いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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鳥肌が立つ瞬間  


 先日、娘がやっているヒップホップダンスのイベントを観にみなとみらいまで出かけた。

かつてエアロビックスが流行したころの人々が40代、50代になって、今では指導者になっている。

未就学の子どもから小学校高学年までが中心で100組以上、1000人強も出場し、テンポの良い曲に合わせて、創作したダンスを踊る。

わずか数分間の発表にお金を出し参加する。

それでもバレエに比べればはるかに安い費用で済む。

あまり揃わず、バラバラに踊っている組もあれば、結構さまになっている組もあった。

女の子が多く、年齢が低いところには男の子の姿も結構見えた。

未来のエグザイルを感じさせるいでたちで親も一生懸命なんだろうと思った。

やがて、この中から本気でこの道に進む子も出るだろう。

いつの日か、全員が一体となり芸術的なダンスをする日がきっと来るだろう。

かつて、高校生たちと合唱の練習をしていたときのことだった。

練習の回数を重ねるごとに声が揃ってきた。

そのうちひとりの生徒が中学時代の合唱コンクールのことを思い出してこう言った。

「中学のとき、みんなの声が揃って鳥肌が立った。」と。

みんなで何かひとつのことをやるって素晴らしい。

私はつくづくそう思った。

ダンスにしても、合唱にしても、みんなの心がまとまってひとつになったとき、その瞬間にみんなとの共感が充実感となり何とも言えぬ強烈な感動をもたらすのだろう。

この感動は、プレステやゲームボーイでは得られない。

wiiなら少しはと思うが、人間の魂はそんなものでは強い感動はやはり得られない。

みんなで体を使って何かをする。

そして、それぞれの思いがひとつになったとき、新しい感動は生まれる。

いつの日か娘にもこんな感動をあじわって欲しい。



















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by ikenosai | 2010-03-31 05:28 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

