いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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終戦のエンペラー
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カテゴリ:いつか余熱に気づくとき( 11 )


高校3年の夏、広島の思い出に寄せて・・・。



 今日は、広島の原爆投下の日から72年。



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 高校3年の夏に友だちと二人、自転車で出かけた中国地方一週、一週間の旅。

今から30数年前のこと、最終日は尾道、その前日は、山口、湯田温泉から宮島に渡り、

その日の内に広島市内に行き、駅前の公園で野宿を慣行していた・・・。

見知らぬ、おじさんから声をかけられ、

「こんな物騒な所にいないで、おじさんの家に泊まりなさい」と・・・。

ついて行くと、そこは戦前からある古いアパートだった。

単身赴任で借りている6畳一間のアパート、風呂はない。

段原という地区で、原爆が落ちた場所からすぐの所なのに、

このアパートは壊れなかったとのこと。

不思議な感覚で、一晩泊めていただいた。

 翌朝は、必ず行くと決めていた、広島平和記念公園に行って手を合わせた。







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by ikenosai | 2017-08-06 09:17 | いつか余熱に気づくとき | Comments(2)

「6才のボクが、大人になるまで」を観に行こう



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 最近、どうしても観に行きたい映画がある

 前回観た映画は「風立ちぬ」そう思えば、映画館から遠のいている

 通勤で、毎日立川の映画館の前を通るのに。


6才のボクが、大人になるまで」の宣伝をテレビで観た。


 ニューシネマパラダイス以来の期待感を感じた。


 それを考えると私の好きな映画は、概ね、主人公は少年が多い。


 しかも、順風満帆な少年ではなく、何かを抱えながら成長していく話が好き。


 特に感動した映画のそれぞれの大好きな場面。



「マイライフ・アズ・ア・ドッグ (スウェーデン)

 結核を患う母の病状悪化のため、田舎の叔父の家に一人預けられる少年の話。その村の少年達に混じってサッカーとボクシングに興じる一人の少女と出会い、最初は子ども同士無邪気に遊んでいたが、それぞれの体の変化と思春期を迎えようとする少年に起こる数々の出来事に感動する。母が亡くなった知らせを聞き、本当は悲しんでいるのに、誰にも解ってもらえない彼の感情が解ってくると涙が溢れてくる。夏目漱石の「坊ちゃん」でも母との関係で似た場面に私はグッときたのを思い出す。



「顔のない天使」

 12歳の主人公の少年チャックは姉、妹とそれぞれ父親が異なる複雑な家庭に育ち、家族から孤立していた。普通の子ではない扱いを受ける中でメルギブソンが演じる元教師マクラウドと巡り会う。それぞれに孤立していて悩みを持っていたが、次第にうち解けていく。

 ある日、姉と喧嘩をしたチャックは自らの記憶とは異なる実父の死の真相を知りマクラウド邸へ駆け込む。マクラウドは帰宅するよう説得をするもチャックは帰宅せず一夜を過ごす。翌朝、チャックの母から通報を受けた保安官が保護し、帰宅。マクラウドには地域からの偏見の眼差し。

 マクラウドによって、勉強の楽しさを知り、変わっていったチャックは、無理だと思われていた士官学校への進学をする。

 ある夜、士官学校の寄宿舎を抜けだし、マクラウド邸に会いに行くのだが、マクラウドはもうそこにはいない。誰もいない幽霊屋敷でチャックにあてた手紙を見つける。その手紙を読んでいる場面で涙が溢れてくる。

 最後のシーンは卒業式。帽子を一斉に天に投げた後、遠くにいる一人の男性にチャックの目は止まる。マクラウドはチャックに会ってはいけないと裁判所から言われていた。しかし、遠くから見守っていたのである。そして、手を振ってすぐに立ち去っていく。思春期に揺らいでいたチャックの心に人間の優しさを深く突き刺したのはマクラウドだった。ふたりの心のふれあいが後半からエンディングまで涙、涙で続いていく。



 とにかく変わり者の私は、少年が大人になっていく話が大好き。


思春期の男の子に関わるのが好きなのは、自分がもともとだめな人間で、いかに生きていくのか、それも、いかに人々の中に善く生きていくのかを少年期に感じ、多くの失敗の中にあっても、それを人生のふくらみにして前向きに生きようとし、そして、今もそう思い、自分の人生の課題として生きているからなのだろう。


