いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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日帰りで行った小豆島


 高校2年の夏、私は初めてボクシングの試合に出た。

2分間を3ラウンド戦い、あっという間に試合が終わった。

自分の山場をつくることもなく、判定で負けた。

勝てば、国体出場の可能性も充分だったが、その希望が途絶え、何か他のことでもやって楽しい夏休みにしようと考えていた。

所属していた卓球部の練習もあり、試合もあったので、何かはやっていた。

それでも、まだまだ体力は有り余っていた。

部活のあとに、20キロほど走ったりもした。

休日は、那岐山に走って登ったり、岡山港や姫路城までサイクリングをしたりもした。

計画的な旅行がしたいと思い始めたので、去年一緒に鳥取まで行った友だちを誘って、サイクリングの計画を立てた。

泊まりはあきらめ、日帰りで計画を立てた。

早朝に、津山を出発し、吉井川を下って行く。

柵原を抜け、吉野川が吉井川に注ぐところで、橋を渡り、佐伯を抜け、和気を目指す。

片上鉄道をつたうように下り、何個も何個も駅を越えて行った。

中学2年のときの家出の道をしばらく走っていた。

山陽本線の和気駅で少し休んだ。

少し、上り坂があり、小さな峠を越えると、急に下って行く。

赤煉瓦でできた備前焼の煙突が所々に見え始めてきた。

さらに、備前から海づたいに行くと日生港がある。

その港が、小豆島に行くには一番近かった。

フェリーの2等旅客席と自転車の運賃を受付で支払い、船に乗り込んだ。

私たちの自転車は、隅に止められた。

トラックや乗用車も何台か乗っていた。

船から海を見る限り、濁って汚かった。

船が動き始め、甲板に出た。

いくつかの島の間を抜け、広い海に出た。

潮風を浴びながら進む船上が心地よかった。

濁っていた海が次第にきれいな青色になってきた。

そして、真っ青な海が一面に見えてきた。

しばらくして、小さな島と大きな陸が見えてきた。

小さな島を横切ると、この先は小豆島の大部港である。

ここからはお隣の香川県。

船から降りて、帰りのフェリーの出発に間に合うようにと考えながら自転車を漕ぐことにした。

地図上では平坦に見える島だったが、実際に自転車で通るとアップダウンの激しい坂ばかりだった。

しかも、山間部もあり、ダムもあった。

周りは田んぼや畑があり、内陸部だけをみると、ここが小豆島なのかと思うほどだった。

何もない坂道を通っていて昼になったので、たまたま見つけた食堂で昼食にした。

運が良かった。

その食堂のあとにも先にも店はしばらくなかった。

帰りのフェリーを考えながらだったので、結局どこも観光できないまま、時間になって引き返した。

孔雀園の手前だった。

土庄の名所も壺井栄の名作「二十四の瞳」の像も見ることができなかった。

ひたすら自転車を漕いで、坂道をアップダウンしていただけだった。

それでも、視界に広がる地中海のように美しい瀬戸内の海を眺めながら、海の碧さに心奪われていた。

なぜなのか解らないが、帰りのフェリーから家に帰るまでのことを今は覚えていない。

しかし、小豆島の周辺の青くて美しい海は今も記憶にある。

オリーブオイルでつくった化粧品を母に買おうと思ったが、あまりに高くて買えなかったことも今でもはっきり覚えている。




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by ikenosai | 2009-07-30 06:14 | 海まで走ろう | Comments(0)