野球にただただ憧れていた少年時代

 私が幼いころ、近所のお兄さんたちが田んぼで野球をしていた。

私よりも、五つも六つも年上の人たちだった。

私はただただ憧れて、一緒にまぜてもらって遊んだ。

こんな役に立たない私をまぜて遊んでくれたことに今となってはとても感謝している。

左利きの私はもちろん投げるのは左手で投げたのだが、打つことを教えてくれた人たちはみんな右打ちだったので、いつの間にか右打席に立つようになってしまった。

そのころは、王さんも長嶋さんもまだ現役だった。

稲刈りの終わった田んぼでダンボールや板の切れ端をベース代わりにしてやった。

少人数だと三角ベースにしてやった。

どこに転がるか予測のつかぬ凸凹(でこぼこ)の田んぼで半日野球をやり続けていた。

来る日も来る日も、野球ばかりやって、夢中になっていた。

すり減って凹凸(おうとつ)のない軟球をただひたすら追いかけていた。

やがて、小学校4年生になったとき、母に頼んでスポーツ少年団に入ってソフトボールを始めた。

将来はプロ野球選手になるのが夢だった。

まだまだ下手だった。

6年生の先輩が天才に見えた。

5年生になって、やっとBチーム(2軍)のキャプテンになった。

大きな大会ではAチーム(1軍)の15番目がやっと。

ベンチに入れるだけでも満足だった。

6年生で全体のキャプテンになった。

下手くそだったが、6年生に特に目立つ者がいなくて、繰り上がりでキャプテンになった。

センスのいい5年生に囲まれながらも、3番バッターでポジションはファーストだった。

バッターボックスに入るとドキドキして凄いプレッシャーを感じた。

市の大会でチームは初優勝した。

初めて県大会に出た。

それでも中学校では野球部には入らなかった。

向いていない、才能がないとあきらめた。

夏だけの大会に出る地域のチームに入った。

人が足りないと言われ、2年生から始めた。

打球がよめず、フライが上手く捕れない。

打つほうはまだましだったが、ずば抜けた才能はなかった。

やがて、肩を壊し、やる気も段々となくなった。

野球の上手い奴を凄いと思った。

当時の同級生に天性を誇る凄い奴がいた。

小学校では隣のチームのキャプテンだった。

そんな彼も、中学の途中から野球をやめて、ただの凡人になってしまった。

才能に恵まれていた奴らがどんどん野球をやめていった。

高校に行っても野球を続けていた奴らは凄いと思った。

その中で、甲子園に出る奴らは特別だと思った。

憧れはいつまでもあった。

うらやましいほどに私をとりこにしていた。

中学時代も高校時代も欠かさず見入っていた夏の甲子園。

小学校時代にテレビで観たドカベン香川も覚えている。

星陵と箕島のファストフライ落球の後の同点ホームラン。

その後の延長戦を一喜一憂して父とテレビで観ていた。

荒木大輔や工藤公康。

池田高校の初優勝、水野はまだ2年生だった。

野球は凄い、ただただそう思っていた。

自分にはできないが魅力的な特別なスポーツだと思っていた。

 数年前まで、通信制高校の野球部の監督をやっていた。

選手を指導するが、昔ほど活発な若者は随分と減っていた。

私が混じってピッチャーができるほどだった。

歳はとったが、打つのも負けなかった。

嬉しいことに、ルールが体に染みついていた。

これは、少年時代の賜物だろう。

理屈でなく、体がそう反応していた。

 企業をリタイヤした人で、都内の中学校の野球部を指導している人と話をするきっかけがあった。

60才を過ぎても、地域で指導されている。

昨年の新入生が全体で80人ほどの学校で野球部に入部してきた生徒が20人もいたそうである。

しかも、80人の半分は女子。

そうなる新入生の男子の半分が野球をしたいと入部してきたのである。

その方は、何でだろうと不思議がっていた。

私にはなぜだか分かった。

“ルーキーズ”をみた子たちが野球をすればノンストップで甲子園まで行けると思って入部してきたのである。

実際に野球をやらせてみれば、全然ルールも分からず、小学生レベルの内容で最初から指導されているらしい。

それでも、彼らはやめないで野球を続けている。

川藤先生のような監督が野球をとおして必ず自分たちを変えてくれると信じているから。

テレビは恐ろしいが、素晴らしい。

若者の心をあんなに動かしたのだから。

中学時代の私だったら、それでも野球はやらなかったと思う。

でも、野球をやらなかったから、マイナーなボクシングを始めて、野球部と同じ条件で大学に進学できたのかもしれない。

こんな歳になっても、野球だけは特別である。

あれだけのスポーツに才能を発揮している選手は今でも私の憧れであり、いつまでも私をとりこにしている。
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by ikenosai | 2010-03-27 22:59 | のぼーる(野球) | Comments(0)

“チルソクの夏”でこみあげたもの


 人は思い出をテトリスの如く積み上げていく。

うまく形にはめ、すっきりとクリアすれば良い思い出もわだかまりなくクリアする。

処理できずのままでいると所々が凸凹して何だかすっきりしない。

それが続くといっぱいいっぱいになり、やがてゲームオーバーになる。

私の思春期はまさにその繰り返しだったように思う。

何年か前にBS放送で“チルソクの夏”という韓国(釜山)の高校生と日本(下関)の高校生のほのかな恋を描いた映画を観た。

映画の詳細はウィキペディアでも見ていただければお分かりになるだろう。

陸上競技の日韓親善試合が年に1回、夏に開かれる。

それを七夕のおりひめとひこぼしになぞらえて、チルソク(ハングルで七夕の意味)と表現している。

1年目は釜山でやって、翌年は下関でと、その繰り返しで毎年行われる。

下関の女の子が釜山で出逢った地元の男の子に少しずつ心引かれていくのが何とも切なく感じた。

次の年の大会まで会えない。

それでも、ハングルを勉強し、手紙を必死で書いてコミュニケーションをとっている。

私が、なぜ共感できたのか?

それは、私の思春期とかぶる時代だったからにほかならないと思う。

ケータイもパソコンもなく、国際電話は高く、唯一手紙だけがコミュニケーションの手段だった時代に会えない人に思いを寄せていくその様子が何とも切なく、私の思春期に感じていた熱い思いと重なっていた。

そのころの未消化のすっきりしない思いが当時残したままの余熱を良い意味で呼び起こしたから感動したのだと思う。

思い焦がれて、ただただ好きな人のことを思い続けた青春時代。

好きだと言えないままになってしまっているいくつかの恋も、今ではそれで良かったと思える。

思春期に成就しない恋の経験、失恋をおそれるあまりそのままになってしまった。

いつしか好きな人が他の人と一緒に歩いているのにバッタリ出くわして、自分の心のわだかまりにイライラしたり、ガッカリしたり。

それでも、そんな思いを吹き飛ばすほどスポーツに打ち込んだりして、荒々しい波を乗り越えたり、真っ白になって空っぽになったり、複雑な心になっても、誰にも理解してもらえないまま自分で処理するしかなかった日々。

それでも今は、あれで良かった、プラトニックな片想いで良かったとそう思えるのは、きっと今が幸せだからだと思う。

現代の大人の世界では、肉体的につながるのが意外にも簡単になったように思える。

一線を越えた関係は、何だか自分の世界に他人を引き込んだ気持ちになりがちだが、決してそうではない。

心でつながるプラトニックな関係は、私たちが人間である以上、必要不可欠なことだと思う。

それは、信頼をつくり、積み上げていくことのできる人間にしかできない最高の精神世界にほかならない。

思春期のプラトニックな恋の経験は、大人になってから精神世界を成就していくために通るごく普通の道なのだと思う。

好きな人を思い続けられたという経験は、いつの日か何とも言えぬ甘酸っぱい果実のような思い出を残し、アラウンドフォーティのころ何かをきっかけにその余熱によって思い出されるのだろう。

“チルソクの夏”にみた私の思いは、遠い私自身の思春期と重なって、何とも言えぬ共感を誘ったのだと思う。

感動したり、共感できるものがあるということはそれだけ同じ価値を分かち合う人が存在しているということなのだろう。

この映画に感動した人からのコメントお待ちしている。






Gift de お花屋さん
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by ikenosai | 2010-03-21 09:47 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

「食事と周囲の関わりで心が育つ」 (前編)

※講師をさせていただいたこの研修会は、東京都内のある組織でおこなわれた研修で、第2回目でした。運が良かったとでもいいますか、その後の講師はそうそうたる方々で、4回目では参議院議員でヤンキー先生こと義家弘介さん、5回目では、木下晴弘さん、そして、昨年の6回目では元読売巨人軍の角盈男(すみ みつお)さんということで私のようなものは足下にもおよばない方々でした。もちろん講師料は義家さんの約50分の1でした。今となっては、およびいただけたことにとても感謝いたしております。

 「食事と周囲の関わりで心が育つ」       
  ~2007年2月 研修会にて~


 はじめに

 みなさんは今、何を目標に生きていて、何が幸せで、何が不幸だと感じますか?

