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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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「原理主義の落とし穴」  “心地よい生き方”について考える 文化だより第20号(平成24年6月1日発行)

「原理主義の落とし穴」
   “心地よい生き方”について考える

“脱”原理主義で
      不安を解消!

 更年期の落とし穴

 思春期は第二の成長期です。育ってきた環境や周りの関わりなど、これまでどうだったかが大きく影響してきます。加えて、母親のホルモンバランスに大きな変化が現れる時期とも重なることがあり、お母さんの更年期と子どもの思春期が重なることで家族関係にさらなる不安定を招く原因にもなっていきます。それなのに、働き盛りのお父さんは毎日が仕事で忙しく、家庭を顧みる余裕のない時期でもあるようです。こんなパターンでいきますと、まず、お母さんはお父さんへの不満が増大していきます。とにかくお父さんの行動1つ1つに腹が立つようです。そして、思春期の子どもが思い通りに行かない面へも腹が立ちます。心のよりどころを失い、色々な不満や不安が積もっていき、社会の中の自分、家族の中の自分への不安定から鬱傾向にもなりやすいものです。これを乗り越えるための考え方として、まず、原理主義からの脱却があげられます。
 日本人はきわめてまじめです。決められたことに忠実に動く人が多いです。ああでなければいけない、こうでなければいけないと真面目に取り組んでいきます。しかし、取り組んでいけばいくほどに理想と現実とのギャップにがっかりしたり、辛い気持ちになったりもします。そして、そのネガティブな気持ちに拍車をかけるのが、共感できる人、話を聞いてくれる人がいない場合のようです。これが更年期と重なって特に不安定に陥りやすい大きな大きな落とし穴なのです。



それぞれの精神的自立が重要

 定年後の夫婦には典型的な悪いパターンもあります。妻に依存しすぎる夫。わがままな夫に腹が立つ妻。あれが嫌い、これが嫌だ。と夫への不満を身内にもらすようになっていきます。子どもに愚痴を言うお母さんが多いようです。お父さんがこうだったとか、こうして欲しいのにしてくれない。気遣いがない・・・などなど。年を重ねるにつれ、夫への解消できない不満をもらすようになっていくのです。その不満の始まりは、実は子育てのスタートの時期にさかのぼります。結婚したてのころから夫の妻への愛情はずっと右肩上がりなのに対して、妻は右肩下がりで定年のころには一緒にいても意味がない、むしろ自分の人生はひとりになって過ごしたいと考え、熟年離婚にまで至る場合もあります。これは厚労省の調べで明らかになっている事実です。しかし、これは夫の問題だけでもなく、妻だけの問題でもないのです。では何が大切かということです。基本は調和をとることなのです。そして、この調和は、夫婦関係だけでなく、親子関係にも、近所づき合いにも関係しています。基本的な昔ながらの考え方において現代の女性は違ってきています。一方の男性は相変わらずです。ここに生じるギャップがすれ違い夫婦の根元です。男性は結婚までは母親任せ、結婚後は妻任せで自立しないまま定年退職を迎えます。恐ろしいのは定年後、家で何もしないでゴロゴロしていることに妻はうんざりしていきます。結局、晩年も夫に振り回されていて自分の時間が持てないまま不満が積もっていくのです。基本は早いうちに膿を出し切ってお互いにすっきりした状態から結婚生活を始めることです。これができている夫婦はその後も、話し合いなど適切な解決方法でまるく収めることができるようになるのです。互いにまったく別々の環境で育ってきた人間が同じ屋根の下で易々と過ごせるはずがありません。それでも愛し合っているのであれば早いうちに良い方法をともに考えていくべきなのです。 




