いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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ボジョレー解禁

 11月第3週の木曜日はボジョレーヌーボーの解禁日。

かつては、大好きだったワインだが、健康に配慮してあまり飲まなくなった。

フランスの職人が作ったソムリエナイフや、手作りのワインセラーなど、相当こっていた。

料理に合わせてワインを選んだり、天皇の料理番だった秋山徳蔵さんの料理を我が家で復刻させて食べたこともあった。

とにかく、ワインは奥が深い。

しかし、ボジョレー地区のこのワインはガメイというさっぱりとした品種で、カベルネソービニヨンのような煮込んだ鹿や牛の肉料理よりも、鴨肉のオレンジ焼きくらいがちょうど合っている。

料理の世界は面白い。

歴史が学べ、当時の人々の様子を追体験できる。

フランスの食文化史にワインは欠かせない。

ボルドーにしても、ブルゴーニュにしても、それぞれに特徴がある。

私はブルゴーニュの繊細なワインが好きだ。

今年のボジョレーを早速占ってみた。

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by ikenosai | 2013-11-21 22:00 | 食べること | Comments(0)

永遠の原風景

 最近、ふと祖父を思い出した。

祖父は、愛媛県の南宇和にある外泊の漁師の家に生まれたと母から聞いている。

隣村の祖母を嫁にもらい、8人の子どもを授かった。

私の母は、3番目の子どもとして生まれた。

母が中学の時、新天地を求めて、島根県浜田市の瀬戸ヶ島に移り住んだ。

やがて、いか釣り船を手に入れ、日本海の荒波で漁業を営んだ。

母は、中学を出て、しばらくして親戚を頼って大阪に出た。

そこで、私の父と出逢った。

父が田舎に帰るというので、大晦日の晩に一緒に津山に戻ってきた。

そして、姉が生まれ、私が生まれた。

夏になると、よく父の運転する車で瀬戸ヶ島に行った。

当時は高速道路はなく、津山から奥津温泉を通り、人形峠を抜け、倉吉を通って、国道9号線に出て、そこからはひたすら走るだけだった。

明るいうちに着くために、夜明け前に出発した。

楽しみの定番は、宍道湖の湖畔にあるドライブインでお子様ランチを食べることだった。

小さな、軽自動車の荷台にバスタオルを敷いて、姉と交代で昼寝をした。

それでも、父はひたすら運転をしていた。

その横で母は父の運転を見守っていた。

海を眺めながら通った9号線はまるで楽園への道のりのようだった。

母は、もっともっと楽しかったに違いない。

なぜだか、同じ道も、帰りは寂しく切ない思いがした。

母は、もっともっと切ない思いがしたに違いない。

もうあと一息という場所に、大衆食堂があって、そこでかき氷を食べて、父は眠気をしのいでいたのだと思う。

私たちには楽しいおやつの時間だった。

坂を登って、降りるころ、母が「もうすぐ着くで」と弾ませた声で私たちに伝える。

母の嬉しそうな表情に姉も私も心が弾んだ。

魚の加工場のにおいがやがて、海の潮の香りのいいにおいに変わるころ、小さな橋を渡る。

そこからが瀬戸ヶ島だった。

厳島神社に近い、一軒家を借りて、祖父母と叔父3人が住んでいた。

夏になると、母の兄弟姉妹たちが集い、従兄弟と遊ぶのも楽しかった。

何よりも、360度海の小さな島。

