いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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カテゴリ:文化だより( 16 )


文化だより 第32号

文化だより

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文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
32号 (平成29年 6月 1日)

〒207-0012 東京都東大和市新堀1-1435-20
特定非営利活動法人 文化高等学院



多様な関わりと理解で“共生社会”をつくる!
(日本で生き抜く現代社会の課題)


多様な関わりと理解の時代

 10年ひと昔と言いますが私たちの住む環境も10年単位で見ますと大きく変わってきています。国際線が頻繁に飛び交う現代において多国籍に拠点を構える企業が多く、インターネットの普及がよりボーダレスな社会へと進化させています。こんなに変わってしまうとは思わなかった人も多いことでしょう。こんな時代について行かれず、昔のほうが良かったとさえ思うこともあるのではないでしょうか。懐かしいのは企業同士の競争が今より少なかった昭和の時代。製造業から問屋に、そして小売店へと一連の流れがあり、商品がほぼ安定して動いていた中で、決まった収入が保障されていたこともあり、入社して10年後の自分、20年後の自分をイメージするのも、その先の先輩を見ればおおよその見当がついていたのを思い出します。過去の共同体を失ってしまい、企業として、果ては一人の人間として生き残るためにどうすべきかということに悩む時代になっています。企業の間では競争原理の中で潰し合いが蔓延り、それも国際レベルでの潰し合いになっています。

 グローバルやボーダレスといった言葉はかつて閉鎖的だった日本には受け入れにくい感覚や習慣があり、表面には見えにくいものの、遠い昔から根底に根付いていることが違和感のような感覚として現れているように思います。個人的に異国の人とのお付き合いがあったりすればこんな感情や感覚は少しは解消できるのではないでしょうか。

以前は国民性という表現でひとくくりにしていましたが若い世代で見ますと時代と共に価値観も感覚も多様化してきています。この先何を目指すのかと考えますと、緩衝材のようにとげとげしたものや硬いものを壊すことなく包み込める感受性や心の器を今より大きくする必要があります。


ハンディキャップ 解消で共生社会へ

 共生社会の実現にはハンディキャップへの理解も必要で、ハンディキャップは大きく3つに分かれます。

①一時的なもの(事故や怪我により、治るまでの間の不自由な時、妊娠中の女性、乳幼児等、子育て中の親、家庭における高齢者の介護等々)。

②一生続くもの(治らない障害や、同性愛者等々)。

③人々によってつくられたもの(国籍や人種、職業等の差別や偏見につながる意図的な区別等々)。

中には少数派の場合もあり、そういった人たちの抱える課題の解決が共生社会の実現に向けてとても大切になります。


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もともとは大陸からきた人々

 日本人の起源について、一説にはメソポタミア文明の地、シュメールの人々が大陸から移り住んだとの説があり、これが有力と言われています。この頃から発展してきた日本の文化はやがて皇族、神々等へとつながり、現代の言葉を何段階かに変換していくとシュメール語につながり、日本の神話にもシュメールに起源があると言われています。さらにさかのぼってアフリカの地にまで行くと私たちの祖先はどこの国の人ともつながっているわけです。神々が宿る日本列島で、伝統的な神々への強いアクセスは太いパイプによって、それぞれの心の内にプラスにはたらき、全ては平和へとつながっていくものです。歴史をたどると色々な考え方や霊的なものまでも出てきます。それぞれの時代においても後付けで大陸からやってきた人々との間でおこった文化や慣習の違いからくる摩擦から多かれ少なかれ差別や偏見は生まれ、果ては争いにもなっています。しかし、私たちの起源は同じだったはずなのです。

 1603年の江戸幕府成立からおよそ250年間もの安定の時代、その間は一部を除き、概ね鎖国の時代が続きます。異国の血が混ざらない時代が何年も続いたことになります。

 1853年のペリー来航、翌年の日米和親条約により開国しますが、そこから異文化への偏見など長い年月の間につくられてきた感覚が明治、大正、昭和、平成へと時代が変わっていく中で、変化していきます。一国で治まっていた経済活動が国外へと市場を多国籍なものへと変えていくことで政治経済、果ては我々庶民の生活にまでも影響し、変わってきています。ものごとの捉え方や考え方が少し変わるだけで極端なものにもなります。権利を強く主張する考え方は人権擁護の意識を高めるきっかけにもなりましたが、権利の主張とは裏腹に義務を果たさない人が増えているのも現実です。これでは人々の住む社会の秩序は崩れてしまい、そこからも不公平は生まれます。不公平は争いの原因になります。小さな口喧嘩から始まり、果ては命に係わる大事件へと発展していくこともあります。最終的にはテロや戦争を引き起こすことになっていきます。他を受け入れること、文化や慣習、多様化への柔軟性、原則は互いに迷惑をかけない良い関係づくりが大切であることはこれまでの歴史からも分かってきます。しかし、そういったことも今の時代の中では難しいのではないでしょうか。国際社会でかつ貿易をして食べていく以上はそういった考えを受け入れつつ新しい時代へ向けて柔軟な考え方に修正していく必要があります。そういった心の成長に欠かせないのが子育てや教育の環境のはずなのです。

 学校という環境は、通ってくる生徒それぞれの家庭での正しいもの、正しくないものを持ち寄る場所になっています。それぞれの家庭から持ち寄った負ばかりが集まってしまえばそれは過ごしにくい環境となり、浄化されていた部分にまで毒がまかれてしまうこともあるのです。つまり、平和な社会の中で重要になるのがそれぞれの家庭が平和であることが大切という答えにたどり着くことになるのです。

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子育ては鉄の熱いうち

 スタートは親ありき子どもたちの人生、今では子どもの人権についての意識向上によって守られた環境になりつつあります。例えば家庭環境に問題があれば行政が立ち入ることもあり、ニュースなどでもよく報道されています。

 人の成育歴の影響は大人になってから出てくることのほうが多いようです。30代、40代、つまり子育てをするようになってから出てくることがよくあります。子育てをしながら知らず知らずに自分の生い立ちに起因する発言や行動をし、過去に受けたものを今度は似たような発言や行動で浮き彫りにしていくのです。そういった関わりの中で過去においての重荷を発見し、不安を感じてしまうこともあるのです。そんな苦痛を伴う子育てを受ける子どもたちは果たして幸せなのだろうかと考えたり悩んだりします。どうしたら幸せになれるのかと考えること、そんな哲学の世界に少し足を踏み入れて自身のメンテナンスをすることで人生や子育ての再スタートをしてみてはいかがでしょうか。

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 ~TAE BREAK

野球部が初めて勝った日

 今年は、チームが組めるだろうか、それでも試合に出たい生徒がいれば、出してあげたい。なかなか、上手くいかない中でも、5~6人はいつも練習に出てきた。

しかし、登録したのに来ない、いつも気まぐれで、無責任なA君。明日試合だと連絡すると、気乗りしない返事。それでも、迎えに行くからと伝えていた。

 翌朝、最初にA君の家に。案の定、待っていても出てこない。母に説得を促すが、息子との折り合いが悪いのか、堂々巡りを続けている。今日の試合をみんな楽しみにしているのに棄権したら、がっかりするだろうなと私が話し、A君のやる気を必死で引き出そうとしていた。

 私はあきらめなかった。とうとうA君が根負けして、「行くよ、行けばいいんだろう」と一言。私は、無言のままA君と試合会場に向かった。ホッとした。これで試合に出られる。

もういい、試合に出られればそれでいい。

 グランドには、待ちくたびれた8人がいた。朝ご飯も食べずに急いできた生徒がヘロヘロになって待ってくれていた。初戦は、都立高校の定時制。人数からいっても、はるかに規模が違う。それでも、9人揃った。何とかなる。運動靴すら持ってこず、私の靴を履いて出たA君。立ち上がりは良かった。しかし、ピッチャーが燃料切れになった。攻撃中の休める時間に、準備しておいたおにぎりを食べさせた。私はあきらめなかった。必死で声援を送っているうちに燃料切れになったピッチャーも次第に息を吹き返した。勝てる。あきらめなければ勝てる。そう思い始めた。

 最終回、ピッチャーはへたばっていた。それでもみんなが声をかけて、何とか投げきった。そして、試合は終わった。創設4年目にして、初めて都大会で勝てた。

 試合に出られて嬉しかった。しかも、試合に勝てて本当に嬉しかった。

 ありがとう、感動をくれた生徒たち、そして、試合に来てくれたA君。(当時の手記より)


お薦めの“1冊”

「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」

著 者 東田直樹  
出版社 角川文庫  
価 格 560円+税

 人々の多様化への受容が求められる現代社会において、まず、私たちができることの一つに他者への理解があげられます。福祉業界では20数年前に始まったノーマライゼーションの考えから、現在は意思決定や合理的配慮を支援の基本に据える時代へと移ってきています。いつの時代においても共通することはまず、私たちが平和を作り出す社会の一員であらなければということでしょう。変われるものが変わる、これが合理的配慮の入り口だと思います。柔軟な心をつくりあげていくことができれば、そして、それが幸せで感謝につながるようにと。そうありたいものです。変わることのできない、できにくい人たちへの理解はこの1冊からも感じとれます。

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 編集後記

 今号の編集にあたり、私は、中学時代に読んだ中国の作家「魯迅」の小説「故郷」を思い出しました。20年振りに帰郷した主人公が、子どもの頃から持ち続けていた記憶や思い出と今とのギャップに哀愁が漂う場面があります。そして、もう一つの場面でも記憶と今とのギャップに胸を痛めていました。それは、子どもの頃に分け隔てなく遊んでいた雇い人の息子(ルントー)との関係です。ルントーとの再会を懐かしむ主人公に「旦那様」と返すルントーに主人公は愕然とします。その様子は私にとって身分や差別の意識というものはもともとあるものではなく、つくられるものだと感じた瞬間でした。主人公はこの場面で子どもの頃の楽しい記憶が一変してしまうのです。お互いの子どもたちが無邪気に遊んでいる様子に重ねて、主人公は子どもの頃を懐かしんでいました。ルントーとの間にあった垣根にこれまで彼は気づいていなかったのです。せめて子どもたちにはこんな思いをさせたくないという思いがそのあとに続く文章から伺えます。小説の最後は、「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」という文章で締めくくられています。私は今でもはっきりこの文章を覚えています。

 平和な共生社会に向けて、私たちにできること、それは、思い願うこと、そこから行為にと繋げていかれればと思います。

 歩き始め、継続していけばそこが道になり、重ねて希望を持ち続けていけば少しずつ理想に近づいていかれるのだと祈り、そして、願っています。(S・I)
(ikenosai.exblog.jp)


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by ikenosai | 2017-07-22 17:44 | 文化だより | Comments(0)

文化だより 第31号(創刊から10年の総括 最終章)

  文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
   第31号 (平成28年 10月 1日)
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
  特定非営利活動法人 文化高等学院

   子育ては親子ともどもを
       “育て直す”きっかけとなる!
         (創刊から10年の総括“最終章”)


“他田引水”は
「生き易さの智恵」

 
 人は長く生きていきますと色々なことを考えます。紆余曲折あって、色んなことを感じ、学んでいき、そして、不思議なくらいに多くの人が似たような答えにたどり着きます。大往生といえる人生を送りますと、自然と感謝の思いがこみ上げ、生き抜くことが人生のプロセスとして大切で尊いものだと語るようになります。次世代への思い,さらに、自分の亡き後のことを意識するようになり、子々孫々への思いも出てきます。しかし、案ずる気持ちが強ければ、過保護に、自分を立てようとすれば、相手への配慮に欠け、人間関係に悩んでもいきます。しかし、苦難によってその苦難を乗り越えていく過程に感動が隠れているのです。

 悪いことのあとには良いことがあり、苦労し、乗り越えたことで感動は生まれるのです。挫折はその人を育てる好機になるものなのです。全ては受け止め方で自分にふりかかる出来事への価値が変わると言うことなのです。そして、充実感を感じる喜びの根底には人に喜んでもらえることが大切です。自分のことだったら折り合いを付けて、やめそうになるようなことも、他者の喜びのためとして取り組むと、頑張り甲斐が出てきますし、意外や意外、自分のこと以上の喜びが得られるものです。さらには大勢の人々へも大きな感動を与えるものなのです。

 現代の子育てや教育の中で「利」についての捉え方が大きなカギになっているでしょう。「利」をできるだけ自分のところへと持ってくる技術をいつの間にか教えている場面が多く、自己責任の捉え方もズレています。信号待ちで青になって横断歩道を渡るとき、青だからとそのまま無意識に渡るのは危険を伴います。安全確保の習慣があれば、信号に関係なく、周囲の車や自転車、歩行者の動きなど安全確認をしてから渡るでしょう。車と人との事故だと、一般的には車のほうが悪くなります。しかし、そんな意識では本来、自分を守ることはできません。歩きながらゲームをしたり、ヘッドホンで音楽を聞いているのは自分を守る意識が乏しいのと同時に社会との接点での自己責任が果たせていないことになるのです。また、素直に謝れない人も同じです。謝ることが「損」だと思う価値観は、やがて、自分の責任を認めず、他への責任転嫁ばかりの生き方へと繋がっていきます。自分を立て、自分を守ることで精一杯の親であれば、他人を思いやるゆとりなど子ども達に伝わっていくはずがないのです。


 幸福感をつくる小さな“ワークショップ”

 人の社会の中で生きていきますと、対人関係が生まれてきます。そうしますと多かれ少なかれ、優劣や損得の意識も生まれやすいものです。社会的地位や名誉など、目や耳で分かるもので評価をするようにもなりがちです。学校の成績だって優秀であればあるほど嬉しいのはごく自然な感覚です。子どもを授かってから乳児期の子育て中に、病気や怪我に遭遇しますと、元気でさえいてくれればそれでいいと思ったりもしたはずなのに、親同士、親戚同士等々、色々な付き合いの中で、少しずつ比較していくようになっていくのが人の性(サガ)なのでしょう。習い事を始めたり(本人の意志で進めばそれは素晴らしいのですが)、親の思いを洗脳させたりして、より学力の高い学校へと欲も出てきます。今でも学校名だけで優劣をつける人は多いもので、有名校や偏差値等の上位校に行かせたくない親なんてそんなにはいないでしょう。いつの間にか、子どもにかかる期待から、生き辛さなど心へのストレスを与えてしまうことも。周囲がそうであれば、そんなもんだろうと思い、ついつい子どものメンタル面などは考えません。原点に立ち帰って何が大切かを考えることも必要になります。人の行動は、言われてやること、指示されてやることではいずれ、やる気がなくなっていきます。それは勉強も習い事も同様です。自己の心の内側からこんこんと湧き出る意志の表出でなければ長続きだってしにくいものです。自分で目標設定をして、覚悟しなければその先で目標を見失ったり、ちょっと嫌なことがあったりして、動けなくなったりと、何かの形で拒絶反応が起こるのです。それは、小学校か、中学校か、高校か、いやその先の大人になってからかもしれません。がんばれる気持ちは大切なのですが、がんばらされている気持ちはその後に大きな落とし穴に落ちてしまうことが多く、そのままでいても幸福感につながる、心の中に必要な丈夫な根っこがないまま大人になってしまうのです。

 長く生きていれば生老病死はさけられないものです。年をとり、加齢に伴い病気にもなります。生活習慣が悪ければ癌や脳卒中、心臓疾患等のリスクも高くなります。特に食生活の乱れは心の乱れにもつながります。それでは、どうすれば善い生き方になっていくのかという方向付けと言いますか、課題が出てきます。「生き易さ」について考えますと、自分中心のこだわりをなくしていくことがカギになります。我慢していくと心の病気も心配になります。ここで重要なのが自己をコーチングする技術や力になります。太い心、折れない心をつくる取り組みになります。そこには「覚悟」が必要になります。何でもそうですが、できたらいいな、誰かがやってくれれば・・・?なんて思っていてもいつまでもそのままで変わらないものです。変わる心のきっかけは自分が変わろうとすることから始まります。例えば関わる相手に期待するのではなく、自分からはたらきかけること。意識した、理想的な言葉かけなどの取り組みをこちらからつくっていくことが重要になります。そして、そこでの取り組みの中で、結果がすぐにでることもありますが、なかなか出ないこともあります。真理に基づいたことであれば、最終的には天国に貯金をするような気持ちで継続すると、気持ちのおさまる場所が心地よくつくられていきます。なかなかつくられないようでしたら、工夫して小さくステップアップしていく必要があります。誰かに喜んでもらう生き方や先祖が何を望んでいたのか等を想像したり、共感しようとする意識がやがて善き思い、善き行いへと自身を高めていくことでしょう。そうやって善人が増え、小さな平和が結集され、大きな平和へと膨らんでいくのです。



“明確な目標”
 意識できる環境を!

