いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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大きな背中 


 子どもの頃、よく父の背中にのった。

朝、目覚めた父に、背中を踏んでくれと頼まれる。

私は、黙々と父の背中を歩くように踏んでいく。

私が背中を動くとき、父は息を止めている。

大きな背中に、太い腕。

たくましい父の体。

私は父のようにたくましい体であることが大人の条件のように思っていた。

どんなに体が辛い日でも、父は黙って仕事に行った。

雨の日以外は、せっせとせっせと働いた。

何も知らなかった私は、その父の背中をただただ踏んでいた。

踏み終わると、財布から百円玉を取り出して、お駄賃だといって渡してくれた。

本当は、休みたい日もあっただろう。

それでも、私たちのためにせっせと働いていた父。

大人はたくましいものだと思っていた。

父の背中は、私に、強い大人、たくましい大人、誠実な大人を教えてくれた。

だから、私は不誠実な大人が嫌いである。

誠実な父の背中が今でも私の大きな指針になっている。

真っ黒に日焼けし、真夏の炎天下のしたで働いていた父。

遊ぶ金などほとんど持たなかった父。

仕事の日は、水筒を持ち、弁当を持ち、出かけていった。

昼は弁当を食べ、木陰で昼休みを過ごしていたに違いない。

街中の工事現場の昼休み。

床に仰向けに寝そべっている職人を見るたびに、父を思い出す。

そして、職人たちも、その背中で誰かを支えているのだと思う。

仕事から父は、まっすぐ帰ってくる。

そして、田んぼや畑の手入れをした。

農作業を終えて、6時から7時には食卓につき、みんなで夕食を食べた。

夏は、冷たいビールを豪快に飲み、冬は燗酒を美味しそうに飲む父の様子から、お酒は美味しいものだと思っていた。

雨の日は、のんびり新聞を読んで過ごしていた父。

それでも、時間をみては、田んぼに行き、畑に行き、納屋に行き、何かしら家の仕事をしていた父。

私たちのために働き続けた父。

晩年くらいわがままに過ごしたって罰なんて当たらない。

それなのに、たいした親孝行が出来ていない私は何だか恥ずかしい。

私が背中にのっていた頃の父に比べると・・・。
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by ikenosai | 2009-06-28 06:43 | お父さんお母さん | Comments(0)

お薦めの“1冊”


親のしごと・教師のしごと  ―賢治の学校の挑戦

出版社: (京都)法蔵館
   
 著 :  鳥山 敏子

価 格:  ¥1,890 (税込)


 立川で東京賢治の学校をNPOで立ち上げた著者は、以前は多摩地域の小学校の教員をされていました。

今の子育ては世代間の問題も含め、子どもが育つ環境が急変していることも問題解決を複雑化させています。

親が大切にしているものへの意識は間違えなく子どもに大きく影響しています。

学校に行けないとか家から出られない子どもたちは本当は心がやさしくて魂がきれいなのです。

繊細さに加え、やさしいから因縁とでもいいますか、一般では大したことではなさそうに思われることにも反応し、動けなくなっているのです。

この世代間の問題に大きなメスを入れ、どこに解決の糸口があるのかを考えさせられる一冊です。
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by ikenosai | 2009-06-20 21:00 | 私の本だな | Comments(0)

