いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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新しい年を迎えました!


新しい年を迎えました!

あっという間に過ぎた年末年始!

1月4日から仕事始め!




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クリスマスの食事は、鴨肉、スペイン風オムレツ、鶏肉のサイコロステーキ、魚介のクリーム煮スープ、
蟹のフィットチーネ、大根とロースハムのサラダ、スパークリングワイン、子どもはソフトドリンク


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12月30日の早朝に深夜バスで帰省!
実家の居間の天井・・・!


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元日は息子と2時間半の散歩
遠くに那岐山(中国山脈)


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中学・高校時代はこの池で泳いでいたが、
今は怖くて泳げない・・・!


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地元の氏神様!


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いつもの近所の蔵!


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1月3日の早朝深夜バスでUターン!
うちの奥さんの焼津にいる友人からいただいたマグロを寿司にして!


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ほぼ、大トロの美味しいネタ!

そして、これから仕事始め・・・!






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# by ikenosai | 2017-01-04 09:32 | 食べること | Comments(4)

娘たちの作品展


12月17日(土)

午前中から五日市まで柚狩り。

そのあと、昼食を兼ねて知人に連れられ「瀬音の湯」へ。

その後、妻と待ち合わせて娘の高校の作品展を八王子駅前の東急スクエアまで観に行った。


作品展は、残念ながら16日(金)~18日(日)までの3日間のみ。





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五日市からさらに奥へ




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昨年と同じ柚の木の剪定


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今年は少なめだった!



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夕方から八王子駅前の東急スクエアへ



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入り口の看板も娘の絵!


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外に面した優秀な生徒たちのコーナー


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中に入って娘たちのコーナー
パンダ好きの娘の作品(左から2番目)







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# by ikenosai | 2016-12-24 10:08 | 子育て 一期一会 | Comments(2)