心ひとつで変われることはいっぱいあるけれど、思春期までの子どもの頃に、何か重いものを抱えてしまっている人は多く、それぞれの生い立ちの中に秘められた拘りのある感情は、人々の心が変わることで慈悲を引き出す幸福への糸口につながると信じている。だから、私は今、生きて、そしてこれからも生きていけるのだと思う。





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by ikenosai | 2014-10-31 10:18 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

ひと夏の恋

9月にはいり、朝夕と涼しくなった。

昨夜は、午前様。

やり遂げなければならない仕事を終えて、帰ってきた。

11階にある自宅までの廊下で見つけたカブトムシのメス。

何だか切なくなった。

私は思わず拾い上げ「君は恋人に巡り逢えなかったのかい?」と言葉をかけた。

成虫になってひと夏の命。

素敵なオスに巡り逢えなかったのだろう。

こんなおっさんに遭ったって成就しないだろうに。

そんな、カブトムシのメスがなんだか愛おしく見えて仕方がなかった。

 思えば学生時代。

忙しく慌しい8月が過ぎ、9月に帰省したときのこと。

私は、夏を取り戻そうと、ひとり鳥取砂丘へドライブに行った。

そこから、しばらく東へ行くと、浦富海岸、そして、東浜海岸にたどり着く。

誰もいない、祭りの後のような海岸で戻ってこない夏の日を悔やんでいた。

それまでの夏休みは、かなり濃いものだった。

そして、そういうイメージだった。

季節のバイトや、海や山での出逢いは何かを期待させるものだった。

それが、何もなかった夏が過ぎ、誰もいない海辺に佇んでいた。

あのころをふと、思いだしていた。

「命短し恋せよ乙女・・・」志村喬が口ずさむ“ゴンドラの唄”が懐かしい。

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by ikenosai | 2014-09-05 11:40 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