 思うこと、目標などの標語の掲示で常に意識できる環境がつくられれば、ネガティブな意識を取り除くことができます。やさしい言葉かけを意識し、悪い発言や悪い意識を減らす工夫で善き行いへと変わっていくでしょう。それを証明しているのがマザー・テレサです。彼女の開いた「孤児の家」の壁にはこんな言葉がかかっています。

“考える時間を持ちなさい
祈る時間を持ちなさい
笑う時間を持ちなさい
それは力の源
それは地球でもっとも偉大な力
それは魂の音楽
 (中略)
施しをする時間を持ちなさい
それは天国へと導くカギ”

 こうした言葉が目に触れ、口にされ、行為を支える意志は常に反復され強固になっていくのです。
 幸福の原点は人に期待せず、まずは自分が変わっていくことなのです。それも根気よくです。子育ても親が変わらなくてはならないというのが子育てに悩む親御さんたちの関わりの中で得た今の答えです。



潜在能力は多様な人々との交流から

 行為を支える原動力は興味があるときにこそチャンスです。それが若ければますます道が開けるものなのです。経験値を高めるためにも、見聞が広がる環境の整備が必要で、それによって可能性は高まっていきます。本人を取り巻くもの、周囲の大人たち、交友関係の影響等々、社会的な資源から多くのチャンスに恵まれていくのです。ただし、裏を返せば、悪への誘惑もあるのです。何が大切なのかと考えますと、やはり、関わりなのです。関わりということは、親もそれなりの覚悟と意識が必要になるのです。



 幸福を反復させる

 子育てで一番楽しかった頃、子どもが可愛かった頃を思い出してみてください。その頃の可愛い写真をよく目にする場所に置くだけでも心のありようが変わってきます。子どもが思春期の頃からどんどん変わっていき、憎まれ口を言われたり、腹が立ったりし、関われば関わるほどにそんな感情が出てきます。そこをリセットできるのは生まれた頃や可愛かった幼少期を思い出すことなのです。あの頃に充分に親孝行してもらっているはずなのです。そして、大人達も子どもの頃を思い出すのです。子どもの頃に親と関わったプラスの思い出を何度も思い出し反復することで意識が変わっていくのです。そんな思い出が乏しいようでしたら今からの子育てでプラスの思い出をつくって行くことです。その積み重ねが幸せに生まれ変わるきっかけになるのです。


お薦めの“1冊”
「日本でいちばん大切にしたい会社」

著 者 坂本光司

出版社 あさ出版

価 格 1400円+税

 ブラック企業という言葉が蔓延る昨今、労働時間に反比例した賃金、年功序列に終身雇用が夢まぼろしのように言われている中で、世の中捨てたもんじゃないと思える企業がまだあったんだとびっくりします。女性や障害のある方達が活躍されている企業も多く、創業時の感動秘話に涙が溢れてきます。現在、シリーズ5まで発刊されていて、まだ増えていくでしょう。こんな会社があったらいいのになあと思う会社が実在していることに希望が持てる1冊です。


 心に向き合い 心を通わす

 子どもを授かるのは男女が協力し合ってのことですが、子育てはそれぞれの人生の中で一部を捧げ、力を合わせた関わりの中で積み重ねていく必要があります。そこで、パートナーとのやりとりが子ども達の心、人生を生き抜いていく支えになっていくのです。

 パートナーを大切にしている様子から子ども達は結婚に対する価値を感じるようになります。親が不満や悪口ばかり言っていたら結婚も子育てもネガティブなものにしかならないのです。ただ生まれたのではなく、どのように育ったかが重要なのです。良い子育ては大人達の生育歴が大きく影響しています。人の心に響くものは感謝の思いなのです。家族への思いなのです。共に暮らし、共に生きていてくれていること、それを尊く思えることが大切なのです。家族にとって一緒にいて安心や落ち着くといったプラスの何かがはたらく存在でありたいものですね。子ども達が望んでいるのはそんなことなのです。

 私の父は半年前に亡くなりました。毎朝空を見上げて優しかった父の眼差しを思い出し涙が滲んできます。それだけで生きて行かれる気持ちになれるのです。それが父の残してくれた財産です。



 編集後記

 長野県上田市にあります「さくら国際高等学校」の校長室には、地元で代々続く常楽寺の住職で後に天台宗の座主をされた(故)半田孝淳先生の書がかけられています。陰ながら関わってくださっていた半田先生から授かった書には「和顔愛語」と書かれています。意味は、人に笑顔を、やさしい言葉かけを、とでも訳しましょうか。住職ならではの仏の智恵を授かったその言葉にこそ未来へ通じる「平和」への願いが託されています。平和の基礎は身近なところから・・・。関わり合う人を思いやることから始まります。お金のかからないお布施「和顔施」、「愛語施」、ここから始まるのではないでしょうか。それは勿論親子でも、家族間でも同じです。ホッとする、安心する基本はこんなところにあるのです。

 編集10年での答えは、「愛」(慈悲)でした。慈しむやさしい心をそれぞれがつくりあげ、それを次世代へと繋いでいく教育と子育てを私たち大人が強い意識で取り組んでいかれればと願っています。(S・I)
                               (ikenosai.exblog.jp)













  


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by ikenosai | 2016-10-19 00:09 | 文化だより | Comments(2)

文化だより 第29号



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文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)

29号 (平成28年 2月 1日)

特定非営利活動法人 文化高等学院


“大人や親の意識改革”が子育てと教育を変える!

  (創刊から10年の総括“その1”)



「大人の威厳」


 かつて、私が小学校、中学校に通っていた頃。それは、今から30年から40年も前のことです。戦中、戦後の間もない頃を生きた先生たちの中には、明らかにおかしい(異常な)バイオレンスな先生がいました。今、冷静に考えれば、問題だらけで、教育委員会や果ては警察に行くべき行為を私たちは受けてきた事実を、どう受け止めて、さらにはどう考え、どう改善していくのかを、教育と子育てのテーマとして私は密かに取り組んでいます。


 理不尽で暴君だった先生、教育に無関心だった先生などいましたが、おかしい先生の特徴を今振り返ると、通信簿のコメント欄が未記入だったり、無機質な言葉で書かれていることが、共通しています。先生に従わざるを得ない時代。学校がつまらない、学校に行きたくないなどの思いを押し殺し、みんな学校に通ったのです。学校での先生の暴言は子どもたちに移り、子どもたちの間でも暴言が蔓延ることもありました。嫌な思いをした子どもたちのはけ口は、弱い子どもや、兄弟、姉妹へと・・・。さらに、家族関係はどうだったでしょうか。高度経済成長を担ったお父さんがたくさんいた時代です。子育てに対する、学校と家庭との職分が大きく変わっていった時代であり、レールに敷かれた人生のひな形ができていった時代でもあります。子育てと人生設計についての新しい考え方が作られ、テレビ等のメディアを通して、あたかもそれが普通のように考えられるようになっていきます。表面化した部分の足りないところに下駄を履かせ、塾に行ったり、ローンを組んで進学したりして、無理にレールにのっていった時代です。張り子の虎のような見せかけだけの教育と子育てを受けてきた子どもたちが大人になったとき、何が幸福なのか、何が不幸なのかが分からないままになって、今、子育てをしているのです。教育も子育ても、そのままだと、自分が受けてきたことしか次世代には伝えられません。無意識に出てくる価値観がそれぞれの受けてきた子育てや教育なのです。


 かつて、私を殴った先生は、のちに不登校児童が通う施設を立ち上げて、さらに市の教育長になりました。不思議なことに、私はその先生が好きだったのです。しかし、今頃になって水に流せない悶々とする何かがあるのです。また、それが今の教育と子育てを考える原動力になっているのではと思います。 

 関わる子どもたちに暴力はいけないという姿勢を貫くことで、やさしかった両親への恩返しにしたいと願っています。




「環境で人は変わる」


 大学に通うのはこのままで大丈夫かな?と思った1年の終わり頃、私は、たくさんの単位を落とし、注意進級というかたちで、辛うじて2年生になりました。部活、バイト、学校(夜学)の順で、学業が優先順位の後のほうになっていました。田舎の母から「大丈夫なの?」と電話があり、教職もこのままでは履修できないだろう、いや、卒業すらあやしいと、不安になっていました。こうやって中退する学生がいるんだなと、大げさですが、臨終をさまよっているような心境でした。

 自己改革、いや、それ以上の革命でも起こさなければ、卒業は難しいと思ったのです。色々なことをイメージし、そして、自分にできること、さらには自分の力量がどの程度かも考えました。努力で改善できるのなら頑張ろうと覚悟をしたのです。本来の優先順位から考えると、ズレている部分はありますが、まず、体育推薦で入った部活は辞められない。生活していくために、バイトをしなければいけない。両親との約束のために卒業はしなければならない。という自分なりの目標を立てました。その中で、バイトについては、そろそろ仕送りをもらわなくてもよいくらいの収入のあるバイトをと思いました。時間を考えると、早朝からしか見あたりませんでした。

 朝6時半からの牛丼屋のバイトで午後2時まで働きました。そこまでだとそんなに変化は無かったと思いますが、午前10時までの店員ひとりの時間帯にBGMをラジオに変えさせていただいたのです。その中で、一番私に合っていたのがニッポン放送だったのです。現在も早朝からパーソナリティーをされている高嶋ひでたけさんの番組でした。30年近くも前の、その番組は、新聞をくまなく読むくらいの情報が朝の2時間くらいで把握できるのです。平日はほとんどここから情報を得ていました。ある時、友だちと一杯飲みに行った時でした。以前は、薄っぺらの知識しかない私が色んなことについて議論するようになっていたのです。友だちがすぐに、おまえ変わったなあ、大学で勉強をし始めたのかと聞くのです。さらに驚いたのは、2年以降の単位認定試験でした。高嶋さんの番組で得た情報をもとに答えていくと、優になる科目もあったのです。物事に対する考え方が変わっていったのです。わずかな時間への意識が自己啓発になり、自己改革へとなっていくことを実感したのです。

 心を入れ替えたはずの私でしたが、1年時のつけが回っていて、1年留年しましたが、この余分にできた
1
年で、教務部にかけあい、念願の教職科目も取り、さらには牛丼屋の社長からも可愛がられ、大学4年目の途中から、店長を任されました。そこでも、経営のいろはを学ばせていただきました。今思えば、あの頃の、朝の2時間ほどの耳学問が私を変えたんだと思います。ほんとうに感謝です。




「挨拶する習慣」


 「子どもは親の背中を見て育つ」親がどうしてきたかを子どもは見ています。あんなことしなくてもと思うことだって、後々には、正しさに気が付くものです。


 私が大学に入った年、お金があるわけでもないのに、両親は、お金を工面して、入学式に参列したのです。岡山のお土産を持って、監督の家に行って、先輩たちにも挨拶をして・・・と。


 私が牛丼屋の店長になったとき、牛丼屋の社長は、出張のついでにと、はるばる津山の片田舎にお土産を持って、両親に会いにいらしたのです。今思えば、この儀式で私は、「どこの馬の骨」ではなくなり、しっかりと面倒を見ていただくことになっていったのです。私が生きてきた節目節目で関わる人たちが、こんな儀式を交わして下さったのです。不思議なことに、牛丼屋の社長とはずっとお付き合いがあり、病気で亡くなるまでずっと良き相談者でいてくださいました。


 子どもたちは、まだまだ、そんな挨拶なんてできません。一人前になるまでは、親たちが模範を、親の背中を通して見せていく必要があるのです。




「苦悩や困難をプラスに」


 私たち人間は、できることならば楽な道を選びたがります。親は子どもに楽な道を選ばせようとこれまでの知識をフルに使います。それが生き方の「要領」という言葉で表現され、「要領」が良い、「要領」が悪い等と上から目線で言うのです。しかし、人の心は苦悩や困難を越えていくところでつくられるのです。そうなると、親として、何が大切かと言うことになります。

 親にできることは、安心して悩める環境を準備してあげることです。そして、共に悩み、共に越えていくことです。自分の力でのり越えられるようになるまで見守っていくことなのです。それなしでコーチングを実践しても子どもの心の根っこには不安がいつまでも残ってしまうのです。

 安心して、のり越えられた子どもは、他者の悩みにも向き合い、同じように助けていくことができるようになっていくのです。子どもたちが育った環境、過ごした環境は次世代へと引き継がれていきます。そこまで考えた子育てが本来は必要なのです。




「私たちの老後に答えがでる」


 これまでの人生で感じている怒りや不満の原因とどう向き合うか。


 育ってきた環境をどう振り返るか。


 生まれてから死ぬまでの自分の人生についてどう考えるか。


 死ぬまでに達成したい目標、さらにその未来年表をどう思い描くか。  


 次世代に何をどう残したいか。


 そういった意識が高まるように主体的にどう実践していくか。


 基本は子どもをどう育てていくかを具体化する。


 そして、正しい生き方の追求が次世代にも引き継がれるようになる仕組み作りをしていく。


 困ったときに誰かに頼むのではなく、困る前から、誰がために何かできることがないかを考え、実践する。


 あとは、因果応報、よい種まきをしていくことですね。




「一隅」


 赤穂浪士の大石内蔵助ら四十七士についてはよく知られています。泉岳寺にある四十七士のお墓の横に、討ち入りできなかった萱野三平の墓碑があります。主君だった浅野内匠頭の事件で失業したのち、転職か、討ち入りかで悩み、自刃したのです。あまり知られていない人物の話ですが、「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎や人形浄瑠璃の演目では人々に感動を与えているのです。陰日向、人の世にあっては、誰もが人生の主人公。ひとりひとりが輝いているのです。




 お薦めの“1冊”



「卒業ホームラン」



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著 者 重松 清

出版社 新潮文庫

価 格 562円(税込)



 今回は、この本に収まっている6作品の中から「エビスくん」を紹介します。この作品は著者、重松清さんにとって、とても思い入れの深い作品だそうです。


 重い病気を抱えた妹に、主人公は転校生エビスくんの話をします。エビスくんは神様の子孫なんだと話し、お見舞いに連れてくると約束をしてしまいますが、エビスくんからはいじめにあうようになってしまいます。
いじめられて、毎日つらいのに、エビスくんを嫌いにならなかった、むしろ好きだった主人公・・・。


 今回、「エビスくん」を紹介させていただいたのは、この物語を読み終えたときの感想で育ってきた環境がどうだったかが解るからです。絶対に逆らえない怖い人間を神様のように思いこんできた経験から涙を流すほどに感動する人と、主人公を苦しめるエビスくんを理不尽に思い、怒りさえ感じる人とに分かれるのです。ちなみに私は、感動して大泣きしましたが、息子やうちの奥さんに読み聞かせたら、私のような感動は無かったのです。

 重松清さんは、私たち世代の心に突き刺さるものを、実に上手く表現しています。そして、バイオレンスな大人や友だちを受け入れてきた人たちは、随分と大人になったときに、精神的な苦しみや、心の病が表出するのだと思います。
「三つ子の魂百まで」子どもの頃の経験は根深くその人の一生を左右するものです。




編集後記


 今号の発刊で10年になります。まずここまでこれたことに感謝です。

 巻頭の「大人の威厳」を集約すれば、愛された記憶の有無がどうだったかだと思います。私自身の子育てと教育改革は、この会報の創刊のころにさかのぼります。これをきっかけに子育てへの考え方をリセットできました。自己の中に存在する小さかった心の器を、少しでも大きくしていく取り組みへとなっていきました。そして、そのためには「我」を捨てる「覚悟」が必要でした。そんな中、今の仕事でも通じる以下の言葉が湧き上がってきたのです。


 「食べるものがない人に自分の食べ物を分けてあげる。そういうことを繰り返すうちに我が身を滅ぼしていくと誰かが言う。どこかで縁切りをしなければ自滅の途に・・・、と。しかし、私は思う。ここで縁切って、この人が滅んでしまったら、きっと死ぬまで後悔するだろうと。そんな思いをするくらいなら共に道連れになってもかまわない。できればそういう志(こころざし)をもってあの世に行きたい。きっとあの世では、そんな私をご先祖様が誇らしく迎えてくださるだろう。この世は一瞬、あの世は永遠。あの世の永遠のためならば、この世の苦しみを分かち合い、浄い心で過ごしたい・・・。浄い心の先に、本当の幸福(しあわせ)はある。」

 そして、そう思う中から感謝がこみ上げてくるのです。(SI)



   


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by ikenosai | 2016-02-19 22:32 | 文化だより | Comments(0)

文化だより 第28号

文化だより 第28号

                文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
                 特定非営利活動法人 文化高等学院


“親の“自立・子どもの自立”
~子どもは親の背中を見て育つ~



「人生今からだ」

 ~石川 洋 著~より


 人間を育てることほどむずかしいものはない。落ちこぼれ、いじめに、手の打ちようのない先生も多い。

江戸末期熊本藩「時習館」をたてて人材育成をした堀平太左衛門は、その指針のなかで「人を育てることは、川に橋をかけるようなものだ。えてして橋は道のあるところに限られるが、そうであってはならない。導かれる者は、川上にも川下にもいるからである。その者がいる場所から川を渡れるようにすることだ」と教示している。橋はその人に架ける。今こそ必要な教育の心である。


“人運”

 人運は、人の役に立つことから生まれる。

積極参加し待ち人になってはならない。

 人の長所の見える人は、必ず成長することができる。

 嫌な人を生かすことは、自分の器を大きくする。

 人につくすことを知らない人は、子孫を駄目にする。

 損得よりも縁を大切にする人が本物である。

 他の人は自分の合わせ鏡である。


“親の道、子の道”

 子どもが抱く父親像は、母親の教えたイメージに大きく影響する。

 子どもに楽な道を選ばせる親は、子どもが一生苦しい荷物を背負うことになることを肝に銘ずることである。

 今日の終わりに明日の準備を習慣づけてあげることが明日への責任を果たすことである。

 子どもの友だちを粗末にする親は、必ず子どもに反抗される。


“人生五訓”

1、原理原則を教えて下さる先生をもつこと。

2、叱って下さる先輩をもつこと。

3、品性を高め合う友をもつこと。

4、自分より秀れた後輩をもつこと。

5、嘘のつけない親をもつこと。

※反省という自己弁解から一歩も出ない。叱って頂くことである。

                石川洋 著 「人生今からだ」より



 夫の“存在”


“お母さんというのは、安心できるいい夫に恵まれたときに、いちばんいい母親になるのです。どんな親でも自分の子どもに期待し、子どもに生きがいを求めます。しかし、夫婦がおたがいに相性がよければ、夫婦の生活はしっかりと存在しますから、子どもに自分の思いどおりになってもらおう、というような関係の深入りをしないですみます。夫との関係が深ければ、それだけ、子どものありのままの姿を尊重しやすくなるわけです。ところが、夫を受け入れられなければ、その満たされない部分を子どもに求めることになります。もっともっといい子になってほしいという、子どもにとっても親にとっても、たいへん不幸な悪循環としての過剰期待に、はまりこんでしまうことがよくあります。”


“本来、親が育児する喜びというのは、二つの観点があると思うのです。ひとつは子どもに期待できる喜び、もうひとつは、子どもを幸せにすることができる喜びです。このときに、できることなら、子どもを幸せにできる喜びのほうを、ずっと大きくもって、子どもに期待する喜びは、小さくしていただきたいと思います。親が子どもに期待する喜びを、大きくしてしまった場合に、子どもからみると条件つきの愛情になるわけです。そして、その期待が過剰になってしまうと、子どもは愛されているという実感をなくしてしまいます。”

  「子どもへのまなざし」 佐々木正美 著より



 子育てで、よく言われる“4訓”


 乳児は肌を離すな

 幼児は手を離すな

 少年は目を離すな

 青年は心を離すな


 肌を離すなとは、本能的にある安心の欲求を満たすこと。

 手を離すなは、ずっとそばにいて危険から守ること。

 目を離すなは、見守ることで、危険から守ること。

心を離すなは、信頼によって心をつなぐこと。つまり、関わらなければ始まらない親子の関係、それが子育てです。


 以前、地域の教育関係の人たちが集まる会合に参加した時の自己紹介で「お母さんは、早く家に帰ってお子さんと過ごしてあげてください。」とコメントすると、公立の保育士さんから怒られ、「女性への“冒涜”だ、謝罪しろ。」とまで言われたことがありました。仕事が忙しくてなかなか家に帰れないのでしょう。そんなのは自分を正当化するただの言い訳だと思いましたが、他者への配慮のない自身の発した言葉をまず反省し、謝りました。しかし、そんな感情的な人が子どもたちを見ているのかと思うと、残念に思い、悪因が蒔かれているのではと心配になりました。感情で論破するような人には、人は育てられないし、生かすことも難しいでしょう。ましてやる気なんて起こりません。不登校や引きこもりの子どもたちと関わる中で感じた根本的なこと、幼少期の周囲の、特にお母さんの関わりがどれだけ影響しているかを強く感じていただけに、本当に残念でした。



以下の5項目、お子さんはどうですか?