私たちが生きているということを実感するなかで、大切なことは、今、この現実を生きているということではないでしょうか。

この現実を幸せだと思えることは、今まで生きてきた中で育んでこられた価値観が大きく影響しているのだと思うのです。

その価値観は、今まで関わってきたものに大きく影響されているのです。

だからこそ、親や周りの人たちの責任は重大なのです。

思い出のひとつ、ひとつの集積が心をつくっているのです。

悪の道に手を染めようとする子どもたちが踏みとどまれるとしたら、それは親や周りの人たちと今まで積み上げてきた信頼関係の賜物なのです。

そして、その賜物を確実なかたちにしているもうひとつの重大要素が食事だったのです。

食事、食事と聞いてもピンとこないかもしれません。

それだけ食事への意識が薄いのも巷で売られているものからもうかがえます。

そして、今の社会全体がこけちゃっているということにもお気づきいただければと思います。

今回は、この大切な周囲の関わりと食事の問題をとおして、子育てや教育への参考もしくは何かのヒントになれればと思って話させていただきます。



 周囲の関わりの問題 ~共同体を失った社会~

 昔の日本の社会は共同体でした。

しかし、今の社会は、派遣社員やパートがほとんどで、採算が合わなければリストラするといったように、全員が安全パイを持たされていた時代とは大きく変わってきているのです。

明らかに欧米の一部分だけを参考にしていて、元々の民衆の性格には合っていないように思われます。

だから、孤立して、誰にも話せなくなり、不安になり、失望して自殺する人もいるのだと考えられるのです。

会社は、残ったものだけが勝ち組になるシステムを海外のスペシャリストから買い取って、企業の再建を行っています。

果たして何割の人が幸せに暮らしているのでしょうか。

個性重視という発想なのかゆとり教育が進められました。

しかし、社会に合わなければ、卒業後は全く受け入れられないのです。

これは、機能重視で業績だけ、数字だけを評価の基準としてしまっていて、多様であるべき人間社会を無視しているのです。

そうすると、今の社会に順応できない教育が義務教育の中で行われていることになるのです。

色々な面で学校についていけない子どもたちをどうにかしようということなのですが、今の社会を考えると、学校でもっと機能的な面の教育を行うことも必要だということと、逆に、社会においては、あくまでも共同体を重視した大人社会へと、発想の転換をしなければ、幸せになれる人たちの基準線が大きくずれることになり、共有できる価値観がもっともっと失われてしまうのではと心配になります。

子どもたちの個性は、画一化できるのもではありません。

しかし、どこかで折り合いをつけられるように学ばせていく必要があるのですが、全体的に見て、教育への無関心な大人中心の社会で家庭と学校との協力体制が希薄な状態ではなかなか良い環境は、つくれるものではありません。

今の社会が、機能的になって、一時的に収入が上がって良かったと思っている人もいるでしょう。

しかし、恐ろしいのはこれからなのです。

いつ、自分がリストラされて負け組に転落するか分からないこれからの社会で、何を期待できますか。

少子高齢の時代に、社会を支えていく人材育成の基本である教育がなおざりになってしまっていて、何を希望に生きていくのか方向性が全く見えなくなっているのです。

そういった社会において、何を大切にすればよいのかと考えますと、結局のところ、私たちに確実にできることといえば、身近な、せめて自分たちの子どもだけでもしっかり育てていこうという結論に達するわけです。

だから、家族でつながって、家族でしっかり子育てをして、心の教育をしていかなければ、ほかに誰を頼ればいいのだろうという話になる訳です。



 便利な社会の落とし穴

 オートメーション化の時代に飼い慣らされてきてしまった私たちは、子育てまでもオートメーション化してしまいそうな勢いです。

10年ほど前、大手電器メーカーで働いていた伯父が、ペットに自動で餌を与える機械を開発中と言っていたのには驚きました。

当時は凄いことだと感心していましたが、今考えると恐ろしい時代になったと思います。

それがもし、子どもだったら恐ろしいことです。

子育ても教育も管理だけではいけないのです。

魂は、直接、人から学ばなければ伝わらないのです。

そうしないと正しい人格は育たないのです。

食事もそうなのです。

独りで決まった時間に電子レンジで温めて食べるような生活が毎日だったら、コミュニケーションがとれず、躾もままならなくなっていくのです。

森鴎外が子育てについて言っていました。

「もっと子どもの話を一生懸命に聞いてやらなくてはいけない。大きくなるほど子どもは親に何でも話せるようにして置かないと、思いがけない間違いが起こるものだ」と。

それぞれの個性の中で精一杯生きられる道を探せるように親なり、大人たちがしっかり理解して関わっていくことが、本当の幸せを見つけるための子育ての原点だと私は思うのです。

