大学2年のとき先輩の弁当屋を離れ、たまたま入った三軒茶屋の牛丼屋の求人広告から私の運命は変わっていった。
覚悟を決めて、朝6時半からのバイトを志願した。
人手がなく、困り果てていた社長にとって私はまさに救世主のようだった。
とんとん拍子で時給が上がり、1年も経てば全部の先輩を追い越していた。
不器用で愚かな私も真面目だけがとり得だった。
当時は牛丼のたれも、焼肉定食のたれも、しょうが焼きのたれも全てを自分たちで作っていた。
今思うに、あの牛丼の味を越える店に私はまだ出逢っていない。
大学4年のとき店長になった。
月給は35万円。
学生のぶんざいで高収入だった。
社長に可愛がられ、大切にしていただいた記憶ばかりである。
一途に牛丼の店を切り盛りしていた。
毎朝、日報を書き、棚卸しをし、発注をして・・・。
前日の売り上げを持って銀行に行っていた。
あわただしい日々に疲れ果てていた日もあった。
唯一の癒しは、窓口の可愛くて愛想の良い新人の女の子。
いつの日か、それが楽しみになっていた。
いつか、この人の心に私の思いが届きますようにと念じ続けていた。
神様に祈り、仏様に祈り続けていた純粋な私がそこにはいた。
振られそうになるたびに、恋愛ソングに酔いしれて、失恋ソングに酔いしれて・・・。
こんな思いになれたことに切なさの中にあっても、しみじみ感謝していた。
出逢いから5年後、彼女は私の花嫁になってくれた。
何か力強いご縁があったのだと思う。
赤い糸なのか何なのかはわからない。
前世でご縁があったのかもわからない。
愛媛県西条市、新居浜市に先祖がいる彼女と南宇和に先祖がいる私。
合せて8人の祖父母のうち、4人が愛媛県出身。
どこかでつながり、どこかでご縁をいただいていたのだと思う。
先祖と先祖でつながって、魂と魂がつながっていたのかもしれない。
そう思うだけで感謝がこみ上げてくる。
私を、私の奥さんを、私たち全てを育んでくださったご先祖のご縁に感謝だと思う。
袖振り合うも多生の縁・・・人の出逢いは不思議なもの。
そして、世界一美味しいと思っている牛丼を食べられる三軒茶屋のあの店は今はない。
それでも、私はあえて松屋に牛丼を食べに行く日がよくある。
お世話になった社長は設立当時の幹部だったとのこと。
なので、松屋の牛丼を食べると、これまでの全てのご縁に感謝が込み上げてくる。
そして、私をここまで導いてくださった現世の人々にもただただ感謝が込み上げてきては、命の洗濯をしている。
三軒茶屋の牛丼屋から始まった私と奥さんとの出会いの日々・・・。
そう言えば子どもたちが生まれてから行っていないあの三軒茶屋の街。
懐かしい思い出の詰まったあの街は今どうなっているだろう・・・。