いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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from Anything Story
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第5夜 いでし月かも


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 再び金浦空港に降り立った僕を出迎えてくれたのは一つ歳下の女性だった。

タクシーを拾ってソウルの街まで、それぞれの国の言葉が解らないので、片言の英語で話すだけだった。

それでも、笑顔だけは絶やさず過ごしていた。

レストランの立ち上げで来たものの、幹部がごっそりクビになり、通訳も辞めていた中、技術指導を任されていた。

 会社に残った彼女たちは、右往左往しながらも何とかお店のオープンまでの準備でてんてこ舞いの様子。

僕はただ、僕のペースでしか関われず、開店、昼のピーク時、そして、夕方、閉店とピンポイントで店に入っていた。

午前中は学校を卒業したての男の子が入り、彼女はランチ前から閉店までの勤務だった。

アメリカ留学の経験がある社長はワンマンで、売り上げ金を途中で持っていくもんで、こちら側の経営マニュアルなど通用しない。

表向きの部分、店の雰囲気だけを日本から盗もうとしているのが伺えてはいたが、こっちも上からの命令で、動くしかなかった。

このまま行くとこの経営は沈没すると思っていたが、互いの苦労をねぎらい、励まし合うように彼女と僕は働いていた。

 店から道を挟んだ向かいのホテルに僕は泊まっていた。

ここで2週間過ごす。

時折、部屋の窓から店の方を見下ろしていた。

 ある夜、ホテルの窓から見下ろすと、歩道のベンチで休んでいる彼女が見えた。

閉店してすぐに帰るはずの彼女がぐったりと疲れた様子。

地方の町「春川」からソウルに上京してきている彼女は一人暮らしだった。

地下鉄に乗って帰るはずなのに、なんだかうつろで寂しい表情に見えた。

僕は窓を開け、彼女に声をかけた。

見上げた彼女が「おおう!」と指さした。

そこには大きな満月が夜空に映えていた。


 僕も思わず「おおう!」とオウム返しに言葉を発し、「ジャスターモーメント」と言って、下に降りて行った。

今、ここで何をしているのかたずねると、「タイヤード」と答える。

「ハングリー」と返すと、「イエ(はい)」と答えるので、静かなレストランに連れて行った。

入ってみると、そこはイタリアンレストランだった。

日本ではすでにブームは終わっていたが、この国ではまだまだ高級感が漂い、高いメニューに彼女は戸惑っていた。

「ノープロブレム、アイハブイナッフーマネー」と言うと「リアリー」と言って元気になってメニューを見始めた。

日頃から疲れ切って家に帰るだけ、そして、リフレッシュもできぬままで、次の日も、その次の日も仕事にきていたのだと思う。

僕が切り出し、コースを注文したが、ワインは「ノーサンキュー」とのこと。

どうやらアルコールが飲めない様子。

それでも前菜、サラダ、肉料理、ピッツァ、パスタを食べきり、最後のデザートは僕の分も食べた。

僕は白のグラスワインを飲みながら、元気になっていく彼女を見ているだけで嬉しかった。

片言の英語で話す会話はなかなか通じず、時間がかかることもあった。

それでも、お互いに興味があったのか、夢中になり、あっという間に時間だけが過ぎてしまっていて駅に行くも電車はすでに終わってしまっていた。

 困った様子の彼女に僕は戸惑ってしまった。

それでも、疲れを癒さなければと思い、僕の部屋に連れって行った。

ホテルの歯ブラシやタオルを渡し、僕はソファーで寝て、彼女にベッドで寝ることをジェスチャーで伝えると彼女は何も言わず首をたてに振った。

明け方目が覚めると彼女はもうすでに起きていて、身支度もしてベッドに座っていた。

あと1時間もすると僕は店に行かなければならない。

彼女はまだ休める。

それなのに、彼女は「プリーズ」と言って僕をベッドの布団の中に入るよう勧めた。

「ドンウォーリー」と言って1時間後に起こすと言っている。

そして、彼女がソファーに座った。


 次に目が覚めたとき、僕の顔の真上には彼女の顔があった。

僕の頬に手を当てて、笑顔で気持ちよく起こしてくれた。

言葉は通じなくても、心が通じているような嬉しい気持ちになって目が覚めた。

僕は、あくびをしながら起きあがり、彼女に鍵を渡して、出るときにフロントに渡すように伝えた。


 昼前になって彼女が店に現れた。

何だか僕だけがそわそわとした感じだった。

そして、以前より彼女が美しく見えていた。

彼女との間に誰にも言えない小さな秘密ができてしまった。

その日の夜は早めに帰って僕は眠った。

