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いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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カテゴリ:親の通信簿( 12 )


「感動があってこそ、マネジメントは意味をなす」・・・Ⅱ

結婚と男女の役割  

 ある大学の先生の授業でイギリス人の若夫婦が子どもを作ろうと思い、妊娠し、出産するまでを記録したドキュメンタリーを学生たちに見せて、感想を書いてもらったというお話がありました。

薬学部だったので女子の方が多かったそうですが、レポートの中身はよく似ていて、ほとんどの女子学生が、あれも知らなかった、これもはじめて気がついたと、妊娠と出産についてさまざまな新知識を得たと書いていたそうです。

驚いたのは男子学生のレポートでした。

1割足らずの学生が、母親がどんな思いで自分を産んでくれたか、はじめてしみじみ考えたと書いていましたが、その他大勢の男子学生は、「似たようなビデオを高校の保健の時間に見た。特に新しいこともなく、あんなことならもうすでに知っている。」等々の内容だったそうです。

男性は子どもを産みません、夫婦の思わぬ離間は結婚以前にすでに始まっているのです。

厚労省の研究所の調査で、日本の普通の家庭では、結婚後15年まで、夫から妻への愛情は横ばいですが、妻から夫への愛情はひたすら右肩下がり、つまり、薄れていくということのようです。

統計的な分析で、その理由まで解っています。

「夫が子育てに協力しなかった。」それが理由だそうです。

右肩下がりで、最後は定年離婚、今ではそれがもっと早まり、子育て中に離婚してしまうのです。

子育てへの協力とは、料理や洗濯をすることでもなく、おむつ替えをすることでもありません。

本当に大切なのは女性の“産む性”への理解。

子どもを産むという大役、そのことに感謝し続け、その気持ちを行為で表すことなのです。

それに対して、結婚前の若者たちが「そんなことはすでに知っている。」と思いこんで結婚し、その後の子育てに影響を与えてしまうのです。

しかし、もともと気質の違う人間が同じ屋根の下で生活するのはとても困難です。

これまで育ってきた環境や生活習慣、生育歴や価値観・・・。

どれをとっても同じなんてことは、まずないでしょう。

そして、これまでの日本の歴史をふまえても、男尊女卑の影響は強く、地方によっては女性は我慢するもの、大和撫子(やまとなでしこ)のようでなければと言われてきました。

まさに弟橘媛(おとたちばなひめ)な訳です。

世の中の平和のために命を犠牲にした日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻の話です。

妻の死を悲しんで妻が身を投げた海に向かって“わがつまよ”とつぶやいたそうです。

それが東の方向だったから東を吾妻にちなんで“あずま”と読むようになったそうです。

夫にとってどんなに良い妻でも命を犠牲にしてしまってはお仕舞いなのです。

もう帰らぬ人なのです。

そこまで絶えるべき時代はもう終わっているようです。

だから、離婚が多いのもよく分かります。

昔は妻が我慢するだけでした。

解り合えない夫と一緒にいるくらいならシングルの方がまだましだと正直になったに過ぎません。

結論としては、妻が夫に何を望んでいるのか、それに答えられるようになることが強く求められる時代になったのだということでしょう。


 子育てで大切なのは、家族の“和”です。

決して学力を上げたり、有名大学へ進学させることではないのです。

もちろん、和の中にあって、学力向上や希望するところへの進学ができると本当はもっといいのですが・・・。

子どもは親の思い通りには育ちません。

まずそこに気付くことです。

もっと、もっと寛容なまなざしで見てあげなければ良い方向には進みません。

子育てから、自分(親)の力だけではどうにもならないということを学ぶのです。

親の関わり方や言葉遣い、生き方などに対し、子どもは、映し鏡のように、親の関わりに対する答えを見せてくれるのです。

家族の“和”、特に仲の良い両親の姿は良い大人の見本となるでしょう。
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by ikenosai | 2010-10-09 06:07 | 親の通信簿 | Comments(0)

「感動があってこそ、マネジメントは意味をなす」

人を育てることは自分が育つこと

 スポーツを通しての人間づくりの有効性についてはほとんどの方がご存じだと思います。

特に団体競技には、それぞれの役割に合わせたポジションなどがあり、それぞれの性格や特性を生かすことは非常に重要になります。

また、向き不向きもあり、そこを見極めて適材適所に配置することが本来のマネジメントなのです。

しかし、マネジメントによって感動が得られなければより良く成長することも、充実感を得ることもなく終わってしまい、さらにその先のビジョンは見えてこないのです。

 子どもが生まれてから、授乳もおむつ替えも子どものペースに合わせざるを得なかったことを覚えていることでしょう。

しかし、成長につれ、いつしか自分の思い通りに育てようと子どもの意に反して習い事を勧めたり、無理矢理に何かをさせてしまったということはないでしょうか。

いや、それ以前に、お腹の中にいたときから親の都合ばかりになっていなかったでしょうか?

たとえば、出産においては、自宅や配慮ある助産院などの施設だったら、お父さんの声も、お母さんの声も聞けます。

ずっとお腹の中にいたときと同じ家庭の音が聞こえてきます。

しかし、病院だったら、先ずお母さんの声しか聞こえない。

もし別室の病院だったらお母さんの声すら聞こえない。

そのうえ、聞いた事もない人の声(看護師や医師等)、病院には色々な音もあります。

その時の赤ちゃんの気持ちはどうでしょう?

赤ちゃんはしゃべりません、しゃべらないから、大人が配慮しなければならないのです。

そもそも赤ちゃんは産むじゃなく、“産まれる”なのです。

赤ちゃんがこれから産まれますよーとサインを送ってお母さんがそれをキャッチする(陣痛で知らせるのです)。

しかし、今は病院の都合や親の都合で生まれる日まで勝手に決められることもあるのです。

お腹の中の赤ちゃんの意思や気持ちはどうでしょう。

結局は無視された状態なのです。

その真理面の葛藤をよく考えてみてください。

ものごとがよく分かるようになってきたころ、まあ思春期のころなどに、違和感を感じたり、無意識に反発したりすることもあるのです。

早い子はもっともっと小さい時期に反発します。

不登校というかたちになったり、発達障害や鬱(うつ)などの症状になったりして・・・。

それでもなお、嫌々やらされている環境では、やがて心の負担となり、状況によってはもっと、もっと深刻な鬱の状態を招くのです。

鬱の状態が続くと、将来への希望は見えてきません。

そのような状態の中で進路を決定させるのはとても乱暴なことなのです。

不安から過保護になってしまい、“転ばぬ先の杖”をいつも準備していては失敗から学ぶことも、経験から学ぶこともできないまま成長の時期に成長がないまま時間だけが過ぎていくのです。

