いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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終戦のエンペラー
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久しぶりに母の実家へ帰省

素敵な風景

私の大好きな場所
母の実家
「島根県浜田市瀬戸ヶ島」

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県立水産高校のドック
生徒たちはここから遠方まで船の実習に

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そのさきは日本海

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大きな吊橋

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昔のままの海辺も

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島にある「厳島神社」

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今だ現役の井戸

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狭い路地

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韓国からの漂流物


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療養中のおじに会いに

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そして1日目の夕日が沈むころ


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漁港の食堂で食べた「のどぐろの炙り丼」


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母と姪
小さなビーチ


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一般道(国道9号線)を通って


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仁万町にある「サンドミュージアム」へ


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世界一の「砂時計」(1年時計)

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間近で見られるレプリカ



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 以前かかわった生徒たちとマレーシアに修学旅行に行ったとき。

その年は精神的に重い女子生徒が何人かいた。

それでもみんな一生懸命に私についてきてくれて楽しい旅行になった。

帰りの飛行機の中。

両サイドに生徒が座り、みんな疲れていたのか眠っていた。

私は、いくつか観られる映画の中からたまたま「砂時計」を選んで観ていた。

心の中がいっぱいいっぱいで壊れそうな生徒たちが少しずつ大人になって・・・

1年生からずいぶん成長したことを旅行の中で感じていた。

そんな思いと重なってか、家族のこと、友だちのこと、恋人のこと、そして、本人のこと・・・

たくさんの悩みを抱えながらも一生懸命生きている生徒たち・・・

それだけで感動し、それとも重なって、涙がじんわりとにじんでいた。

私は誰にも気づかれぬよう涙をぬぐっていた。

いつか、この世界一の「砂時計」を見に行きたいと思っていた。

そして、今回見に行くことができた。

やっぱり、あの時の生徒たちのことを思い出し、胸が熱くなった。

ひとりひとりを思い出し、みんな元気でいますように・・・と、そう祈った。



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蒜山高原から見える鳥取の大山


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蒜山(ひるぜん)



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(岡山県)蒜山のジャージ牛乳と(鳥取県)大風呂敷がコラボしたソフトクリーム(450円)

ここのサービスエリア(蒜山)で一押しのスイーツ










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by ikenosai | 2017-05-04 22:09 | お父さんお母さん | Comments(0)