海さえあれば楽しかった

 高校生になって、最初の夏休みがきた。

友だち3人と早々に、キャンプを計画した。

大して小遣いを持っていなかったので、自転車で日本海の浦富海岸に行くことにした。

浦富海岸は鳥取砂丘から兵庫県に向けて行ったところにある絶景の海岸である。

私以外の2人は、すでにサイクリング用のドロップハンドルのいいやつに乗っていたので問題なかったが、私は中学時代から乗っているくたびれた自転車。

1人が気を遣ってくれて、余っているいいのがあるからと貸してくれた。

テントやタオルケット、飯ごう、鍋、燃料等々分担して持つことにした。

早朝5時に待ち合わせて出発した。

自転車で遠出するのは中学2年のとき兵庫県の相生に行ったサイクリング以来だった。

楽しさが込み上げてくるのか、みんなスイスイ飛ばして、意気揚々と黒尾峠の坂を上っていた。

峠のドライブインで少し休んだ。

まだ、早朝だったので、人は少なかった。

山の中だったので、水道の水が冷たく美味しかった。

鳥取県側の道はほとんど下り坂で、しかも急だったので、あっという間に鳥取市に入った。

そこから国道9号線を通って、ひたすら浦富海岸のある岩美町を目指す。

砂丘の側をとおり、ああ海まできたという実感でみんな興奮気味だった。

思いの外、上ったり下ったりしながら、やっと浦富海岸にたどり着いた。

日差しは強く、暑かったが、昼までには充分に時間があった。

海水浴場の事務所に行き、手続きをした。

高校生でしかも自転車で来たことを伝えると、料金を半分にまけてくれた。

テントをはり、荷物を入れ、自炊できるようにした。

急いで水着に着替え、その日から原始人のような裸の生活が始まった。

太陽が見えている時間帯はご飯を食べるとき以外は、水中メガネとシュノーケルを付け、ずっと潜っていた。

どんな美人が水着姿でいてもお構いなしだった。

私たちはイルカのようだった。

そして、海の景色の一部のようだった。

夜は、そこらじゅうで花火をやっていたので、私たちも買い込んで野郎だけで楽しんだ。

翌日の朝は、早朝に目が覚め、飯ごうで飯を炊き、朝ご飯を作った。

そして、8時頃にはもう海の中にいた。

昼ご飯を食べるとき以外は、夕日が沈むまで海の中にいた。

いくら潜っても飽きない景色。

魚の群れや、浅瀬にやってくるボラを追いかけて遊んだ。

小島の岸から飛び込んだりもした。

午後から海水浴場のイベントがあり、宝探しに参加した。

広い砂浜を利用し、枠内の砂の中に色々な品物が埋めてあった。

みんな、それぞれに何か見つけたが、何を見つけたのか今は覚えていない。

それでも、3日連続の海の暮らしはすごく楽しかった。

3日目、午前中は海で遊んでいたが、午後、荷物をまとめて、海をあとにした。

充分に満足感はあったはずなのに、まだまだ海にいたいという気持ちが強かった。

鳥取駅まで1時間近くかかった。

そこからは、ひたすら千代川を上っていくだけである。

来るときよりも上り坂が多く、みんな疲れが出始めていた。

智頭駅を過ぎたあたりから、本格的な上り坂に入る。

それでも、体力に自信のあった私は、テンポ良く、スイスイと自転車を漕いで上っていった。

上り坂も最後のほうは急なヘアピンカーブが続く。

それでも、漕いで漕いで登り切った。

振り返ると、2人がついてきていなかった。

20分ほど休憩しながら待ったが、一向にくる気配がなかった。

坂を見下ろしても、姿はなく、心配になった。

私は、とうとう上ってきた坂をまた下り始めた。

長かったはずのヘアピンカーブをあっという間に駆け下りてみると、疲れ切った2人は、自転車を路肩にねかせ、本人たちも路肩の安全な場所で仰向けになって死んだように寝っ転がっていた。

