いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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天国へ


「神様がくれた一週間」


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4月23日(土)
 父が危篤との連絡が姉よりあり、父のケータイへ連絡すると、まだ話ができた。

  25日(月)
 朝早くから、姉のメールで、父が肺炎とのこと。
すぐに、職場の上司に話し、大型連休中の私の担当していた業務を全て、分散し、交代していただくことになった。

  26日(火)
 半ば強引な引き継ぎながら、昼前には東京から新幹線に乗って、新大阪から高速バスに乗り継ぎ、父の病院がある中国勝間田で下車。
姉が迎えに来てくれて、その日から、私も看病するメンバーに加わった。
 父は、話すこともでき、臨終はまだまだ先にあるように思えてきた。


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 病院と家との間にある、私の好きな風景。(国道179号線のそば)


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 春の風を感じながら!

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 ウシガエルがすんでいる池!

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 あふれた水が少しずつ!


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 父の病室から見える景色。
高校時代に読んだ、オー・ヘンリーの「THE LAST LEAF (最後の一葉)」を思い出していた。
希望の葉っぱに私たちがなれればと願った。
 姫新線(勝間田駅と林野駅の間)を通る汽車の音が、時報のように!








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4月30日(土)
 命日になる朝が来た。
まだまだ、そんな余波はなかった。
 霜(しも)が降りた朝だった。

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 大型連休の2日目だった。

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 午後から、ひとり外に出て野球を観ていた。
病院から数キロ先、湯郷温泉の近くにあるスポーツの総合施設の野球場。
シニアリーグの練習試合(津山のチーム vs 美作のチーム)
美作といえば、湯郷出身で今も在住の、あさのあつこさんの「バッテリー」、ここはその聖地と言える場所。
野球を観ながら、少年時代の父とのソフトボールの思い出を振り返っていた。
小6のあの夏に市の大会で優勝した思い出。
父が監督で、私がキャプテンだった。
秋には県大会に出場したことも思い出していた。
のびのびとプレイしていた少年時代。
そのまんま私は大人になった。


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 再び病院に戻るとき、車を止めて眺めていた滝川。
この川は、梶並川、吉野川、吉井川に注がれ、瀬戸内海へと・・・。
水に映る西日に、微睡んでいた。
父とのわずかな時間を意識しながら・・・。


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 西日本の夕方は、東京より少し長い。
通り過ぎていく人々、周りにいる人々が輝いて見えていた。
父の薄れゆく命の儚さと重なってか、切なく、そして尊く見えて・・・。

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 26日(火)から帰郷して5日目になる。
昨朝から父の意識レベルは下がってきていた。
痛みの緩和のため、背中には麻薬の湿布が貼られていた。
それまで堪えていた痛みが嘘のようにすやすや眠っている。

 26日(火)、27日(水)、28日(木)と、この3日間で思い出話を交えながら、父に「ありがとう」と言えた。
そして、父からも「ありがとう」という言葉が何度も出ていた。
 父の手を握り、額と額を寄せ合って「共に乗り越えていこう!」と言葉を掛けると、父は「うん、うん!」と応え、お互いに覚悟した。

 48年もの重なり合う父との現世・・・。
とうとう、私たち家族はジェットコースターに乗り込んだ・・・。
そして、今、絶叫の乗り物に一喜一憂しながら乗っている・・・。
そんな感じがしていた。

 午後から、血圧が下がり始め、酸値も少しずつ下がっていることを看護師からも伝えられた。
もう寝ているだけの父。
寝息が穏やかになってきている。
やがって止まってしまう父の呼吸。
寂しさが少しずつ私を襲い始めてきていた。
もう語らうことはないかもしれない。
しかし、ときどき、手を握り「お父さん」と言葉を掛けている。
どうか、苦しみが少ないようにと祈る私。
「シュワシュワ」と酸素が通る瓶の音に一定のリズムで「~ハッ、~ハッ、~ハッ」と父の寝息の音がする。
その横で、父を見ながら座っている私。
今日も叔父(父の弟)が付き添ってくれていた。
昔の話をたくさんしてくれた。
父との若い頃、大阪にいたころの話など・・・。
私の知らなかったことがたくさんあった。


 夜8時半頃

 以前、肺炎をおこした父は、あの危機的な状況から生還していた。
あれから5年目の春が過ぎていた。
一旦、肺が弱ってしまった父は、弱いなりの肺を、高地トレーニングのような状態で鍛え上げていた。
なので、医者からは2日ともたないだろうと言われていたのに6日が過ぎようとしている。