1.テレビ、ゲーム、スマホなどの利用時間に制限をかけていない。

2.子どもは、食事の後にお皿を下げたり自分のものをしまったりなど一切しない。

3.子どもは、「おはよう」などの挨拶をしない。

4.友人宅、レストラン、食事などに関し、最低限守るべきマナーを、教えていない。

5.子どもの習い事や受験先を、全て親が決めている。


 過保護だったり、過干渉だったりと、子育てがなかなか上手くいっていないで悩んでいる親御さんが結構います。果たして何が足りていないのかと言うことなのですが、一つにはイマジネーション、つまり想像力だと思います。これをするとこの先どうなるのかという想像力なのです。その時々の親の感情に子どもが振り回されてはいないでしょうか。こうした悪因の“たね”はやがて、周りの友だちや、果ては次世代の子育てにと影響します。


 最近の福祉業界を例にとっても、誰かのために・・・と志を持って従事されている人たちで成り立っているはずなのに何かおかしい・・・。そんな事件が頻発していることはニュースでもご存じだと思います。人の幸福につながる架け橋となる仕事には、原則として、“誰がために”という、人の幸せに自分の幸せを重ね合わせられる、“器”とでもいいますか、大きくて優しい心がなければ、長続きはしません。耐えきれなくなってしまうと、暴言や暴力などでしか対応できず、離職してしまう人もいます。イマジネーションがカギなのです。相手の心を読むことなのです。それも、何パターンかの心を読むことなのです。そして、アクション、つまり、立振舞や行為が重要なのです。人が怒りや違和感を覚えるときは、人として、“いかがなものか”と思ってしまう行為や行動によってです。テレビ、ゲーム、スマホなどの利用において、約束事がないままほったらかしているのにも、面倒臭い、今更・・・、なんて感じで“おざなり”にしているのが正直なところでしょう。家以外の公共の場等、また、食事などでのマナーや常識も、今更・・・。という感じでしょう。そういう親たちが電車やバスの優先席でケータイやスマホをいじっている訳です。心臓にペースメーカーが入っている人がそんなにたくさんいるとは思いません。しかし、そう言った人たちへの配慮。あえて、気遣いや心配りをするという、“人として”のマナーを公共の場で約束し合っている社会のルールの“いろは”の“い”なのです。公共の禁煙エリアでの喫煙も同様ですね。しかし、注意する方が恐い時代です。車掌だって直接には注意しません。見て見ぬふりをした方が楽です。警察だってあまり注意しません。今、指示されている業務ではないということでしょう。親だってそうです。“人として”を教えることは、親自身が“人として”どう生きるのか、その背中を見せて実践していくことなのでしょう。これから先をどうイメージし、どう生きていくのか、そして、最後は覚悟して生きていくのか、中途半端な気持ちのまま生きていくのか、それだけの違いで、その差は大きく変わっていくことでしょう。



お薦めの“1冊”


 「人生今からだ」


著 者 石川 洋

出版社 ぱるす出版

価 格 1,080円(税込)


 私が大学
4年のときでした。姉の結婚式で帰っていた岡山からの復路の新幹線の途中、新大阪から隣の席に座ってきた出張中の会社員の方と意気投合し、結局、東京駅に着くまでの間、仕事を通しての人生訓を教わったのです。その方が、最後に結論として言われた言葉が、「若いときの苦労は買ってでもせよ」ということでした。その方の職場には、東大をはじめ、慶応、早稲田と日本の上澄みにある大学を卒業した人たちが、苦労し、時には泣く泣く働くこともあるとのことで、上司からは、辞めてもかまわない、代わりはいくらでもいるんだからと言われているそうでした。その段階で、私には無理だという、最初からあきらめのような、不安のようなものが頭の片隅に残りました。しかし、その方は付け加えて、もっとも重要なこととして、気持ちの問題。向上するバイタリティーが必要なんだと言われました。石川洋さんのこの本を読んで、当時の、就職活動に入る学年だった自分を振り返るのです。そう言えば、あの頃は何も知らないくせに元気だけはあったと・・・。

この本のはしがきに「誠実なる青年時代の苦しみを経験した者でなければ、心豊かな老いを迎えることはできない」と倉田百三さんの言葉を引用され、終わりに、親鸞聖人の言葉でこう締めくくられています。「人生経験の中で、誰もが迎える“死”ほど不思議なものはない。だれもが、おだやかに迎えたい終着駅である。(中略)最後の人生勉強は「ありがとう」の一語に尽きるのである。」


 新幹線で臨席に座られた会社員の方は、花博で来日していたジャネットジャクソンのバースデイパーティーを主催した電通マンだったのです。その方の言葉と重なって何度もこの本を読み返し、今からだと気持ちを入れ替えています。



編集後記


 彼岸(天国)に近づく私の父は、老いてなお、進化と言いますか、人として向上し続けている背中を私に見せています。そんな父の口癖に、「子どもは親の背中を見て育つ、だから、おまえの生き方は、子どもに影響するんだよ」と言った後、必ず、「お父さんはそれができなかった、おまえたちにしてやれなかった」と晩年になって、反省の言葉を伝えています。私はそう思ってくれているだけで涙が溢れ、自分の至らなさ、親孝行のできない未熟さに反省をするのです。父の思いにどう答えていこうかと考え、そして、自分に与えられた子育てをしっかりしなければと言う答えにたどり着くのです。次世代を大切に育てることは、先祖の思いに答えることなのだと思うのです。そして、親世代からの自立、依存しない生き方をそろそろ意識しなければと思います。子育ては育児書のマニュアルやテクニックではないのですね。最後は慈悲の愛があったかどうかなのだと思います。不器用でいいんです、愛があれば、愛されたという記憶が残れば・・・。(
S
I






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by ikenosai | 2015-10-01 22:02 | 文化だより | Comments(0)

文化だより 第27号

文化だより 第27号
                文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌)
                 特定非営利活動法人 文化高等学院

“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”
(オットー・フォン・ビスマルクの名言より)
未来の安定は想像力が鍵!

国際社会で“平和”に生きていくために!

 選挙権が18歳以上になれば、高校3年生の誕生日を過ぎれば選挙に行かれることになります。尖閣諸島に関わる中国や竹島問題に関わる韓国、拉致被害者問題がまだ未解決の北朝鮮、そして、アメリカとの安全保障をめぐる今後の関係は、間違いなく次の世代へと引き継がれることになるでしょう。そうなりますと、平和の礎になるものをしっかりとつくっておかなければならないのです。選挙は、その根幹となる人材を選ぶ大切なことなのです。国民ひとりひとりがそれぞれの中で意識して政治参加できるきっかけが家庭と教育の現場にもあるようです。希望につながる環境でありたいと願っています。平和は人々の意識の中にこそ根付かせなくてはならないのです。

今こそ、“憲法”について考える!

 最近、なぜ憲法について語られるようになったのか。今号では憲法の役割について考えたいと思います。憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないことや、やるべきことについて国民によって定められた決まりなのです。例えば、日本では表現の自由について保障されており、国による国民の表現活動を侵してはならないと「基本的人権の保障」で守られているのです。「立憲主義」は国民によって制定された憲法で国家権力を制限し、人権保障をはかるという最も基本的で大切な考え方なのです。国民の権利・自由を守るため国に縛りをかけるという役割をもっているのが憲法です。簡単に変えられてその縛りが緩められてしまうようでは本来の憲法の役割としては機能しないことになるのです。憲法を変えることは、普通の法律を変えるよりも厳しい手続が必要とされています。本来の憲法は国民の権利・自由を国家権力から守るためにあるのですが、諸外国との関係、そして、圧力、国際貿易等でのしがらみにあって、優先順位を忘れがちにもなります。今こそ国際レベルでも憲法のような約束事で縛りをつくり、軍備や果ては国際経済までも部分的な抑制が必要とも言えます。そういった取り組み無しでは戦争も紛争も終わる日はこないでしょう。国際連合の常任理事国が、核に核ではなく、諸外国に慈悲を持って接すること。そして、過去の戦争においては、戦争の関係で亡くなった人々の無念の魂を沈め、子子孫孫へ怨念を残さない取り組みが必要なのではと過去の歴史からも感じます。

“主権国家”について考える!

 世界には独立国の数が200近くあります。世界中の人々は、どこかの国家に住んでいるか、どこかの国家に属しています。国家が、国内の政治について、外国から支配を受けずに、国家が独立を保つことや、国内政策を最終的には自国で決定する権利のことなどを主権と言います。独立国には、この主権が欠かせないのです。国家の主権は、法律的には、どの国にも対等です。

 国際社会は、このような主権を持つ国々を中心に構成されています。国家が成り立つには、主権の他にも、国民と領土が必要です。国家は、領土・国民・主権の3つの要素から成り立っています。主権とは、外国からの内政への不干渉。これは 国家が、その国の領土と国民を統治する権利であり、国内政策を最終的には自国で決定する権利です。なお、沿岸から約12海里(=約22km)までの海が領海として認められます。また沿岸から200海里(約370km)までの水域(つまり12海里〜200海里の水域)で、領海の外側の範囲の水域のことを経済水域あるいは排他的経済水域と言います。経済水域内にある漁業資源や鉱物資源は、沿岸国に権利があります。経済水域は領海と違い、他の国と重なることもあります。 1982年に国連海洋法条約で、沿岸の海岸線から200海里までが排他的経済数域と定められました。経済水域の外側の、どの国の領海や経済水域にも属さない海は 公海 とよばれ、公海では、どの国も平等に航行や利用が出来ます。南極大陸や宇宙空間は、どの国の領域にも属しません。

 国家が安定していくための鍵は、まずは国内自給率への強い意識と国際競争に負けないためにも、選ばれる工業製品や加工品の生産。他国にはないもの、あるいは、できないものを作り続けることも重要だと思われます。そして、関税がポイントになります。国産の食料の安定供給と輸入品とのバランスは自国の首を絞めない程度の政策が求められます。そういった観点からも将来の日本のことを考えますと、どんな人に国を治めてもらうかという意識はそれなりの人材を求めていくことが必然的になるでしょう。つまり、アバウトな感覚では任せられないのです。

“風が吹けば桶屋が儲かる”

 国家間の貿易についてはもっと慎重にならなくてはと感じます。以前、ハイチの人々は自国で米の生産をし、自国で消費していましたが、1990年代半ばに、国際通貨基金が推進する貿易自由化政策のもと、それまで35%だった米の輸入税率をわずか3%に引き下げたのです。ここからアメリカ政府のテコ入れが始まりました。ハイチの国内には安いアメリカ産の米が入り、自国米は競争に負け、次第に生産が減少し、80%程を輸入に頼るようになってしまいました。アメリカとの関係が悪くなった場合は簡単に兵糧攻めに遭う縮図を自ずからがつくってしまったことになるのです。主食の調達は自国生産が原則なのです。戦後の日本でも同じような現象がありました。それは戦後の食糧難でアメリカ産の小麦粉と脱脂粉乳が大量に入ってきたときのことです。アメリカの慈悲でいただいていたら、涙が出そうないい話です。しかし、したたかなアメリカの政策だったことはすでにお解りでしょう。

 対米貿易収支のバランスにはまだまだ慎重にならなければ今後の日本もハイチのような結果を招く可能性があります。対中国貿易もです。人件費や物価の違いもありますが、国の生命に関わる食料を簡単に輸入して、国産品が競争に勝てなくなることは、国家を失うことへの加速化につながるのです。理にかなった地産地消の原理と食文化が実は地域性をつくり、人々の性格にも影響を与えていることが言われるようにもなってきています。何世代にも渡って受け継がれてきた食文化。その土地土地、その風土に合った農産物はその気候をも含めての生きる力になっています。通常、暑さに耐える夏の野菜は体を冷やす作用があり、寒さに耐える冬の野菜は、体を温める作用があります。技術の進歩は、季節を狂わせ、旬でないものが年中食べられる環境を生み出しました。心身共に不調を感じるようになるにはそれなりの因果関係があるのです。そういった部分まで含めて考えることも、個々の意識の中につくられればと思います。自分たちの環境を自分たちで守る意識。その原点が、子育てや教育になると思います。


7代先の“未来”に願うこと!

 アメリカンインディアンの中にチェロキーインディアンという民族がいます。彼らは7代先のことをイメージし考えてから、これからのことを決めているそうです。人々が正しく生き続けるための原理原則は、実はシンプルなはずなのですが、自分を立てるがために歪曲してしまうものです。また、権利や義務を法律で定めることだけでは法律万能主義にも陥り、人としてどうあるべきかという大切なものが薄れてもいきます。違法でなければいいと、法律を駆使してでも自己を正当化してしまう感覚も多数派になりつつあります。しかし、多かれ少なかれ、人々の行為には良いことも悪いことも入り混じっているものです。自分のものという概念が無くなると案外、変われるのかもしれません。人々がより善く生きていくための最後の砦は教育ではないかと思うのですが、模範的な大人の行為、特に親の行為は教育の中で一番重きを置く部分でもあると思います。優先席でのケータイマナーや、歩きスマホ等、公共の場での大人の行動は今、子どもたちにとってどのように影響しているのかと考えつつ、自分の行動を振り返っています。

神々が宿る聖域

 中国山脈にある那岐山は岡山と鳥取との県境にあります。南側に降る雨は馬桑川にそそぎ、梶並川、吉野川、吉井川を経て、瀬戸内海に運ばれます。北側に降る雨は千代川を経て日本海に運ばれます。中国山脈は南側を山陽、北側を山陰と呼び、快晴の日の那岐山頂からは遙か伯耆富士(大山)をも望めます。山の麓付近は山陽にせよ山陰にせよ、大きな変化もなく静かに時が流れています。那岐山の南側麓にある奈義町は大昔に浄土宗の開祖、法然上人が幼少期に修業した古寺の菩提寺があります。法然上人ゆかりの大銀杏は当時から今もこの集落を見下ろしています。神秘に満ちたこの山を私は中学の時初めて登りました。以後、渓谷沿いの山道を通って何度も山頂に登ったものです。高校時代には真夜中に起きて20キロもの道のりを自転車を漕ぎ、早朝に山女釣りをしたこともあります。まるで神々が宿る不思議な土地のようにさえ思えます。この地は「NARUTO」の作者岸本斉史さんの生まれ育った土地で、今も那岐山が下界を見守り続けています。

お薦めの“1冊”

 「覚悟の磨き方」
著 者 吉田松陰
(編訳)池田貴将  
出版社 サンクチュアリ出版
価 格 1,620円(税込)

 人材の育成という事を論じるときに欠かせないのが「松下村塾」です。吉田松陰が「松下村塾」で教えたのはわずか2年半でしたが、伊藤博文など、総理大臣2人、国務大臣7人、大学の創設者2人を輩出しました。
 本書では松陰の言葉を通して、その生きざまに触れ、幕末という混乱の世の中で、優秀な人材を輩出し続けた考え方に触れることができます。特に印象深い箇所を紹介します。

人生は四季を巡る
 もうすぐこの世を去るというのに、こんなにおだやかな気持ちでいられるのは、春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。
春に種をまいて、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬がくれば貯蔵する。
春と夏にがんばった分、秋がくると農民は酒をつくって、なんなら甘酒なんかもつくって、収穫を祝い、どの村でも歓喜の声があふれます。
収穫期がやってきてきつい仕事がようやく終わった。
そんなときに、悲しむ人なんていないでしょう。
私は30歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。
このまま死ぬのは惜しいです。
がんばって働いたけれど、なにも花を咲かせず、実をつけなかった。
ですが、私自身のことを考えれば、やっぱり実りを迎える時期がきたと思うんです。
農業は1年で1回りしますが、人の寿命というものは決まっていません。
その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが、あるような気がするんです。
百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、30歳で死ぬ人は30歳なりの四季があるということ。
つまり、30歳を短すぎるというなら、夏の蝉と比べて、ご神木は寿命が長すぎるというのと似たようなものじゃないかと思います。
私は30歳で、四季を終えました。
私の実りが熟れた実なのか、モミガラなのかはわかりません。
ですがもしあなたたちの中に私のささやかな志を受け継いでやろうという気概のある方がいたら、これほどうれしいことはありません。
いつか皆で収穫を祝いましょう。
その光景を夢に見ながら、私はもういくことにします。

祖先を想え
今のこの世界を残すために、自分の命を差し出した人たちがいます。
彼らはなんのために命を捧げようと考えたのでしょうか。
私たちは考えなければいけません。
今のこの世界は、彼らが思い望んだ未来になっているのでしょうか。
その答えは、私たちの生き方でしめすしかありません。

辞世の句
私の身がここで滅んだとしても、私の日本人としての魂は、ここに置いていくことにします。


編集後記

 本誌の創刊から9年が経ちました。当時は、娘が小学校に入学する年でした。第2号の編集後記でゴールデンウィーク明けで学校に行きたがらない娘を学校の下駄箱まで送ったことを書いています。泣いている娘を必死で励まして見送りました。今年、娘は高校1年生になりました。毎朝、7時過ぎには家を出て電車に乗って通学しています。時の経つのは早いものですね。あっという間に、孫ができ、あっという間に来世へと旅立つのでしょうか。それぞれの人生を考えますと、柔軟な考え方と過ごしやすい環境があればと思います。すべてをマニュアル化させ、決まりだけで生きていくのではなく。原理原則に基づいた万物の理(ことわり)を理解し、最後は智慧を授かる方向づけを代々に渡って引き継いでいかれるようにしたいものです。足るを知る生き方、そして、足りないところに心が注がれ、満たしていかれるようになれば、人々の間には感謝の思いが湧き出てくるのではと思います。今こうしてこういう思いになれることが感謝なのですね。(S・I)


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by ikenosai | 2015-07-05 21:48 | 文化だより | Comments(2)

「人はなぜ、食い違い、争うのか?」を考える!