25年前の宿題

 今日、ありがたくも朝から映画を観に行った。

25年前に受けた教職の授業でのことだった。

日本史概説の先生は、歴代天皇の研究が専門だった。

特に昭和天皇の終戦時の話を事細かに話していたのが当時の私の胸には強く響いていた。

中学時代の恩師にその話をしたときには、間逆の解釈を聞かされ、教育は戦後から狂ったのだということがはっきりと分った。

私が思っている教育とは、心の内側を育てること。

滾滾と湧き上がるエネルギーの上手な放出。

そして、自分の考えや自分の信念を作り上げていくこと。

そのきっかけを授けていくことが、私の考える真の教育だと今は思っている。

中学校時代の恩師は、昭和天皇の戦争責任について日教組的立場で私をまくし立てるように話していた。

そこには私の意見も考えも入る隙はなかった。

これが間違った戦後教育の中の氷山の一角なのだと今は思っている。

入学式や卒業式に君が代を生徒に唄わせなかったり、天皇否定を滾滾と生徒に教育したりと・・・。

やわらかい頭の中に、自分の考えが育たない、しかも、一方的な日教組の原理主義の中に・・・。

考えはまさにスターリンか毛沢東。

果たして、自分で学び、自分で調べ、自分で意見を出せる環境はどこにあるのだろう。

 子どもの頃、父と一緒に風呂に入っていたとき、子ども心にも疑問があって父に天皇陛下はどんな人なのかとたずねたことがあった。

昭和一桁生まれの父は、「天皇陛下は日本の父だ。」と笑顔で答えていた。

これがまさに戦前教育のさらに日本全体の信仰のようなものだったと私は思う。

この辺りに関しては、ユダヤの人々とどこか似ているのではと思う。

しかし、父はこうでなければならないという強い考えを私には強要しなかった。

しかし、当時の日教組に洗脳されてしまったあの先生は、君の考えはおかしいといい、改めさせようとするくらいだった。

 終戦で、日本人の価値観は変わってしまったという人もいる。

大人を信じられなくなったという人もいる。

昨日まで言っていたことと今日言っていることが180度も違うのでは、止むを得ない。

すべて、戦争がそうさせたのだと思うが、むしろ戦争がそうだったのだという真実をあぶり出したのだとも言える。

私はその真実を確かめたくて、いや、もう一度客観的にその真実を確かめたくて、アメリカが作った映画を観に行った。

それが“終戦のエンペラー”だった。

登場するダグラス・マッカーサー元帥もボナー・フェラーズ准将も私は生身の人間であることを前提にして見ていた。

特にボナー・フェラーズ准将の心の内を懸命に解ろうとし、日本人の彼女を思う気持ちをも深く考えていた。

もし、彼らによって米国の統治下におかれなかったら・・・。

と考えると、果たしてどんな日本になっていたのかとも思う。

それだけでも、あの二人の功績は大きいと思う。

そして、昭和天皇は戦争責任という大きな十字架を自分自身で背負ったまま戦後を生き続けたのだと思う。

これは、大学時代に残した戦後教育についての宿題の25年後の答えにしか過ぎない。

しかも、私の、一個人の答えである。

ただ言えることは、あの映画の中の人たちと違って、今は平和な時代に生きていて、しかも愛する人たちが一緒であり、生きていること。

これだけで、本当はいいのに、幸せなのにと思った。

こんなものでも観ないと感謝は湧き上がらないのかと情けなくなった。

平和の時代にこそ忘れている感謝の気持ちを取り戻したい。
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by ikenosai | 2013-08-28 22:05 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

夏の終わり

 9月も中盤が過ぎた。

それでも、昼間はまだ夏のような暑さが続いている。

台風が近づいて、昨夕は、天気雨の東側に大きな虹がくっきりと見えていた。

暑さ寒さも彼岸まで・・・。

やがて秋に変わるだろう。

必ず冬はやってくる。

そして、夏もその後に必ずやってくる。

私は夏が一番好き。

どんなに暑くても、夏が一番好き。

今年の夏は、プールに一度だけ行った。

海は、行ったけれど雨に降られて泳げなかった。

あの浦富の海に行った。

そして、一番好きな東浜に行ったけど、大雨と大しけで入ることができなかった。

サザンの歌がよみがえる時間だった。

“夏をあきらめて” “OH、クラウディア” “栞のテーマ” “メロディー”等々・・・。

学生時代から、海のイメージは、サザンが一番。

“ふぞろいの林檎たち”のまんま少し背伸びしていた青春が重なって、あの頃の曲が一番心に響く。

そして、懐かしい。

近くの岩井温泉に行き、今年の夏をあきらめて戻ってきた。

“うらめしげにガラス越しに背中で見ている渚よ”まさにそんな心境だった。

朝夕がめっきり冷え始め、夏の余韻を残す暑い昼間。

私は、情熱的に過ごした若き日のあの、暑かったそして、心も熱かった夏の日を昨日のことのように思い出す。

そして、また、秋の準備を始めるだろう。


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by ikenosai | 2011-09-18 06:41 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

生きていればいつかは変わる

 今週は1週間まるまる残業の日だった。

気がつけば12時間以上も職場にいた。

昨日は、午前様、バスが終わっていて、40分も歩いて駅まで行った。

空腹と疲れからかテンションが高く、何だか変に心地良かった。

電車に乗ると、ふんわりとアルコールやニンニクの臭いのきいた車内にいびきの音や、大股開きで上を向いて眠っている若い女性の姿、大きな声で話す酔っぱらいでごった返していた。