覆水盆に返らず ~新たな発想がカギに~

 一度地面にこぼした水はもとには戻りません。同様にこれまでのことをどんなに悔やんでも、もとには戻せません。なのでまずはこれからどうしていくか、どうしていけば良い方向に向かうかを考えるべきなのです。あれはいけない、これはいけないと極端に変えようともともと習慣にないことをやっても簡単に続くものではありません。無理していくとストレスにもなっていきます。原理主義に陥ることはとても危険です。まして、原理主義を通せば他人との関係の中で折り合いをつけるのが困難になり、中途半端なまま理解を得られないままの人間関係しか築けません。我田引水では心はいつまでたっても満たされません。自分の田んぼをまず一番下にして、他の田んぼの水を満たしていくこと、これは他人だけではなく身内にもです。その姿勢は必ず周囲を変えていきます。
 人間関係をどうしても良くしたいと考えている人へのアドバイスとしてはまず、自分の心の悪い癖を直すことをお勧めします。自分の心の中の“小さな死”を実践していくことです。なかなか出来るものではありませんが・・・。たとえば、自分のわがままを抑えて、他人の喜びになる生き方をすること。面倒なことを面倒くさがらず笑顔で行うこと。仕返しや口答えをしない。自己中心的な自分と戦うこと。執着を捨て、いつ死んでも悔いがないよう日々を生き抜くことです。そして、こんな生き方、考え方を他人には絶対に押し付けないことも重要です。なかなか出来ることではありませんが、偉いお坊さんや牧師さん、神父さんにはこんな人が結構います。極めつけはマザーテレサです。よほどの覚悟がないとできないと思います。しかし、これが実践できるようになったら必ず自分の周囲の世界が変わります。そして、居心地の良い環境の中にいることに気づくようになります。




 できた日の思い出

“祈り”千羽鶴にこめて
 
 ある生徒がバイク事故をおこしたとき皆で鶴を折りました。2学期が始まってまもなくして、生徒の母親からの電話でした。娘がバイクで車に衝突し、救急車で運ばれて、すでに3日目。まだ意識不明の重体とのことでした。理事長と話し合った結果、何もできない私たちは、祈ることくらいしかできないので、祈りながら鶴を折ることにしました。その日から皆で鶴を折りました。皆には、彼女が早く元気になって、学校に通えるように祈ろうと話しました。何人かの有志が集まり、休憩時間や放課後を利用して、鶴を折っていました。私は、鶴を折った記憶がほとんどなかったので、生徒たちに誰か折り方を教えてくれないかとたずねると、一番やんちゃな男子生徒が、俺が教えてあげるよと保育園時代に先生から折り紙を教わった話をしながら嬉しそうに教えてくれたのです。私は、びっくりしながら聞いていると、俺が折り紙をするなんて感じじゃないからなあと笑っていましたが、子どものころの思い出を嬉しそうに話していたので、とても良い先生に教わったのだろうと思いました。放課後は学校で、夜は家で鶴を折っているうちに、上手に、しかも早く折れるようになっていきました。最初は折ろうとしなかった生徒も、次第にその輪に加わってきて、いつの間にか皆で鶴を折っていました。
 事故から1週間が経っていました。鶴も千羽になり、母親に電話して、皆で届けに行きました。その日の夕方から彼女の枕元にみんなで折った千羽鶴がかけられました。皆が早い回復を祈っていたと思います。皆の気持ちがひとつになれたことが私は嬉しかったのです。こんな事故はあってはならないのですが、そこから学んだことや経験できたことが素晴らしいできごとだったと思いました。 そして、10日目に奇跡は起きました。彼女が目を覚ましたのです。意識が戻って、退院してまた登校できるようになったのです。母親にさんざん心配をかけた生徒でしたが、卒業式の日には先生方に手紙をしたためていました。母親も娘の卒業に感激し、目から涙が出ていました。私は彼女が入学したころのことを思い出していました。母親には学校に行くといいながら、サボっていて、毎日のように家から確認の電話があったこと。次第に、母親もあきらめていったのか、レポートの期日だけでも守れていたからそれで良いと思っていたのか、少しずつ娘への対応が緩やかになっていったように感じていました。他の高校へ通っている友だちが退学していく中で、高校だけは卒業したいとがんばってくれていたことが、私は嬉しかった。何度も、何度も約束を破られては、また気持ちをリセットする日々の連続でしたが、こうして卒業できて喜んでいる親子を見ることができて本当に嬉しかったのです。母親へは、30才、40才になってやっと分かってくれることがありますから、その日を信じて、今は種を蒔きましょうと話していました。卒業式の日も、この話をして別れました。卒業後も何度か学校に遊びに来ていましたが、最近はとんとご無沙汰のようです。きっと元気でいることでしょう。



