いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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“民主主義”の中の“自己責任”

文化高等学院通信(研究誌) 第23号
  (平成26年  2月 1日)
                  
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
                  
  特定非営利活動法人 文化高等学院


“民主主義”の中の“自己責任”

生きていくためになすべきこと!

“やさしさ”は
   標準装備されている


 人は本来間違っていることや楽しそうでないことなど、不幸な人生に対して回避する力を持っているものだと思います。嫌なことは嫌、間違っていることは間違っていると言える感覚はあったはずだと思います。しかし、国家レベルでの大きな安心や安定のようなものを信用したり、依存したりして心までも操られていくこともあるようです。特にみんながそうだからという大衆の流れに惑わされやすいものです。そんな中、ふと子どもの頃はどうだったのかと思うことがあります。小学生の頃夢中になって観ていた「フランダースの犬」というベルギーを舞台にしたアニメーションがありました。おじいさんと少年のお話です。貧しい生活の中にあってもささやかな愛情が注がれていて心やさしく育っていくネロ少年。そして彼を取り巻く人々の心温まる情景に感動し、人としての正しい生き方を子ども心にも強く感じていたのを憶えています。

 そんないい物語もやがて月日が経ち、やさしいおじいさんが亡くなります。周囲の人たちのやさしい関わりも一変し、強い立場の者たちの感情に左右される中でどんどんネロ少年は不幸な状況になっていきます。愛犬パトラッシュと共に過ごす貧しく苦しい生活の様子を観ていた視聴者の子どもたちから「ネロを殺さないで!」という内容の投書がテレビ局に殺到したそうです。人は子どもの頃にはやさしさや思いやる心、和を築くような、人の幸せを願うような心があったのではと思います。しかし、そういった感性も環境や年齢と共に妥協とでも言いますか、マイナスの意味での遠慮のようなものが働いて良いものまでも抑制してしまうのではないでしょうか。社会資源に焦点をあててみると、ネロ少年にはいくつかのキーパーソンが存在していたはずです。まず一番仲良しの少女アロア、彼女の両親、そこで働いている男、隣に住むおばさん、牛乳の配達先の街アントワープにいる友だち。しかし、強い立場の者の振る舞いで彼の生活はどんどん苦しい状況になっていくのです。誰かが手を差し伸べなければならない非常事態にも周囲の大人たちは鈍感でした。

 ネロ少年と愛犬パトラッシュにとっての最期の日の出来事がその物語の中では強烈に記憶に残っています。アロアの父が大金を落とし「我が家はもう破産だ」とあきらめている場面と頼みの綱だった絵のコンクールで落選するネロ少年。どちらも死をも覚悟するほどの深刻な場面。失望のネロ少年と愛犬パトラッシュが辿る帰路の雪道。たくさんの金貨の入った袋を拾うのです。彼はその金貨がアロアの父のものだと分かり届けに行きます。後になって戻ってきたアロアの父に母が「ネロはこの中の1枚の金貨があれば助かったのに」とつぶやきます。今の世の中はどうでしょうか?弱い立場の人たちをも含めた民主主義はどうでしょうか。もしアンバランスな状況であるとしたらそれは今の政治の“膿”と言えるのではないでしょうか。ひとりひとりが意識した政治への参加が今の現状への歯止めとなることでしょう。国家とは何か?国家に望むものは何か?それは私たちひとりひとりが意識を持ってつくり上げていくもの、本来あるべき姿、未来を次世代に託すための理想のかたちを真剣に考え、その舵取りを責任を持って行うために組織された機関であって欲しいと思うのです。そして、そのために私たち自身も責任を果たさなければという答えに気づくことになるのではないでしょうか。


“幸福”
   について考える

「奇跡の中にある
     命に気付く」

 自分の目の前に子どもがいるという状況を当たり前だと思わないでほしいんです。自分が子どもを授かったこと、子どもが「ママ、大好き」と言ってまとわりついてくることは、奇跡と奇跡が重なり合ってそこに存在するのだと知ってほしいと思うんですね。そのことを知らせるために、私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。

 そのお母さんは、出産予定日の前日に胎動がないというので来院されました。急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは大変なことなんです。普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」と励ましますが、死産をするお母さんにはかける言葉がありません。赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、死産のときは本当に静かです。しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。明日にはお葬式をしないといけない。せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。私たちは「いいですよ」と言って、赤ちゃんにきれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、子どもを抱いていました。「大丈夫ですか」と声をかけると、「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。

 死産であっても、胎盤が外れた瞬間にホルモンの働きでお乳が出始めます。死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を飲ませて止めますが、すぐには止まりません。そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたらじわっとお乳が滲んできたので、それを飲ませようとしていたのです。飲ませてあげたかったのでしょうね。死産の子であっても、お母さんにとって子どもは宝物なんです。生きている子ならなおさらです。一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。母親学級でこういう話をすると、涙を流すお母さんがたくさんいます。でも、その涙は浄化の涙で、自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。

