いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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雨の中の花火大会(立川 国営昭和記念公園)

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我が家のベランダから、今年のベストショット!
(今年は20人くらいの来客)


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by ikenosai | 2017-07-30 07:47 | 現世に乾杯! | Comments(4)

文化だより 第32号

文化だより

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文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
32号 (平成29年 6月 1日)

〒207-0012 東京都東大和市新堀1-1435-20
特定非営利活動法人 文化高等学院



多様な関わりと理解で“共生社会”をつくる!
(日本で生き抜く現代社会の課題)


多様な関わりと理解の時代

 10年ひと昔と言いますが私たちの住む環境も10年単位で見ますと大きく変わってきています。国際線が頻繁に飛び交う現代において多国籍に拠点を構える企業が多く、インターネットの普及がよりボーダレスな社会へと進化させています。こんなに変わってしまうとは思わなかった人も多いことでしょう。こんな時代について行かれず、昔のほうが良かったとさえ思うこともあるのではないでしょうか。懐かしいのは企業同士の競争が今より少なかった昭和の時代。製造業から問屋に、そして小売店へと一連の流れがあり、商品がほぼ安定して動いていた中で、決まった収入が保障されていたこともあり、入社して10年後の自分、20年後の自分をイメージするのも、その先の先輩を見ればおおよその見当がついていたのを思い出します。過去の共同体を失ってしまい、企業として、果ては一人の人間として生き残るためにどうすべきかということに悩む時代になっています。企業の間では競争原理の中で潰し合いが蔓延り、それも国際レベルでの潰し合いになっています。

 グローバルやボーダレスといった言葉はかつて閉鎖的だった日本には受け入れにくい感覚や習慣があり、表面には見えにくいものの、遠い昔から根底に根付いていることが違和感のような感覚として現れているように思います。個人的に異国の人とのお付き合いがあったりすればこんな感情や感覚は少しは解消できるのではないでしょうか。

以前は国民性という表現でひとくくりにしていましたが若い世代で見ますと時代と共に価値観も感覚も多様化してきています。この先何を目指すのかと考えますと、緩衝材のようにとげとげしたものや硬いものを壊すことなく包み込める感受性や心の器を今より大きくする必要があります。


ハンディキャップ 解消で共生社会へ

 共生社会の実現にはハンディキャップへの理解も必要で、ハンディキャップは大きく3つに分かれます。

①一時的なもの(事故や怪我により、治るまでの間の不自由な時、妊娠中の女性、乳幼児等、子育て中の親、家庭における高齢者の介護等々)。

②一生続くもの(治らない障害や、同性愛者等々)。

③人々によってつくられたもの(国籍や人種、職業等の差別や偏見につながる意図的な区別等々)。

中には少数派の場合もあり、そういった人たちの抱える課題の解決が共生社会の実現に向けてとても大切になります。


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もともとは大陸からきた人々

 日本人の起源について、一説にはメソポタミア文明の地、シュメールの人々が大陸から移り住んだとの説があり、これが有力と言われています。この頃から発展してきた日本の文化はやがて皇族、神々等へとつながり、現代の言葉を何段階かに変換していくとシュメール語につながり、日本の神話にもシュメールに起源があると言われています。さらにさかのぼってアフリカの地にまで行くと私たちの祖先はどこの国の人ともつながっているわけです。神々が宿る日本列島で、伝統的な神々への強いアクセスは太いパイプによって、それぞれの心の内にプラスにはたらき、全ては平和へとつながっていくものです。歴史をたどると色々な考え方や霊的なものまでも出てきます。それぞれの時代においても後付けで大陸からやってきた人々との間でおこった文化や慣習の違いからくる摩擦から多かれ少なかれ差別や偏見は生まれ、果ては争いにもなっています。しかし、私たちの起源は同じだったはずなのです。