今、ヨーロッパと日本の父親の働き方は決定的に違ってきています。

精神的に成熟したスウェーデンなどでは、父親の帰宅が夜8時以降なんて2%未満に対し、日本は60%以上もあるそうです。

だからといって、日本の父親に子育てする気がないわけではないですが、働かざるを得ない環境を変えることが今の日本社会の課題でもあるのです。

今こそ、オルタナティブな考え方を持たなければ現代社会に飼い殺されてしまうのです。

朝は早く、夜は遅く、休日返上で仕事して、いったい、いつ腰を据えて子育てに専念できるのでしょうか。

そんな環境だから、母親ばかりが子どもと向き合い、一人二役のおかしな存在になり、父親は、家族との接点をなくしているのです。

子どもたちは、経済的な豊かさで、ものには満たされていますが、大人との関わりや愛情には飢えているようです。




 核家族の課題 

 子どもにとって親の存在とはどのようなものなのか。

世の中のお父さんは、家庭を安定した豊かな環境にしていくため、文句も言わず、時には歯を食いしばって頑張っています。

もちろんお母さんも同様です。

最近まではそれが普通であり、偉いもんだと社会が認めていました。

ほとんどの人たちがそう思っていたのです。

しかし、認めてくれていない存在があったようです。

それが子どもたちでした。

生まれてから、早い子は数ヶ月で保育園に預けられます。

朝早く起こされてご飯を食べさせられます。

お母さんの愛情を感じる間もなく、保育園に連れて行かれます。

お父さんはすでに仕事に行っているため、子どもと関わる時間もなく、存在が薄くなっていくのです。

そして、夕方、母親が迎えに来るまでは、ずっと保育園で過ごすのです。

家に帰ってから、急いでご飯を食べ、風呂に入り、寝るのです。

大人の都合に合わせていたら、寝るのも遅くなります。

あまり、お父さんと関わることもなく、顔を見ることもなく、眠い朝を迎えるのです。親って何なんでしょう。

人間を動物として捉えると、産後は母親が母乳を与え、歩き出すまでは手となり、足となり、関わっていかなければならないのです。

次第に離乳食へ移り、だんだんと大人と同じ生活に馴染んでいきます。

しかし、それは大人がそれも親がしっかりそばで安心していられる環境を用意してあげられるからこそ、順調に成長し、親から離れていくことができるのです。

今の社会ではその部分が欠けていて、子どもたちは、不安定なまま育っていくのです。

核家族においてはある程度意識した子育ての環境が不可欠です。

まず、一番大切なのは親子で過ごす時間の確保です。

核家族の家庭で両親が多忙な状況は決して良い状態とはいえません。

親の代わりに子どもと過ごしてくれる環境があっても駄目なのです。

親の関わり(特に精神面)が希薄だと子どもの心が悪い方へ影響しやすくなっていくのです。

お父さんが残業で午前様、ときには家にも帰らないほど忙しい。お母さんも残業し、やっと保育園にお迎えなんてこともあるようです。

親は必死に子どもに言い聞かせます。

お父さんもお母さんもあなたを育てていくために一生懸命に働いていると。

ところが子どもの立場に立ってみるとそのようにはなかなか理解できないのです。

実は、将来の安定のために子育てを犠牲にして、未来の幸せを意識しすぎて、現実にある大切なことを忘れてしまうのです。

そして、知らず知らずに子どもの寂しさを増大させてしまっているのです。

私なら、そんな会社辞めますね。

確かに会社で働くことは大切ですが、大切な子育ての時期は今しかないのです。

その子育てが実は人生の中でとても大きなウエイトを占めているのですから辞めますね。

でも、子育てがちゃんとできる職場環境をつくっていくことができれば本当はいいのですが。

一家団欒の時間を子どものときから経験していないと、家族の存在や意味が体に染みついていないのです。

これは理屈で解るものではないのです。

乳幼児期からの生活習慣で両親が多忙で、かつ核家族でなんていってたら、身近な大人との接点が少なく、特に親の愛情を理解できず、求愛のコントロールができなくなってしまうのです。

私たち人間が持っている愛情というのは、この時期にしっかりと親から注がれていないと際限なく愛情を欲しがり常に渇望した状態になってしまうのです。

経済的には裕福な家庭であってもそういった子どもは育っていくのです。

取り戻すための手段として、また初期に戻して愛情を注いで関わっていくことで改善はみられますが、親の気持ちの切り替えがなかなかできないという現状からはとても困難だと考えられます。