お薦めの“1冊” 

 ミュンヘンの小学校
   娘が学んだシュタイナー学校

 著 者 : 子安 美知子

 出版社 : 中央公論新書

 価 格 : ¥714 (税込)
 
 何年か前、著者の子安先生に直接質問する機会がありました。シュタイナーの息の届く環境で子育てや教育に携わっている先生に対して、朝寝坊して、弁当も持たず、お金も持たず空腹の中で過ごし、ゲームやインターネットなど好きなことだけやってダラダラと劣悪な環境の中で過ごしている一部の子どもたちの存在をお伝えし、その子たちにこのシュタイナー教育ができたら、なんて素晴らしいことでしょう。もっと、もっと広めて行かれるつもりはないのですかと詰め寄ってみました。すると先生は、まず、そんな子どもたちが現実にいることに大変驚かれ、信じられないとまで言われました。私にとってシュタイナー教育は、まだまだ金持ちの道楽のような存在でしかありません。現に立川でもシュタイナー専門の学校がありながらも、学校法人としての文科省の認可は得られず、かなりの学費がかかることからも、金持ちであり原理主義者である集団の吹きだまりのような特殊な学校の様にさえ感じずにはいられませんでした。しかし、先生はがっかりされた表情の後、はっきりとした口調で、「広める気はありません。」とはっきりと断言されました。そして、「この教育は、人間が直接、人間を教育し、関わっていくものである以上は、画一化した指導書をつくったり、マニュアルを作ったりして大勢に広められるものではない。」というような内容で話されました。私はそこではっと目が覚めたのです。人間は何処かで楽な生き方を求めがちなところがあります。金さえ出せば、子どもを思いどおりの型枠にはめて製造してくれる、そんな神業を備えた優れたものに期待したり、憧れたりしているのではないでしょうか。しかし、人間本来の心に響くものは、無償で深い人間同士の心と心の関わりだと思ったのです。そしてその積み重ねによって培われていくのだと確信しました。シュタイナー教育にはそのヒントが備わっていたのです。一辺倒の原理主義ではなく、柔軟で工夫した考え方や関わり方で取り組まれてはいかがでしょうか。
 



 健康と予防

 心の安定につながる実践について

 最近の若い人たちの行動には、なぜ、こんなことをしてしまったのか?少し考えれば分かるはずなのに・・・。と言いたくなるようなできごとに出くわすことが多くなっています。1つには育っている環境、周囲の関わりなども大きく影響しています。たとえば、テレビゲームなど、瞬時に反応し進めていかなければならないようなものが非常に多くなっていて、判断力の低い状態で行動をとるといったことが日常茶飯事になっていることも考えられます。こんな状況では、結果のたびに周囲の先生や親たちに怒られることばかりになっていきます。しかし世の中が希薄になっている現代で、適切な解決策を一緒に考えてくれるような大人はそんなにはいません。発達障害などに例えられるこれらの行動には決して治せないものばかりではありません。関わりながらトレーニングすることで解決していくことも不可能ではないようです。まず、子どもたちの1日を振り返ってみましょう。食事の問題、今日はどんなものをいつ口に入れたでしょう。食事は心の安定につながっています。空腹の時間が長かったり、甘いもの、特に砂糖の多いものを摂りすぎたりしていなかったでしょうか。食生活の乱れは即心の乱れに直結しますし、食べられないことよりも食べ過ぎることの方が危険です。次に行動パターンです。1日の予定を考え、イメージし過ごせているでしょうか。これをしないままでいると、予想される問題や困難への対応が全くできません。これは受け身で動いている場合と同じで、誰かに促されないと動けない、自分自身が空っぽの状態です。以前紹介したコーチングに基づく実践が重要になります。つまり、自分で考え、自分で計画し、自分の責任で行動する。しかもその動きの中には社会との関わりなど対外的な節度あるマナーなど人間社会での調和した行動が大切です。これは自学自習では無理です。周囲、特に親の行動が子どもに影響を与えます。まれに反面教師もいますが・・・。なので基本は親の安定した社会生活が基本中の基本のようです。子どもは親を映す鏡です。日頃の子どもの様子から、自身を振り返るきっかけにしてみてはいかがでしょうか。子育ては親子がともに育つことでプラスアルファーの結果をもたらすものです。


