないのです。

そんな中で、ひとりでも何でもできるような遊びとなると、コンピューターゲームになってしまいます。

ゲームのやり方が分かってくると本当に面白く魅了されていきます。

かつて、魅了されるほどの遊びを経験していない子どもには最高の遊び相手になるのです。

そして、そんな子どもたちの夢を叶えてくれるのがバーチャルな世界なのです。

しかし、ゲームの世界は現実ではありません。

だから考え方も安易になり、自分の都合だけで何でもやるようになっていくのです。

ゲームの世界は明確に自分が主人公になれるのです。

野球をしても、エースピッチャーで、スラッガー。

サッカーをしても、エースストライカーで鉄壁のゴールキーパーになれるのです。

上手くなればなるほどゲームの中だけの達成感が増大していきます。

そういった環境で育って、同世代と遊べなくなった高校生が児童館に現れたりします。

年下の小学生とだと優越に浸れて、満足感が得られるからなのです。

ボランティアでくる子は別ですが。

精神年齢が低いまま大人になろうとしているのがよく分かります。

人間同士のコミュニケーションがないまま社会性が育っていないのです。

ゲームの恐ろしいところは、嫌ならリセットすることが簡単にできるのです。

不登校やひきこもりはまさにリセットボタンを押している子どもたちなのです。

そこから再スタートなんてことは最初から子育てをするより難しいのです。

それでも責任をもって自分の子どもを育てていかなければ本当の親にはなれないのです。

あまりにもドロップアウトしている親が私の知っている世界には多すぎる。

そんな親の育てる子どもの中には弁当すら持たせてもらえず学校に通ってきています。

専業主婦で、昼前に起床する母親もいます。

学校に行けば面倒をみてくれると勘違いしているのです。

学校でいくら正しい習慣を促し、実践しても結局、家でだらしない母親にリセットされてしまっていれば学校での関わりは生かされません。

小さな欲求が満たされないままの積み重ねと、好奇心をふくらますことをしなくなってしまった子どもたちにコミュニケーションの希薄さまでも加われば、自己表現なんて上手くできるはずもありません。

作文が苦手で、自己表現が苦手な子どもが増えています。

そんな状況では、友だちづくりや社会へ順応していくことがとても困難になっていくことは誰にでも予想がつくのではないでしょうか。

外見だけでは見えにくい心の中の基礎工事は、乳幼児期から少年期にかけて親がすべき大切なことなのです。

それを大人しくしているからとゲームやビデオに子育てをさせていたら、人間の心の内など解るはずがないのです。

人間は、人々の中でそれぞれの心の内を解ろうとし合い、いかに上手に依存しあえるようになるかが、大人になるための課題であり、それぞれができること、それぞれの能力を発揮できる環境で生かされていくことが幸福へとつながっていくのです。

子どもをそういうふうに育てていくことが、親にとっては徳を積む人間らしい生き方になるのです。

それが親の幸福にもつながっていくのです。

子育てが楽になるからとゲームをさせるのは、親の怠慢にしか過ぎないのです。





by ikenosai | 2008-12-19 17:24 | 親の通信簿 | Comments(0)
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