第3夜 山背(やましろ)に散る



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 第3夜 山背(やましろ)に散る 


 19歳の11月、オリンピックの予選で京都に来ていた。

一週間分の荷物を大きなバッグに詰めて来たが、3回戦で敗れ、帰ることになった。

同じ日に負けた後輩と京都駅で別れ、僕は音信不通になっていた彼女のところに行くことにした。

アドレス帳を見ると石清水八幡宮の近く。

場所をしっかり確認してそこに向かった。

すぐに住所は見つかったが留守だった。

何時間か時間をつぶし、再び戻ったがまだ留守だった。

やはり、会えないのかと呆然と立ち尽くしていた。

すっかり日が暮れて、しばらく経って彼女の部屋の方を見ると、明るくなっていた。

僕は急いで玄関に行き、ノックをした。

僕の顔を見るなり気まずそうな彼女には、かつてのワクワクするようなやさしいまなざしはなくなっていた。

全日本選手権でベスト16までいったこと、そして、これまでのことをたくさん話したが、結局、長居もできず追い出されてしまった。

その様子から、新しい男がいるに違いないと悟った。

もう、ここにはいられない。

切なさもあったし、試合の疲れもあって、どうでもよくなっていた。

駅に向かい電車に乗ったが、次の淀駅でその日の電車は終わってしまって、どうでもよい気持ちが加速し、考える力もなくなってしまっていた。

しかし、失恋とは裏腹に空腹を感じ、駅前に1軒だけラーメン屋があったのでそこに入り、がっくりと肩を落としラーメンをすすっていた。

試合にも負け、さらに失恋の傷手はかなり堪えた。

ラーメンを食べ終えても、どうすることもできない。

しかし、ここに留まるわけにもいかない。

ぼんやりとしながらも時折、これまでのことを振り返っていた。

1年前の冬、一夜を共にした日のことを。

あの柔らかな肌に触れ、唇に触れ、一点の曇りもない思いを彼女に寄せていたこと。

それだけを思い出し、それだけを励みにひたすら東京でがんばっていたこと。

さっきまでその思いは続いていたはずだったのに・・・。

なのに、あの一瞬で崩れてしまった。

たったこれだけの出来事にも左右されるほど重い恋だったのかとも思った。

何も手に付かないほどに僕の心は傷ついていた。

もう取り戻すことのできない現実から逃れようとして、歩いていた。

そして、遥か遠くに見える京都タワーを目指して歩いていた。

パラパラと降り始めた雨の中を傘も差さずひたすら歩いていた。

おおよその見当でも10km以上はあったはず。

それでも“トコトコ”歩いた。

そのとき僕にはそうするしかなかった。

無気力だったが、止まることもできず、歩くしかなかった。

今さら雨を理由に彼女のところに戻る訳にもいかず、ただただ京都タワーを目指して雨の中を歩き続けた。

雨に濡れ、上着が重くなっていった。

さらに、1週間分の遠征の荷物の重さも加わり、体力は一気に消耗していった。

真夜中の京都で、降りしきる雨の中を僕の抜け殻が歩いていた。

あれだけ遠くに見えていたはずの京都タワーが少しずつではあるが大きくなっていた。

真夜中の雨と失恋の痛手で身も心も完全に冷えきってしまって・・・。

暗闇の道はときどき車が通り過ぎて行ったが、ヒッチハイクをする気にもなれず、この傷手を味わいつつ、センチメンタルな自分にただただ酔いしれていたのかもしれない。

京都タワーが見えなくなった。

見上げると、すでに真上だった。

駅舎はまだ開いておらず、入り口の階段に腰を下ろし、丸くなっていた。

動きを止めてしばらくたつと寒くなってきた。

湿った服からしみこんできた水分で冷やされた体がブルブルと震えてきた。

疲れと寒さ、しだいに遠のく意識。

そんな中でシャッターの開く音で再び意識が戻った。

西に向かうホームに行き、最初に来た電車に乗り込んだ。

網干行きだった。

これなら終点まで行っても平気だった。

コトコトと電車が動き始めて足元のヒーターがじんわりと足を温め始めた。

そして、心地よさからかしばらく深い眠りについた。

明石を過ぎた辺りから停車するごとに目が覚め、姫路で姫新線に乗り換えた。

たまたま、津山までの直通の列車がホームに入っていて急いでそれに乗り込んだ。

どんよりとした早朝に、湿った空気が立ちこめる客室にぱらぱらとしか座っていない乗客。

4人掛けの向かい合わせの座席に座り、靴を脱いで向かいの席に足を乗せ、小雨の降る外をぼんやりと眺めていた。

播磨高岡、余部、太市、本竜野、東觜崎、播磨新宮、千本、西栗栖、三日月、播磨徳久、佐用、ここまでくれば、あとは目をつぶっていても、家に帰れる。

ノスタルジーの風に誘われて、初恋を思い出していた。

大人への階段の途中、あれは、中学2年の夏休み、自転車で兵庫に入り、千種川を下って相生に行った時のことがよみがえってきた。

まだまだ青く、失恋も淡々としていたように感じていた。

あのころに比べると、失恋のレベルも随分と変わっていた。

やはり失恋のダメージは大きかった。

それはかなりのものだったのだろう・・・。

家についてからも一日中布団に潜り込んでしまって、何もする気がおこらなかった。

どんなに思いを寄せていても、あの人にはこの思いは届かなかった。

それでも、思い尽くしたという妙な満足感だけがしばらくの間僕の支えになっていた。

そしていつしか、そんな思いも薄れていった。


数年後のクラス会、彼女と久しぶりに会うことがあった。

もうすでにニュートラルな気持ちになっていて、違和感や不安などなくなっていた。

しかし、彼女の方は気まずそうだった。

彼女の口から「結婚するね。」と一言告げられた。

僕は精一杯の笑顔で「おめでとう。」と応えた。

それから10数年が経った。


 次に会ったとき、僕も結婚し、それぞれが独身ではない関係でお酒を飲む機会があった。

それは、昔の仲間を交えてのことだった。

彼女の苗字が結婚前に戻っていた。

どこでボタンを掛け違えて来たのか、恋焦がれていたあのころの懐かしさと、破局を迎えてしまった彼女の心境を思うと、複雑な切なさが鈍痛な感覚ではあったが、ジワジワと僕の心の中に伝わってきた。

