いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
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夏の思い出・・・④

夏の帰省(復路)・・・

 津山に着いた夜からあっという間に6日が経ってしまった。

とうとう、東京に戻ってくる日になった。

また、15時間ほどかけて東京に戻らなければならない。

午前7時14分発の作用(さよ)行きに乗って帰るため、実家近くの美作大崎駅まで両親と姉家族が見送りにきてくれた。

相変わらず静かな無人駅だった。

いつも最後の日は寂しい。

父も母も何だか寂しそうに私たちを見送る。

私は東京で暮らしている方が良い息子でいられるのかもしれない。

そう思った。

父との距離が遠いと、久しぶりに会うときは、お互いのやさしさだけを持ち寄って、また今度・・・という感じで別れていく。

もし、一緒にいたなら一週間ほどで意見がぶつかり始め、終いには言いたい放題の大げんかになってしまう。

だから、私は津山にはいない方が良いとつくづく思うときがある。

親子の関係なんてそんなものかもしれない。

ひとそれぞれであるから、断定はできないが・・・。

汽車がホームに入ってきて、いよいよ発車した。

みんなが大きく手を振ってくれている。

息子もみんなに手を振っていた。

以前の私なら恥ずかしがって小さく手を振っただろうに、今回は大きくハッキリ見えるように手を振っていた。

みんながどんどん小さくなって、カーブにさしかかって見えなくなった。

うちの田んぼが見え、子どものころ遊んだ小川が見えていた。

西勝間田、勝間田、林野、江見と区間の長い駅を過ぎていった。

先日、お墓参りに行った江見さんの実家を汽車が横切ると、お姉様が朝早くから庭の草取りをされていた。

手を合わし、またご冥福を祈った。

土居を過ぎ、トンネルを抜けるともう兵庫県だった。

このエリアは自転車で何度か来たことがあったので懐かしかった。

上月(こうづき)を過ぎ、乗車から50分ほどで佐用駅に着いた。

ここで36分の待ち合わせになる。

智頭急行が停車していたので息子が喜んでいた。

一旦、改札を出てジュースとお菓子を買ってから再びホームで汽車を待った。

姫新線もこの辺りからの乗客は多くなっていた。

有名な揖保の糸の産地はこの先の本竜野辺りだった。

揖保川の周辺で、ヒガシマル醤油もつくられている。

山と川と田んぼばかりの景色を1時間ほど眺めていたら、左手に大きな天守閣が見えてきた。

姫路駅に到着した。

ほとんどの人が姫路まで乗っていたのですごく混んでいた。

待ち合わせ時間が14分しかなかったので、新快速米原行きのホームの列に息子を並ばせ、私は駅弁を買うためホームの売店に行った。

急いでいたせいか、目に入った、たこめしとあなごめしを買ってすぐに息子のところに戻った。

始発駅だったので悠々座れた。

9時57分発米原行き、到着は12時21分と長い、この中で弁当を食べ、息子の退屈をしのぐため、一緒に恐竜の絵を描いたりして過ごすことにした。

朝の出発が早かったので、11時過ぎには弁当を食べ始めた。

息子にどっちが食べたいかとたずねると、たこめしの方を選んで食べ始めた。

私は残ったあなごめしを食べ始めた。

それでも、あなごをあげると嬉しそうに食べ始め、たこを私の方に入れてくれた。

米原に着いた。

ここからが1時間前後と短時間での乗り換えの連続となる。

息子と階段を駆け上り、大垣行きのホームを探す。

このエリアからは、新幹線など使わぬローカル列車での旅人が多かった。

なので、しばらく顔を合わせる乗客もいた。

それでも、早め早めに並んだのですぐに座れた。

12駅だったので、30分ほどで大垣に着いた。

豊橋行きに乗り換えた。

今度はさっきの倍の24駅もある。

退屈しないように、おやつを食べながら絵を描いたりして過ごした。

ときどき車窓から海が見えた。

浜名湖も見えた。

今年は海に行けそうにない。

どうにかして、海に寄れないだろうかと思案していた。

往路で中央線に乗り遅れ、南武線に変えたことをことを思い出し、他の路線で短縮できれば少しだけ海水浴ができる、そう思うと、すぐに行動に移すのが私の性分だったので、焼津を過ぎたとき、息子に次の駅で降りることを伝えた。