そんな状況では、子どもはさておき、親が焦り、その焦りを見て子どもは不安を抱くようになるのです。

しかし、今さら無理だとあきらめないでいただきたいのです。

だからこそ、以前に紹介した“育て直し”を提案しているのです。

それは、仲の良い家族の中にあってこそ実現していくのです。

子どもは小さなときから、兄や姉を模倣し、親を模倣し、大人たちを模倣することで社会性や生活力を身につけていくのです。

やさしい言葉かけや、やさしいまなざしの中で育っていくから、やさしい心が芽生えてくるし、色々なものへの憧れや意欲も芽生えてくるのです。

そして、そのやさしい言葉かけやまなざしをおくることによって実は、親自身が成長し、本当の意味での親となっていくのです。

そこに感動があれば、親の仕事は充実感で満たされるものです。
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by ikenosai | 2010-10-04 05:06 | 親の通信簿 | Comments(0)

神秘の赤ちゃん


 赤ちゃんの研究は神秘に包まれていることが多く、また赤ちゃんは喋りませんので、言葉を介してのコミュニケーションが中心の大人には学ぼうという姿勢がない限り理解を深めることは非常に困難です。

科学的根拠を求める現代社会においては、全くといってよいほどその神秘の大切さはある意味、他人の信仰する宗教の様な扱いになってしまっています。

まず、赤ちゃんの本当の誕生日は、お腹の中に受精卵として存在したときともいえます。

それから約38週後、お腹の中から出てきます。

それを誕生日としています。

もし、極端に早く未熟児として生まれてきたらどうでしょう。

誕生日は早くなるのに成長はお腹にいるときに比べ遅いのです。

配慮もなくそんな月例のハンディを持ったまま、学校に行かされるのです。

お腹の中でも赤ちゃんは外の音を聞きとっています。

お母さんの声、お父さんの声、家族の声を聞きながら、遺伝子の暗号どおりに成長していくのです。

お父さんとお母さんが喧嘩ばかりして、お母さんが不安な状態でいたら赤ちゃんに届く血液はどうでしょう。

不安なホルモンバランスの血液が送られるのです。

昔、水俣病という水銀による公害がありました。

水銀中毒の母親から血液や母乳をとおして赤ちゃんにまで被害がおよんだ事件でした。

お母さんが食べたもの、飲んだものも多少なり影響があり、お母さんが感じたことも影響があるのです。

そして、充分に育った赤ちゃんがそろそろお腹から外に出たいなと感じてお母さんに知らせるのが陣痛なのです。

しかし、今では病院や親の都合で出産日が決められることもあるようです。

そんなとき赤ちゃんはまだ出たくないなんて思っていたらどうでしょう。

言葉は分からなくてもすでに感覚とか意志はあるのだと思います。

また、満月や新月の日は生まれやすく、気圧の影響も少なからずあるようです。

現代人は自分の都合に合わせたカレンダーを使う意識が非常に強いのですが、自然が与える本当の感覚や心地よさを忘れてしまっているのだと思います。

犯罪件数が多いことからも、人間がいつもと違う感覚になるのが満月や新月のようです。

フグの産卵をドキュメントでやっていましたが、満月に一斉に卵を産んでいました。

視覚や聴覚に頼りすぎてしまっていて、大切な感覚が麻痺しているともいえるようです。

子どもたちの中には非常にデリケートな子どもがいて、臭いや味が少しでも違うと受け付けないなんてことがあるようですが、もともと人間が持っていた動物的な繊細な感覚を忘れていないのかもしれません。

そう考えると繊細な赤ちゃんに陣痛促進剤など不自然な医療行為をおこなえば赤ちゃんは、この世に出生することなどの意識がネガティブになってしまうこともあるかもしれません。

しかし、命に関わる医療行為などはどう考えても避けられないことが多いようです。

何が大切かと考えますと、出生後に課題があるように思います。

その後のフォローがどうかということだと思います。

安心した場所、信頼できる大人(親)、その環境から生きている実感が湧き、心が育っていくのだそうです。


 世界にひとりの私。

世界にひとりのあなた。

どちらもかけがえのない大切な尊い命。

それぞれに違いがあり、それぞれの100%に近づけて生きていくことが人生の目標であり、自己実現なのです。

なので、全員違っていて当り前なのです。

全員が無理して同じことをやってもその人本来の人生にはならないのです。

しかし、たくさんの大人たちは自分の子どもが他人の子どもより何かで劣っていると心配し、優れていると自慢したりして、本当に大切なものが見えなくなっているのか、忘れてしまっているのです。

そんな尊い私にできることは自分の100%を目指し一生懸命生きていくことなのです。

そして、親自身も自分の100%を目指し一生懸命生きていくことなのです。





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by ikenosai | 2009-05-23 06:35 | 親の通信簿 | Comments(0)