祖父の船に乗って、沖の彼方にある島に行ったり、ゆらゆらと揺れる船の上から花火を観たこともあった。

そこに居るだけで、何だか楽しかった。

祖父は、晩ご飯の時、笑いながら私のご飯の上に砂糖をかけて食べさせてくれた。

甘いので嬉しくて、笑って祖父の顔を見上げると、祖父は笑顔で私を膝にのせてくれた。

口べたな祖父に、いつも寄り添っていた祖母。

「父ちゃん、父ちゃん」というかけ声が今も私の耳に残っている。

海を愛し、海とともに生きた、祖父が亡くなり、数年前に祖母も亡くなった。

私の体の半分は、海の恩恵を受け生きてきた先祖の魂が今も生き続けている。

私にとって祖父との思い出は、ただただ感謝の思い出である。

仲むつまじく寄り添った祖父母の思い出が私たちの未来をつくってくれた証である。

ありがとう、おじいちゃん。

ありがとう、おばあちゃん。

ありがとう、おとうさん、おかあさん。

先祖への感謝を忘れそうになる。

あたかも自分の力で生きているような錯覚で。

しかし、自分の力ではどうにもならないことだらけ。

それでも、奇蹟がおきている。

それは、この世に祖父母が生まれ、両親が生まれ、愛しい妻が生まれたこと。

そして、最大の奇蹟は、私がここに生きていること。

私の愛しい子どもたちがいることに違いない。

この幸せを大切に、このスタイルを崩さないように生きられれば、それでいいはずなのに、何かを求めてしまう。

だから人間は学ばなければならない生きものなのだろう。

 高校生のとき私は中国地方一週のサイクリングをした。

できるだけコンパクトにまわるための道のりを調べていると人形峠は少し遠回りだということに気がついた。

なぜ、父はもっと近い四十曲峠を選ばなかったのかと疑問を持っていた。

数年前、父と姉の家族と奥津温泉に行ったとき、宿の女将に父が昔の思い出を語り始めた。

その様子から、懐かしさがうかがえた。

父にとって人形峠は思い出深い特別な場所なのだと分かった。

工事現場の飯場で過ごしていた若い頃、自転車に乗って,人形峠から遙々坂を下り,奥津温泉に入りに来ていたことを、本当に懐かしく話していた。

父の歩んだ人生、そして思い出には、私の知らない世界がたくさんある。

母の人生にも、思い出にも、私の知らない世界がたくさんある。

祖父母の人生にも、そして思い出にも、私の知らない世界がたくさんある。

その思い出とともに先祖の供養をしていくことが私にできる命の恩恵への僅かな僅かな恩返しになるのだと思う。

私の原風景は、先祖の生きた原風景とともにある。

そして、いつしか彼岸で合流する運命である。

先祖たちがどんな思いで待っているのかと考える。

きっと魂のきれいな人間になって来ることを待ち望んでいるのだと思う。

だから、今はただ襷を受け娑婆を走るひとりのランナーとして誠実に走ることくらいしか思いつかない。

でもそれでいいのだと思う。

私にできることはそれくらいしかないのだから・・・。



       (2009年6月配信記事)




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島根県浜田市瀬戸ヶ島(NHKおはようニッポン 浜田市の様子で出る島です)
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by ikenosai | 2013-11-19 10:07 | 現世に乾杯! | Comments(1)

