いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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思いがけず行った動物園


 
 昨日から小5の娘は18泊19日の合宿に参加した。

今年もどうしても参加したいと言い、しかも今までで一番期間の長い合宿に参加したというので、希望どおりにさせた。

西武池袋駅に集合し、そこで「行ってきまーす。」と元気に電車に乗り込んだ。

寂しいのは私たち親の方だけのようだった。

合宿中に宿題をするように勧めても、「いや、やらないから持って行かない。」なんて簡単に判断し、やる気が全くうかがえない。

合宿が終わってからだと大変だと伝えても、そんなことは上の空。

結局、私がぶち切れて、「やるやらないは関係なく持って行きなさい。」と一喝入れて持たせる始末。

夜のあいた時間にみんなが勉強し始めたら、退屈だからと諭し、嫌々ながら持たせた。

それにしても、朝早くから池袋は遠い。

息子も連れて行ったものの、見送りのあと解散し、せっかくだからサンシャインにでも行こうと誘ってみた。

妻は、風邪で調子が悪そうだったので、そのまま電車で帰宅したが、私と息子はウルトラマンショーがあるから行ってみようとサンシャインまで歩いた。

相変わらず、複雑な建物の中を迷いながら、インポートマートまで行って会場にたどり着いた。

が、しかし、長蛇の列に驚き、しかもまだチケットを買っていない。

12時の公演ですでに立ち見が決定していたので、息子にどうしようかと聞いてみた。

こんな状況では可愛そうかなと思い、電車の乗って、上野動物園に行こうかと言うと、即座に「うん行こう。」と嬉しそうに返事が返ってきた。

上野に着いたら、上野公園のストリートパフォーマンスにまず感激していた。

動物園に入り、象を観ては大喜び、ライオンを観ては大喜び、虎を観ては、ゴリラを観ては、熊を観ては・・・と、どの動物を観ても大喜びで楽しそう。

園内のモノレールに乗っては大喜びで、大きなゾウガメ、おきなニシキヘビにもう大満足だった。

遠く微かに見える、完成前の東京スカイツリーを見つけてさらに大喜びだった。

2人で600円の動物園の入園料はありがたかった。

ウルトラマンショーだったら、2人で3千円近くもして、しかも立ち観。

帰りにアメ横を散策しながら御徒町駅から東京駅に出て中央線に乗って帰ってきた。

中央線の全駅を把握している息子は、お茶の水を過ぎた頃、急に立ち上がり、外の景色を見ながら東京ドームを見つけて、「父ちゃん、東京ドームシティが見えたよ。」と嬉しそう。

暑かった動物園ではよく歩いた。

ぶら下げた水筒のお茶を何度も何度も飲んで、無くなったら水を入れて飲んでいた。

疲れていた息子は、新宿を過ぎた頃から私に寄っかかって寝はじめた。

家に帰ったら、1日のできごとを嬉しそうに妻に話していた。

チケットや案内図を白い紙に貼り付けて、今日の新聞ができたと喜んでいた。

明日、保育園でみんなに見せようとはしゃいでいた。

暑かった1日が終わり、息子が「父ちゃん頭を坊主にして。」と言うもんで、バリカンできれいさっぱり丸坊主にした。

「これでかゆくならないや。」と嬉しそうに鏡を何度も眺めていた。
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by ikenosai | 2010-07-26 08:57 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

真夏の減量


 かつて、大学時代の今頃は、ボクシングの国体県予選に出ていた。

大学1年生のときは、予選で勝ち、中国地区大会では、当時、鳥取代表だった全日本チャンピオンの赤城(赤木)武幸さんと対戦し、私の左フックがヒットしたらそこから赤城さんが目を覚ましたようで連打の猛攻撃を食らって試合は終わった。

しかし、そこから私の快進撃は始まった。

関東大学リーグ戦で2年連続高校チャンピオンを60秒で倒し、翌年の国体県予選1回戦までは5連勝できていた。

5連勝目の試合は50秒ほどで終わり、高校時代の恩師とともに帰路についた。

帰路につくはずだった。

この恩師は高校3年間担任で、私がボクシングの試合に出たいと言えば、二つ返事で顧問になってくださり、足りない成績に下駄を履かせてまで大学に押し込んでくださり、しかも大学に進学後も私の応援のために、すべて手弁当、いや持ち出し金まであるほどに私の面倒をみてくださった、あとにもさきにも出逢うことのない最高の恩師だった。

その恩師の友人が経営する保育園のお涼み会があるから寄っていこうと誘われて、翌日の決勝戦も考えず、出されるビールに焼き鳥にと、どんどん、どんどんと口に入れていったのである。