煌々と輝く月夜の下でカーテンを開けて眠った。

彼女と一緒に海に行った夢を見ていた。

大きな月の下で手をつないで何も言わないまま足早に浜辺を歩いている。

時折振り返ると月夜に照らされた笑顔が、昼間の明るさの中にいるようにくっきりと見えていた。

彼女が気になってしかたがなかった。

 目が覚めた。

やはり彼女が気になってしかたがなかった。

彼女は休日だった。

会えないだけで、何だか切なくて、不思議な感覚だった。

それはまるで思春期のような独特の感覚だった。

そして、胸がキュンとなるような苦しみに襲われていた。

一定ではなく、落ち着いたり、急に激しい苦しみを伴ったりして、不安定なものだった。

何だか彼女がいないだけで、仕事に行く気持ちもイマイチだった。

通訳もなく進めていく仕事は、思い通りにはいかなかった。

それでも、彼女の来る日は違っていて、楽しかったし、彼女も僕の進める仕事に協力的だった。

 ある夜、みんなに声をかけて、飲みに行った。

もちろん、彼女も一緒だった。

二十歳そこそこの若者ばかりだったので、彼女は少し落ち着いて見えた。

みんなで飲んでも、僕と彼女だけが少し年上で、その輪から外れているような感じだった。

それもあってか、僕と彼女は弾き出され、いつの間にかくっついていた。

僕はテレていたが本音は嬉しかった。

大した会話ができている訳ではなかったが、そうしているだけで嬉しかった。

何となく安心できる感覚が異国での孤独感を癒し、心の隙間にすっぽりとはまってしまっていた。

不思議な感覚だった。

どこの国であれ、僕には彼女のような女性の存在が大きかった。

それでも、何時か離れていくときのことを考えると、それ以上彼女との距離を縮めることはできなかった。

紳士のような距離間を保とうと僕は誓っていた。

気がつけば、懸命に仕事の後押ししてくれている彼女が側にいた。

 そして、最後の日はやってきた。

日本人の父を持つパートのおばさんが別れを惜しみ、涙を流しながら「さようなら」と言っていた。

この国との関係の複雑さを日に日に感じていたこともあって、彼女を好きでありながらも複雑な心境で深入りしないよう努めていた。

彼女も日本人の僕への何か、違和感のようなものを感じていたと思う。

それでも、好きだという純粋な気持ちを僕なりに大切にしていた。

ひとりひとりと握手をし、お別れの言葉を言って店を出た。

 空港まではタクシーに乗って行った。

空港までの見送りは彼女だった。

無言のまま後部座席の隣に座っていた。

乾ききった雰囲気の中で目も合わさず、帰国する感じだった。

僕は寂しかった。

彼女がどこの国の人であろうと、純粋に好きだと思った。


 出国手続きを終え、出発ロビーに来た。

いよいよ別れなければならない。

やはり寂しかった。

やっと目を合わせた僕たちは、純粋に抱き合った。

額と額をくっつけて、彼女の額に僕は唇を付けた。

そして、「ソーロング」と言葉を掛けた。

離れ際に、何とも言えない寂しい感情に襲われていた。

彼女の目には涙がきらりとしていた。

僕も充血した目を感じていた。

もう一度、抱き合ったらきっと唇にキスをするだろうと思った。

しかし、そこで止めて背を向けた。

 エスカレーターを下りはじめたら彼女が「ムーン・・・」、「ファーストナイト・・・」「ドゥーユーリメンバー・・・?」と大きな声で言っていた。

しかし、エスカレーターが降りていくと、言葉もかき消され、あわただしい出発前の機内へと入っていった。


 成田に着いたのは夜だった。

細くなった月が空に見えていた。

耳に残っていた彼女の声とともに、幻のような恋が記憶の中から、遠くへ、遠くへと離れていくのを僕は感じていた。


 小さな涙がきらり・・・。

滲んで見える空港の灯りをリムジンバスの窓から眺めていた。

大きな月を思いだし、酔いしれていた。

そして、あの夜に思いを馳せて、小さく「さようなら」と呟いた。

それは、もう会うことのない異国の彼女に向けてだった・・・。



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# by ikenosai | 2016-11-12 00:28 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)

文化だより 第31号(創刊から10年の総括 最終章)

  文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
   第31号 (平成28年 10月 1日)
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
  特定非営利活動法人 文化高等学院

   子育ては親子ともどもを
       “育て直す”きっかけとなる!
         (創刊から10年の総括“最終章”)


