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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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文化だより 第31号(創刊から10年の総括 最終章)

  文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
   第31号 (平成28年 10月 1日)
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
  特定非営利活動法人 文化高等学院

   子育ては親子ともどもを
       “育て直す”きっかけとなる!
         (創刊から10年の総括“最終章”)


“他田引水”は
「生き易さの智恵」

 
 人は長く生きていきますと色々なことを考えます。紆余曲折あって、色んなことを感じ、学んでいき、そして、不思議なくらいに多くの人が似たような答えにたどり着きます。大往生といえる人生を送りますと、自然と感謝の思いがこみ上げ、生き抜くことが人生のプロセスとして大切で尊いものだと語るようになります。次世代への思い,さらに、自分の亡き後のことを意識するようになり、子々孫々への思いも出てきます。しかし、案ずる気持ちが強ければ、過保護に、自分を立てようとすれば、相手への配慮に欠け、人間関係に悩んでもいきます。しかし、苦難によってその苦難を乗り越えていく過程に感動が隠れているのです。

 悪いことのあとには良いことがあり、苦労し、乗り越えたことで感動は生まれるのです。挫折はその人を育てる好機になるものなのです。全ては受け止め方で自分にふりかかる出来事への価値が変わると言うことなのです。そして、充実感を感じる喜びの根底には人に喜んでもらえることが大切です。自分のことだったら折り合いを付けて、やめそうになるようなことも、他者の喜びのためとして取り組むと、頑張り甲斐が出てきますし、意外や意外、自分のこと以上の喜びが得られるものです。さらには大勢の人々へも大きな感動を与えるものなのです。

 現代の子育てや教育の中で「利」についての捉え方が大きなカギになっているでしょう。「利」をできるだけ自分のところへと持ってくる技術をいつの間にか教えている場面が多く、自己責任の捉え方もズレています。信号待ちで青になって横断歩道を渡るとき、青だからとそのまま無意識に渡るのは危険を伴います。安全確保の習慣があれば、信号に関係なく、周囲の車や自転車、歩行者の動きなど安全確認をしてから渡るでしょう。車と人との事故だと、一般的には車のほうが悪くなります。しかし、そんな意識では本来、自分を守ることはできません。歩きながらゲームをしたり、ヘッドホンで音楽を聞いているのは自分を守る意識が乏しいのと同時に社会との接点での自己責任が果たせていないことになるのです。また、素直に謝れない人も同じです。謝ることが「損」だと思う価値観は、やがて、自分の責任を認めず、他への責任転嫁ばかりの生き方へと繋がっていきます。自分を立て、自分を守ることで精一杯の親であれば、他人を思いやるゆとりなど子ども達に伝わっていくはずがないのです。


 幸福感をつくる小さな“ワークショップ”

 人の社会の中で生きていきますと、対人関係が生まれてきます。そうしますと多かれ少なかれ、優劣や損得の意識も生まれやすいものです。社会的地位や名誉など、目や耳で分かるもので評価をするようにもなりがちです。学校の成績だって優秀であればあるほど嬉しいのはごく自然な感覚です。子どもを授かってから乳児期の子育て中に、病気や怪我に遭遇しますと、元気でさえいてくれればそれでいいと思ったりもしたはずなのに、親同士、親戚同士等々、色々な付き合いの中で、少しずつ比較していくようになっていくのが人の性(サガ)なのでしょう。習い事を始めたり(本人の意志で進めばそれは素晴らしいのですが)、親の思いを洗脳させたりして、より学力の高い学校へと欲も出てきます。今でも学校名だけで優劣をつける人は多いもので、有名校や偏差値等の上位校に行かせたくない親なんてそんなにはいないでしょう。いつの間にか、子どもにかかる期待から、生き辛さなど心へのストレスを与えてしまうことも。周囲がそうであれば、そんなもんだろうと思い、ついつい子どものメンタル面などは考えません。原点に立ち帰って何が大切かを考えることも必要になります。人の行動は、言われてやること、指示されてやることではいずれ、やる気がなくなっていきます。それは勉強も習い事も同様です。自己の心の内側からこんこんと湧き出る意志の表出でなければ長続きだってしにくいものです。自分で目標設定をして、覚悟しなければその先で目標を見失ったり、ちょっと嫌なことがあったりして、動けなくなったりと、何かの形で拒絶反応が起こるのです。それは、小学校か、中学校か、高校か、いやその先の大人になってからかもしれません。がんばれる気持ちは大切なのですが、がんばらされている気持ちはその後に大きな落とし穴に落ちてしまうことが多く、そのままでいても幸福感につながる、心の中に必要な丈夫な根っこがないまま大人になってしまうのです。