文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌) 
第25号 (平成26年 10月 1日)
                  
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
                  
  特定非営利活動法人 文化高等学院


「誠実」と「不誠実」
  そして、解ろうとすること!



2007年に出版された“まともな人”という養老孟司さんの著書の中で人々の心について上手く書かれている箇所がありますのでご紹介します。

 「戦争中、私は小学生だった。その頭の上に焼夷弾を落としていたのは、同じアメリカの空軍である。その件について、私はまだアメリカに謝罪してもらった覚えはない。なぜ子どもの頭の上に爆弾を落とすのか。そのつもりはないといっても、下に子どもがいるくらいは、相当に想像力を欠いた人でもわかるはずだ。60を過ぎても、まだ自分がそこにこだわっていることを思うと、爆弾を落とせばテロが終わるとは思えない。世界は広いから、私みたいな子どももいるはずだからである。(中略)知米派はいう。アメリカは広い。一口にアメリカなんていえない。それは当然であろう。中国ならもっと広い。そう思ったら反米も親米もない。アメリカにも反米主義者はいる。チョムスキーなんて、その典型ではないか。アメリカという「なにか」を理由にして、「だれかが」力で無理を押し通す。それに反撥する相手がいる。その循環がテロを生んだのであろう。だから私は国益という言葉が嫌いなのである。「いつの」「だれの」益か、それを明確にしてもらいたい。国益とはいまでは環境問題しかない。私は個人的にはそう思っている。片々たる人間の利益ではない。自然のことである。自然がどのような状態に置かれるか、それは未来の人間まで含めた、人類全体の利害に関わる。あとのいわゆる政治経済は、そのときどきのゴミみたいな問題である。時が過ぎれば忘れる。立場が変われば変わる。ナチス・ドイツについて、ビクトール・フランクルはいう。共同責任などというものはない。両親、兄、妹、妻を収容所で亡くし、アウシュヴィッツを神秘的とでもいうしかない運命のもとに、生きて逃れた人がそういう。人間のなかに誠実な人と、不誠実な人があるだけである。遺憾ながら、誠実な人のほうが数が少ない。フランクルはそうもいう。世界はおおかた不誠実な人でいまも埋めつくされているであろう。共同責任とは、ナチスの場合ならもちろんドイツ国民全体のことである。だからテロはアフガン人の共同責任ということでもないし、タリバン全員の責任というわけでもない。さらにフランクルはいう。私の知っていた最後の収容所長は、自分の小遣いから囚人用の薬品を買っていた。収容所から家に帰ると、妻にその日の出来事を語り、ともに泣いていた医師もいた。私が親米とか反米という言葉を好かない理由は、おわかりいただけるであろう。
 私の大学の学生たちに、昨年あるビデオを見せた。イギリス人の若夫婦が子どもを作ろうと思い、妊娠し、出産するまでを記録した、BBC作品である。50分なので、1時間半の授業では余りが出る。その時間を使ってビデオの感想をレポートに書いてもらった。薬学部なので女の子のほうが多かった。レポートの中身はよく似ていて、ほとんどの女子学生が、あれも知らなかった、これもはじめて気がついたと、妊娠と出産について、さまざまな新知識を得たと書いてくれた。驚いたのは、男子学生のレポートである。1割足らずの学生が、母親がどんな思いで自分を産んでくれたか、はじめてしみじみ考えたと書いた。残りの学生はどうだったか。似たようなビデオを高校の保健の時間に見た。とくに新しいこともなく、あんなことならもうすでに知っている。9割がそう書いたのである。それなら知っている。テロなら「知っている」。アフガンが爆撃されたことは「知っている」。男子は子どもを産むことはない。夫婦の思わぬ離間は結婚以前にすでに始まっているのである。厚生労働省の研究所の調査でわかっていることだが、日本の普通の家庭では、結婚後15年まで、夫から妻への愛情は横ばいだが、妻から夫への愛情はひたすら右肩下がりなのである。統計的な解析で、その理由までわかっている。「夫が子育てに協力しなかった」。それが理由である。右肩下がりで、最後は定年離婚に至る。その遠因は子育てにある。子育てへの協力とは、オムツを洗うことでも、炊事をすることでもない。産む性への理解である。それに対して、すでに結婚前の若者たちが、「そんなことはすでに知っている」という。9・11に関する論考が、いまひとつピンと来なかったのは、そういうことであろう。どうせ対岸の火事なのである。ニューヨークのある著名な編集者が、欧州では反テロ攻撃に反対する人が多いと聞いて、あの現場を見なかった人間に、攻撃反対を語る資格はないといった。そう書かれた論考を読んだ。人々の気持ちは、そこまで狭くなってしまったのである。フランクルならそうはいわなかったであろう。テロであれ、反テロであれ、人間のすることだ。人間には誠実な人と、不誠実な人がある。小さな声で、ただそうつぶやいたかもしれない。われわれはなにごとであれ、「すでに知っている」世界に住んでいる。なにも知ってやしないのである。テロの現場にいたところで、ほとんど五里霧中、すぐ身の回りのことですらよくわからないはずである。何十年一緒に住んで、女房の気持ちがどこまでわかるか。それがわかっているなら、自分が考えることが正しいと思いつめて、飛行機を乗っ取って、ビルに突っ込んだりしないはずである。どこかの国に爆弾を落とせば、そういう視野狭窄がなくなるか。逆にそういう種類の人が増えるばかりであろう。先のニューヨークの編集者は、自分がテロリストと似た感情を抱いていることに気づいていないのであろう。」

 名ばかりの「国益」と「共存」をテーマに考えると戦争と平和について何かを考えるきっかになるのではないでしょうか。また、原理主義という恐ろしい呪縛の中でお互いの歩み寄りの姿勢がなければいつまでも争いは絶えず、欲望ばかりを満たそうとする貧しい心の中をいつまでも、いつまでも彷徨って行くのではないでしょうか。   


永遠の友だち


 大学を卒業してからの数年間、教員採用試験を受けながら、三軒茶屋の飲食店で働いていました。当時の常連客に白人の男性がいて、ある日、その男性と話ができる時間があり、ぎこちない英語で彼に職業を聞きました。彼はアメリカの化粧品の営業で日本に来ているとのこと。そして、彼からこんな提案をされました。「僕の事務所は僕だけの時間もあるので、ぜひ遊びに来てください、そして、私はあなたに英語を、あなたは私に日本語を教えてください。」と。それからは、常連でもあったため、平日は毎日顔を合わせ、時々彼の事務所に行って英会話を教えていただき、一緒に浅草に出かけたり、新宿で一晩中飲み明かしたりして楽しいお付き合いをさせていただきました。彼のアパートに泊めていただいたこともあり、彼の机の上にはきれいな日本の女性の写真が飾られていました。彼に誰かと尋ねると「私の好きな人・・・、私は好き、彼女は、多分そうでないかも・・・。」私はつかさず、「それは、片思いって言いますよ・・・。」と言った感じで話しました。私はハンディーサイズの英和、和英の辞書をいつも持っていました。彼は私が知るアメリカ人では一番シャイでした。それなのに、金髪の白人で身長は190センチもあり、大男でした。それがシャイなもんですから、そのギャップにみんなが驚くぐらいでした。
 翌年の年末年始に岡山県津山市にある私の実家に一緒に来ないかと誘うと、「それは、楽しみだ。」と行くことになりました。古い昔の家にアメリカ人が来て5日間も過ごすのは大変だろうと思いました。すきま風が吹く2階は、部屋にいても吐く息が白くなり、寒くて目が覚めるような家。トイレは和式で汲み取り式。カルチャーショックは予想の範疇でした。東京駅で待ち合わせて、新幹線に乗りました。彼は果物の盛り合わせをお土産に持って一緒に自由席に。ローカル線に乗り継ぎ7時間程かけて実家に。家に着いて驚いたのは、和式トイレに様式便座がのっていたことです。父曰く「アメリカの人はうちの便所はよう使わんでなあ。」とのこと。早々にホームセンタで買ってきて準備してくれていたのです。元日は、私が運転をして、父、義兄と4人で湯原温泉の露天風呂に行きました。実家からは、高速道路を使えば、40分ほどで行かれるところ、一升瓶を温泉につけて回し飲みをしている大勢の人たちに混じって彼も入りました。地元のおじいさんが「わしゃあ、生まれて初めて、ナマの外人さんを見るんじゃあ、握手してくれんかのう。」と近寄ってきたりして、温泉で大人気でした。温泉脇にある酒場で父と義兄と彼はおでんをつまみに日本酒を飲み、運転手の私はコーラを飲んでいました。彼は日本の中でも、極度の田舎を見て楽しそうで、興味津々なようでした。その年は高校のクラスの同窓会もあり、お店をハシゴして、明け方までみんなが代わる代わる彼を囲み、アメリカの話を聞いては盛り上がり、ここでも彼は大人気でした。最後の日の朝、両親は彼にお土産を持たせ、彼からはお礼にと、それぞれにマフラーが贈られました。「あなたのお父さん、お母さんが大好きです。」と言っていました。東京に戻ってからも、相変わらず仲良くお付き合いをしていました。
 翌年の春、私は東京での生活を終え、田舎に帰ることになり、彼にも事情を伝えると、最後にお別れ会をしたいと、企画し、一回目はアメリカ人だけのお別れ会で彼の親友を下北沢に集めてくださり、日本人の大切な友だちとして私を紹介してくれました。2回目は、彼の親友の日本人ばかりを集めてでした。はるばる京都から来た人もいました。ここでも大切な友だちとして皆に紹介してくれました。その中に、彼の部屋で見た写真の女性もいました。ひときは目立つ美しい人だったので、すぐに気がつきました。やはり、彼の片思いなのかなと思いました。
 田舎に帰ってからは、彼から餞別でいただいた鞄を持って通勤していました。その鞄のエピソードを話すと、わざわざ職員室まで見に来る生徒もいました。
 学校での勤務の期限が来て私は再び上京しました。そして、彼の結婚パーティーに招かれました。相手は、あの写真の人ではない日本人でした。それから、数年後、カリフォルニアに住んでいると夫婦仲良く寄り添った写真の葉書が実家に届いていました。母から「アダムさんから葉書がきとるけん送るな。」とのこと。急いで返信するもそこからは音信不通に。それ以来、彼とは会っていません。しかし、もし、今、会えたなら、きっとこれまでの年月など関係なく、すぐに以前のように親しく接することでしょう。国境を越えてもこんな関係がいろんなところにあれば、国家間はよい関係でいられるはずです。彼を田舎に連れて行ったとき、姉から言われた言葉を私は今でも大切にしています。「もし、あんたがアメリカに行ったとき、あんたがしてほしいことを今、彼にやっているんじゃな。」と。地球で共存する我々がもっと、もっと相手を思いやる心を持ったとき、そしてそれによって人々の内面から変わっていくとき、本当の平和が築かれていくのだと思います。いつまでも、過去を引きずっていては、未来への融和にはたどりつけないでしょう。今こそ、悪しき因縁とでも言いますか、その因縁を切っていく時代にしていかれればと願っています。



風が吹けば桶屋が儲かる

 以前とは違った形でお金の新陳代謝が起きている時代です。肉体よりも頭を使うことにより、違った形でストレスも増えています。ストレスはやがて、ホルモンバランスを崩し、お酒を飲んだり、甘いものを食べ過ぎたりもします。カロリーオーバーで習慣にない運動をお金を払ってでもしなければとスポーツジムに通う時代です。カロリー消費の悪循環は公共の場でも顕著です。たとえば電車の中、やたら座ってスマートフォンをいじっている若者をよく見かけます。脳だけはスイッチがONで体はオフの状態。そして、周囲への配慮はなくなっていて、無関心だけが増大し、本来座るべき人々への配慮がなくなっています。今では、優先席でケータイをいじっている若者がとても多く、みんながやっているから平気だというモラルハザードな時代。法を犯さなければいいという浅はかな考えがそこら中に蔓延しています。年配の人たちにだってモラルハザードは起きています。信号も横断歩道もない道路を自己都合だけで横断する場面をよく見かけます。確かにおおまわりするには遠すぎるし、歩道橋を渡るには階段や坂が大変です。しかし、その習慣は、やがて夜道でも起こりうるわけです。その類の事故が何度も起きているのです。加害者が気をつけることは当然ですが、被害者の常識が向上するだけで、こういった悲しい出来事は減少するはずです。まして、事故に関わるさまざまな手続きが人を動かし、余計なものまでもが日常的になり、そこで使われる税金を考えてもよく分かります。夜間の活動が増えていることは、一見、たくさんの労働力を増やし、雇用を促進しているかのようにも思えます。人々の生活サイクルが多様化され、複雑化され、24時間いつでも好きなことができる時代のようにも思われます。しかし、人間が本来持っている動物的生きものとしての理(ことわり)を考えると崩壊していることが分かります。資本主義と競争原理の定義をそろそろ崩して、新しい時代を考えていく時代になってきているのではないでしょうか。「大地に触れ、人々と関わる」これが面倒臭くなっているという感覚が、機械を介し、無感情を生み、幻想の中に感動を求めていて、リアル(現実)という言葉がよく使われる時代ではありますが、どこかズレている感じがします。そして、いちばん恐ろしいのは、無感情になった人類が機械を介して人を殺す時代でもあるという恐ろしい現実があるということです。このような環境下でいくら感動を求めてもどこか虚しい私利私欲な世界観だけが浮き彫りになってきているように思えてなりません。
 テレビのBS放送や深夜番組で嗜好品や、ダイエットに関わるもの、健康器具、健康食品などの通販ばかりが目立っていて、どこかお金の使われ方が健全ではないように思えるのは私だけなのでしょうか。そして、その隙間に入り込んでいる二次元のアニメ番組は、昼夜逆転の若者を増やしています。多様な生き方を簡単に受け入れる環境は、人間本来の正常であるべきものを失わさせ、やがて心の病へ向かわせていくのです。早寝早起きの人に心身ともに健全な人が多いのは分かりやすい答えのように思うのですが・・・。


健康と予防


 乾いた心に潤いを!