しかし、彼女の本音はわからない。

本当は清々しているのかもしれない。

それでも、僕ならば、僕が彼女の夫ならばきっと後悔するに違いないと思った。

図々しくも、「僕と結婚していれば良かったのに・・・。」と思ったが、その言葉をそっと心の中に閉じこめた。

果たして、彼女は今幸せなのか・・・。と、ときどきそんなことを思う。

あれから何年か経ってしまったが、彼女とは会っていない。


 今ごろになってつくづく思うことがある。

あのころの僕は青く、無垢な心だったのだと・・・。

奈良の都の平城京、やがて月日が経ち、色々あって山の背に遷都された平安京。

山城(山背)の地名の由来を高校時代に習った。

彼女はそのころ、同じ教室で過ごしていた。

しかし、あの京都での出来事は、僕にとって、しばらくの間、応仁の乱のあとのようだった。

まるで焼け野原のようになってしまって、心の傷手に支配されていた・・・。

そして、修復しないままになっている。

完治する傷ではないけれど、それを忘れられるものを求めて生きてきた。

振り返れば、感謝とともに、心の中の風景は古都の味わいに変わっていた・・・。

僕を穏やかな心へと運んだものは、新しい人との楽しい時間の積み重ねに他ならない。


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# by ikenosai | 2016-12-18 16:13 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)

第5夜 いでし月かも


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 再び金浦空港に降り立った僕を出迎えてくれたのは一つ歳下の女性だった。