永遠の原風景

 最近、ふと祖父を思い出した。

祖父は、愛媛県の南宇和にある外泊の漁師の家に生まれたと母から聞いている。

隣村の祖母を嫁にもらい、8人の子どもを授かった。

私の母は、3番目の子どもとして生まれた。

母が中学の時、新天地を求めて、島根県浜田市の瀬戸ヶ島に移り住んだ。

やがて、いか釣り船を手に入れ、日本海の荒波で漁業を営んだ。

母は、中学を出て、しばらくして親戚を頼って大阪に出た。

そこで、私の父と出逢った。

父が田舎に帰るというので、大晦日の晩に一緒に津山に戻ってきた。

そして、姉が生まれ、私が生まれた。

夏になると、よく父の運転する車で瀬戸ヶ島に行った。

当時は高速道路はなく、津山から奥津温泉を通り、人形峠を抜け、倉吉を通って、国道9号線に出て、そこからはひたすら走るだけだった。

明るいうちに着くために、夜明け前に出発した。

楽しみの定番は、宍道湖の湖畔にあるドライブインでお子様ランチを食べることだった。

小さな、軽自動車の荷台にバスタオルを敷いて、姉と交代で昼寝をした。

それでも、父はひたすら運転をしていた。

その横で母は父の運転を見守っていた。

海を眺めながら通った9号線はまるで楽園への道のりのようだった。

母は、もっともっと楽しかったに違いない。

なぜだか、同じ道も、帰りは寂しく切ない思いがした。

母は、もっともっと切ない思いがしたに違いない。

もうあと一息という場所に、大衆食堂があって、そこでかき氷を食べて、父は眠気をしのいでいたのだと思う。

私たちには楽しいおやつの時間だった。

坂を登って、降りるころ、母が「もうすぐ着くで」と弾ませた声で私たちに伝える。

母の嬉しそうな表情に姉も私も心が弾んだ。

魚の加工場のにおいがやがて、海の潮の香りのいいにおいに変わるころ、小さな橋を渡る。

そこからが瀬戸ヶ島だった。

厳島神社に近い、一軒家を借りて、祖父母と叔父3人が住んでいた。

夏になると、母の兄弟姉妹たちが集い、従兄弟と遊ぶのも楽しかった。

何よりも、360度海の小さな島。

祖父の船に乗って、沖の彼方にある島に行ったり、ゆらゆらと揺れる船の上から花火を観たこともあった。

そこに居るだけで、何だか楽しかった。

祖父は、晩ご飯の時、笑いながら私のご飯の上に砂糖をかけて食べさせてくれた。

甘いので嬉しくて、笑って祖父の顔を見上げると、祖父は笑顔で私を膝にのせてくれた。

口べたな祖父に、いつも寄り添っていた祖母。

「父ちゃん、父ちゃん」というかけ声が今も私の耳に残っている。

海を愛し、海とともに生きた、祖父が亡くなり、数年前に祖母も亡くなった。

私の体の半分は、海の恩恵を受け生きてきた先祖の魂が今も生き続けている。

私にとって祖父との思い出は、ただただ感謝の思い出である。

仲むつまじく寄り添った祖父母の思い出が私たちの未来をつくってくれた証である。

ありがとう、おじいちゃん。

ありがとう、おばあちゃん。

ありがとう、おとうさん、おかあさん。

先祖への感謝を忘れそうになる。

あたかも自分の力で生きているような錯覚で。

しかし、自分の力ではどうにもならないことだらけ。

それでも、奇蹟がおきている。

それは、この世に祖父母が生まれ、両親が生まれ、愛しい妻が生まれたこと。

そして、最大の奇蹟は、私がここに生きていること。

私の愛しい子どもたちがいることに違いない。

この幸せを大切に、このスタイルを崩さないように生きられれば、それでいいはずなのに、何かを求めてしまう。

だから人間は学ばなければならない生きものなのだろう。

 高校生のとき私は中国地方一週のサイクリングをした。

できるだけコンパクトにまわるための道のりを調べていると人形峠は少し遠回りだということに気がついた。

なぜ、父はもっと近い四十曲峠を選ばなかったのかと疑問を持っていた。

数年前、父と姉の家族と奥津温泉に行ったとき、宿の女将に父が昔の思い出を語り始めた。

その様子から、懐かしさがうかがえた。

父にとって人形峠は思い出深い特別な場所なのだと分かった。

工事現場の飯場で過ごしていた若い頃、自転車に乗って,人形峠から遙々坂を下り,奥津温泉に入りに来ていたことを、本当に懐かしく話していた。

父の歩んだ人生、そして思い出には、私の知らない世界がたくさんある。

母の人生にも、思い出にも、私の知らない世界がたくさんある。

祖父母の人生にも、そして思い出にも、私の知らない世界がたくさんある。

その思い出とともに先祖の供養をしていくことが私にできる命の恩恵への僅かな僅かな恩返しになるのだと思う。

私の原風景は、先祖の生きた原風景とともにある。

そして、いつしか彼岸で合流する運命である。

先祖たちがどんな思いで待っているのかと考える。

きっと魂のきれいな人間になって来ることを待ち望んでいるのだと思う。

だから、今はただ襷を受け娑婆を走るひとりのランナーとして誠実に走ることくらいしか思いつかない。

でもそれでいいのだと思う。

私にできることはそれくらいしかないのだから・・・。



       (2009年6月配信記事)




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島根県浜田市瀬戸ヶ島(NHKおはようニッポン 浜田市の様子で出る島です)
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by ikenosai | 2013-11-19 10:07 | 現世に乾杯! | Comments(1)

海が好き・・・母の心の原風景

 母は海で生まれて、海で育った。

愛媛県南宇和郡御荘町(今の愛南町)中浦の漁師の次女として生まれた。

8人兄弟姉妹の3番目に生まれた。

終戦後の9月に生まれた母を引き上げてきた祖父は、どこの赤ちゃんだと聞いたらしい。

祖母から、あんたの娘だと聞いて、随分と可愛がったそうである。

中学が終わる頃、島根県浜田市瀬戸ヶ島に移り住んで、祖父はイカ釣り漁師になった。

そこに祖父母がいるので私の母方の田舎は浜田になった。

子どもの頃、夏休みを迎えるたびに出かけた浜田市瀬戸ヶ島。

今も私のもう1つの故郷である。





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by ikenosai | 2010-12-01 05:29 | 思い出のポケット | Comments(0)