“他田引水”は
「生き易さの智恵」

 
 人は長く生きていきますと色々なことを考えます。紆余曲折あって、色んなことを感じ、学んでいき、そして、不思議なくらいに多くの人が似たような答えにたどり着きます。大往生といえる人生を送りますと、自然と感謝の思いがこみ上げ、生き抜くことが人生のプロセスとして大切で尊いものだと語るようになります。次世代への思い,さらに、自分の亡き後のことを意識するようになり、子々孫々への思いも出てきます。しかし、案ずる気持ちが強ければ、過保護に、自分を立てようとすれば、相手への配慮に欠け、人間関係に悩んでもいきます。しかし、苦難によってその苦難を乗り越えていく過程に感動が隠れているのです。

 悪いことのあとには良いことがあり、苦労し、乗り越えたことで感動は生まれるのです。挫折はその人を育てる好機になるものなのです。全ては受け止め方で自分にふりかかる出来事への価値が変わると言うことなのです。そして、充実感を感じる喜びの根底には人に喜んでもらえることが大切です。自分のことだったら折り合いを付けて、やめそうになるようなことも、他者の喜びのためとして取り組むと、頑張り甲斐が出てきますし、意外や意外、自分のこと以上の喜びが得られるものです。さらには大勢の人々へも大きな感動を与えるものなのです。

 現代の子育てや教育の中で「利」についての捉え方が大きなカギになっているでしょう。「利」をできるだけ自分のところへと持ってくる技術をいつの間にか教えている場面が多く、自己責任の捉え方もズレています。信号待ちで青になって横断歩道を渡るとき、青だからとそのまま無意識に渡るのは危険を伴います。安全確保の習慣があれば、信号に関係なく、周囲の車や自転車、歩行者の動きなど安全確認をしてから渡るでしょう。車と人との事故だと、一般的には車のほうが悪くなります。しかし、そんな意識では本来、自分を守ることはできません。歩きながらゲームをしたり、ヘッドホンで音楽を聞いているのは自分を守る意識が乏しいのと同時に社会との接点での自己責任が果たせていないことになるのです。また、素直に謝れない人も同じです。謝ることが「損」だと思う価値観は、やがて、自分の責任を認めず、他への責任転嫁ばかりの生き方へと繋がっていきます。自分を立て、自分を守ることで精一杯の親であれば、他人を思いやるゆとりなど子ども達に伝わっていくはずがないのです。


 幸福感をつくる小さな“ワークショップ”

 人の社会の中で生きていきますと、対人関係が生まれてきます。そうしますと多かれ少なかれ、優劣や損得の意識も生まれやすいものです。社会的地位や名誉など、目や耳で分かるもので評価をするようにもなりがちです。学校の成績だって優秀であればあるほど嬉しいのはごく自然な感覚です。子どもを授かってから乳児期の子育て中に、病気や怪我に遭遇しますと、元気でさえいてくれればそれでいいと思ったりもしたはずなのに、親同士、親戚同士等々、色々な付き合いの中で、少しずつ比較していくようになっていくのが人の性(サガ)なのでしょう。習い事を始めたり(本人の意志で進めばそれは素晴らしいのですが)、親の思いを洗脳させたりして、より学力の高い学校へと欲も出てきます。今でも学校名だけで優劣をつける人は多いもので、有名校や偏差値等の上位校に行かせたくない親なんてそんなにはいないでしょう。いつの間にか、子どもにかかる期待から、生き辛さなど心へのストレスを与えてしまうことも。周囲がそうであれば、そんなもんだろうと思い、ついつい子どものメンタル面などは考えません。原点に立ち帰って何が大切かを考えることも必要になります。人の行動は、言われてやること、指示されてやることではいずれ、やる気がなくなっていきます。それは勉強も習い事も同様です。自己の心の内側からこんこんと湧き出る意志の表出でなければ長続きだってしにくいものです。自分で目標設定をして、覚悟しなければその先で目標を見失ったり、ちょっと嫌なことがあったりして、動けなくなったりと、何かの形で拒絶反応が起こるのです。それは、小学校か、中学校か、高校か、いやその先の大人になってからかもしれません。がんばれる気持ちは大切なのですが、がんばらされている気持ちはその後に大きな落とし穴に落ちてしまうことが多く、そのままでいても幸福感につながる、心の中に必要な丈夫な根っこがないまま大人になってしまうのです。