育たぬ心を受けいれぬ親

 もうすでに卒業していますが、通常のクラスでは厳しいだろうと思われる生徒たちが同じ学年に入学してきました。

特にその学年は大変な生徒が多かったので、クラスもまとまりませんでした。

ひとりは、背の低い男の子で卒業後もよく学校に現れるのです。

まず、職員室に入ってきて許可もなくパソコンを使い始めます。

インターネットしか使えません。

先生たちはやさしいく言葉をかけます。

しかし、どうやらそれだけが目的ではないようです。

帰る間際にやさしそうな職員をつかまえて、使えきれなくなった一円玉や五円玉を十円玉や百円玉に替えてもらっているのです。

彼は未だに小銭を使った買い物ができず、いつも大きなお金をだして支払っているのだとわかりました。

それは、親にもいえない彼なりの悩みなのです。

自転車にも乗れません。

靴ひもを結ぶこともできません。

好きなことしかやらないので、家でゴロゴロしているか、大好きな亀の観察をするくらいです。

生まれたときは未熟児で生まれてきたと母親が話していました。

障害を抱えているのは第一印象で分かります。

それでも、親は普通の人間に育つと思い、養護学校などへの相談もせず普通の高校までを考えて入学させたのだと思います。

アルファベッドが覚えられないし、岐阜とか滋賀の読み方を何度も聞いてきます。

自分の住所も空では書けませんでした。

人の話が聞けず、自分のことばかり話します。

とても目立ちたがりやです。

漫画家になりたいと言っていましたが、幼稚な4こま漫画ぐらいしか描けません。

ウルトラマンが大好きで、よく本を持ってきていました。

彼が3年生のとき、さあ進路をどうしようかということになってからが大変でした。

やりたいことが本人の実力に伴っていないのです。

愛の手帳の申請が充分できるだろうと思うのですが、両親は彼の障害に目をそらしているのです。

その影響なのか、本人も自分の問題を受け入れられず、現状をひたすら隠そうとしています。

本当に可哀相でした。

そんな中で普通に専門学校を探しているのです。

アニメーション、コンピュータ、気象予報士などなど。

口にはしますが、彼にとっては絵に描いた餅だったのです。

それでも、留学にチャレンジし、順応できず、数ヶ月後に帰国し、その後、何年もニートのような生活をおくっています。

ある日、予告もなく学校にやってきました。

昼になって、やっと本件を話し始めました。
どうやら専門学校の手続きをしたいとのこと。

ちょうど大掃除の日で、やっと昼食を食べ始めていたときです。

推薦書を書いて欲しいとうったえ、午後からでもよいかと尋ねると家に帰ってご飯を食べるから今すぐ書いて欲しいと言いだしたのです。

しかも、写真もここで撮って欲しいと、自分の都合ばかり並び立てているのです。

担当の先生は推薦書だけ記入し、すぐに家に帰したのです。

すでに20歳を過ぎた彼を今は誰も育ててくれないのです。

親は親ですでに子育ては終了したと思っているのでしょう。

しかし、本来は今回の手順は親が手取り足取り教えてあげなくてはならなかったのだと私は思うのです。

親しか彼のそばで寄り添って面倒を見られる者はいないのです。

彼のその現状をしっかり理解し、そして、一番適切な処遇を考えてあげていたら、今頃は障害者枠で動物園などの職員をしていたのかもしれません。

今から、どう足掻いても克服できない彼への課題はただの苦しみにしか過ぎません。

それでも、親は世間体を気にしながら、いつか自分の子どもが親の基準に見合う普通の人間に誰かが育ててくれるのをお金だけ払って待っているのです。

ひどい親は、そのお金すら値切るのです。

 その学年には、もうひとり同じようなタイプの女の子がいました。

彼女は彼に対して障害者みたいと傷つくことを平気で言っていました。

何とか卒業して、両親は作業訓練ができる福祉施設を探し出し、今ではそこに通っています。

自分の身の丈に合っているようで、仕事の話しを学校までやってきて笑顔で話してくれます。

本当に彼女は毎日が楽しいようです。

彼女の両親も最初はできるだけ普通の学校に行かせたいといっていましたが、時間をかけて話し合い、今に至ったのでしょう。

 このふたりのその後の経過からも親というのは子どもをどこまで幸福にしてあげれるのか、そして、本人の心の内にその種を蒔いて、さらに水やりをし、育ててあげられるのかということだと思います。

現実は時に辛く厳しいものですが、しっかり向き合わなくては、見えてくる大切なものまで見失ってしまうのかもしれません。

厳しい現実に一緒に向き合っている親の姿が実は子どもにとっては最高の励みとなり、力となるはずです。

すべては「案ずるより産むが易し」を今までしてこなかった親のツケだと思うのは私だけでしょうか。
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by ikenosai | 2009-05-03 05:56 | 親の通信簿 | Comments(2)

かわいそうな親との縁

 修学旅行が近づき、パスポートの申請が終わり、みんなで計画をたてているさなか、旅行がキャンセルになった生徒がいました。

それがひとりではなかったのです。

楽しみにしていた修学旅行に急に行かれなくなった生徒はがっかりしていました。

あてにしていたお金を他のことに使ってしまったという理由でした。

私の働いていた学校には無責任な親に育てられてしまった生徒が何人か通ってきていました。

最初は父親と一緒に住んでいて、父親が面倒みきれなくなって、今度は母親の家に潜り込んだという生徒がいました。

母親は、スナックかパブのような飲み屋で働いていて、明け方帰ってくるそうです。

生活がだらしなく、無責任なようで、必要なものを買ってもらうにも「すいませんお願いします」と言わなければ買ってもらえないそうです。

以前はアルバイトを頑張っていた生徒でしたが、そんな離婚してしまった両親の家を転々としているようでは根っこなんて育ちません。

どちらの親も親としての責任が果たせてないのです。

母親に関しては、その生徒の姉妹が警察に補導されたとき、迎えに来て欲しいと連絡があったそうですが、自己責任ということで母親は迎えに行かなかったそうです。

その後、その生徒の姉妹は少年院に入ったそうです。

誰がその姉妹をそこまで追い込んでしまったのか。

私は憤りを感じました。

それでも通っている生徒は素直でいい子でした。

しかし、大人を信じられないという感じでした。

心のすき間に入り込もうとしている異性にはホロッといってしまうようで心配になりました。

父親は、子どもたちが去ったあと、日に日に寂しくなっていったのでしょう。

お金をあげるからとか、何か買ってあげるからと子どもたちに会える機会を必死でつくっていました。

でも、子どもたちはもう父親を信頼していません。

お金をもらったらすぐ帰ると言っていました。

幼少の時期から積もりに積もったものがあまりにも多すぎて、もう取り返しがつかないのでしょう。

お父さんは大嫌い、あんなの親だと思っていないと話しています。

それでも、あのダメな母親に面倒をみてもらうしかないのでしょうか。

卒業したらひとりで暮らしたい。

あんな親とは暮らしたくないと悲しそうに生徒は話していました。

大学受験で一生懸命に手続きをしていたのに、修学旅行に行けないことと、お金がなくて大学にも行けないことが重なり失望してしまったのです。

どうしても勉強したいのにお金がなくて大学へ行けないなら行く方法があることを話そうとしましたが、自力で行くほどの力はすでになさそうでした。

親自信も、その親から育むべき力を授けてもらっていないのです。

しかし、その生徒は力もなく社会に出て行かなければなりません。

いつか学んで、立派な親になれるよう私はひたすら祈っています。

私にできることは、その生徒の話をしっかり聴いてあげること、そして、せめて学校ぐらいは楽しいところになるようにやさしく見守ってあげることぐらいでした。
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by ikenosai | 2009-04-17 14:02 | 親の通信簿 | Comments(0)

