いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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終戦のエンペラー
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3つの笑顔

 3つの笑顔

3つの笑顔があれば僕は生きていける。

3つの笑顔があれば僕は幸せ。

朝、目が覚めて、僕がいる。

僕が僕だと確かめる。

僕のそばに彼女がいる。

そして、子どもたちがいる。

最初はひとりだった。

ひとりで東京にやってきた。

奇蹟の中で僕は東京にやってきた。

奇蹟の中で彼女と出逢った。

そして、彼女と結婚できた。

一生続く幸せだと思った。

それは今も変わらない。

だから、このご縁に感謝する。

毎朝、目が覚めて同じ感謝が込み上げてくる。

彼女に、そして生まれてきてくれた子どもたちに。

この幸せをくださった神様に。

そして、いつも考える。

ご先祖様のことを。

毎朝、思い浮かべる顔がある。

僕の4人の祖父母。

僕の両親。

僕の姉家族。

僕の家族。

彼女の4人の祖父母。

彼女の両親。

彼女の兄。

みんなの顔を思い浮かべ、いつもいつも感謝する。

生まれてきて良かった。

それだけで僕も笑顔になれる。
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by ikenosai | 2011-06-25 06:30 | 現世に乾杯! | Comments(0)

「お父さんの更年期」 文化だより第17号(23年6月発行)


お母さんだけじゃない 
 “お父さんの更年期” 

こんな症状はないですか!

・疲れやすくなった
・イライラしやすくなった
・トイレが近くなった
・愚痴っぽくなった
・集中力がなくなった
・眠れない日が増えた
・堪え性がなくなった
・新しいことに臆病になった

 などなどありませんか・・・?


 更年期は、老化とともに性ホルモンの分泌の減少の影響でおこるのが原因のようです。
女性の場合には、閉経に伴いエストロゲンという女性ホルモンの分泌が少なくなる期間を更年期といい、一方、男性の場合は、加齢とともに、テストステロンという男性ホルモンの分泌の減少でおこるようです。
男性にも更年期があるとは意外に思われるかもしれません。
エストロゲンやテストステロンといった性ホルモンは、自律神経をコントロールするのに欠かせません。更年期を迎えエストロゲンやテストステロンの急激な減少で自律神経の調子が大きく変化し、自律神経失調症に似た不快感を感じるそうです。更年期という言葉は一定の年齢を指す言葉ではなく、更年期になるタイミングには個人差があり、30代から更年期の症状がでる人もいれば、50代くらいではじめて更年期の症状が出る人もいます。
 男性ホルモンであるテストステロンは、青年期には体内で多量に生成されますが、年を取るに従い減少していきます。このホルモンは、男性を男性たらしめているホルモンで、このホルモンには体の調子をコントロールする重要な働きがあります。
 男性ホルモンの分泌量には、ストレスや運動などの要因も関わっていて過剰なストレスを抱えている人、運動不足の人の場合には、テストステロンの分泌が減少しがちになるようです。過剰なストレスや運動不足は男性にとって更年期障害が生じる割合を高くすることになるのです。

 身体的な症状には、ほてり、のぼせ、冷え性、動悸、肩こり、頭痛、全身倦怠感などの症状があり、精神的症状には、不眠、うつ症状、食欲不振などの症状が見られます。また、頻尿、残尿感などの泌尿器系の症状もあるそうです。 男性更年期障害は几帳面な性格の人、運動不足の人、スポーツを急にやめた人によく起きやすいそうです。また、職業では銀行員や税理士などの堅い仕事の人に多く生じる傾向にあるそうです。
なぜか二代目社長、男らしい男性にも多く起きているそうです。


 予防や対策として一番に挙げられるのがウォーキングと睡眠だそうです。

テストステロンをアップさせる
    “食事と関わり”