 長く生きていれば生老病死はさけられないものです。年をとり、加齢に伴い病気にもなります。生活習慣が悪ければ癌や脳卒中、心臓疾患等のリスクも高くなります。特に食生活の乱れは心の乱れにもつながります。それでは、どうすれば善い生き方になっていくのかという方向付けと言いますか、課題が出てきます。「生き易さ」について考えますと、自分中心のこだわりをなくしていくことがカギになります。我慢していくと心の病気も心配になります。ここで重要なのが自己をコーチングする技術や力になります。太い心、折れない心をつくる取り組みになります。そこには「覚悟」が必要になります。何でもそうですが、できたらいいな、誰かがやってくれれば・・・?なんて思っていてもいつまでもそのままで変わらないものです。変わる心のきっかけは自分が変わろうとすることから始まります。例えば関わる相手に期待するのではなく、自分からはたらきかけること。意識した、理想的な言葉かけなどの取り組みをこちらからつくっていくことが重要になります。そして、そこでの取り組みの中で、結果がすぐにでることもありますが、なかなか出ないこともあります。真理に基づいたことであれば、最終的には天国に貯金をするような気持ちで継続すると、気持ちのおさまる場所が心地よくつくられていきます。なかなかつくられないようでしたら、工夫して小さくステップアップしていく必要があります。誰かに喜んでもらう生き方や先祖が何を望んでいたのか等を想像したり、共感しようとする意識がやがて善き思い、善き行いへと自身を高めていくことでしょう。そうやって善人が増え、小さな平和が結集され、大きな平和へと膨らんでいくのです。



“明確な目標”
 意識できる環境を!

 思うこと、目標などの標語の掲示で常に意識できる環境がつくられれば、ネガティブな意識を取り除くことができます。やさしい言葉かけを意識し、悪い発言や悪い意識を減らす工夫で善き行いへと変わっていくでしょう。それを証明しているのがマザー・テレサです。彼女の開いた「孤児の家」の壁にはこんな言葉がかかっています。

“考える時間を持ちなさい
祈る時間を持ちなさい
笑う時間を持ちなさい
それは力の源
それは地球でもっとも偉大な力
それは魂の音楽
 (中略)
施しをする時間を持ちなさい
それは天国へと導くカギ”

 こうした言葉が目に触れ、口にされ、行為を支える意志は常に反復され強固になっていくのです。
 幸福の原点は人に期待せず、まずは自分が変わっていくことなのです。それも根気よくです。子育ても親が変わらなくてはならないというのが子育てに悩む親御さんたちの関わりの中で得た今の答えです。



潜在能力は多様な人々との交流から

 行為を支える原動力は興味があるときにこそチャンスです。それが若ければますます道が開けるものなのです。経験値を高めるためにも、見聞が広がる環境の整備が必要で、それによって可能性は高まっていきます。本人を取り巻くもの、周囲の大人たち、交友関係の影響等々、社会的な資源から多くのチャンスに恵まれていくのです。ただし、裏を返せば、悪への誘惑もあるのです。何が大切なのかと考えますと、やはり、関わりなのです。関わりということは、親もそれなりの覚悟と意識が必要になるのです。



 幸福を反復させる

 子育てで一番楽しかった頃、子どもが可愛かった頃を思い出してみてください。その頃の可愛い写真をよく目にする場所に置くだけでも心のありようが変わってきます。子どもが思春期の頃からどんどん変わっていき、憎まれ口を言われたり、腹が立ったりし、関われば関わるほどにそんな感情が出てきます。そこをリセットできるのは生まれた頃や可愛かった幼少期を思い出すことなのです。あの頃に充分に親孝行してもらっているはずなのです。そして、大人達も子どもの頃を思い出すのです。子どもの頃に親と関わったプラスの思い出を何度も思い出し反復することで意識が変わっていくのです。そんな思い出が乏しいようでしたら今からの子育てでプラスの思い出をつくって行くことです。その積み重ねが幸せに生まれ変わるきっかけになるのです。


お薦めの“1冊”
「日本でいちばん大切にしたい会社」

著 者 坂本光司

出版社 あさ出版

価 格 1400円+税

 ブラック企業という言葉が蔓延る昨今、労働時間に反比例した賃金、年功序列に終身雇用が夢まぼろしのように言われている中で、世の中捨てたもんじゃないと思える企業がまだあったんだとびっくりします。女性や障害のある方達が活躍されている企業も多く、創業時の感動秘話に涙が溢れてきます。現在、シリーズ5まで発刊されていて、まだ増えていくでしょう。こんな会社があったらいいのになあと思う会社が実在していることに希望が持てる1冊です。


 心に向き合い 心を通わす

 子どもを授かるのは男女が協力し合ってのことですが、子育てはそれぞれの人生の中で一部を捧げ、力を合わせた関わりの中で積み重ねていく必要があります。そこで、パートナーとのやりとりが子ども達の心、人生を生き抜いていく支えになっていくのです。

 パートナーを大切にしている様子から子ども達は結婚に対する価値を感じるようになります。親が不満や悪口ばかり言っていたら結婚も子育てもネガティブなものにしかならないのです。ただ生まれたのではなく、どのように育ったかが重要なのです。良い子育ては大人達の生育歴が大きく影響しています。人の心に響くものは感謝の思いなのです。家族への思いなのです。共に暮らし、共に生きていてくれていること、それを尊く思えることが大切なのです。家族にとって一緒にいて安心や落ち着くといったプラスの何かがはたらく存在でありたいものですね。子ども達が望んでいるのはそんなことなのです。