 長く生きていれば生老病死はさけられないものです。年をとり、加齢に伴い病気にもなります。生活習慣が悪ければ癌や脳卒中、心臓疾患等のリスクも高くなります。特に食生活の乱れは心の乱れにもつながります。それでは、どうすれば善い生き方になっていくのかという方向付けと言いますか、課題が出てきます。「生き易さ」について考えますと、自分中心のこだわりをなくしていくことがカギになります。我慢していくと心の病気も心配になります。ここで重要なのが自己をコーチングする技術や力になります。太い心、折れない心をつくる取り組みになります。そこには「覚悟」が必要になります。何でもそうですが、できたらいいな、誰かがやってくれれば・・・?なんて思っていてもいつまでもそのままで変わらないものです。変わる心のきっかけは自分が変わろうとすることから始まります。例えば関わる相手に期待するのではなく、自分からはたらきかけること。意識した、理想的な言葉かけなどの取り組みをこちらからつくっていくことが重要になります。そして、そこでの取り組みの中で、結果がすぐにでることもありますが、なかなか出ないこともあります。真理に基づいたことであれば、最終的には天国に貯金をするような気持ちで継続すると、気持ちのおさまる場所が心地よくつくられていきます。なかなかつくられないようでしたら、工夫して小さくステップアップしていく必要があります。誰かに喜んでもらう生き方や先祖が何を望んでいたのか等を想像したり、共感しようとする意識がやがて善き思い、善き行いへと自身を高めていくことでしょう。そうやって善人が増え、小さな平和が結集され、大きな平和へと膨らんでいくのです。



“明確な目標”
 意識できる環境を!

 思うこと、目標などの標語の掲示で常に意識できる環境がつくられれば、ネガティブな意識を取り除くことができます。やさしい言葉かけを意識し、悪い発言や悪い意識を減らす工夫で善き行いへと変わっていくでしょう。それを証明しているのがマザー・テレサです。彼女の開いた「孤児の家」の壁にはこんな言葉がかかっています。

“考える時間を持ちなさい
祈る時間を持ちなさい
笑う時間を持ちなさい
それは力の源
それは地球でもっとも偉大な力
それは魂の音楽
 (中略)
施しをする時間を持ちなさい
それは天国へと導くカギ”

 こうした言葉が目に触れ、口にされ、行為を支える意志は常に反復され強固になっていくのです。
 幸福の原点は人に期待せず、まずは自分が変わっていくことなのです。それも根気よくです。子育ても親が変わらなくてはならないというのが子育てに悩む親御さんたちの関わりの中で得た今の答えです。



潜在能力は多様な人々との交流から

 行為を支える原動力は興味があるときにこそチャンスです。それが若ければますます道が開けるものなのです。経験値を高めるためにも、見聞が広がる環境の整備が必要で、それによって可能性は高まっていきます。本人を取り巻くもの、周囲の大人たち、交友関係の影響等々、社会的な資源から多くのチャンスに恵まれていくのです。ただし、裏を返せば、悪への誘惑もあるのです。何が大切なのかと考えますと、やはり、関わりなのです。関わりということは、親もそれなりの覚悟と意識が必要になるのです。



 幸福を反復させる

 子育てで一番楽しかった頃、子どもが可愛かった頃を思い出してみてください。その頃の可愛い写真をよく目にする場所に置くだけでも心のありようが変わってきます。子どもが思春期の頃からどんどん変わっていき、憎まれ口を言われたり、腹が立ったりし、関われば関わるほどにそんな感情が出てきます。そこをリセットできるのは生まれた頃や可愛かった幼少期を思い出すことなのです。あの頃に充分に親孝行してもらっているはずなのです。そして、大人達も子どもの頃を思い出すのです。子どもの頃に親と関わったプラスの思い出を何度も思い出し反復することで意識が変わっていくのです。そんな思い出が乏しいようでしたら今からの子育てでプラスの思い出をつくって行くことです。その積み重ねが幸せに生まれ変わるきっかけになるのです。