タクシーを拾ってソウルの街まで、それぞれの国の言葉が解らないので、片言の英語で話すだけだった。

それでも、笑顔だけは絶やさず過ごしていた。

レストランの立ち上げで来たものの、幹部がごっそりクビになり、通訳も辞めていた中、技術指導を任されていた。

 会社に残った彼女たちは、右往左往しながらも何とかお店のオープンまでの準備でてんてこ舞いの様子。

僕はただ、僕のペースでしか関われず、開店、昼のピーク時、そして、夕方、閉店とピンポイントで店に入っていた。

午前中は学校を卒業したての男の子が入り、彼女はランチ前から閉店までの勤務だった。

アメリカ留学の経験がある社長はワンマンで、売り上げ金を途中で持っていくもんで、こちら側の経営マニュアルなど通用しない。

表向きの部分、店の雰囲気だけを日本から盗もうとしているのが伺えてはいたが、こっちも上からの命令で、動くしかなかった。

このまま行くとこの経営は沈没すると思っていたが、互いの苦労をねぎらい、励まし合うように彼女と僕は働いていた。

 店から道を挟んだ向かいのホテルに僕は泊まっていた。

ここで2週間過ごす。

時折、部屋の窓から店の方を見下ろしていた。

 ある夜、ホテルの窓から見下ろすと、歩道のベンチで休んでいる彼女が見えた。

閉店してすぐに帰るはずの彼女がぐったりと疲れた様子。

地方の町「春川」からソウルに上京してきている彼女は一人暮らしだった。

地下鉄に乗って帰るはずなのに、なんだかうつろで寂しい表情に見えた。

僕は窓を開け、彼女に声をかけた。

見上げた彼女が「おおう!」と指さした。

そこには大きな満月が夜空に映えていた。


 僕も思わず「おおう!」とオウム返しに言葉を発し、「ジャスターモーメント」と言って、下に降りて行った。

今、ここで何をしているのかたずねると、「タイヤード」と答える。

「ハングリー」と返すと、「イエ(はい)」と答えるので、静かなレストランに連れて行った。

入ってみると、そこはイタリアンレストランだった。

日本ではすでにブームは終わっていたが、この国ではまだまだ高級感が漂い、高いメニューに彼女は戸惑っていた。

「ノープロブレム、アイハブイナッフーマネー」と言うと「リアリー」と言って元気になってメニューを見始めた。

日頃から疲れ切って家に帰るだけ、そして、リフレッシュもできぬままで、次の日も、その次の日も仕事にきていたのだと思う。

僕が切り出し、コースを注文したが、ワインは「ノーサンキュー」とのこと。

どうやらアルコールが飲めない様子。

それでも前菜、サラダ、肉料理、ピッツァ、パスタを食べきり、最後のデザートは僕の分も食べた。

僕は白のグラスワインを飲みながら、元気になっていく彼女を見ているだけで嬉しかった。

片言の英語で話す会話はなかなか通じず、時間がかかることもあった。

それでも、お互いに興味があったのか、夢中になり、あっという間に時間だけが過ぎてしまっていて駅に行くも電車はすでに終わってしまっていた。

 困った様子の彼女に僕は戸惑ってしまった。

それでも、疲れを癒さなければと思い、僕の部屋に連れって行った。

ホテルの歯ブラシやタオルを渡し、僕はソファーで寝て、彼女にベッドで寝ることをジェスチャーで伝えると彼女は何も言わず首をたてに振った。

明け方目が覚めると彼女はもうすでに起きていて、身支度もしてベッドに座っていた。

あと1時間もすると僕は店に行かなければならない。

彼女はまだ休める。

それなのに、彼女は「プリーズ」と言って僕をベッドの布団の中に入るよう勧めた。

「ドンウォーリー」と言って1時間後に起こすと言っている。

そして、彼女がソファーに座った。


 次に目が覚めたとき、僕の顔の真上には彼女の顔があった。

僕の頬に手を当てて、笑顔で気持ちよく起こしてくれた。

言葉は通じなくても、心が通じているような嬉しい気持ちになって目が覚めた。

僕は、あくびをしながら起きあがり、彼女に鍵を渡して、出るときにフロントに渡すように伝えた。


 昼前になって彼女が店に現れた。

何だか僕だけがそわそわとした感じだった。

そして、以前より彼女が美しく見えていた。

彼女との間に誰にも言えない小さな秘密ができてしまった。

その日の夜は早めに帰って僕は眠った。

煌々と輝く月夜の下でカーテンを開けて眠った。

彼女と一緒に海に行った夢を見ていた。

大きな月の下で手をつないで何も言わないまま足早に浜辺を歩いている。

時折振り返ると月夜に照らされた笑顔が、昼間の明るさの中にいるようにくっきりと見えていた。

彼女が気になってしかたがなかった。

 目が覚めた。

やはり彼女が気になってしかたがなかった。

彼女は休日だった。

会えないだけで、何だか切なくて、不思議な感覚だった。

それはまるで思春期のような独特の感覚だった。

そして、胸がキュンとなるような苦しみに襲われていた。

一定ではなく、落ち着いたり、急に激しい苦しみを伴ったりして、不安定なものだった。

何だか彼女がいないだけで、仕事に行く気持ちもイマイチだった。

通訳もなく進めていく仕事は、思い通りにはいかなかった。

それでも、彼女の来る日は違っていて、楽しかったし、彼女も僕の進める仕事に協力的だった。

 ある夜、みんなに声をかけて、飲みに行った。

もちろん、彼女も一緒だった。

二十歳そこそこの若者ばかりだったので、彼女は少し落ち着いて見えた。

みんなで飲んでも、僕と彼女だけが少し年上で、その輪から外れているような感じだった。

それもあってか、僕と彼女は弾き出され、いつの間にかくっついていた。

僕はテレていたが本音は嬉しかった。

大した会話ができている訳ではなかったが、そうしているだけで嬉しかった。

何となく安心できる感覚が異国での孤独感を癒し、心の隙間にすっぽりとはまってしまっていた。

