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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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温故知新 ~職人に学ぶ~



「癖(くせ)というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん。そんな訓練もせんですむ。それなら昨日始めた大工でもいいわけですわ。」 

西岡常一(つねかず)さんは法隆寺金色堂や薬師寺金堂などを古代の建築様式で復興させた宮大工棟梁です。

1908年に代々法隆寺に仕える宮大工の家に生まれ、幼少のころから祖父に仕事場に連れていかれ、じっと座って大工の仕事を見ていたそうです。

あの人は釘を打つのがうまい、あの人はまた釘を曲げたというのをすでに感じていたそうです。

父親からは、これからは設計や製図ができなければ仕事にならないからと工業高校をすすめられますが、祖父の一声で農業高校に行きました。

そこは土の命や木の命を知る修行の場だったようです。

宮大工の棟梁の仕事は木を選ぶところから始まります。

自ら山に入って木を自分で選定してくるのです。

木をそれぞれ別々の山から買ってくるのではなく、山全体で買うことによって、木の色々な性質が見えてきます。

その性質の違いをうまく組み合わせて使うのだそうです。

大きな建築は、何人もの大工が関わって行います。大工さんたちの口伝の中に“木の癖組みは工人たちの心組み”という言葉があります。

“工人たちの心組みは棟梁の工人らへの思いやり”という言葉もあります。

上手い下手、速い遅い、様々な大工がいます。

それぞれに得手不得手もあります。

それぞれの工人たちの癖を読んで仕事を動かしていく、まさにマネジメントな訳です。

それが昔ながらの棟梁の心構えだそうです。

# by ikenosai | 2010-09-30 05:20 | 温故知新 | Comments(0)

今年も行かなかった東浜海岸



 毎年、帰省するたびに、 今回は絶対に行こうと思っている海がある。

しかし、他の事にとらわれて、ついつい行きそびれてしまう。

そういえば、息子が生まれてからまだ一度も行っていない。

浦富海岸も鳥取砂丘も行っていなかった。

さらに東の兵庫県との県境にある東浜海岸が私の一番のお気に入りだった。

田舎で中学校の講師をしていた頃は、2~3週間に1回のペースで出かけていた。

春であろうが秋であろうが真冬であろうが出かけて行った。

春先の海が特に好きだった。

ポカポカと暖かく、しかも誰もいない。

そんな静かな海で、ひとりぼんやり過ごすのがとにかく好きだった。

海沿いの旧道の路肩に車を止めて、波打ち際を歩く。

晴れの日の青々とした水平線を眺めているのが大好きだった。

夏になると大勢の海水浴客で賑わう浜辺も、シーズンオフには誰もいない。

そんな静かな海によく出かけていた。

 通勤電車の中から駅のホームを眺めていたら、見覚えのある景色にハッとした。

飛行機で撮影したらしき浦富海岸の景色だった。

何日も、何日も、電車のドア付近から眺めていたが、今日はとうとう途中下車してポスターをじっくりと見た。

やっぱり浦富海岸とその手前の小さな漁港だった。

砂丘のポスターもあった。

何とも懐かしく見入ってしまった。

やっぱり私は海が好きだった。

あの透きとおるきれいな海。

青々とした水平線を眺めるのがやっぱり好きだった。

来年こそはあの東浜海岸に必ず行くぞ・・・。




(東浜の動画が見られるお薦めのサイト)http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/cb5650ce76eb65e201948396b3250cdb?p=%E9%B3%A5%E5%8F%96%20%E6%9D%B1%E6%B5%9C%E6%B5%B7%E5%B2%B8&b=1&of=&dr=&st=&s=&pd=&ma=&rkf=1&from=srp
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# by ikenosai | 2010-09-25 22:00 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

お薦めの“1冊”



40歳からの元気食
  「何を食べないか」
    10分間体内革命
 

出版社:  講談社

 著 :  幕内秀夫

価 格:  ¥819(税込)
 