「到知」に連載された 特集「大人の幸福論」より抜粋。


「縁を生かす」

 その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

 二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」。先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れて来たのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、おかあさんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」

 十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になって僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」と一行、書き添えられていた。

「到知」に連載された「鈴木秀子先生に教わった話」より抜粋。



「38億歳 奇跡の生命」
~38億年の最終ランナー~

 宇宙はおよそ137億年前に極微の1点が大爆発をして始まったそうです。最初の生物から38億年。両親が子どもをつくる営みを始めてから9億年。ヒトは目覚ましい進化を遂げ、環境の変化にも適応してきました。約3千万種の多種多様な生物が地球上には存在しています。

 母胎の中の赤ちゃんは38億年の生物の進化に似たことを38週間で進行していくのです。それぞれの段階で魚や両生類になって、もの凄いスピードで遺伝子暗号のプログラム通りのドラマが展開されていくのです。そして、人間として誕生するのです。

 生物誕生から伝承してきた命のリレーで私たちは38億歳という最高年齢ということなのです。そして、ひとりひとりの遺伝子暗号は選ばれているのです。これは偶然ではないようです。私たちが選ばれて生まれてくる確率は、宝くじの1等に100万回連続で当たり続ける以上に凄いことなのです。両親の染色体の組み合わせにより生まれてくる可能性は70兆通りもあり、70兆分の1の存在が皆さんひとりひとりなのです。これは地球1万個分の人口よりも多いことになるのです。そして、おおよそ半々ずつの男女が見事に生まれてきています。男女の役割は違いますがそれぞれに大切な存在であるということでは価値は平等なのです。

 生命科学はもの凄い進歩を遂げましたが、世界中の科学者を集め、世界中のお金を使っても、細胞1つを元からつくることができないのです。それは生き物を動かしている本当の力とは何かということが未だに解っていないからなのです。

 ヒトの身体には宇宙の進化の歴史が凝縮されているのです。どんな人も全宇宙を背負って生きているということになるのです。命は自分だけのものではないのです。そういう意味で命は尊いのです。

 命を壊すのは簡単です。しかし、1度壊したら2度とつくれないのです。命を粗末にするということは、大自然がつくり上げてきた最高傑作を無駄にすることになるのです。

 今、生きる自信を失いかけている人に伝えたい。この世に生まれてきたことは途方もない奇跡的な出来事だったのです。自分の命も、他人の命も絶対に粗末にしてはいけないのです。私たちは自分の力で生きているように思いがちですが、自分の力だけで生きている人なんて地球上にひとりもいないのです。太陽・水・空気・動物・植物・地球・・・等々、他にも目に見えない大自然の偉大な力のお陰で生かされているのです。

 遺伝子レベルで見ると人はそれぞれ違うのです。それは誰もがかけがえのない人間として生まれてきたという意味なのです。他人と比較して生きるのではなく、自分の花を咲かせるために生きていくのです。
(筑波大名誉教授 村上和雄先生の話より編集)


健康と予防


 国家戦略と国民生活の
      “ジレンマ”

 人間は習慣として楽を得ると後戻りできなくなります。洗濯機をやめて手洗い、掃除機をやめて箒と塵取りと言ったように・・・。
 しかし、便利を商売にしている中にも、自社製品のパンを一切食べない社長がいたり、原発を推し進める政治家や東電の役員だって、いくら安全と言ってはみても原発の敷地内に住むことはしないでしょう。いや、そこまでの安心・安全はなく、覚悟もないでしょう。そういった面で“率先垂範”できるようなリーダーが存在しない国家戦略があまりにも多く、一つには国民を騙していることになるのです。誰のためなのか分かりにくい目先の評価に惑わされていて、子々孫々の生活などイメージする力はないでしょう。そう考えると今は100年単位の人体実験をしているのかもしれません。それでも信用できない安い外国製品を選択し、国産農業を衰退させている以上は安心・安全・健康を次世代に残す意識など見えにくいものなのでしょう。ハイチの悲劇に学んで欲しいものです。


尊き“産声”の瞬間

 子どものときから命の大切さについては、親からも先生たちからも伝えられてきました。なので命は大切なのだとは思っていました。しかし、これほどまでに、命の大切さを強烈なかたちで私に教えてくれたのは、息子が生まれてきたときでした。そのときの話をお伝えさせていただきます。

 いよいよ、出産の日がきました。陣痛が始まって、妻は陣痛の周期をはかり、助産院への入院の準備を始めました。着いてからも、まだ余裕があったようで、私は家に足りないものをとりに帰りました。
 再び助産院に着いたときは、外は暗くなり始めていました。「ご主人、代わっていただけますか?」といわれ、背後の脇から手を入れて彼女を抱え上げました。次第に息んでいく様子がはっきりと私の意識の中に入ってきました。力尽きながらも、私も耐えて、彼女を抱えています。