永遠の原風景


 最近、ふと祖父を思い出した。

祖父は、愛媛県の南宇和にある外泊の漁師の家に生まれたと母から聞いている。

隣村の祖母を嫁にもらい、8人の子どもを授かった。

私の母は、3番目の子どもとして生まれた。

母が中学の時、新天地を求めて、島根県浜田市の瀬戸ヶ島に移り住んだ。

やがて、いか釣り船を手に入れ、日本海の荒波で漁業を営んだ。

母は、中学を出て、しばらくして親戚を頼って大阪に出た。

そこで、私の父と出逢った。

父が田舎に帰るというので、大晦日の晩に一緒に津山に戻ってきた。

そして、姉が生まれ、私が生まれた。

夏になると、よく父の運転する車で瀬戸ヶ島に行った。

当時は高速道路はなく、津山から奥津温泉を通り、人形峠を抜け、倉吉を通って、国道9号線に出て、そこからはひたすら走るだけだった。

明るいうちに着くために、夜明け前に出発した。

楽しみの定番は、宍道湖の湖畔にあるドライブインでお子様ランチを食べることだった。

小さな、軽自動車の荷台にバスタオルを敷いて、姉と交代で昼寝をした。

それでも、父はひたすら運転をしていた。

その横で母は父の運転を見守っていた。

海を眺めながら通った9号線はまるで楽園への道のりのようだった。

母は、もっともっと楽しかったに違いない。

なぜだか、同じ道も、帰りは寂しく切ない思いがした。

母は、もっともっと切ない思いがしたに違いない。

もうあと一息という場所に、大衆食堂があって、そこでかき氷を食べて、父は眠気をしのいでいたのだと思う。

私たちには楽しいおやつの時間だった。

坂を登って、降りるころ、母が「もうすぐ着くで」と弾ませた声で私たちに伝える。

母の嬉しそうな表情に姉も私も心が弾んだ。

魚の加工場のにおいがやがて、海の潮の香りのいいにおいに変わるころ、小さな橋を渡る。

そこからが瀬戸ヶ島だった。

厳島神社に近い、一軒家を借りて、祖父母と叔父3人が住んでいた。

夏になると、母の兄弟姉妹たちが集い、従兄弟と遊ぶのも楽しかった。

何よりも、360度海の小さな島。

祖父の船に乗って、沖の彼方にある島に行ったり、ゆらゆらと揺れる船の上から花火を観たこともあった。

そこに居るだけで、何だか楽しかった。

祖父は、晩ご飯の時、笑いながら私のご飯の上に砂糖をかけて食べさせてくれた。

甘いので嬉しくて、笑って祖父の顔を見上げると、祖父は笑顔で私を膝にのせてくれた。

口べたな祖父に、いつも寄り添っていた祖母。

「父ちゃん、父ちゃん」というかけ声が今も私の耳に残っている。

海を愛し、海とともに生きた、祖父が亡くなり、数年前に祖母も亡くなった。

私の体の半分は、海の恩恵を受け生きてきた先祖の魂が今も生き続けている。

私にとって祖父との思い出は、ただただ感謝の思い出である。

仲むつまじく寄り添った祖父母の思い出が私たちの未来をつくってくれた証である。

ありがとう、おじいちゃん。

ありがとう、おばあちゃん。

ありがとう、おとうさん、おかあさん。

先祖への感謝を忘れそうになる。

あたかも自分の力で生きているような錯覚で。

しかし、自分の力ではどうにもならないことだらけ。

それでも、奇蹟がおきている。

それは、この世に祖父母が生まれ、両親が生まれ、愛しい妻が生まれたこと。

そして、最大の奇蹟は、私がここに生きていること。

私の愛しい子どもたちがいることに違いない。

この幸せを大切に、このスタイルを崩さないように生きられれば、それでいいはずなのに、何かを求めてしまう。

だから人間は学ばなければならない生きものなのだろう。

 高校生のとき私は中国地方一週のサイクリングをした。

できるだけコンパクトにまわるための道のりを調べていると人形峠は少し遠回りだということに気がついた。

なぜ、父はもっと近い四十曲峠を選ばなかったのかと疑問を持っていた。

数年前、父と姉の家族と奥津温泉に行ったとき、宿の女将に父が昔の思い出を語り始めた。

その様子から、懐かしさがうかがえた。

父にとって人形峠は思い出深い特別な場所なのだと分かった。

工事現場の飯場で過ごしていた若い頃、自転車に乗って,人形峠から遙々坂を下り,奥津温泉に入りに来ていたことを、本当に懐かしく話していた。

父の歩んだ人生、そして思い出には、私の知らない世界がたくさんある。

母の人生にも、思い出にも、私の知らない世界がたくさんある。

祖父母の人生にも、そして思い出にも、私の知らない世界がたくさんある。

その思い出とともに先祖の供養をしていくことが私にできる命の恩恵への僅かな僅かな恩返しになるのだと思う。

私の原風景は、先祖の生きた原風景とともにある。

そして、いつしか彼岸で合流する運命である。

先祖たちがどんな思いで待っているのかと考える。

きっと魂のきれいな人間になって来ることを待ち望んでいるのだと思う。

だから、今はただ襷を受け娑婆を走るひとりのランナーとして誠実に走ることくらいしか思いつかない。

でもそれでいいのだと思う。

私にできることはそれくらいしかないのだから・・・。




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by ikenosai | 2009-06-10 11:17 | お父さんお母さん | Comments(0)

~多様化する若者への支援~

◇発達障害者支援法の施行で自立支援に希望が!