「学生諸君に向けて、新しい進路へのヒントないしアドバイスを書けという編集部からの依頼であるが、実はとりたてて何もないのである。しばらく生きてみればわかるが、個々人の人生はそれぞれ特殊であり、他人のヒントやアドバイスは何の役にも立たない。とくにこういうところに書き連ねている人生の諸先輩の「きれいごと」は、おみくじほどの役にも立たない。
 振り返ってみるに、小学校の卒業式以来、厭というほど「はなむけの言葉」を聞いてきたが、すべて忘れてしまった。いましみじみ思うのは、そのすべてが自分にとって何の価値もなかったということ。なぜか? 言葉を発する者が無難で定型的な(たぶん当人も信じていない)言葉を羅列しているだけだからである。そういう言葉は聞く者の身体に突き刺さってこない。だとすると、せめていくぶんでも本当のことを書かねばならないわけであるが、私は人生の先輩としてのアドバイスは何ももち合わせておらず、ただ私のようになってもらいたくないだけであるから、こんなことはみんなよくわかっているので、あえて言うまでもない。これで終わりにしてもいいのだけれど、すべての若い人々に一つだけ(アドバイスではなくて)心からの「お願い」。どんな愚かな人生でも、乏しい人生でも、醜い人生でもいい。死なないでもらいたい。生きてもらいたい。」

        哲学博士の中島義道さんが電気通信大学の卒業生に贈ったはなむけの言葉より



お薦めの“1冊”


「移民の宴」~日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活~



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 著 者 高野秀行
 出版社 講談社
 価 格 1600円(税別)

 日本に住んでいる外国の人たちの食生活を中心に紹介しているこの本では、故郷を大切に思っている人たちが多く、どこかノスタルジックな思いが伝わってきます。また、コミュニティを作っているケースが多く、タイの寺院や、モスクがあったりと、彼らなりの信仰への価値観を持っています。国はそれぞれに違いますが、共通して、畏れるものがあり、先祖への深い信仰のようなものも感じます。そして、一時的にとまどいながらも、それぞれの事情を抱えながらも、独特の世界観を持ちながら日本に溶け込み、たくましく生きています。
 東日本大震災で被災した外国の人たちについても触れているページがあり、異国の地での大変さも伝わってきます。
 国内でありながら、異国情緒を感じることのできる地域が紹介されていて大変興味深い1冊です。



編 集 後 記


 最近、「グラン・トリノ」という映画をBS放送で観ました。グラン・トリノとは1970年頃に生産されたフォードトリノという自動車のことで、クリントイーストウッドが演じる主人公の宝物です。自動車工を50年勤めあげたポーランド系米国人の彼は妻を亡くし、愛車グラン・トリノのみを誇りに、日本車が台頭し、東洋人の町となったデトロイトで隠居暮らしを続けていました。頑固さゆえに息子たちにも嫌われ、限られた友人と悪態をつき合うだけで、亡き妻の頼った神父をも近づけようとしなかったのです。彼を意固地にしたのは朝鮮戦争での自己の罪の記憶であり、その影響で誰ともうち解けなかったのですが、隣人のアジア系モン族の少年とその家族との交流を通して、心が癒されていき、最後には、神父とうち解け、心の拠りどころとなったモン族一家の悪しき因縁を断ち切るために悪と戦い死んでいきます。遺言によりモン族の少年がいただいたグラン・トリノを運転しているところで映画は終わります。何とも言えない後味に、共感している自分は男なんだとつくづく思いました。そして、偏屈で頑固なところがよく似ていると自分を振り返っていました。どこか懐かしい昔の男性を描いたこの映画で、イーストウッドは俳優の仕事を終えました。この映画からも、戦争が狂わせた人々の人生について考えさせられます。先月、終了したNHKの連ドラ「花子とアン」でもそれがよく分かります。今回の連ドラの「マッサン」のモデル、ニッカウヰスキーの創立者、竹鶴政孝さんは伴侶であるリタ夫人に65歳で先立たれ、その後、身の回りをお世話する女性と巡り逢います。夫を戦争で亡くし、後家さんになっていたその女性が、私の奥さんのお祖母様でした。こんな秘話は、私がここで明かさない限り、誰も知りえません。妻の両親の結婚式、花嫁と一緒にバージンロードを歩いている竹鶴さんの写真が妻の実家には残っています。数年前に、そのお祖母様は亡くなられました。長男の挨拶で「母が亡くなり、やっと終戦を迎えました。」という言葉に戦争を引きずっていた重いものを感じました。今もまだ、本当の終戦を迎えていない人々がまだまだいらっしゃることでしょう。
                                (S・I)(http//ikenosai.exblog.jp)




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by ikenosai | 2014-10-19 21:43 | 文化だより | Comments(0)

“こころの教育”とは?~鳥山敏子先生の生涯に学ぶ~

文化高等学院通信(平成18年2月創刊・研究誌) 
第24号 (平成26年  6月 1日)
                  
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
                  
  特定非営利活動法人 文化高等学院


 昨年、10月7日に多摩地域の公立小学校の先生で後に“東京賢治の学校”を設立された鳥山敏子さんが72才で亡くなられました。公立学校で過ごす子どもたちはそれで十分な環境かもしれませんが、子どもたちの中には、心の内に潜んだ色々な問題があったりもします。その心の内と現代の教育の問題にスポットを当て取り組まれた方でした。
 子どもの姿は氷山のようなものです。表出する部分はわずかです。ほとんどは海水の中に隠れているのです。生まれた環境、先祖代々からの遺伝的なもの、因縁、そして、育っていく環境、その積み重ねによる生育歴。そのほとんどは、氷山に例えると、海水の中に隠れている部分のようです。子どもたちが表出させる問題行動には、その子だけの問題ではないことが多く、よくよく見るとお母さんの生育歴や今の問題を映し出していることもあります。つまり、親の問題が生まれてきた子どもたちによって表出されることもあるのです。そして、解消できないまま、子どもたちは大人になって、さらに次の世代を育てていくのです。子育ての連鎖は、こうして繰り返させられているようです。どうしたらリセットできるのか、どうしたら改善されるのか、そこを意識して教育を考え、取り組まれた鳥山先生の生涯から私たちは何かヒントをいただけると思います。今号では鳥山先生の著書である「賢治の学校」~宇宙のこころを感じて生きる~より抜粋させていただき、宮沢賢治の清らかで聡明な心に触れ、教育と子育ての修正と取り組み方について一緒に考えていきましょう。

 鳥山敏子著 「賢治の学校」~宇宙のこころを感じて生きる~より宮沢賢治の美しい心にふれているところと鳥山先生が一番伝えたかった箇所を抜粋しました。


 10月になって、お天気のいい日だったんですよ。先生から、ちょっと近くの川に行こうじゃないかといわれて、北上川からちょっと分かれたところにあるんですが、そこに案内したわけですよ。

 「舟漕げるか?」って先生がいうんで、「私、このへんだったら漕げますよ」といったら、「じゃ、その舟で行こう」と、こういうわけですね。

 だれが所有する舟なのかわからない。照井さんは、他人の舟を無断で借用するのは悪いと思い、だれが見ているでもないのに「舟っこ借りやす」と断りを入れ、ともづなを解いて漕ぎ出した。

 まあ、ちょうど静かな水面にねえ、日が照ってるでしょ。そうして先生も、とっても気持ちよかったんでしょう。川の真ん中あたりに行ったときにね、どこにしまってあったんだか、リンゴを出して水のなかに入れたんだね。そうしたところがねえ、トポンとリンゴが落ちるでしょう。日が照るでしょう。水のなかに入ったときのリンゴの輝きがね、ちょうどプリズムで見るように、色が分かれる感じでね。
それを何回も繰り返すんですよ。上げたり下げたり。上げて・・、「はあっ、きれいだ!」という、その声がね、全部同じ声じゃないんだ、喜び方がね。

 言葉にあらわせないですよ、あの喜ぶ姿というのは。本当に、童心というか、天真爛漫といいますかね。ただただその世界に溶けこんでいるもんだから、こっちのほうで、竿もって私がみているなんてこと、あたりに人なんかいるってこと、全然関係ないんだもん。もう、自然と自分が合致しちゃった姿なんだから。

 舟を岸につけると先生は、舟から下りるやいなや、服を脱いでね、川に入りましたねえ。それから深いところまで行って、フフーッといってすぐ上がってきて、とっても気持ちよかったと喜んでいらしたですね。そういったような突拍子もないことやるんですねえ、先生は。
(宮沢賢治の教え子たちの話より)

 賢治の学校 
~宇宙のこころを感じて生きる~

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 著 者 鳥山敏子
 出版社 サンマーク出版
 価 格 1500円(税別)

 私には、20年以上も前から新しい学校をつくらなければ、という思いがあった。そのためのスタッフづくりと土地探しもさんざんやってきた。既存の学校というものが、過剰なカリキュラムで埋めつくされ、子どもを比較し、評価し、あまりにもよけいなことをやりすぎる。子どものもっている天の才は、それでは発揮できない。不必要な、しかも、過剰なカリキュラムにかき回され、本来からだがもっているはずの天の才を子どもたちが察知できなくなっている。こんなことでは、南方熊楠や宮沢賢治のような人物はこの国にはもうあらわれないだろう。音楽家も芸術家も生まれない。だから、なんとかそういうよけいなことをしない、子どものからだが必要なことだけを保証する学校をつくりたいということで、20年以上も前から私はそれに取り組んできたのである。

 そのころ、やはりさまざまな学校づくりの運動をしている人々がいて、私はそれを見ていたのだが、そこには欠けているものを感じていた。ひとつはからだの視点からのカリキュラムと、もうひとつは親と子どもの関係を視野に入れての取り組みである。

 親は、それこそ子どもがおなかのなかにいるときから、わが子のからだやこころに大きく深く関与している。その影響のものすごく大きいことに親自身が気づいていない。子どもたちはこれまで、自分たちのやり場のなさを、どれほどさまざまなメッセージに託して親に訴えつづけてきたことか。それに気づかない親は、子どものからだの行きづまりや、反抗するか自閉することでしか表現できない子どものやり場のない不安や怒りの原因を、すべて学校や社会のせいにしてきた。

 子どもは、親のからだやこころを自分に映して生きている。したがって、親が自分のなかに無意識のうちにもっている問題を解決し、親自身が変わっていかないかぎり、子どもは変わらないし悩みや苦しみから自分を解放することも、天の才を発揮することもできない。子どもの才や能力を封じこめているのは、ほかならぬ親なのだ。もちろん、学校、社会、教師もいわずもがなだが。

 親がそれに気づかないのは、気づかなくなった親の「からだの歴史」があるからである。そこで私は、これまで何年もの間、親と子のためのワークショップを催しつづけてきた。親は「あなたの子育ては立派ね」と世間から評価されたい。そういうよけいなものをいっぱい背負いこみ、かなり無理をして生きている。親の「からだの歴史」をたどり、親自身が十分生きられなかった内なる子どもに向き合っていくワークをすると、みごとに親が変わり、子どもも元気になっていく。私はこういうワークショップを何年もつづけてくるなかで、それを何度も何度も経験してきた。

 「賢治の学校」はまず家庭から、と強調するゆえんはここにある。

 人は本来、みんなつながりあって生きている。深くつながりあっているほど、生き生きと輝いていられる。だが、日本という社会ほど、人々がお互いに「つながれないからだ」になっている社会があるだろうか。本当の意味での子どもにも、大人にも、親にもなれない社会。小さな子どものころから深く傷つき、天の才を発揮できず、多くは企業戦士になることでしか受け入れてもらえない社会。そういう社会をつくり上げてしまったのは国の政策でもあるが、それを支えたのは、家庭だろう。したがって、家族の本当のつながりの回復がすべてのもとになる。

 まず夫婦のつながりが回復されていかなければならない。「あなたが悪い」「おまえが悪い」というだけの夫婦であれば、子どもも人への不信感を募らせるだけで、常にだれかのせいにして生きていくような、ものごとの責任を自分に引きつけて考えられない人間になっていくしかないだろう。

 人と人との関係のなかで最も大事なことは、それぞれがそれぞれをかけがえのない存在であると認めあい、違いがあっても尊敬しあえる関係、お互いの違いが楽しめる関係を確立していくことだ。多くの夫婦がそれを自覚し、確立していくことを考えていない。相手を「自分のものだ」とすぐ所有しようとする。

 また、夫婦が尊敬しあい、お互いの能力を、天の才を伸ばそうとするのを支えあうような関係が双方から成り立つとき、その子どものからだのなかに、人や自然のこころにつながっていきたいという思いが芽生えてくる。だが、そういう夫婦がいまは見当たらない。「何回いったらわかるんだ」「わからないんだったら、もういい」といったような捨て台詞をいうだけで、自分のほうから歩み寄っていって語りあおうとする姿勢が夫婦の双方にない。いや、もともとそういう関係がない夫婦がほとんどだったのだ。いま、やっと食べるものにも困らない社会になったからこそ、本当の内面の成熟を問う余裕が生まれてきたといえるだろう。相手を尊敬しあえない夫婦の間で生きてきた子どもたちを学校が引き受け、親の肉体的、精神的虐待を受け、閉じこめられてしまった能力を伸ばそうとしても、それは不可能に近い。だからまず家庭を「賢治の学校」にすることが必要なのである。

 そもそも公立学校というものは、かつて一度も子どもたちのためにつくられたことはなかった。国の必要でつくられてきたという事実に対する認識があまりにもなさすぎる。それが今日のような、子どもたちにとって不幸な混乱を引き起こしているのである。学校がどういう機関としているのかも認識せず、学校に「預けて」いることが、どんなに無謀なことか。

 夫婦が、自分のなかの修羅を見すえ、自分に正直に生き、お互いの違う部分を容認しあい、世間の評価から自由になっていくとき、子どももまたそういうからだに変わっていける。そこから家族のつながりが回復する。これが「賢治の学校」だ。

 親は望むと望まざるとにかかわらず、家庭が子どものこころとからだに一生の影響を与える「学校」になっていることをもっとしっかり自覚すべきである。

 こうして足元の現実から逃げずに、それをしっかりと見すえ、夫婦のつながり、家族のつながりを具体的な行為として回復し、そこから学校や社会そのものをつくりかえていくだけの力を親はつけていかなければならない。それを放棄し、だれかに理想的な学校をつくってもらおうと願っても、現実は一歩も前へ進まない。

 行政や社会が悪いという以前に、まず自分の責任において行動することが重要なのである。人まかせ、学校まかせ、行政まかせにしてきた結果が、人が生きていくうえで何が最も大事なのかを学べない、「つながれないからだ」をもった子どもたち、親たちをつくってきた。そのことに大人たちは気づいていかなければならない。

 先にもふれたように窮屈になってきた要因のひとつは、学校で何か事故が起こると何千万という多額の賠償をしなければならないところに学校が置かれてしまっているからだ。教師は事故防止、子どもへの管理をいっそう厳しくせざるをえず、そのため学校そのものがますます閉ざされた場所になっていく、教師の頭から「事故」の二文字が抜けなくなってしまったのである。

 たとえば、生徒が「おなかが痛い」と訴えてくる。以前なら、教師はその生徒のおなかに手を当てたりして、しばらく様子を見ていたのだが、いますぐ保健室へ連れていく。万が一「事故」に発展した場合、事故報告書を見て「なんで保健室へ連れていかなかったのか」「なぜ病院へ連れていかなかったのか」と追及されるからだ。だから「おなかが痛い」といえばすぐ保健室。ちょっとけがをしてもすぐ保健室ということになる。そのことで、子どものもつ自然治癒力が衰えていく。あるいは「おなかが痛い」ということで甘えたいのかもしれない子どものこころの部分に、教師が関われなくなっている。そういう本質的なものからますます離れたところに学校ができてしまったのである。

 事故が起きれば、親たちは学校の責任を追及する。それに対して学校のほうも過剰なほど自己防衛意識が強くなる。裁判沙汰になったときに役立たせるための記録を常にとっておくよう、教師たちを口うるさく指導する。教師はそのためますます忙しくなり、本来の教育というものからほど遠いところへ追いつめられていかざるをえない。そしてそのすべてにお金がからんでいるのである。

 教師も親も、都合の悪いことは常に他者の責任にしていく。だからちっともおおもとの改革には目が向かない。文部省(現在の文部科学省)の行政全体、学習指導要領全体を見直すとか、現在の受験体制を見直すという方向には目が向かず、文部省という権力のいちばんの末端にいる校長や教師だけを責める。その末端の、本来ならば手をつながなければならない親と教師の衝突によって抜本の変革をまぬかれているのだ。

 だから、なかなか「学校は子どものためにあるのだ」というもともとの原点に立ち戻ることができない。子どものためにあるはずの学校は、日本経済を支える企業のための戦士を養成する機関として利用されているだけである。
 その改革をめざしていたはずの教員組合も分裂してしまった。組合も文部省も子どものために何が大事かという本質的な教育から、遠いところに行ってしまった。
 「賢治の学校」は、やはりどうしても必要なのだ。
(鳥山先生の学校づくりへの思いが伝わる箇所より)


 健康と予防

 夏の“冷え”対策

 文明の利器に依存していくと人間本来の体内の機能は退化していくようです。例えば冷暖房が整いすぎた環境では、汗をかくことを体は忘れていきます。生まれたばかりの赤ちゃんがずっと汗をかかないで育っていくと汗腺が機能しなくなり、汗をかくことが困難になってしまいます。そうすると、夏の炎天下で汗によって体を冷やすという機能が失われ、どんどん体温が上昇し、熱中症になったりすることもあります。寒い冬に暖房の効きすぎた部屋では喉が渇き、冷たいものがとても美味しく感じます。1年中売られている南国産の果物や野菜を真冬に食べてしまえば冷え性になっても暖房によって冷えを感じなくなってしまい、やがて知らず知らずに“冷えのぼせ”という大病へと発展していきます。食生活の中でも、塩分控えめ、なんて真夏に言っていてはいけません。体の水分バランスを整えているのは塩分とカリウムなのです。夏の食事は塩分の微妙な調節が必要です。


 断片で見た韓国

 20年位前、韓国からの研修生受け入れで、一つ年上の青年が、私の部屋に泊まり、休日は一緒に出かけ、朝まで飲み明かしたりし、楽しい2週間を過ごしました。しかし、私が韓国を訪れるとき彼は既に退職していたのです。1回目の訪問は、1号店オープンでアックジョンという街へ、2回目は2号店オープンでミョンドンへ。途中で通訳までも辞めてしまいました。不安とともに、月を眺めながら、阿倍仲麻呂の句を口ずさんでいました。必要が迫れば不思議なもので、ハングル文字が読め、最低限の会話もできるようになりました。国民性の違いにはかなりショックを受けました。韓国の社長が従業員を信用していないのか、頻繁に店のレジのお金を回収し、入力した額と現金が合わず、丼勘定でした。店員も、客がいないと、外でたばこを吸ってサボっていました。友人には無償で提供するなど、双方に問題がありました。私の常識が通用しなかったのです。例えば、電車は乗り降りが同時。ハンバーガーショップでは、客が横はいりして、一向に買えませんでした。この国はまだまだ成熟するには時間が掛かると感じました。そんな中にあっても真面目な好青年もいました。彼と一緒に店から店に移動することがあり、途中、彼の提案で束の間の観光ができました。何も知らず博物館へ、見終わって、ここが朝鮮総督府だと知らされました。彼は「どうしても、ここを見て欲しかった」と話したのです。数年後、その建物が取り壊される報道があり、詳しく知り、彼の思いが伝わってきたのです。彼はさりげなく日韓の歴史の一部を私に伝えたかったようです。一面だけの判断ではなく、長い歴史認識、どう取り組むべきかなど、深い理解とともに、考えていく必要があるように思いました。


