いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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運動会


 今日は5年生になったの娘の運動会があった。

天気予報では50%の降水確率。

しかも、今朝まで降っていた。

それでも連絡網はなく、始まった。

プログラムの一番最初、その競技のさらに一番最初に娘が走った。

あまり、徒競走には自信がない様子。

それでも、組体操をがんばっている様子が、日頃の練習の話からうかがえた。

私は色々な場面でシャッターをおろしていた。

できるだけ良いアングルを探しては移動し、一生懸命に・・・。

 競技に出場している子どもたちを見ていた。

走る子どもたちひとりひとりを見ながらそれぞれの思いを考えていた。

速い子も遅い子も、それぞれに思いがあり、それぞれの世界を思うと、決して無駄にはできない。

どの子も主役なんだと思った。

 子どもの頃の私は、運が良かった。

ただただそう思って見ていた。

町はずれの小さな小学校だったので全校生徒が200人ぐらいしかいなかった。

しかも私の学年は一番少なく、23人。

男子が12人だったので、その中の一番になるのは勉強以外では容易だった。

3年生から紅白対抗リレーに出場し、4年生からは町内別リレーというその学校特有の競技にも代表で出た。

6年生のときは、紅組の応援団長。

放送委員もやり、学年リレー、紅白対抗リレー、町内別リレーではアンカーを任され、ダンスに組体操にと出番だらけだった。

勉強以外では随分と輝きの場をいただいた。

なんて恵まれていたのだろうとほんとうに感謝でいっぱいである。

学年リレーは男女混合で赤白のみの2チームだった。

紅組のバトンがアンカーの私にまわってきたときには、白組に5メートルほど差を付けられていた。

もう追いつけないかもしれないとあきらめの気持ちが頭の中をよぎったが、必死で私を応援する声が聞こえてきた。

私は一生懸命に走って、最後の最後で白組を追い抜いてゴールした。

嬉しくて、嬉しくて周囲を見渡したら、ゴール間近に父がいた。

声がかれるほど大きな声で私を応援していた。

いつもなら恥ずかしいと思う私だったが、そのときはほんとうに嬉しかった。

小学校で輝けて良かった。

両親の前で輝けてほんとうに良かった。

中学校に入ったら、全校生徒が千人もいて、ずば抜けた才能の同級生が何人もいて、私は遠くに霞んでしまった。

 娘も私の前で輝いていた。

私は思い出していた。

遠い、遠いあの日の運動会を・・・。

そして、父の声援とあのやさしいまなざしを・・・。


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by ikenosai | 2010-05-29 21:45 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

やさしい母の背中


 私の母は、愛媛県の漁村で生まれ、父とは大阪で知り合って、海のない中国山脈の麓に嫁いできました。

20歳そこそこのまだまだ遊びたい時期に、父にそそのかされてやってきたように思いますが、当時はどこに行っても貧しいのが当たり前だったようで、母も懸命にその土地に馴染もうとがんばっていたと思います。

厳しい祖父と変わり者の祖母、父の妹と弟も同居していて大変だったのではないでしょうか。

姉と私が生まれてから数年後、祖父は他界しました。

私が幼稚園年中のとき、ダンプカーにはねられて、3ヶ月ほど入院しました。

母は何日も連続で私の付き添いをして、毎晩添い寝をしてくれました。

家のこともやり、病院に来ては私の世話をして大変だったと思います。

誰に文句を言うでもなく、いつも優しい母でした。

ある時、私がウサギの風船が欲しいと言い出したら、分かった分かったとすぐに買いに行ってくれました。

しかし、私のイメージしていたウサギの風船はヘリウムの入った浮かび上がるものだったので、これは本当の風船じゃあないと駄々をこねると、ないものはしょうがないとなだめるのです。