 新鮮なタマネギ、ニンニク、ネギを使った料理。

 やさしいコミュニケーションでストレス軽減、ときどきほめたりして心を癒す。

 話をさえぎらないで相槌を打つなどしてよく聞く。

 ボランティアなどで社会とのつながりを持つ。

 スキンシップをとる。腕を組んで散歩するなど夫婦の距離感を狭くする。


野球部が都大会で初めて勝てた日   

~できた日の喜びを振り返る~

 野球をしたいという生徒は、いつも9人ギリギリで何とか大会に出場していた。リーダーシップのとれる者がいれば、少しは上手くなる生徒もいるが、まともに試合ができるだろうかと心配になることのほうが多かった。ちょっとした憧れや気まぐれで野球がしたいと言ってきて、いざ練習になると参加しないで帰ってしまう。厳しくすれば、学校にすら来なくなる。あああ、今年も試合ができるだろうかと、年度初めから私の悩みだけがふくらんだ。今年はチームが組めるだろうか、それでも試合に出たい生徒がいれば出してあげたい。なかなか上手くいかない中でも5~6人はいつも練習に出てきた。試合が近くなって、いよいよ練習に気合いが入り始めた。しかし、登録したのに来ない生徒がいる。いつも気まぐれで無責任なA君。

明日試合だと連絡すると、気乗りしない返事。それでも、迎えに行くからと伝えておいた。6人の生徒を乗せる予定で、最初にA君の家に。案の定、待っていても出てこない。母に説得を促すが、息子との折り合いが悪いのか、強い口調では言えず、堂々巡りを続けている。私は、とうとうしびれをきらし、車を路駐して玄関へ。私の顔を見たA君は、今度は逆ギレ状態で、「絶対いかない」と一言。野球がやりたいと入部してきたときのことを話し、今日の試合をみんな楽しみにしているのに棄権したら、がっかりするだろうと話す。「みんなに謝るか?」と言うと、「土下座ぐらいしてやるさ」と凄んでみせる。そんな見栄を張っても、弱虫なA君にはできるわけない。すんなり、試合に出たほうが本当は楽なのにと思いながらも、やる気を必死で引き出そうとしていた。学校で待っている生徒たちから出発時間が限界をこえていると連絡があった。私の車をあきらめた彼らは、電車に乗って行くことになった。私はA君に説得をくり返していた。なかなか受けいれず、意固地になっていて、動こうとしない。それでも、私はあきらめない。とうとうA君が根負けして、「行くよ、行けばいいんだろう」と一言。私は、無言のまま、車にA君ひとりだけを乗せて、試合会場に向かった。

私の第1回戦は無事終了した。ホッとした。これで試合に出られる。もういい、試合に出られればそれでいい。グランドには、待ちくたびれた8人がいた。朝ご飯も食べずに急いできた生徒がヘロヘロになって待ってくれていた。初戦は、都立六本木高校。人数からいっても、はるかに規模が違う。それでも、9人揃った。何とかなる。運動靴すら持ってこず、私の靴を履いて出たA君。立ち上がりは良かった。しかし、ピッチャーが燃料切れになった。攻撃中の休める時間に、準備しておいたおにぎりを食べさせた。野球の簡単なルールすら知らなかった生徒も、毎日練習に参加しているうちに、投げたり打ったりできるようになっていた。速い球に反応し、ヒットも打った。私もあきらめなかった。必死で声援を送った。燃料切れになったピッチャーも次第に息を吹き返した。勝てる。あきらめなければ勝てる。そう思い始めた。それでも、相手もあきらめない。点差が縮まってきた。しかし、下位打線の生徒がタイムリーツーベースを打って、さらに点差が開いた。みんなが、勝てると思い始めた。最終回、ピッチャーはへたばっていた。それでもみんなが声をかけて、何とか投げきった。そして、試合は終わった。