 私の父は半年前に亡くなりました。毎朝空を見上げて優しかった父の眼差しを思い出し涙が滲んできます。それだけで生きて行かれる気持ちになれるのです。それが父の残してくれた財産です。



 編集後記

 長野県上田市にあります「さくら国際高等学校」の校長室には、地元で代々続く常楽寺の住職で後に天台宗の座主をされた(故)半田孝淳先生の書がかけられています。陰ながら関わってくださっていた半田先生から授かった書には「和顔愛語」と書かれています。意味は、人に笑顔を、やさしい言葉かけを、とでも訳しましょうか。住職ならではの仏の智恵を授かったその言葉にこそ未来へ通じる「平和」への願いが託されています。平和の基礎は身近なところから・・・。関わり合う人を思いやることから始まります。お金のかからないお布施「和顔施」、「愛語施」、ここから始まるのではないでしょうか。それは勿論親子でも、家族間でも同じです。ホッとする、安心する基本はこんなところにあるのです。

 編集10年での答えは、「愛」(慈悲)でした。慈しむやさしい心をそれぞれがつくりあげ、それを次世代へと繋いでいく教育と子育てを私たち大人が強い意識で取り組んでいかれればと願っています。(S・I)
                               (ikenosai.exblog.jp)













  


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# by ikenosai | 2016-10-19 00:09 | 文化だより | Comments(2)

「風に吹かれて」



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 「風に吹かれて」を聴いたのは子どものころだった。
ピーター・ポール&マリーが歌っていたのが「金曜日の妻たちへ」の挿入歌だったので覚えている。

 高校2年生のときだった。
英語の先生が、今日はこの歌を訳そうと配ったプリントが「風に吹かれて」だった。


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How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
Pretending he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

 をすべて訳していった。
歌詞も覚えた。
 その後は、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」
「早く家に帰りたい」「ボクサー」
最後はビートルズの「レット・イット・ビー」だった。

 就職コースだった僕たちの授業は、あまり気合いが入らなかった。
英語もそうだった。
もっと楽しい授業をと、ある日、英語の先生がラジカセを持ってきて、英語の歌を聴いて訳そうと言い始め、そうすることになった。
中にはつまんないと言う者もいたが、僕は楽しかった。

 就職が決まっていた高校3年の晩秋のこと、急遽、僕は大学受験をすることになった。
しかも、無謀すぎる低学力の状態でだった。

 それでも、大学に入りたい、体育推薦ではあるが、残っている学部が法学部で一般受験に混じって、しかも、そこそこの点は取らなくてはならなかった。
教科は英国社の3教科、社会は日本史を選択し、自力でやった。国語も自力でやった。
英語の先生が、問題集持ってきなさいと言うもんで、翌日持って行くと、今日の放課後から毎日、英語の受験勉強をしにきなさいと誘ってくれた。
そして、翌日から本気で勉強した。

 そして、合格。

 上京してからのこと。
学生時代、タワーレコードに行って、少しずつ買っていたボブディランのCD。
歴代のアルバムが24枚揃っていた。
あと数枚でその頃は全部揃うはずだった。
CDラックの1段を占めているボブディランのCDを見た妻が、ここのCDほとんど聴いていないでしょ?
とポツリ・・・。
結局、「BOOK OFF」に売りに行った。
それでも、グレーティスヒット集の2枚だけが今でも残っている。
この中の曲は特に大好きな曲ばかりだったから・・・。

 歌詞が好きで、今思えば、その入り口はあの授業からだった。
あのときの先生はもうこの世にはいない。
卓球部の顧問で、一緒に遠征もいったし、その後には卓球とボクシング両方の予選出場も快く認めてくれた。
最後は、僕の受験勉強を応援してくれた。
合格後(卒業式を終えた数日後)、先生にお礼にとブランデーを贈った。
先生は、笑顔で、「悪いなあ、今夜はこれでおまえの合格を祝うよ・・・」と答えた。

 今でも思うこと・・・。
特に思春期から高校、大学にかけてのころ、私を支え、応援してくれた人々があまりにも多く、その恩に報いる生き方がまだまだ足りていない自分を感じる。
やはり、感謝、感謝で日々を送り、懺悔の中から、プラスにつなげていく知恵を出さねばと振り返る。

 今でも「風に吹かれて」をよく聴く、そして、あのころの先生たちを思い出す。
それだけで生きて行かれる力が湧き出てくる。
そして、誰かの役に立ちたいと思えてくる・・・。


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# by ikenosai | 2016-10-15 12:34 | 思い出のポケット | Comments(0)