 “和顔愛語”

 今年の卒業式でお話しさせていただいた今東光さんの「失望するなかれ」の後半に、天台宗座主の半田先生の書が本校であるさくら国際高等学校(上田市)の校長室に飾られていることを紹介しました。
 6年ほど前のことになりますが、不登校のまま、夏の合宿に行かれなかった女子生徒を連れて上田市の本校まで行ったことがあります。昼夜逆転している生活を続けていた彼女は、眠そうで、とても無愛想でした。私の車の後部座席に座り、ずっと眠っていました。その日は上田市の別所温泉近辺の観光も兼ねてのスクーリングでしたが、不穏な表情に私は何もできませんでした。ただただ本校へという気持ちだけでした。副校長に校長室へ案内され、私の目に入ってきた半田先生の書に私は思わず、反省したのです。この言葉をそれ以来、座右の銘にしています。
 翌年、彼女は卒業しました。それから数年後、デパートへ買い物に行ったときのことです。1階のアクセサリー売り場の可愛い店員さんが私に笑顔で手を振るのです。よく見ると彼女でした。嬉しそうに「先生、元気?」と声を掛けてくれたのです。仕事をし、しかも笑顔で接客をしている彼女を見て「ああ良かった」と幸せな気持ちになって帰ってきました。教育の積み重ねの先にはこんなご褒美があるのだと嬉しくなってきました。あの半田先生の書には「和顔愛語」と書かれていました。この実践には、神様の愛、仏様の慈悲を感じる一瞬があるのだと思いました。笑顔とやさしい言葉掛け、いつもそうありたいですね。


 編 集 後 記

 もうすぐ、サッカーワールドカップが始まります。以前にもまして、日本の実力はアップしていて、さらに、国民からの期待は大きいことでしょう。
 今回、日本代表に選ばれた青山敏弘選手(14番)を私は応援しています。目標のないまま高校生活を送っていた私にとってサッカー部の存在はとても大きかったと振り返ります。いつの日か、彼らに追いつけ、追い越せという目標によって私は大きく成長したことに感謝しています。そんな感謝の気持ちで高校サッカーの全国大会の応援にも行っています。
 10数年前、母校である作陽高校は1回戦から名門、帝京高校とあたり、あとがないと思い応援に出掛けました。ところが、1年生の先制ゴールでそのまま勝ち、その年はベスト8でした。強烈な印象を残したその1年生が青山敏弘選手でした。しかし、翌年の地区予選決勝、延長戦で入れたゴールが誤審により幻となり、決着がつかず、最後はPK戦で敗れました。その時の幻のゴールを入れたのも彼でした。卒業後はサンフレッチェ広島に入団。ケガに泣かされ日本代表のチャンスを何度か逃しています。今回の日本代表入りは最後のチャンス、陰ながら彼の活躍を祈らずにはいられない思いです。
 日本代表選手を取り上げた雑誌が書店のスポーツ雑誌のコーナーには平積みされています。立ち読みし、青山選手のページを見ていると、好きな言葉に「継続は力なり」と書いてありました。母校である作陽高校の石碑に記されている言葉です。正確には「念願は人格を決定す、継続は力なり」です。
日本代表に選ばれた選手たちは、日々の鍛練、そして、その積み重ねの結果だと思います。彼らは努力する天才だと思います。ローマは1日にしてならず、日本代表選手も同様です。それぞれの選手のこれまでのプロセスにも感動の秘話があるようです。そこも含めて、「頑張れニッポン!」といきたいですね。
(S・I)(http//ikenosai.exblog.jp)
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by ikenosai | 2014-06-09 22:54 | 文化だより | Comments(0)

“民主主義”の中の“自己責任”

文化高等学院通信(研究誌) 第23号
  (平成26年  2月 1日)
                  
  〒207-0012
  東京都東大和市新堀1-1435-20
                  
  特定非営利活動法人 文化高等学院


“民主主義”の中の“自己責任”

生きていくためになすべきこと!

“やさしさ”は
   標準装備されている


 人は本来間違っていることや楽しそうでないことなど、不幸な人生に対して回避する力を持っているものだと思います。嫌なことは嫌、間違っていることは間違っていると言える感覚はあったはずだと思います。しかし、国家レベルでの大きな安心や安定のようなものを信用したり、依存したりして心までも操られていくこともあるようです。特にみんながそうだからという大衆の流れに惑わされやすいものです。そんな中、ふと子どもの頃はどうだったのかと思うことがあります。小学生の頃夢中になって観ていた「フランダースの犬」というベルギーを舞台にしたアニメーションがありました。おじいさんと少年のお話です。貧しい生活の中にあってもささやかな愛情が注がれていて心やさしく育っていくネロ少年。そして彼を取り巻く人々の心温まる情景に感動し、人としての正しい生き方を子ども心にも強く感じていたのを憶えています。

 そんないい物語もやがて月日が経ち、やさしいおじいさんが亡くなります。周囲の人たちのやさしい関わりも一変し、強い立場の者たちの感情に左右される中でどんどんネロ少年は不幸な状況になっていきます。愛犬パトラッシュと共に過ごす貧しく苦しい生活の様子を観ていた視聴者の子どもたちから「ネロを殺さないで!」という内容の投書がテレビ局に殺到したそうです。人は子どもの頃にはやさしさや思いやる心、和を築くような、人の幸せを願うような心があったのではと思います。しかし、そういった感性も環境や年齢と共に妥協とでも言いますか、マイナスの意味での遠慮のようなものが働いて良いものまでも抑制してしまうのではないでしょうか。社会資源に焦点をあててみると、ネロ少年にはいくつかのキーパーソンが存在していたはずです。まず一番仲良しの少女アロア、彼女の両親、そこで働いている男、隣に住むおばさん、牛乳の配達先の街アントワープにいる友だち。しかし、強い立場の者の振る舞いで彼の生活はどんどん苦しい状況になっていくのです。誰かが手を差し伸べなければならない非常事態にも周囲の大人たちは鈍感でした。

 ネロ少年と愛犬パトラッシュにとっての最期の日の出来事がその物語の中では強烈に記憶に残っています。アロアの父が大金を落とし「我が家はもう破産だ」とあきらめている場面と頼みの綱だった絵のコンクールで落選するネロ少年。どちらも死をも覚悟するほどの深刻な場面。失望のネロ少年と愛犬パトラッシュが辿る帰路の雪道。たくさんの金貨の入った袋を拾うのです。彼はその金貨がアロアの父のものだと分かり届けに行きます。後になって戻ってきたアロアの父に母が「ネロはこの中の1枚の金貨があれば助かったのに」とつぶやきます。今の世の中はどうでしょうか?弱い立場の人たちをも含めた民主主義はどうでしょうか。もしアンバランスな状況であるとしたらそれは今の政治の“膿”と言えるのではないでしょうか。ひとりひとりが意識した政治への参加が今の現状への歯止めとなることでしょう。国家とは何か?国家に望むものは何か?それは私たちひとりひとりが意識を持ってつくり上げていくもの、本来あるべき姿、未来を次世代に託すための理想のかたちを真剣に考え、その舵取りを責任を持って行うために組織された機関であって欲しいと思うのです。そして、そのために私たち自身も責任を果たさなければという答えに気づくことになるのではないでしょうか。


“幸福”
   について考える

「奇跡の中にある
     命に気付く」

 自分の目の前に子どもがいるという状況を当たり前だと思わないでほしいんです。自分が子どもを授かったこと、子どもが「ママ、大好き」と言ってまとわりついてくることは、奇跡と奇跡が重なり合ってそこに存在するのだと知ってほしいと思うんですね。そのことを知らせるために、私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。

 そのお母さんは、出産予定日の前日に胎動がないというので来院されました。急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは大変なことなんです。普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」と励ましますが、死産をするお母さんにはかける言葉がありません。赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、死産のときは本当に静かです。しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。明日にはお葬式をしないといけない。せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。私たちは「いいですよ」と言って、赤ちゃんにきれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、子どもを抱いていました。「大丈夫ですか」と声をかけると、「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。

 死産であっても、胎盤が外れた瞬間にホルモンの働きでお乳が出始めます。死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を飲ませて止めますが、すぐには止まりません。そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたらじわっとお乳が滲んできたので、それを飲ませようとしていたのです。飲ませてあげたかったのでしょうね。死産の子であっても、お母さんにとって子どもは宝物なんです。生きている子ならなおさらです。一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。母親学級でこういう話をすると、涙を流すお母さんがたくさんいます。でも、その涙は浄化の涙で、自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。

「到知」に連載された 特集「大人の幸福論」より抜粋。


「縁を生かす」

 その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

 二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」。先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れて来たのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、おかあさんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」

 十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になって僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」と一行、書き添えられていた。

「到知」に連載された「鈴木秀子先生に教わった話」より抜粋。



「38億歳 奇跡の生命」
~38億年の最終ランナー~

 宇宙はおよそ137億年前に極微の1点が大爆発をして始まったそうです。最初の生物から38億年。両親が子どもをつくる営みを始めてから9億年。ヒトは目覚ましい進化を遂げ、環境の変化にも適応してきました。約3千万種の多種多様な生物が地球上には存在しています。

 母胎の中の赤ちゃんは38億年の生物の進化に似たことを38週間で進行していくのです。それぞれの段階で魚や両生類になって、もの凄いスピードで遺伝子暗号のプログラム通りのドラマが展開されていくのです。そして、人間として誕生するのです。

 生物誕生から伝承してきた命のリレーで私たちは38億歳という最高年齢ということなのです。そして、ひとりひとりの遺伝子暗号は選ばれているのです。これは偶然ではないようです。私たちが選ばれて生まれてくる確率は、宝くじの1等に100万回連続で当たり続ける以上に凄いことなのです。両親の染色体の組み合わせにより生まれてくる可能性は70兆通りもあり、70兆分の1の存在が皆さんひとりひとりなのです。これは地球1万個分の人口よりも多いことになるのです。そして、おおよそ半々ずつの男女が見事に生まれてきています。男女の役割は違いますがそれぞれに大切な存在であるということでは価値は平等なのです。

 生命科学はもの凄い進歩を遂げましたが、世界中の科学者を集め、世界中のお金を使っても、細胞1つを元からつくることができないのです。それは生き物を動かしている本当の力とは何かということが未だに解っていないからなのです。

 ヒトの身体には宇宙の進化の歴史が凝縮されているのです。どんな人も全宇宙を背負って生きているということになるのです。命は自分だけのものではないのです。そういう意味で命は尊いのです。

 命を壊すのは簡単です。しかし、1度壊したら2度とつくれないのです。命を粗末にするということは、大自然がつくり上げてきた最高傑作を無駄にすることになるのです。

 今、生きる自信を失いかけている人に伝えたい。この世に生まれてきたことは途方もない奇跡的な出来事だったのです。自分の命も、他人の命も絶対に粗末にしてはいけないのです。私たちは自分の力で生きているように思いがちですが、自分の力だけで生きている人なんて地球上にひとりもいないのです。太陽・水・空気・動物・植物・地球・・・等々、他にも目に見えない大自然の偉大な力のお陰で生かされているのです。

 遺伝子レベルで見ると人はそれぞれ違うのです。それは誰もがかけがえのない人間として生まれてきたという意味なのです。他人と比較して生きるのではなく、自分の花を咲かせるために生きていくのです。
(筑波大名誉教授 村上和雄先生の話より編集)


健康と予防


 国家戦略と国民生活の
      “ジレンマ”

 人間は習慣として楽を得ると後戻りできなくなります。洗濯機をやめて手洗い、掃除機をやめて箒と塵取りと言ったように・・・。
 しかし、便利を商売にしている中にも、自社製品のパンを一切食べない社長がいたり、原発を推し進める政治家や東電の役員だって、いくら安全と言ってはみても原発の敷地内に住むことはしないでしょう。いや、そこまでの安心・安全はなく、覚悟もないでしょう。そういった面で“率先垂範”できるようなリーダーが存在しない国家戦略があまりにも多く、一つには国民を騙していることになるのです。誰のためなのか分かりにくい目先の評価に惑わされていて、子々孫々の生活などイメージする力はないでしょう。そう考えると今は100年単位の人体実験をしているのかもしれません。それでも信用できない安い外国製品を選択し、国産農業を衰退させている以上は安心・安全・健康を次世代に残す意識など見えにくいものなのでしょう。ハイチの悲劇に学んで欲しいものです。


尊き“産声”の瞬間

 子どものときから命の大切さについては、親からも先生たちからも伝えられてきました。なので命は大切なのだとは思っていました。しかし、これほどまでに、命の大切さを強烈なかたちで私に教えてくれたのは、息子が生まれてきたときでした。そのときの話をお伝えさせていただきます。

 いよいよ、出産の日がきました。陣痛が始まって、妻は陣痛の周期をはかり、助産院への入院の準備を始めました。着いてからも、まだ余裕があったようで、私は家に足りないものをとりに帰りました。
 再び助産院に着いたときは、外は暗くなり始めていました。「ご主人、代わっていただけますか?」といわれ、背後の脇から手を入れて彼女を抱え上げました。次第に息んでいく様子がはっきりと私の意識の中に入ってきました。力尽きながらも、私も耐えて、彼女を抱えています。

 2時間ほどたったのかな?助産師さんが言います。「頭が出てきたよ、ほら・・・」しかし、そこから、なかなか出てこられない様子でした。赤ちゃんは、頬に手をくっつけたままそこで止まっていました。しばらくして、そのままの姿勢で出てきたのです。肘まで出てきたら、あとはつるんと出てきました。「坊やよ・・・」助産師さんの言葉でおちんちんを確認して、赤ちゃんを抱きかかえて彼女に見せました。仰向けになって休む彼女をみんなでよく頑張ったねと褒めました。嬉しそうに、みんなの名前を呼びながら「ありがとう、ありがとう。」と彼女が答えました。しばらくして、後産の胎盤が出てきて、私は臍の緒を切らせてもらいました。そして、彼女のお腹の上にのっている赤ちゃんの写真を撮りました。娘もはしゃいで赤ちゃんを抱っこして写真を撮りました。「お姉ちゃんになったね・・・」と私が言うと、笑顔で「嬉しい・・・」と答えました。

 女性は凄いと思いました。これが女性の力なんだ、宇宙の力なんだと感動していました。そして、赤ちゃんは自分の力でこの日を選んで生まれてきたのだと思いました。このときの記憶は今も強烈に残っています。


お薦めの“1冊”

 国家とわれわれいま、抵抗のとき

著 者 : 徳永 俊明 

出版社 : 合同出版 

価 格 : ¥1,575 (税込)

 
 昨年末、大学の恩師、著者である徳永先生からこの本が送られてきました。この本を読んでいくことによって先生が何を思われ教壇に立たれていたのかを詳しく読みとることができました。私たちは今、子どもたちに何を残せるのかというヒントがこの1冊の中に書かれています。自らが社会をつくる一個人として生きていくことが大切であることを切に願い書かれた現代、そして次世代へのメッセージだと思います。政府に依存してきた私たちがそのしがらみから脱するきっかけになる1冊になるでしょう。


編 集 後 記

 資源にも財源にも限りがあり、平家物語の“おごれる人も久しからず”とはよく言ったものです。ドバイの繁栄も石油の枯渇とともに衰退していくのでしょう。財源がなければあの地域であんな生活は困難になるでしょう。
 それでは次の世代に残す滅びることのない資源とは何か・・・?と考えますと、それは魂とでも言いますか、やはり精神ではないでしょうか。

 子どものころテレビで観ていたフランダースの犬が劇場版になったのを観たのは大人になってからでした。ネロ少年が最期に観ていたルーベンスの絵の前でアロアが孤児院の子どもたちとともに祈りを捧げている場面でした。孤児院で仕事をしているアロアはシスターになっていたのです。一瞬にしてあの日のネロの死の悲しみとその後のアロアの生き方に感動せずにはいられなかったのです。ネロ少年に捧げた残りの人生に私はとめどなく涙が溢れ、それがオープニングの一番最初の場面からでした。子どもの頃に残してきた忘れ物を取り戻したような感覚でした。あの一瞬の重みは、人の一生の大切さ、重さを実に上手く伝えていました。

 長野県上田市にある戦没画学生の美術館「無言館」の絵の提供者の中には、戦争で失った恋人や好きだった従兄弟を思い、生涯独身を貫いている女性がいます。まず、その存在に私は大きな衝撃を受けました。あの戦争の負の一面を後世に伝える絵からも憲法改正への悲しい感情が読み取れるのではないでしょうか。そして、心に響くお話しは私たちの意識へも何か深い意味を持った種を蒔いてくださっているのでしょう。 (S・I)(http//ikenosai.exblog.jp)
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by ikenosai | 2014-02-28 10:53 | 文化だより | Comments(0)

“食”を考える 食べることは、体をつくり、心もつくる!  文化だより 第22号

“食”を考える 食べることは、体をつくり、心もつくる!