お薦めの“1冊”
「日本でいちばん大切にしたい会社」

著 者 坂本光司

出版社 あさ出版

価 格 1400円+税

 ブラック企業という言葉が蔓延る昨今、労働時間に反比例した賃金、年功序列に終身雇用が夢まぼろしのように言われている中で、世の中捨てたもんじゃないと思える企業がまだあったんだとびっくりします。女性や障害のある方達が活躍されている企業も多く、創業時の感動秘話に涙が溢れてきます。現在、シリーズ5まで発刊されていて、まだ増えていくでしょう。こんな会社があったらいいのになあと思う会社が実在していることに希望が持てる1冊です。


 心に向き合い 心を通わす

 子どもを授かるのは男女が協力し合ってのことですが、子育てはそれぞれの人生の中で一部を捧げ、力を合わせた関わりの中で積み重ねていく必要があります。そこで、パートナーとのやりとりが子ども達の心、人生を生き抜いていく支えになっていくのです。

 パートナーを大切にしている様子から子ども達は結婚に対する価値を感じるようになります。親が不満や悪口ばかり言っていたら結婚も子育てもネガティブなものにしかならないのです。ただ生まれたのではなく、どのように育ったかが重要なのです。良い子育ては大人達の生育歴が大きく影響しています。人の心に響くものは感謝の思いなのです。家族への思いなのです。共に暮らし、共に生きていてくれていること、それを尊く思えることが大切なのです。家族にとって一緒にいて安心や落ち着くといったプラスの何かがはたらく存在でありたいものですね。子ども達が望んでいるのはそんなことなのです。

 私の父は半年前に亡くなりました。毎朝空を見上げて優しかった父の眼差しを思い出し涙が滲んできます。それだけで生きて行かれる気持ちになれるのです。それが父の残してくれた財産です。



 編集後記

 長野県上田市にあります「さくら国際高等学校」の校長室には、地元で代々続く常楽寺の住職で後に天台宗の座主をされた(故)半田孝淳先生の書がかけられています。陰ながら関わってくださっていた半田先生から授かった書には「和顔愛語」と書かれています。意味は、人に笑顔を、やさしい言葉かけを、とでも訳しましょうか。住職ならではの仏の智恵を授かったその言葉にこそ未来へ通じる「平和」への願いが託されています。平和の基礎は身近なところから・・・。関わり合う人を思いやることから始まります。お金のかからないお布施「和顔施」、「愛語施」、ここから始まるのではないでしょうか。それは勿論親子でも、家族間でも同じです。ホッとする、安心する基本はこんなところにあるのです。

 編集10年での答えは、「愛」(慈悲)でした。慈しむやさしい心をそれぞれがつくりあげ、それを次世代へと繋いでいく教育と子育てを私たち大人が強い意識で取り組んでいかれればと願っています。(S・I)
                               (ikenosai.exblog.jp)













  


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by ikenosai | 2016-10-19 00:09 | 文化だより | Comments(2)

「風に吹かれて」



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 「風に吹かれて」を聴いたのは子どものころだった。
ピーター・ポール&マリーが歌っていたのが「金曜日の妻たちへ」の挿入歌だったので覚えている。

 高校2年生のときだった。
英語の先生が、今日はこの歌を訳そうと配ったプリントが「風に吹かれて」だった。


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How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
Pretending he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

 をすべて訳していった。
歌詞も覚えた。
 その後は、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」
「早く家に帰りたい」「ボクサー」
最後はビートルズの「レット・イット・ビー」だった。

 就職コースだった僕たちの授業は、あまり気合いが入らなかった。
英語もそうだった。
もっと楽しい授業をと、ある日、英語の先生がラジカセを持ってきて、英語の歌を聴いて訳そうと言い始め、そうすることになった。
中にはつまんないと言う者もいたが、僕は楽しかった。

 就職が決まっていた高校3年の晩秋のこと、急遽、僕は大学受験をすることになった。
しかも、無謀すぎる低学力の状態でだった。

 それでも、大学に入りたい、体育推薦ではあるが、残っている学部が法学部で一般受験に混じって、しかも、そこそこの点は取らなくてはならなかった。
教科は英国社の3教科、社会は日本史を選択し、自力でやった。国語も自力でやった。
英語の先生が、問題集持ってきなさいと言うもんで、翌日持って行くと、今日の放課後から毎日、英語の受験勉強をしにきなさいと誘ってくれた。
そして、翌日から本気で勉強した。