ああ、そういえば酒を飲んで帰る私もこんな感じなんだろうなと思いながらうとうとしていた。

 そういえば残業で帰ると、子どもたちはもう寝る準備で、すぐにパパお休みで1日の会話はその程度。

レンジで温めたご飯を食べて、風呂に入ってテレビを点けると、連日BSで薬師丸ひろ子の映画をやっていた。

初日のセーラー服と機関銃は観なかったが、翌日の探偵物語とさらにその翌日のWの悲劇は途中から観てしまった。

ふと中学、高校時代のことを思い出していた。

それにしてもあのWの悲劇の世良政則は格好良かった。

薬師丸ひろ子が主演で主題歌まで唄った時代だった。

田舎で過ごした私にとって映画の世界は架空の世界。

憧れの世界。

私には手の届かない世界だと思っていた。

高3のとき東京の大学から推薦の話が来たとき、私の世界観が変わる感じがした。

むしろそれへの期待感でいっぱいだった。

上京して私は空いてる日曜日限定でエキストラのバイトをやった。

始めて行ったのは神奈川大学で撮影した薬師丸ひろ子主演の紳士同盟だった。

もう薬師丸ひろ子のブームが終わろうとしていた時期だった。

キャンパス内を歩くシーンでその周辺で体育会系の連中が練習している風景だった。

ボクシング部役の人がバンテージを巻いていて、巻き方がめちゃくちゃだったので、丁寧に巻いてあげていたら、助監督がきて、君は本ちゃんの人?とたずねてきたので、現役ですと返すと、じゃあ君がやってくれない・・・?と言われ、走りながらシャドーボクシングをやる役が回ってきた。

映画を見に行ったら、あまりにも目立ちすぎてしまったためか、そのシーンはカットされていた。

あれだけ時間をかけて撮影した場面だったのに捨てられていた。

それでも、あの憧れの薬師丸ひろ子のそばでエキストラをするのは楽しかった。

みんなは安いロケ弁を食べていたが、薬師丸ひろ子は出前をとって鍋焼きうどんを食べていた。

エキストラのギャラは交通費と4千円だった。

ドラマは3千円、コマーシャルは5千円だった。

共演の仲村トオルもいた。監督が那須監督で、その後に撮影に行ったビーバップハイスクールも仲村トオルと那須監督がいた。

“おしん”の橋田壽賀子と泉ピン子のようにこんな関係で同じ作品をやるひとがいるのだと感じた。

エキストラは他にもやってみた。

原田知世の黒ドレスの女では大井競馬場の観衆だったり、有楽町のラジオシティーというディスコでの撮影などもあった。

コマーシャルも出たがオンエアされても自分がどこにいるか分からないくらい小さかった。

何度かエキストラをやってみて、自分に興味のある世界ではないと感じて、半年で辞めた。

まとめてギャラを取りに行っても、飲み代にもならないくらいだったので、よく長続きしている人がいるもんだと感心した。

コマーシャルの撮影の時、俺は昔、字幕に名前が載ったというおじさんがいた。

何に出たのか聞くと仮面ライダーだと話していた。

おそらくその人との会話で私は辞めようと思ったのだと今頃になって思う。

40才を過ぎてもエキストラばっかりの毎日、そういえば色々な撮影現場にいたなあと思う。

こんな生活じゃあ結婚も子育ても出来ない。

現実が見えてハッと気がついたのかもしれない。

田舎で憧れていたあの銀幕のヒロインを支えるエキストラはそんな人たちにも支えられているのだと思う・・・。

 今日は息子の6才の誕生日。

子どもたちがいるだけで何だか幸せな感じがする。

顔を合わすことが出来なくても、言葉を交わすことが出来なくても・・・。

毎朝書く交換ノートにメッセージを書いている。

帰ったら、息子が今日の出来事の何かを書いていてくれる。

ぎこちない字で必死に書いて・・・。

心を離さず寄り添うこと、これぐらいしか出来ないけど・・・。

エキストラをやっていた頃にはこんなことは考えもしなかった。

だから、人は命ある限り生き続けて学んで行かなければならないと思う。

どこかでおこる不思議な変化を楽しむために・・・。
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by ikenosai | 2011-01-29 22:49 | いつか余熱に気づくとき | Comments(1)

玉手箱を開けたような老け方が狂わすもの・・・?