 本書では履き違えた健康志向がまねく生活習慣病の落とし穴について詳しく述べられています。

子育て真っ最中の親御さんにとって心身共に健康であることはとても重要です。

40歳を過ぎると、お父さんもお母さんもそれなりの役職に就くなどして、ストレスは増大していき、多忙な時間の中で、とにかく食べることイコール健康という概念がつくられがちになりますが、何を食べるという発想ではなく、何を食べないか、いつ食べないかという体へのいたわり方について深く考えさせられる1冊です。


 間違った考えの中には、例えば男性は、炭酸ジュースはダメだが量の少ない缶コーヒーはいいか・・・と、残業時間に砂糖たっぷりの缶コーヒー、遅く帰宅して、深夜にこってりで味の濃い食事、内臓が休まる間もなく、朝ご飯。

女性は、生野菜が健康の秘訣とばかりにたっぷりのドレッシングをかけて食べる。

仕事もあと一踏ん張りというときに一息入れて、持ち寄ったお菓子やいただきもののお菓子を食べる。

これが習慣化していくと、糖尿病や高脂結晶をまねき、特に血糖バランスの崩壊は心の不安定までもまねくのです。

そこにさらなる不安要因の更年期障害が加わると、子育てどころではないようです。お父さんも自分のことでいっぱいいっぱいで、お母さんも自分のことでいっぱいいっぱいになり、子どもの、特に心の成長にも大きく影響を与えてしまうのです。

