いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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小学校最後の運動会



2013年 6月 9日 投稿の記事より・・・


  私自身の中学の運動会も思い出していた。

 小学校では全てのリレーがアンカーで、応援団長をしていたのに中学では一気に陰の存在。

 800メートル走に出場し、7人中ビリ、2年のときは400メートル走で7人中3位。

 3年のときは、おたふく風邪と髄膜炎で2週間休んで卒業アルバムの運動会のところを見ても、記憶にない場面ばかり。

 決して輝けるものではなかったと記憶している。

 それでも、母は応援に来ていたし、運動会前には自主練習をしていた私にスタミナドリンクを毎日飲みなさいと1箱買ってくれていた。

 両親との色々なことを思い出していた。

 小学6年のとき、父はソフトボールチームの監督になった。

 レフト側のファウルボールの位置に校舎があり、1階が音楽室で2階が図書室。

 1階の音楽室のガラスがファウルボールで何度も割られていたので、その都度用務員のおじさんがガラスを入れていた。

 大変な仕事と思った父が、家に余っている大量の板ガラスを寄贈し、1階の音楽室の窓全面に鉄のネットを組んで取り付けた。

 事前に学校から許可を得て、何日かに分けて少しずつ奉仕活動として自己負担で取り付けた。

 それ以来、音楽室のガラスは壊れなくなった。

 それは、卒業後も、私が大学を卒業して数年後の建て替えまでの間ずっとだった。

 私が通う学校のために精一杯できることをやってくれた父に今はとても感謝している。
 

 果たして私は、子どもたちの通う学校にどれだけ恩返しできているだろうか?そして、先生たちに感謝できているだろうかと思いながら1日を過ごしていた。

 学校は素晴らしい、とにかく子どもたちを見ながらつくづくそう思った。



 


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追記(平成28年6月)

  そして、今回は2年ぶりに運動会を観に行くことができた。

 6月28日(土)だった。

 私の役割は弁当作り!

 友人の父も招待して一緒に観た。









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by ikenosai | 2016-05-30 22:34 | 現世に乾杯! | Comments(0)

天国へ


「神様がくれた一週間」


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4月23日(土)
 父が危篤との連絡が姉よりあり、父のケータイへ連絡すると、まだ話ができた。

  25日(月)
 朝早くから、姉のメールで、父が肺炎とのこと。
すぐに、職場の上司に話し、大型連休中の私の担当していた業務を全て、分散し、交代していただくことになった。

  26日(火)
 半ば強引な引き継ぎながら、昼前には東京から新幹線に乗って、新大阪から高速バスに乗り継ぎ、父の病院がある中国勝間田で下車。
姉が迎えに来てくれて、その日から、私も看病するメンバーに加わった。
 父は、話すこともでき、臨終はまだまだ先にあるように思えてきた。


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 病院と家との間にある、私の好きな風景。(国道179号線のそば)


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 春の風を感じながら!

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 ウシガエルがすんでいる池!

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 あふれた水が少しずつ!


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 父の病室から見える景色。
高校時代に読んだ、オー・ヘンリーの「THE LAST LEAF (最後の一葉)」を思い出していた。
希望の葉っぱに私たちがなれればと願った。
 姫新線(勝間田駅と林野駅の間)を通る汽車の音が、時報のように!








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4月30日(土)
 命日になる朝が来た。
まだまだ、そんな余波はなかった。
 霜(しも)が降りた朝だった。

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 大型連休の2日目だった。

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 午後から、ひとり外に出て野球を観ていた。
病院から数キロ先、湯郷温泉の近くにあるスポーツの総合施設の野球場。
シニアリーグの練習試合(津山のチーム vs 美作のチーム)
美作といえば、湯郷出身で今も在住の、あさのあつこさんの「バッテリー」、ここはその聖地と言える場所。
野球を観ながら、少年時代の父とのソフトボールの思い出を振り返っていた。
小6のあの夏に市の大会で優勝した思い出。
父が監督で、私がキャプテンだった。
秋には県大会に出場したことも思い出していた。
のびのびとプレイしていた少年時代。
そのまんま私は大人になった。


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 再び病院に戻るとき、車を止めて眺めていた滝川。
この川は、梶並川、吉野川、吉井川に注がれ、瀬戸内海へと・・・。
水に映る西日に、微睡んでいた。
父とのわずかな時間を意識しながら・・・。


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 西日本の夕方は、東京より少し長い。
通り過ぎていく人々、周りにいる人々が輝いて見えていた。
父の薄れゆく命の儚さと重なってか、切なく、そして尊く見えて・・・。