おのずから動けぬ子どもの心の内 ~ボタンのかけ違えは気づくのが遅いと大変~

 不登校やひきこもりの子どもを学校に行かせるのにヤキモキしているお母さんがいました。

私は決心し、家庭訪問を始めたのです。

これまでも、子どもの不登校で悩む母親をたくさん見てきました。

子どもが外に出て行けなくなったきっかけは、大した問題ではなかったことの方が多いようです。

日々の忙しさや仕事にかまけて、あるいは自分の都合を優先し、なおざりにしてきたことの影響の方が強いのではないでしょうか。

しかも、そういった場合でよくあるパターンが父親の協力がないことにより、母親だけがさらに悩んでいくことです。

相談できなかった時間が長ければ長いだけ、子どもは外に出て行けなくなってしまっているのです。

こうしていくうちに、子どもの不登校は、段々と習慣化され、しだいにそれが当たり前のようになっていくのです。

そのときお父さんが本気で腰を上げなければそのままなのです。

誰かに頼って、どうにかしてくれるだろうと安易な気持ちでいるとだめなのです。

意味もなく子どもに理解あるふりをしたって、子どもはよく親の行動を観察しています。

見せかけだけの行為は無関心と同じなのです。

父親自身がもし会社に行けなくなったら大変なことです。

子どものレベルをそこまでの目線で見ることができないと、次は見えてきません。

母親は、苛立ったり、子どもを外に出そうと必死です。

色々なことを言ったり、条件付けをしてでも動かそうとします。

それでも父親は俺が養っているからと自分を正当化できる理由を自分の中で反復し、納得しようとするのです。

実際には、母親だけが子育てをして、母親だけが無理をさせられて悩んでいるのです。

なので母親が鬱傾向になるなんてことはよくあることです。

実際に、その家庭では、母親が鬱病になり、数年間も入院していたのです。

犬を数匹飼っているにもかかわらず、鎖につないだまま散歩にも連れ出せない。

母子ともにひきこもり状態になり、さらに母親が社会性に乏しくなってしまい、子どもは模倣できない母親を疑問視しながらも受けいれざるを得ないのです。

ますます、不安定な育ち方をして外には出て行けません。

彼にとって、ひきこもりの最初の一歩は、父親や姑に大切にされていない母親の心の問題でもあったのです。

大切にされていない母親の横にいると子どもに影響を与えてしまうのです。

関わっている私がそんな心配をしても父親には面と向かっては話せないものです。

所詮私は赤の他人でした。

それが関わっている私の最大の悩みでした。

母親を励まし、子どもを元気づけても父親の愛情や行為、姑の改心なくしては一向に良くはならなかったのです。

それでも、根気強く、家庭訪問をしながら、母子の心の内側を必死で解ろうとし、励ましていました。

何回も足を運ぶにつれ、父親と姑の問題がはっきりと解ってきました。

そして、その影響で母親が不安定になり、成長期の子どもの心の問題をつくり、やがて思春期の中で矛盾を解決できないまま、その長いトンネルに入っていくのです。

出産とそれに関わる性への理解と子育てへの協力、そして母を愛する情熱の深さ、こういったことが父親の意識の中にあったら彼はひきこもりにはなっていないはずです。

もし、それでもなることがあるとしたら、それは先祖の因縁かもしれないのです。

その因縁を浄化し整えていくことが大切なのです。

居間にある神棚も仏壇も、殺風景で大切にされていないのがすぐに分かりました。

父親は、母親の実家へ行くこともなく、母親の先祖の墓参りにも行っていないようです。

母親にもそういった意識がないのでは、生命の伝達や生きることの意味を自然である体にしみこませるなんてことは無理です。

理解できないことはたくさんあるのです。

目に見えないからとか、科学的根拠がないからとかいってあまりにも知識に頼っている今の社会で足りないものは、智恵を生みだすための心のつくりかた、持ち方を子どもたちに教えていないことだと思うのです。

そして、大人たちもそういったことについて学ぶことがなかったのだと思います。

その智恵の中にこそ、人の心を、子どもの心を解ろうとする大きな力が潜んでいるのです。

人の心も、魂も目には見えないのです。

だから、誠実な意識によって動くこと、それが習慣化されていくことは生活の中で大きな変化をもたらすはずなのです。

それは、ひきこもりの問題以前のことです。

もの心ついてから、幸せそうに過ごす母親の姿を彼は見たことがないのです。

母親の幸せな姿が重要だったのです。

そこへの改善が可能になるなら、どれだけ母子が楽になれるだろうかとただただため息が出てきます。

しかし、私には触れることができないのです。

一教師の仕事ではその手前までしか関われないのです。

それでも、4年間、時間をつくって、手弁当で家庭訪問を続けながら、親子を励ましていました。

小さな私にできる精一杯のことを、私の役割だと信じて・・・。

今日は来られるだろうかと、卒業に向けての追試を受けに来る彼を私はひたすら待ち続けています。

何もしない父親が彼の因縁を、彼の運命を変えられるきっかけになることを祈りながら。

彼らの幸福を願っているのは私だけだったのだろうかと切ない思いで。

彼の卒業は、家族の本当の意味での卒業でもあることに早く気付いて欲しいと私は密かに祈り続けていました。

おこがましい限りであり、そうだと分かっていても、私には気になっていたことでした。
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by ikenosai | 2009-04-07 12:12 | 親の通信簿 | Comments(0)

「親の通信簿」・・・はじめに

 生まれながらにして悪い子どもはひとりもいません。

子どもを悪くしていくのは育つ環境です。

その中で最大の責任は原則的には親なのです。

後々に子どもがどんな大人になっているのかが「親の通信簿」なのです。

本当の意味での子育ては、子どもが育ち、親となり、その子ども、つまり孫が思春期を乗り越えるころまで続くのです。

それを乗り越えて親としての仕事は一段落するのです。

この連鎖の善し悪しが良い社会をも悪い社会をもつくっていくのです。

 戦後の復興以来、私たちが経験したことのない大不況が訪れています。

私の学生時代はバブルの絶頂期で、父ですら農業は金にならんからするもんじゃないと言っていました。

しかし、農業を侮ってしまった私たち日本人は今、外国に頼らざるを得ない状況で明日の食料にさえ不安を抱えようとしています。

農業と教育はよく似ています。

まず、種を蒔く作業から始まり、手入れをしなければ良くはそだちません。

しかも、日照時間や雨などの自然の影響を受けます。

それは私たちの力ではどうにもならないことなのです。

それでも、一喜一憂して手入れをし、最善を尽くすのです。

しかし、経済が発展し、色々と便利なものが開発されてしまって、不便なことを嫌う人が多くなりました。

人間は不思議なもんで便利に慣れるとそこからは昔のように戻すのはとても難しいようです。

洗濯機が壊れたり、掃除機が壊れたりしたとき、わざわざ手作業でやるのは嫌だなあと思うものです。

まして、水道が止まったり、電気が止まったりしたら精神的にも負担となります。

ライフラインが保障され、口を開ければご飯が入ってくるような時代だから大切なものが見えてこないのだと思います。

感謝を忘れ、権利だけを主張する社会の中で、教育のような金儲けにならないものには本気で取り組む人は多くないでしょう。

それは、成長の度合いに金銭的な価値をつけられないからなのです。

偏差値がグンと上がるなど学力が伸び、短期で希望校に合格するような塾ならお金にもつながるようですが、そうでなければ、誰も興味を示さないのがやはり現代のようです。

本来、教育の価値とはお金で換算できるものではないというのが私の持論です。

しかし、教育をする側にはそれぞれの生活があります。

その生活を支えるだけの報酬が不可欠でもあります。

それでも、食べていかれれば、先生は貧乏でもいいと私は思っていました。

余計なお金を持つから、教育とはかけ離れた変な趣味を持ち、しだいに煩悩に負け、本腰を入れた教育者になれない先生が登場するのです。

何が大切か、体力とやる気と情熱を持ち続ける意識です。

そして、教育者として充分な教養です。

高額所得であれ、低額所得であれ、やる気と情熱のある人であればそれが何よりだと思うのです。

もちろん指導力があるのは大前提になります。

新聞を読まない若者が増える裏には、テレビやインターネットなどの急激な普及や進歩も影響しています。

昔は、1日かけてやっていた家事でさえ機械がほとんどやってくれるようになりました。

人間は本来の営みを忘れ、余った時間で逆に身体を壊したり、余計なことで悩む時間をつくるようになっています。

体を動かすことが人間の基本だったのに、脳化社会とでもいいますか、頭だけを使いすぎてストレスを溜めています。

食べることが大変だったはずが、貨幣経済が拡大して、お金さえあれば何でもできるという錯覚に陥っている人々もいます。

色々なものへの執着や依存し過ぎによって起こるストレスの問題は体と心を蝕み、更なるものへの依存を強めていきます。

そのため、必要以上にお酒を飲み過ぎたり、タバコを吸いすぎたりします。

その他にもストレスの影響は過食という形でさらなる問題を引き起こしてしまうのです。

嗜好品への経済の依存も多すぎる中で、これらへの依存という形で世の中の経済が保たれていることからも、ストレス社会によって企業、果ては労働者を支えているという一面もあり、この問題の解決も簡単にはいかないようです。

