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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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カテゴリ:思い出のポケット( 35 )


「風に吹かれて」



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 「風に吹かれて」を聴いたのは子どものころだった。
ピーター・ポール&マリーが歌っていたのが「金曜日の妻たちへ」の挿入歌だったので覚えている。

 高校2年生のときだった。
英語の先生が、今日はこの歌を訳そうと配ったプリントが「風に吹かれて」だった。


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How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
Pretending he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

 をすべて訳していった。
歌詞も覚えた。
 その後は、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」
「早く家に帰りたい」「ボクサー」
最後はビートルズの「レット・イット・ビー」だった。

 就職コースだった僕たちの授業は、あまり気合いが入らなかった。
英語もそうだった。
もっと楽しい授業をと、ある日、英語の先生がラジカセを持ってきて、英語の歌を聴いて訳そうと言い始め、そうすることになった。
中にはつまんないと言う者もいたが、僕は楽しかった。

 就職が決まっていた高校3年の晩秋のこと、急遽、僕は大学受験をすることになった。
しかも、無謀すぎる低学力の状態でだった。

 それでも、大学に入りたい、体育推薦ではあるが、残っている学部が法学部で一般受験に混じって、しかも、そこそこの点は取らなくてはならなかった。
教科は英国社の3教科、社会は日本史を選択し、自力でやった。国語も自力でやった。
英語の先生が、問題集持ってきなさいと言うもんで、翌日持って行くと、今日の放課後から毎日、英語の受験勉強をしにきなさいと誘ってくれた。
そして、翌日から本気で勉強した。

 そして、合格。

 上京してからのこと。
学生時代、タワーレコードに行って、少しずつ買っていたボブディランのCD。
歴代のアルバムが24枚揃っていた。
あと数枚でその頃は全部揃うはずだった。
CDラックの1段を占めているボブディランのCDを見た妻が、ここのCDほとんど聴いていないでしょ?
とポツリ・・・。
結局、「BOOK OFF」に売りに行った。
それでも、グレーティスヒット集の2枚だけが今でも残っている。
この中の曲は特に大好きな曲ばかりだったから・・・。

 歌詞が好きで、今思えば、その入り口はあの授業からだった。
あのときの先生はもうこの世にはいない。
卓球部の顧問で、一緒に遠征もいったし、その後には卓球とボクシング両方の予選出場も快く認めてくれた。
最後は、僕の受験勉強を応援してくれた。
合格後(卒業式を終えた数日後)、先生にお礼にとブランデーを贈った。
先生は、笑顔で、「悪いなあ、今夜はこれでおまえの合格を祝うよ・・・」と答えた。

 今でも思うこと・・・。
特に思春期から高校、大学にかけてのころ、私を支え、応援してくれた人々があまりにも多く、その恩に報いる生き方がまだまだ足りていない自分を感じる。
やはり、感謝、感謝で日々を送り、懺悔の中から、プラスにつなげていく知恵を出さねばと振り返る。

 今でも「風に吹かれて」をよく聴く、そして、あのころの先生たちを思い出す。
それだけで生きて行かれる力が湧き出てくる。
そして、誰かの役に立ちたいと思えてくる・・・。


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by ikenosai | 2016-10-15 12:34 | 思い出のポケット | Comments(0)

慌ただしい一週間

 職場は一週間の休み、私は実質4日間。

父の初盆で帰省。

夏の雲から光が差して、残暑の中から、もう秋を感じるこの時期。

夜行バスに乗って、娘とふたりで帰省。

息子は野球の試合に勝ち進んでいたため、まだ東京に!

ジャビットカップの本戦で1回戦、2回戦と勝ち進み、明日は3回戦。

決勝まではまだまだ遠いけど、決勝戦はなんと東京ドーム。

私の少年時代と同じ感じの夏休み・・・!


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我が家から見える夏雲(光が落ちているエリアは以前レーガン大統領がいらした日の出町方面)




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実家の最寄り駅(JR美作大崎駅)奥に見えるのが西日本最大の旧正月の出店でにぎあう福力荒神様。



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いつもの近所の蔵。



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過疎と廃屋の地域で少子化も・・・!



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猫じゃらしの先だけ残してのカエル釣りを娘に伝授・・・!



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 田んぼや溝にいるイボガエルやトノサマガエルがパクリと食いつき、意外と面白い。
私の少年時代の遊びの一つ。
高校生の娘も面白がって何度もチャレンジ。



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 高校時代、毎日やっていたウエイトトレーニングの残骸。
ここから丈夫な体は作られていった。
今ではそんな面影はなく・・・?



