先日、息子を連れて東京駅に行く途中のことだった。
代々木駅から大きな声で中国語を話しながら電車に乗ってきた若い女性がいた。
話しの相手は携帯電話の向こう側。
一向にやめる気配はなく、大声で話している。
周囲はジロジロ見るが、まあ勝手にしろという感じ。
四谷を過ぎても、飯田橋を過ぎてもやめる気配はない。
それだけではない、いったん切ったかと思えば、また、自分からかけて話す始末には、周囲もあきれている様子。
総武線だったので、お茶の水で中央線に乗り換えるときも、まだ大声だったので、肩をチョンチョンとたたき、「ドントスピーキング」と言い、携帯電話のマナー表示に指をさして伝えた。
それでも、お構いなしに大声で話していた。
中国は日本の10倍以上の人間がいる国。
世の中の10人に1人が悪人だったら、中国の悪人は日本の人口に匹敵する。
その悪人どもがどっさり、日本にやってきたら日本の治安は悪くなる。
確かに、悪い人間ばかりではない。
価値の違いや、文化の違いで相容れないことも多い。
それでも、ここは日本である。
日本に来るぐらいなら、模範的な観光客として入国をしていただきたい。
入国審査も徹底すべきだと思う。
何年か前に、家族でデイズニーランドに行ったとき、中国人観光客がたくさんいた。
中国も金持ちが増え、たくさんの人が日本に観光にくるようになった。
娘と手をつなぎメリーゴーランドに並んでいたら、列の後ろの方に3人の女性がいた。
話す言葉から中国人観光客だと分かった。
列が少しずつ前へ前へと移動していくのに合わせて、少しずつとばして前に前にとやってきた。
結局、私たちの前にきて、何事もないような澄ました表情で並んでいる。
やられた。
時すでに遅し。
ちょうど、その3人組の中国人女性まででアトラクションの席がうまってしまい、私たちは1回待たなければならなくなった。
あの3人に割り込みされてなければ、1回早く順番がきたのにと思った。
娘はガッカリして、「ああ乗れなかったね」と一言。
あんなことがあってから、中国人にはあまり好感を持てなくなった。
世の中のすべてがそうではないが、私の中のすべては限りなく信用ゼロに近い。
人間の価値観とはそういったもの。
嫌な思いをさせられた相手を快く受け入れるなんて難しい。
日中関係の原点は、各個人ひとりひとりの感情の結集。
どう考えても、どこかで受け入れられないものが所々に見え隠れしている。
グローバルな社会で、国際交流を進めてはいるが、それぞれの感情を抜きにして真の交流は深まりはしない。
北朝鮮の美女軍団が日本側が出したステーキを食べなかったことも、金正日が持ってきた松茸を日本側で処分した話しも、どこかつながるものがある。
ただし、その国に丸腰で入ったからには、それなりの覚悟をしなければならない。
私は、昔フランスでそれを強く感じた。
フランスではその国のやり方に従わないとそうとう痛い目に遭う。
だから、“郷に入っては郷に従え”その国を訪れる者が心得るべきことだと思う。
それでも、中国で処刑された方たちは、同胞としてあまりにも気の毒でならない。
そう思う人が同胞以外で何人いるか、そこが価値の共有しあえる関係であるのだと思う。