観音様になった妻

 朝、目が覚めると隣にうちの奥さんがいる。

なんて幸せなんだろうと感謝がこみ上げてくる。

隣の布団にいる奥さんの手を握る。

私の手を握り返してきてくれる。

「おはよう。」

「おはよう。」

「いつもありがとう。」

「いいえ、こちらこそ。」

毎朝、お礼を言うようにしている。

人の一生はあっという間に過ぎていく。

気がつけば40歳も折り返し。

若かったつもりの自分はいつの間にか中年になっている。

父も母も年をとり、父はお迎えを待ちながら慈悲深く私たちを見守っている。

母は一回り年上の父に寄添い、過ごしている。

子どものころの父のやさしい眼差しを覚えている。

それは昨日のことのように。

できの悪い私を怒ることもなく慈悲深く見守ってくれた父。

父のやさしさがじわじわと私の心に何かを残そうとしている。

人の一生はあっという間に過ぎていく。

父との巡り合い、母との巡り合いは驚くばかりの確率で巡り合ったほんの僅かなひとときに過ぎない。

そして、生まれてきてくれた私の子どもたちとの現世での営みもほんの僅かなひとときに過ぎない。

だから私は毎日心に誓う。

なるべくならやさしく生きていこう。

子どもたちにいつもやさしい眼差しをおくっていこうと。

後悔なき人生は、お金を稼ぐことでもなく、名誉をいただくことでもないと凡夫の私だから思える。

一瞬、一瞬に誰かと寄添えたこと。

誰かと何かを共有しあえたこと。

誰かのために祈れたこと。

誰かの喜びのために自分から夢中になれたこと。

そんなできごとの一瞬、一瞬が歓喜に満ちた人生になっている。

幼少のころ、周りから足りない子と言われ、父を、母を、失望させ、そのとおり勉強が全然出来なかった私に、両親は勉強しなさいと強制したことが一度もない。

ただ、ただ、慈悲を注いでくれた。

これまでの人生の中で、あきらめずに成就したことがふたつある。

ひとつは、どんなことがあってもあきらめず得意分野のスポーツで道を開くこと。

サッカー部にいじめられたときに心に誓ったことがある。

負けない自分になるために何かにとことん打ち込もうと。

そして、始めたボクシング。

人生を決定付けるための何かを獲得しようとあきらめなかったこと。

勉強を全くしなかったのに私はスポーツをとおして大学に入り、そこから世界が広がった。

東京に来て本当の自立ができた。

そして、もうひとつは、本当に好きな人と結婚できたこと。

あきらめず、何度も何度もお願いをして、結婚できたこと。

結婚してからも、互いに向上し、人として成長を続けられていることに感謝がこみ上げてくる。

この人の幸せは私の幸せ。

この人とずっといたいからこの人のために生きていきたいと思える。

だから、どんな苦労をも乗り越えられ、勇気が湧いてくる。

この人といるだけでそんな気持ちになれる。

妻は観音様のよう・・・。

だから、毎朝、「ありがとう。」と心から感謝の言葉が溢れてくる。

神様ありがとう。

こんな素敵な人生を私に与えてくださって・・・。

あっという間に過ぎていく現世で私ができること。

ありがとうの花束を関わってくださる人たちに贈ること。

一番大きな花束はやはり妻に贈りたい・・・。






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by ikenosai | 2013-11-16 20:52 | 現世に乾杯! | Comments(0)

“食”を考える 食べることは、体をつくり、心もつくる!  文化だより 第22号

“食”を考える 食べることは、体をつくり、心もつくる!



“歯”に由来する
     人間の食生活


 大人の歯は全部で32本あり、うち尖った犬歯が4本ありますから、32分の4、つまり8分の1の範囲内であれば動物性の食品を摂っても大丈夫だと考えられています。そして、穀物は8分の5、野菜においては8分の2となります。動物性の肉や牛乳などの乳製品その他、魚貝類なども含めて8分の1が歯の由来による理想的な食事バランスだと言われています。人間が安定した心を維持するためには、食事の安定供給が重要だと考えられます。農業だって収穫期に1年分の穀物が確保できることで精神的なゆとりが出てきます。その安定の1コマが毎回の食事なのです。しかし、現代の特に若い世代の食事は全く逆転しているようで、肉などの動物性のものが多く、主食のご飯が少しだと、次の食事までもたず、イライラしたり、興奮したり、心が乱れるものです。しかも、次の食事もままならなければ、不安定にもなっていきます。それに加えもっと恐いのが、ちょっとした空腹時に、砂糖の多い食品を摂ってしまうことなのです。カロリー計算だけの食事はあまり意味がありません。白砂糖の多い食品が今、子どもたちを蝕んでいます。


“四里四方に病なし”
旬のものには
 “生きる力”が宿っている!