そのときは、不満を言って困らせていましたが、その母のしてくれたことへの嬉しさが今頃になってこみ上げてきます。

私を育てるのに一生懸命だったのだと、苦労かけたなあ、悪かったなあと思うのです。

ひとりものの祖父の兄が近くの公会堂で住み込みの管理人をしていて、いつも家に来て、私たちと一緒に夕食を食べていました。

少しでも支え合おうという考えもあったようです。

そのお爺さんには、私は随分と可愛がってもらったことを覚えています。

私が小学校のとき、お爺さんは、ぎっくり腰になり、歩けなくなってしまったのです。

何ヶ月間か、母が自宅で介護していましたが、民生委員や市の福祉のすすめで、養老院へ入所することになりました。

最初のうちはよく面会にもいっていましたが、私が高校のとき、独り寂しく亡くなったのです。

亡くなる1ヶ月ほど前、養老院から死期が近いと連絡がありました。

母がお爺さんに面会に行ったのですが、意識もハッキリせず、話ができなかったそうです。

棺桶に入ったお爺さんの痩せ細った姿に、人間の孤独さを感じさせられました。

私が中学2年のとき、祖母が夏風邪を患い、何日間か寝込みました。

体重が百キロほどある祖母だけに、治ってはみたものの、歩けなくなってしまったのです。

毎日、食事の準備と排泄の介助、毎晩の清拭で大変なようでした。

しかし、祖母の心の内を理解していたのでしょう、母は、文句も言わず、約3年間もその生活を継続していたのです。

内職をしながら、電力会社の依頼で電器メーターのチェックをする仕事もやっていて、そんな姿もあってか、私は不良を卒業するきっかけをこの時期にもらったように思います。

いよいよ祖母の元気がなくなってきた頃、母に何度も不満をいう祖母の姿がありました。

あまりにもひどかったようで、母が我慢できず、とうとう怒りだしたのです。

私も姉もどうにかなだめながら、母を落ち着かせました。

祖母も謝って、お互いが理解し合えて良かったなあと思っていた数日後、祖母はこの世を去っていきました。

私はなんて、素敵な母に育てられたのだろうとそのとき、思えたのです。

だから、決して母の悲しむことはできないなとも思いました。

私が高校を出て上京する頃、母はヤクルトおばさんをしていました。

4キロ四方のエリアを毎日、三輪バイクで回って配達に行きます。

母の話で驚いたのは、山間部の一軒家に独りで住んでいる老人が何人かいて、母が配達で訪れるのを楽しみにしているそうでした。

バリカンを出してきて、頭を刈ってくれと頼むお爺さんもいたそうです。

そのお爺さんの子どもたちは都会に出ていて、お爺さんだけで静かに独りで生活していたそうです。

しかし、あまりの寂しさからか、首を吊って亡くなったそうです。

「独りは寂しいんじゃ」と母は残念そうにそのことを話してくれました。

母はいつもそういう孤独な年寄りの話をしみじみと私にしてくれました。

誰かが気にかけてあげなければいけないこと、人は支え合っていかなければ駄目なんだと、直接は言わなくとも、私に伝えようとしているのがよく分かったのです。

母は両親に、最期の最期まで送金をしていました。

年中苦労の絶えない母が一生懸命生きて、人生の意味を私に伝えようとしていました。

貧乏な生活ではありましたが常に一喜一憂して、毎日を大切に積み上げている母が私には誇りだったのです。

自分にできる精一杯のことをしている母が私は大好きです。

そんな母のような生き方を私もできるようになりたいと思うのです。

親の思いは自分自身がこうやって子どもを授かり、子育てをしていくうちに分かっていき、感謝できるようになっていくのだと思います。

人生はまだまだ学ばなければいけないことが山積みであるからこそ、これからも一生懸命生きていこうと母の背中に教えられているのです。


 どこの馬の骨だか判らぬ私でさえ、愛し、祈り続けていてくれる両親がいます。そんな慈愛に満ちた親の愛が私の心の支えになっているのです。



 今日は母の日、お母さんいつもいつもありがとう!


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 思い出したらお花を贈ろう!
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by ikenosai | 2010-05-09 08:40 | お父さんお母さん | Comments(0)

柿田川の復活


 5月初日に家族で柿田川の湧水を見にいった。

かつて、この川は産廃に埋もれていた。

それでも、湧水を守らねばと立ち上がった人によってよみがえった。

富士山からの伏流水が10年かけて地上に湧き出てくる。

この川を守り続けている翁はもうかれこれ20年もこの湧水を守っている。

ゴミの山をきれいにし、土地を買い上げ、自力で守り続けている。

観光地になってからも毎日清掃を欠かさない。

毎日、100万トンの水が湧き出るこの川は東洋一の湧水といわれ、一級河川にも関わらず日本最短の1.2キロしかない。

豊富なミネラルは、駿河湾名産の桜エビが育つために欠かせない栄養となっている。

ひとりの運動がやがて、ナショナルトラスト運動となり、世界遺産の手続きまでにこぎ着けた。

1日2食が健康の秘訣という82歳のこの翁は、今も湧水のそばでガイドをしながらこの川を守り続けている。

行政に頼ることもなく、ただひたすら守り続けている。

人の力は凄い、信念があるからこそここまでこれたのだと私は思った。

行政の力などあてにせず、20年以上の歳月をかけて・・・。


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by ikenosai | 2010-05-08 01:19 | 現世に乾杯! | Comments(0)

大きな鯉のぼり



 田舎で中学の教師をしていた20代のころ。

運動会の応援合戦でどうしてもスロットを作りたいというパチンコ好きの上司の希望で、骨組みだけでも費用をかけぬようにと考えた。

結局、父に相談し、川辺の竹藪に行って調達することをすすめられた。

初秋の夜空の下で父と一緒に竹を切っていた。

ふと父が昔のことを思い出した。

「お前が生まれてから、鯉のぼりを揚げるのに大きな竹竿が必要で、この辺ではここの竹藪の竹が一番大きくて、土地の持ち主に頼んで長いやつをいただいた。」

と懐かしそうに話した。

思わず、勝手に切っていいのかと尋ねると、事後承諾になるが、お願いに行くから心配するなとのこと。

そういえば、私が幼少のころ、大きな鯉のぼりが揚げられていたのを覚えている。

そのころは、男の子が生まれた家は、どこの家でも大きな竹の竿を立てて、大きな鯉のぼりを揚げていた。

何でも一生懸命にやってくれていた父だったと、色々なことを思い出した。

すっかり、引退してくたびれた蒸気機関車のような父ではあるが、私の記憶の中では、あのころのたくましい現役の機関車が走り続けている。

ありがとう、お父さん。

たくさんの思い出をありがとう。

今でこそ、都会のマンションやアパートでは、ベランダに小さな鯉のぼりしかかけられないが、そんな父の思いはしっかり受け継いでいきたい。

今日は、こどもの日。

とにかく、元気に強くたくましくそして、心の優しい人間に育ってくれればいいかな?

そう思っている。
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by ikenosai | 2010-05-05 05:43 | お父さんお母さん | Comments(0)