 夜9時40分頃

 血圧が下がり、120くらいもあった脈拍が50~60に・・・。
肩で呼吸をしていたはずが、浅くなり、弱まっている。

 そして、呼吸が止まった。
もう、戻ってこない・・・。
再び、1回だけ大きく肩で息をした。
それが最後で、もう息がなかった。
「お父さん、お父さん」と耳元で呼んだが父の意識はもうこの世には現れなかった。

 ジェットコースターが止まった。
私は周りを見渡した。
みんながいた・・・。
しかし、父だけがそこからいなくなっていた。

 
 夜22時頃

 当直の医師が死亡を確認した。
呼吸器、諸々の管が外され、やっと父は身軽になった。
主事医も自宅から駆けつけてくれた。

 看護師2人、母、姉、姪、義兄、私で父の体をきれいにし、お気に入りのスーツを着せた。
そして、叔父の車で運ばれて父は帰宅した。
すでに日付が変わっていて、葬儀屋が家に来ていた。



 5月2日(月)通夜

 5月3日(火)告別式



 父の遺言どおりに葬儀がおこなわれた。



 父が私にくれたもの、それは慈悲の一言に尽きる。

みかえりを求めない無償の愛を惜しみなくいただいた。

小学校6年のとき、前年までのソフトボールの指導者が勇退し、私の担任の説得で、父が監督になった。

毎日、16時に仕事を切り上げて、指導に来てくれた。

その年、市の大会で優勝。

私が卒業後も監督をし、3年間務め、市の大会では全て優勝し県大会へ出場した。


 今年に入ってからも父が言い続けていたことがある。

「子どもは親の背中を見て育つ、だから、おまえの生き方は子どもに影響を与えるけん、子どもたちをしっかりとみてやって欲しい・・・。」と。

そして、必ず、「お父さんはそれができなかった。許しちゃってくれいや・・・。」と私に謝っていた。

私は、その言葉を聞くだけで、ああ、親孝行をしなければという思いになる。

しかし、墓石に布団は掛けられぬ・・・。

なので、その思いを子どもたちにと思う。

しっかり、子育てをすることで父への恩返しにしたい。

 
  お父さん、どうか天国から見守っていてくださいね。

いつか私がそちらに行くまでの間・・・。



 棺の中に花をたむけるときだった。

それまでは涙が出なかった。

もう覚悟ができていたから、そう思いこんでいた。

喪主の私は、一番最初に棺の中に花をおくと、思わず父の髪をなでて、自分の頬を父の額につけて「ありがとう、お父さん、さよなら・・・。」と父に話しかけると、止めどなく涙が溢れてきた。

やっぱり、泣いてしまった。

おいおい泣いて、父にお別れをした。





















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by ikenosai | 2016-05-13 19:03 | お父さんお母さん | Comments(9)
Commented by manekinntetti at 2016-05-17 05:58
親子で最高の最期でしたね。
想い出を語り合い、感謝の言葉を言いあい、
看取ることが出来て親孝行です。


お父様のご冥福をお祈り申し上げます

Commented by ikenosai at 2016-05-17 09:15
> manekinntettiさん
 コメントありがとうございます!
最期まで私を育ててくれていた父なんだなあと、じわじわとこみ上げてくるものがあります。
日々の祈りの中から私自身、感謝が生まれ、こんなご褒美がいただけたのだと、ただただ感謝です。
生老病死は人生の一部で、すべてが尊いものなんだと、最後に父が教えてくれたような思いです。
一隅にしかない、しがない私にも、こんなすてきな人生のドラマがあるんだという、息子への父からの最高の贈り物だったように思います。

感謝できる親がいることが嬉しいです。

そして、父が喜ぶ生き方をしたいです。


Commented by suzu-clair at 2016-05-22 09:36
少しごぶさたしてしまってごめんなさい。

遅ればせながら、
お悔やみ申し上げます。

私にとってのなじみの風景と
いけのさいさんのお父様への愛にあふれた文章、
読み進みながら涙がこぼれました。

無償の愛を注いでこられたお父様、
ご立派でしたね。
お父様が喜ぶ生き方をとのお言葉に、
胸を打たれました。

お父様のご冥福をお祈りいたします。
いけのさいさんも、
どうぞお疲れを出されませんように。
Commented by ikenosai at 2016-05-22 13:28
> suzu-clairさん
コメント、ありがとうございます!