 思春期は親の通信簿

 イメージしている枠の中にいないと不安を感じる親御さん(特に母親)が多いようです。

それは大切なことではあるのですが、枠にはめ込まれるのがいやなのが、実は思春期の特徴のようです。

顔を合わせる度に「ちゃんとしなさい」なんて言われていたら、だんだん無口になってしまい、最後には何も話してくれなくなってしまうのです。

思春期を経過するときのエネルギーは、ものすごさを持っています。

これを、大人たちがもっと畏れるべきなのです。

特に男の子に関しては、この時期を理解しておかないといけないのです。

この時期の成長はのちに子孫を増やしていく大きな原動力となっていくため、正しく理解させ、女性との違いについても、詳しく理解し始めていかなければならないのです。

いつまでも自分の懐の中にいるのが当たり前と思っていてはいけないのです。

子どもにしてあげられることといえば、関心を持つこと、話を聞くこと。

話してくれるまで待つことをしっかり意識して関わっていくことなのです。

「干渉」ではなく、「関心」といった意識の方が的確だと思います。

また、ゲームや音楽といった大きな音や強い光の中の世界に浸るようなケースが多くなってきます。

しかし、閉じた空間では、生きた人間が持つ多面性を理解するのは困難なのです。

そして、次第に人間との繋がりがなくなってしまう心配も出てきます。

だからこそ、そうならないために幼少の時期から親子の信頼関係をつくっておかなければならないのです。

思春期は、親が今までどのように関わってきたかを評価する親の通信簿の中間報告のようなものなのです。

間違って関わっていた部分やなおざりにしてきたことなどが顕著に現れてくる変革期なのです。

そして、それを乗り越えて、一人前の大人へ成長し、親も一人前の親になっていくのです。




 食事がなぜ重要か
 “塵も積もれば山となる”
    食習慣の問題

 食品の安全基準は国家レベルでは任せられない。

これにはたくさんの利害関係が生じていて、経済へのデメリットが大きく影響してしまうからなのです。

テレビのコマーシャルにしても、支えるスポンサーなしではほとんどのテレビ局がやっていけません。

スカッとさわやかな飲み物があれだけ体に悪いといわれても、多大な広告料を出してくれるのであれば、悪いイメージは隠してしまうのです。

大手ハンバーガーチェーンのコマーシャルだって、そうなんです。

企業イメージを上げる工夫をやっていますが、毎日3食食べ続けるのはいかがなもんでしょう。

このしがらみの中で経済が潤っている以上は仕方がないことであって、自分たちで勉強し、考えていくしかないのです。

砂糖の多い缶コーヒーにしても、毎日、休憩ごとに飲んでいると、砂糖の摂りすぎによる生活習慣病にもなってしまうかもしれません。

たばこに関してはすでに悪影響の記載がされていますが、お酒に関してはまだまだのようです。

添加物だらけのイミテーションカクテルや発泡酒、日本酒にさえ、醸造アルコールを加えて調整しているのです。

パンには防腐剤、コーヒー牛乳にも防腐剤と日持ちするように少しだけ有害なものを混ぜているのです。

そして、もっと濃い、はっきりした味にするために、余計なものをたくさん加えていて、色まで加えているのですから、体に良いはずがないのです。

自分で学び、自分で判断して、自分の体は自分で守らなければ、社会全体がこけちゃっているのですから、今さらしょうがないのです。

昔は腐るものを腐る前に食べるというのが基本でした。

しかし、今では防腐剤が大量に使われ、日持ちするように加工された食べ物が多いようです。

そして、効率を考えた簡単な食事が多く、年間のエンゲル係数の平均8%しか生鮮食料品はなく、ビン・缶・レトルトなどの加工食品が62%、外食がなんと30%にもなるのです。

食品添加物はひとりあたり年間1500種類、重さにして24㎏。

生鮮野菜や穀物にさえ、農薬や化学肥料、畜産や養殖には抗生物質や抗菌剤が使われています。

こんなものばかり食べていたら生活習慣病は防げるわけがありません。

3大生活習慣病といわれる、がん・脳卒中・心臓病、中でも国民の3人に1人ががんで亡くなっています。

私たちのからだを構成している細胞は、遺伝子情報によって決められた周期と寿命があり、皮膚はおよそ28日、血液はおよそ4ヶ月で、全部新しく入れ替わっています。

ところが、この遺伝子に何らかの原因でキズがついて異常をきたすと、間違った情報を受けた細胞が増殖していき、正常な細胞の領域まで侵していくのです。

これががんです。

遺伝子次第でがんになるか、ならないかが決まるのです。

健康な人でさえ、1日に3000~6000ものがん細胞が生まれています。

しかし、健康な人の体内には、がん細胞を撃退してくれる免疫細胞があり、その働きで、それ以上の増殖にはならないのです。



 ストレス社会と精白穀物
      のダブルパンチ


 ストレス社会を生きている私たちにさらなる追い討ちとなるのが食事の問題なのです。

忙しすぎて精神的ストレス(気の使いすぎ)が続くと、交感神経緊張型になります。

そういう人が副交感神経優位に変え精神バランスを保つには飲食以外になく、食べ過ぎたり、飲み過ぎたりして食事のコントロールができなくなるのです。

精白された穀物や白砂糖の摂取により、一気に血液中に糖分がおくられ、血糖バランスを崩し、疲れやすい、キレやすいなど、行動が不安定になってしまうのです。

精白された穀物と砂糖で作られるスナック菓子や糖分の多いジュースを毎日のように摂取する習慣で、ストレス社会の中で生きていけばインスリンとアドレナリンの分泌がトラブルを起こしやすくなります。

ストレスの多い現代社会において、健全に生きていくということは、そうとうの意識をもって変えていかない限り、良くはならないのです。

画一化された添加物だらけの食品は、見た目は良く、日持ちもし、大量生産を可能にしたため価格も安いのです。

しかし、その為か、昔の食事にくらべて偏った栄養を摂っていて、かつ、大切なミネラルなどが不足していくのです。




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by ikenosai | 2010-03-13 05:42 | 「食育」 講演記録 | Comments(0)

「食事と周囲の関わりで心が育つ」 (後編)

 心をつくる栄養素
    (頭にいいお話)


 脳の情報は、ある特定の神経細胞に電気信号という形で発生し、隣接する神経細胞に伝わっていくのです。

これが情報の交換や伝達なのですが、神経細胞どうしの間には「シナプス」というすき間があるため、このすき間を電気信号は飛び越えることができないのです。

そのため、電気信号に代わって、伝達物質がシナプスを渡ることで情報が神経細胞から神経細胞へとつつがなく伝わることで心が発生します。

そして、このバランスを保つために、必要に応じて伝達物質が供給されるのです。

もし伝達物質の原料が不足することになれば、神経シグナルが上手く伝わらなくなるのです。

その影響で、イライラ、不安、気落ち、深い悲しみなどさまざまな症状が現れてくるのです。

そして、段々と、不幸を感じたり、人生を充実させる力がなえてしまい、日常生活に悪影響を与えるようになるのです。

これを私たちは心の病と呼んでいます。

脳内では多くの伝達物質が適切に作用していますが、それらはアミノ酸、アミン、ペプチドの三種類に分類できます。

そのうちアミンとペプチドはアミノ酸からつくられるので、アミノ酸が心を創り出す重要な物質になります。

脳の中では、伝達物質、ブドウ糖、ホルモン、ビタミンなどさまざまな物質が、受容体に受け取ってもらい、つぎに、神経細胞に取り込まれて利用されます。

そして大事なことは、受容体の形は受け取る物質ごとに決まっていて、物質が受容体にピッタリおさまったときだけ神経細胞に取り込まれるのです。

受容体は流れてくる物質を捕らえる瞬間、物質を正確にキャッチするために、微妙に形を変えねばならないのです。

もしこの膜が魚油(オメガ3脂肪酸)でできたやわらかいものなら、キャッチの瞬間、膜がうまくすべって受容体の形を調整して、上手く捕らえるのですが、この膜が、動物性脂肪などを主成分にしてできた硬いものであれば、キャッチの瞬間、膜が上手くすべらなくなるのです。