編 集 後 記

 ~オリンピックイヤーに寄せて~

 高校時代やったボクシングでは0勝3敗だったにも関わらず推薦で大学に進学しました。家庭の事情もあり、就職を予定していたため、学費や生活費をどうやって捻出するか悩みましたが、バイトをすれば何とかなると考え、必死でバイトをして、部活動をして、夜学に通いました。私がなぜ推薦されたのか、大学に入ってから分かりました。その年は夜逃げしてしまった先輩がいたり、嘘をついて選手登録をしない先輩がいて、リーグ戦に出場する選手が足りなくて、穴埋めのためなら誰でもよかったのです。その影響でリーグ戦は降格寸前、全国大会にも出られず無名だった私にはかなりの重荷でした。1年から重い階級で登録され、増量して出場したのです。第2戦目の相手は2年連続高校チャンピオンでした。私よりも10キロほど上の階級で同い年。彼のことはボクシングマガジンなどでも紹介されていただけに私にはまるで映画「ロッキー」のような話でした。無名選手がチャンピオンと戦うのです。それでも勝負の世界は分かりません。覚悟して勝負に挑んだのです。打って打って打ちまくったらパンチが全部当たって1分間に相手を3回倒してレフェリーが試合を止めて終わりました。それから私は4連勝してチームは残留にこぎ着けたのです。私の役割はその1年目で充分だったのです。今ではとても感謝しています。結局、在学中の4年間は後楽園ホールで行われる全試合(20戦)に出させていただいたのです。あのとき持ちこたえた大学のチームは、その後どんどん強くなっていき、同郷の後輩が何人も推薦で入学してきました。今年はオリンピックの年です。20数年前には想像もつかなかったのですが、後輩からオリンピック選手が誕生しました。前回の北京に続き、今回も出場します。同じ岡山出身の清水聡さんと言います。ぜひ応援してください。

 地球レベルで考えますと、私たちは人類という大きなチームの中のリレー選手のように感じます。そして今、バトンを持って走っています。この先どう走っていくべきかを考えなければなりません。それは誠実に走りながら色々なことをイメージし、実践しながらです。この先でバトンを受け取る次の世代のことをしっかり考えていくことが大切になります。イメージの基本は、善きことを思い、善き行いをしていくことだと思います。原発の問題について賛否両論ありました。あれだけの反対があっても節電どころか、経済の安定をまずは重視していくでしょう。企業があれだけ安い電気に依存している以上、それを止めたり、料金の値上げをしてしまえば、コストは上がり、やがて大インフレに陥ることも想像できるでしょう。未来を担っていく子どもたちのために考えなければならないこれからのことにも色々な選択肢はあるように思います。