第9夜 片思いの遺言


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第9夜 片思いの遺言


 お母さんは恋をしていた。

お父さんがいるのに、恋をしていたと思う。

5年前に見つかったガン細胞は、もう手遅れの状態になっている。

お父さんは現実を受け止められないまま固まっている。

お母さんにやさしい言葉を掛けられない。

今しかないのに・・・。

お母さんは、覚悟していた。

あと半年もない命だと・・・。

 
 定年後からやっているゲートボールが楽しかった。

しばらくはずっと借りていたゲートボールのスティック。

僕は、いつかプレゼントしたくて探した。

新品があまりにも高くて買えなかったので、時々、インターネットのオークションで探していた。

それでも高かった。

僕は、酒を減らし、たばこを減らし、願掛けのつもりで、毎月5千円を貯金して、半年後の母の日にそれをプレゼントした。

やはり、新品は買えなかった。

ネットオークションで買ったスティックをできるだけきれいに手入れしてプレゼントした。

その次の週にお母さんは大喜びでゲートボールに出掛けた。

嬉しくて、嬉しくて、息子からのプレゼントだとみんなに話していた。

僕は、初めてお母さんがゲートボールをやっているところを見た。

なかなかの腕前だった。

驚いたのは、すごく上手いのに自分のスティックを買わずに毎回借りていた人がいたことだった。

家に帰って、お母さんに聞いてみた。

「あのおじさんはどうして自分のスティックじゃないの・・・?」

「あの人は、お金がなくて自分のスティックは買えないのよ。」

「一番上手だけど、威張らないでいつもみんなと仲良くしているいい人なの。」

「お母さんあの人が一番好きなのよ。」

「きっとあの人も、お母さんのこと好きだと思うの。」

「分かるんだ。」

「でも、分かっているだけでいいの。」

「老婆の初恋なのよ。」

「もう、思うだけでいいの。」

「それだけで幸せ。」

「お父さんがいて、あんたがいて、お姉ちゃんがいて。」

「そこに、素敵な人が一緒にゲートボールをしているだけで幸せなの。」

確かにお母さんは、ゲートボールの日はバッチリ化粧して、お見合いにでも行くみたいにきれいだった。

お父さんはまんざらでもない顔をして見送っていた。


 楽しみだったゲートボールも休みがちになった。

お母さんはしんどそうにして休む日が出てきた。

そんな日のお母さんは寂しそうだった。

辛そうな表情で、ウィックも付けず、ニットの帽子をかぶっている。

やせ細った頬で顔が小さくなっていく。

体もやせ細って小さく小さくなって、腰も曲がってしまっている。

僕を産んでくれたたくましいお母さんはもう面影がなく、天国の使者を迎えるために軽く、さらに軽くなっているように感じて切なかった。

それでも友達が来ると気丈に振る舞った。

お母さんは、本当の親友だけしか呼ばなかった。

お母さんは、自分がガンだと分かっていた。

だから、どれだけ苦しいかも覚悟していたし、イメージもしていた。

それでも、やっぱり苦しいのは嫌だと言っていた。

あと1ヶ月位になって、希望していたホスピスに入れた。

僕は、本当にお母さんが死ぬんだと実感し始めていた。

やっぱり、やっぱり、寂しくてたまらなかった。

お母さんのいない世界なんて想像もつかなかった。

神社に行き、お寺に行き、教会に行き祈った。

それでもお母さんは死んでしまう。

神様にどうすればいいのか何度も尋ねた。

神様は教えてはくれない。

ただ、黙って、寂しがる僕とお母さんをただただ見守っているだけだった。

そうだ、お母さんの喜ぶことをしよう。

お母さんの言うことを聴こうと決心した。

お母さんは、あまりしゃべらなくなった。

最後の力を振り絞り、お母さんが死んだらこうして、ああしてとお願い事を言い始めた。

僕は全部ノートに書いていった。

お通夜も葬儀も身内だけ、家族とお母さんの妹と僕の家族、お姉ちゃんの家族、そして、仲の良かった親友4人、家族ぐるみで付き合っていた僕の友達の家族だけ呼んで欲しいと言っていた。