このため、受容体は上手く形を整えることができなくなったりして、伝達物質やビタミン群を捕らえ損ねてしまうのです。

魚油(オメガ3脂肪酸)には、DHA(ドコサヘキサエン酸)とEPA(エイコサペンタエン酸)いう成分が含まれ、どちらも脳の神経細胞の膜や伝達物質の受容体の膜の成分なのです。



  特に心の安定を
     妨げる食品

 脳に大切なブドウ糖、しかし、バランス良く摂らなければトラブルが起こるのです。

糖類はブドウ糖となって脳にエネルギーを供給しています。

ここで大事なのは、糖類がブドウ糖に変わるときのスピードなのです。

砂糖や精製されたデンプン(米、麦、芋など)は、猛烈なスピードでブドウ糖に分解されるため、この猛烈なスピードが、心の病を発生させる要因となってしまうのです。

血液中にブドウ糖が大量に流れ込んできたとき、血糖値が上昇します。

膵臓は適切な量のインスリンを放出し、血糖値をもとの正常な状態にもどします。

しかし、低血糖症の場合、そうはならないのです。

砂糖や精製デンプンを大量に含んだものを食べて、血糖値が上がったとき、膵臓が過敏な反応をしてしまい、大量のインスリンを出すのです。

インスリンはブドウ糖を一気に血液中から肝臓などへグリコーゲンという物質に形を変えて蓄えられるため、血糖値は正常なレベルより低くなり過ぎてしまうのです。

この状態だと、脳にエネルギーが供給されない状態となり、正常なはたらきができなくなってしまうのです。

こうして頭痛、不安、イライラ、疲労、めまい、心の混乱、健忘、集中力の欠如、うつなどが発生してしまうのです。

このストレスに対して、副腎がすばやく反応し、ストレスホルモンのアドレナリンを放出するのです。

このホルモンが肝臓に蓄えていたグリコーゲンをブドウ糖に分解し、血液中に戻すのです。

こうして血糖値が上がり、このブドウ糖によって、インスリンショックから脳が守られるのです。

砂糖や精製されたデンプンの多く含まれた食事によって血糖値が急激に上昇し、インスリンの大量放出によって下がったことが原因で、知らず知らずに何か甘いものを探すようになってしまい、本能的に体が甘いものを必要以上に受け付けるようになるのです。

アルコールのインバランスがまねく低血糖症への影響がさらなる不安定を引き起こしていきます。

白砂糖と同じようにアルコールにはカロリーだけしか含まれていないので栄養的な価値はゼロです。

しかも迅速に血糖値を上げるため、アルコールが抜けると急激に下がっていくので脳へのエネルギー供給が途絶えてしまって、インスリンショックをまねくのです。

カフェインの摂りすぎも要注意なのです。

カフェインは体に蓄えておいたグリコーゲンをブドウ糖に分解して血液中に放出させるため、一時、気分が良くなるのですが、カフェイン効果が切れたときには、血糖値が急激に下がり、グリコーゲンを蓄えていた細胞から強引にブドウ糖を取り出していくため、過剰のカフェインは腎臓へのストレスとなり、亜鉛、カルシウム、マグネシウムなどの必須ミネラルが尿といっしょに排出されてしまうのです。



 暖房のきいた部屋で冷たいものを摂っていませんか?

 寒い時期にもかかわらず薄着で肌を出した服装。

そして、冷たい物を飲んだりアイスクリームを食べる。

その他、暴飲暴食についても、低体温の原因といわれています。

低体温の状態が長く続くとガン細胞などの増殖が非常に早くなるそうです。

行動力や、やる気の低下にもつながります。

温かい体には免疫力や抵抗力が備わっていて、温かい体を維持するには、それなりの生活習慣を意識することが大切です。

室温は暑すぎず寒すぎず、冬なら16~18℃くらいで外気との温度差が極端でない状態が良く、それでも寒ければ、上着を多く着て調整する。

温かい靴下を履くなどの配慮も必要なのです。

実は不妊症や生理不順の原因のひとつにもなっています。

昔、“秋茄子は嫁に食わすな”と言われました。

夏の野菜である茄子を冷え始めた秋に食べると身体を冷やし、子どもの授かりにくい体質になり、子宝に恵まれにくくなる心配からそう言われるようになったそうです。

今、不妊治療が盛んになった現代、実は大きな原因の1つに低体温や冷え性の問題があげられます。

巷で1年中売られているサイダーやコーラなどの清涼飲料水も実は季節を考えて飲まなければいけないのです。

冬は冬の野菜を食べ、温かい服装で過ごし、夏は夏の気候に慣れながら時々涼む程度に冷たいものを摂取するくらいが身体には良いのです。

そして、適度な運動も体を温めるには必要です。


 ※食事に関しては、どんなに栄養価が高くても、食べ過ぎると臓器への負担がかかります。人それぞれに個人差もあり、代謝のいい人もいれば、少量で反応してしまう人もいます。ストレスを溜めない、食べ過ぎない(砂糖は摂りすぎない)、そして、適度な運動が健康の秘訣なのです。



 おまけ
 (現代栄養学の矛盾)

 サルの仲間である人間は2種のグループに分けられます。

サルの棲めない北海道やフランス、ドイツ、北欧、ロシア、カナダなどの食べ物は、サルが棲める沖縄から本州までの日本人の食べ物とは根本的に違います。

サルが棲めず農耕に不向きな寒冷地の食べ物は、狩猟による動物の肉やヨーグルトやチーズなどの乳製品なのです。

何万年も前から繰り返されてきた食の習慣はヒトの遺伝子を変え、彼らにとって問題のない食べ物になりましたが、そのサルの棲めない地域の食をドイツが中心になってまとめ上げたのが現代栄養学。