 “地産地消”がなぜ大切なのか?ここには実は神の力とでも言いますか、ごくシンプルな理由があるのです。地場の植物というのはその土地を生きぬく力を持っています。例えば、寒い冬の野菜は、少しでも暖かな土の中や土のそばで生命をつなぐ工夫がなされています。つまり、寒さに対抗して温めようとする力を神から授かっている訳です。長い歴史の中で生きていける基本がインプットされている訳なのです。逆に、暑い夏の野菜は日に向かって葉をひろげ、暑さに耐えられる強さがあります。つまり、冷やそうとする力を授かっている訳です。つまり、旬のものにはその季節に合わせて体調を整える力が備わっているのです。夏の野菜は体温を下げる効果があり、冬の野菜は体温を上げる効果があるということなのです。しかし、これを逆にして食べてしまうと、冬にキュウリやトマトを食べると体を冷やしていく訳です。生産地別に考えてもそれは言えるのです。南洋の果物を真冬に食べたりするのも同様です。
 今、日本の畑は中国やアメリカなどの諸外国に依存している状況です。それでも政府は国際貿易のバランスを重視し海外からの農産物を輸入する政策をとらざるを得ない状況なのです。夏に温めるものを食べるのにはそんなに影響はないでしょう。しかし、冬に冷やすものを食べるのは大変恐ろしいことなのです。今、低体温の子どもたちが増えています。住環境と食の影響が主な原因です。低体温は色々な病気を引き起こします。逆を言えば、温かい体には病気は棲まないということなのです。炎症反応をみてもそうです。病原菌や癌細胞と戦える体は基本は温かい体であることが必須条件なのです。そして、夏など暑い季節でも基礎体温が温かいと外気との温度差が狭いため少々の暑さには耐えられるのです。暑い、暑いと言って耐えられない人は普段から冷たいものをがぶがぶ飲んで体をどんどん冷やしてしまっている低体温の人が多いのです。冬の暖房も少し工夫が必要です。半袖でいられるくらい温かい部屋にいたら、喉が渇き、冷たいものをどんどん摂ってしまいます。これも冷えの原因になります。冷えは内臓の機能も低下させます。下痢をしたり、便秘になったり、生殖器系の病気をも引き起こすのです。工夫としては、着込むことです。昔の人たちたちは重ね着をして対処していました。今でも温かい靴下やスパッツを履いたり、腹巻をしたりして季節ごとに工夫するのです。体が温かいと動きも快活になり、行動力にも影響していきます。爬虫類のように動けなくなって冬眠している子どもたちの引きこもりの原因にはこの住環境と食生活による低体温などの問題も潜在しているのです。


 酸性過多
   が引き起こすもの


 酸性の強い食べ物には、白砂糖・精白小麦・卵黄を使ったケーキなどのお菓子。刺身や焼き鳥に日本酒、焼肉にビール、その後のラーメンやそばなど中和を考えない偏った食事は酸性体質になり、血液を汚します。痛風やリウマチの悪化はこういった偏食と過食が大きく影響しているようです。また、酸性体質はガン細胞が増殖していく上でとても好条件なようです。血を汚す環境には、すでに肝臓や腎臓への負担が大きくなっていて、その他の病気にも発展していきます。まず、腹八分目が大切なこと、これは低体温にならないための秘訣です。食べ方も、焼き魚にショウガ、すき焼きにコンニャク、干しぶどうの入ったパン、ご飯に梅干し、豚はショウガ焼きなどにし、動物性のものに野菜を付け合わせるなどして工夫したバリエーションを楽しみながら美味しくいただくことが大切なようです。粗食が中心になっていきますと、たまに外食していただく焼き肉や洋食などがとても有り難く嬉しいものです。家でも外でも、ご馳走ばかり食べていたら、内臓は休まる暇がありません。



※下の表は酸性・アルカリ性の食品の強いものから弱いものまでを一例として分けたものです。

酸性のもの~
(強) 砂糖・卵黄・マグロ
(中) 鶏肉・そば・豚肉・牛肉・白米
(弱) うどん・エビ・ビール・パン

アルカリ性のもの~
(強) 梅干し・ワカメ・蒟蒻
(中) 昆布・生姜・干しぶどう・椎茸・大豆
(弱) 小豆・小松菜・じゃがいも・キャベツ・大根


低体温の子ども達
    冷え性の大人達


 幼稚園や保育園などでは、体温が37度代中盤位から登園できないなんてことが多いようです。もともと子どもは体温が高いことが抵抗力につながっています。しかし、最近では、季節外れの果物や清涼飲料水、アイスクリームなど口当たりの良いものばかり食べていて、主食のご飯の量が減っています。基礎体力がつかない食生活で、しかも、低体温は病原菌に対して抵抗力がありません。そのため、病弱な体になって、少し食べ過ぎたときや、睡眠不足などで身 体が休まらないときに熱を出して寝込むことが多いようです。大人も同様の生活をしていけば、冷え性などの影響で、生理痛や腰痛を引き起こしてしまいます。冬の過ごし方、夏の過ごし方と工夫が必要になりますが、足下を冷やさないこと、冷たいものを摂りすぎないことは1年を通してとても大切なことのようです。また、喘息やアレルギー性の疾患には白砂糖を極力減らすだけでも改善することが整体などでも紹介されています。適度な運動や笑うこと、歌うことは血行を促進し、体を温めます。呼吸の浅い人には特にお薦めです。そして、深呼吸もしましょう。