そして、納骨が終わって一段落したら、ゲートボールのサークルで特にお母さんが仲良くしていた人たちだけ呼んで欲しいと言っていた。

「お母さんの好きだったあの人にお母さんの使っていたスティックを使ってもらって欲しいから、必ずあげてね。」

「これはお母さんのお願いなの。」

「あの人はきっと受け取ってくれるわ。」

「だって私のことが絶対に好きだから。」

「そして、最後のお願いがあるの。」

「あなたたち姉弟はずっと仲良しでいてね。」

「お父さんのこと大切にしてね。」

「ずっと、ずっとだよ。」


 ホスピスに入ってから1ヶ月半、やっぱり来る日が来た。

お母さんの意識が遠のいていく、前日から何度か危篤状態になっていた。

昼前になって、ご飯を食べようと部屋を出ようとしたときだった。

お母さんは手をそうっと挙げ、視線を僕に向け、僕の手を呼んでいる。

僕は、なんだ元気じゃんと思った。

僕はお母さんの手を握り、お母さんはその手をぎゅっと握り返した。

僕の顔を見ながら手を握った。

ぎこちない表情に見えたが、お母さんは一生懸命だったはず。

僕の視線を確認すると、うん、うんとうなずき、もう一度手を強く握って目を閉じた。

目尻にスーッと涙がしたたり、目元が震えていた。

そして、強く握っていた手の力が一気に抜けていった。

離したくなかった。

この手を離すと、お母さんはどこか遠くにいく感じがしてどうしても離したくなかった。
寂しくて、寂しくて・・・。

僕は大泣きした。

お母さんが死ぬなんて、嘘だ、絶対に嘘だ。

僕は、子どものようにおいおい泣いた。


 お母さんの遺言通りに通夜も葬儀もおこなった。

納骨が終わり、一段落してから、お母さんが好きだったゲートボールの仲間達を家に呼んだ。

仏壇の遺影に手を合わせ、そして、お母さんとの思い出を語り始めた。

やっぱり、お母さんはみんなに好かれていた。

やっぱり、大切にされていた。

良かった。

嬉しくて涙が出てきた。

そして、お母さんが好きだったおじさんに声を掛けた。

「母からの遺言で、このスティックをおじさんにもらって欲しいと言われまして・・・。」

おじさんはお母さんの遺影に向かって、手を合わせ、深々と頭を下げた。

そして、おいおい泣いた。

やっぱり、おじさんもお母さんが好きだったんだと思った。

僕は心の中でつぶやいた。

「お母さん、良かったね。」


(親友と天国に召された親友のお母様に捧げる)






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以前、親友のお母様が感激してくださったそうめんを使った夏野菜パスタ!




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# by ikenosai | 2016-10-01 05:59 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)

第1夜 “ムーンリバー”が流れた夜

  今日は娘が通う高校の学園祭。

力あふれる吹奏楽部の演奏に「感激」・・・。

高校生はこうでなくては・・・!

硬式野球部の写真の展示を観ながらこの夏の西東京地区予選を振り返っていた。

それぞれに何かが残ったはず・・・!