 母の海

 母の故郷は二つある。

一つは愛媛県の南宇和に、もう一つは島根県の浜田にあった。

私はどちらの故郷も大好きだ。

なぜならば、どちらも海が近かったからだ。

母の両親は愛媛県の出身,祖父は南宇和の外泊、祖母は御荘だった。

そこは、すごくきれいな海の漁村で祖父は漁師をしていた。

母はその村で八人兄弟の上から三番目の次女だった。

終戦の年に生まれた母は、戦後の貧しさを多くは語らなかったが話してくれたことがあった。

その頃は、魚とさつまいもばかり食卓に出ていたらしい。

メジカというカツオの小さめの魚を網の中で天日干ししたのをおやつ代わりに食べたらしい。

私もこの魚を食べたことがあるがカツオ節のような固いものだったので美味しいとは感じなかった。

しかし、母に言わせれば何よりも思い出深いおやつで、今でも懐かしさと美味しさを忘れることができないらしい。

初めて白い米のご飯を食べたのは中学生のときだったらしく、初めて食べる白いご飯に感動し、噛めば噛むほど甘くて美味しかったと話してくれた。

そんな母は珊瑚のきれいな海で鍛えられた。

海に投げられ、船に近寄ってくるものなら再び引き離され、何度も何度も繰り返し泳ぐことで海に負けないように育てられた。

私は子どもの頃、この海でホゴを釣ったことがある。

100メートルもの深い海に糸をたらし、手探りで釣る深海魚、地上に上がってくると水圧がなくなり目玉がとびだして出目金みたいになるので最初はびっくりした。

海に潜ったこともある。

透明度が高く、水の中は珊瑚でいっぱい。

鮮やかな模様の魚も泳いでいる。

この辺りの海では真珠の生産が盛んで、アコヤ貝を養殖しているところがあった。

母の姉は貝に真珠の玉を入れる職人をやっている。

一族は、母が中学へ入る頃、浜田へ移ったらしい。

祖父がイカ釣り漁師になって船を持った。

市街地から2キロ程離れた所に、瀬戸ヶ島という小さな橋が架かっている島がある。

当時は渡し舟で行き来したらしい。

日本海の荒い海のすぐ前に母の実家はある。

すぐ側には海の幸が食べられる宿がある。

危険な岩場では長い竿を手に石鯛をねらう人達でにぎわう日もある。

少し離れたところに小さな砂浜があり、人も少なく、島の人たちのプライベートビーチになっている。

細い路地を抜け、ビーチへ向かう途中に厳島神社があり、ここは宮島の厳島神社と同じらしく、この島の守護神として祭られていた。

遠い遠い昔、この島の人たちは捕鯨を中心に生活をしていたらしく、神社の敷地内に絵図があった。

また、近くの水産試験場にもこのことについての資料が展示されていた。

地場産業は水産加工品を中心にした蒲鉾やワカメ、干物などがほとんどで市場に行くとたくさん売られている。

沖合漁業やイカ釣り漁が多い。

大きな電球がたくさんぶらさがって海の夜景がとてもきれいだった。

夜出て朝帰ってくるため、朝の食卓がとても豪華に感じた。

イカの刺身やアジの刺身が食べられた。

母の弟たちも地元で漁師をやって生活をしている。

沖合漁業も同じように夜から朝にかけての仕事だったので遊びに行くと昼間は家にいて夕方出かけていた。

私の子どもの頃は、何日いても飽きないところだったので雨の日以外は、釣りに行ったり、泳ぎに行ったりしていた。

海がとてもきれいだったので、水中眼鏡を付けて潜るとウニや貝、魚が採れた。

今でこそアワビやサザエは捕ってはいけないことになっているが、当時はおじさんたちが調理して出してくれた。

今では市場に持って行くと高く売れるらしく、食卓にはサザエぐらいしかのぼらなくなった。

私の子どもの頃はどちらに行くにも時間がものすごくかかった。

南宇和は12時間位かかった。

しかし、今では瀬戸大橋ができ、高速道路網も広がってきたので4、5時間で着くようになった。

浜田にいたっては、7時間かかっていたのが、中国自動車道と浜田自動車道を通れば3時間足らずで着くようになった。

早いときには2時間半で着いたこともあった。

しかし、その分自然がどんどん破壊されている。

浜田の瀬戸ヶ島には大きな吊橋が架けられ、産業開発が計画されつつある。

母がとても残念がっていた。

子どもの頃遊んだ浜辺がなくなって埋め立てられるところも出てきた。

しかし、一方では地域活性化のためにと必死で取り組んでいる人達もいる。

客観的立場の私たちがどうこう言えるものではない。

でも、浜田の海も南宇和の海も感動せずにはいられないくらい美しい海である。









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by ikenosai | 2008-11-06 17:51 | お父さんお母さん | Comments(0)