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あれだけ、不登校やひきこもりの若者の支援にたずさわった8年だったが、少子高齢でしかも、制度の整ってない環境では、本気でやればやるだけ、自分の小遣いだけが諸々の費用として消えていったため、とうとう底が尽きてしまい、お手上げになってしまった。
いったい誰が好き好んで、何のために上げ膳据え膳、昼寝つきにしてしまった若者とその家族への支援をしていくのだろう。 これまで私は、色々な角度から学び、分析し、アプローチをかけてきた。 親の関わりや親自身の問題を取り上げたり、食習慣の問題を取り上げたりもして、学校だよりの記事にもしてきた。 これまでの研究と実践の結果、不登校やひきこもりをつくりだす原因については、世代とその世代がつくりだした環境に大きな原因があるという結論になりつつある。 そして、いじめなどの子どもの心の問題を引き起こす構造もどこか似たようなところに起因することも解ってきた。 若者の成長を先送りにしてきたことが大きな原因でもあり、学校と親たちによる子どもたちを自立させていくための職分がしっかりとなされていなかったことも根本の問題である。 その中で、ランク付けされた上位のレベルの学校にさえ通っていればそれでいいと思いこんでしまっている大人のつくった社会に大した価値などないことに気づいていない親たちが多数を占めてしまっていて、それが標準化されているところに見えざる問題が隠れている。 戦後教育での学校の役割は、国家のための人材、国家に仕える人材教育が主体となり、人間性や智恵を育む教育というのがぽっかりと抜け落ちていて、静かに授業を受け、先生や親の言うとおりにできることがやがて、社会のいいなりになる便利な人材をつくることにつながった。 それが、戦後の高度経済成長の中でつくられていった教育であり、そこに偏差値を導入し、決められたことを覚える記憶力と応用力が本当の学力であるという定義が一般化されてしまった。 上澄みだけが社会的に評価される仕組みになっているから智恵のない倫理観の薄い自己中心的な官僚が蔓延る世の中になってしまっているのである。 官僚の世界も不誠実が多数を占めるから誠実な人材が薄れ、悪い方向へ全体が進んでいってしまったのである。 そして、恐ろしいのは、その偏差値教育で落伍者のように扱われてしまって人間としての自信を失ってしまう若者が多く存在してしまったことがあげられる。 社会は人間の持つ多面性を忘れてしまった。 テレビや雑誌などのメディアの影響をまともに受けて、情報というひとつの価値に集中してしまっていることに実は大きな問題がある。 私の定義する賢者とは、知恵を持ち、他者を理解し、和をつくるために誠実である者。 正しいことを柔軟に受け入れ、推しすすめる力のある者。 たとえ、少数派であっても、その基準や意思がぶれない者のことである。 団塊前後の世代から価値に対する革命がおきてしまった。 いい意味でも悪い意味でも多数派をつくり団子になっている。 しかし、残念なことに、周囲への思いやりや配慮が薄い。 私の子どものころに触れていた年寄りは、思いやりがあって、やさしいという印象が強い。 それでいて、間違ったことをはっきりと指摘するぶれないものを持っていた人が多かった。 最近、団塊世代に見られる悪い部分、気になる部分がある。 例えば、公共の場での様子。 大声で話し、周囲への配慮がない。 空いているテーブルや椅子に自分の荷物を置き、空席をうめる。 あとからきた客へ席を譲るなどの配慮が欠けている。 電車の優先席に座り、携帯電話でメールをし、挙げ句には通話もお構いなしの者もいる。 集団を好み、倫理観に欠けようとも、好き勝手にやっている。 クレームを付けることが多く、不平不満を言う。 ハッキリ言えば自分勝手でわがまま、自分が一番かわいい者が多い世代なのである。 そして、その世代を育てた親たちの大半が今、高齢者施設に入っている。 親子の関係がぎくしゃくし、施設はまるで姥捨て山のようになっている。 面会にも行かず、時期を待っている。 