“歯”に由来する
     人間の食生活


 大人の歯は全部で32本あり、うち尖った犬歯が4本ありますから、32分の4、つまり8分の1の範囲内であれば動物性の食品を摂っても大丈夫だと考えられています。そして、穀物は8分の5、野菜においては8分の2となります。動物性の肉や牛乳などの乳製品その他、魚貝類なども含めて8分の1が歯の由来による理想的な食事バランスだと言われています。人間が安定した心を維持するためには、食事の安定供給が重要だと考えられます。農業だって収穫期に1年分の穀物が確保できることで精神的なゆとりが出てきます。その安定の1コマが毎回の食事なのです。しかし、現代の特に若い世代の食事は全く逆転しているようで、肉などの動物性のものが多く、主食のご飯が少しだと、次の食事までもたず、イライラしたり、興奮したり、心が乱れるものです。しかも、次の食事もままならなければ、不安定にもなっていきます。それに加えもっと恐いのが、ちょっとした空腹時に、砂糖の多い食品を摂ってしまうことなのです。カロリー計算だけの食事はあまり意味がありません。白砂糖の多い食品が今、子どもたちを蝕んでいます。


“四里四方に病なし”
旬のものには
 “生きる力”が宿っている!


 “地産地消”がなぜ大切なのか?ここには実は神の力とでも言いますか、ごくシンプルな理由があるのです。地場の植物というのはその土地を生きぬく力を持っています。例えば、寒い冬の野菜は、少しでも暖かな土の中や土のそばで生命をつなぐ工夫がなされています。つまり、寒さに対抗して温めようとする力を神から授かっている訳です。長い歴史の中で生きていける基本がインプットされている訳なのです。逆に、暑い夏の野菜は日に向かって葉をひろげ、暑さに耐えられる強さがあります。つまり、冷やそうとする力を授かっている訳です。つまり、旬のものにはその季節に合わせて体調を整える力が備わっているのです。夏の野菜は体温を下げる効果があり、冬の野菜は体温を上げる効果があるということなのです。しかし、これを逆にして食べてしまうと、冬にキュウリやトマトを食べると体を冷やしていく訳です。生産地別に考えてもそれは言えるのです。南洋の果物を真冬に食べたりするのも同様です。
 今、日本の畑は中国やアメリカなどの諸外国に依存している状況です。それでも政府は国際貿易のバランスを重視し海外からの農産物を輸入する政策をとらざるを得ない状況なのです。夏に温めるものを食べるのにはそんなに影響はないでしょう。しかし、冬に冷やすものを食べるのは大変恐ろしいことなのです。今、低体温の子どもたちが増えています。住環境と食の影響が主な原因です。低体温は色々な病気を引き起こします。逆を言えば、温かい体には病気は棲まないということなのです。炎症反応をみてもそうです。病原菌や癌細胞と戦える体は基本は温かい体であることが必須条件なのです。そして、夏など暑い季節でも基礎体温が温かいと外気との温度差が狭いため少々の暑さには耐えられるのです。暑い、暑いと言って耐えられない人は普段から冷たいものをがぶがぶ飲んで体をどんどん冷やしてしまっている低体温の人が多いのです。冬の暖房も少し工夫が必要です。半袖でいられるくらい温かい部屋にいたら、喉が渇き、冷たいものをどんどん摂ってしまいます。これも冷えの原因になります。冷えは内臓の機能も低下させます。下痢をしたり、便秘になったり、生殖器系の病気をも引き起こすのです。工夫としては、着込むことです。昔の人たちたちは重ね着をして対処していました。今でも温かい靴下やスパッツを履いたり、腹巻をしたりして季節ごとに工夫するのです。体が温かいと動きも快活になり、行動力にも影響していきます。爬虫類のように動けなくなって冬眠している子どもたちの引きこもりの原因にはこの住環境と食生活による低体温などの問題も潜在しているのです。


 酸性過多
   が引き起こすもの


 酸性の強い食べ物には、白砂糖・精白小麦・卵黄を使ったケーキなどのお菓子。刺身や焼き鳥に日本酒、焼肉にビール、その後のラーメンやそばなど中和を考えない偏った食事は酸性体質になり、血液を汚します。痛風やリウマチの悪化はこういった偏食と過食が大きく影響しているようです。また、酸性体質はガン細胞が増殖していく上でとても好条件なようです。血を汚す環境には、すでに肝臓や腎臓への負担が大きくなっていて、その他の病気にも発展していきます。まず、腹八分目が大切なこと、これは低体温にならないための秘訣です。食べ方も、焼き魚にショウガ、すき焼きにコンニャク、干しぶどうの入ったパン、ご飯に梅干し、豚はショウガ焼きなどにし、動物性のものに野菜を付け合わせるなどして工夫したバリエーションを楽しみながら美味しくいただくことが大切なようです。粗食が中心になっていきますと、たまに外食していただく焼き肉や洋食などがとても有り難く嬉しいものです。家でも外でも、ご馳走ばかり食べていたら、内臓は休まる暇がありません。



※下の表は酸性・アルカリ性の食品の強いものから弱いものまでを一例として分けたものです。

酸性のもの~
(強) 砂糖・卵黄・マグロ
(中) 鶏肉・そば・豚肉・牛肉・白米
(弱) うどん・エビ・ビール・パン

アルカリ性のもの~
(強) 梅干し・ワカメ・蒟蒻
(中) 昆布・生姜・干しぶどう・椎茸・大豆
(弱) 小豆・小松菜・じゃがいも・キャベツ・大根


低体温の子ども達
    冷え性の大人達


 幼稚園や保育園などでは、体温が37度代中盤位から登園できないなんてことが多いようです。もともと子どもは体温が高いことが抵抗力につながっています。しかし、最近では、季節外れの果物や清涼飲料水、アイスクリームなど口当たりの良いものばかり食べていて、主食のご飯の量が減っています。基礎体力がつかない食生活で、しかも、低体温は病原菌に対して抵抗力がありません。そのため、病弱な体になって、少し食べ過ぎたときや、睡眠不足などで身 体が休まらないときに熱を出して寝込むことが多いようです。大人も同様の生活をしていけば、冷え性などの影響で、生理痛や腰痛を引き起こしてしまいます。冬の過ごし方、夏の過ごし方と工夫が必要になりますが、足下を冷やさないこと、冷たいものを摂りすぎないことは1年を通してとても大切なことのようです。また、喘息やアレルギー性の疾患には白砂糖を極力減らすだけでも改善することが整体などでも紹介されています。適度な運動や笑うこと、歌うことは血行を促進し、体を温めます。呼吸の浅い人には特にお薦めです。そして、深呼吸もしましょう。

調理できる力と工夫
  こそ生きる力となる


 ビワの葉やタンポポの根っこの効用はあまり知られていません。風邪などで喉が痛いときダイコンやショウガを下ろして飲んだり、また、お腹を下したときなどには、ニンジンをつぶしたスープが良いそうです。野菜が持つ自然の力を今では誰も教えてくれません。また、八百屋さんが旬の野菜の調理法をアドバイスしていた風景も、今のスーパーでは希薄なのかほとんど見ません。昔、天皇の料理番をされていた秋山徳蔵さんは、それぞれの食材の調理法や適切な保存法を本で紹介されています。その本には、鍋にお湯をはっただけの調理法やレンジで温めるだけの調理法はありません。生きるために命をつなぐ大切なことは本当は手間をかけて作るもののようです。5百円玉を持たせばお昼は何とかなるでしょう。しかし、命をつなぐ大切な意識はどんどん遠のいていっていることが何よりも心配です。


「まごは(わ)やさしい」

ま⇒まめ=豆類・豆腐・味噌・納豆:たんぱく質とマグネシウムが豊富
ご⇒ごま=ゴマ、ナッツ類:老化の原因となる活性酸素を防ぐ抗酸化栄養素
わ⇒わかめ=ワカメ、昆布などの海藻類:カルシウムなどのミネラルが豊富
や⇒やさい=野菜:ベータカロチンやビタミンCが豊富
さ⇒さかな=魚類:不飽和脂肪酸のオメガ3が豊富なたんぱく質
しい⇒椎茸=キノコ茸類:ビタミンDが豊富


健康と予防

 人類は
“粗食”に耐えて進化した


 杉の樹齢は長くて5百年程度ですが、栄養の少ない花崗岩の屋久島では寿命が長くなり樹齢2千年以上にもなる木があります。現代人の食事は栄養過多で、半分以上は医者のために食べているという専門家もいます。食事内容を3世代ほど前に戻すことや腹八分目は今後の課題になるでしょう。
 テニスで復活を遂げたクルム伊達公子さんは食事の改善で玄米食に切り替えたそうです。80才90才の元気な長老は粗食が長生きの秘訣になっているようです。 


食育は“自己管理”の源

 食べることでは、自分がどれだけ食べればよいのか、あるいは食べられるのかという自分を管理できる力も重要です。レストラン等でのバイキングで食べ残しの皿が多いのも、食育の問題として考えていく必要があるようです。戦国時代の小田原城主北条氏康が息子氏政がご飯に汁を注ぎ足しているのを見て、自分の食べる量も解らないようでは、人の気持ちなど解るはずがないと失望したそうです。案の定、息子は秀吉に滅ぼされ切腹します。名家である北条家には存続の話もあったはずです。しかし、何度会議を開いても北条家は何の決断もできないのです。これが世にいう“小田原評定”です。今でこそ平和ボケした世の中ですが、昔はご飯を食べることでさえ命に関わる重要なことだと名将たちは捉えていたようです。


“思春期”に寄り添う

 世界で一番大きな砂時計が島根県の仁摩サンドミュージアムというところにあることをご存知ですか?世界一の砂時計は全部の砂が下に落ちるまでに1年かかるそうです。
 私がこの砂時計を知ったのは、マレーシアから帰国する飛行機の中で観た映画からでした。
 例年になく重い不登校だった生徒たちが多い年で、さらに、直前で何人かの生徒が旅行のキャンセルをした年でもありました。クアラルンプールからペナンに移ってから連日の雨に見舞われ、なんて運の悪い生徒たちなんだろうと可愛そうにさえ思うほどでした。風邪を引くなど体調を崩す生徒もいました。それでも、旅行中は何とか必死で私に着いてきてくれて、寄り添う姿勢を見せてくれていた生徒たちに大きな成長振りを感じ、入学当時からを振り返りながら、感慨深いものがありました。心の病に押し潰されてリストカットをしたり、両親の離婚で不安を抱えていたりとそれぞれに重い悩みを抱えながらもがんばって生きている。それだけでも褒めてあげたいとさえ思えたくらいでした。
 あと2時間もすれば成田に着陸というころ、私は映画を観始めました。「砂時計」という少女コミックの実写版映画でした。少女時代に母が離婚し、海で自殺をし、やがてその少女も大人になって海で自殺をしますが未遂に終わるのです。とても悲しい映画でした。しかし、その少女は最後には心の拠りどころとなる恋人に救われ生きる道をしっかりと踏み始めるようになるのです。その場面が、まさに同乗している年頃の生徒たちと重なって、涙が溢れて止まりませんでした。両サイドに生徒たちがいて涙を拭うこともできず、私は何度も乾くのを待ちながらずっとその姿勢で映画を観ていました。
 その映画の最後の場面が大晦日に砂が全部落ちた砂時計をひっくり返す場面で、あまりにも大きな砂時計なので大勢の人たちが砂時計に繫がれたひもを引っ張っている場面でした。1年間の重みを感じながら恋人同士が顔を見合わせながら引っ張っています。共に歩む1年、互いに寄り添い希望に満ちた光景に若者の可能性を強く感じた思い出の映画でした。


幸せを願うとはどういうことなのか

 若くして息子さんを亡くされた方がいました。筋ジストロフィーという難病のため23歳で亡くなったそうです。当時は医者のほとんどがこの病気を知らなかったそうです。病院を虱潰しに訪問し、やっと息子さんの病気の真相が明らかになった夜、眠る息子さんの前で夫婦ともに向き合い、一晩泣き明かしたそうです。経営していた会社を離れ、息子さんの病気とともに人生を歩むことになります。小学校の途中で歩行困難になり、毎晩、お父さんの介助で入浴をしていました。14歳のある日、お風呂の中で息子さんが「僕の病気は治るの・・・?」と尋ねます。お父さんは、覚悟はできていましたが、とうとうこの日がきてしまったかと複雑な気持ちだったそうです。それでも真実を話すしかないと決めていました。お父さんが「治らない。」と答えると、息子さんが「じゃあ何歳まで生きられるの・・・?」と尋ねます。お父さんは「20歳位だと言われている。」と答えたそうです。どうやら、息子さんは分かっていたようです。しかし、お父さんがどう答えてくれるのか、それを確かめるために質問をしたのです。僕には僅かな時間しかない。と息子さんは悟ったそうです。残されたわずかな人生そして今を息子さんはどう生きるべきか考えたのだと思います。翌日から猛勉強を始めたそうです。息子さんにとって悔いのない生き方とはおそらく、今を懸命に生きることだと思ったのでしょう。そして、両親は息子さんの幸せな生き方を願いながら最期まで寄り添ったのです。短命であるから不幸、長生きであるから幸せとは限らないのです。それは如何に自分らしく自己実現に向けて生きていくかが幸せに生きていくためには必要なのです。その生き方への知恵を授けることが教育の最大の目標だと言えるのです。幸せを願い、自己実現に向けての知恵を授けることなのです。それは知識優先型で偏差値の高い大学に身の丈も合っていないのに苦しんで勉強して進学することではないのです。しかし、それが苦しみでなければいいのですが・・・。その知識優先型偏差値教育の象徴である官僚ですら、汚職事件で裁かれたりして決して親が願ってはいない、自分でも願ってはいない自己実現とはほど遠い人生を歩む人もいるのです。話が極端かもしれませんが、誠実に生きるための知恵を授けることが本当は大切なのです。


人の一生“生きるに値する人生”

 宮崎駿さんがアニメ製作から退かれることを知り、とても残念に思われている方が多いことでしょう。宮崎さんは“生きるに値する人生”を伝えていくことをテーマにこれまで取り組まれてきたそうです。最後の作品となった「風立ちぬ」は彼自身がどうしても作りたかった作品だったように思います。まず、彼は堀辰雄文学をこよなく愛していたことが作品から感じ取れます。それは「風立ちぬ」だけでなくいくつかの作品の中から持ち寄ったことによってその相乗効果が現れています。その作品を彼流にアレンジし、堀文学にはなかった心地よい終わり方をしています。できればこういう終わり方をしたかったという彼の愛情のようなものがヒロインの菜穂子から汲み取れるのです。
 そして、平和主義でありながらなぜ零戦の話を題材にしたのか?という疑問が出てきます。1つには、時代に翻弄されながら生きた人たちの誠をこめた生き方を表現しているのだと思います。そして、結核で命を落とす最愛の妻とのひと時の新婚生活。あの時代のほとんどの人たちが戦争という大きな歴史の波で愛しい人との生活までも遮られてしまっていたこと。そんな切ない思いを結集させたのだとも思います。あの一瞬の幸福の日々にどの人も涙を流し、感動したのではないでしょうか。実は堀辰雄の小説はこんなストーリーではないようです。そこを何とも言えぬ美しい恋愛にまとめているのが宮崎さんのこの作品への思いだったのでしょう。あの菜穂子の生き方、主人公の二郎の生き方そのものが“生きるに値する人生”そのものだったのだと感動し、涙をぬぐいながら劇場をあとにしました。
 私たちはどうでしょう。夫婦、親子で互いに思い合える瞬間はあるのでしょうか。もし、あったら“生きるに値する人生”だと実感することができるのではないでしょうか。人は一人では生きていけない。もし、一人になっても誰かを思ったり、誰かとの思い出を大切にしているからこそ生きていけるのであって、会えなかったり、離れているときにその人を大切な存在として思うのではないでしょうか。つまりは距離感も大切であり、疎遠になりすぎたり、踏み込んで干渉し過ぎたりするのではなく適度な距離感が重要になると思います。相手の心にどう触れ、寄り添っていけるか、そんなバランスによっても心地よさは変わってくるのではないでしょうか。


お薦めの“1冊”

おしんの遺言

著 者 : 橋田 壽賀子 

出版社 : 小学館 

価 格 : ¥1,470 (税込)

“渡る世間は鬼ばかり”などで人気を博していることとは裏腹に、ネット上のネガティブな書き込みなどと賛否両論ある著者ですが、この一冊でほとんどの悪評が払拭されることでしょう。
 この一冊に込められた橋田さんの思いを読んでいくと涙が溢れ、こんな思いをこの本に託されているのだというけなげな気持ちがストレートに伝わってきます。
 「おしん」は最初は売り込んでも全く受け入れられず、鳴かず飛ばずの作品だったそうですが、あるきっかけから世界に轟く名作になったそうです。しかし、橋田さんは「おしん」がブームになっていたころの辛抱が美徳だなどとは全く思っていなかったそうです。実は「おしん」で書きたかったのは、『日本人はもうこれ以上、経済的に豊にならなくてもいいのでは?!』『そろそろ身の丈にあった幸せを考えてみてはどうですか?』ということを伝えたかったと後に話しています。

編 集 後 記

  ~病んでいる現代の膿~

 「半沢直樹」というドラマを一喜一憂して観ていた方は多いのではないでしょうか。流行語にもなった「倍返し」と「土下座」が如何に良くないのかを論じるにはスペースが足りませんが、倍返しはネガティブな執念を拡大するだけであって、土下座は感情の無いパフォーマンスにしか過ぎないというお粗末な結果しか産まないということのようです。勧善懲悪が好きな日本人にはぴったりの内容だったのでしょうが、最後に半沢直樹は銀行から出されてしまい、裁かれるはずの上司は降格をしたものの銀行に踏みとどまります。頭取の判断は的確だったと私は思わず頷いてしまいました。職場においても家庭においても大切なのは「和」だったのです。半沢直樹はかなり人格的に問題のある生育暦を辿っていて、父親の自殺と銀行への復讐を視聴者は自分のことのように捉え、主人公の視点に入り込んでいったようです。そこまで考えると人には協調する視点から離脱しやすい心癖のようなものがあるのだということがこのドラマから学び取れます。現代社会においてもその傾向が強いのではと感じる場面を最近の報道等でよく見ます。(S・I)
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by ikenosai | 2013-11-04 17:29 | 文化だより | Comments(1)