調理できる力と工夫
  こそ生きる力となる


 ビワの葉やタンポポの根っこの効用はあまり知られていません。風邪などで喉が痛いときダイコンやショウガを下ろして飲んだり、また、お腹を下したときなどには、ニンジンをつぶしたスープが良いそうです。野菜が持つ自然の力を今では誰も教えてくれません。また、八百屋さんが旬の野菜の調理法をアドバイスしていた風景も、今のスーパーでは希薄なのかほとんど見ません。昔、天皇の料理番をされていた秋山徳蔵さんは、それぞれの食材の調理法や適切な保存法を本で紹介されています。その本には、鍋にお湯をはっただけの調理法やレンジで温めるだけの調理法はありません。生きるために命をつなぐ大切なことは本当は手間をかけて作るもののようです。5百円玉を持たせばお昼は何とかなるでしょう。しかし、命をつなぐ大切な意識はどんどん遠のいていっていることが何よりも心配です。


「まごは(わ)やさしい」

ま⇒まめ=豆類・豆腐・味噌・納豆:たんぱく質とマグネシウムが豊富
ご⇒ごま=ゴマ、ナッツ類:老化の原因となる活性酸素を防ぐ抗酸化栄養素
わ⇒わかめ=ワカメ、昆布などの海藻類:カルシウムなどのミネラルが豊富
や⇒やさい=野菜:ベータカロチンやビタミンCが豊富
さ⇒さかな=魚類:不飽和脂肪酸のオメガ3が豊富なたんぱく質
しい⇒椎茸=キノコ茸類:ビタミンDが豊富


健康と予防

 人類は
“粗食”に耐えて進化した


 杉の樹齢は長くて5百年程度ですが、栄養の少ない花崗岩の屋久島では寿命が長くなり樹齢2千年以上にもなる木があります。現代人の食事は栄養過多で、半分以上は医者のために食べているという専門家もいます。食事内容を3世代ほど前に戻すことや腹八分目は今後の課題になるでしょう。
 テニスで復活を遂げたクルム伊達公子さんは食事の改善で玄米食に切り替えたそうです。80才90才の元気な長老は粗食が長生きの秘訣になっているようです。 


食育は“自己管理”の源

 食べることでは、自分がどれだけ食べればよいのか、あるいは食べられるのかという自分を管理できる力も重要です。レストラン等でのバイキングで食べ残しの皿が多いのも、食育の問題として考えていく必要があるようです。戦国時代の小田原城主北条氏康が息子氏政がご飯に汁を注ぎ足しているのを見て、自分の食べる量も解らないようでは、人の気持ちなど解るはずがないと失望したそうです。案の定、息子は秀吉に滅ぼされ切腹します。名家である北条家には存続の話もあったはずです。しかし、何度会議を開いても北条家は何の決断もできないのです。これが世にいう“小田原評定”です。今でこそ平和ボケした世の中ですが、昔はご飯を食べることでさえ命に関わる重要なことだと名将たちは捉えていたようです。