体力の差は歴然とあった。

私は運動部に所属し、毎日2時間以上の運動は当たり前だったし、ちょうどマッチョにあこがれていたこともあって、筋トレにもはまっていた。

彼らも普通の高校生並みの体力はあったが、私が異常に元気だったと思う。

再び列をつくり、坂道を上り始めた。

彼らを先に行かせ、私はその後ろについた。

さすがに2度目のヘアピンは疲れた。

それでも、彼らのペースだったので、ついて行くことができた。

黒尾峠の頂上のドライブインで一息入れた。

トンネルの向こうは、岡山県。

あとはほとんど下るだけ。

ここまでくればもう安心だった。

途中まで一緒に行き、私だけ方向が違うので途中で別れた。

家に着いたのは夕方だった。

ヒグラシの鳴き声が山の方から盛んに響いていた。

家にはまだ誰もいなかった。



 今日は海の日、当時はそんな祝日はなかった。

それでも、中学や高校のときは、毎日が海の日かプールの日だったように思う。

さらにお金のない日は、川に潜ってナマズやアユを捕っていた。

その川も今は、とても泳げるような川ではない。

あんな田舎でさえ、時代とともに環境破壊が進んでいるのだと思うと、何だか悲しい感じがする。

3年前の夏、四万十川に行った。

今では日本最後の清流なんて言われているが、私の実家近くの川も昔は同じような清流だった。

那岐山の麓、塩手池から流れる広戸川は、私が子どもの頃はまだまだきれいだった。

堤防近くの浅瀬にうつぶせになると、遡上するハヤがお腹のすき間に入ってくる。

それを手づかみで捕るのが楽しかった。

近くには、駄菓子屋もあり、300ミリのコーラをよく飲んでいた。

その場で空き瓶を返すので、一本50円で飲めたのも、何ともありがたく、いい時代だったなあと懐かしい。

そんな駄菓子屋も店主が亡くなり、儲からない趣味のような店だったので今はない。

あるのは、どこへ行っても金太郎飴のごとく、個性のないコンビニだけである。
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by ikenosai | 2009-07-20 07:14 | 海まで走ろう | Comments(0)

見えないものにこそ価値はある

 子どもを授かるということは、子どもに先祖の因縁を授けることになる。親としてできることは、これまでの先祖の因縁をきちんと整理しておくことである。整理とは、命のリレーに感謝し、これまでの先祖の魂をひたすら供養することである。供養するということは、つまり、先祖が喜ぶ行いをすることである。