どうしようもない異端児で、かつては救いようのない不良少年だった私と向き合い、最期まで幸せを願い続けてきてくれた父でした。

7人兄弟(弟4人、妹2人)の長男だったこともあり、尋常高等小学校しか出せてもらえず、大阪では夜間中学に通ったとのこと。
そんな苦労からですかね、一族の長男として生まれてきた私を枠にはめることなく、手放しで可愛がってくれたのだと思います。
そのおかげで、私は、育ちにストレスのないのびのびとした親子関係がずっと最期までありました。
子育てはこんな感じでいいのかなあと、今、同じように子どもたちに接することができています。
両親に感謝ですね。
私が大切にしているものを同じように大切にしてくれていたのだと思います。
私の家族も大切にしてくれて、みんなと仲良く過ごせたのも、浄い父の恩恵だったのだとじわじわと伝わってきています。

しばらく疲れが取れぬままで夜勤などの変則勤務が続いていますが、父を思い出すと、不思議と仕事への感謝が生まれてきて、意欲がでてきます。
そう思うと、私のなすべきことは、まだまだ父の背中に頼っていることで、保たれているのだと思います。
私も子どもたちにとって、そんな親になりたいです。
Commented by at 2016-05-28 01:31 x
4/23
友人の結婚式のため津山に帰省。
津山に着く頃には面会時間ギリギリで、急いで病院へ駆け込んだ。
3月に面会に行った時は個室だったが、大部屋に移っており、酸素チューブが引っ掛かったことに怒っている祖父を見て、元気になっていることに安心した。

4/24
友人の結婚式に行く前に祖父に会いに行った。
これが最後になると覚悟はしつつ、でも諦めない祖父に写真を撮ろうと言えずためらっていた。私が綺麗な格好をしているから、と言って写真を撮った。酸素外そうと言う祖父を止め、そのまま撮った。
本当に最期の写真になった。

4/25
大部屋から個室へ移った。
ぐったりしている祖父を見て驚いた。
少しでもそばにいたくて、夕方遅くのバスを予約した。
祖父は何度も、「はよぅ大阪へ帰れ」「ちいは大阪へ帰らんでもええんか」ばかり言った。

4/26
午前中仕事をしながら自分の電話が鳴る度に、
母からの連絡でないかビクビクしていた。
お昼休み、母から連絡が入りそのまま高速バスに飛び乗った。
東京から叔父が、岡山から弟が帰って来た。
その日は弟と私が病院に泊まった。
弟は最初祖父の世話を頑張ってくれていた。
なのに私は祖父の現状を知っておきたいあまり、看護師と話ばかりしていた。そのせいでか、私がメインで世話をするようになってしまった。
朝方少し寝た瞬間、弟に起こされ祖父を見ると酸素濃度が39になっていた。急いで酸素を付けて、弟に看護師を呼びに行かせた。
すぐに祖父は意識を取り戻したが、
弟はこの一晩のことで、自分には何もできないと思い岡山市へ帰ってしまった。
次に会う時は亡くなった時になるのを覚悟して。
もう少し弟にできることをさせてあげられたら、
弟の、祖父に対するしてあげたい気持ちを汲み取れたかもしれない。
自分もおじいちゃんに何かできる、と思わせてあげられたら良かったのにと思う。

4/27
朝になり他の家族と交代。
夕方にまた病院へ行き、皆で弟の誕生日を祝った。
この日は祖母と病院に泊まった。
祖父が看護師に言った、「孫が背中拭いてくれたぁ」が嬉しかった。
Commented by at 2016-05-28 01:33 x
4/28
朝になり他の家族と交代。
この夜もまた祖母と病院に泊まった。
祖母が病院の椅子ではあるが、寝れていることに安心した。
祖父と祖母のいびきを同時に聞いて、小さな頃に泊まりに行って二人のいびきを聞いていたのを思い出して懐かしさを感じ、安心した。

4/29
この日は母と病院に泊まった。
この日は少し母と色んな話ができた。
連泊の疲れか、体調が崩れ始めた。

4/30
いつものように朝になったら帰宅し、昼過ぎまで寝た。
看護師から、着て帰る服を持ってくるよう言われたのを聞いて、スーツを持って病院へ行く準備をした。
父から連絡が入る。血圧が下がりだしたと。
遺影を選ぶのを止めさせ、急いで病院へ向かう。
病院に着くと祖父は更にぐったりしていた。
酸素濃度も測れるときと測れないときがあった。
血圧が下がりはじめて、一瞬の出来事だった。
「お父さん、お父さん」と泣きながら祖父を呼ぶ母の姿と泣き声が忘れられない。
祖父の足元で動けなくなっている祖母に寄り添った。
本当は祖父の顔の所に行きたかった。
でも母と叔父の居るところに入れなかった、私は孫であり、子供ではないから。
祖父の顔の所に行き、「おじいちゃん、おじいちゃん」と声をかけていると看護師が来た。
「もう心臓が止まっています」
当直医にて死亡確認。
2016.4.30 22:00