“思春期”に寄り添う

 世界で一番大きな砂時計が島根県の仁摩サンドミュージアムというところにあることをご存知ですか?世界一の砂時計は全部の砂が下に落ちるまでに1年かかるそうです。
 私がこの砂時計を知ったのは、マレーシアから帰国する飛行機の中で観た映画からでした。
 例年になく重い不登校だった生徒たちが多い年で、さらに、直前で何人かの生徒が旅行のキャンセルをした年でもありました。クアラルンプールからペナンに移ってから連日の雨に見舞われ、なんて運の悪い生徒たちなんだろうと可愛そうにさえ思うほどでした。風邪を引くなど体調を崩す生徒もいました。それでも、旅行中は何とか必死で私に着いてきてくれて、寄り添う姿勢を見せてくれていた生徒たちに大きな成長振りを感じ、入学当時からを振り返りながら、感慨深いものがありました。心の病に押し潰されてリストカットをしたり、両親の離婚で不安を抱えていたりとそれぞれに重い悩みを抱えながらもがんばって生きている。それだけでも褒めてあげたいとさえ思えたくらいでした。
 あと2時間もすれば成田に着陸というころ、私は映画を観始めました。「砂時計」という少女コミックの実写版映画でした。少女時代に母が離婚し、海で自殺をし、やがてその少女も大人になって海で自殺をしますが未遂に終わるのです。とても悲しい映画でした。しかし、その少女は最後には心の拠りどころとなる恋人に救われ生きる道をしっかりと踏み始めるようになるのです。その場面が、まさに同乗している年頃の生徒たちと重なって、涙が溢れて止まりませんでした。両サイドに生徒たちがいて涙を拭うこともできず、私は何度も乾くのを待ちながらずっとその姿勢で映画を観ていました。
 その映画の最後の場面が大晦日に砂が全部落ちた砂時計をひっくり返す場面で、あまりにも大きな砂時計なので大勢の人たちが砂時計に繫がれたひもを引っ張っている場面でした。1年間の重みを感じながら恋人同士が顔を見合わせながら引っ張っています。共に歩む1年、互いに寄り添い希望に満ちた光景に若者の可能性を強く感じた思い出の映画でした。


幸せを願うとはどういうことなのか

 若くして息子さんを亡くされた方がいました。筋ジストロフィーという難病のため23歳で亡くなったそうです。当時は医者のほとんどがこの病気を知らなかったそうです。病院を虱潰しに訪問し、やっと息子さんの病気の真相が明らかになった夜、眠る息子さんの前で夫婦ともに向き合い、一晩泣き明かしたそうです。経営していた会社を離れ、息子さんの病気とともに人生を歩むことになります。小学校の途中で歩行困難になり、毎晩、お父さんの介助で入浴をしていました。14歳のある日、お風呂の中で息子さんが「僕の病気は治るの・・・?」と尋ねます。お父さんは、覚悟はできていましたが、とうとうこの日がきてしまったかと複雑な気持ちだったそうです。それでも真実を話すしかないと決めていました。お父さんが「治らない。」と答えると、息子さんが「じゃあ何歳まで生きられるの・・・?」と尋ねます。お父さんは「20歳位だと言われている。」と答えたそうです。どうやら、息子さんは分かっていたようです。しかし、お父さんがどう答えてくれるのか、それを確かめるために質問をしたのです。僕には僅かな時間しかない。と息子さんは悟ったそうです。残されたわずかな人生そして今を息子さんはどう生きるべきか考えたのだと思います。翌日から猛勉強を始めたそうです。息子さんにとって悔いのない生き方とはおそらく、今を懸命に生きることだと思ったのでしょう。そして、両親は息子さんの幸せな生き方を願いながら最期まで寄り添ったのです。短命であるから不幸、長生きであるから幸せとは限らないのです。それは如何に自分らしく自己実現に向けて生きていくかが幸せに生きていくためには必要なのです。その生き方への知恵を授けることが教育の最大の目標だと言えるのです。幸せを願い、自己実現に向けての知恵を授けることなのです。それは知識優先型で偏差値の高い大学に身の丈も合っていないのに苦しんで勉強して進学することではないのです。しかし、それが苦しみでなければいいのですが・・・。その知識優先型偏差値教育の象徴である官僚ですら、汚職事件で裁かれたりして決して親が願ってはいない、自分でも願ってはいない自己実現とはほど遠い人生を歩む人もいるのです。話が極端かもしれませんが、誠実に生きるための知恵を授けることが本当は大切なのです。


人の一生“生きるに値する人生”

