いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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クリスマスの思い出


  大学1年のときからやっていた仕出し弁当屋のバイトを辞めて、三軒茶屋の牛丼屋でバイトを始めたころ、私の1週間後に新たに入ってきたおばさんがいました。

訳あってかそのおばさんはとても苦労人でした。

朝からのバイトで、長い日は8時間以上も働いていました。

夜は夜で渋谷の酒場で銀行や証券会社の管理職を相手に接客業。

最初は、変わったおばさんだなあと思っていましたが、外国人の客がくるとスラスラと英語でメニューを説明し、とてもフレンドリーな接客をしていました。

ご主人の仕事の関係で、オランダに7年いたそうです。

そのとき、人は見かけによらないものだと教えられました。

 19歳、大学2年目のクリスマスイヴは寂しく1人で過ごしました。

毎日、早朝からのバイトで忙しい日々をおくっていた私は、クリスマスどころではない状況の毎日でした。

しかし、いざクリスマスイヴの夜になると賑わう街の雰囲気を横目に段々寂しくなり、アパートに着いたころにはすっかり孤独感におそわれていました。

当時、田舎の後輩がルームメイトでしたが、彼は夜のバイトに出いていたので私は早々に眠りについたのです。

朝、目が覚めて、バイトにいきました。

その日の早番は、おばさんでした。

店に入ると客はちょうど途絶えていたときでした。

笑いながら、「昨日はクリスマス祝ったの?」 なんて言われても、ひとりで過ごしたことが少し恥ずかしくて返事に躊躇していたら、冷蔵庫からラップに包んだショートケーキを皿にのせて、「あんたに食べてほしいから持ってきたよ!」と差し出すのです。

恥ずかしくて、モジモジしている私に、おばさんは笑いながら、潰れかけたケーキのラップをはがしながら、私の前に差し出したのです。

あのときのことは今でもハッキリ覚えています。

こんな私にも誰かが気にかけてくれている。

そう思いながら、潰れかけていたケーキを噛みしめていました。

隙間だらけの私の心にそっと寄り添ってくれた優しい母のような人でした。
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# by ikenosai | 2008-11-13 10:41 | 思い出のポケット | Comments(0)

“子煩悩”だった森鴎外


  父は人の気持について、実に微妙な、同情深い心を持っていた。

その人の欠点、ひけめ、そうしたものに少しでも触れる事を非常に憎み、かつ怖れた。

 母が子どもたちを叱責するような場合、その子どもの容貌だとか、その他の欠点に触れるような事が少しでもあると、父はたとい自分の子どもに対してであってもそう言う事を言うものではないと言ってよく怒った。



 上の文章は、森鴎外の次女、小堀杏奴さんの著書『晩年の父』の中に出てきます。

父としての鴎外は、その当時としては珍しいほど子どもたちに対してあたかい接し方をしていました。

幼い子どもたちが寝るときに、鴎外の手を子どもが握って安心して眠りにつく。

寝入るとまた書斎に戻っていって仕事をしました。

子どもが話す長々としたおとぎ話を喜んで微笑みを浮かべながら聞くのです。

こうした子どもの世界に同じように浸って話をしたのは、教育的な配慮もあってのことでした。

妻に対して、「お前はもっと子どもの話を一生懸命に聞いてやらなくてはいけない。

大きくなるほど子どもは親に何でも話せるようにして置かないと、思いがけない間違いが起こるものだ」と言っていたそうです。

鴎外は、陸軍の軍医総監を務めた軍人であり、家でもよく軍服をきたまま過ごしたそうですが、心は物静かで柔らかな人物だったようです。
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# by ikenosai | 2008-11-09 09:51 | 温故知新 | Comments(0)

 「テレビ」“楽しくもあり、恐ろしくもあり”