 戦前、戦後の極端な時代に翻弄され、さらに高度経済成長の中で、曖昧にされてきた子どもたちへの子育てと教育は今、個々に合わせたカスタムメイドな処遇環境が必然的な状況です。


◇発達障害をどう捉えるかが鍵となる
 発達障害者支援法では、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥・多動性障害などの発達障害を持つ方々の援助等について定められています。

長年にわたって福祉と教育の谷間で取り残されていた発達障害者を社会福祉の法制度において位置づけ、発達障害者の福祉的援助の道を開くため、障害の早期診断・療育・教育・就労・相談体制などにおける発達障害者支援システムの確立を目指すことなどが初めて制度化されるようになりました。

以前、「育て直し」で詳しく取り上げましたが、学校、家庭、社会等の環境において適切で確実な関わりをしていくのは非常に困難です。

答えが何かなんて解らなくなっています。

そういった社会において増えているうつ病などの精神的な心の問題に加え、発達障害へも公の立場から光が当てられるようになってきました。

しかし、これには1つの問題があります。

それは親や保護者の意識です。

障害をどう受け入れ、どう向き合うかで該当する本人のその後に影響するのです。

そして、早期発見・早期支援が個々の幸福につながっていきます。


◇カスタムメイドの支援プログラムで個々に合った支援を

 心理的発達の障害並びに行動及び情緒の障害、発達障害を有するために日常生活又は社会生活に制限を受けることなどに対し、その心理機能の適正な発達を支援し、及び円滑な社会生活を促進するため、その特性に対応した医療的、福祉的及び教育的援助がスムーズに受け入れられるために、関係者を中心とした協力体制のもと適切な環境が具体化されるようになっていくことでしょう。

ただし、その環境づくりをするためには保護者を中心とした関係者のより深い理解と子どもたちの幸せを実現させようとする意識を持って、かつそれを行動につなげていかなければなりません。


◇差別なく支えられる環境づくりを

 生きていく中で不公平と感じることはたくさんあります。

衣食住がままならないのであれば、これは国家レベルでの問題でもあるのです。

幕末からの政策、法制度において、誰を優先してきたかが今ごろになってはっきりと出てきているのです。

戦前戦後においても、その時代時代で価値を強制的につくらされ、長年にわたって、知恵を育てるといった教育はなされてきませんでした。

戦後の諸外国の介入で、私たちは自由を手に入れたかのような錯覚をしていますが、張り子の虎のような政策や貨幣経済に強い影響を受け、その中でたくさんの利益を得た者もいるかもしれませんが、知恵が育たぬ生き方は、心身の充実を優先した価値を生むこともなく、歪んでしまった新たな価値を生み、社会や集団にそぐわないものを排除し、目隠しをしてきただけなのです。