日本の厚生労働省の基準はこの現代栄養学に基づいています。

本来なら、生き物・地場の物・季節の物ということが大前提なのに、素材を抜きにして熱量・タンパク質量・カルシウム量など、量の計算が先になっています。

寒冷地に棲んでいた彼らは計算しなければ生きていけなっかったのですが、日本のようにサルの棲める、作物のできる私たちの環境では、ドイツの栄養学は必要ないようです。

乳製品にアレルギーが多いのもうなずけます。

日本人の体質には、牛乳も肉も砂糖も油も必要ないそうです。

健康な長寿の食材として、未精白の雑穀、多種の野菜、海藻、小魚、豆類といったものがあげられます。

つい50年ほど前まで食べていた日本食なのです。

明治のころ、外国人が日本に来て、一番貧しい車夫(車引き)でさえ気力、体力が満ちあふれていて元気な日本人にびっくりしていたそうです。

その当時、砂糖を摂っていた人はほとんどいませんでした。

以前、中国雑伎団の人たちに食事の質問をしたことがありました。

彼らは普段の食事の中で砂糖は絶対に摂らないそうです。

栄養を管理している人が、それだけは配慮しているそうです。

健康であれば、砂糖は不要で、むしろ有害だそうです。

およそ、300万年の人類の歴史は、空腹との戦いでした。

私たちの体には、空腹に順応する多様なシステムが備えられました。

それなのに、ここ100年間で人々は食べ過ぎるようになり、食べ過ぎた体への対処方法は、インスリンぐらいしか見あたりません。

生活習慣病の現れは、対処方法のない私たちへの警告なのかもしれません。



 “笑い”は心の潤滑油
 昔から、“笑う門には福来たる”と言いますが、笑うということは、腹式呼吸。腹式呼吸は体中の血液の循環を促し、更にストレスの解消になるのです。

悩んでも解決できないことはたくさんあるのです。

相談しても治まらないことばかりなのです。

だから、笑える環境に身をおくこともお薦めしたいのです。

笑顔になればいいことは自然におとずれてくるものです。

病院も必要ですが、寄席などに行ってしっかり笑ってきて欲しいものです。



 まとめ

 職場や周りの人間関係、あらゆるものが原因でストレスを抱えて精神的負担から心の病になってしまう親御さんが多いようです。

このストレス社会が世の中を悪くしている原因といってもいいくらいなのです。

そして、子どもに無関心だったり関わることが面倒になってしまっている親も多いのです。

その結果、小学校では宿題をせず、忘れ物ばかり。雷にでも打たれたかのように、特別な刺激でもなければ、急に関わることなんてできるはずがないのです。

季節感のない服装だったり、TPOを意識しない奇天烈な格好も実は、親の関わりに問題があるのです。

誰かが分かりやすく教えてあげなければならないのです。

また、最初は子育てに気合いを入れて頑張っていた親の中にも、子どもが期待したとおりにいかず挫折して、不安定な心になってしまったら、腫れものにでも触るかのような感覚になって、子どものご機嫌をうかがうようになってしまうのです。

そういった子どもは親の愛情の受け止め方が分からなくなっていて、親のほうは、心がダメなら、もので満たすなど、あの手この手とその場しのぎの対応をしてしまうようです。

部屋には、テレビもパソコンもあり、携帯電話を持ち、全てのことが自分の部屋で満たされるくらい充実した環境で過ごすようになるのです。

自分の部屋でご飯を食べ、父親とはコミュニケーションをとらなくなり、最後は自分の世界に入っていくのです。

自分の部屋に冷蔵庫まであるということもあるのです。

そうなると、親にしても、子にしても、コミュニケーションをとること自体がもうすでにストレスになるのです。

だから、子どもが小さなときから洞察力をもって、しっかり見つめてあげていなくてはならないのです。

その反省をもとに、これからどうすべきか考えてい く必要があるのです。

子育てにおいても、教育においても、社会全般で、ああすればこうなる的な考えで手入れをするといった基本的なことがなおざりになってきています。

まさにマニュアル化された社会を推し進めているのです。

見えないものには投資しない、損をするかもしれない、手間が掛かるかもしれない、そういったたぐいのものには一切興味がない人が増えてきているのです。

だから、ラクに子育てができる、子どもが管理しやすい環境をひそかに求めているのです。

しかし、私たちはマニュアル化できないなま身の人間なのです。

ある意味、即席の処方箋など通用するヤワな生き物ではありません。

だからこそ、大人も学びながら一喜一憂し、大切に関わることが、本当は何よりも効果的なのです。

その姿を、子どもはしっかりと見ているのです。

本当の子育てや教育は、すぐに結果がみえるものではないのです。

後々になって、やっと、関わってきたことの成果が現れてくるのです。

そのとき計り知れないほどの充実感が溢れてくるのです。

今はただ将来を信じることなのです。

懸命に学び、懸命に関わることなのです。

そして、そこに価値を見つけることが幸せな生き方につながるのです。

人は誰でも、自分ではどうにもならない欠点があります。

しかし、その欠点があるからこそ、仏様なり神様なりが身近な人をとおして、慈悲的な意味での愛情をそそいでくださるのです。

そして、その愛情は私たちの心を豊かにし、幸せというものを実感させてくださるのではないでしょうか。

もし、欠点がないという人がいるとしたらその人はすでに彼岸の人、もしくは天国の人なのです。

自分にとって大切な人たちに何が残せるか。

それは愛の詰まった思い出くらいしかないのです。

だからこそ心のこもった生き方ができるようになることが本当の幸せな生き方につながるのだと思うのです。

まさに子育ては一喜一憂して大人も学ぶことなのです。


 ご静聴ありがとうございました。






  
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by ikenosai | 2010-03-13 05:39 | 「食育」 講演記録 | Comments(0)