 そして、合格。

 上京してからのこと。
学生時代、タワーレコードに行って、少しずつ買っていたボブディランのCD。
歴代のアルバムが24枚揃っていた。
あと数枚でその頃は全部揃うはずだった。
CDラックの1段を占めているボブディランのCDを見た妻が、ここのCDほとんど聴いていないでしょ?
とポツリ・・・。
結局、「BOOK OFF」に売りに行った。
それでも、グレーティスヒット集の2枚だけが今でも残っている。
この中の曲は特に大好きな曲ばかりだったから・・・。

 歌詞が好きで、今思えば、その入り口はあの授業からだった。
あのときの先生はもうこの世にはいない。
卓球部の顧問で、一緒に遠征もいったし、その後には卓球とボクシング両方の予選出場も快く認めてくれた。
最後は、僕の受験勉強を応援してくれた。
合格後(卒業式を終えた数日後)、先生にお礼にとブランデーを贈った。
先生は、笑顔で、「悪いなあ、今夜はこれでおまえの合格を祝うよ・・・」と答えた。

 今でも思うこと・・・。
特に思春期から高校、大学にかけてのころ、私を支え、応援してくれた人々があまりにも多く、その恩に報いる生き方がまだまだ足りていない自分を感じる。
やはり、感謝、感謝で日々を送り、懺悔の中から、プラスにつなげていく知恵を出さねばと振り返る。

 今でも「風に吹かれて」をよく聴く、そして、あのころの先生たちを思い出す。
それだけで生きて行かれる力が湧き出てくる。
そして、誰かの役に立ちたいと思えてくる・・・。


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by ikenosai | 2016-10-15 12:34 | 思い出のポケット | Comments(0)