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 そして、自転車・・・!
高校時代の休日は30キロ以上は乗っていた。
日帰りだと、鳥取県千代川河口(往復約150キロ)、岡山港(往復約130キロ)、姫路城(往復約200キロ)、小豆島(往復約140キロ)、湯原温泉・・・等々。
一週間かけて中国地方一週もした自転車。(津山→米子経由で出雲→浜田→萩→秋吉台経由で湯田温泉→宮島経由で広島→尾道→津山)、もう30年も前のこと。



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 知人が経営しているケーキ屋さん(鏡野町)
津山近辺で一押しのスウィーツのお店。
おみやげはここで買って・・・!

 そして、慌ただしく夜行バスで帰ってきて、そのまま勤務だった。












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by ikenosai | 2016-08-19 18:49 | 思い出のポケット | Comments(4)

会えて良かった!

8月19日(水)夜勤明けから新幹線に乗って岡山へ。




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岡山駅から津山へ。

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津山駅から姫新線で美作大崎へ。

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時刻表は、1時間に一本程度、時間帯によっては、無い時間も・・・!

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上月(こうづき)から兵庫県。

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先祖代々の墓から、かすかに見える中国山脈。

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墓地の近くの池、子供の頃はよく遊んだ場所。

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方言丸出しの看板。

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一番好きな田園風景。

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我が町内の通天閣!


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空き家が増えて、蔵も空き家に・・・!


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 安否確認の黄色い旗。
実家の周辺も高齢化と過疎化で、色々な工夫が・・・!

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 奥さんと息子は、17日(月)からのツアーだったので、飛行機で松山に、親戚のある伊予西条で過ごし、瀬戸大橋を電車で渡って、岡山駅から私と合流して、津山に戻ってきた。
帰りも、飛行機だったので、私はひとり新幹線に乗って東京に・・・!
今朝、同じ、美作大崎発の列車で出発。
新幹線では、いつもの駅弁「下津井旅情」、ビールを飲む飲む舌鼓・・・!
東京の家に着いたのは、数分だったが、私の方が早かった。

 川崎医大病院に入院している親友に会いに・・・。そして両親に会いに・・・。
2泊3日のあわただしい帰省。
みんなに会えて良かった・・・!









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by ikenosai | 2015-08-21 20:19 | 思い出のポケット | Comments(2)

福力荒神様の旧正月

  岡山県津山市のはずれに美作大崎駅がある。

津山駅から姫新線で姫路方面に2つ目の駅。

中国山脈を望むこの美作大崎駅のすぐ近くに福力荒神様がある。

かれこれ40年ほど前の旧正月は大にぎわいで、臨時列車も走っていた。

元日よりもにぎやかな旧正月のほうが私には印象深い。

200軒以上の露店が並ぶエリアの中に大崎小学校があり、PTAが運動場を駐車場にするため、3が日の間、学校は休みだった。

この3が日は朝から晩まで参拝に出かけていた。

もちろん、露店目当てにだった。

関西方面から、この時期にごっそりとやってくる露店商の人たち。

どこか、寅さんを思い出させる独特の世界。

たこやき、リンゴ飴、フレンチドッグ、わたがし、くじ引き、一杯飲み屋、おもちゃ屋、アイドルのブロマイド、ハブとマングースの戦いをけしかける薬売り等々、たくさん並んでいた。

たいやき屋だけでも10件以上はあった。

あのころは、“およげたいやきくん”が大流行して、ラジカセで曲を流しながら売っていた店も多かった。

この地域では、旧正月にもお年玉がもらえて、この3が日を過ごせるくらいはあった。

ところせましと並んでいたはずの露店が今では点々として元気がないとのこと。

私は、中学校卒業後は行っていない。

まして、大人になってからは、この時期に帰省はできていない。

それでも、毎年、母から電話があって、その年の様子を聞いている。

  春節に合わせてやってくる露店商たちの民族大移動だった面影は、いまいずこへ・・・。

それでも、この地域一番のイベント。

福力荒神様へぜひいらしてみては・・・。


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 姫路方面

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 津山方面

 昔は、駅舎もあって、駅前は人通りもあってにぎやかだったのに、
 今は、汽車に乗る人がほとんどいない。    


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by ikenosai | 2015-02-18 18:38 | 思い出のポケット | Comments(0)

 10月20日(日)の朝に放送された“小さな旅”