親も鬱(うつ)、子どもも鬱なんてことになってしまうのです。

鬱の状態では何をやっても楽しくありません。

充実感もなく、希望も見えてきません。

将来のことをわくわくした視点で捉える気力すら失われてしまうのです。

 人生はまだまだこれからです。

お父さん、お母さん、そして、子どもの将来までも見据えた健康へのアプローチとして大きなきっかけになる1冊です。

# by ikenosai | 2010-09-22 05:17 | 私の本だな | Comments(0)

夏の思い出・・・④

夏の帰省(復路)・・・

 津山に着いた夜からあっという間に6日が経ってしまった。

とうとう、東京に戻ってくる日になった。

また、15時間ほどかけて東京に戻らなければならない。

午前7時14分発の作用(さよ)行きに乗って帰るため、実家近くの美作大崎駅まで両親と姉家族が見送りにきてくれた。

相変わらず静かな無人駅だった。

いつも最後の日は寂しい。

父も母も何だか寂しそうに私たちを見送る。

私は東京で暮らしている方が良い息子でいられるのかもしれない。

そう思った。

父との距離が遠いと、久しぶりに会うときは、お互いのやさしさだけを持ち寄って、また今度・・・という感じで別れていく。

もし、一緒にいたなら一週間ほどで意見がぶつかり始め、終いには言いたい放題の大げんかになってしまう。

だから、私は津山にはいない方が良いとつくづく思うときがある。

親子の関係なんてそんなものかもしれない。

ひとそれぞれであるから、断定はできないが・・・。

汽車がホームに入ってきて、いよいよ発車した。

みんなが大きく手を振ってくれている。

息子もみんなに手を振っていた。

以前の私なら恥ずかしがって小さく手を振っただろうに、今回は大きくハッキリ見えるように手を振っていた。

みんながどんどん小さくなって、カーブにさしかかって見えなくなった。

うちの田んぼが見え、子どものころ遊んだ小川が見えていた。

西勝間田、勝間田、林野、江見と区間の長い駅を過ぎていった。

先日、お墓参りに行った江見さんの実家を汽車が横切ると、お姉様が朝早くから庭の草取りをされていた。

手を合わし、またご冥福を祈った。

土居を過ぎ、トンネルを抜けるともう兵庫県だった。

このエリアは自転車で何度か来たことがあったので懐かしかった。

上月(こうづき)を過ぎ、乗車から50分ほどで佐用駅に着いた。

ここで36分の待ち合わせになる。

智頭急行が停車していたので息子が喜んでいた。

一旦、改札を出てジュースとお菓子を買ってから再びホームで汽車を待った。

姫新線もこの辺りからの乗客は多くなっていた。

有名な揖保の糸の産地はこの先の本竜野辺りだった。

揖保川の周辺で、ヒガシマル醤油もつくられている。

山と川と田んぼばかりの景色を1時間ほど眺めていたら、左手に大きな天守閣が見えてきた。

姫路駅に到着した。

ほとんどの人が姫路まで乗っていたのですごく混んでいた。

待ち合わせ時間が14分しかなかったので、新快速米原行きのホームの列に息子を並ばせ、私は駅弁を買うためホームの売店に行った。

急いでいたせいか、目に入った、たこめしとあなごめしを買ってすぐに息子のところに戻った。

始発駅だったので悠々座れた。

9時57分発米原行き、到着は12時21分と長い、この中で弁当を食べ、息子の退屈をしのぐため、一緒に恐竜の絵を描いたりして過ごすことにした。

朝の出発が早かったので、11時過ぎには弁当を食べ始めた。

息子にどっちが食べたいかとたずねると、たこめしの方を選んで食べ始めた。

私は残ったあなごめしを食べ始めた。

それでも、あなごをあげると嬉しそうに食べ始め、たこを私の方に入れてくれた。

米原に着いた。

ここからが1時間前後と短時間での乗り換えの連続となる。

息子と階段を駆け上り、大垣行きのホームを探す。

このエリアからは、新幹線など使わぬローカル列車での旅人が多かった。

なので、しばらく顔を合わせる乗客もいた。

それでも、早め早めに並んだのですぐに座れた。

12駅だったので、30分ほどで大垣に着いた。

豊橋行きに乗り換えた。

今度はさっきの倍の24駅もある。

退屈しないように、おやつを食べながら絵を描いたりして過ごした。

ときどき車窓から海が見えた。

浜名湖も見えた。

今年は海に行けそうにない。

どうにかして、海に寄れないだろうかと思案していた。

往路で中央線に乗り遅れ、南武線に変えたことをことを思い出し、他の路線で短縮できれば少しだけ海水浴ができる、そう思うと、すぐに行動に移すのが私の性分だったので、焼津を過ぎたとき、息子に次の駅で降りることを伝えた。