不思議な感覚だった。

どこの国であれ、僕には彼女のような女性の存在が大きかった。

それでも、何時か離れていくときのことを考えると、それ以上彼女との距離を縮めることはできなかった。

紳士のような距離間を保とうと僕は誓っていた。

気がつけば、懸命に仕事の後押ししてくれている彼女が側にいた。

 そして、最後の日はやってきた。

日本人の父を持つパートのおばさんが別れを惜しみ、涙を流しながら「さようなら」と言っていた。

この国との関係の複雑さを日に日に感じていたこともあって、彼女を好きでありながらも複雑な心境で深入りしないよう努めていた。

彼女も日本人の僕への何か、違和感のようなものを感じていたと思う。

それでも、好きだという純粋な気持ちを僕なりに大切にしていた。

ひとりひとりと握手をし、お別れの言葉を言って店を出た。

 空港まではタクシーに乗って行った。

空港までの見送りは彼女だった。

無言のまま後部座席の隣に座っていた。

乾ききった雰囲気の中で目も合わさず、帰国する感じだった。

僕は寂しかった。

彼女がどこの国の人であろうと、純粋に好きだと思った。


 出国手続きを終え、出発ロビーに来た。

いよいよ別れなければならない。

やはり寂しかった。

やっと目を合わせた僕たちは、純粋に抱き合った。

額と額をくっつけて、彼女の額に僕は唇を付けた。

そして、「ソーロング」と言葉を掛けた。

離れ際に、何とも言えない寂しい感情に襲われていた。

彼女の目には涙がきらりとしていた。

僕も充血した目を感じていた。

もう一度、抱き合ったらきっと唇にキスをするだろうと思った。

しかし、そこで止めて背を向けた。

 エスカレーターを下りはじめたら彼女が「ムーン・・・」、「ファーストナイト・・・」「ドゥーユーリメンバー・・・?」と大きな声で言っていた。

しかし、エスカレーターが降りていくと、言葉もかき消され、あわただしい出発前の機内へと入っていった。


 成田に着いたのは夜だった。

細くなった月が空に見えていた。

耳に残っていた彼女の声とともに、幻のような恋が記憶の中から、遠くへ、遠くへと離れていくのを僕は感じていた。


 小さな涙がきらり・・・。

滲んで見える空港の灯りをリムジンバスの窓から眺めていた。

大きな月を思いだし、酔いしれていた。

そして、あの夜に思いを馳せて、小さく「さようなら」と呟いた。

それは、もう会うことのない異国の彼女に向けてだった・・・。



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# by ikenosai | 2016-11-12 00:28 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)

文化だより 第31号(創刊から10年の総括 最終章)

  文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
   第31号 (平成28年 10月 1日)
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
  特定非営利活動法人 文化高等学院

   子育ては親子ともどもを
       “育て直す”きっかけとなる!
         (創刊から10年の総括“最終章”)


“他田引水”は
「生き易さの智恵」

 
 人は長く生きていきますと色々なことを考えます。紆余曲折あって、色んなことを感じ、学んでいき、そして、不思議なくらいに多くの人が似たような答えにたどり着きます。大往生といえる人生を送りますと、自然と感謝の思いがこみ上げ、生き抜くことが人生のプロセスとして大切で尊いものだと語るようになります。次世代への思い,さらに、自分の亡き後のことを意識するようになり、子々孫々への思いも出てきます。しかし、案ずる気持ちが強ければ、過保護に、自分を立てようとすれば、相手への配慮に欠け、人間関係に悩んでもいきます。しかし、苦難によってその苦難を乗り越えていく過程に感動が隠れているのです。

 悪いことのあとには良いことがあり、苦労し、乗り越えたことで感動は生まれるのです。挫折はその人を育てる好機になるものなのです。全ては受け止め方で自分にふりかかる出来事への価値が変わると言うことなのです。そして、充実感を感じる喜びの根底には人に喜んでもらえることが大切です。自分のことだったら折り合いを付けて、やめそうになるようなことも、他者の喜びのためとして取り組むと、頑張り甲斐が出てきますし、意外や意外、自分のこと以上の喜びが得られるものです。さらには大勢の人々へも大きな感動を与えるものなのです。

 現代の子育てや教育の中で「利」についての捉え方が大きなカギになっているでしょう。「利」をできるだけ自分のところへと持ってくる技術をいつの間にか教えている場面が多く、自己責任の捉え方もズレています。信号待ちで青になって横断歩道を渡るとき、青だからとそのまま無意識に渡るのは危険を伴います。安全確保の習慣があれば、信号に関係なく、周囲の車や自転車、歩行者の動きなど安全確認をしてから渡るでしょう。車と人との事故だと、一般的には車のほうが悪くなります。しかし、そんな意識では本来、自分を守ることはできません。歩きながらゲームをしたり、ヘッドホンで音楽を聞いているのは自分を守る意識が乏しいのと同時に社会との接点での自己責任が果たせていないことになるのです。また、素直に謝れない人も同じです。謝ることが「損」だと思う価値観は、やがて、自分の責任を認めず、他への責任転嫁ばかりの生き方へと繋がっていきます。自分を立て、自分を守ることで精一杯の親であれば、他人を思いやるゆとりなど子ども達に伝わっていくはずがないのです。


 幸福感をつくる小さな“ワークショップ”