 朝、妻がテレビを点けた。

 寝床の中から聞こえてくるオープニングの曲に私は、今日はどこ!とたずねた。

 「瀬戸内海」という返事に、いそいそとテレビの前に。

 四国フェリーから望む瀬戸内の海だった。

 宇野港と高松港を結ぶ連絡船は、かつて瀬戸大橋のない時代に何度か利用した懐かしい船だった。

 私の母は、愛媛県南宇和郡で生まれ、後に島根県浜田市に引っ越すが、子どもの頃の思い出は全て四国のことばかり。

 対岸の岡山に渡り、まさに瀬戸の花嫁だった。

 なので、夏休みは浜田に行くか、四国に行くかだった。

 父が行かれない年は鉄道と連絡船で行き、父の行かれる年は自家用車とフェリーで行った。

 父は中古のカローラがお気に入りだった。

 ステンレスのフェンダーミラーが懐かしく、重たいハンドルのマニュアル車で12時間以上ものドライブ。

 フェリーは束の間の休息だった。

 座敷に寝転がり、常設のテレビで夏の高校野球を観ていた。

 私は姉とはしゃぎながら甲板に出たりしてあっという間の1時間。

 高松からも長い旅。

 朝、5時に起きて急いで身支度し出発。

 早朝の宇野港で乗り入れの順番を待ち、昼食は香川か愛媛かは憶えていない。

 高速道路がない時代、どこに行っても信号待ちの交差点。

 ぐにゃぐにゃ曲がった小さな峠ばかり。

 そんな道を父は平然とマニュアル車で走っていた。

 暗くなってやっと母の故郷へ。

 そんな懐かしい昔のことを思い出していた。

 瀬戸大橋が出来て、フェリーはなくなるだろうと思っていた。

 しかし、便の数は減ったものの、しっかり地域の人々の暮らしを支えながら根付いている。

 携わる船乗りの半生が紹介されていた。

 かつての船長で今は定年退職をされた方がずっと切り絵の創作をされている。

 人生のほとんどを船上で過ごし、その記憶を切り絵で表現されているのにとても感動した。

 NHKのこの番組はかなりの長寿番組であるが、いつまでもこんな一隅を照らし、いつまでも私たちに感動を与えてくださっている。

 そのことも思い、人々の人生の輝き、日常の積み重ねの大切さをあらためて感じさせられた。

 何の変化もないような日常、私のような人間は、退屈してしまうだろう。

 しかし、そんな日常を積み重ねていくことが大切であることがこの番組からひしひしと伝わってくる。
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by ikenosai | 2013-10-22 15:41 | 思い出のポケット | Comments(1)

東京国体

 先週から始まった東京国体も、8日で終わった。

4日(金)から日野市で開かれていたボクシングを観に行った。

大学時代の後輩が岡山代表の監督として上京していて、連絡を受けての観戦だった。

さすがに45歳の私には、夜勤明けはきつかった。

それでも、行ってみると一気に懐かしさがこみ上げてきて、20年位会っていなかった後輩とは途絶えることのない会話であっという間にその日の日程が終わり、帰ってきた。

近年、岡山はレベルが高く、昨年の国体は優勝だった。

ボクシングマガジンを見て驚いたぐらいだった。

今年も、期待していたが、準決勝で全滅だった。

ホープの清水君も、石原君も出ていないので仕方がないとは思っていたが、成年の部には高校制覇の藤田兄弟がいる。

それでも、準決勝で終わった。

決勝も挨拶だけでもと思い、高校生たちにお土産を持って伺った。

その日は夜勤の入りで、午前中の会議もあり、10時がリミットだった。

それでも、高校の決勝戦3試合を観ることができた。

私を大学に押し込んでくれた先輩もきてくださっていて、励まされた。

私たちをリングサイドからとり続けてくださっている高尾氏もカメラマンとして写真を撮っていた。

ここに来れば、私は原点に戻れる。

そんな思いがこみ上げてきていた。

弱かった私が変われたもの、覚悟を決めて生まれ変わったもの。

高校時代から大学1年にかけて、私には不思議な奇跡の結集がある。

だからこそ、あの時の人たちに会うと原点に戻れるのだと思う。

東京での国体はしばらくないだろう。

少なくとも私が生きている間には・・・。

だから、記念にと高校生たちに東京らしいお土産を贈った。

かつての自分と重ねて・・・。

私がなぜ、スポーツが好きなのか。

それは、自分の運命を変えたボクシングとの出会いがあったからに違いない。

そう思いながら会場を後にした。

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 学生時代、最後の合宿は台湾だった。

それから、数年おきに同じ台湾の大学と練習試合を行っている。

私たちが第1回目の遠征だった。

記念に当時の学生とジャージを交換していた。

そんなことをしたのはどうやら私だけだったようである。

今でも、よく着ているジャージ。

台中にある省立体育専門大学。

私の相手はタイで行われたキングスカップの台湾代表選手だった。

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by ikenosai | 2013-10-11 23:11 | 思い出のポケット | Comments(0)