創設4年目にして、初めて都大会で勝てた。みんなは抱き合い、握手を交わし喜んだ。長い1日だった。みんなはその日1試合だったが、私は2試合分のエネルギーを使った気がした。嬉しかった。試合に出られて嬉しかった。しかも、試合に勝てて本当に嬉しかった。次の試合は、全国大会の出場校。A君はもう試合には来なかった。それでも誰かが加わって、良い試合ができた。コールド負けではあったが・・・。どんなことがあっても私はあきらめない。そこに僅かな可能性があるのなら。ありがとう、感動をくれた生徒たち、そして、試合に来てくれたA君。(当時の手記より)


 “為政清明” 

 ~今はなき大久保利通のような政治家~

 前号では「心のイノベーション」をテーマに茨木のり子さんの詩を取り上げさせていただきました。それから約1ヶ月後、あの震災で東北地方を中心に、特に太平洋側は大惨事となったのです。統率力のない首相、まとまらない一部の国会議員たちによって未だ復興の兆しが見えません。

私たちはこれまでたくさんの本や映画などに出会い、後悔しない生き方の美学をたくさん見聞きしたことでしょう。石油を掘り当てる専門家が宇宙飛行士になって地球を救う映画「アルマゲドン」では最後の最後に遠隔操作ができなくなって誰かひとり小惑星に残って自爆します。くじ引きでそのボタンを押すことになった若者に代わって犠牲になったのは若者のフィアンセの父です。自分が生きて地球に戻っても彼を見殺しにしたことを一生後悔すると感じたのでしょう。娘への愛情の深さが感じられます。他にも白黒だった映画のころの「カサブランカ」では主人公の男がパリで熱烈に愛し合った女性とモロッコのカサブランカで再会します。しかし、彼女には夫がいて、その夫を陥れ、彼女と帰国しようと企てるのですが離陸直前に彼女とその夫を飛行機に乗せ帰国させます。別れ際、彼女に、今、君と一緒に帰国できたとしても後悔するときが必ずやってくると話し、見送ります。あのシーンで主人公を演じたハンフリー・ボガートは英雄になったのだと思います。愛する人のために何かができるということは素晴らしいことだと思います。

国会議員の方に一筆お願いすると「為政清明」と言う文字を書かれる方が結構多いそうです。どうやら座右の銘にされている政治家が多いようです。しかし、それが実行できていたら今の国会のようにはなっていないことでしょう。政治家こそ他人の心をイメージできる力は必要だと思います。そうあればとつくづく思います。今の自分の行いを晩年に後悔しないのでしょうか。する日は来ないのでしょうか。来ないと断言できる人は、本物か、もしくは無神経な人なのでしょう。

アメリカンインディアンの中のチェロキー・インディアンには私のという概念がなく、全てが私たちみんなのという概念だそうです。 私たちみんなの環境、みんなの世界、みんなの地球なのです。そして彼らが何かを決議するときには必ず、これから決められることが7代先の子孫にどういう影響を及ぼすか1人1人がしっかり考えた上で決議をするそうです。なぜならば今我々がココに居るのは7代前の先祖が子孫のことを考えて水を土を空気を森を海を湖を残し続けて来てくれたからなのだと感謝し、次世代へ引き継いでいるのです。

 明治政府の要職を歴任した大久保利通は、財政難の度に私財をなげうって穴埋めをしたそうです。彼が死んだときに残ったのは借金だけでした。それでも友人知人が奔走し、葬式を出したそうです。そして、彼が座右の銘にしていたのが“為政清明”でした。


健康と予防

解毒できる食生活を

 食べたものは身体の隅々に行き渡り、あらゆる臓器の一部になります。もともとあった分子は分解され、排泄されるのです。そして、体内の全ての分子は食べた物の分子と入れ替わっていきます。皮膚はおよそ1ヶ月で、血液はおよそ4ヶ月で入れ替わります。つまり、私たちを構成している分子は半年も経てば全て入れ替わっていることになるのです。食するということは分子レベルでは身体の新しい組織を常に保たせるのために不可欠なわけなのです。しかし、もし、食べ物の中に、本来身体の一部にならないような分子が混じっていたら、従来の作業に支障をきたすことになるでしょう。異物を分解し体外へ出すには、余分なエネルギーが必要になるため、身体に負荷がかかるのです。その余分なエネルギーが実は自然治癒力を阻害しているのです。

