いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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“夏の炎天に、秋の稔りを見いだす”

 今年の夏は、覚悟の夏。

 高齢の父に会いに行くことが、こんなに難しい年はない。

 人間にとって仕事とは、果たしてどれだけのものなのか?

 歳を重ねると、それなりの職務が与えられる。

 ひとたび、私のわがままを通すと、一気に組織は崩れていくことも範疇である。

 生きながらにして、苦行をポジティブに捉えるには、やはり、役割を果たしつつ、善行に取り組むこと。

 父を思い、母を思い、私の家族、姉家族を思うくらいしかできない。

 そして、職場の人たちへも「思うこと」を続けること。

 一隅を照らし、一隅に誠をこめること。

 後悔のない生き方は、やり尽くしたこと、思い尽くしたことの積み重ね。

 そこに智慧を注ぐこと、その努力をしていくこと。

 先日は、立川の花火大会があった。

 ありがたいことに、我が家は特等席。

 ベランダから道を挟んで、駐屯地。

 そこが花火大会の会場。

 昼間から、夕食の準備をしつつ、眼下に花火大会の設営を眺めている。

 ここに移り住んでから、かれこれ15年が過ぎた。

 夫婦ふたりっきりだった新居に、娘を授かり、息子を授かり、今年、娘は中学3年生。

 みんな歳をとってしまった。

 義理の母を彼岸に送り、独り身の義理の父は、老人ホームから、わざわざ花火を観にきている。

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 いつもなら、大勢の友人を招き、大ご馳走の花火の夜。

 子どもたちは、私の実家の津山に帰り、今年の花火は、妻と私と義理の父の3人だけ。

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 ささやかに食事をつくり、アルコールのないカクテルを準備し、一緒に現世のひとときを過ごした。

 みんな歳をとってしまった。

 いつかゆく彼岸へは、何ももっていくことはできない。

 だから、せっせと思い出づくり、「やり尽くし、思い尽くして、善を積む」。

 すべてにこれができたなら、稔りの秋がやってくる。

 心にじんわりと来る感動の稔りが・・・。

 父を、母を、妻を、子どもたちを、関わるみんなを思うこと・・・。

 私にできる、今できる、大きな心につながるちいさな取り組み、小さな積み重ね。

 彼岸(あの世)に続く私の日々の生活・・・。





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by ikenosai | 2014-07-31 13:52 | 食べること | Comments(3)

現存する唯一の映像

 僕は、神様はいると思う。

高校1年の秋、失望に苛まれ、もう学校にはいられない、そう思った。

僕たちに原因はあったが、サッカー部の大きな奴に殴られて、もう学校には行けないと思った。

復讐を提案し、加勢するという仲間も現れたが、復讐からは何も生まれないと思ったから、断った。

そして、サッカー部と同じ、全国大会へ出場するという目標を僕は設定した。

必ず結果を出さなければと思い、ひたすらがんばった。

しかし、神様は、まだ、僕に力を与えてはくれなかった。

僕は、3回の予選に出て、全部負けてしまった。

最後の試合が終わったとき、色んな人たちに助けてもらったことを振り返った。

嬉しくて、感謝が込み上げてきた。

僕を殴ったサッカー部の奴とも、いつの間にか普通に話せるようになっていた。

僕は、少しだけ大人になれた感じだった。

そんな僕に神様がご褒美をくれた。

まだ果たせていない夢の続きをみることのできるご褒美だった。

一度も勝ったことのない僕に大学からの推薦の話がきた。

僕はどうにかしてその夢の続きが見たくて、お父さんに頼み、お母さんに頼み、お金が足りないなら、夜学でもいいからという条件で、進学して、働きながらでも夢を叶えたいと願い、覚悟を決めて進学をした。