以前に私は胃潰瘍ということで、胃の切除手術を受けました。

術後、読書はだめ、手紙は書くなということで安静にしていました。

少しよくなったとき、テレビならよろしいということで、初めてテレビを買ったのです。

14インチのカラーテレビです。

ちょうど、キャンディーズの解散の日でした。

それから2か月というものは、毎日毎晩、ずっとテレビに釘付けになりました。

朝がくるのが待ち遠しかったのです。

すべてのチャンネルの、すべての番組は1通り見ました。

初期のころは、いわゆる文化教養番組をよく見ましたが、だんだんと娯楽番組に移っていきました。

タレントの顔も名前もみな覚えました。

退院してからも、3か月間、自宅で療養していましたが、毎日毎晩、テレビばかり見ていました。

まとまった本を読まなければとか、頼まれていた原稿を早く書き上げなくっちゃと思いながらも、すべて手つかずでした。

テレビ一辺倒のくらしになってしまったのです。

テレビって、こわいものだと思いました。

多少とも面倒なことは、一切やらなくなってしまうのです。

だから、テレビ中毒の子に、いくら勉強させようとしても、決して本気になってくれません。

日に2時間以上見ている子は、中度の中毒患者であり、4時間も見ている子は、重症のテレビ中毒患者です。

家族全員がテレビ病にかかっておれば、気づく者はいません。みんな平気でタノシンデいるわけです。



※百マス計算誕生から40年、発案者の(故)岸本裕史さんの著書「見える学力、見えない学力」の中に出てくる文章です。

この本は四半世紀も前に出版され、10年前、改訂版が出るほどの大ベストセラーとなった素晴らしい本です。

この本を参考に学校教育を進めたのが陰山英男さんです。
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# by ikenosai | 2008-11-09 09:48 | 温故知新 | Comments(0)