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 26日(火)から帰郷して5日目になる。
昨朝から父の意識レベルは下がってきていた。
痛みの緩和のため、背中には麻薬の湿布が貼られていた。
それまで堪えていた痛みが嘘のようにすやすや眠っている。

 26日(火)、27日(水)、28日(木)と、この3日間で思い出話を交えながら、父に「ありがとう」と言えた。
そして、父からも「ありがとう」という言葉が何度も出ていた。
 父の手を握り、額と額を寄せ合って「共に乗り越えていこう!」と言葉を掛けると、父は「うん、うん!」と応え、お互いに覚悟した。

 48年もの重なり合う父との現世・・・。
とうとう、私たち家族はジェットコースターに乗り込んだ・・・。
そして、今、絶叫の乗り物に一喜一憂しながら乗っている・・・。
そんな感じがしていた。

 午後から、血圧が下がり始め、酸値も少しずつ下がっていることを看護師からも伝えられた。
もう寝ているだけの父。
寝息が穏やかになってきている。
やがって止まってしまう父の呼吸。
寂しさが少しずつ私を襲い始めてきていた。
もう語らうことはないかもしれない。
しかし、ときどき、手を握り「お父さん」と言葉を掛けている。
どうか、苦しみが少ないようにと祈る私。
「シュワシュワ」と酸素が通る瓶の音に一定のリズムで「~ハッ、~ハッ、~ハッ」と父の寝息の音がする。
その横で、父を見ながら座っている私。
今日も叔父(父の弟)が付き添ってくれていた。
昔の話をたくさんしてくれた。
父との若い頃、大阪にいたころの話など・・・。
私の知らなかったことがたくさんあった。


 夜8時半頃

 以前、肺炎をおこした父は、あの危機的な状況から生還していた。
あれから5年目の春が過ぎていた。
一旦、肺が弱ってしまった父は、弱いなりの肺を、高地トレーニングのような状態で鍛え上げていた。
なので、医者からは2日ともたないだろうと言われていたのに6日が過ぎようとしている。


 夜9時40分頃

 血圧が下がり、120くらいもあった脈拍が50~60に・・・。
肩で呼吸をしていたはずが、浅くなり、弱まっている。

 そして、呼吸が止まった。
もう、戻ってこない・・・。
再び、1回だけ大きく肩で息をした。
それが最後で、もう息がなかった。
「お父さん、お父さん」と耳元で呼んだが父の意識はもうこの世には現れなかった。

 ジェットコースターが止まった。
私は周りを見渡した。
みんながいた・・・。
しかし、父だけがそこからいなくなっていた。

 
 夜22時頃

 当直の医師が死亡を確認した。
呼吸器、諸々の管が外され、やっと父は身軽になった。
主事医も自宅から駆けつけてくれた。

 看護師2人、母、姉、姪、義兄、私で父の体をきれいにし、お気に入りのスーツを着せた。
そして、叔父の車で運ばれて父は帰宅した。
すでに日付が変わっていて、葬儀屋が家に来ていた。



 5月2日(月)通夜

 5月3日(火)告別式



 父の遺言どおりに葬儀がおこなわれた。



 父が私にくれたもの、それは慈悲の一言に尽きる。

みかえりを求めない無償の愛を惜しみなくいただいた。

小学校6年のとき、前年までのソフトボールの指導者が勇退し、私の担任の説得で、父が監督になった。

毎日、16時に仕事を切り上げて、指導に来てくれた。

その年、市の大会で優勝。

私が卒業後も監督をし、3年間務め、市の大会では全て優勝し県大会へ出場した。


 今年に入ってからも父が言い続けていたことがある。

「子どもは親の背中を見て育つ、だから、おまえの生き方は子どもに影響を与えるけん、子どもたちをしっかりとみてやって欲しい・・・。」と。

そして、必ず、「お父さんはそれができなかった。許しちゃってくれいや・・・。」と私に謝っていた。

私は、その言葉を聞くだけで、ああ、親孝行をしなければという思いになる。

しかし、墓石に布団は掛けられぬ・・・。

なので、その思いを子どもたちにと思う。

しっかり、子育てをすることで父への恩返しにしたい。

 
  お父さん、どうか天国から見守っていてくださいね。

いつか私がそちらに行くまでの間・・・。



 棺の中に花をたむけるときだった。

それまでは涙が出なかった。

もう覚悟ができていたから、そう思いこんでいた。

喪主の私は、一番最初に棺の中に花をおくと、思わず父の髪をなでて、自分の頬を父の額につけて「ありがとう、お父さん、さよなら・・・。」と父に話しかけると、止めどなく涙が溢れてきた。

やっぱり、泣いてしまった。

おいおい泣いて、父にお別れをした。





















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by ikenosai | 2016-05-13 19:03 | お父さんお母さん | Comments(9)