お薦めの“1冊”

 「脱コウネンキ宣言」
 ―Sweet Woman


出版社:  中央公論新社

 著 :  石坂 晴海

価 格:  ¥1,680 (税込)


 思春期の子どもを抱え、子どものすることが何でも気になる。

口をはさみ、嫌がられる。

職場では人間関係が不安定。

この心の内を旦那は分かってくれない。

それでも、今を生きている。

鬱の日も、元気な日も・・・。

子育ては、育児書や教育関係の本だけを読んでいてもダメなのです。

母親の心の状態が実は子育てには一番影響します。

知らず知らずに通り過ぎていく更年期。

年齢は様々ですが早い人は40才くらいから訪れます。

女性だけでなく、男性にも訪れます。

そのとき何が大切か、それはパートナーの温かい見守りやフォローなのです。

あるお母さんが更年期のとき、夫は何もしてくれない、解ってくれないと、とにかく夫に腹が立ち、憎かったと言っていました。

妻への無関心、非協力的が考えの違いを生み、やがて離婚にまで発展するのです。

子育てにどれだけデメリットか。

父親のまなざし、母親のまなざしがどれだけ大切か。

協力し合える夫婦は子どもの将来に良い影響を与えるのです。

やがて来るであろう更年期。

今、まっただ中の人もいらっしゃるでしょう。

そんなときこの独特の心の内を理解しておくことはとても大切なことです。

この本はそのきっかけになる1冊です。





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by ikenosai | 2010-03-13 05:13 | 私の本だな | Comments(0)

咲きほこるサクラの花のように・・・


 昨年までたずさわった生徒たちの卒業式によばれて参列した。

それは、小さな小さな高校の卒業式。

親子で乗り越えた感慨深い卒業式だった。

不登校と子育ての研究を積み重ねていた私にとって、この生徒たちの卒業は嬉しくて胸がいっぱいになった。

子どもの思春期と親の更年期が重なり、家族が何度も壊れそうになりながら乗り越えてきた3年間。

4年かかった者も、5年かかった者もいた。

そして、煩わしいプライドも、くだらない世間体もすべてを捨てて、やっと大切なものが見えてきて、やっとの思いで卒業を迎えた。

思いおこせば、絶望と不安のまっただ中でワラをもつかむ思いでこの学校に来た生徒たちばかりだった。

小学校で、中学校ではぐくめなかったものを思春期の苦しみの中で必死になって積み上げたこの高校生活だったと私は振り返った。

ひとまわりもふたまわりも成長した生徒たちにただただ感激していた。

春からは、大学に行く者、専門学校に行く者、留学する者、就職する者、浪人してまた大学を目指す者と様々の進路に進む。

ひとりひとりの名前が呼ばれ、証書を授与する中で、ともに歩んだ親御さんのことを考えていた。

私は目を閉じ、何度も何度もその親御さんたちの顔を思い浮かべていた。

すすり泣くお母さん、ほっと安堵の表情で見守るお父さん。

月日が経てば今日のこの喜びは少しずつ薄れていくだろう。

それでもまた思い出す日がくるだろう。

ともに乗り越えたこの高校での日々のことを、そして卒業した喜びを・・・。

これまでのことを、これまで苦しんだことを明日からの糧にして、決して負けないで、あきらめないで生きていって欲しい。

そして、またいつかこの場所で会おう。

最後に歌った「さくら」の歌詞のように・・・。

みんな、卒業、おめでとう。

本当によくがんばったね・・・。

ありがとう、ありがとう、私に感動をくれてありがとう・・・。





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by ikenosai | 2010-03-08 01:19 | 照于一隅 | Comments(0)

大きくなったなあと思った日のこと


 先日、娘のクラスが学級閉鎖になった。

私の推測では、ノロウィルスかな?

腹痛や下痢で何人かの生徒が休み、前日には娘も同様の症状で何とか授業を終え帰ってきた。

熱もあり、静養させて様子を見ていた。

翌日は、無理をさせないためにも、ひとりで留守番をさせながら静養させていた。

学校に状況を話すと、すでに8人ほど同じ症状で休むとのことで、結局、学級閉鎖になってしまった。

少々元気になっていた娘は、何だか嬉しそうだと妻よりメールがあった。

昼休みになって、わずかな時間に家に電話をしてみたら、娘が元気な声で出た。

「元気、大丈夫、ご飯は食べた・・・。」と聞くと、嬉しそうに「パパ、私は元気だよ、ご飯も食べたよ。」

「何を食べたの?」と聞くと「ご飯とみそ汁を温めて食べたよ。」とひとりで留守番をしながら過ごしている様子を話してくれた。

10才にもなると、随分とお姉ちゃんになったなあと色々なことに感激し、涙が出そうになった。

あっという間に成長する娘を思い、今しかない、こんなに可愛がれる時期は・・・と怒るのは止めて、もっともっと可愛がらなくてはと反省してしまった。

 週が明けて、学校では2分の1成人式という行事があった。

10才の4年生たちが、先生や保護者の前で、今、自分の得意なものを披露して、成長ぶりを見てもらうものだった。

野球で直球を投げる子、空手の型を見せる子、寿限無を全部空で言う子、娘はダンスを披露した。

時間をつくって行った妻から、「みんな凄かったよ。」と聞かされて、あっという間の小学校の4年間を振り返った。

10年後は、本当の成人式。

幸せな二十歳を祝えるように、1日1日を大切にしなければと強く心に誓った。
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by ikenosai | 2010-03-07 08:44 | 子育て 一期一会 | Comments(0)