バブルを支えてきた今の高齢者たちは老後の保障が実に恵まれている。 なので、所持金が高額な高齢者へのサービスにビジネスは動く。 一般企業でさえ介護施設をつくっている時代である。 それは全国におよんでいる。 しかし、間違えなく、定員割れで底をつくときがくる。 私はそう見ている。 親の分まで、子どもが払って世話をする時代はこないように思う。 それはどうしてか。 自分勝手でわがままな、自分が一番かわいい世代が育てた子どもたちがその親に感謝できるとは思えないからである。 本当に我が子を思うのなら、子どもの自立のために、ときには心を鬼にして、懸命に関わることが必要である。 こどもの自立に必要なこと、それは自分の力で水を得て、自分の力で食料を手に入れ、自分の力で住処(すみか)を確保することである。 そのための力を付けてあげることが自分の力で生きていくための必要な条件である。 しかし、世間体を気にする親のプライド、自慢できる価値観のようなものが最優先されている現代では、テストの点が良くて、有名校へ進学し、有名企業などそれまでの価値において、いかにも頭がいいという風潮に流されてしまった価値観にあてはまる進路におさまることが現実には親の幸福感を満たしている。 そのレベルで何を優先すべきかと考えると、我慢してでも学校の先生の価値にあてはまる生徒になること、そして、我慢してでも上司の使いやすい便利な人材になることが国家の目指す教育につながっている。 そのためには、いい小学校、いい中学校、いい高校、いい大学、いい就職先となり、それぞれに導いてくれる便利な塾が成り立っているのも納得がいく。 今では、団塊前後の世代が開くビジネスマナーの教室がもてはやされている。 自分勝手でわがままな自分が一番かわいい世代の女性が開いている。 旦那からは愛されなくなり、旦那を見下し、家族の和を築けなくなった世代である。 旦那は旦那で、妻を愛せなくなり、子育てを放棄し、仕事や行きつけの飲み屋に逃げていた世代である。 親を現代の姥捨て山に捨てに行く世代である。 ヨン様に心奪われている最年長グループに当たる妻を抱える世代でもある。 その世代の子どもたちは、父親からは仕事への不満を聞き、母親からは夫への不満を聞きながら育っている。 そんな子どもたちが、将来に希望が見いだせるだろうか。 仕事をすると、お父さんのようになる。 結婚するとお母さんのようになる。 と大人になることへのネガティブな意識はおそらく就職を遅らせ、結婚を遅らせ、さらには子育ては損だと思うようになるのである。 だから、少子高齢で子どもが社会から排除されているのである。 今では、子どもはビジネスの対象である。 携帯電話を買わされ、コンピューターゲームを買わされ、外での遊び場はどんどん消えていった。 その結果、幼少の時期に習得すべき人間関係の基礎がどんどん先送りになってしまっている。 気がつけば、思春期に友だちとの距離感に悩む若者が増えている。 それは、狭いスペースで親をわずらわすこともなくゲームをしながら育ってきたため、人間の持つ多面性を習得できなかったツケである。 扶養義務だけは行使する両親のもと、ミズもゴハンもスミカも保障され、その反対に将来への希望がいつまでも保障されない環境でいつまでもモラトリアムな生活を送ってしまっている。 うちは違うと言い切れる親もいるでしょう。 しかし、今では少数派になりつつある。 それは、学校の懇談会の状況からもよく分かる。 今では、小学校の懇談会にくる親でさえ数名の時代。 中学ならもっと減り、高校では、出欠の返事すら出さない親ばかりである。 子どもが育つ環境で自立に向けて必要なのは、ミズとゴハンとスミカを自分の力で得る力である。 まずその3つが優先されるべきである。 そして、それにプラスして関心を示す親のまなざしさえあれば、子どもは何とか育つはずである。 それ以外の付加価値なものばかりを子どもに求めているから、いつまでたっても独り立ちできないのである。
by ikenosai
| 2009-12-13 07:06
| 私的視点
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