以前に来た用宗海岸のことを話したら、やっぱり覚えていた。

16時33分に用宗駅に着いた。

約1時間後の17時44分の電車を確認して、改札を出た。

駅正面の道をまっすぐに1キロ程度進むと海水浴場があったのを覚えていたので息子の手を引いて海まで急いだ。

海岸周辺を見渡すと、ライフセイバーも何人かいて、売店もやっていた。

無料のシャワーも設置してあったので、息子に「泳ごうか・・・。」と声をかけたら飛び上がって喜んだ。

一緒に水着に着替え、海に入った。

ゴーグルを付け潜ったりした。

息子は魚のように潜ったり出たり潜ったり出たりしていた。

20分ほど泳いであがった。

西日が大分傾いていた。

ムワーッという暑さはあるものの、もう秋のように感じた。

人の少ない海水浴場だったので一層そう感じた。

冷たい水のシャワーを浴びて、木陰で着替えた。

すぐ近くの売店で息子にかき氷を買ってあげた。

大喜びで、ブルーハワイを選んだ。

今日、最後の客だった。

おばさんが大盛りにしてくれた。

日はさらに傾いていた。

再び帰路につくため、用宗駅まで歩き始めた。

しばらくは涼んでいたが、歩き出すと汗がたらりとしたたり落ちた。

用宗から三島に着くころはもう19時だった。

やけに多い乗客はみんなここで降りた。

太鼓や笛の音に夏祭りの盛大さが伝わってきた。

一旦改札を出ようかと思ったが、人が多すぎて止めにした。

夕食の調達を考えていたが、立ち食いそば屋も店を仕舞い始めていたし、売店はすでに閉まっていたのであきらめて電車に乗った。

海水浴でのロスタイムを解消するため、茅ヶ崎から八王子方面に向かうため相模線に乗った。

残念ながら、しばらく座れなかった。

ここからは会社帰りの人ばかりだった。

それでも、途中から息子が座れ、さらにしばらくして私も座れた。

八王子行きの直通電車がなく、橋本で乗り換えになった。

息子は旅の疲れと、海水浴の疲れからかぐっすり眠ってしまっていた。

私は、リュックを背負い、リュックを背負った息子を担ぎ、もう片方の手でスーツケースを抱えて、階段を上り下りして、横浜線に乗り換えた。

八王子に着くころ息子は目を覚ました。

やっと中央線に戻ってきた。

何だか安心感に浸っていた。

息子の好きな中央線。

駅名も全部知っているので、電車のアナウンスの真似をしながらあっという間に立川に着いた。

家に着いたのは22時過ぎだった。

楽しかった1日を息子が妻に話していた。

海に行ったことが1番楽しかったと言っていた。

無理してでも海に行って良かったと思った。

私も楽しい旅行だった。

実家の両親に無事に到着したことを電話で知らせた。

やっぱり疲れていたのか、家に着いた途端にどっと疲れが襲ってきた。

シャワーを浴びてすぐに寝た。

 11500円で買った青春18きっぷ2回分を使い、残りの3回分は金券ショップに転売した。

1軒目では在庫があり、売れないのでいらないと断られたが、2軒目では6300で引き取っていただいた。

実費5200円で津山まで往復したことになった。

学生時代は何だか忙しく過ごしていた私だったが、こうしてゆっくり本を読んだり、絵を描いたりしてのんびり帰省するのも悪くないなと思った。

何より、お金の節約になった。

今年度まで息子が未就学なので無料だったことも大いに助かった。

そして、息子と一緒に過ごせたことが本当に楽しかった。

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# by ikenosai | 2010-09-05 08:53 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

夏の思い出・・・③


お盆の日に・・・

 18キップで帰った翌日は、やっぱり疲れていた。

なので、墓参りに行ったきりで家でごろごろしていた。

それでも墓参りで、高校時代以来会っていなかった1つ上の元高校球児に会えて20数年ぶりの会話に花が咲いた。

翌日14日には、高校時代の恩師宅を訪問すると、ちょうどキャンプから帰ってきたとのことで、会うことができた。

その中で、ふとお世話になったジムのトレーナーの話題になったとき、恩師から「知らなんだかなあ。」と言われてびっくりした。

トレーナーは昨年2月8日、天に召されていた。

享年57歳だった。

以前から糖尿病が酷く、自分でインスリンを投与するくらいだった。

土曜日の夜、眠りについて、月曜日、練習生の試合当日の朝、ジムのスタッフがいくら電話をかけても出ないので、部屋に行ってみると冷たくなっていたそうである。

布団の中で静かに眠るように亡くなっていたらしい。

翌日、8月15日は海や渓谷へのレジャーは止めて、亡くなったトレーナーの墓参りに行った。

姉と甥と息子の4人でトレーナーの実家を訪問した。

美作土居駅の近くの線路脇に実家があった。

高校時代、自転車でお中元を持って行ったことがあったので何となく覚えていた。

川土手に車を駐めて、踏切のない姫新線の線路を渡った。

実家には、たまたまお盆で帰省されていたお姉様がいらして、これまでの経緯を話して、墓参りにきたことをお伝えした。

お姉様から見るとどうやら独り身でフーテン者だった弟にもここまで手をかけていた人間がいたのかと驚かれ、「弟も喜んでいることじゃろう。」と嬉しそうにお墓を案内してくださった。