途中で部活を辞めてしまった娘も、楽しそうに参加していた学園祭。

学校はありがたいなあ・・・と感謝がこみ上げていた。



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第1夜 “ムーンリバー”が流れた夜

 金曜日の渋谷はどの店も若者でごった返していた。

大した期待もせず、ただひたすら酒場にいて、あまり酔わぬようにと意識し、飲み続けていた。

今日は、バイト先の各店舗の仲間たちが集結するコンパの日だった。

やがて、男の子だけの集団に女の子も入ってきて、さらに盛り上がってきた。

初めのうちは冷静に、冷静にと意識し、高まる期待を押さえていた。

しかし、高まる期待は少しずつしぼんでいき、やがて飲み会は終わり、みんな駅に向かった。

帰るグループと次の店に行くグループに別れることになり、迷わず帰るグループに入った。

これ以上飲む気もなかったので帰る方向の電車に乗った。

気がつくと電車は同じ駅を何度か通過していた。

隣には飲み会の途中から隣にいた女の子が座っていた。

どうやら彼女も少し酒に酔っていた。

電車はさらに一周し、渋谷に戻ってきた。

彼女に手を引かれ横浜方面に向かう電車に乗った。

多摩川の長い鉄橋を渡り、次に気がついたときは、横浜駅を過ぎていた。

どうやら、彼女のテリトリーなのか、何の迷いもなく終点まで乗ってしまった。

そして、終点の桜木町から、歩道の石畳にある道標をつたうように港の方へ行き、山下公園に出た。

行く当てもなくここにたどり着いたカップルたちでベンチはいっぱいだった。

夜風が少し肌寒く、もう一枚上着が欲しいくらいだった。

しかし、寒さからか寄り添うのにはちょうど良かった。

二人が座れるベンチは空いていないため、あきらめて、石川町駅の方へ行った。

すでに日付は変わっていた。

電車も終わっていて、ここで足止めになった。

一夜を明かすには少し寒かったので空室のあるホテルを探して入った。

何の抵抗もなく彼女はついてきた。

疲れていたのか、酔っていたのかは分からないけどそのまま眠ってしまった。

 目が覚めたのは明け方だった。

シャワーの音で目が覚めた。

ここにたどり着くまでのこともまったく覚えていない。

シャワーから出てきた彼女は、バスタオルを体に巻いたままベッドに入ってきた。

入れ替わりに僕がシャワーを浴びた。

戻ってきたときには彼女は深い眠りに入っていた。

僕もふたたび眠った。

チェックアウトの時間が迫り、あわてて外に出た。

幻のような一夜が明け、意気投合したような錯覚で、僕たちは手をつなぎ歩いていた。

元町の店のシャッターが次々と開き始めた。

彼女が立ち止まり、水色の印象の強い店内をのぞき、ショウウィンドウを眺め始めた。

そして、一緒に店に入った。

オープンハートのネックレスは買えなかったが、記念にピアスを買ってプレゼントした。
カフェに入り、嬉しそうにピアスを付ける彼女の表情を眺めていた。

長い髪をひとつに束ね、白く透き通るような耳に小さな銀のハートのピアスがよく似合っている。

涼しげな眼差しに僕は釘付けになり、動けなくなっていた。

ああ、何て美しい人なのだろう。

酔っていたのか、昨夜の暗闇の中では気がつかなかった。

彼女はサンドウィッチを食べながらカフェオレを飲んでいた。

僕はタバコを吹かしながらアイスコーヒーを飲み、夢が覚めなければという願いと時々襲ってくる不安からか憂鬱になっていた。

カフェを出て、彼女と手をつないで、坂をひたすら登った。

高台に出ると眼下には横浜港が見えていた。

次第に人が増え、涼しかった朝が終わり、太陽が真上にきていた。

外人墓地を通り抜け、再び元町に戻って石川町から電車に乗った。

何度か乗り換え、鎌倉で降りて、門前町の古い喫茶店に入った。

表面をこんがり焼いたクラブサンドにレタスとかりかりに炒めたベーコンがはさんだのを一緒に食べた。

何をしていても、どんな表情になってもすべてが美しい。

完璧なまでに僕は虜になってしまった。

店を出て、大きな鳥居をくぐり海に出た。

遙か遠くに江ノ島が見え、その手前にサーファーたちが黒山になって波を待っている。

砂浜に降りる階段の途中に腰を下ろし、海を眺めていた。

彼女は裸足になって波打ち際に歩いて行った。

よせては返す波打ち際を行ったり来たりしていた。

そして、僕のところに戻ってきて横に座り、片腕を抱き、寄りかかってきた。

思わず彼女に向くと、額と額がくっついた。

しばらくそのままでいた。

胸がキュンと苦しくて、切なかった。

そして、時間が止まればいいのにと思った。

それは不思議な感覚でもあった。

何とも言えぬ心地良さと相反する耐え難い不安が襲っていた。

ただそうしているだけでドキドキしたり苦しかったりと複雑だった。

そして、彼女の唇に僕は初めてキスをした。

抱きしめたまま動けなかった。

いや、動きたくなかった。

彼女が急に立ち上がり、僕の手を引き、海へ、海へと誘い出した。

波打ち際で手をつないだまま行ったりきたりしていた。

日は西に傾き、ギラギラと光る水面に目を細め、僕は海側にいる彼女を見つめていた。

波の音に僕の言葉はかき消され、彼女も何か話してくるが上手く聞こえてこない。

ただ、伝わるのは強く握る彼女の握力と手のぬくもりだけだった。

彼女が僕の手から離れ、海の中へ入っていった。

遠く浅い海に感じていたが、腰まで浸かり、あっという間に肩まで浸かっていた。

立ちつくす僕は何も出来なかった。

そして、彼女がとうとう見えなくなった。

それでもまだ戻ってくると信じていた。

日は沈み、やがて月の光が波間にゆらゆらとしていた。

ハッと我にかえった僕は彼女を探しに海に入っていった。

彼女はどこにもいなかった。

大きな声で呼んでも、深く潜っても、もう見つからなかった。

海辺にはもう誰もいなくなっていた。

真夜中の月の光が波にゆらゆらとしていた。

砂浜で僕はぐったりとして仰向けになった。

疲れていた。

そして切なさがジワジワと僕を襲っていた。

波にきらきらと映る月の光に向かって目を閉じた。

まぶたの裏にまだハッキリと彼女の涼しげな眼差しが映っていた。

やはり、疲れていた。

そして、しばらく眠ってしまった。

朝の日差しに起こされ、半分開いた窓のカーテンが風で揺れていた。

そこは海ではなく、自分の部屋だった。

涼しげな彼女の眼差しだけが記憶に残り、あとは夢の中の出来事だったように感じていた。

そして、つけっぱなしのステレオからは“ムーンリバー”が静かに流れていた。






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# by ikenosai | 2016-09-17 22:31 | 恋別離苦(短編集) | Comments(2)