第9夜 片思いの遺言


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第9夜 片思いの遺言


 お母さんは恋をしていた。

お父さんがいるのに、恋をしていたと思う。

5年前に見つかったガン細胞は、もう手遅れの状態になっている。

お父さんは現実を受け止められないまま固まっている。

お母さんにやさしい言葉を掛けられない。

今しかないのに・・・。

お母さんは、覚悟していた。

あと半年もない命だと・・・。

 
 定年後からやっているゲートボールが楽しかった。

しばらくはずっと借りていたゲートボールのスティック。

僕は、いつかプレゼントしたくて探した。

新品があまりにも高くて買えなかったので、時々、インターネットのオークションで探していた。

それでも高かった。

僕は、酒を減らし、たばこを減らし、願掛けのつもりで、毎月5千円を貯金して、半年後の母の日にそれをプレゼントした。

やはり、新品は買えなかった。

ネットオークションで買ったスティックをできるだけきれいに手入れしてプレゼントした。

その次の週にお母さんは大喜びでゲートボールに出掛けた。

嬉しくて、嬉しくて、息子からのプレゼントだとみんなに話していた。

僕は、初めてお母さんがゲートボールをやっているところを見た。

なかなかの腕前だった。

驚いたのは、すごく上手いのに自分のスティックを買わずに毎回借りていた人がいたことだった。

家に帰って、お母さんに聞いてみた。

「あのおじさんはどうして自分のスティックじゃないの・・・?」

「あの人は、お金がなくて自分のスティックは買えないのよ。」

「一番上手だけど、威張らないでいつもみんなと仲良くしているいい人なの。」

「お母さんあの人が一番好きなのよ。」

「きっとあの人も、お母さんのこと好きだと思うの。」

「分かるんだ。」

「でも、分かっているだけでいいの。」

「老婆の初恋なのよ。」

「もう、思うだけでいいの。」

「それだけで幸せ。」

「お父さんがいて、あんたがいて、お姉ちゃんがいて。」

「そこに、素敵な人が一緒にゲートボールをしているだけで幸せなの。」

確かにお母さんは、ゲートボールの日はバッチリ化粧して、お見合いにでも行くみたいにきれいだった。

お父さんはまんざらでもない顔をして見送っていた。


 楽しみだったゲートボールも休みがちになった。

お母さんはしんどそうにして休む日が出てきた。

そんな日のお母さんは寂しそうだった。

辛そうな表情で、ウィックも付けず、ニットの帽子をかぶっている。

やせ細った頬で顔が小さくなっていく。

体もやせ細って小さく小さくなって、腰も曲がってしまっている。

僕を産んでくれたたくましいお母さんはもう面影がなく、天国の使者を迎えるために軽く、さらに軽くなっているように感じて切なかった。

それでも友達が来ると気丈に振る舞った。

お母さんは、本当の親友だけしか呼ばなかった。

お母さんは、自分がガンだと分かっていた。

だから、どれだけ苦しいかも覚悟していたし、イメージもしていた。

それでも、やっぱり苦しいのは嫌だと言っていた。

あと1ヶ月位になって、希望していたホスピスに入れた。

僕は、本当にお母さんが死ぬんだと実感し始めていた。

やっぱり、やっぱり、寂しくてたまらなかった。

お母さんのいない世界なんて想像もつかなかった。

神社に行き、お寺に行き、教会に行き祈った。

それでもお母さんは死んでしまう。

神様にどうすればいいのか何度も尋ねた。

神様は教えてはくれない。

ただ、黙って、寂しがる僕とお母さんをただただ見守っているだけだった。

そうだ、お母さんの喜ぶことをしよう。

お母さんの言うことを聴こうと決心した。

お母さんは、あまりしゃべらなくなった。

最後の力を振り絞り、お母さんが死んだらこうして、ああしてとお願い事を言い始めた。

僕は全部ノートに書いていった。

お通夜も葬儀も身内だけ、家族とお母さんの妹と僕の家族、お姉ちゃんの家族、そして、仲の良かった親友4人、家族ぐるみで付き合っていた僕の友達の家族だけ呼んで欲しいと言っていた。

そして、納骨が終わって一段落したら、ゲートボールのサークルで特にお母さんが仲良くしていた人たちだけ呼んで欲しいと言っていた。

「お母さんの好きだったあの人にお母さんの使っていたスティックを使ってもらって欲しいから、必ずあげてね。」

「これはお母さんのお願いなの。」

「あの人はきっと受け取ってくれるわ。」

「だって私のことが絶対に好きだから。」

「そして、最後のお願いがあるの。」

「あなたたち姉弟はずっと仲良しでいてね。」

「お父さんのこと大切にしてね。」

「ずっと、ずっとだよ。」


 ホスピスに入ってから1ヶ月半、やっぱり来る日が来た。

お母さんの意識が遠のいていく、前日から何度か危篤状態になっていた。

昼前になって、ご飯を食べようと部屋を出ようとしたときだった。

お母さんは手をそうっと挙げ、視線を僕に向け、僕の手を呼んでいる。

僕は、なんだ元気じゃんと思った。

僕はお母さんの手を握り、お母さんはその手をぎゅっと握り返した。

僕の顔を見ながら手を握った。

ぎこちない表情に見えたが、お母さんは一生懸命だったはず。

僕の視線を確認すると、うん、うんとうなずき、もう一度手を強く握って目を閉じた。

目尻にスーッと涙がしたたり、目元が震えていた。

そして、強く握っていた手の力が一気に抜けていった。

離したくなかった。

この手を離すと、お母さんはどこか遠くにいく感じがしてどうしても離したくなかった。
寂しくて、寂しくて・・・。

僕は大泣きした。

お母さんが死ぬなんて、嘘だ、絶対に嘘だ。

僕は、子どものようにおいおい泣いた。


 お母さんの遺言通りに通夜も葬儀もおこなった。

納骨が終わり、一段落してから、お母さんが好きだったゲートボールの仲間達を家に呼んだ。

仏壇の遺影に手を合わせ、そして、お母さんとの思い出を語り始めた。

やっぱり、お母さんはみんなに好かれていた。

やっぱり、大切にされていた。

良かった。

嬉しくて涙が出てきた。

そして、お母さんが好きだったおじさんに声を掛けた。

「母からの遺言で、このスティックをおじさんにもらって欲しいと言われまして・・・。」

おじさんはお母さんの遺影に向かって、手を合わせ、深々と頭を下げた。

そして、おいおい泣いた。

やっぱり、おじさんもお母さんが好きだったんだと思った。

僕は心の中でつぶやいた。

「お母さん、良かったね。」


(親友と天国に召された親友のお母様に捧げる)






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以前、親友のお母様が感激してくださったそうめんを使った夏野菜パスタ!




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by ikenosai | 2016-10-01 05:59 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)