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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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海まで走ろう

 それは、新学期が始まった13歳の春だった。

授業はまだ始まっておらず、昼前には皆、家に帰った。

私も家に帰ろうと思っていたが、偶然に嫌な集団と出くわしてしまった。

奴らは、1つ年上の不良グループで6人いた。

私が、通りがかったところを待ってましたとばかりに行き先を塞ぎ、ひとりひとりが、それぞれの欲しいものを万引きしてこいと脅すような口調で言い、期限は明日までだと言った。

私は、そんなに怖いとは感じなかったか。

しかし、何分にも厄介だった。

もし明日、万引きをせず、のこのこと学校に来たら、何かの仕打ちを受けるだろう。

そう思うと、どうも憂鬱になる。

良い方法を考えなければと思いながら家路をたどっていた。

帰る途中、私はあることをひらめいた。

それは、家出をすれば、明日は学校に行かなくてすむ。

ただ、それだけのために、私は家出をすることを決心した。

机に地図をひろげ海までどのくらいあるか調べてみた。

直線で見れば50キロぐらいだが、道をたどれば70キロ以上はある。

まして、こんなに遠くへ1人で出かけたことは1度もなかった。

私は、道に迷わないか少し心配だった。

しかし、川を下って行けば、なんとかなるだろうと安易な気持ちで出発することにした。

出発前、不安なことが1つあった。

それは、お金を少ししか持っていなかった。

それでも決行し、親友の家に寄って、事情を話した。

そして、詳しい行き先は告げず、ただ、海まで行くと伝え、出発した。

午後2時を少し過ぎていた。

風もなく、ぽかぽかとした春だった。

自転車に乗り、吉井川を目指した。

吉井川は鳥取県との県境の中国山脈から流れる大きな川で、中流には私の故郷、津山がある。

私の家は津山の街から8キロ程はずれた、集落にあった。

近くにあった広戸川をつたって3キロも行けば、吉井川に出る。

吉井川を渡って、私は、時計を見た。

2時半になる頃だった。

私はついに覚悟を決めて、一心不乱にペダルをこぎ始めた。

感じる風はまだ暖かく、心地良かった。

しばらくして、となり町に入った。

川の向こう側から大きな鉱山が見え、鉄道も見え始めた。

それは片上鉄道で鉄鉱石を主に運んでいる単線の鉄道だった。

1時間に1本ぐらいの間隔で旅客車両が走っていた。

赤くとんがった屋根の駅が2~3キロおきにあったので駅名を見ることを楽しみにして走り続けた。

吉井町に入って川沿いの道が途切れた。

橋を渡り、反対側の川沿いの道に変えた。

長く長く続くなだらかな道、川を下っていたためか、上り坂はほとんどなかった。

ベンガラで一面が真っ赤な工場があった。

道にもその赤茶けた色が染まっていて、辺りは静かで人の気配もなく不気味だった。

小さな川からは赤い水が吉井川にそそがれていた。

私は、一心不乱にペダルをこぎ続けた。

ただ、今の現実から逃れようと必死だった。

佐伯町に入った。

まだまだ海は遠かった。

なだらかな単調な道を走っていた。

海まで、海までと、そう思いながら。

そして、まだまだ暗くなる気配は感じられなかった。

未開の地にこんな冒険があったことを私は初めて知った。

好奇心は益々高まっていった。

和気町に入り川沿いの道がなくなった。

再び橋を渡り、反対側の川沿いの道に移った。

しばらくの間、民家もなく静かな道が続いた。

通る自動車も少なかった。

そして、その静寂の中から大きな、大きな工場が川の向こう側に見えてきた。

黄色のビールケースが塀のように積まれている。

大きなキリンビールの看板が見えた。

そこはビール工場だった。

キリンビールが岡山でも作られていたことをそのとき知った。

西日に向かいながらビール工場が遠ざかっていく。

やがて、川沿いの道がなくなった。

地図を持ってきてなかった私は、どうにかこの先の道を探さなければと思いながら、海の方向を考えた。

南だ、南に行けば海にたどり着く。

そして、しばらくの間、迷いながら民家の路地を走っていた。

辺りが暗くなってきて、どこを走っているのか分からなかった。

お腹も減った。

喉も渇いた。

しかし、あまりお金は持っていない。

買い物をする店も近くにはなかった。

そうしているうちに、カップヌードルの自動販売機を見つけた。

少し休もう。

そう決めて、しばらく休んだ。

公衆電話の住所を見て、そこが瀬戸町であることを知った。

吉井川からもずいぶん離れてしまっていた。

暗い夜道の中、ペダルをこぎ始めた。

とにかく、標識のある大通りに出なければ行き先が定まらない。

そう思いながら民家の路地を走っていた。

走っても走っても、大通りが見つからない。