 私が大学1年のとき、いくらでも逃げ出すことはできたと思います。一緒に寮に入った期待の新人ともてはやされた関東地区のチャンピオンは入学して数ヶ月で田舎に帰ってしまいました。そして、残された私たちは更なる茨の道を歩んだのです。それだけにそのころのことは特別な印象を残し、語りぐさになっています。私は昨年までの8年間、大学の要望でそのころの話をキャリア教育の中で学生たちに話させていただきました。もう二度と歩みたくない過酷な時代でしたが人生はただ一度だけ、そう思うと、すべては一期一会なのです。だから精魂込めて頑張れたのだと思います。今はただただ感謝です。

 困難、苦しみ、悲しみを誰も好んでまでは経験したくないでしょう。しかし、人が成長する一番の近道はこういった困難や苦しみなどの経験なのです。今、困難、苦しみ、悲しみを感じている方がいらっしゃいましたらどうかこの先の明るい未来を信じてぜひ乗り越えてください。そして、この困難や苦しみ、悲しみを大きく成長していくための糧にしてください。明るい未来への到達を心より祈っています。(S・I) 
              (http//ikenosai.exblog.jp)

# by ikenosai | 2012-06-30 01:08 | 文化だより | Comments(0)

春眠暁を覚えず






Gift de お花屋さん

















 ゴールデンウィークの前の週、急に暖かくなった。

寒い季節には気づかなかったが、日々の残業で睡眠不足だったことに私は気づいた。

朝6時過ぎには家を出る。

いつもなら電車の中で10ページほど本が読め、乗り換えたバスの中でも読めていた。

しかし、全然進まず、ウトウトとしてしまう。

帰りのバスの中ではぐったりして、本どころではない。

暖かさのせいか、眠くて眠くて耐えられない。

仕事は進まず、非常に効率が悪い。

なので、さらに残業になってしまう。

車の運転も不安だった。

長時間だったら事故に遭いそうなくらい眠気に襲われる。

その週だった。

日本全国で、交通事故が多発していた。

きっと、普段と変わらぬ、睡眠不足の人々による事故だったと思う。

しかし、普段と違っていたことを私は強く感じていた。

それが、気候の変化だった。

暖かさは、眠りを誘う。

安眠へつながる最高の季節。

暖房もいらない、布団も薄いので充分な季節。

しかし、眠る場所を間違えると大変なことになる。

暖かくなる季節の変わり目、日々の睡眠はしっかりと布団の中でとらなければと思う。

そして、充分な体調で仕事へ向かいたい。

自己の健康管理は他人に迷惑をかけないため・・・。

それは巡り巡って自分のためである。

乗り物で人の命を預かる仕事、公共の場に出る仕事は特に意識が必要になる。

便利になった反面、速さに比例して、事故への危険性は高くなる。

そして、安くたたかれて引き受けている仕事には、かけられない費用分の危険が伴っている。

命が何より大切だと思うから、私は少々お金がかかっても安全な方を選びたい。

飛行機だって、船だって同じである。






# by ikenosai | 2012-05-02 01:07 | 私的視点 | Comments(0)

さくらが咲いた日・・・

さくらが咲いた日・・・_e0148909_22235930.jpg


 4月4日水曜日
 真夜中に義理の母が危篤となり、急いで西荻窪までタクシーに乗って行った。
もうすでに呼吸は荒く、酸素マスクがかけられていた。
「お母さん、来ましたよ」と声をかけると、うなずいてくれた。
夜が明けて、私は一旦職場に向かった。
そして、ひたすらパンを焼いていた。
午前10時過ぎ、連絡があった。
いよいよとのことだった。
フランスパンにクープを入れているときだった。
服を着替え、バスに乗り、電車に乗って急いで病院に向かったが息を引き取ったあとだった。
誰も臨終には立ち会えなかった。
慈悲に満ちたやさしい母は静かにひとり旅立っていった。
私を丸ごとやさしい愛で新たな義理の息子として受け入れてくださった母との15年間が少しずつ思いおこされては涙が溢れてきた。
お母さんありがとう。
いくつもの素敵な思い出を、そして感謝が込み上げ、ただただ手をあわせていた。
 お母さんに観ていただきたかった桜はとうとう間に合わなかった。
その日の帰り道、立川の桜並木には少しずつ桜の蕾が開いていた。
青くきれいな空に白い雲がはえて、目がくらむような明るさで私を包んでいた。