減量の影響もあり、五臓六腑に染み渡るビールが美味しくて、美味しくて、この上ない至福のひとときを過ごしたのだが、家に帰って、その至福の時間が一転し、地獄絵図の入り口になってしまった。

体重が3キロもオーバーしていて、30℃を超える真夏の晩にウインドブレーカーを着て4キロほど走り、それでも体重が全然下がらず、今度は熱い風呂の中でお湯をぐるぐるかき回して、汗をいっぱいかいたが、それでも思い通りには体重が下がらなかった。

 風呂から上がって、汗を拭き、首にタオルを巻いて、またウインドブレーカーを着て朝まで眠った。

暑い真夏だけにかなり堪えた。

早朝に目が覚め、体重を量った。

まだ、1キロ以上オーバーしている。

また、覚悟を決めて、4キロほど全力で走った。

それでも、体重が思い通りに落ちなくて困った。

前日同様、先生の車に乗せていただいて、津山から遙々、倉敷工業高校まで行った。

車の中には2人のお嬢さんが、わざわざ私の応援のため同乗されていた。

「昨日はKO勝ちで、今日も勝つぞ。」と娘さんたちに話し、終わったら、潮干狩りに行こうとも話していた。

会場の秤で計量したら、まだ600グラムもオーバーしていたので、またウインドブレーカーを着て、シャドーボクシングを5ラウンドほど全力でやった。

計量本番で何とか体重が50キロ台に下がっていた。

私は60キロのライト級がベストの階級だった。

昨年、高校チャンピオンを倒したときの階級はウェルター級で67キロ。

食べても、食べてもリミットにいかないくらい減量とは無縁の階級だった。

 さあ、いよいよ試合が始まった。

相手は、高校で3連敗している強豪選手。

周りからは3度目の正直ならぬ、4度目の正直と言われ、私も勝つ気十分だった。

ゴングが鳴って、ワンツーから得意の左ストレートを何度も何度も打って、ポイントを重ねていった。

1ラウンドが終わり、インターバルで三谷大和君の親父さんが「強うなった、今日は勝てるぞ。」と大きく声をかけてくださった。

周りの人たちも、口々にそんな感じのことを言っていた。

高校時代から指導してくださっている江見トレーナーも、「その調子だ、今日は勝てるぞ。」と嬉しそうに声をかけてくださったので、私は絶対に勝てるという安心感で2ランド目に挑んだ。

やはり、左ストレートが良く当たった。

調子に乗って、ばんばん打っていったら、ガツンという衝撃とともに、一瞬にして頭が真っ白のなって気がつくとキャンバスに伏せていた。

エイトカウント目のことだった。

レフェリーが私の顔をじっと見て、もう無理だと言わんばかりに首を横に振って試合を止め、私は自分のコーナーに戻されてしまった。

右フックを一発だけもらった瞬間に、トレーナーは頭を抱えてしゃがみ込んでしまったらしい。

一発逆転のKOパンチだった。

一瞬にして、膝が崩れ、左膝を大きく捻って歩くのも困難になっていた。

試合後、高校時代の恩師が、「さあ、赤穂に潮干狩りに行くぞ。」と午後から車を飛ばして一気に赤穂に向かった。

あと数時間しかできないが、こんな事であきらめないのが先生。

秘密兵器を準備して、2人で米袋2俵分たっぷり採って、それぞれに一俵ずつ担いで車に戻った。

膝はけっこうやばかった。

それでも、楽しくてKO負けしたことなど忘れていた。

途中、うどん屋に寄って食事をした。

それからは、千種川沿いを通って上月まで行き、179号線を通って帰ってきた。

中学時代に自転車で相生まで出かけたときに通った道だった。

懐かしくていろいろ思い出していた。

家に着いたら、先生が母に「お母さんバケツ!」と一言。

母がバケツを準備すると、いっぱいにアサリを入れてくださった。

母はびっくりして、「こんなにええんですか?」と言うと、先生は、まだ2俵あるけん大丈夫と笑いながら答えた。

何も考えず、その日は風呂に入って寝た。

翌朝、目が覚めると起きあがることも苦しいくらい、左膝が痛かった。

その日から予定していた酒販会社のバイトは休んだ。

午後に、整骨院にいった。

「風呂に入っちゃいけんなあ!」と整骨院の先生に言われた。

それでも翌日からバイトに行って普通を装って働いた。

今でも、梅雨などで長雨が続くと膝が痛いときがある。

そのたびに、先生と行った潮干狩りのことを思い出す。

 今週は暑い1週間だった。

それでも、我が家はクーラーを付けず、汗をかくかく眠りにつく。

あの日の減量に比べれば、自然の風に当たるだけでもこの上ない天国の境地だと私の脳幹が記憶している。

そして、こんなエコ親父(もしかしたらエゴ親父)に付き合ってくれる家族にただただ感謝である。
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by ikenosai | 2010-07-25 06:11 | 思い出のポケット | Comments(0)