現代の食事は、外食(レストランなど)、中食(惣菜などできあいのものを買って家で食べる)が非常に多くなってきています。また、便利とばかりに日持ちする常備食がよく食べられてもいます。一般的に企業が作るものは食中毒をおこしてしまうと営業ができなくなるため、日持ちさせるための工夫としてあらゆる種類の添加物を混ぜています。さらに見栄えは重要なため、いつまでたっても美味しく見えるように余計な物を加えているのです。毎日食べ続けることはそれだけ身体に負荷をかけることになるのです。結果としてアレルギー体質を抱えてしまうことにもなるのです。それではこの余計な物の多い現代の食事に何が相応しいかということになります。こんなご時世で、あれもダメ、これもダメと原理主義に陥っては苦しむだけです。ファミレスに行くのも良し、コンビニで買うのも良し、ただし、解毒する日を持つということです。週単位で動いていれば曜日で決めるとかで良いと思います。例えば月水金はお酒を止めて“休肝日”にするとか、火木土に自然食を食べて解毒するとか、そんな感じの意識で良いと思います。

旬の野菜を食べることがまずお薦めです。なぜかと申しますと、その季節を生き抜く力が備わっているからなのです。例えば冬の根菜類は、寒さに耐えて生きています。つまり寒さに耐えられる力が備わっているわけです。それを食べることによって、寒さに耐える力をいただくのです。キュウリなどの夏野菜は、暑さに耐えて育っています。暑さに耐える智慧が備わっている訳です。それを食べることで身体を冷やし、暑さに耐えられる身体になる訳です。そうなるとキュウリを冬に食べたらたちまち身体は冷えていきます。冬でも食べられるようハウスで作った野菜は本当は冬に合わない野菜という訳です。腰痛や座骨神経痛の人は冷えに配慮した食事療法をするだけで改善する人もいます。実は私もそのひとりでした。

肉や魚などの動物性の食べ物の食べ過ぎも良くないです。食べ過ぎる習慣が続くと、臓器に負荷がかかりますし、中年男性だと前立腺肥大など排尿障害をおこします。砂糖の摂り過ぎもこわいです。酸性の体質になり、病気を引きおこしやすい虚弱な体質になります。また、代謝するためにカルシウムをたくさん消費し、臓器にかなりの負荷をかけてしまいます。現代人の骨の弱さ、特に骨折しやすい子どもの原因は運動不足に加え砂糖の取りすぎによるカルシウム不足だったのです。習慣的に摂りすぎていることが問題なのです。そうなると摂りすぎない食事とさらに解毒できる食事というのが現代における理想の食事ということになるでしょう。

解毒効果のある食べ物でいちばんのお薦めが玄米です。玄米か・・・?。かたいからあまり好きじゃないなんておっしゃる方もいることでしょう。それなら、3分づきとか、5分づきとか、7分づきとか、食べる人に合わせたご飯を考えることです。白米は、米の栄養分を削り落としていちばん旨味の強い部分だけを残していますので玄米に比べて美味しいですがわざわざ手を加えて良いところを捨てているのです。江戸時代の裕福な人たちの間で玄米は硬いのでもっと柔らかくて美味しい白米を食べ始めた人たちがいました。その習慣によって脚気(かっけ)に悩まされたそうです。当時は“江戸わずらい”といわれた贅沢病です。現代は白米ばっかり食べても、他で栄養が摂れるので、脚気に悩む人はあまり聞きません。無農薬の米なんていうのはよっぽどの農家でなければ作っていません。しかし、玄米は農薬を含む玄米であっても、それ以上の解毒作用があり、その他の食物をも解毒するスーパー食品なのです。炊飯器もかなり進化し、玄米が簡単に炊ける炊飯器も出ています。炊き方を工夫したり、味付けを工夫したりして、食べ方のバリエーションを増やすのも楽しいものです。最近の炊飯器は柔らかくも炊けるようになっていますが玄米は本来、硬いものなので、よく噛んでいただくことをお薦めします。