 年末年始は実家の津山で過ごした。

着いた日の翌日は雪がたくさん降った。

あれもやろう、これもやろうと決めていたのに、いっさいできなかった。

寒くて、コタツに入ったままだった。

息子と雪だるまを作ったが、あまりの寒さから家にこもってしまった。

私は、こんな寒い田舎で18歳まで過ごしたが、今ではとても寒くて住む自信がない。

それでも、南国出身の母は平気で過ごしている。

もしかしたら耐えているのかもしれない。

後期高齢者の父も普通に過ごしている。

私は相当の寒がり屋である。

そういえば小学校のときは登校前にたき火をしていた。

自分で火をおこし、薪をくべていた。

みんなが集まり輪になって火にあたっていた。

 東京に帰る日になって、姉の運転する車に私たちは乗ったが、父と甥、姪が乗り切れなくて別の車で津山駅までついてきた。

78歳の父は、マニュアル車を運転し買い物や病院に行っているくらいなのでビュンビュン飛ばして追ってきた。

10キロほどの道のりを父が運転していたが、危ないので、甥、姪と代わって私が父の助手席に乗った。

車間距離をとらず、スピードを上げていく父はまるでカーレーサーのような運転だった。

姉は「こっぱ微塵にならんと分からん」と心配げに言っていた。

駅について、父にいつまでも若くはないとやさしく諭した。

歳をとると昔のようには反応できないこと。

いくら急ブレーキを踏んでも間に合わないから、もう少し車間距離をとることなど話した。

父は苦笑いで答えていた。

若い日の感覚は確かに私にもあった。

例えば、今でも幅跳びで6メートルぐらい跳べそうな感じがするし、100メートルを12秒ぐらいで走れそうな気もする。

でも現実は無理である。

父はそのギャップに苦しんでいるのかもしれない。

年末の27日に息子と一緒に仮面ライダーオーズを観に行った。

オーズ、ダブル、スカルの3人のライダーが登場して驚いた。

スカルはあの私たち世代の憧れだった吉川晃司が演じていた。

何の期待もしていなかったが、吉川晃司の登場で内容が一変した。

あのかっこよさは何なんだろうと思った。

45歳の吉川晃司が私たちの青春の延長線上にいた。

ストーリーも明らかに親世代をねらっている。

その部分ではクレヨンしんちゃんと同じである。

先週は息子と一緒にウルトラマンゼロを観に行った。

セブンの息子という設定でやはり親世代をねらっている。

愛と正義と人々の調和をテーマにしている。

仮面ライダーオーズに関しては、勧善懲悪ではなく、悪の魂の浄化をテーマにしている感じがする。

子どもたちに何を伝えたいか、武力行使は戦争解決にはつながらない。

世界中の紛争を見てもよくわかる。

先祖代々が憎しみを引きずって、因縁という形で子々孫々にまでおよんでいる。

他人を粗末にあつかうと因果応報のごとく必ず巡り巡って自分に、子孫に跳ね返ってくる。

この現象をどこかで食い止めなければならい。

そのためにも良きことを思い良き行いをしていかなければとつくづく思う。

子どものころからの変わらぬ感覚はいつまでも歳をとらないという感覚を作っていく。

やがて歳をとったという大きなギャップが疾患や機能低下で現れてくる。

それを埋めるべき柔軟性は歳を重ねた頑固さによって困難になってしまっている。

この頑固さを取り除くことが老いていくために必要な課題だと私は感じている。

一寸先は闇、その闇こそ明るく照らして行かなければならない。

コタツに潜って家にこもっていては柔軟な生き方にはつながらない。

その闇を照らす灯は行動をおこすこと。

具体的に動いて具体的な道を探さなければ具体的な答えは出てこない。

今の私には動くことが必要だと感じている。

歳を重ねても、重い腰にならないように・・・。

偏屈で重い腰の頑固じじいにならないために・・・。
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by ikenosai | 2011-01-15 18:05 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