 母の海

 母の故郷は二つある。

一つは愛媛県の南宇和に、もう一つは島根県の浜田にあった。

私はどちらの故郷も大好きだ。

なぜならば、どちらも海が近かったからだ。

母の両親は愛媛県の出身,祖父は南宇和の外泊、祖母は御荘だった。

そこは、すごくきれいな海の漁村で祖父は漁師をしていた。

母はその村で八人兄弟の上から三番目の次女だった。

終戦の年に生まれた母は、戦後の貧しさを多くは語らなかったが話してくれたことがあった。

その頃は、魚とさつまいもばかり食卓に出ていたらしい。

メジカというカツオの小さめの魚を網の中で天日干ししたのをおやつ代わりに食べたらしい。

私もこの魚を食べたことがあるがカツオ節のような固いものだったので美味しいとは感じなかった。

しかし、母に言わせれば何よりも思い出深いおやつで、今でも懐かしさと美味しさを忘れることができないらしい。

初めて白い米のご飯を食べたのは中学生のときだったらしく、初めて食べる白いご飯に感動し、噛めば噛むほど甘くて美味しかったと話してくれた。

そんな母は珊瑚のきれいな海で鍛えられた。

海に投げられ、船に近寄ってくるものなら再び引き離され、何度も何度も繰り返し泳ぐことで海に負けないように育てられた。

私は子どもの頃、この海でホゴを釣ったことがある。

100メートルもの深い海に糸をたらし、手探りで釣る深海魚、地上に上がってくると水圧がなくなり目玉がとびだして出目金みたいになるので最初はびっくりした。

海に潜ったこともある。

透明度が高く、水の中は珊瑚でいっぱい。

鮮やかな模様の魚も泳いでいる。

この辺りの海では真珠の生産が盛んで、アコヤ貝を養殖しているところがあった。

母の姉は貝に真珠の玉を入れる職人をやっている。

一族は、母が中学へ入る頃、浜田へ移ったらしい。

祖父がイカ釣り漁師になって船を持った。

市街地から2キロ程離れた所に、瀬戸ヶ島という小さな橋が架かっている島がある。

当時は渡し舟で行き来したらしい。

日本海の荒い海のすぐ前に母の実家はある。

すぐ側には海の幸が食べられる宿がある。

危険な岩場では長い竿を手に石鯛をねらう人達でにぎわう日もある。

少し離れたところに小さな砂浜があり、人も少なく、島の人たちのプライベートビーチになっている。

細い路地を抜け、ビーチへ向かう途中に厳島神社があり、ここは宮島の厳島神社と同じらしく、この島の守護神として祭られていた。

遠い遠い昔、この島の人たちは捕鯨を中心に生活をしていたらしく、神社の敷地内に絵図があった。

また、近くの水産試験場にもこのことについての資料が展示されていた。

地場産業は水産加工品を中心にした蒲鉾やワカメ、干物などがほとんどで市場に行くとたくさん売られている。

沖合漁業やイカ釣り漁が多い。

大きな電球がたくさんぶらさがって海の夜景がとてもきれいだった。

夜出て朝帰ってくるため、朝の食卓がとても豪華に感じた。

イカの刺身やアジの刺身が食べられた。

母の弟たちも地元で漁師をやって生活をしている。

沖合漁業も同じように夜から朝にかけての仕事だったので遊びに行くと昼間は家にいて夕方出かけていた。

私の子どもの頃は、何日いても飽きないところだったので雨の日以外は、釣りに行ったり、泳ぎに行ったりしていた。

海がとてもきれいだったので、水中眼鏡を付けて潜るとウニや貝、魚が採れた。

今でこそアワビやサザエは捕ってはいけないことになっているが、当時はおじさんたちが調理して出してくれた。

今では市場に持って行くと高く売れるらしく、食卓にはサザエぐらいしかのぼらなくなった。

私の子どもの頃はどちらに行くにも時間がものすごくかかった。

南宇和は12時間位かかった。

しかし、今では瀬戸大橋ができ、高速道路網も広がってきたので4、5時間で着くようになった。

浜田にいたっては、7時間かかっていたのが、中国自動車道と浜田自動車道を通れば3時間足らずで着くようになった。

早いときには2時間半で着いたこともあった。

しかし、その分自然がどんどん破壊されている。

浜田の瀬戸ヶ島には大きな吊橋が架けられ、産業開発が計画されつつある。

母がとても残念がっていた。

子どもの頃遊んだ浜辺がなくなって埋め立てられるところも出てきた。

しかし、一方では地域活性化のためにと必死で取り組んでいる人達もいる。

客観的立場の私たちがどうこう言えるものではない。

でも、浜田の海も南宇和の海も感動せずにはいられないくらい美しい海である。









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# by ikenosai | 2008-11-06 17:51 | お父さんお母さん | Comments(0)

食べることは“命”をつなぐ大切なこと!

身体の病・心の病は関わった環境と食べたものによる収支報告!

大人の歯は全部で32本あり、うち尖った犬歯が4本ありますから、32分の4つまり、8分の1の範囲内であれば動物性の食品を摂っても大丈夫だと考えられています。

そして、穀物は8分の5、野菜においては8分の2となります。

動物性の肉や牛乳などの乳製品その他、魚貝類なども含めて8分の1が歯の由来による理想的な食事バランスだと言われています。

人間が安定した心を維持するためには、食事の安定供給が重要だと考えられます。

農業だって、収穫時期に約1年分の食料が確保できることで精神的なゆとりが出てきます。

その安定の1コマが毎回の食事なのです。


 今の若者の食事は全く逆転しているようで、肉などの動物性のものが大半で主食のご飯が少しだと、次の食事までもたず、イライラしたり、興奮したり、心が乱れるものです。

しかも、次の食事もままならなければ、不安定にもなっていきます。

それに加えもっと恐いのが、ちょっとした空腹時に、砂糖の多い食品を摂ってしまうことなのです。

カロリー計算だけの食事は何の意味もありません。

白砂糖の多い食品が今、子ども達を蝕んでいます。


健康と“予防”