そして、その世代間の問題が、子育ての環境、教育の環境に影響を与え、それぞれの自己実現に向けた生き方が分からないまま、社会への順応を強制させられてきたのです。

それでは、社会は何をすべきかということになります。

そこに実は教育の真価が問われているのです。

問題解決はそんなに難しいことではないのです。

それぞれができることを確実にやって、努力を惜しまない価値観を持つこと。

すべての評価をお金に換算しない生き方ができるようになることなのです。

それぞれが何とか食べていかれることが大切で、適切な所得の再配分や資源配分の調整は大きな課題なのです。

そして、努力もせず、その努力の意味も理解できないまま公教育を通過しているのであれば、そこに文科省や教師の責任があるのです。

ひとりひとりは違います。

以前、DNAについて取り上げましたが、それぞれの自己実現に向けてそれぞれの成長が百パーセントに近づくことが、子育てであり、教育なのです。

どの時代でどの年齢であっても、学ぶ姿勢は大切なことです。

子どもたちにおきている問題は、社会をそのまま映している鏡なのです。

すべてはおこりうるべくしておきているだけのことなのです。

受容し、ともに学び、育てていくことなのです。


◇幸せを願うとはどういうことなのか

 若くして息子さんを亡くされた方がいました。

筋ジストロフィーという難病のため23歳で亡くなったそうです。

当時は医者のほとんどがこの病気を知らなかったそうです。

病院を虱潰しに訪問し、やっと息子さんの病気の真相が明らかになった夜。

眠る息子さんの前で、夫婦ともに向き合い、一晩、泣き明かしたそうです。

経営していた会社を離れ、息子さんの病気とともに人生を歩むことになります。

小学校の途中で歩行困難になり、毎晩、お父さんの介助で入浴をしていました。

14歳のある日、お風呂の中で息子さんが「僕の病気は治るの・・・?」と尋ねます。

お父さんは、覚悟はできていましたが、とうとうこの日がきてしまったかと複雑な気持ちだったそうです。

それでも真実を話すしかないと決めていました。

お父さんが「治らない。」と答えると、息子さんが「じゃあ何歳まで生きられるの・・・?」と尋ねます。

お父さんは「20歳位だと言われている。」と答えたそうです。

どうやら、息子さんは分かっていたようです。

しかし、お父さんがどう答えてくれるのか、それを確かめるために質問をしたのです。

「僕には僅かな時間しかない」と息子さんは悟ったそうです。

残されたわずかな人生そして今を息子さんはどう生きるべきか考えたのだと思います。

翌日から猛勉強を始めたそうです。

息子さんにとって悔いのない生き方とはおそらく、今を懸命に生きることだと思ったのでしょう。

そして、両親は息子さんの幸せな生き方を願いながら最期まで寄り添ったのです。

短命であるから不幸、長生きであるから幸せとは限らないのです。

それは如何に自分らしく自己実現に向けて生きていくかが幸せに生きていくためには必要なのです。

その生き方への知恵を授けることが教育の最大の目標だと言えるのです。

幸せを願い、自己実現に向けての知恵を授けることなのです。

それは知識優先型で偏差値の高い大学に身の丈も合っていないのに苦しんで勉強して進学することではないのです。

しかし、それが苦しみでなければいいのですが・・・。

その知識優先型偏差値教育の象徴である官僚ですら、汚職事件で裁かれたりして決して親が願ってはいない、自分でも願ってはいない自己実現とはほど遠い人生を歩む人もいるのです。

話が極端かもしれませんが、誠実に生きるための知恵を授けることが本当は大切なのです。


◇産業革命から学ぶワークシェアリングの意味

 産業革命はひとりの人間が10人分、100人分の仕事をして、多額の利益を得ることを可能にしました。

家畜の力を使い、水力を使い、最後は機械化され、蒸気の力を利用し、石炭から石油へと進化し、さらにコンパクトなエンジンが開発され、しかも廉価になっていったのです。

今まで人間がやっていた仕事はどんどん機械に奪われ、逆に機械を持った人間は何人分もの仕事を奪っていったのです。

そこに貨幣経済のトリックが加わり、本来の人間のもつ大切な感覚を麻痺させていったのです。

お金というものは腐りません。

物々交換をしていた時代からみると凄いことなのです。

しかも無限に増やすことが可能なため、ひとりでは使い切れないほどの欲望におそわれるのです。

金持ちになりたいのはごく自然なことかもしれません。

しかし、米国中心の貨幣経済が蔓延り、ニクソン大統領のころ通貨(ドル)は印刷さえすればよいと考え、しかも多額のドルを海外に放出してしまったのです。

海外に出ているうちはアメリカも金持ちの国でいるような気持ちになれますが、さて、そのお金が国内に戻ってきたときは一気にインフレションに襲われることでしょう。

金本位制を止めたために、印刷物としてのお金はいずれただの紙切れになってしまうのです。

最終的に残るのは地に着いた経済活動だけなのです。

ドルを拒否したイラクは適当な理由をつけられて国家を潰され、イランも同様の道を辿るような状況です。

救世主オバマ大統領がそんな政策をとらないでいてくれれば救われる国もあるでしょう。

これまでのアメリカの経済政策は落語の八つぁん熊さんの花見酒と同じことをやっているだけなのです。

熊さんが酒樽の持ち主になって、1杯10文で八つぁんに飲ませる。

酔っぱらったところで今度は酒樽の持ち主を交代して、熊さんがもらった10文を払って飲んでいく。

その繰り返しで何回も飲んでいくのです。

お金が行ったり来たりしていて増えることも減ることもない。

しかし、確実に酒は減っていくのです。

これを地下資源に置き換えると先進欧米諸国の経済にあてはまる訳です。

二酸化炭素の排出権を発展途上国から買い取るのも似たようなものです。

いずれ温暖化につながるのですから。

しかも取引されるお金が兌換紙幣でないため大インフレになったドイツと同じように、やがて紙幣はただの紙切れになってしまうのです。

それでは仕事とはいったい何かということになります。

人間本意に考えると仕事とは人間にできる人間に必要なことをするための労働で社会においてはその分業をしているのだといえます。

そのためにはそれぞれが分担を持つことなのです。

だから役割の意味とか価値を感じて従事することは重要になるのです。

キャリア教育の基本はそこにあるといえます。

しかし、どうでしょう。

知恵を絞れば楽な生き方は何とおりもあります。

だから、株や不動産を自在に操って生きている人も多く、利己主義に生きようとすればそれなりの生き方ができる世の中でもあるのです。

しかし、人間の生存を原則に、かつ人間らしく、かつ文化的にバランス良く生きる道を考えたら結局は、誰かがお金を持ちすぎることも、仕事をやらなさすぎることも問題になるのです。