 箸にも棒にもかからない僕にも天性と言われる強みがあった。

センスはなかったが、一発逆転できるだけのパンチ力があった。

高校で無名だった僕は、誰にも知られていない地味な存在だった。

それでも、神様が与えてくれたチャンスで、大学のリーグ戦に出場した。

憧れの後楽園ホールだった。

それも、4年間で20戦、全試合に出場した。

そして、大学のチームの存続のために必要とされ、大事なときに役に立つことができた。

後楽園ホールでの20戦。

唯一残っている映像が、19才のときの対、慶応大戦。

神様からもらったハードパンチだけで9つの勝利をいただいた。

それはまるで僕の人生そのものだった。

勝負も人生も「下駄を履くまで分からない」と思い、一期一会に全力を尽くした。

凡人だった僕でもドラマチックな青春時代をいただけた。

僅かな縁に結ばれて、その縁に生かされて・・・。

そして、国体へも出場し、中国地方で一番になれた。



~後楽園ホールでの戦績~

昭和61年11月1日(土)18才
大学1年
後楽園ホールでのデビュー戦
対 法政大  ●  ウェルター級67Kg   

     11月16日(日)
対 東海大  ○ ウェルター級67kg  1R 60秒 TKO
(相手:59年ライトヘビー級、60年ミドル級 高校チャンピオン)
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 この日の試合は、まだ、通算で7戦目だった。
 しかし、5戦目ではアジア大会を控えていた赤木武幸氏と国体(中国地区大会)で対戦している。
 井の中の蛙(かわず)だった僕にとって、初めて大海の百獣の王と戦うような感覚だった。
 しかし、狙って、しかも、ためて打った左フックがまともに顔面をとらえたとき、僕を支配していたコンプレックスが一気に消えていった瞬間でもあった。
 1ラウンドで負けはしたが、あの瞬間から僕は気負いしなくなった。
 そして、この試合で2年連続高校チャンピオン、しかも、僕より10kg以上も上の階級のチャンピオンを倒すことができた。
 ボクシングは、心で戦うものだと思った。
 弱かった僕が少しずつ、強さを授かる時期だったと振り返る。


     11月29日(土)
対 日体大  ○ ライト級60kg    判定

     12月13日(土)
対 慶応大  ○ ライトウェルター級63.5kg  2R 失格(相手の反則)

     12月27日(土)
対 早稲田大 ○ ライトウェルター級63.5kg  判定


    
昭和62年5月9日(土)19才
大学2年
対 法政大  ● ライトウェルター級63.5kg

     5月24日(日)
対 早稲田大 ● ライトウェルター級63.5kg 
(相手:61年ライト級 高校チャンピオン ピストン堀口の孫)

     6月6日(土)
対 日体大  ○ ライトウェルター級63.5kg 1R TKO
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 連敗していたため、勝てないんじゃないかという不安がよぎっていた。
ボクシングの神様的存在のピストン堀口を祖父に持つ、堀口君との対戦は話題にもなり、僕の敗戦の写真がボクシングマガジンにも掲載された。
 負け癖がついているような、重い呪縛をぬぐいつつ戦ったこの一戦。
 右クロスで相手があっさりダウンし、そこから、たたみかけるように、左のフックやストレートの連打で倒した。
 相手選手はのちに、全日本選手権のウェルター級(67kg)でベスト4にまで成長していく。
 このときまでは、気持ちの面で、僕の方が強かったはず・・・。

     6月20日(土)
対 東海大  ● ライトウェルター級63.5kg

     7月4日(土)
対 慶応大  ○  ライトウェルター級63.5kg 1R TKO 
私の試合で、現存する唯一の映像

(おことわり:編集のミスで同じ試合が2つ入っています)

 乗り越えられたことの記憶は今でも、僕の人生の支えになっている。
 あのころの過酷な日々は、その後に苦しいことが起こっても、あのころの苦労に比べてみれば大したことはないと思える。
 この試合の日の朝も6時に起きて、8時から後楽園ホール控え室で計量とドクターによる検診。
 そして、その後、10時から三軒茶屋で2時までバイトをして、17時から始まるリーグ戦に合わせて再び後楽園ホールのある水道橋へ。
 何が僕を支えていたか、それはおぼろげではあったが、この先には希望があると思っていたからだと思う。
 不安よりも、明らかに希望がたくさんあった。
 そう感じている。
 それは、今でもそうである。
 人が生き続けるには、希望が大切であると思う。
 ビクトール・E・フランクルが生き続けられたのも、希望が大きかったからだと思う。


昭和63年10月30日(日)20才
大学3年
対 早稲田大 ● ライトウェルター級63.5kg 
(相手:61年ライト級 高校チャンピオン ピストン堀口の孫)

     11月12日(土)
対 慶応大  ○  ライト級60kg 1R TKO 

     11月27日(日)
対 東海大  ● ライト級60kg 

     12月10日(土)
対 法政大  ●  ライト級60kg

     12月24日(土)
対 日体大  ●  ライト級60kg



昭和63年5月6日(土)21才
大学4年
対 早稲田大 ● ライト級60kg 
(相手:61年ライト級 高校チャンピオン ピストン堀口の孫)

     5月20日(土)
対 日体大  ● ライト級60kg 

6月3日(土)
対 専修大  ●  ライト級60kg

6月17日(土)
対 東海大  ○ ライト級60kg 3R TKO 

7月2日(日)
対 慶応大  ○  ライト級60kg 2R TKO


このころのお話を以前、駒澤大学の光岡博美教授のご紹介で、のべ3000人以上の学生に話させていただいた。
平成22年 駒澤大学経済学部 キャリアデザイン  講義記録 ・・・1
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by ikenosai | 2014-07-20 22:22 | 動画 | Comments(0)