ギャンブルとドラッグ

 相撲界の野球賭博が世間では大きく取りあげられ、問題になっている。

NHKも中継を取りやめたことで、事の重大さは各界にも影響していることだろう。

興業を陰で支えていたコウエンカイからもタニマチからも援助の手が切られ、キリキリマイになっていくことだろう。

しかし、相撲界とギャンブルは各界入り以前にも深い関わりがあるようである。

今回、中心に取りあげられた琴光喜関には、学生相撲時代からすでにタニマチがいて、毎月相当額のポケットマネーが入っていて、衣食住だけでなく、遊ぶカネまで与えられ、暇さえあればパチンコ店に入り浸っていたそうである。

ハングリーなはずの学生時代から遊ぶカネを与えられて、どこで精神を鍛えるのかなんて新弟子として受け入れる相撲部屋の親方には無理な話。

充分に甘やかされ、わがままに育った力士を急に変えるのは、一朝一夕にはいかない。

まして、依存性の強いギャンブルから足を洗うのなんて・・・。

力士を管理する側、つまり、親方や女将さんは新弟子時代からどれだけ各力士をマネージメントしていくかが重要。

幕下以下の時代には、特にマネージメントが重要になる。

日頃の稽古とそれに伴う一番一番での結果、そこから得る感動の積み重ねが若い力士の精神面を育てていく。

親方や先輩力士の憧れや夢をそばで見て、その生き方にさらに憧れるような環境はないように思える。

親方にせよ、女将さんにせよ、自分たちの居心地の良い温床をつくり、そこで相撲界独特の甘い汁を吸いながら、いい加減な先輩力士に任せておいては、良い方向へは行かない。

努力に比例して現れてくるはずの目標や夢はやがて才能だけに固執し、大切なプロセスの意味を失わせている。

だから、感動も薄い。

日々の中で短絡的に得られる感動に依存して大切なものの領域を侵していく。

その1つがギャンブルである。

一瞬に始まり、一瞬に感動を得られる。

大した努力もなく感動は得られる。

カネのために生きているような者であれば、額が大きくなればなるだけ感動は大きい。

ギャンブルにおいては、合法のものあり、その世界で生きている者がたくさんいる。

なので、むしろ、ウェルカムなところもある。

恐ろしいのは、それらにのめり込んで、それでも満たされなくなったときである。

その次に待っているのは覚醒剤など、入り込むと取り返しのつかないものになる。

清純でかわいいはずだった“のりぴー”の部屋は、足の踏み場もない散らかりようで、そこら中にストローが落ちていて、コカインをやっていたらしき跡がところどころに残っていた。

 人間は、夢や目標を失わないことが大切である。

夢や目標の規模はどうあれ、生きていくための支えになれればそれでいい。

そして、それを本人なり誰かがマネージメントしていかなければ、琴光喜関やのりぴーのような終わりを迎えてしまう。

貴闘力関の栄光も同様である。

かつての英雄だった母校でも今では邪魔者のように扱われてしまう。

人が群がり、やがて去り、突き落とす。

栄光の裏にはそれだけのリスクを伴う。

人間の心なんてみんなどこか似たところがある。

それでも常に意識して生きられる指針があれば、随分違うはずである。

今どきの体育会系がおかしいのは、マネージメントができていない指導者の惨憺たる結果に過ぎない。

昨年の東洋大の箱根駅伝も大きな権力に救われて優勝できたが、同じ釜の飯を食べた選手の中に犯罪者がいた以上は、あんなのは全体の勝利ではない。

指導者のマネージメントの欠落に過ぎない。

それでもメディアでは大げさに優勝を取りあげ、あの事件のことをひたすら隠していた。

スポーツは何のためにあるのだろうか。

第一に人々の精神世界の充実のためにあって欲しい。

誰だって、一番になりたい、誰だって目立つポジションを与えられたい。

心の奥底にはそういった望みがあるはずである。

しかし、その夢を全員が叶えることはできない。

だから、自分らしくかつ全体の中で生かされる道を模索するのである。

それをマネージメントし、支えていくのが指導者の役割である。

それでも、困難は多々ある。

だから技術革新をおこし、栄光に近づいていくのである。

東京オリンピック女子バレーの回転レシーブ。

池田高校のやまびこ打戦。

今までの常識とは違う新しいものを発明することである。

そこに指導者の醍醐味がある。

そんな指導者の下では、ギャンブラーもジャンキーも性犯罪者も育つ暇はない。
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by ikenosai | 2010-07-18 09:48 | 私的視点 | Comments(0)

オススメの映画がGyaO! で無料配信中!