 2時間ほどたったのかな?助産師さんが言います。「頭が出てきたよ、ほら・・・」しかし、そこから、なかなか出てこられない様子でした。赤ちゃんは、頬に手をくっつけたままそこで止まっていました。しばらくして、そのままの姿勢で出てきたのです。肘まで出てきたら、あとはつるんと出てきました。「坊やよ・・・」助産師さんの言葉でおちんちんを確認して、赤ちゃんを抱きかかえて彼女に見せました。仰向けになって休む彼女をみんなでよく頑張ったねと褒めました。嬉しそうに、みんなの名前を呼びながら「ありがとう、ありがとう。」と彼女が答えました。しばらくして、後産の胎盤が出てきて、私は臍の緒を切らせてもらいました。そして、彼女のお腹の上にのっている赤ちゃんの写真を撮りました。娘もはしゃいで赤ちゃんを抱っこして写真を撮りました。「お姉ちゃんになったね・・・」と私が言うと、笑顔で「嬉しい・・・」と答えました。

 女性は凄いと思いました。これが女性の力なんだ、宇宙の力なんだと感動していました。そして、赤ちゃんは自分の力でこの日を選んで生まれてきたのだと思いました。このときの記憶は今も強烈に残っています。


お薦めの“1冊”

 国家とわれわれいま、抵抗のとき

著 者 : 徳永 俊明 

出版社 : 合同出版 

価 格 : ¥1,575 (税込)

 
 昨年末、大学の恩師、著者である徳永先生からこの本が送られてきました。この本を読んでいくことによって先生が何を思われ教壇に立たれていたのかを詳しく読みとることができました。私たちは今、子どもたちに何を残せるのかというヒントがこの1冊の中に書かれています。自らが社会をつくる一個人として生きていくことが大切であることを切に願い書かれた現代、そして次世代へのメッセージだと思います。政府に依存してきた私たちがそのしがらみから脱するきっかけになる1冊になるでしょう。


編 集 後 記

 資源にも財源にも限りがあり、平家物語の“おごれる人も久しからず”とはよく言ったものです。ドバイの繁栄も石油の枯渇とともに衰退していくのでしょう。財源がなければあの地域であんな生活は困難になるでしょう。
 それでは次の世代に残す滅びることのない資源とは何か・・・?と考えますと、それは魂とでも言いますか、やはり精神ではないでしょうか。

 子どものころテレビで観ていたフランダースの犬が劇場版になったのを観たのは大人になってからでした。ネロ少年が最期に観ていたルーベンスの絵の前でアロアが孤児院の子どもたちとともに祈りを捧げている場面でした。孤児院で仕事をしているアロアはシスターになっていたのです。一瞬にしてあの日のネロの死の悲しみとその後のアロアの生き方に感動せずにはいられなかったのです。ネロ少年に捧げた残りの人生に私はとめどなく涙が溢れ、それがオープニングの一番最初の場面からでした。子どもの頃に残してきた忘れ物を取り戻したような感覚でした。あの一瞬の重みは、人の一生の大切さ、重さを実に上手く伝えていました。

 長野県上田市にある戦没画学生の美術館「無言館」の絵の提供者の中には、戦争で失った恋人や好きだった従兄弟を思い、生涯独身を貫いている女性がいます。まず、その存在に私は大きな衝撃を受けました。あの戦争の負の一面を後世に伝える絵からも憲法改正への悲しい感情が読み取れるのではないでしょうか。そして、心に響くお話しは私たちの意識へも何か深い意味を持った種を蒔いてくださっているのでしょう。 (S・I)(http//ikenosai.exblog.jp)
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by ikenosai | 2014-02-28 10:53 | 文化だより | Comments(0)

白皚皚

 2週も続いた週末の雪。

お釈迦様の入滅の日に合せてか清浄な風景。

今年は何かある・・・?

そんな気持ちになるこの大雪をポジティブに捉えたい。

我が家のベランダから見える景色。

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 左に富士山。

右に突き出る尖った山は大岳山、武蔵野の大地に湧き出る水はこの辺りの山々から集めた水が扇状地の青梅、あきる野辺りから都心部に向かって湧き出ている。

今回の雪も後に降った雨をしみ込ませ、足を踏み入れると一気にびしょ濡れになる。

交差点では集まった水が川のようになっている。

10時を過ぎても店員が来ないのか、デパートはまだまだ準備中。

モノレールも動かない。

仕事がなければ私は一日家でのんびりしただろうが、昨日は勤務。

人の命を預かる仕事は急には休めない。


 先週の日曜日も勤務。

そんな週の合い間、夜勤明けに中2の娘と二人で美術展に!

前回、北多摩地区での入選作品が今回は都に入選。

遥遥、上野の東京都美術館まで出かけた。

ここまで選んでくださった先生方に、皆様に感謝。

娘も何か感じているだろう・・・?


   
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by ikenosai | 2014-02-16 20:55 | 子育て 一期一会 | Comments(0)