利己主義の子育てが蔓延る昨今、楽で便利な生活を追求し、あたかもそれが幸せであると思いこんでしまっている。
小さいうちから、お手伝いをすすめても、そこにお駄賃や小遣いの条件を付けてしまい、利益にならないことは、世の中の仕事でないという価値を早期教育している。
人間は、誰かの役に立っているとか、人が喜ぶことができたという達成感などから、幸福感が生まれてくる。
楽して、まして誰かが損しても構わないで自分の利益だけを追求する生き方をいつの間にか教えている親たちが多い。
PTAの役員なんて誰もしたがらない時代、もし、高額の手当が支給されるとなると、希望者は殺到するはずである。
自治会の草取りやドブ掃除だって、有志を募れば、ほとんど集まらない。
地域によっては、欠席者にペナルティーとして何千円かを課すなどして、どうにか集めようとしているところもある。
しかし、そんなんで集まった集団は、たいして役には立たない。
その姿を子どもは見て育つ。
先日、私が知っている学校の父兄会の運営で問題があった。
細々と通信費などのために年会費を徴収することになっていたが、忘年会を役員だけで開催する話を聞いて、そこの費用を年会費の中から出そうとしていたのには驚いた。
有志でやっていたはずが、段々おかしな方向になっている。
親の心を子どもたちは映し出している。
親たちのそんな行動は、やがて思春期まっただ中の子どもたちの心に大きく影響していく。
世のため人のために生きて行くにも、生活するのに必要なお金をどうにか稼ぐ必要がある。
しかし、それをこえたお金の使い方を子どもたちはしっかり見ている。
友だちの引っ越しを手伝った子どもたちの中から請求書が出たことがあった。
その請求の内容に手伝った人件費の請求があった。
しかも、金額的には通常のアルバイト並みの金額だった。
それ以来、友だち関係、友だちの親同士の関係が崩壊してしまった。
友だちは、お金でつくるものではない。
友だちは、無償の心と心とで価値を育む関係から友情ができ、本当の意味での友だちになっていく。
親の余計な入れ知恵は、子どもたちのできつつあった友情にもこんな大きな亀裂を残してしまった。
残念なできごとだった。