駅の周辺にスウィーツの店がたくさんあるのも納得がいくものです。

便利とお金が人生のテーマになってしまっている人には、手間がかかる農業や子育ては全く興味が湧かないでしょう。

だから、少子化で、高齢者の介護を担う人材までも不足する時代になっているのです。

また、子育てがネガティブだと未来を支えていく子どもたちに大切なことが伝えられないままになります。

しかもマイナス的な要素だけが浸透してしまえば全体の幸福はマイナスな影響を受けてしまうことでしょう。

今の経済も即効性だけを考えると、駅前開発などで魅力的な店や施設をつくり、いかにお金を使わせるのかという短絡的な発想でその場をしのぐようなことしかできません。

教育の専門家の方たちのお話を聴きにいったときに私は目から鱗が落ちる思いがしました。

日本の教育は間違っている。

そう思いの方もいらっしゃることでしょう。

しかし、その方たちからお話を伺っているうちに、何が大切かということは最初から分かっていて、しかもそんなに難しいことではなかったことに気付かされました。

しかし、教育をマニュアル化し、今では学術的な要素を用いることでそこにもビジネスが展開されています。

しかし、子どもを当たり前に育てることにお金を取っていたら、それこそ格差社会はいつまでも続きます。

何が大切か。

それは、子どもの成長と向き合い、支えるだけのことです。

たったそれだけのことができなくなっている親が多くなっているのです。

子育てする側が、大人中心の社会にしてしまい、本当の親になりきれぬままになってしまっているのです。

それに大切なエッセンスをどう注入していくかが課題のようです。

人間はどう足掻いても、今持っている能力ぐらいしか出せません。

魔法が使えたり、念力が使えたりはしません。

子育ては今ある親の力でしか育てられないのです。

だからしっかり向き合うことなのです。

あまりにもその専門家の方々のお話が素晴らしかったので、その教育を広めていかれないのかという質問に、あっさりと広めていく気はないと答えられたのです。

その方たちは、自分の手の届く範囲でしか活動はしないと言われ、教育とは人間が人間を育てるものであって、マニュアルをつくって広めるものではないという趣旨のことを言われたのです。

適切な時期を見極めて、しっかりと向き合い、タイムリーな関わりをすることが大切だということです。

それは、子どもを身ごもったときからはじまっているようです。

大切な子育てへの意識が若いうちから根付いていることが重要になります。

子育てのことがよく分からないうちに結婚、あるいは妊娠していくお母さんは多いようです。

また、そのお母さんを支え、一緒に子育てをしていくお父さんの意識がどの程度かという問題もあります。

私は、その早期教育として、大学生くらいの若い人たちに子育てへのしっかりとした意識やビジョンを持つことの大切さを理解していただくために、また、悪い子育ての予防として「親の通信簿」を書くことにしました。

これまで、関わってきた子どもたちの中には、親の不注意で育った子どもが多く、その原因について色々と研究してきました。

そして、そういう結果にならない、もしくはそうなりにくい子育てとはどんなものかが解るようになりました。

今後は、実例も交え、お話を掲載していきます。
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by ikenosai | 2009-03-16 21:00 | 親の通信簿 | Comments(0)