眠気とともにくらくらとしながら私は空を見上げていた。

さくらが咲いた日・・・_e0148909_2224197.jpg


 翌日
 納棺のあと、実母と姉を連れて井の頭公園にいった。
たくさんの人が咲き始めた桜を観ていた。
棺の中で静かに眠るもうひとりのお母さんにこの桜が届きますように・・・。

さくらが咲いた日・・・_e0148909_22243650.jpg









# by ikenosai | 2012-04-05 22:52 | 照于一隅 | Comments(0)

娘の卒業式で・・・

 3月23日(金)娘の小学校の卒業式。

どんより曇っていたがいつの間にか会場の屋根から雨音が伝わってきた。

式が始まって娘が入学した頃のことを思い出していた。

ずいぶん大きくなったなあと感慨だった。

そういえばあの頃から見ていない同級生たちがすっかり大きくなっていた。

あっという間の6年だった。

6年生になってから、本当に楽しかったと娘はよく話していた。

担任の先生とも相性が良く、もう1回6年生がしたいとまで言っていた。

1学期にあった運動会は、雨で2回も流れ、平日になってしまって私は行かれなかった。

震災後の修学旅行は日光だった。

学習発表会の劇は、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」。

感動して涙が出た。

今思えば、娘の成長の過程に、先生がいた。

私は自分が小学6年の時を思い出していた。

そういえば、私も担任の先生に恵まれていた。

色々な思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。

そして、今、目の前にいる娘の姿と重ねて見ていた。

この瞬間に立ち会えて良かったと感謝の気持ちが込み上げてきた。

まだまだ、大人までには半分近くの歳月がある。

まだまだ、大きな可能性を、希望を持っているこの子たちが輝いていた。

私にはそう見えた。

それぞれの希望で輝いて見えた。

証書授与のときに将来の夢を大きな声で宣言していた。

みんな大きな夢を抱いて巣立っていった。

このときのこの瞬間、昔の私を我が両親はどんな思いで見ていたのだろう。

大好きだった、あこがれだったあのときの担任の先生はどんなまなざしで私たちを見送ってくださっていたのだろう。

そう思うと、素直に感謝の気持ちがどんどんどんどん込み上げてきた。

笑顔の子、恥ずかしそうにしている子、泣いている子、大泣きしている子。

私の卒業式では泣くこともなく、淡々と終わらせたように思う。

それでも、先生とのお別れは寂しかった。

そして、中学に行くのが少し不安だった。

こんな思いになれたのも、きっと幸せだからだとつくづく思い、またまた感謝の気持ちが込み上げてきた。

ありがとう、我が娘、ありがとう、担任の先生、そして、天国にいる私の担任の先生。

誰かのおかげで生かされている。

本当に日々が感謝でいっぱいになる。

そして、娘の成長の大きな支えとなっているうちの奥さんにも、ただただ感謝が込み上げてきた。

卒業おめでとう。

そして、ありがとう。

# by ikenosai | 2012-03-23 22:57 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

地上の楽園ハワイにて

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 3月5日(月)(現地日時)
 日本とは19時間の時差でハワイにいる。
時計の時刻設定を変えないまま5時間足して過ごしている。
一日遅れのカレンダーなのであまり気にしていない。
ワイキキビーチは1日雨が降っている。
海のリゾートなのに一日雨だとどこにいてもそんなに変わらない。
しかも、海の見えない部屋では、缶詰状態。
空港からずっと食べ詰めているせいか、食欲もない。
疲労もあってか歯が痛いので鎮痛剤を8時間おきに飲んでいる。