やがて川に出た。

あまり大きな川ではないが、その川を下って行けば必ず海に出る。

そう信じてこぎ続けた。

川の彼方に、大きな、大きな、平野が見えてきた。

少しずつ動く、大きな船の灯りも見えた。

海だ。

海が見えた。

やっと海まで来た。

そして、さらに、勢い良く、私はこぎだした。

海辺に自転車を止め、しばらく海を眺めていた。

しかし、海の向こうに陸が見え、民家の灯りも見える。

ここは海なのかと疑い始めた。

海でなければ、ここを越えてさらにその向こうへ行かなければと思った。

海であるか、海でないかを調べることは容易だった。

そこの水に手を浸し、なめてみた。

しょっぱい、塩の味がする。

間違いなく、そこは海だった。

その地形で児島湾だと分かった。

目的の地にたどり着いたことがすごく嬉しかった。

真っ暗で静かな海辺だったが、まだ8時前だった。

安心したのか、私はコンクリートの床に仰向けになったまましばらく眠った。

すごく疲れていた。

肌寒かったせいか、30分位して目がさめた。

やはり、ここで眠ることは難しい。

しかし、十分なお金があるわけでもなく不安になってきた。

みんなのことが気になった。

きっと私を探している。

そう思い始めた。

このまま一夜を明かす気はなかった。

持っていたお金も電話をかける位しかない。

もし、このお金をほかのことに使えばどこに連絡することも出来なくなくなってしまう。

私は自転車に乗り、電話ボックスを探した。

すぐに、それは見つかった。

10円玉を何枚か入れて、家に電話をかけた。

すぐに父が出た。

「今、どこにおるんなら、寒うないか。」と話しかけてくる。

私はすぐに、ここにいることを話した。

「お父さんが迎えに行くから、おまえは津山に向かって戻ってこい。たぶん、どっかですれ違うだろう。しっかり注意して見て行くけん、おまえも注意して戻ってこい。」

私は無我夢中で自転車のペダルを踏んでいた。

しかし、暗かったせいか、来た道が分からなくなっていた。

迷いながら、大きな土手に出た。

しかし、道が途中から進入禁止になっていて鎖でふさがれていた。

自転車と歩行者専用の長い橋を渡り、反対側の土手に出た。

橋の手すりに、旭川と記してあった。

線路があった。

しばらく行くと、駅もあった。

備前原駅だった。

たぶん、ここを通れば津山の方へ行くだろう。

そう思って走った。

ここまで来れば不安も何もない。

あとはなるようになる。

そう思って、深く考えることはしなかった。

車とすれ違うたびに、もしかして父かも。

そう思いながら何台も車を見た。

しかし、こんなに早く来るわけはない。

車でさえ1時間半位かかるところだから、その位の時間は読んでおかないと。

しかし、電話してから、かれこれ1時間程経っていた。

玉柏駅のあたりだった。

慎重に通る軽トラックが私の前を通り過ぎたあと、Uターンして私の横で止まった。

父だった。

父は黙々と私の自転車を荷台に固定した。

車の中で意識がぼんやりしていた。

父が話し始めた。

「おまえ、みんなに心配かけたなあ、先生が家に来とるで、おっちゃんらあも。」

私は、事の重大さにやっと気づき始めていた。

それから家に着くまでのことを今ははっきりと覚えてはいない。

家に着いたとき母さんが外に出てきて、「もう、やっちゃあいけんで。」そう言った。

家に入ると、家の中には学校の先生達と親戚の叔父さん叔母さん達が地図を広げて待っていた。

2階には、いとこ達がいて、私は益々居場所を失っていた。

そんな中、副担任をしていた先生が「今日は、もう寝んちゃい。何人かの友達に電話をかけとるけん今日のことを聞かれるかもしれん。そしたら、遊びに行っとって遅く帰ってみんなに心配かけたということにして、それ以外は黙っておきなさい。」と言った。

あとから2台の車が帰ってきた。

私を探すため、それぞれが違う道を走ってきたことが分かった。

3台の車が3方向に分かれて私を探し、見つけたのが偶然にも父だった。

次第に、みんな退散し、私は風呂に入り、疲れていたせいか朝までぐっすり眠った。

学校へ行く途中で、友達にあった。

「昨日は、本当に行ったんじゃな。」とびっくりした様子で話してきた。

私は彼の驚いた表情に何だか変な自信を持ってしまった。

学校に着くと、昨日私に指示を出した連中の1人がやってきた。

その人は数年後に無免許で暴走運転をして、壁に激突した。

助手席にはまだ中学生の女の子が乗っていた。

2人とも即死だった。

筋金入りの不良だったその人が、心配そうに、「家出したんか。」と言ってきた。

私はただ「うん。」とうなずいただけだった。

それ以来、その人とたちからは、何も言われることはなかった。





by ikenosai | 2008-10-25 06:58 | 海まで走ろう | Comments(0)
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