いけのさい~子育てと教育の一隅を照らす


「ありがとう!」で終わる人生を目指して、日々のことを振り返り、そして、これからのことを考える。
by ikenosai
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終戦のエンペラー
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第17夜 柵原(やなはら)の風



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 16歳の春、思春期特有の炎症反応はすでに終わっていたが、恋にはまだ臆病だった。

失恋の恐怖を避けるために片想いのまま、あこがれだけを温めてはその余熱に酔いしれていた。

日曜日の午後は、自転車で家を飛び出すことが多かった。

東京のような大都会に比べると30年ほど文明が遅れているような田舎だった。

信号無しで出かけられる20~30キロくらいのサイクリングコースがいくつかあって休みの日には好んで自転車を走らせた。

 家を出て少し走り、名坂という小さな峠をのぼると隣町の柵原に抜ける。

宮山の坂を下り、北和気を通る頃、道は穏やかになる。

あの辺の神社に巫女のように美しく清楚な女の子が住んでいるのを見つけて以来、この道を通り抜けるのが密かな楽しみになっていた。

 どきどきする心を抑えつつも好奇心からか「逢えるかもしれない」という、そんな期待も含んでいたが、あれ以来、見かけることは一度もなかった。

それでもさりげない表情で走り抜けていた。

 しばらく平らな道が続き、山に囲まれた田園の中を走っていた。

時折民家があるものの、このエリアはほとんど人気のない静かな集落。

 小川沿いを通り抜けるとまた、小さな峠に差し掛かる。

惣田(そうだ)という手書きの看板が目に入り、そこの地名だと分かった。

そこを下っていくと片上鉄道の始発駅になる柵原駅に出る。

 かつての栄華を誇った柵原鉱山の縦坑がある場所だった。

全盛期は大集落だったらしく、美空ひばりがコンサートをしたこともあったが、当時の面影が今はない。

ひっそりと静かに掘られているばかりである。

 駅舎は清里を思い浮かべるような、高原風のかっこいい建物だったが、始発駅にも関わらず、利用者はほとんどいなかった。

 静かな駅舎には駅員がいて運賃に合わせた切符に日付のスタンプを押して改札口でチョキチョキと切符切りもやっていた。

 山あいのその駅は南北にそびえる山に挟まれて昼間の一時しか日が当たらないためか、通るときはいつも暗く見えた。

 柵原駅を線路沿いに下っていくと吉井川が見えてくる。

しばらく川沿いを惰性だけで滑走すると吉ヶ原駅にたどり着く。

 列車は概ねここに集まり、何本かの引き込み線に散在している。

ここが拠点の駅だと察する。

それでも乗客は少ない。

 そのころ、菊池桃子が出ていたポッキーのコマーシャルに使われていたことが後に分かった。

「もう会えないかもしれない~」で始まる歌詞でそのコマーシャルをテレビで観ていたのだがそこだとは全く気づかなかった。

 しばらく、線路沿いをつたってもう一駅過ぎていく。

とんがり屋根の同じような駅舎が続いていた。

中学校時代に自転車で児島湾まで逃走したときに進みながら数えていた駅舎の記憶がよみがえっていた。

美作飯岡駅を過ぎると吉野川が吉井川に合流する。

 道沿いから東に向くと築山に目が行く。

空から何かが降りてきているような不思議な感覚に包まれる。

そして、小学校時代に道徳の教科書にのっていた「月の輪古墳」の話を思い出していた。

 かつて豪族がこの地にもいた証(あかし)。

それ以来、僕のパワースポットになっていた。

古墳には札が立てかけられ、史跡として地域で管理されていた。

 橋は渡らず、吉野川沿いをしばらく上っていく。

蛇行する川の周りに点在する田園風景に少し力をこめてペダルを漕いでいく。

 安蘇を抜け、湯郷の手前の位田を抜けていくと、バイトで知り合った友だちの家がある。
恥ずかしくて一度も訪れはしなかった。

一学年上の美しい人だった。

そこも独りよがりの片思いのまま静かに通り過ぎていく。

 細い山道を心細くも進んでいくと青木、下大谷に出る。

ひたすら進む山の中、蛇行するアップダウンの道、そこから奥大谷まで行くと勝央に抜ける道にやっとたどり着く。

 充分に体力を使ったあとだけに、下っていく坂道で額から頬に滴る汗が乾き始める。

やがて汗が引き、塩を噴いたようにザラザラとしてくる。

 山道にポツリと現れる銭亀ロッジというさびれた店の前を走り抜ける頃、為本に出るが、国道179号線には出ず、堂尾にまわり、新池に出る。

新池の土手下が名坂で、始まりの道に出てその日のサイクリングは終わる。

今でも草木が芽吹く頃、春の匂いとともに柵原の風を感覚的に思い出す。

思春期に感じたあの春の匂いを・・・。

 懐かしく、切なかったあの頃独特の感覚。

 そして、あの頃好きだった人たちが片思いのままで良かったのかもしれないと今は思えてくる。

あこがれのまま今も余熱のまま残っている。

 この感覚が心地よいかさぶたのままで古傷のようになっているのをこの時期に感じるのである。

もう会うことのない憧れのあの人たちを心のアルバムに閉じこめたまま僕は生きている。

もう会ってはいけないのだと思う妙な感覚の中で。

 あの頃は携帯電話がなかった。

家に電話をかけると誰が出るのか分からないので少し怖かった。

 覚悟がないままでは軽はずみなことはできなかった。

だから、そっと、さりげなく眺めるくらいで満足し、憧れのまま閉じこめていたのかもしれない。