時間を守ることは生活習慣の基本

 時間をどう利用しているかでその人の生き方や性格がみえてくるものです。

時間の概念というものは、持って生まれたものではありません。

なので、どう育てられたかもよく分かります。

人間は生まれた以上間違いなく死を迎えます。

その時間の長さはひとりひとり違います。

不幸なことに親よりも先に死ぬ逆縁もあります。

そう考えると時間には限りがあるのです。

そして、ひとりひとりにとってそれぞれの時間は大切なものなのです。

約束を例にとっても、約束の時間が守れない人が多いようです。

学校が始まる時間に必ず登校できている生徒が何人いるでしょうか。

登校時間が守れている生徒は、概ね下校時間も守れています。

学校に夕方登校し、だらだらとパソコンでインターネットをみたり、ゲームをしたりしていると、帰る時間は意識の中にはありません。

時間を守ることの積み重ねが、実は信用の積み重ねになっていくのです。

学校ができることとは何か、まず、規則正しい生活習慣を社会性と照らし合わせて教えてあげることです。

みんなが規則正しい中で過ごすことの心地よさを共有できることが大切です。

そのためのルールを理解させることはとても重要です。

それが守られていることが前提で、楽しい時間を提供し、各自が楽しく有意義な時間にするという意識付けができるように関わっていくことが日々の目標でもあります。

やりたい放題できる学校は、学校ではありません。

先生たちの指導も全く生かされません。

しかし、その意識が持てないまま登校している生徒はたくさんいます。

なぜ意識が持てないのでしょうか。

それは小さい頃から含めて、最近までの習慣がどうであるかがカギとなっています。

以前から何度も話してきましたが、早寝、早起きがいちばん効果があるのです。

人間の体(本能的な部分)の時間というものは1日25時間と言われています。

本能的に過ごしている認知症の老人を見ていただければ分かります。

しだいに時間がずれていき、真夜中に起きてしまって徘徊してしまうのです。

夜中に動けないように体をベッドに縛りつけていた老人ホームが問題になったことがありましたが、体内時計というのは本来、24時間になっていないそうです。

それでは、いつ24時間に合わせていくのかということになります。

侮ってはいけないのが体の中のしくみです。

休ませる時間と起きている時間では、内蔵の状態やホルモンの分泌などがどう影響しているかなんてあまり意識することはないでしょう。

24時間営業の店があたり前の時代では、誰もそんなことには疑問を持ちません。

そうなってしまった現代では、心地よい朝を迎えることは意識をしなければできないことになってしまったようです。

それを習慣化させてあげられるのが、そばにいる大人のなのです。

親としての子育てを意識的にするのはせいぜい15年から20年です。

現代の長くなった人生からみるとあっという間です。

しかし、それができていないのが現代のようです。

昔は、子育ては日常でした。

食べるために働き、意識した子育ては大きなウエイトを占めていたようです。

家には何もなく、各部屋もなく、一緒に過ごす時間が多かったようです。

今は価値観が多様化され、お金があれば子どもの面倒もみてくれる環境がある時代です。

親だって、自分の人生だから自分の好きなように生きたいという気持が強いです。

しかも、子どもと接する時間が昔より少なくなってきてしまったら、親としての人生目標の中から子育てというものが薄い存在になっていきます。

子どもと過ごす時間が長いほど子育ての良い面での意識は強くなっていきます。

では、なぜ育児ノイローゼになる親がいるのでしょうか。

それは、他人に目を奪われているからなのです。

子育て以外の楽しいものを心のどこかで求めているのです。

育児書どおりにいかない我が子に苛立ち、子育てに負担を感じるようになってしまったら子どもを愛おしく思う気持ちも薄くなっていきます。

そんな環境にいるお母さんであれば、おそらくご主人のフォローはないか、もしくは満たすほどのものではないでしょう。

世間との接点が希薄な時間が続けば、今していることへの不安は拡大していき、何だか自分がみじめに感じるようにもなります。

子どもは鏡です。

親の全てを映す鏡なのです。

不安だったり、嫌だなあと思っていたら、そっくりそれを映すのです。

不幸な親の代は、親が亡くなれば、それで終わりです。

しかし、不幸に育った子どもはその後も生きて、その不幸に育ったように子育てを次の世代に伝達していくのです。

このままでは子孫に恨まれてしまいます。

だから、意識を変えていくことがとても重要になるのです。

子どものころの不幸な時間は学ばない限り連鎖します。

今こそ、その連鎖を改善しようとする意識が大切なのです。

子育ての基本となる大きな柱は、正しいことの習慣化と周囲と上手に依存できるようになることです。

これさえできれば、「類は友をよぶ」という言葉のとおり、友だち関係で大きく悩む心配もなく、社会にでて上手くやっていかれるようになるのです。

悪い親は、あの子は、友だちが悪いからああなんだと、友だちのせいにしています。

それでは、親子の距離の方が離れていきます。

それならどうしたらよいのかということです。

今からできることは、以前にも話しましたが「育て直し」をすることなのです。

全く子育てへの意識がなくなってしまった親には無理かもしれません。

しかし、可能にしていくには意識を持ち、そうなるよう願うことから始めるのです。

それをしないで、子どもが勝手に育つには親を超える素晴らし人材や環境にどっぷりと浸っていくしかありません。

そんなものは、当たるも八卦、はずれるも八卦とでもいうか、しかし、お金はたくさんかかるようです。

子どもを育てられる最高の人材は、やはり親なのです。

では、どう育て直していくかです。

子どもが育つよい環境とは何なのかをしっかり学んでいくことです。

戻せば、妊娠前からになりますが、無理なので、私がよく言う第3の誕生「ものごころ」が付き始めたときからの話にします。

生まれてから子どもは、100%手がかかります。

しかし、それは永久ではないのです。

そこでまず、しっかり欲求とか望んでいることを満たしてあげて欲しいのです。

とにかく、手をかけてあげなければならない時期なのです。

しだいに、僕が・・・、私が・・・と自我がでてきます。

自分でやりたいことがで始めるのです。

そこが第3の誕生です。

赤ちゃんだった子どもが人間になろうと成長を見せ始めるときなのです。

そこから正しいことの習慣づけをしていくのです。

まず、明るくなったら起きること。

おはようの挨拶をすること。

身支度をすること。

朝ご飯をちゃんと食べること。

トイレに行って排泄をすること。

昼ご飯を食べること。

夕ご飯を食べること。

お風呂にはいること。

早く寝ること。

睡眠時間を充分にとること、起きる時間から逆算して睡眠時間を充分確保して寝る時間を決めるのです。

睡眠時間を充分にとることは心を満たすうえでとても重要です。

暗くなったら寝るのはなぜか?明るくなったら起きるのはなぜか?これは人間が動物であるからなのです。

先ほど人間の体内時計は1日25時間と話しましたが、これを24時間にリセットできるのは実は夜寝ているときなのです。

特に、10時から夜中の2時を挟んで充分に睡眠をとることが望ましいのです。

大人はまずできていません。

大人の都合に合わせていたら、子どももできるはずがありません。

それでも、保育園や幼稚園に行かなければならないので、無理に起こされます。

そこで、満たされぬ欲求が積み重なっていくのです。

それを大人は、子どものせいにします。

睡眠不足は、寝ないあんたが悪いのだと。

しかし、子どもが自分から寝ますか?

大人が起きていれば、できるだけ起きていようとするものです。

素直に寝るときはよっぽど眠いときぐらいです。

しかし、これも習慣化によって、早寝早起きができるようになっていくのです。

でも最初のうちからは一朝一夕にはいきません。

だから、添い寝をして、本を読み聞かせたり、おとぎ話を聞かせたりして就寝を促していくのです。

睡眠で満たされた子どもは、朝から元気です。

前日の夕ご飯を早い時間に食べていれば、朝はペコペコのはずです。

そうでなければ、病気です。

朝から栄養補給ができていれば、午前中は快活に過ごせます。

昼もペコペコになり、しっかり栄養補給をします。

しっかり日課をこなせば、夕ご飯もよく食べます。

夕ご飯までにちょっと時間が空くからと、甘いおやつを与えすぎると、たちまち夕ご飯を食べなくなってしまい、今度は夜遅くお腹が空くのです。

もし、そこで何かを食べれば、臓器は休まらず、いくら寝ても体が疲れた感じになり、朝ご飯を受け付けぬほどの不快な朝を迎えるのです。

朝から体調不良なのはネガティブな心の最大の要因になります。

ネガティブな心は不安などから余計な心配をし、行動を抑制するようになっていきます。

ネガティブに動くことで不安を感じるようになり、それを予防するため、行動を起こさなくなっていくのです。

不登校やひきこもりはそういったネガティブな朝が影響しています。

また、ネガティブな朝がまだ夢の中の世界であったら、それは完全に昼夜逆転状態です。

24時間時計にいつリセットするのか、それが親子で取り組むべき課題でもあります。

快活な子どもはその時間はとっくに起きています。

規則正しい時間の過ごし方が重要なのです。

そして、その方法は、親と過ごし、親の関わりの中から体が覚え、体にしみこませていくしかないのです。

お金をかけるのではなく、手入れをすることなのです。

その手入れをする作業も20年もしないうちに終わっていくのです。

正しい時間の過ごし方、楽しい親子のふれあいの中から自立した大人に育っていくのです。

小さな約束をこなしていくこと、正しい習慣を身につけること、親子の信頼関係はその積み重ねによって確実なものになっていくのです。

親が向き合おうとしない限り、子どもからは向き合うことができず、親が変わろうとしない限り、子どもが変わることはとてもとても難しいことなのです。

 まず、親としてできること、正しい生活習慣の中で一緒に過ごすこと。

それを守りながら、子どもとの約束をひとつひとつ守り、そして、子どもの欲求をひとつひとつ満たしてあげることなのです。
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by ikenosai | 2008-12-26 20:58 | 親の通信簿 | Comments(0)

子どものゲーム依存は向き合わなかった親への課題

 学校に行くこともできず外にも出られないといった問題を抱える子どもたちの中で、なかなか改善にいたらないと悩んでいる親は多いようです。

そんな子どもたちに共通していることのひとつに、育ってきた環境の中にコンピューターゲームが深く影響していることがあげられます。

うちの子はゲームをやらない、パソコンもいじらない、携帯電話も持っていないとおっしゃる方もいらっしゃることと思います。

それでも不登校だったり、ひきこもりだったりするのはなぜなのか、一言で言えば、成長や発達段階に合わせた親の適切な関わりと心の充実につながる魅力的な何かが与えられなかったことが、大きく影響しています。