 1603年の江戸幕府成立からおよそ250年間もの安定の時代、その間は一部を除き、概ね鎖国の時代が続きます。異国の血が混ざらない時代が何年も続いたことになります。

 1853年のペリー来航、翌年の日米和親条約により開国しますが、そこから異文化への偏見など長い年月の間につくられてきた感覚が明治、大正、昭和、平成へと時代が変わっていく中で、変化していきます。一国で治まっていた経済活動が国外へと市場を多国籍なものへと変えていくことで政治経済、果ては我々庶民の生活にまでも影響し、変わってきています。ものごとの捉え方や考え方が少し変わるだけで極端なものにもなります。権利を強く主張する考え方は人権擁護の意識を高めるきっかけにもなりましたが、権利の主張とは裏腹に義務を果たさない人が増えているのも現実です。これでは人々の住む社会の秩序は崩れてしまい、そこからも不公平は生まれます。不公平は争いの原因になります。小さな口喧嘩から始まり、果ては命に係わる大事件へと発展していくこともあります。最終的にはテロや戦争を引き起こすことになっていきます。他を受け入れること、文化や慣習、多様化への柔軟性、原則は互いに迷惑をかけない良い関係づくりが大切であることはこれまでの歴史からも分かってきます。しかし、そういったことも今の時代の中では難しいのではないでしょうか。国際社会でかつ貿易をして食べていく以上はそういった考えを受け入れつつ新しい時代へ向けて柔軟な考え方に修正していく必要があります。そういった心の成長に欠かせないのが子育てや教育の環境のはずなのです。

 学校という環境は、通ってくる生徒それぞれの家庭での正しいもの、正しくないものを持ち寄る場所になっています。それぞれの家庭から持ち寄った負ばかりが集まってしまえばそれは過ごしにくい環境となり、浄化されていた部分にまで毒がまかれてしまうこともあるのです。つまり、平和な社会の中で重要になるのがそれぞれの家庭が平和であることが大切という答えにたどり着くことになるのです。

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子育ては鉄の熱いうち

 スタートは親ありき子どもたちの人生、今では子どもの人権についての意識向上によって守られた環境になりつつあります。例えば家庭環境に問題があれば行政が立ち入ることもあり、ニュースなどでもよく報道されています。

 人の成育歴の影響は大人になってから出てくることのほうが多いようです。30代、40代、つまり子育てをするようになってから出てくることがよくあります。子育てをしながら知らず知らずに自分の生い立ちに起因する発言や行動をし、過去に受けたものを今度は似たような発言や行動で浮き彫りにしていくのです。そういった関わりの中で過去においての重荷を発見し、不安を感じてしまうこともあるのです。そんな苦痛を伴う子育てを受ける子どもたちは果たして幸せなのだろうかと考えたり悩んだりします。どうしたら幸せになれるのかと考えること、そんな哲学の世界に少し足を踏み入れて自身のメンテナンスをすることで人生や子育ての再スタートをしてみてはいかがでしょうか。

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 ~TAE BREAK

野球部が初めて勝った日

 今年は、チームが組めるだろうか、それでも試合に出たい生徒がいれば、出してあげたい。なかなか、上手くいかない中でも、5~6人はいつも練習に出てきた。

しかし、登録したのに来ない、いつも気まぐれで、無責任なA君。明日試合だと連絡すると、気乗りしない返事。それでも、迎えに行くからと伝えていた。

 翌朝、最初にA君の家に。案の定、待っていても出てこない。母に説得を促すが、息子との折り合いが悪いのか、堂々巡りを続けている。今日の試合をみんな楽しみにしているのに棄権したら、がっかりするだろうなと私が話し、A君のやる気を必死で引き出そうとしていた。

 私はあきらめなかった。とうとうA君が根負けして、「行くよ、行けばいいんだろう」と一言。私は、無言のままA君と試合会場に向かった。ホッとした。これで試合に出られる。

もういい、試合に出られればそれでいい。

 グランドには、待ちくたびれた8人がいた。朝ご飯も食べずに急いできた生徒がヘロヘロになって待ってくれていた。初戦は、都立高校の定時制。人数からいっても、はるかに規模が違う。それでも、9人揃った。何とかなる。運動靴すら持ってこず、私の靴を履いて出たA君。立ち上がりは良かった。しかし、ピッチャーが燃料切れになった。攻撃中の休める時間に、準備しておいたおにぎりを食べさせた。私はあきらめなかった。必死で声援を送っているうちに燃料切れになったピッチャーも次第に息を吹き返した。勝てる。あきらめなければ勝てる。そう思い始めた。