今年も行かなかった東浜海岸



 毎年、帰省するたびに、 今回は絶対に行こうと思っている海がある。

しかし、他の事にとらわれて、ついつい行きそびれてしまう。

そういえば、息子が生まれてからまだ一度も行っていない。

浦富海岸も鳥取砂丘も行っていなかった。

さらに東の兵庫県との県境にある東浜海岸が私の一番のお気に入りだった。

田舎で中学校の講師をしていた頃は、2~3週間に1回のペースで出かけていた。

春であろうが秋であろうが真冬であろうが出かけて行った。

春先の海が特に好きだった。

ポカポカと暖かく、しかも誰もいない。

そんな静かな海で、ひとりぼんやり過ごすのがとにかく好きだった。

海沿いの旧道の路肩に車を止めて、波打ち際を歩く。

晴れの日の青々とした水平線を眺めているのが大好きだった。

夏になると大勢の海水浴客で賑わう浜辺も、シーズンオフには誰もいない。

そんな静かな海によく出かけていた。

 通勤電車の中から駅のホームを眺めていたら、見覚えのある景色にハッとした。

飛行機で撮影したらしき浦富海岸の景色だった。

何日も、何日も、電車のドア付近から眺めていたが、今日はとうとう途中下車してポスターをじっくりと見た。

やっぱり浦富海岸とその手前の小さな漁港だった。

砂丘のポスターもあった。

何とも懐かしく見入ってしまった。

やっぱり私は海が好きだった。

あの透きとおるきれいな海。

青々とした水平線を眺めるのがやっぱり好きだった。

来年こそはあの東浜海岸に必ず行くぞ・・・。




(東浜の動画が見られるお薦めのサイト)http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/cb5650ce76eb65e201948396b3250cdb?p=%E9%B3%A5%E5%8F%96%20%E6%9D%B1%E6%B5%9C%E6%B5%B7%E5%B2%B8&b=1&of=&dr=&st=&s=&pd=&ma=&rkf=1&from=srp
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by ikenosai | 2010-09-25 22:00 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

オススメの映画がGyaO! で無料配信中!


 ニューシネマパラダイスは私が今まで観た映画の中で一番好きな映画である。

20代前半にこの映画を知り、この映画をこえる映画にはまだ巡り逢っていない。

レンタルで借りて、その後、三軒茶屋の今は無き古い映画館でも観て、それでももの足りなくて、1万8千円もするビデオを買って40回は観ただろう。

1930年代のシチリア島(イタリア)の映画館を舞台に、少年「トト」と映写技師「アルフレード」の友情をユーモラスにかつノスタルジックに描いている。

ある日、来てはならぬと言われている映写室に何度も何度もやってくるトトがアルフレードに削除したキスシーンのフィルムをくれないかとねだるのだがアルフレードの返事は「ノー」である。

(当時はキスシーンの上映は禁止されていたので、そこだけ切り取っていたようである。)

それでもしたたかにねだるトトに根負けして、次のような約束をした。

「お前を殴る前に協定を結ぼう。これはすべてお前にやる。だが俺が預かる。」と。

映画は少年期から思春期へと進んでいく。

青く澄んだ涼しげな瞳の少女に恋をし、やがて大恋愛をする。

しかし、アルフレードの巧みな細工によってふたりの恋は終わり、トトはローマに行く。

出発の日、アルフレードから「ノスタルジーに誘われても帰ってくるな。」と言われる。

アルフレードの死を母から知らされ、30年ぶりにシチリアの故郷に帰ってくる。

彼はイタリアで有名な映画監督になっていた。

葬儀が終わり、アルフレードの奥さんより、あんたに形見があるのと1本のフィルムを渡される。

ローマに戻ったトトはそのフィルムを観て感動する。

あのときのキスシーンだけを集めたフィルムだった。

30数年の時を経て、アルフレードが保管していた1本のフィルムに2人の友情が凝縮されていて、ただただ涙が溢れてくる。

この感動は、観ないと伝わらないだろう。

ぜひ、観ていただきたいオススメの1本である。

今ならGyaO! で無料配信中。

私が1万8千円も出して買ったビデオと同じバージョンのもの。



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by ikenosai | 2010-07-05 05:49 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)

真っ青な海が恋しくて



 スターダストレビューの“夢伝説”を始めて聴いたのは、高校2年生の夏休みだった。

それはカルピスのCMからだった。

真っ青な海に向かってカルピスのかかったかき氷を食べている女子高生の映像だった。

青く大きな海を高台から見下ろしている景色が私には鳥取砂丘と重なって見えていた。

そのCMを見るたびに、ああ海に行きたいと海を恋しがっていた。

お金はなく、車もなく、なめ猫の免許証くらいしか持ってない。

それでも海に行きたい。

あの高台から見下ろす青く大きな海をどうしても見たくてたまらなかった。

はるか70キロ向こうの日本海を見に、自転車で行ったあの夏の日。

着いてくる物好きは誰もいなかった。

だから、ひとりで出かけた。

あの日本海へ。


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 遠い昔のことさ 夢で見たんだ

燃える空に包まれて

光る大地の中をかけめぐるとき

君は舞い降りてきたの

どこかで出逢ったことのある

懐かしさ感じて・・・・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=roll3at77GE&feature=related








Gift de お花屋さん










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by ikenosai | 2010-06-20 17:52 | いつか余熱に気づくとき | Comments(0)