先日、家族で千葉県の外房に行ってきました。
一夜明けて、日の出とともに、海辺を散歩していたら、砂浜にたくさんの“せぐろいわし”が打ちあげられていました。
地元のおばさんたちが袋にたくさん詰めていたのです。
私は興奮していました。
どうにかこの“せぐろいわし”を持って帰りたいと思っていました。
どうやら娘も同じことを考えていたようでした。
しかし、時すでに遅し、おばさんたちが根こそぎ拾い集めていたのです。
10センチから15センチくらいの煮干しになるくらいのサイズでした。
その日はあきらめて、明日はもっと早起きをして来ようと娘に声をかけました。
その日、街に出かけると、何箱にも積まれた“せぐろいわし”がキロ300円で売られていました。
大原駅からいすみ鐵道と小湊鐵道に乗って養老渓谷駅まで行ったのですが、養老渓谷はとても遠かったので、駅から歩ける範囲を散策しました。
それでも、ふたりの子どもたちは、古い汽車に満足し、吊り橋に満足していました。
目的地の最後には、田舎のど真ん中なのにフランス料理の店があったので、娘はもう大喜びでした。
再び、汽車に乗って、大原まで、明日の海をひかえ、その日は早く寝ることにしました。
私は大人げなく、何度も、何度も、海辺でたくさんの“せぐろいわし”を拾う夢を見ました。
みんな、早く寝たので、6時過ぎには起きて、海辺に行きました。
まだ日は昇ってきておらず、段々と朝焼けが強くなりつつありました。
波打ち際を見渡しても、魚の姿はひとつもありません。
娘と、まだかな、まだかなと待ちわびていました。
しだいに、朝日が昇りだしました。
きれいな小さな太陽が、だんだんと水平線の向こう側に見えてきました。
水面に湯気があがっていました。
そして、まるまる太陽が見え、いっきに太陽が大きく輝き始めたのです。
昨日、“せぐろいわし”を拾っていたおばさんが、「今日はいわしがあがらないねえ」と笑いながら話してくれました。
どうやら、昨日と一昨日の早朝は、たくんさんの“せぐろいわし”があがって、近所の人たちに電話して、みんなでたくさん持って帰ったということでした。
しかも、年間でもそういうことはめったにないらしく、私たちはそんな光景が見られて、ほんとうに運が良かったのだとつくづく思ったのです。
そして、おばさんは、今日のようなご来光はめったに見られないよと話してくれました。
毎日、この海に散歩に来られるらしいが、雲も霧もなく、何にもじゃまされないこんなきれいな朝日を拝める日は、そうめったにないそうでした。
2日間の海の散歩は、奇跡の連続だったということに私たちはやっと気づいたのでした。
東京へ帰る前、大原の街に行き、“せぐろいわし”を2キロ買いました。
今朝は、前日よりも大漁で、キロ250円で売っていました。
いつも準備している、クーラーボックスにたくさんの氷を入れてもらって、東京まで帰ってきたのです。
買った“せぐろいわし”を大中小に分け、大は刺身用、中は焼き魚用、小はしぐれ煮用にして、さばき始めました。
娘も手伝い、魚の頭をとり、内臓をとり、背骨と背びれをとり、刺身をつくったのです。
何度も繰り返すうちに、ずいぶんと上手に魚をさばくようになっていました。
自分でつくったものは美味しいようで、ご飯をおかわりして、たくさんの魚を食べていました。
残りの“せぐろいわし”はつみれにして食べることを話すと、明日も手伝いたいと嬉しそうな表情で刺身をほおばっていました。