以前に来た用宗海岸のことを話したら、やっぱり覚えていた。

16時33分に用宗駅に着いた。

約1時間後の17時44分の電車を確認して、改札を出た。

駅正面の道をまっすぐに1キロ程度進むと海水浴場があったのを覚えていたので息子の手を引いて海まで急いだ。

海岸周辺を見渡すと、ライフセイバーも何人かいて、売店もやっていた。

無料のシャワーも設置してあったので、息子に「泳ごうか・・・。」と声をかけたら飛び上がって喜んだ。

一緒に水着に着替え、海に入った。

ゴーグルを付け潜ったりした。

息子は魚のように潜ったり出たり潜ったり出たりしていた。

20分ほど泳いであがった。

西日が大分傾いていた。

ムワーッという暑さはあるものの、もう秋のように感じた。

人の少ない海水浴場だったので一層そう感じた。

冷たい水のシャワーを浴びて、木陰で着替えた。

すぐ近くの売店で息子にかき氷を買ってあげた。

大喜びで、ブルーハワイを選んだ。

今日、最後の客だった。

おばさんが大盛りにしてくれた。

日はさらに傾いていた。

再び帰路につくため、用宗駅まで歩き始めた。

しばらくは涼んでいたが、歩き出すと汗がたらりとしたたり落ちた。

用宗から三島に着くころはもう19時だった。

やけに多い乗客はみんなここで降りた。

太鼓や笛の音に夏祭りの盛大さが伝わってきた。

一旦改札を出ようかと思ったが、人が多すぎて止めにした。

夕食の調達を考えていたが、立ち食いそば屋も店を仕舞い始めていたし、売店はすでに閉まっていたのであきらめて電車に乗った。

海水浴でのロスタイムを解消するため、茅ヶ崎から八王子方面に向かうため相模線に乗った。

残念ながら、しばらく座れなかった。

ここからは会社帰りの人ばかりだった。

それでも、途中から息子が座れ、さらにしばらくして私も座れた。

八王子行きの直通電車がなく、橋本で乗り換えになった。

息子は旅の疲れと、海水浴の疲れからかぐっすり眠ってしまっていた。

私は、リュックを背負い、リュックを背負った息子を担ぎ、もう片方の手でスーツケースを抱えて、階段を上り下りして、横浜線に乗り換えた。

八王子に着くころ息子は目を覚ました。

やっと中央線に戻ってきた。

何だか安心感に浸っていた。

息子の好きな中央線。

駅名も全部知っているので、電車のアナウンスの真似をしながらあっという間に立川に着いた。

家に着いたのは22時過ぎだった。

楽しかった1日を息子が妻に話していた。

海に行ったことが1番楽しかったと言っていた。

無理してでも海に行って良かったと思った。

私も楽しい旅行だった。

実家の両親に無事に到着したことを電話で知らせた。

やっぱり疲れていたのか、家に着いた途端にどっと疲れが襲ってきた。

シャワーを浴びてすぐに寝た。

 11500円で買った青春18きっぷ2回分を使い、残りの3回分は金券ショップに転売した。

1軒目では在庫があり、売れないのでいらないと断られたが、2軒目では6300で引き取っていただいた。

実費5200円で津山まで往復したことになった。

学生時代は何だか忙しく過ごしていた私だったが、こうしてゆっくり本を読んだり、絵を描いたりしてのんびり帰省するのも悪くないなと思った。

何より、お金の節約になった。

今年度まで息子が未就学なので無料だったことも大いに助かった。

そして、息子と一緒に過ごせたことが本当に楽しかった。

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by ikenosai | 2010-09-05 08:53 | 子育て 一期一会 | Comments(0)
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