 人の社会の中で生きていきますと、対人関係が生まれてきます。そうしますと多かれ少なかれ、優劣や損得の意識も生まれやすいものです。社会的地位や名誉など、目や耳で分かるもので評価をするようにもなりがちです。学校の成績だって優秀であればあるほど嬉しいのはごく自然な感覚です。子どもを授かってから乳児期の子育て中に、病気や怪我に遭遇しますと、元気でさえいてくれればそれでいいと思ったりもしたはずなのに、親同士、親戚同士等々、色々な付き合いの中で、少しずつ比較していくようになっていくのが人の性(サガ)なのでしょう。習い事を始めたり(本人の意志で進めばそれは素晴らしいのですが)、親の思いを洗脳させたりして、より学力の高い学校へと欲も出てきます。今でも学校名だけで優劣をつける人は多いもので、有名校や偏差値等の上位校に行かせたくない親なんてそんなにはいないでしょう。いつの間にか、子どもにかかる期待から、生き辛さなど心へのストレスを与えてしまうことも。周囲がそうであれば、そんなもんだろうと思い、ついつい子どものメンタル面などは考えません。原点に立ち帰って何が大切かを考えることも必要になります。人の行動は、言われてやること、指示されてやることではいずれ、やる気がなくなっていきます。それは勉強も習い事も同様です。自己の心の内側からこんこんと湧き出る意志の表出でなければ長続きだってしにくいものです。自分で目標設定をして、覚悟しなければその先で目標を見失ったり、ちょっと嫌なことがあったりして、動けなくなったりと、何かの形で拒絶反応が起こるのです。それは、小学校か、中学校か、高校か、いやその先の大人になってからかもしれません。がんばれる気持ちは大切なのですが、がんばらされている気持ちはその後に大きな落とし穴に落ちてしまうことが多く、そのままでいても幸福感につながる、心の中に必要な丈夫な根っこがないまま大人になってしまうのです。

 長く生きていれば生老病死はさけられないものです。年をとり、加齢に伴い病気にもなります。生活習慣が悪ければ癌や脳卒中、心臓疾患等のリスクも高くなります。特に食生活の乱れは心の乱れにもつながります。それでは、どうすれば善い生き方になっていくのかという方向付けと言いますか、課題が出てきます。「生き易さ」について考えますと、自分中心のこだわりをなくしていくことがカギになります。我慢していくと心の病気も心配になります。ここで重要なのが自己をコーチングする技術や力になります。太い心、折れない心をつくる取り組みになります。そこには「覚悟」が必要になります。何でもそうですが、できたらいいな、誰かがやってくれれば・・・?なんて思っていてもいつまでもそのままで変わらないものです。変わる心のきっかけは自分が変わろうとすることから始まります。例えば関わる相手に期待するのではなく、自分からはたらきかけること。意識した、理想的な言葉かけなどの取り組みをこちらからつくっていくことが重要になります。そして、そこでの取り組みの中で、結果がすぐにでることもありますが、なかなか出ないこともあります。真理に基づいたことであれば、最終的には天国に貯金をするような気持ちで継続すると、気持ちのおさまる場所が心地よくつくられていきます。なかなかつくられないようでしたら、工夫して小さくステップアップしていく必要があります。誰かに喜んでもらう生き方や先祖が何を望んでいたのか等を想像したり、共感しようとする意識がやがて善き思い、善き行いへと自身を高めていくことでしょう。そうやって善人が増え、小さな平和が結集され、大きな平和へと膨らんでいくのです。



“明確な目標”
 意識できる環境を!

 思うこと、目標などの標語の掲示で常に意識できる環境がつくられれば、ネガティブな意識を取り除くことができます。やさしい言葉かけを意識し、悪い発言や悪い意識を減らす工夫で善き行いへと変わっていくでしょう。それを証明しているのがマザー・テレサです。彼女の開いた「孤児の家」の壁にはこんな言葉がかかっています。

“考える時間を持ちなさい
祈る時間を持ちなさい
笑う時間を持ちなさい
それは力の源
それは地球でもっとも偉大な力
それは魂の音楽
 (中略)
施しをする時間を持ちなさい
それは天国へと導くカギ”

 こうした言葉が目に触れ、口にされ、行為を支える意志は常に反復され強固になっていくのです。
 幸福の原点は人に期待せず、まずは自分が変わっていくことなのです。それも根気よくです。子育ても親が変わらなくてはならないというのが子育てに悩む親御さんたちの関わりの中で得た今の答えです。