歪んだ考えは心の中の価値観にまで影響を与え、幸福感を得るための指針がずれたり、崩れたりするのです。

人間社会において、人とのつながりはとても重要です。

信頼関係から生まれる安心感は心を安定させるための必須条件です。

仕事もお金も分け合うことでそれぞれの役割が果たせ、その満たされた幸福感からも信頼関係は生まれるのです。

そして、有能なものにはそれだけの使命があり、能ある鷹が爪を隠すようではせっかくの才能も日の目を見ぬまま消えていくのです。

能ある鷹は爪を出せ。

有り余る才能を出し切る充実感は本人の幸福感だけでなく、周囲にその恩恵を与え、感謝されることでしょう。

そこに価値の持てる教育が今、求められているのです。

そして、その才能はニーズに応えるためにあり、人々の代表者として授かったに過ぎないのです。


“お弁当”

 子どもたちのお昼ご飯には、親の子育てへの意識がそのまま現れています。

お昼にいただく弁当はお母さんの子どもへの関心の深さがうかがえます。

だからといって重箱にたくさんの手の込んだおかずを詰めればいいということではありません。

保育園や幼稚園でお弁当の日が増えるとお母さんたちから不満が出るそうです。

現代のお母さんも忙しいようです。

今の子どもたちの弁当事情は、冷凍食品が多く、しかも、温めないでそのまま入れておくと昼には具合が良くなっているものがあります。

これだったらお父さんも作れるので、お母さんに代わってお父さんの日もいいのではないでしょうか。

世の中が夜型の生活スタイルになって、寝る時間はタイムスケジュールの中で押していきます。

そして、ギリギリまで睡眠にあてられ、朝の時間が少なくなってしまうのです。

朝の身支度の優先順位は、食べることも、新聞を読むことも省かれます。

親が遅ければ、子どもはもっと遅いです。

弁当も本当は作りたくありません。

なので、一番子育てに手を抜く親は、お金を持たせて、コンビニなどで買わせるのです。

もっとひどい親は、お金も持たせません。

その典型が、給食費などを払わない親です。

小学校卒業後、中学でも給食があればいいのですが、なければお金も持たせないで学校に行かせるのです。

朝寝坊で朝飯抜きで昼も抜きだと子どもは学校にいられません。

勉強をする気にもなれません。

だから、同じような仲間を集めて、学校を抜け出し、遊ぶのです。お金もなければ悪いことをして遊ぶ方法を考えもします。

同じ家庭環境で同じ境遇だと同じような価値観で遊ぶようになるのです。

そして、親子の距離が離れ、反抗するようになっていきます。

親は関わるのが面倒だからほったらかしてしまい、子どもの精神的な成長を支えられないまま大人にしてしまうのです。

 お母さんが作る弁当には、一生の幸せを約束するくらいの愛情が詰まっています。

子育てへの意識がたくさん詰まっています。

季節のものや前日の夕食の残りでも子どもは満腹になれるのです。

お母さんの気持ちがその弁当から伝わるから大切に食べるのです。

買った弁当は見栄えはいいですが、冷たく味気ないものです。

やがて大人になって、子育てするようになったとき、お母さんの弁当に感謝し、自分の子どもにも弁当を作るのです。

弁当を作ってもらえなかった子どもは、母の弁当のイメージが記憶の中にないのです。

それはとても不幸なことです。

それでも、次の世代を大切に考えるお母さんは意識を変えて子育てをしていきます。

素晴らしいお母さんだと思います。

しかし、なかなかそうはいかないようです。

私が生まれた昭和40年代は便利な子育てが蔓延しました。

今、その時代に育った人たちが親になって子育てをしています。

だから、便利が一番なのです。

子育てもできるだけ楽な子育てを優先してしまいます。

弁当作りは、普段作らない人にとっては楽ではありません。

だから弁当を作らない人が少なくない世代なのです。
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by ikenosai | 2009-06-04 15:48 | Comments(0)