いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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懐かしい日々 ~少年時代の思い出~

 全てを捨てて、新たなこの地、東京に希望を抱いて私はやってきた。

何よりも愛しい人が東京にいたから。

父を、母を、姉を説得し、再び上京したのである。

念願が叶い、その人と結婚をした。

かわいい娘、息子を授かった。

そして、がんばって生きる支えとなった。

家族を大切にしなければ私の人生は無であると思った。

しかし、私には充分な経済力がなく、妻と力を合わせてやっと成り立っている状況を妻へは申し訳なく思う。

純粋で明るい性格、やさしい父、母に恵まれている妻がこんなつたない私を選んだことが何よりも嬉しくもあり、申し訳なくもある。

しかし、私を選んだということは私を信頼し、人生を託しているのだろう。

そう考えだすと、とにかく真面目に、平凡ながらも妻が喜ぶ人生を、私なりにつくっていかなければ、きっと私も幸せにはなれないのだろうと思う。

妻は東京生まれの東京育ち、田舎者の私の気持ちを正確に理解できるものではない。

そして、私も妻への必要以上の理解を求めることは止めにした。

私の田舎は、東京から遥か遠くにある岡山県の北部の津山市である。

しかし、市とはいっても歩いて隣の郡部にいけるほどの街外れであった。

家のほとんどは爺さん婆さんがいる大家族だった。

私の家は先祖代々続く本家の家で、私はその家の長男だった。

正義感が強く賢い姉と年子だったこともあって、できの悪かった私はいつも周りから比較されていたせいか、ひねくれていたように思える。

今では近くにコンビニエンスストアやファーストフード店ができているが、私の幼少の頃、1970年代はとても信じられないくらい大昔にタイムスリップしていたようなところだった。

幸いにも近くに旧国鉄時代からの美作大崎駅があった。

当時はマイカーブームより前だったこともあって、路線バスか汽車が主流の時代だったため、多くの人が汽車を利用していたので駅には2、3人の駅員がいて改札や待合室があり、駅前にはタバコ屋や食堂があり賑わっていた。

私の家の近くにもホルモン焼の店があり、お好み焼きや焼そばを食べたことをよく覚えている。

道は狭く一車線しかなく、ところどころに対向車を待つ待機場所があった。

それが驚くことに国道なのである。

学校の近くが街になっていて、魚屋、酒屋、駄菓子屋、自転車屋、薬屋などが軒を連ねていた。

私にはその辺りに住んでいる人が都会人に思えた。

スーパーマーケットのない時代だったので、すぐ近くの店にも駄菓子や惣菜があったり、あったかい中華まんも売っていた。

家の周りの道は泥と石が多い道で車が往来するため、かまぼこ型をしていた。

所々に溝があり、下水道が整備されていなかったので、そこを下水が流れていた。

その溝で農機具を洗っている光景をよく見かけた。

家の田んぼは山の方と川の方にあり、川の方が大きな田んぼで田植えは家族が総出でやっていて、役に立たない私は姉やいとこたちと川土手や田んぼのあぜ道で遊んだ。

近くに線路が通っていて踏切があったが遮断機はなく、音もしなかった。

線路に耳をあてて遠くからくる汽車の音を確認したこともよくあった。

春になると線路わきにはつくしがいっぱい咲き、それをみんなで集めてまわったこともあった。

弁当を作り、近くの山に歩いて行き、山桜を見ながら弁当を食べたこともあった。

その山のことを花見坂とよんでいた。

山に田んぼがたくさんあったから溜め池もたくさんあったので、小鮒を釣りによく出かけた。

橋の上から川の中をのぞき込むと橋が影になって川の中の魚が泳いでいるのがしっかりと見える。

田んぼの土を粘土にして戦車や船を作ったりもした。

束ねたわらを集めてマットにし、宙返りの練習をしたこともよくあった。

父に見つかるとすごく叱られたので見つからないように遊んだ。

その頃は、自然と季節を体で感じていた。

白っぽい衣類の肘や膝には草の汁が染み付いて洗濯してもなかなか落ちなかった。

洗濯機はあったが、脱水機はなく、横にローラーが付いていてそのローラーに洗濯物をはさんで回しながらしぼっていくのが主流だった。

幼稚園の頃、洗濯機は二層式に代わり、テレビがカラーになった。

ウルトラマンの色が赤だったのを初めて知った。

夏休みには朝から山へ行き昆虫を採りに行った。

目当ては勿論、クワガタとカブトムシだった。

夕方にも同じ場所に行って採った。

当時はほとんどの子どもが昆虫に興味を持っていた。

私は、上級生にも負けないくらいに必死で集めていた。

椎茸を栽培しているところからもらった腐葉土を入れ、クヌギの枝に穴を空け、脱脂綿を入れ蜜をしみ込ませる。

中には50匹ほどのカブトムシがいた。

クワガタは別の水槽に入れて飼っていた。

1番のお気に入りがノコギリクワガタで初めて手にするまでは夢にまで出てくる始末。

次にヒラタクワガタ、ミヤマクワガタの順でコクワガタはおまけのようなものだったので時々近所の小さな子どもにあげていた。

今までで見たことがあっても捕まえて飼ったことがなかったのがオオクワガタだった。

これは今でもすごいクワガタだと思っている。

家々の庭の木には朝からセミが鳴きサナギの抜け殻が木の下の辺りにくっ付いているのをよく見つけた。

木の根元にはセミの穴がありそこに幼虫が居るのを見つけたこともあった。

日中の暑さはとてもじゃないが耐えられない。

これは盆地特有の気候なのだろう。

風が吹けば少しは涼しいのだが全く吹かないと、うだるような暑さである。

プールに行き暑さをしのぎ、家に帰ってから扇風機を体に当てて、かき氷を食べる。

頭がキンキンして痛いのを手で押さえて食べた。

プールに行かない日は仲間たちと集まって川に行った。

水中眼鏡にシュノーケルを着けて堤防下の淀みに潜ってナマズやフナをヤスでついて採ったり、浅瀬にうつ伏せになり、川底と体との間に入ってくる魚を手づかみで採ったりした。