 宮崎駿さんがアニメ製作から退かれることを知り、とても残念に思われている方が多いことでしょう。宮崎さんは“生きるに値する人生”を伝えていくことをテーマにこれまで取り組まれてきたそうです。最後の作品となった「風立ちぬ」は彼自身がどうしても作りたかった作品だったように思います。まず、彼は堀辰雄文学をこよなく愛していたことが作品から感じ取れます。それは「風立ちぬ」だけでなくいくつかの作品の中から持ち寄ったことによってその相乗効果が現れています。その作品を彼流にアレンジし、堀文学にはなかった心地よい終わり方をしています。できればこういう終わり方をしたかったという彼の愛情のようなものがヒロインの菜穂子から汲み取れるのです。
 そして、平和主義でありながらなぜ零戦の話を題材にしたのか?という疑問が出てきます。1つには、時代に翻弄されながら生きた人たちの誠をこめた生き方を表現しているのだと思います。そして、結核で命を落とす最愛の妻とのひと時の新婚生活。あの時代のほとんどの人たちが戦争という大きな歴史の波で愛しい人との生活までも遮られてしまっていたこと。そんな切ない思いを結集させたのだとも思います。あの一瞬の幸福の日々にどの人も涙を流し、感動したのではないでしょうか。実は堀辰雄の小説はこんなストーリーではないようです。そこを何とも言えぬ美しい恋愛にまとめているのが宮崎さんのこの作品への思いだったのでしょう。あの菜穂子の生き方、主人公の二郎の生き方そのものが“生きるに値する人生”そのものだったのだと感動し、涙をぬぐいながら劇場をあとにしました。
 私たちはどうでしょう。夫婦、親子で互いに思い合える瞬間はあるのでしょうか。もし、あったら“生きるに値する人生”だと実感することができるのではないでしょうか。人は一人では生きていけない。もし、一人になっても誰かを思ったり、誰かとの思い出を大切にしているからこそ生きていけるのであって、会えなかったり、離れているときにその人を大切な存在として思うのではないでしょうか。つまりは距離感も大切であり、疎遠になりすぎたり、踏み込んで干渉し過ぎたりするのではなく適度な距離感が重要になると思います。相手の心にどう触れ、寄り添っていけるか、そんなバランスによっても心地よさは変わってくるのではないでしょうか。


お薦めの“1冊”

おしんの遺言

著 者 : 橋田 壽賀子 

出版社 : 小学館 

価 格 : ¥1,470 (税込)

“渡る世間は鬼ばかり”などで人気を博していることとは裏腹に、ネット上のネガティブな書き込みなどと賛否両論ある著者ですが、この一冊でほとんどの悪評が払拭されることでしょう。
 この一冊に込められた橋田さんの思いを読んでいくと涙が溢れ、こんな思いをこの本に託されているのだというけなげな気持ちがストレートに伝わってきます。
 「おしん」は最初は売り込んでも全く受け入れられず、鳴かず飛ばずの作品だったそうですが、あるきっかけから世界に轟く名作になったそうです。しかし、橋田さんは「おしん」がブームになっていたころの辛抱が美徳だなどとは全く思っていなかったそうです。実は「おしん」で書きたかったのは、『日本人はもうこれ以上、経済的に豊にならなくてもいいのでは?!』『そろそろ身の丈にあった幸せを考えてみてはどうですか?』ということを伝えたかったと後に話しています。

編 集 後 記

  ~病んでいる現代の膿~

 「半沢直樹」というドラマを一喜一憂して観ていた方は多いのではないでしょうか。流行語にもなった「倍返し」と「土下座」が如何に良くないのかを論じるにはスペースが足りませんが、倍返しはネガティブな執念を拡大するだけであって、土下座は感情の無いパフォーマンスにしか過ぎないというお粗末な結果しか産まないということのようです。勧善懲悪が好きな日本人にはぴったりの内容だったのでしょうが、最後に半沢直樹は銀行から出されてしまい、裁かれるはずの上司は降格をしたものの銀行に踏みとどまります。頭取の判断は的確だったと私は思わず頷いてしまいました。職場においても家庭においても大切なのは「和」だったのです。半沢直樹はかなり人格的に問題のある生育暦を辿っていて、父親の自殺と銀行への復讐を視聴者は自分のことのように捉え、主人公の視点に入り込んでいったようです。そこまで考えると人には協調する視点から離脱しやすい心癖のようなものがあるのだということがこのドラマから学び取れます。現代社会においてもその傾向が強いのではと感じる場面を最近の報道等でよく見ます。(S・I)
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by ikenosai | 2013-11-04 17:29 | 文化だより | Comments(1)