そのお墓には、亡くなったトレーナーとその両親が入っていた。

そういえば、私が高校3年生のとき、トレーナーのお母様が末期の癌で入院されていて、トレーナーは美作中央病院で付きっきりだった。

私はパンチングミットとグローブを持って病院を訪れ、屋上で練習を見てもらったことがあった。

お母様が亡くなられ、そのあと、私の高校最後の試合で、まだ1勝もしていない私に、本気で勝つ気があるのかと聞いてきたことがあった。

「本気なら頭を丸めて来い、そうじゃなきゃ出さん。」と言われ、覚悟して坊主にしたことがあった。

その試合でも勝てず、引退することにしていたら、わずかな可能性にかけた大学の関係者から推薦の話がきた。

試合後すぐのことだった。

人生は不思議なご縁に結ばれて、どうなるか分からない。

良きことを思い、良き行いを積み重ねて行くことが大切であることだけは私の体験上、事実であった。

それにしても、あのトレーナーに巡り逢っていなければ、手弁当ながらあきらめず育てていただいていなかったら、私は今、東京にいないだろう。

辰吉のトレーナーだった島田信行氏から赤井英和戦のチケットをいただき、車に乗せてもらって大阪まで観に行ったこともあった。

途中のサービスエリアで夕飯をご馳走になった。

赤井の世界前哨戦で相手はフィリピンの選手だった。

判官贔屓だったトレーナーは青コーナーのフィリピンの選手を必死で応援していた。

また、赤井戦のチケットをいただいたが急用でいけなくなったこともあった。

トレーナーと三谷君だけで観戦に行かれたが、あの試合で赤井は再起不能になって引退をした。

三谷君は小学4年生からボクシングを始め、天才的なセンスを持っていた。

トレーナーは私によく、あの子の練習を見て真似するようにと言っていた。

後に三谷君は、高校チャンピオン、大学時代はずっと全日本チャンピオンだった。

連盟の暴君だった川島五郎のテコ入れでオリンピック出場のチャンスに恵まれなかったが、その後プロに転向し、世界戦ではあのチェ・ヨンスと2回も戦ったがタイトルは奪えなかった。

まさにあの高校時代、私はボクシングに夢中になっていた。

実家には今でもそのころのボクシング雑誌がどっさり本棚に残っている。

「不細工だ、箸にも棒にもかからん。」とトレーナーにはよく言われていた。

そんな私にも秘密兵器があった。

左ストレートがまともに当たると、相手は起きあがってこなかった。

その千載一遇の醍醐味をトレーナーは楽しみにして観ていてくださっていたのだと思う。

こんなつたない私に、よくここまでしてくださったのかと不思議でならない。

大学卒業後、しばらく東京に残っていたが、いよいよ田舎に帰ろうと思い始めたころ、田舎ではトレーナーがジムを開業した。

オープニングセレモニーには島田トレーナーのコネで(故)グレート金山がこけら落としのスパーリングをした。

田舎に帰ってからは、仕事帰りに、ジムによく立ち寄った。

そこから何人もの選手が生まれた。

西日本新人王も出た。

 トレーナーは若かりしころ、中京大学で日本拳法を始め、キックボクシングからボクシングに転向し、ボクシングでは名古屋の松田ジムに所属し、中日本新人王になっている。

ボクシングに魅せられ、ボクシング一途に生きたトレーナーは、私にとってかけがえのない恩人だった。

私の人生が変わっていく最初の入り口で情熱を持ってボクシングの魅力を教えてくださった本物のトレーナーだった。

 それでも、どこかカッパの清作(たこ八郎)に似た人生を送られた感じがする。

 「迷惑かけてありがとう。」そんな言葉がこの方にもピッタリだと思った。

 ありがとう、江見通彦トレーナー。

 心よりご冥福を祈りたい。


夏の思い出・・・③_e0148909_8155938.jpg
 

# by ikenosai | 2010-08-30 08:16 | 思い出のポケット | Comments(0)