「First Love」

 かつて、勤めていた学校でADHDの障害を持った女の子が入学してきたことがあった。

消しゴムのカスを口に入れたり、職員室で私が小銭を数えていたら、横に来て「ちょうだい!」と言ったり。

今日はお母さんがお弁当を作ってくれなかったからラーメンを買ってきたのと言って、私に「先生、作ってください!」とカップラーメンを持ってきたりと卒業するまでは色々なことがあった。

それでも、一緒に4泊5日の合宿にも行ったりと、彼女からADHDという障害の“い・ろ・は”を教わったようにさえ今は思う。

合宿のバスの中で歌うカラオケはさびの部分になってやっとどの曲か解るくらいの歌唱力。

 ある日、誰かの持ってきていた音楽プレーヤーから宇多田ヒカルの「First Love」がかかっていて、彼女がそれに合わせて口ずさんでいた。

ふりしぼるように唄う様子が、ぎこちなくて本当にはじめての恋をしているような頼りない、不安な様子が何とも言えぬ感動を呼び、それ以来、この曲が大好きになった。

この子達の思春期をどう支えて行かなければならないのか真剣に考えるようになった瞬間でもあった。

昨日、宇多田ヒカルさんの母、藤圭子さんが亡くなった。

私は人の命にはつながりがあると常々思っている。

ADHDの障害を持つ彼女の両親がどんな思いで私どもの学校に通わせたのか、何を託されていたのかと考えることがある。

そんな両親がいなければ私はこの曲に感動することはなかったかもしれない。

そして、藤圭子さんがいなければ、勿論、宇多田ヒカルはこの世に存在していない。

つまり、あの名曲は誕生していないだろう。

人の命にはつながりがある。

だからこそ、人々の営みに感謝したい。

その中で、私も、ささやかながらも関わる人に小さな感動を贈りたいと願いつつ、小さな希望を、ともし火を絶やさぬよう細々と生きている。

ただただ、命に感謝しつつ・・・。
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by ikenosai | 2013-08-23 09:20 | 思い出のポケット | Comments(0)

小さな後押し(私の後援会長)

 人生には不思議なことがある。

 私が大学1年のとき、当時の後援会長から今、「のり平」で飲んでいるから来なさいと誘われた。

 それが、後援会長との初めての出会いだった。

 使えないと先輩からは言われ、紹介もされていた。

 それでも田舎からきた真面目な学生だと言いながら大切にしてくださった。

 たまの週末、今、すし屋にいるから来なさいとご馳走になることもあった。

 リーグ戦にはいつも、後楽園ホールまで来てくださった。

 君の試合は勝っても負けてもノックアウトでハラハラすると言われ、俺はホモじゃないが君が好きだなあとよく言われた。

 とことん、私の応援をしてくださった。

 奥さんも公認で、家にもよんでいただき、ご馳走になった。

 早稲田大のOBで、たまたま駒沢に住んでいただけなのに歴代の先輩たちを可愛がり、期待すらされなかった私をもご贔屓にしてくださり、卒業後も引退した私の後押しをしてくださっている。

 年賀状もいただいている。

 以前、駒沢大のゲスト講師をしたときは、定年退職されたあと、夫婦でそこの臨時職員をされていて驚いた。

 私の一番苦労していた時代を心から支えてくださった方たちだったと思う。

 当時は、バイト先の社長やパートのおばさんたちからも慈悲を賜り、何とか持ちこたえていた。

 朝、6時半からのバイトは午後2時まで続き、バイト先の社長には生活をもっと楽にと時給をみるみる上げていただき、1年後には全員の先輩を抜いていた。

 4時からは多摩川に行き部活。

 憔悴しきった体に鞭を打つようにして、夜学に通った。

 毎日遅刻して、夜9時半まで授業を受ける。

 その繰り返しだった。

 月曜から土曜日まで続き、日曜日は天国のようだった。

 それでも、若かったのか、骨休めのはずの休日もエキストラのバイトをしたり、友達と遊んだりして過ごしていた。

 そんな私を理解し、応援してくださった人たちへの感謝の気持ちで今はいっぱいである。

 こんな拙い私を支えてくださった人たちをリーグ戦のたびに思い出す。

 連休が明けるとあのあこがれていた後楽園ホールでリーグ戦が始まる。

 私も恩返しに行かなければと今から楽しみにしている・・・。


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by ikenosai | 2013-05-04 06:28 | 思い出のポケット | Comments(0)