ナチスから“守ったもの”、“奪われたもの”フランクルに学ぶ 「心の自由」   文化だより 第21号

聖徳太子も1番目に掲げた
「和を以って貴しとなす」

 尖閣諸島に竹島の問題、今ごろになって先送りにしてきた日本の領土問題のツケが回ってきています。
 中国や韓国の大陸の人々は日本の人々とは異なる考えや文化を持っていることはあらかじめ理解しておく必要があるようです。
 今、日本の周囲で何が起こっているのか、日ごろのテレビや新聞を見ればよく分かります。何となく先送りにしてきたこと、優先順位を外れてしまって先送りにしてきたこと等々言い訳をすればいくらでも出てきます。国民性の大きな違いは今に始まったことではないようです。例えば、中国の福分についても考え方が日本人とは大きく違っています。ある人が歩いていて落し物をして、後ろを歩いている人が拾った場合。中国ではその所有権は後ろの人のものになるそうです。この考え方があちらでは常識だそうです。取り返すには何かそれに見合うものを渡さなければ拾ったほうも納得してくれないそうです。戦後の混乱期に焼け野原になった土地の所有権の意思表示のために目印を付けて自分の土地だと主張していたときも、境界線を広げたり、他人の土地にあたかも自分の土地とばかりに札を立て、所有権の主張をした人たちが今、竹島所有を主張する人たちと同じ先祖を持っているということなのです。島国で他の侵略にさほど心配のいらなかった日本では感覚的に理解しがたい国民性だと思われても仕方ありません。しかし、易々と相手の言いなりになっていたら、着ぐるみはがされて取れるだけ取っていかれるのは予想の範疇でしょう。戦後の補償問題にしても、また、開発途上においてODAで出資した支援費にしても、今の現状から見れば、感謝などされぬ国家間の関係は明らかなことでしょう。今後の政治次第でどう転ぶかがはっきりすることになるでしょう。しかし、性善説に基づけば、善きことを思い、善き行いで、和を以って・・・と行きたいものです。


権利と義務だけでは
    「和」は築けない

 やりたいこと(権利)、やらなければいけないこと(義務)、・・・だけを叩き込まれて社会に出ると、色々な問題に悩まされます。現に今の大人たちが悩んで心の病にまでなっている時代です。今ではそれも個性だと片付けてしまう無責任な時代だから人の心までも分からなくなっています。
 権利と義務を明確にしている法律や契約。とにかくそれを最低限守っていれば罪ではないと捉え、人を傷つけても、困らせても違法ではないと開き直るのです。銀行だってサラ金業を平気で営める時代です。法律万能主義はどこかで人を傷つけているのかもしれません。
 生前は世間に注目されなかった宮沢賢治のような生き方が出来ていたらどれだけ人々の心を癒していることでしょう。
 賢治は実家の質屋で泣く泣く質草を持ってくる貧しい人を見るのが辛かったそうです。しかし、そんな実家とは反対に長期病欠の同僚の生活苦に自分の給料をあげていたそうです。「雨にも負けず・・・」のような生き方、そんな謙虚な心で生きていれば、人を嫌な気持ちにはしないことでしょう。
 大人の世界だって色々あります。たとえば仕事に関して、忙しい人を見ても、自分の力が発揮できそうな場面があったり、時間があったりしても自分のことしかしない、そんな大人がたくさんいます。協力しなかったり、他人のために時間を使わない人もいます。実は、他のためにということが生き甲斐や生きるための心の支えになっていることがたくさんあるのですが、そんな経験すらしないままだと、いつまでも利己主義な人間のままでいて、いつまでたっても「和」を築くことは出来ないものです。だから人の中で人の心と触れ合う経験をして欲しいのです。
 豊かな心の基礎になっているものは、法やルールを守れるだけではなく、それ以前に相手の気持ちが解ること、それを個々に理解できる力をつけていくことです。そして、それが自然体で出来るようになっていくことを一人一人が備えていかれれば、その結集で「和」が作られていくのです。



フランクルに学ぶ
     ~人生の意味~

 昨年の夏以降、多くの本屋さんで大々的にビクトール・E・フランクルの「夜と霧」が紹介されていました。NHKの「100分de名著」という番組で取り上げられ、その後は各書店でも平積みで売られるほどの勢いでした。今の時代になぜフランクルが話題になったのか?
今号ではフランクルに触れ、ナチス支配下で翻弄されながらも生きのびたフランクルの「夜と霧」から極限状態の中で貫いた精神の自由、そして、そんな状況から垣間見た人間本来の姿、原点について考え、現代における私たちとも重ね合わせ、これからの生き方について考えたいと思います。

 生と死の間でいつ死んでもおかしくない不安な状況の中にあった著者の収容体験で特に印象的だった3つの場面をピックアップし、考えていきます。


~幻影の妻に語りかける~

 隣を歩いていた仲間が、立てた上着の襟で口元をかばいながら、ふいにつぶやいた。「ねえ、君、女房たちがおれたちのこのありさまを見たらどう思うだろうね・・・! 女房たちの収容所暮らしはもっとましだといいんだが。おれたちがどんなことになっているか、知らないでいてくれることを願うよ」そのとき、わたしは妻の姿をまざまざと見た!
 雪に足を取られ、氷に滑り、しょっちゅう支え支えられながら、何キロもの道のりをこけつまろびつ、やっとの思いで進んでいくあいだ、もはや言葉はひとことも交わされなかった。だがこのとき、わたしたちにはわかっていた。ひとりひとりが伴侶に思いを馳せているのだということが。
 わたしはときおり空を仰いだ。星の輝きが薄れ、分厚い黒雲の向こうに朝焼けが始まっていた。今この瞬間、わたしの心はある人の面影に占められていた。精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。わたしは妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。妻がここにいようがいまいが、その微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。

 着の身着のまま送られてきた収容所の中で、生き抜く大きな力となっていた妻の存在。現代においてここまで伴侶を思える機会などなくなってきているのかもしれません。しかし、本当に辛いとき、悲しいときに伴侶を思い、感謝の気持ちになれるとしたら、その感覚は計り知れない幸福感を与えてくださることでしょう。幸福は精神の中でつくられていくのだと強く感じる場面です。


~去るもの、残るもの・・・
      覚悟の果てに!~
 
「ほんとうに行くのか?」「ああ行くよ」友人の目に涙が浮かんだ。わたしは言葉をつくして慰めた。だが、なにはともあれわたしにはすることがあった。遺言の口述だ・・・。「いいか、オットー、もしも私が家に、妻のもとにもどらなかったら、そして君がわたしの妻と再会したら・・・伝えてくれないか。よく聞いてくれ。まず、わたしたちは来る日も来る日も、いつも妻のことを話していたということ。な、そうだったよな?つぎに、わたしがこんなに愛したのは妻だけだということ。三番目に、夫婦でいたのは短い間だったが、その幸せは、今ここで味わわねばならなかったことすべてを補ってあまりあるということ・・・」オットー君は今どこにいるのか。一緒に過ごしたあの最後の時から、君にはいったいどんな運命がふりかかったのだ。奥さんとは再会できたか。そして君はまだ憶えているだろうか、あのときわたしが、子供のように泣きじゃくる君に、わたしが遺言を一語一語、無理やり暗記させたことを。
 翌日、わたしは移送団とともに出発した。このたびは目くらましでも引っかけでもなかった。移送団はまた、ガス室行きでもなく、ほんとうに病人収容所に到着した。そして、わたしに同情した人びとが残った収容所では、あれから飢餓状態がさらに悪化した。わたしたちが移った先の収容所のほうがまだましだった。あとに残った人びとは、助かったと思ったのはつかのま、急転直下、破滅への道をたどったのだ。

 友人との今生の別れ、「もし、私が死んで、君が生きていたら・・・」伴侶に伝えたい最後の言葉はどう考えても、その友人にしか託せない。一語一語を振り絞るように口述したフランクルの思いを想像すると、涙が溢れてきて仕方がない。その文面(実際には口述)で伴侶への感謝の気持ちが伝わってくる。果たして、私たちは伴侶にどれだけの感謝の言葉をかけているだろうか。人の一生の中で覚悟を持って自分の人生に付き合ってくれている感謝の気持ちを・・・。できることなら今、伝えておきたい思いがこの場面では著されています。


~神のみぞ知る運命~

 わたしたち、この収容所に最後まで残ったほんのひと握りの者たちが、あの最後の数時間、「運命」がまたしてもわたしたちをもてあそんだことを知ったのは、人間が下す決定など、とりわけ生死にかかわる決定など、どんなに信頼のおけないものかを知ったのは、それから数週間もたってからだった。あの夜、トラックの荷台で自由への道をひた走っていると錯覚した仲間たちのことを思うと、またしてもテヘランの死神の昔話を思い出す。というのは数週間後、わたしは数枚の写真を見せられたのだが、それはわたしがいた収容所からそう遠くない、わたしの患者たちが移送されていった小規模収容所で撮られたものだった。患者たちはそこで棟に閉じこめられ、火を放たれたのだ。写真は半ば炭化した死体の山を示していた。

 収容所に送られた初日、最初の選抜で分けられた自分とは別のグループがどこに行ったのか同僚に尋ねる場面が強烈なインパクトを与えています。もう一つのグループは煙突からもくもくと天に昇って行ったのです。初日の洗礼で生きた心地がしなかったことでしょう。しかし、それから幾多もの修羅場をくぐり抜けて行くのです。フランクルがどれほどの低い確率で生きながらえたことかと、この事実に驚くことでしょう。どんなに強運でどんなに信仰が深くてもここまでの確率で生きのびるのには何か特別な力でも授かっていない限り不可能ではないかと思います。それでもあの連続する最悪の事態を何度も乗り越えたフランクルには何か特別な使命があったのだと思います。そして、この劣悪な環境の中でフランクルが見せた仙人のような心と周囲へのまなざしはただただ感動せずにはいられません。それは人間が本来持っている精神の自由に他ならないのでしょう。また、フランクルにはいつ死んでもいい、潔く正しく生き尽くすという覚悟と信念があったのだと思います。悔いのない人生はまず、覚悟から始まるのではないでしょうか。何ごとも覚悟ができれば、着実に目標に近づいていくことでしょう。私たちは日々の暮らしの中で覚悟して生きていくことが大切です。その他にもう一つ、身近な人を大切にしていることが伝わってきます。著書の中では妻を本当に愛し、大切に思っていること、妻に感謝していることが分かります。妻だけでなく周りの人への思いやりが伝わってきます。

フランクルが伝えるもの、それは周囲への愛、信じて覚悟すること、そして、最後の最後まで希望を持つことだったと思います。
 フランクルは収容所の中で絶えず希望を持っていたそうです。そして、ここでの暮らしをいつかみんなに伝えようと強く思い、みんなの前で講演していることまでイメージしていたそうです。それが生きのびる希望だったのです。また、収容所で生きのびた人の特徴は、配給された食糧をもまずは他人からと譲れるような慈悲深さと謙虚な心だったようです。そして、そのような人が最後まで生きのびているという事実を「夜と霧」は後世に伝えています。



お薦めの“1冊”

  夜と霧

著 者 : ビクトール・E・フランクル 

出版社 : みすず書房 

価 格 : ¥1,575 (税込)

ナチスの被収容者として存在した精神科医、心理学者であるフランクルだからこそ、あの劣悪な中での精神の自由について書かれているのだと思います。心理学の登竜門としても必読の一冊です。



健康と予防
「膵臓をいたわる健康法」 
 膵臓には、血液中に入ってきた糖を血液の外に出すインスリンというホルモンを分泌するはたらきがあります。そのため、多量の糖分の摂取は膵臓に負担をかけ、かなり痛めつけているのです。しかし、同じ糖分を摂るにしても、少し工夫をすればいくらか膵臓に負担をかけないですむ方法があります。特におすすめが、①生姜(ショウガ)②大蒜(ニンニク)③キャベツです。しかも、食事の初めのうちに食べるのが効果的です。食物繊維が糖分の吸収のスピードを弱める働きがあり、血糖値の乱高下を解消してくれるのです。つまり、糖尿病が心配な方には食物繊維の多いものがお奨めです。他にも根菜類、おからなど現代の食事に不足しやすい食材に注目してみてはいかがでしょうか。カロリー計算ばかりしていて本来の食材の役割を知らないでいるのは人生の楽しみの中でかなりの不利益になることでしょう。一歩踏み込んだところに食育が目指す本当の課題が見え隠れしているものです。第6番目の栄養素と位置づけられている食物繊維の持つ力についてもっと深められてはいかがでしょうか。


心の病の“特効薬”

 心の病が悪化し、心身ともに衰弱して中退してしまった生徒から突然電話がかかってきました。学校を辞めてからも心配で家を訪ねて行ったこともありましたが、今年に入ってからは年賀状もなく、どうしたのかと思っていたのですが、本人の話す内容で私はハッと驚いてしまいました。心の病はさらに悪化し、拒食症になり、入退院を繰り返していて、今、やっと食べられるようになり、一時帰宅して私に電話をかけてきてくれたのです。
 私は、どうにか心が穏やかになれるようにと願いつつ、彼女の話にずっと耳を傾けていました。思春期真っ只中の中学校時代、運動部でキャプテンまでやっていた彼女に突然何が起きたのかと心配していました。あるときは、母を交え一緒に話し合ったこともありました。中学の頃を考えると、あんなに活発だったはずの彼女が今はご飯も食べられない状態になっているのが本当に可哀想でなりませんでした。
 食欲がない・・・?食欲がないとはどういうことなのか・・・?一言で言うと生きようとする意欲が弱まっている状態であることがまず考えられます。“生きようとする力”は食欲にも直結しています。ナチスに捕らえられたフランクルたちがなぜ生きのびたのかを考えますと、天命に従いつつも善きことを思い、善き行いをしながら、さらに、人生の先に目標を持ち、あきらめなかったことが重要だったと考えられます。彼は生きのびて収容所での出来事を世の中に伝えなければという使命感や信念を持ち、さらには大衆の前で講演をしていることをイメージしていたのだそうです。ものには満たされているようにさえ感じる今の社会は、何か大切なものを失いつつあるように感じずにはいられません。心を満たすごくごく自然なはずの術(スベ)が現代社会で欠落している部分だと私は思っています。私はどうにかして、拒食症に悩む彼女に生きようとする何かを注入していかれればと切に願っています。生きているってありがたい、そこに意欲があるともっとありがたい、そして、そこが満たされてこそ他を思うゆとりが生まれるのでしょう。やさしさはまず、自己の欲求を満たすこと、そして、自己実現に向けて生きていくこと。つまり、目標を持つことであり、そこが満たされてこそ他を思うゆとりが生まれてくるのです。通常の人はそうであると思います。しかし、フランクルは、もう1ランク上の精神を持っていた。だから神の領域でこれまでを生きのびたのだと私は分析しています。
 以前に紹介した中国の陰騭録(いんしつろく)の中の袁了凡の人生でただ運命に従うのではなく、善きことを思い、善き行いで生きていくことの大切さを思い出していました。どんな状態であっても、人生は“善きことを思い、善き行い”で生きていくが大切であることだけは真実のようです。そして、自分のことに精一杯になるのではなく、他を思い、他のために自分の時間をも使い、他の喜びが自分の喜びへと変わっていかれることだと思います。心の病の原点は、これまでに本人がつくり上げてきた利己主義と育てた親の価値感と心のバランスに原因があり、加えて食生活や食習慣にも原因があるのだということがこれまでの若者の支援を通して解ってきました。そして、それを治療するための手立ては、大きな心の支えを持つことだということも解ってきました。つまり、感謝する心が芽生えることこそが幸福の第一段階であり、その感謝の表現の一つに他への思いやりや愛情があるのだと実感しています。アメージンググレイスを作詞したケンノートンのように、感謝がこみ上げてくることを願い、心の病が治ることを切に願っています。


編 集 後 記~オリンピックの余韻に寄せて~ 
 夏休みの帰省中、往路の飛行機で、滞在中のカフェで、復路の新幹線で、私が没頭して読んでいたフランクルの本に、息子が僕も読んでみたいと言うので、子ども向けにないものかと探してみましたが私の力では見つけることができませんでした。しかし、その時代を生きたアンネ・フランクについて話してみると興味を示したのですぐにコミック版を買ってあげました。息子にはまだ難しいかもしれませんが、今後、成長していく過程で人権を考えるきっかけになることでしょう。そして、いつか息子がフランクルの本を読んで共感できる日がくることをささやかながら私は楽しみにしています。
 前号で紹介したロンドン五輪出場の清水聡君がお蔭様で銅メダルを獲得しました。私たちが大学時代に過ごした貧困で荒んだあの時代が報われた一瞬だったように思いました。数年前に部員の覚醒剤による事件で廃部寸前にまで追い込まれた東洋大学でミラクルな出来事がありました。引退後、カムバックしてチームの復活にかける一人の青年の話です。同大学職員だった彼は懸命に部員を復活への道へと引っ張っていったのです。ミドル級で金メダルを獲得した村田諒太選手です。人は逆境にあっても大きなチャンスをいただき、素晴らしい功績にたどり着くのでしょう。彼の金メダル獲得の昨年、東洋大学は入れ替え戦に勝ち念願の1部リーグに復帰したのです。苦しみの中にあっても決してあきらめてはいけないのです。逆境にあってこそ幸福への糸口を信じ、生きていくことが大切なのでしょう。浮き沈みの中で、沈んでいるときにこそ希望を持ち、夢・目標を叶えていきたいものですね。(S・I) 
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by ikenosai | 2013-02-17 14:07 | 文化だより | Comments(0)