今日は盂蘭盆。まず、心を清め、先祖をお迎えし、ひとときをともにしましょう。


 私の郷里は岡山、母の実家も西日本なので、7月に先祖をお迎えするお盆の習慣はありませんでした。

しかし、上京して、東京出身の妻と過ごすようになってからは、こちらの7月のお盆と、8月に帰省して迎えるお盆のふたつが私の年中行事になっています。

急いでいらっしゃいと馬にみたてたキュウリと、ゆっくり極楽浄土へお帰りくださいと、帰りは牛にみたてたナスを御仏前にお供えします。

今夜は、ともに過ごす最後の夜。

明日から1年後まで、しばらくのお別れです。


 先祖の魂は、まだ安らぐことのない苦悩の道を歩んでいらっしゃるのかもしれません。

私たちが歴史で何を学んできたのか?という素朴な疑問を感じずにはいられないのです。

コミックやゲームの世界では三国志や室町後半の戦国時代の歴史をモチーフにし、いかにも天下とりは凄いことだという記憶くらいしか頭には残っていません。

しかし、その陰で、どれだけの人が受け入れがたい無念の死を迎え、その時代の苦しみの中で翻弄されてきたのかを考えるだけでも、胸が苦しくなります。

そして、8月15日には終戦記念日を迎えます。

どれだけの人がこの戦争で苦しんだことでしょう。

今の社会の問題は、過去の苦しみや無念によって、成仏できなかったご先祖たちの因縁のようにさえ思えてなりません。

そのためにも、学びによって気づき、ご供養することで喜びや感謝につなげられれば、少なからずともご先祖様は喜んでくださるのではないでしょうか。

どう足掻いても、ご先祖様なくして我々は存在しなかったのです。

これこそが因縁であり、切り離せぬご先祖様の思いではないでしょうか。


命と平和について考えること・・・

 信州上田の前山寺の近くに、戦没画学生の美術館“無言館”があります。

すぐ近くには夭折(早死)画家の美術館“信濃デッサン館”もあり、そこには、志を果たせぬままこの世を去った人たちの思いが集約されています。

“無言館”で毎年、昭和の日に成人式が行われています。

内容のない名ばかりの成人式とは違って趣のある大切な元服の日として参加する若者がいます。

そこに参加した女性の礼状が『無言館の青春』という本の中で紹介されていましたので1部だけご紹介させていただきます。

・・・最近、友達とのことで色々と悩んでいたのですが、絵をみているうちに、そんなことはどうでもいいと思うようになって、スッキリした気分で家に帰ってきました。
それと、成人式のノートに「20年間考えなかったことを考えた」と書いたのですが、それが今になって、ようやく何であるかがわかりました。
それは、「人の一生には限りがある」ということ、そして、「今を懸命に生きることが一生なのだ」ということです。
恥ずかしいことですが、私は今まで、どこかで人間の生命は永遠につづくような気分でいました。
でも、画学生の絵をみていて、その当たり前のことにはじめて気づかされたのです・・・。


 今しかできないことっていっぱいあります。

しかし、人間には限界もあります。

何を優先すれば良いのでしょう。

伴侶が喜び、親や子どもといった家族が喜ぶこと。

喜びあふれる家族が増えれば、幸せな地域ができます。

幸せな地域が増えれば、幸せな国ができるのです。

幸せな国の根源は、幸せな家族が結集することなのです。

隣のひとが幸せであるかが自分の幸せにかかっているのです。

だから、ひたすら“一隅を照らす”のです。

“名もなく、貧しく、美しく、一隅を照らす”

このご縁に感謝し、先祖を供養することがその第一歩なのでしょう。

そして、家族を大切にすることが平和への第一歩になるのでしょう。
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by ikenosai | 2009-07-15 19:33 | 私的視点 | Comments(0)