Commented by at 2016-05-28 01:39 x
酸素マスクだけ、どうしても早く外してあげたくて、外した。
中心静脈栄養の点滴を抜いて一針縫われた。
体を洗って綺麗にした。
左足のふくらはぎを洗い、髪を乾かし、髪をといた。
みんなで、金婚式で着たスーツを着せた。
保湿のクリームも塗った。

祖父の弟の車に祖父を乗せ、横に乗って帰宅した。
車の中で、頭を撫でながら泣いて泣いて。
祖母が「お父さんやっと帰って来れたなあ」と言った。

家に着くと近所の人が待ってくれていた。
「おじいちゃんやっと帰って来れたな、みんな来てくれとるで」と話しかけた。
そこからは葬儀会社の人が来て慌ただしかった。
私はずっと祖父の横に居た。
祖父の顔を一晩中眺めながらずっと泣いていた。
父がずっと起きてくれていた。嬉しかった。

朝になり、近所の人や親戚が祖父に会いに来てくれた。
祖父の色んな話を聞けた。
葬儀屋が棺を持って来た。皆で旅支度を済ませた。
棺にお酒、チキンラーメン、ようかん、チョコを入れた。
遺言だった、手術で取った骨も一緒に。

5/2 通夜の日。皆が葬儀場に集まった。
久しぶりに集まった皆、写真を撮って回った。
祖父ならこうしただろう、と思って。
祖父の肉体が存在する、最後の夜だった。
ずっと起きて一人で泣いていた。

5/3 葬式の日。
父が挨拶をした。
“この人の娘として産まれてこれて良かった”
と強く思った瞬間だった。
父を誇らしく思った。

棺に花を入れる時、
叔父が目の前で祖父に頭をくっつけて泣いていた。
母が、親友に抱きしめられながら泣いていた。
祖母が、やっと思い切り泣けていた。
弟がちゃんと泣いているのを見て安心した。
一番おじいちゃん子だった弟が、それまであまり泣いていなかったから。

最後に、祖父が気に入っていた帽子を、
弟と一緒に入れた。
これは叔父夫婦がプレゼントした物だから、
自分で良いのかわからなかった。
母が「初孫だからいいよ」、叔父が「いいよ」と言った。


火葬炉のドアが閉まった。本当にさよならだった。
泣いて泣いて、その場から動けなくなった。
美紀姉ちゃんが迎えに来てくれた。

祖父が骨になった。
Commented by at 2016-05-28 01:43 x
5/5
祖父の携帯を解約しに行く前、大切な人達に
祖父の携帯からメールした。
「大丈夫、大丈夫。」
祖父が入院中、よく祖母に言っていた言葉。


もう顔を見ることも声を聞くこともない。
畑仕事をする姿も、不機嫌な顔も、
写真を撮る時の顔も、笑顔も、全部。
ひ孫を見せてあげたかった夢ももう叶わない。
会う度に祖父を抱きしめていたことも、
もう一緒にできることは何もない。


もう、「保険証見てくれぇ」と頼まれることもない。
今仕事でしていることが祖父の役に立てたことは
本当に嬉しかった。
24年間、もらい続けた愛情に対して、
少しは恩返しができたかなと思う。
でも、もっとできたこと、してあげたかったこと、
後悔していること、
孫として精一杯やりきった部分とに挟まれている。

24年間で一番泣いた4日間だった。
もうすぐ四十九日。
今私は、祖父の居ない世界を生きている。
実感も半々だが、ふと涙は出る。
病室で握り続けた祖父の手の温度は、
今も忘れられない。


最期まで格好良い姿を見せてくれる祖父でした。
最初で最後の唯一の、祖父でした。
最強で最高の祖父でした。
Commented by ikenosai at 2016-06-21 08:40
> 姪さん
 ありがとう!
おじいちゃんがよろこんどるで・・・!
嬉しいな、こんな思いが共感できて。
私たちの命の源にあるこのご先祖に、すてきな人生を見せてもらえて良かったね。
涙が出てきて、ぬぐいながら読んでました・・・!
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