お薦めの“1冊” 

  老いの才覚 

著 者 曽野 綾子

 出版社 ベストセラーズ

 価 格  ¥800 (税込)

 夢を見た、クリスマスの夜。浜辺を歩いていた、主と並んで。砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。私のそれと、主のそれと。ふと思った、夢の中でのことだ。この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。立ち止まって後ろを振り返った。足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。ところが、一つのことに気づいた。ところどころ、二人の足跡でなく、一人の足跡しかないのに。私の生涯が走馬灯のように思い出された。なんという驚き、一人の足跡しかないところは、生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。苦悶の日、悪を望んだ日、利己主義の日、試練の日、やりきれない日、自分にやりきれなくなった日。そこで主のほうに向き直って、あえて文句を言った。「あなたは 日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。なぜ約束を守ってくださらなかったのか。どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、まさにあなたの存在が必要だった時に」ところが、主は私に答えて言われた。「友よ 砂の上の一人の足跡しか見えない日、それは私が君をおぶって歩いた日なのだよ」。 
(最後に紹介されている詩より)

 人間は生まれてくるのも、そして、死ぬのもひとり、人生のひとり旅の中で如何に充実させていくか・・・。社会や周囲に頼りすぎ、不平不満ばかり言う老年が増えてきている中で、人生の折り返し地点である40歳くらいから、充実した老後を送るための智慧を授かることは、その後の人生を幸福に導く鍵となることでしょう。辛口の表現はまさにその歳にならなければ言い切れない・・・、そんな著者の文章からも老後に向けたたくさんのヒントがいただけます。


22年度卒業式 (3月) 
昨年度は14名の生徒が卒業し、就職・専門学校・大学・留学へとそれぞれの進路に進みました。

23年度入学式 (4月) 
今年度は21名の生徒が入学してきました。


編 集 後 記 

5月後半の土曜日、子どもが通う小学校の運動会が雨で延期に、翌日の予備日も雨。その日は授業になったので小学校まで子どもたちを送ってい行きました。「台風の影響で連日の雨、何でこんな時期に運動会を・・・」と思いながら私は歩いていました。次の予備日は火曜日、私は仕事で行かれない。「あああ、今年は見られなかったか・・・」とがっかりしていました。それでも、子どもたちは楽しそうに登校し、運動場の中を長靴でピチャピチャと深い水溜まりを選んで歩いていました。がっかりしているのは私だけか・・・と思い、そうかそうか、この子たちが当日の運動会を楽しめればいいか・・・と気持ちを切り替えながら雨の中を歩いていました。午前中授業だったので昼には帰ってきました。宿題を終わらせ、借りていたDVDの返却や買い物に息子と一緒に行きました。雨の中、それぞれに傘を差し、片道1キロちょっとの道のりをゆっくりと歩いていました。帰り道、傘の差し方がまだぎこちない息子のズボンはびっしょりになっていました。そして、おもむろに今日あった学校の様子を話し始めました。「○○くんは何もしていないのにいきなり顔を叩いてくるんだ・・・。」と。こちらが聞かずとも堰を切ったようにどんどん話してきたのです。 普段から忙しい毎日で、帰宅時刻には息子は夢の中。何の話も聞いてあげられない。悩みなどいろいろな重荷がこの小さな背中にのしかかっているのかと感じ、泣きそうになりながら、今しかない、今しかない、息子の心に寄り添い、心が離れていかないように、せめて話をしっかり聞いてあげなければと思いながら歩いていました。どんな時代であっても人の心が求めるものに大差はないのでしょう。“気の置けない”誰かがいるだけで生きていける力となり、家族とはまさにその存在であり、世の中の“和”の原点であり、親の関わりの重要性を強く感じました。(S・I)
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by ikenosai | 2011-06-05 17:55 | 文化だより | Comments(0)