真夏の砂丘まで


 16歳の夏休み、その年の夏はバイトが見つからなかった。

何もすることがなく、退屈で仕方がなかった。

お金がなく、暇だけが無限にあった気がする。

昼ご飯を食べて、自転車で海まで出かけた。

私の場合、自転車でふらっと出かけるのは、10キロ単位が当たり前だった。

岡山まで60キロ、鳥取まで70キロの位置に私の家はあった。

どっちに行っても片道2~3時間は漕がなくてはならない。

どうせならと過酷な峠を越えて、日本海を目指すことにした。

午後1時前には出発した。

20キロほどで黒尾峠の坂道にさしかかる。

12段シフトの軽い自転車は、自分の部屋に置いて眺めてはうっとりするくらい大切にしていた。

片手で軽々と持ち上がる自転車は、去年の夏のバイトで買った命の次に大切にしていた自転車だった。

炎天下の中、ひたすら漕いで漕いで上っていく。

トンネルをいくつか越えて、馬桑川の側を走る国道53号線をひたすら上っていく。

夏の炎天下とはうってかわって、勢いよく流れる渓谷が目で涼しさを感じさせる。

ループ橋を通り、一気に急な坂が立ちはだかる。

それでも、岡山県側の峠の坂は大した苦労もなく終わった。

トンネルを越えると、鳥取県の標識が見える。

小さなドライブインがあり、名物の鯛焼きが道端で売られている。

涼しい標高の高いところで、1年中商いをしている。

冬は雪が降り、凍結した道路になるが、それでも鯛焼きは売っている。

黒尾峠のてっぺんからは一気に坂を下っていく。

あっという間に智頭駅を過ぎ、千代川を左右に下り、あっという間に穏やかな平坦の地に下りると、そこは用瀬、さらに行くと河原までスイスイと走っていく。

その勢いで進むと千代川が広がっていき、大きな河口に出て行く。

さらに漕ぐと、もう日本海である。

家を出てから2時間少々で海まできて、砂浜から、ぼんやり海を眺めて体を休めた。

コーラを飲みながら防波堤にもたれて休んだ。

砂丘まで砂丘までと意識はあったが、海水浴の人たちを眺めているうちに、ここまでくればいい。

海が見られたことで満足していた。

そして、上着を脱ぎ、短パンのまま泳いだ。

心地よい海の冷たさが、炎天下の中を走り抜けてきた熱い体を癒してくれた。

ふわふわと海に浮いて、しばらく涼んだ。

そして、再び現実に戻り、日が傾く前にはここを出発せねばと思った。

足を乾かし、砂をふるい、靴を履いた。

海水でべたべたする体のまま、シャツを着て、千代川を左右に上り始めた。

あれだけ楽にスイスイとやってきたので、帰りの上り坂はやたらと長かった。

漕いでも漕いでも頂上に着かない。

そのうち、急なヘアピンカーブの上り坂が続く。

やっと来た。

やっと鳥取が終わる。

そして、黒尾峠のあの鯛焼き屋が見えた。

トンネルを越えると岡山県である。

ここまでくれば、あとは目をつぶっても帰ることができる。

そんな安心感で家路を急いだ。

そして、日没までには家に着いた。

真っ黒に焼けた体が、さらに日焼けし、赤くなっていた。

顔中に出た汗が、出ては乾き、出ては乾いて、顔中が塩まみれになっていた。

熱いお風呂にひりひりしながら入った。

くたくたになり、布団に横たわり、いつの間にか眠った。

翌日は登校日だった。

みんなから海に行ったのかと聞かれた。

行ったとだけ伝えたので、誰も自転車で、しかもひとりで行ったとは知らないまま今日にいたっている。

今でも思う。

時間があればまた行ってみたいと・・・。





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by ikenosai | 2009-07-13 13:55 | 海まで走ろう | Comments(0)

そのうちそのうちで人生は過ぎていく

 私は、19歳から7年間も飲食店で働き、うち4年間は店長を務めた。

当時、役所から、今年は調理師試験を受けられる方はいないかと店に連絡があったのに、興味もなく、うちの店にはいませんと答えていたのを覚えている。

実務経験2年で、受験資格があるなんてことすら知らないで、20年以上が経ってしまった。

教員免許だけが印籠のごとく存在し、結局、少子化の時代で教職を失った今の私には名ばかりの資格になってしまった。

あのころから、20年数年ともなれば、厄年、やがて更年期、他人の鬱を横目で見ていたのが、いつの間にか自分がその主役のような感じである。

中年になってホルモンのバランスに変化が出始め、それに気づかず、受け入れることも出来なくなっていては、本当の鬱病になってしまう。

こんな苦しみを理解してもらえない苦しみで落ち込むこともあり、やっと不登校やひきこもりで悩み、苦しむ親の心のうちが解るようになったのも、すでにあとの祭。

その罪滅ぼしとしてもこのブログは続けていかなければと考えている。

無力の自分に気づき、果たして何ができるかという視点にたった。

まず、好きなこと。

やっても苦にならないことを考えた。

そして、これまでの経験の中でこれから生かせるものを考えた。

この2ヶ月の間、ホームヘルパー2級の講座に通い、その合間に、調理師の勉強もおこなった。

大したことではないのに、脳が固まってきているのか、記憶する力がなく、やはり歳をとったという実感を、切実な思いでかみしめていた。

先週末に、ホームヘルパーの実習が全て終わり、今月の7月5日(日)横浜にいって調理師試験を無事に終えた。

自己採点では充分に合格ラインを超えているが、1教科ずつの平均点がどうかという事だけが、神のみぞ知るもう一つの合格ラインとして、少しの不安を残した。

今月、8日がホームヘルパー2級の修了式。

そして、来月のお盆前には調理師試験の合否が届く。

そのうちそのうちと思っていたことが、究極の事態の中で、否応なしに私を動かした。

私はなかなか動かない人間になってしまっている。

なかなか動かないから、余計なことを考え、不安をつくるのだと思う。

“案ずるより産むが易し”体が動くこと、そして、衣食住が満たされていることに感謝できれば、おそらく、それ以外の悩みは大したことではないはずなのに、またまた余計なことばかかりに気をとられてしまっている。

そうして、そのうちそのうちに日が暮れて、晩秋が過ぎ去っていく。

今、何ができるかと動きながら考えていく。

これが当面の私の目標。

こんなことは、子どものころ先生がよく言っていたなあ。

なんて思い出しながら、今日一日を動きながら考えている。





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by ikenosai | 2009-07-06 12:10 | 私的視点 | Comments(0)