 ニューシネマパラダイスは私が今まで観た映画の中で一番好きな映画である。

20代前半にこの映画を知り、この映画をこえる映画にはまだ巡り逢っていない。

レンタルで借りて、その後、三軒茶屋の今は無き古い映画館でも観て、それでももの足りなくて、1万8千円もするビデオを買って40回は観ただろう。

1930年代のシチリア島(イタリア)の映画館を舞台に、少年「トト」と映写技師「アルフレード」の友情をユーモラスにかつノスタルジックに描いている。

ある日、来てはならぬと言われている映写室に何度も何度もやってくるトトがアルフレードに削除したキスシーンのフィルムをくれないかとねだるのだがアルフレードの返事は「ノー」である。

(当時はキスシーンの上映は禁止されていたので、そこだけ切り取っていたようである。)

それでもしたたかにねだるトトに根負けして、次のような約束をした。

「お前を殴る前に協定を結ぼう。これはすべてお前にやる。だが俺が預かる。」と。

映画は少年期から思春期へと進んでいく。

青く澄んだ涼しげな瞳の少女に恋をし、やがて大恋愛をする。

しかし、アルフレードの巧みな細工によってふたりの恋は終わり、トトはローマに行く。

出発の日、アルフレードから「ノスタルジーに誘われても帰ってくるな。」と言われる。

アルフレードの死を母から知らされ、30年ぶりにシチリアの故郷に帰ってくる。

彼はイタリアで有名な映画監督になっていた。

葬儀が終わり、アルフレードの奥さんより、あんたに形見があるのと1本のフィルムを渡される。

ローマに戻ったトトはそのフィルムを観て感動する。

あのときのキスシーンだけを集めたフィルムだった。

30数年の時を経て、アルフレードが保管していた1本のフィルムに2人の友情が凝縮されていて、ただただ涙が溢れてくる。

この感動は、観ないと伝わらないだろう。

ぜひ、観ていただきたいオススメの1本である。

今ならGyaO! で無料配信中。

私が1万8千円も出して買ったビデオと同じバージョンのもの。



http://gyao.yahoo.co.jp/ct/movie/
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by ikenosai | 2010-07-05 05:49 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

“神の声”を聞き“神の愛”に目ざめた人たち

 フランスのノルマンディー地方にあるモンサンミッシェルは海に浮かぶ神秘的な教会です。

1200年もの大昔、アヴランシュ司教オベールという人が夢枕に立ったミカエルの声に従い建てたそうですが、彼の死後にも改築・改修がおこなわれ、今の立派な建物になっています。

マザーテレサも神の声に従い誰にも真似のできないあれだけの偉業を成し遂げました。

曽野綾子さんの恩師にあたる尻枝正行神父がなぜ神父の道を選んだのかというお話が“レ・ミゼラブル”を思い出させるようなできごとでした。

神父の父親が戦死され、終戦当時は姉2人弟1人母だけの母子家庭で、神父は13歳ながら一族の長だったため、家のこともやらなければならなく、住む家の補修もままならない時代にあって、正行少年は、ある日、意を決して家を直す釘を盗むため、その家の主がイタリア人の神父とも知らずに泥棒に入ったのです。

少年はその場で捕まりましたが、イタリア人の神父は理由を聞くと少年のリュックに入るだけの釘を詰めてくれ、「足りなかったら、またいらっしゃい」と言ったのです。

ジャンバルジャンの銀の燭台が彼にとっては釘だったのです。

少年はイタリア人にも警察にも捕まることはなかったのですが、神にとらえられて神父の道に入ったのです。

その神父が30年ほど前の著書に「それにしても、良き父母をもつ理想的な家庭だからといって、必ずしも子どもが立派に育つとは限りませんね。私はその実例を余りにも多く見てしまいました」と書いています。

決して比較して分かることではないですが、昔に比べ、生活に困らない現代であっても、ついつい不遇を恨み、不幸を感じてしまいがちになります。

しかし、そんな中にも無償の愛(神の愛や仏の慈悲)は存在しているのです。

どんな不遇にあっても、人を変える神秘の力に満ちています。

そんな深い愛にふれたとき、人は変わっていくのでしょう。

そして、できるだけ身近な人たちが愛をもって接していることはとても大切なことなのです。

学ぶとは知識を身につけ、それが智慧となってこそ意味があるのです。

なぜ勉強しなければならないかという疑問への答えはそこに集約されています。

智慧を授かった者が深い感謝を感じ、愛に満ちあふれたとき、人は神の声を聞くのでしょう。
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by ikenosai | 2010-07-04 08:01 | 現世に乾杯! | Comments(0)