潜在能力は多様な人々との交流から

 行為を支える原動力は興味があるときにこそチャンスです。それが若ければますます道が開けるものなのです。経験値を高めるためにも、見聞が広がる環境の整備が必要で、それによって可能性は高まっていきます。本人を取り巻くもの、周囲の大人たち、交友関係の影響等々、社会的な資源から多くのチャンスに恵まれていくのです。ただし、裏を返せば、悪への誘惑もあるのです。何が大切なのかと考えますと、やはり、関わりなのです。関わりということは、親もそれなりの覚悟と意識が必要になるのです。



 幸福を反復させる

 子育てで一番楽しかった頃、子どもが可愛かった頃を思い出してみてください。その頃の可愛い写真をよく目にする場所に置くだけでも心のありようが変わってきます。子どもが思春期の頃からどんどん変わっていき、憎まれ口を言われたり、腹が立ったりし、関われば関わるほどにそんな感情が出てきます。そこをリセットできるのは生まれた頃や可愛かった幼少期を思い出すことなのです。あの頃に充分に親孝行してもらっているはずなのです。そして、大人達も子どもの頃を思い出すのです。子どもの頃に親と関わったプラスの思い出を何度も思い出し反復することで意識が変わっていくのです。そんな思い出が乏しいようでしたら今からの子育てでプラスの思い出をつくって行くことです。その積み重ねが幸せに生まれ変わるきっかけになるのです。


お薦めの“1冊”
「日本でいちばん大切にしたい会社」

著 者 坂本光司

出版社 あさ出版

価 格 1400円+税

 ブラック企業という言葉が蔓延る昨今、労働時間に反比例した賃金、年功序列に終身雇用が夢まぼろしのように言われている中で、世の中捨てたもんじゃないと思える企業がまだあったんだとびっくりします。女性や障害のある方達が活躍されている企業も多く、創業時の感動秘話に涙が溢れてきます。現在、シリーズ5まで発刊されていて、まだ増えていくでしょう。こんな会社があったらいいのになあと思う会社が実在していることに希望が持てる1冊です。


 心に向き合い 心を通わす

 子どもを授かるのは男女が協力し合ってのことですが、子育てはそれぞれの人生の中で一部を捧げ、力を合わせた関わりの中で積み重ねていく必要があります。そこで、パートナーとのやりとりが子ども達の心、人生を生き抜いていく支えになっていくのです。

 パートナーを大切にしている様子から子ども達は結婚に対する価値を感じるようになります。親が不満や悪口ばかり言っていたら結婚も子育てもネガティブなものにしかならないのです。ただ生まれたのではなく、どのように育ったかが重要なのです。良い子育ては大人達の生育歴が大きく影響しています。人の心に響くものは感謝の思いなのです。家族への思いなのです。共に暮らし、共に生きていてくれていること、それを尊く思えることが大切なのです。家族にとって一緒にいて安心や落ち着くといったプラスの何かがはたらく存在でありたいものですね。子ども達が望んでいるのはそんなことなのです。

 私の父は半年前に亡くなりました。毎朝空を見上げて優しかった父の眼差しを思い出し涙が滲んできます。それだけで生きて行かれる気持ちになれるのです。それが父の残してくれた財産です。



 編集後記

 長野県上田市にあります「さくら国際高等学校」の校長室には、地元で代々続く常楽寺の住職で後に天台宗の座主をされた(故)半田孝淳先生の書がかけられています。陰ながら関わってくださっていた半田先生から授かった書には「和顔愛語」と書かれています。意味は、人に笑顔を、やさしい言葉かけを、とでも訳しましょうか。住職ならではの仏の智恵を授かったその言葉にこそ未来へ通じる「平和」への願いが託されています。平和の基礎は身近なところから・・・。関わり合う人を思いやることから始まります。お金のかからないお布施「和顔施」、「愛語施」、ここから始まるのではないでしょうか。それは勿論親子でも、家族間でも同じです。ホッとする、安心する基本はこんなところにあるのです。

 編集10年での答えは、「愛」(慈悲)でした。慈しむやさしい心をそれぞれがつくりあげ、それを次世代へと繋いでいく教育と子育てを私たち大人が強い意識で取り組んでいかれればと願っています。(S・I)
                               (ikenosai.exblog.jp)













  


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# by ikenosai | 2016-10-19 00:09 | 文化だより | Comments(2)