お母さんだけの力ではできないこと、お父さんやその他の家族、近所や地域の人々によっても子どもの心は成長していくのです。

心と心を結ぶコミュニケーションと魅了されるものが何であるかがその後の成長に影響を与えていきます。

なので、そういったこともふまえて、子どもの成長を支えてあげられる存在になっていただきたいのです。

お母さんだけでなく、お父さんも、家族の人たちもです。

そういった中で、依存性の強いゲームの中で育った子どもたちの問題をとりあげさせていただきます。

特に、幼少期から思春期までどっぷりとゲームに浸かってしまい現実世界の楽しみ方が分からないまま経過している子どもたちの問題についてです。

私が育った時代は、コンピューターゲームは高嶺の花で裕福な家庭にしかありませんでした。

せいぜい、野球盤とかオセロゲームが主流の時代でした。

遊びといえば、魚釣りや泥団子をぶつけ合う戦争ごっこなどでした。

その他には工事現場や空き地などで隠れん坊をしたりすることも多かったです。

集団の場合は野球やサッカーもしていました。

手取り足取り教わったせいか、左利きの私ですが打つのは右打ちになっていました。

小学校2~3年生で近所のお兄さんたちから釣りの手ほどきを受け、しだいに自分で釣り具を集めるのが趣味になっていきました。

近くの小川や池で鮒や鯉を釣り、下手は下手なりにも何匹か釣っていくうちにその魅力に引き込まれていったのです。

寒い冬でも、防寒し、たなごや鯉を1日かけて釣ったりしました。

穴場を見つけ、そこで名人級のおじさんたちに極意を教わったりもしました。

朝から暗くなるまで釣りばっかりしていたのをよく思い出します。

中学生になって、通学用の自転車を買ってもらってからは、遠くまで釣りにいくことが増えました。

はるばる岡山と鳥取との県境までヤマメやアマゴを釣りにいきました。

夜が明ける前に家を出て静かな渓谷で釣ったこともありました。

全くつれない日もありました。

ブラックバスを釣りに遠くの池までいったこともありました。

とにかく釣りに魅了され、私は釣りばかりの日々でした。

当時、「釣りキチ三平」というマンガが流行ったのも影響してか、釣り仲間が結構たくさんいました。

ルービックキューブや任天堂のゲームウォッチが登場しても、釣りはやめませんでした。

高校になって、ファミコンが登場します。

ある日、仲の良かった後輩と彼の友だちの家に遊びにいきました。

そこで初めてファミコンをやりました。

最初にやったのはゴルフだったと思います。

その日以来、どうしてもファミコンが欲しくなって、冬休みにアルバイトをしてファミコンを買ったのです。

当時は、予約してもすぐには手に入らないほどの人気でした。

マイナーな玩具店が予約してすぐ手にはいるという噂を聞き、予約して買ったのです。

日に日にゲームのソフトを増やし、あっという間に10本ほどになりました。

休日は朝から晩までやっていました。

父も母もあきれていました。

友だちや後輩が遊びに来て一日中一緒にゲームをしました。

マリオブラザーズがまだ中心だったころです。

スーパマリオはまだ登場していませんでした。

ひとりでやるゲームよりふたり同時にやるゲームが主流でした。

私も考えて、友だちはひとりずつ家に呼んで遊びました。

高校2年生の春休みが私にとってはゲームの全盛期でした。

それから、半年ほど経ってみると、ゲームはあまりやらなくなっていました。

夏休みは、中国地方を自転車で一周する旅に出かけ、クラブ活動にも一生懸命取り組んでいました。

私には、体を動かす、スポーツの方がはるかに楽しかったのです。

無用になったので、ファミコン本体にゲームソフトをたくさん付けて汽車で通っていた通学仲間に2万円で売ったのです。

その仲間はとても喜んでゲームをやっていましたが、やはり飽きて、次の人に3万円で売ったそうです。

その後、ファミコンがなくなっても何も困ることはありませんでした。

父は笑いながら「ゲームはもう卒業か」と言っていました。

それでも依存していた人が大勢いました。

その人たちがその後のゲーム業界を支えたユーザーだと思います。

私にはコンピューターゲーム以上に私を魅了するものがたくさんあったのだと思います。

なので、その後のゲームの話題にはほとんどついていけません。

幼少期から少年期にかけてコンピューターゲームにどっぷりと浸かってしまい、それに魅了されるようになったら、依存性が強く、なかなか抜けられなくなるのは当然のことでしょう。

パチンコに依存する人とよく似たところもあります。

パソコンもケイタイもメールだけでなく色々なものに依存し影響されるのです。

大人ですらアルコールやたばこに依存してしまって抜けられないなんてこともよく聞きます。

大人が関わってコントロールできる年齢ならまだ改善の余地はあるのですが、それをこえてしまったら、命がけで関わる覚悟が必要になります。

しかも、それで治るという保証はありません。

依存しすぎてしまえば、それは家族よりも大切な存在といえるのです。

家族よりも魅了し、癒してくれるからなのです。

そばにあって、楽しくて安心できる存在なのです。

若いうち、特に小学生や中学生のころから依存症になってその後に悪い影響を与えるようなものは、できるだけ近づけないなどの工夫や与えないですむ環境を用意してあげなければならないのです。