先生に会えた夏休み

 一週間の夏休みで息子と二人で帰省して、あとからやってくる妻を駅まで迎えに行く日だった。

 夕方まで時間があったので、今年こそは中学時代の先生に会いに行こうと決めて、アポイントもなく車で行ってみた。

 中学一、二年のときの女の先生だった。

 毎年年賀状で挨拶はしていたが、最後に会ったのは再び上京するときに会いに行って以来だった。

 先生はそのとき、私の通っていた中学の教頭になっていた。

 私は隣の中学で講師をしていて、期限が来たので退職して、また東京に行って仕事を探しますと話していた。

 上京の一番の理由は、今の奥さんとどうしても結婚したくて、ただそれだけの理由で私は東京を目指して行ったのだった。

息子を連れて先生に会いに行ったが留守だった。

 あきらめかけていたが、妻の到着する時間までにともう一度家に行ってみたら今度はいらした。

 先生は数年前にご主人を亡くされ、子どもたちはとっくに家を出て独りだった。

 開口一番、お母さん、お父さんは元気・・・? とたずねられた。

 当時の私の問題児ぶりがよみがえってきた。

 そういえば先生にも両親にも心配かけたなあ・・・と色々なことを思い出してはその話で盛り上がった。

 私は相当の問題児だったと当時を振り返っていた。

 大好きな先生だったと話すと先生は笑いながら、あなたはどこに行っても周りの人達に可愛がられて助けられる優しい生徒だった・・・。と話してくださった。

 小さなタイムカプセルを開けたような瞬間だった。

 やっぱり私は先生が大好きだった。

 今思えば発達障害気味の問題児だった私をよくここまで大切に見てくださったなあと感謝がこみあげてきた。

 中二の夏休みにもらった京都のおみやげの八つ橋を今でも覚えている。

 更生を誓ったあの瞬間から私は真面目な少年に変わった。

 今思い出しても涙が出てくる。

 そして、しばらく教育にたずさわっていた時期があったが、教育者への憧れのきっかけをくださった恩師の中の一人だった。

 やっぱり先生の仕事は聖職だとつくづく思った。

昨晩、妻が小学校時代の同窓会に出かけた。

 帰ってくるまでに私は眠ってしまったが、今朝、クラスの仲間の話、そして先生の話を聞かせてもらった。

 慈悲に満ちた教育者の姿がそこにもあった。

 そして、当時の楽しかった雰囲気が鈍感な私にも伝わってきた。

 妻も先生が大好きだった。
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by ikenosai | 2012-09-23 08:31 | 思い出のポケット | Comments(0)

夏の思い出・・・④

ありがたくも今年の夏も一週間の帰省ができた。

義理の母と叔母の初盆でもあった。

行きは飛行機で羽田から岡山まで、日本航空(JAL)で行った。

この日は、御巣鷹山に墜落した日だった。

私が高校生のときだった。

着陸後にキャビンアテンダントより今日がその日であることが伝えられた。

稲盛氏によって再建されつつある日本航空もあの日の事故を風化させることなく毎年この日を大切にしている感じが伝わってきた。

翌日はどこにも出かけずゆっくりしようと思っていたが、どうしても出かける気になって出かけた。

美作加茂駅からさらに奥に入り、倉見まで行った。

渓谷で水遊びをしていたら、オオサンショウウオがいて息子は大喜びだった。

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4日遅れで妻が来た。

翌日は息子と3人で赤穂に行った。

ちなみに娘は例年通り、キャンプ中(今年は奥多摩の小菅村)。

シチリアを思わせるロケーションが望めるイタリアンレストラン「さくらぐみ」を訪れたが満席で店員からは相手にもされずのこのこと帰ってきてしまったが、次回は予約して行かねばと反省の思い。

薪窯で焼く本格ナポリピッツァが食べられる名店中の名店。

神戸や大阪から大勢の客が来ていた。

ここの店主は、日本ナポリピッツァ協会の会長らしい。

副会長には、ピッツァ生地の仕込み方を教わっていて、今もお世話になっている。

気がつけば、そこいらじゅうにピッツァ窯を持つ店ができていて、しかもリーズナブル。

津山周辺にも何店舗かあって驚いた。

それにしても、このロケーションは何ものにもかえられない絶景だとつくづく思った。

いい店に行くときは必ず予約を・・・。と皆さんにはお伝えしておきたい。

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あっという間に、一週間が経ち、新幹線で東京に戻ってきた。

楽しいことはあっという間に過ぎていく。

苦しいことも意外と早く過ぎている。

歳を重ねる毎にそのスピードは早く感じているこの頃である。
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by ikenosai | 2012-08-25 22:20 | 思い出のポケット | Comments(0)