いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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<   2011年 04月 ( 1 )   > この月の画像一覧


いつか来る覚悟の日までに・・・

 この1ヶ月はもの凄く忙しかった。

3月最後の週は三途の川を渡りかけていた父に会いに金曜の夜から夜行バスに乗って津山に帰った。

姉に迎えにきてもらって、そのまま父の入院している病院へ行った。

その週の火曜日に母から電話があり、もうダメかもしれないと不安そうな様子で涙声だった。

今生のお別れかもしれないと覚悟して水曜日に夜行バスのチケットをネットで予約しようとした。

しかし、空席の隣が女性のためか手続きが完了しないため、木曜日、仕事帰りに小田急の営業所に行ったが予約受付の時間がすでに終了していた。

窓口の若い男性職員の方に事情を話したら、それなら私が明日の朝一番に責任を持ってチケットを発行し、さらに都合の良い営業所で受け取れるよう準備しておきましょうと全てを上手く手配してくださった。

出発の金曜日、予約確認の電話をするとすでに準備が出来ていたので、帰りによって新宿から夜行バスに乗った。

毎日、残業で睡眠不足だったせいもあってか、夜行バスで初めてぐっすり眠れた。

津山に着くと、3月も終わろうとしている時期にもかかわらず、白皚皚たる一面雪景色、やはりこの街は寒い。

姉に送られ、実家の集落を過ぎ、病院に着いた。

個室に移された父は、酸素マスクをし、腕には何箇所か点滴を刺され、尿袋をベッドの脇に置かれ、身動きも出来ない状況だった。

後期高齢者の父は、肺炎を患い、高齢者特有の免疫力の弱さからか熱が出ず、自然治癒する見込みもなく、ただただ神の、仏の力にすがるだけだった。

それでも私が病室に入ると、よくきたとばかりに嬉しそうに話し始める。

そのたびに巡回のドクターより喋らないようにと叱られて、酸値が上がらないと命の保証がないと言われていた。

その都度父は苦笑し、両手を合わせ謝っていた。

結局、一晩を病院で過ごし、姉が夜中の3時までそばについていて、私がそのあとからそばについた。

母は久しぶりに家でゆっくり寝た。

わがままな父の看病で疲れていたことだろう。

白々と夜が明けて、近くの高速バス乗り場まで義兄に送ってもらった。

年老いた父に私が出来たことは、そばについて思い出話をしたことと、残された短い余生で仏性を磨いて欲しいと切に話したことだった。

心から先祖の供養と良きことを思い、良き行いをして欲しいとひたすら頼んだ。

いつ天国に行くか分からぬ不安の中から、少しずつ覚悟が定まってきた。

いずれ行く道、お父さんとまた巡り逢いたいと手を握って話した。

一晩を振り返りながらバスの中でぼんやり過ごしていた。

新大阪から新幹線に乗って帰ってきた。

その後、父は日に日に回復していった。

酸素マスクが外され、ご飯も食べられるようになった。

その間に同じ肺炎で入院していた人が亡くなっていた。

父に何かお力がいただけたのだと深く感謝した。

それでもいつかは天国にいく。

ドクターからは2回も三途の川を渡りかけたと言われていた。

5年ほど前に肺炎になったときも奇跡的に助かって、次はないですよと念を押されていた。

その父とまだ電話で話しができる、そう思うだけでまだまだ安心している私だった。




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by ikenosai | 2011-04-23 13:58 | お父さんお母さん | Comments(0)