 いつまでも健康でいたいものです。

健康に何が必要かと考えていきますと、やはり日頃の予防が大切になるようです。

食べ物には大きく分けて、酸性のもの、アルカリ性のものがあり、更に詳しく調べていくと陰と陽に分かれるそうです。

今では、そのバランスに基づいた食事の学問があるくらいです。

アメリカの歌手“マドンナ”の食事作りをしている方はこの学問を極めた日本人だそうです。

陰・陽のバランスや酸性・アルカリ性を中和させた食事が健康に大きく影響しているようです。

 今の日本経済は、身体に影響を及ぼす心配のある食品やそれに使われる添加物を生産したり、使ったりすることで成り立っている企業が少なくありません。

全ての人たちが今の社会で生きていくためには簡単に否定することはできません。

しかし、それぞれが学んで選択する力を養っていくことは、今後のそれぞれの子々孫々に健康な生き方を残していくための課題になっていくでしょう。

自然の力を上手に生かす方法にヒントがあり、旬の物にはその季節を生きぬく秘密があります。

また、季節外れの食べもので身体を冷やす習慣がつくとガンやその他の生活習慣病等へも影響していきます。


 酸性過多が引き起こすもの

酸性の強い食べ物には、白砂糖・精白小麦・卵黄を使ったケーキなどのお菓子、刺身や焼き鳥に日本酒。

焼肉にビール。

その後のラーメンやそばなど中和を考えない偏った食事は酸性体質になり、血液を汚します。

通風やリウマチの悪化はこういった偏食と過食が大きく影響しているようです。

また、酸性体質はガン細胞が増殖していく上でとても好条件なようです。

血を汚す環境には、すでに肝臓や腎臓への負担が大きくなっていて、その他の病気にも発展していきます。

まず、腹八分目が大切なこと、これは低体温にならないための秘訣です。

食べ方も、焼き魚にショウガ・すき焼きにコンニャク・干しぶどうの入ったパン・ご飯に梅干し・豚はショウガ焼きなどにし、動物性のものに野菜を付け合わせるなどして工夫したバリエーションを楽しみながら美味しくいただくことが大切なようです。