 翌日6日(火)
 今日も相変わらずの雨で、ビーチにも行かれず、午後のみ水族館で過ごすこととなった。
それでも、水着に着替えてホテルのプールに入った。
3月の水はまだまだ冷たかったので、入るのに少し覚悟がいった。
一旦入れば、結構慣れてきた。
それでも、隣のジャグジーに入ってしまえば、やはり、そっちの方が良かった。
炭酸ガスの混じった水のせいか、水着の色が青から茶色に変色してしまった。
雷がなったり、ストームに襲われたりで、とてもリゾートにきているとは思えなかった。

 翌々日7日(水)
 やっと晴れ間が見え、清々しい朝を迎えた。
今日はパイナップルのプランテーションに行く日だった。
前日からの長雨の影響で、残念ながらドールのショップにしか行かれなかった。
夕方、戻ってきてから少し時間があったので、ワイキキビーチを散歩した。
海に足を入れると、まだ日本人の私には冷たく感じた。
それでも、このわずかな晴れ間にと水着に着替えて海に入っている人たちで賑わっていた。

最終日8日(木)
 一路、日本へ。
残りの12ドルと少々でTシャツを3枚買った。
残り1ドル31セント。
さすがに空港のロビーではスターバックスのコーヒーは買えなかった。
それでも店を探すと、1店舗のみ買える店があって缶コーラを買った。
6セントが残金で残った。
3万円分のドルもほとんどがおみやげに変わってスーツケースの中にぎっしり詰まった。

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 他愛もないことを考えて・・・。

 月曜日から金曜日まで家を空けていると、やはり大切なものがはっきり見えてくる。
私は何のために生まれ、そして生きているのかと帰路の飛行機の中で考えていた。
地上の楽園と言われるハワイをあとにして、考えている。
私の一番大切なもの、迷わずうちの奥さんだとつくづく思った。
そして、ふたりの子どもたち。
この家族がいるだけで本当に幸せだと感じた。
病床の義母を心配し、思う妻からも、大切なもののつながりを感じる。
妻の大切なものはやはり私にとっても大切なもの。
もし、この飛行機が墜落しても後悔はない。
愛し尽くした思いがあれば悔いは残らない。
神のご加護、仏の慈悲を賜り、家族のもとに帰ることができたなら・・・。
その思いで、ひたすらおみやげを買っていた。
何が楽しくて・・・。と思うが?
私には思い出の共有を少しでも、という思いからだと思う。
きっと喜んでくれるかもしれない。そう思うだけでわくわくして、気がつけばあっという間に持っていったドルは使い切っていた。
妻が喜ぶ顔、子どもたちが喜ぶ顔、そして、みんな・・・。
地上の楽園ハワイには、ホームレスもいた。
どこかの国から流れてきたホームレスもいるだろう。
年間を通して、とても過ごしやすい気候は、それだけで感謝の気持ちが込み上げてくる。
やがていく彼岸には、ホームレスも長者もない。
現世にどれだけの課題を残していったか・・・。
そのくらいの違いだと思う。
そう思うと戦争は人類の残した大きな負である。
太平洋戦争はこの地から始まっている。
それぞれの戦没者の家族がどんな思いでこれまでを乗り越えてきたかと思うとやはり切ない。
戦争のない時代に生まれてきてただただ感謝が込み上げてきてしかたがない。
病床の義理の母は、幼いときに父親が出征している。
そして、帰らぬ人となった。
私が、娘、息子と楽しく過ごしているとき、本当に嬉しそうに私たちを見てくれている。
私には、その瞬間がものすごく嬉しい。
義理のお母さん。ハワイで買ったアロハシャツが着られる日まで、どうかその季節まで、そして、その後もどうか、どうか元気でいてください。
今思っているささやかな願い、私にとっては大きな願い。(3月9日 復路機内にて)


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# by ikenosai | 2012-03-09 23:52 | 現世に乾杯! | Comments(0)