 最終回、ピッチャーはへたばっていた。それでもみんなが声をかけて、何とか投げきった。そして、試合は終わった。創設4年目にして、初めて都大会で勝てた。

 試合に出られて嬉しかった。しかも、試合に勝てて本当に嬉しかった。

 ありがとう、感動をくれた生徒たち、そして、試合に来てくれたA君。(当時の手記より)


お薦めの“1冊”

「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」

著 者 東田直樹  
出版社 角川文庫  
価 格 560円+税

 人々の多様化への受容が求められる現代社会において、まず、私たちができることの一つに他者への理解があげられます。福祉業界では20数年前に始まったノーマライゼーションの考えから、現在は意思決定や合理的配慮を支援の基本に据える時代へと移ってきています。いつの時代においても共通することはまず、私たちが平和を作り出す社会の一員であらなければということでしょう。変われるものが変わる、これが合理的配慮の入り口だと思います。柔軟な心をつくりあげていくことができれば、そして、それが幸せで感謝につながるようにと。そうありたいものです。変わることのできない、できにくい人たちへの理解はこの1冊からも感じとれます。

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 編集後記

 今号の編集にあたり、私は、中学時代に読んだ中国の作家「魯迅」の小説「故郷」を思い出しました。20年振りに帰郷した主人公が、子どもの頃から持ち続けていた記憶や思い出と今とのギャップに哀愁が漂う場面があります。そして、もう一つの場面でも記憶と今とのギャップに胸を痛めていました。それは、子どもの頃に分け隔てなく遊んでいた雇い人の息子(ルントー)との関係です。ルントーとの再会を懐かしむ主人公に「旦那様」と返すルントーに主人公は愕然とします。その様子は私にとって身分や差別の意識というものはもともとあるものではなく、つくられるものだと感じた瞬間でした。主人公はこの場面で子どもの頃の楽しい記憶が一変してしまうのです。お互いの子どもたちが無邪気に遊んでいる様子に重ねて、主人公は子どもの頃を懐かしんでいました。ルントーとの間にあった垣根にこれまで彼は気づいていなかったのです。せめて子どもたちにはこんな思いをさせたくないという思いがそのあとに続く文章から伺えます。小説の最後は、「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」という文章で締めくくられています。私は今でもはっきりこの文章を覚えています。

 平和な共生社会に向けて、私たちにできること、それは、思い願うこと、そこから行為にと繋げていかれればと思います。

 歩き始め、継続していけばそこが道になり、重ねて希望を持ち続けていけば少しずつ理想に近づいていかれるのだと祈り、そして、願っています。(S・I)
(ikenosai.exblog.jp)


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by ikenosai | 2017-07-22 17:44 | 文化だより | Comments(0)

第17夜 柵原(やなはら)の風



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https://www.youtube.com/watch?v=_vbLl3OZ9WM