粗食が中心になっていきますと、たまに外食していただく焼き肉や洋食などがとても有り難く嬉しいものです。

家でも外でも、ご馳走ばかり食べていたら、内臓は休まる暇がありません。


 低体温の子ども達 冷え性の大人達

幼稚園や保育園などでは、体温が37度代中盤位から登園できないなんてことが多いようです。

もともと子どもは体温が高いことが抵抗力につながっています。

しかし、最近では、季節外れの果物や清涼飲料水、アイスクリームなど口当たりの良いものばかり食べていて、主食のご飯の量が減っています。

基礎体力がつかない食生活で、しかも、低体温は病原菌に対して抵抗力がありません。

そのため、病弱な体になって、少し食べ過ぎたときや、睡眠不足などで身体が休まらないときに熱を出して寝込むことが多いようです。

大人も同様の生活をしていけば、冷え性などの影響で、生理痛や腰痛を引き起こしてしまいます。

冬の過ごし方、夏の過ごし方と工夫が必要になりますが、足下を冷やさないこと、冷たいものを摂りすぎないことは1年を通してとても大切なことのようです。

また、喘息やアレルギー性の疾患には白砂糖を極力減らすだけでも改善することが整体などでも紹介されています。

適度な運動や笑うこと、歌うことは血行を促進し、体を温めます。

呼吸の浅い人には特にお薦めです。そして、深呼吸もしましょう。


長寿の木“屋久杉”に学ぶ

 杉の樹齢は長くて500年程度ですが、栄養の少ない花崗岩の屋久島では寿命が長くなり樹齢2,000年以上にもなる木があります。

現代人の食事は栄養過多で、半分以上は医者のために食べているという専門家もいます。

食事内容を3世代ほど前に戻すことや腹八分目は今後の課題になるでしょう。
テニスで復活を遂げたクルム伊達公子さんは食事の改善で玄米食に切り替えたそうです。

80才、90才の元気な長老は粗食が長生きの秘訣になっているようです。


 四里四方に病なし~旬のものにこそ生きぬく力がある~

地場の植物はその土地の季節を生きぬく力を持っています。

例えば寒い冬の野菜は、少しでも暖かな土の中や土の側でしっかり生命をつないでいますし、暑い夏の野菜は日に向かって葉をひろげ、暑さに耐えられる強さがあります。

季節に合っていない植物は自然の中では育ちにくいということです。

夏のキュウリやトマトは暑さに耐えられる秘密があり、人間はそれを食べることで、身体を冷やし暑さをしのぐのです。

冬は寒さに耐えられる植物が寒さをしのいでくれているのです。

もし、季節を逆にして食べたら、体調に影響することは想像できるでしょう。

今、日本は畑を中国やアメリカなどの諸外国に依存しています。

地場のものはどんどん作られなくなっていますし、もし、見えないところでたくさんの農薬が使われていたら国内自給率の問題に加え、農薬被害がどうなのかという問題もでてきます。

今すぐには分かりません。

何代か先に答えがでるのです。

子ども達の未来の環境整備をしていくのは、今の大人達の大切な役割なのです。

その入口が食育なのです。


 調理できる力と工夫こそ本当に生きる力となる

ビワの葉やタンポポの根っこの効用はあまり知られていません。

風邪などで喉が痛いときダイコンやショウガを下ろして飲んだり、また、お腹を下したときなどには、ニンジンをつぶしたスープが良いそうです。

野菜が持つ自然の力を今では誰も教えてくれません。

また、八百屋さんが旬の野菜の調理法をアドバイスしていた風景も、今のスーパーでは希薄なのかほとんど見ません。

昔、天皇の料理番をされていた秋山徳蔵さんは、それぞれの食材の調理法や適切な保存法を本で紹介されています。

その本には、鍋にお湯をはっただけの調理法やレンジで温めるだけの調理法はありません。

生きるために命をつなぐ大切なことは本当は手間をかけて作るもののようです。

5百円玉を持たせばお昼は何とかなるでしょう。

しかし、命をつなぐ大切な意識はどんどん遠のいていっていることが何よりも心配です。


 食育は“自己管理”の源

食べることでは、自分がどれだけ食べればよいのか、あるいは食べられるのかという自分を管理できる力も重要です。

レストラン等でのバイキングで食べ残しの皿が多いのも、食育の問題として考えていく必要があるようです。

戦国時代の小田原城主北条氏康が息子氏政がご飯に汁を注ぎ足しているのを見て、自分の食べる量も解らないようでは、人の気持ちなど解るはずがないと失望したそうです。

案の定、息子は秀吉に滅ぼされ切腹します。

名家である北条家には存続の話もあったはずです。

しかし、何度会議を開いても北条家は何の決断もできないのです。

これが世にいう“小田原評定”です。

今でこそ平和ボケした世の中ですが、昔はご飯を食べることでさえ命に関わる重要なことだと名将たちは捉えていたようです。


 まごわやさしい ~日本食は素晴らしい ~

⇒まめ=豆類・豆腐・味噌・納豆:たんぱく質とマグネシウムが豊富 
⇒ごま=ゴマ、ナッツ類:老化の原因となる活性酸素を防ぐ抗酸化栄養素
⇒わかめ=ワカメ 昆布などの海藻類:カルシウムなどのミネラルが豊富
⇒やさい=野菜:ベータカロチンやビタミンCが豊富
⇒さかな=魚類:不飽和脂肪酸のオメガ3が豊富なたんぱく質
⇒椎茸=キノコ茸類:ビタミンDが豊富
⇒いも類=じゃがいも・さつまいも:腸内環境を整える食物繊維が豊富





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# by ikenosai | 2008-11-05 16:22 | 食養生 | Comments(0)