日が暮れ、涼しくなってくると蚊が出始める。

家々から蚊取り線香の匂いがただよってくる。

夕ご飯の後、一段落すると縁側で西瓜を食べる。

口に含んだ種を庭に向けて吐き出す。

そんな光景もよくあった。

余った西瓜をカブトムシのいる水槽に入れると西瓜を食べに集まってくる。

水槽の中でいつの間にか西瓜の種が芽を出していることもよくあった。

寝る頃になると、周りはシーンと静まり、静かな雰囲気になっている。

遠くの田んぼから蛙の鳴き声が聞こえてくる。

蚊帳の中でタオルケットにくるまって、いつの間にか眠っている。

窓を開けていたためか、明け方には少し肌寒さを感じ、目を覚ますこともあった。

夏休みが終わる頃はいつも溜まった宿題をまとめてやった。

いつものことだが、はじめのうちは楽しい夏休み、途中から母に宿題のことを言われ少しずつ嫌な感じになって最後には大変な思いをするのが私の夏休みだった。

しかし、今思えば、とても楽しい夏休みで、大人になってからはとてもとても味わえない有意義な夏休みだったように思える。

9月中旬まではプールもあったが、プールがなくなると次第に朝が涼しくなり、やがて寒さを感じるようになってくる。

食欲が湧きはじめ、収穫の時期を迎える。

夜長に虫の声が響きわたり、やがて稲刈りが始まる。

朝露の滴る稲穂を鎌で刈っていく、田んぼの端っこは機械が入らないため手で刈っていくしかない。

また、小さな田んぼもそうだった。

稲刈りが終わり、一段落すると松茸を採りに行った。

父に言わせると「茸を引きにいく。」といっていたが、当時は私の家でも山を持っていた。

父と気の合う仲間のおじさんたち3人でチームをつくり、茸を引きに行く。

山には休憩小屋がつくられており、私もよく連れていってもらった。

おじさんたちが交代で休憩小屋の番をし、あとの2人は腰に魚篭をつけて茸を引きにいく。

戻ってくるころにはその魚篭が松茸でいっぱいになっている。

当時はそれが当たり前だった。

父の話では、夜中も番をしたらしく、空腹を満たすために焼いた松茸を腹いっぱい食べたこともよくあったらしい。

おじさんたちのひとりに少し怖そうなおじさんがいた。

そのおじさんと2人きりの時は怖かった。

しかし、腰にぶら下げたナタで梨をむいて食べさせてくれたこともあって、それ以来怖くなくなった。

そのおじさんは狩猟が好きで狸や猪を撃ちにいっていたこともあって猟犬を何匹か飼っていた。

私はそのおじさんから犬をもらったことがあった。

採れた松茸は木箱に詰め、鉄道貨物で送っていた。

結構、儲かったらしい。

当時の松茸の話しは今では夢のような話しになってしまい、全く採れなくなったので山は手放してしまった。

秋祭りになると、村中の人たちで賑わった。

村の若い衆でお神輿をかつぎ、私もいつかかつぐのだろうと思っていたが、それはなくなった。

母は前日から、太巻きやいなりずしの大きなのをたくさん作った。

山の田んぼにいくと近くに古い神社があり、そこにお神輿は保管されていた。

神社の近くに溜め池があり、田んぼに水をひいていた。

上の田んぼから次第に下の田んぼにと水が注がれていく、上の田んぼが満たないと下には来ないので、ちょくちょくトラブルもあったらしい。

地形からいっても開墾された田んぼらしく、山間のため、米のできが悪かった。

だんぜん、川の田んぼの米が美味しかったので父もしっかり手入れをし、毎年、高く売っていたのが自慢だった。

土だけになった田んぼの所々に大きなわらぐろが作られ、やがて、朝には霜が降りるようになる。

籾殻を燃やす煙が辺りにただよい、私たちはその田んぼで野球をする。

ボールは刈り取った切り株の間をつたって転がっていく。

雨の降った次の日は靴が泥だらけになった。

いよいよ晩秋。

雲海に遮断され、空は真っ白で何も見えない。

霜柱が立つ泥道をザクザクと歩いて学校に行く。

教室にはストーブが炊かれ、煙突に消しゴムで落書きをしたりして先生に叱られたこともあった。

授業が始まって体が温まってくると、段々と足の霜焼けがかゆくなって、左右の足を擦り合わせながらかゆみに耐えていたのが懐かしい。

家の縁側にむしろを敷き白菜が干してあった。

雪の混じった土の付いた大根を冷たい水で洗っている母。

ポン菓子や焼きいもを売りにくるおじさんに子どもたちが集まった。

日の当たらない池には氷が張り、石を投げて割って遊んだ。

冬の終わりもしっかりと凍っていて、子どもがのっても割れない所もあった。

大雪が降った翌朝は、雪の重みで曲がった竹をゆすって、どっさりと雪を頭からかぶったこともあった。

寒さに負けず山を探検し、道に迷って隣の集落に出たこともあった。

そうしていくことで地域の地理感覚が養われた。

家に帰って地図で確認して新たな発見もした。

春休みになるとふきのとうやつくしを見つけ、再び春がやってくる。

こんな一年を少年時代に繰り返した。


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by ikenosai | 2008-10-28 17:35 | 思い出のポケット | Comments(0)
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