 
16歳の春、思春期特有の炎症反応はすでに終わっていたが、恋にはまだ臆病だった。

失恋の恐怖を避けるために片想いのまま、あこがれだけを温めてはその余熱に酔いしれていた。

日曜日の午後は、自転車で家を飛び出すことが多かった。

東京のような大都会に比べると30年ほど文明が遅れているような田舎だった。

信号無しで出かけられる20~30キロくらいのサイクリングコースがいくつかあって休みの日には好んで自転車を走らせた。

 家を出て少し走り、名坂という小さな峠をのぼると隣町の柵原に抜ける。

宮山の坂を下り、北和気を通る頃、道は穏やかになる。

あの辺の神社に巫女のように美しく清楚な女の子が住んでいるのを見つけて以来、この道を通り抜けるのが密かな楽しみになっていた。

 どきどきする心を抑えつつも好奇心からか「逢えるかもしれない」という、そんな期待も含んでいたが、あれ以来、見かけることは一度もなかった。

それでもさりげない表情で走り抜けていた。

 しばらく平らな道が続き、山に囲まれた田園の中を走っていた。

時折民家があるものの、このエリアはほとんど人気のない静かな集落。

 小川沿いを通り抜けるとまた、小さな峠に差し掛かる。

惣田(そうだ)という手書きの看板が目に入り、そこの地名だと分かった。

そこを下っていくと片上鉄道の始発駅になる柵原駅に出る。

 かつての栄華を誇った柵原鉱山の縦坑がある場所だった。

全盛期は大集落だったらしく、美空ひばりがコンサートをしたこともあったが、当時の面影が今はない。

ひっそりと静かに掘られているばかりである。

 駅舎は清里を思い浮かべるような、高原風のかっこいい建物だったが、始発駅にも関わらず、利用者はほとんどいなかった。

 静かな駅舎には駅員がいて運賃に合わせた切符に日付のスタンプを押して改札口でチョキチョキと切符切りもやっていた。

 山あいのその駅は南北にそびえる山に挟まれて昼間の一時しか日が当たらないためか、通るときはいつも暗く見えた。

 柵原駅を線路沿いに下っていくと吉井川が見えてくる。

しばらく川沿いを惰性だけで滑走すると吉ヶ原駅にたどり着く。

 列車は概ねここに集まり、何本かの引き込み線に散在している。

ここが拠点の駅だと察する。

それでも乗客は少ない。

 そのころ、菊池桃子が出ていたポッキーのコマーシャルに使われていたことが後に分かった。

「もう会えないかもしれない~」で始まる歌詞でそのコマーシャルをテレビで観ていたのだがそこだとは全く気づかなかった。

 しばらく、線路沿いをつたってもう一駅過ぎていく。

とんがり屋根の同じような駅舎が続いていた。

中学校時代に自転車で児島湾まで逃走したときに進みながら数えていた駅舎の記憶がよみがえっていた。

美作飯岡駅を過ぎると吉野川が吉井川に合流する。

 道沿いから東に向くと築山に目が行く。

空から何かが降りてきているような不思議な感覚に包まれる。

そして、小学校時代に道徳の教科書にのっていた「月の輪古墳」の話を思い出していた。

 かつて豪族がこの地にもいた証(あかし)。

それ以来、僕のパワースポットになっていた。

古墳には札が立てかけられ、史跡として地域で管理されていた。

 橋は渡らず、吉野川沿いをしばらく上っていく。

蛇行する川の周りに点在する田園風景に少し力をこめてペダルを漕いでいく。

 安蘇を抜け、湯郷の手前の位田を抜けていくと、バイトで知り合った友だちの家がある。
恥ずかしくて一度も訪れはしなかった。

一学年上の美しい人だった。

そこも独りよがりの片思いのまま静かに通り過ぎていく。

 細い山道を心細くも進んでいくと青木、下大谷に出る。

ひたすら進む山の中、蛇行するアップダウンの道、そこから奥大谷まで行くと勝央に抜ける道にやっとたどり着く。

 充分に体力を使ったあとだけに、下っていく坂道で額から頬に滴る汗が乾き始める。

やがて汗が引き、塩を噴いたようにザラザラとしてくる。

 山道にポツリと現れる銭亀ロッジというさびれた店の前を走り抜ける頃、為本に出るが、国道179号線には出ず、堂尾にまわり、新池に出る。

新池の土手下が名坂で、始まりの道に出てその日のサイクリングは終わる。

今でも草木が芽吹く頃、春の匂いとともに柵原の風を感覚的に思い出す。

思春期に感じたあの春の匂いを・・・。

 懐かしく、切なかったあの頃独特の感覚。

 そして、あの頃好きだった人たちが片思いのままで良かったのかもしれないと今は思えてくる。

あこがれのまま今も余熱のまま残っている。

 この感覚が心地よいかさぶたのままで古傷のようになっているのをこの時期に感じるのである。

もう会うことのない憧れのあの人たちを心のアルバムに閉じこめたまま僕は生きている。

もう会ってはいけないのだと思う妙な感覚の中で。

 あの頃は携帯電話がなかった。

家に電話をかけると誰が出るのか分からないので少し怖かった。

 覚悟がないままでは軽はずみなことはできなかった。

だから、そっと、さりげなく眺めるくらいで満足し、憧れのまま閉じこめていたのかもしれない。

あの頃の感覚が懐かしく、そして、青いままの部分が今でも僕の中にあるのを感じる。


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by ikenosai | 2017-07-01 23:56 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)