結局のところは親が子どもをしっかり遊んであげて現実的なものに魅了される喜びを体験させてあげることなのです。

それを小さなころからしてあげることが今の社会の波に流されない幸せな生き方につながっていくのです。

 子どもにコンピューターゲームを与えれば、その場は大人しく、静かに過ごしてくれることでしょう。

電車の中でもゲームに夢中になっている子どもをたくさん見かけます。

その横で、母親はメールに夢中です。

それぞれが好きなことをやっていて、そのときは楽しいかもしれません。

しかし、そのままではいつまでも子どもの心を引き寄せることができないままでいるのです。

子どもとの信頼関係はなるべく小さいうちから関わってつくりあげていくものなのです。

思春期で子どもの成長が著しいとき、不安で揺れる心の中ではそれまで向き合おうとしなかった親の言うことなど信頼してくれるはずがありません。

真剣に向き合った時間の量だけ子どもは親を信頼するものです。

それなのに、中学生になって成績が下がったとか、悪い仲間と過ごしているだとか、言うことを聞かなくなったと不満を嘆いても遅いのです。

子どもの一番欲していたもの(信頼関係)をずっと先送りにしてきた親へのツケなのです。

子育てが大変な時期でもなおざりにしなかった親とどうにかなるだろうとものやお金だけに頼って向き合おうとしなかった親とでは子どもとの関係にも差は出ます。

結局のところ親たちの都合で今の子どもたちが育ってきていて、本当は何が楽しい遊びなのかが分からないままなのです。

それを先輩たちからも教わっていない、大人たちからも教わっていないとなると遊び方すら分からないのです。

そんな中で、ひとりでも何でもできるような遊びとなると、コンピューターゲームになってしまいます。

ゲームのやり方が分かってくると本当に面白く魅了されていきます。

かつて、魅了されるほどの遊びを経験していない子どもには最高の遊び相手になるのです。

そして、そんな子どもたちの夢を叶えてくれるのがバーチャルな世界なのです。

しかし、ゲームの世界は現実ではありません。

だから考え方も安易になり、自分の都合だけで何でもやるようになっていくのです。

ゲームの世界は明確に自分が主人公になれるのです。

野球をしても、エースピッチャーで、スラッガー。

サッカーをしても、エースストライカーで鉄壁のゴールキーパーになれるのです。

上手くなればなるほどゲームの中だけの達成感が増大していきます。

そういった環境で育って、同世代と遊べなくなった高校生が児童館に現れたりします。

年下の小学生とだと優越に浸れて、満足感が得られるからなのです。

ボランティアでくる子は別ですが。

精神年齢が低いまま大人になろうとしているのがよく分かります。

人間同士のコミュニケーションがないまま社会性が育っていないのです。

ゲームの恐ろしいところは、嫌ならリセットすることが簡単にできるのです。

不登校やひきこもりはまさにリセットボタンを押している子どもたちなのです。

そこから再スタートなんてことは最初から子育てをするより難しいのです。

それでも責任をもって自分の子どもを育てていかなければ本当の親にはなれないのです。

あまりにもドロップアウトしている親が私の知っている世界には多すぎる。

そんな親の育てる子どもの中には弁当すら持たせてもらえず学校に通ってきています。

専業主婦で、昼前に起床する母親もいます。

学校に行けば面倒をみてくれると勘違いしているのです。

学校でいくら正しい習慣を促し、実践しても結局、家でだらしない母親にリセットされてしまっていれば学校での関わりは生かされません。

小さな欲求が満たされないままの積み重ねと、好奇心をふくらますことをしなくなってしまった子どもたちにコミュニケーションの希薄さまでも加われば、自己表現なんて上手くできるはずもありません。

作文が苦手で、自己表現が苦手な子どもが増えています。

そんな状況では、友だちづくりや社会へ順応していくことがとても困難になっていくことは誰にでも予想がつくのではないでしょうか。

外見だけでは見えにくい心の中の基礎工事は、乳幼児期から少年期にかけて親がすべき大切なことなのです。

それを大人しくしているからとゲームやビデオに子育てをさせていたら、人間の心の内など解るはずがないのです。

人間は、人々の中でそれぞれの心の内を解ろうとし合い、いかに上手に依存しあえるようになるかが、大人になるための課題であり、それぞれができること、それぞれの能力を発揮できる環境で生かされていくことが幸福へとつながっていくのです。

子どもをそういうふうに育てていくことが、親にとっては徳を積む人間らしい生き方になるのです。

それが親の幸福にもつながっていくのです。

子育てが楽になるからとゲームをさせるのは、親の怠慢にしか過ぎないのです。
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by ikenosai | 2008-12-19 17:24 | 親の通信簿 | Comments(0)

心の根っこは育っていますか?

 今、子育てをしている親の世代は心の根っこの育ちにくい子育てを受けてしまっている可能性が非常に高いと思われます。

その背景には、便利が優先された大人の都合で子育てがおこなわれたことがあげられます。

以前、「育て直し」をテーマにしましたが、この親子二代にわたっておこなわれてきた世代間連鎖が実は今の社会に大きなひずみをあたえているようです。

根っこの育たぬ子育ての原因のひとつには、抱き癖がつくから抱っこしないとか、少々泣いても夜は寝かせて昼間だけ授乳をしたりして、大人の都合で子育てをし、育児書どおりに見ていればそれで良い。

あたかもそれが絶対であるかのような子育てをしてしまったところに子どもの根っこが育たぬ原因があるようです。

専門家の方たちの話によりますと、子育てで大切なのは、乳児のときに欲求を満たしてあげることだそうです。

それが大人への信頼につながるのだそうです。

それはなぜか?赤ちゃんは100パーセント援助が必要だからです。

自分の力では何もできません。

だから、援助の必要なときは泣いてうったえるのです。

泣くということは、あきらめないで忍耐強く要求をしているということなのです。

抱き癖がつくからという理由で抱かないでいると、しだいに赤ちゃんはあきらめてしまい、やがて泣かなくなります。

何日かかるかは個人差があります。

そこであきらめないで泣いている子は本質的には根気があり、あきらめない子であるといえるのです。

空腹を満たそうと必死だから泣くのであり、それは生きようとする力につながっているのです。

しかし、一方で泣くのをやめ、あきらめてしまった子はその後、無気力になり、大人への信頼感や自分を信じる力を大きく弱めていくようです。

ものわかりが良い、育てやすいなんて思っていたら根っこのないまま思春期を迎え、やがて大人になっていくのです。

最近、子育てをしている親御さんにも気になるところが多くあります。

子育てに対する根気や情熱がアンバランスなことです。

一貫性のない感情的な関わり、子どもの前でキレてしまったり、強く怒鳴ったり、叩いたりする関わりは、子どもを不安にしていきます。

その根っこをつくる時期を不安定に過ごしてしまったら、心身を支える根っこが育たないのです。

子どもは3回生まれてきます。

最初は母親の胎内に、次は出産のとき、そして、その次は人格が備わるときです。

僕が・・・、私が・・・と自分を主張するようになったときです。

そのときが、天使から人間に変わるときです。

見ているだけで可愛かった子どもが急に生意気に感じるようになるときです。

それまでに、子どもへの愛情を育んでいないと子どもを受け入れられる(親としての)意識は小さいままなのです。

天使のときはまだ自分の力で自分のことができないときです。

そのときにどう親が関わったかがその後の信頼関係の基礎となるのです。

自我がではじめたときから、正しいことを習慣化できるよう育てていくことが根っこをさらに太くし、成長を支えることになるのです。

途中から学校に行けない、外へ出て行けない、人と関わりたくないなんて言いはじめたら、まずそのことを念頭において色々なことを思い出していくことも改善へのカギとなるでしょう。

そして、気づいた時点から「育て直し」の発想で関わっていくことです。

もし、原因がそれだけではないようなら、学校や友だちとの関係で何があったかをじっくり聴いてあげることも必要です。

もしかしたら、ひどいいじめに遭っている場合もあります。

しかし、この問題も親子の信頼関係と生きるための強い根っこが育っていないと改善には時間がかかるようです。

学校や友だちとの問題は、しっかり学校側とも話し合い、それでもだめなら「孟母三遷」です。

厳しいいい方ですが、最近は中学校の一部でも改善への意識や意欲が薄い先生がいたり、大勢の生徒をまとめる力不足の先生も存在しています。

また、地域によってはそれぞれの生徒の家庭環境が著しくひどいことも重なったりして全体が不安定になっている状況もあり、一筋縄ではいかないこともあるようです。

結果を悔いて誰かの責任にしても解決にはつながりません。

いくら、責任をとってくれてもこれまでの不幸は消せません。

大切なのはこれからなのです。

その中で環境を変えたり、意識を変えていくことは改善へのきっかけになっていくことでしょう。
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by ikenosai | 2008-12-13 00:57 | 親の通信簿 | Comments(0)