あの頃の感覚が懐かしく、そして、青いままの部分が今でも僕の中にあるのを感じる。


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# by ikenosai | 2017-07-01 23:56 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)

体育祭(運動会)

 先週は高校3年生の娘の体育祭に行ってきた。
元気な高校の元気な体育祭に私は感動しっぱなしだった。
吹奏楽部が全国上位校で、野球部をはじめ、体育会系も強い高校、芸術も盛ん・・・!
ありがたくも3年間観に来ることができて良かった。


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応援合戦


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男子の棒引き

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風の強い日で砂ぼこりの中での競技
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全力で挑む生徒たちを観ているだけで元気に!




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女子も棒引きに挑む

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学年ごとの全員リレーも盛り上がり!
最後は団の対抗リレーで大盛り上がり!







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 来週は、中学1年生の息子の体育祭!
残念ながら、その日はどうしても休めない仕事で私は見に行かれない。
モノレールから見える運動場で野球の練習をしている息子たち。
勉強は・・・?
野球に夢中で、エースを夢見る1年生・・・!











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# by ikenosai | 2017-06-10 23:45 | 子育て 一期一会 | Comments(0)

父の一周忌法要で帰省



私の大好きな風景

田園風景
津山の実家
美作大崎~西勝間田の間の集落

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父の一周忌法要の翌日、島根県浜田市の母の実家へ
再び津山に戻ってから一日だけ、のんびりできた日があり散歩へ!

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子どもの頃、よく釣りをした池

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ところどころに廃屋

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朽ち果てた家も


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                   地元の豪農(大地主)の家
                  一族が街に出てしまって・・・
                    高齢化する地域に・・・




もうすぐ母の日ですね!
 僕の大切なお母さんのお話、お読みくだされば嬉しいです。

 これは僕のお母さんの話です。
生まれ育った南国の漁村から瀬戸内海を渡り日本海側の浜田漁港にひっこしてきました。
最初は近所のかんづめ工場で働いていましたが、大阪のしんせきの店を手伝うため家族のもとをはなれ、ひとり大阪にいきました。
大阪の店にはたくさんのお客さんがきていて、親しい人もでき、街にもすっかりなれていました。

 正月を二日後にむかえたある夜、お店によくくる男の人がやってきて、明日いなかに帰るんだが、できればあなたをつれていなかに帰りたいと話したのです。
それが花嫁さんになるお母さんへのお父さんからのプロポーズの言葉でした。
花嫁さんは迷うことなく次の日荷物をまとめて、汽車に乗って僕のいなかにやってきました。
おおみそかの夜、とつぜん花嫁がやってきて、みんなはびっくりしました。
花嫁さんはもっとびっくりしました。
いなかには、三番目と四番目の弟、二人の妹がいる大家族だったのです。
代々続く家だったので、一族が集まるいそがしい家でした。
えらいところにお嫁にきたと思ったことでしょう。

 一年ほどしてお姉ちゃんが生まれ、それから一年半して僕が生まれました。
がんこなおじいちゃんやわがままなおばあちゃんにもまけずにがんばっていましたが、たえられなくなったある日、お姉ちゃんと僕をつれて、いくあてもなく家出をしたことがありました。
それでも僕たちの幸せを考えてくれた花嫁さんは覚悟をきめて、お父さんの待ついなかにもどったのです。
なれない土地でたいへんでした。
それでもその土地になれようと一生懸命生きました。

 僕が幼稚園のとき、がんこなおじいちゃんが病気でなくなりました。
わんぱくでいたずらばかりしていた僕はいつもみんなにめいわくをかけていました。
あやまりにいくのはいつも花嫁さん。

 中学生になった僕は、不良になり、先生にも、近所の人にも迷惑をかけていました。
あやまりにいくのはやっぱり花嫁さんです。
「息子がご迷惑をかけてすんません。」といつも頭をさげてばかりでした。

 僕が中学二年生のときおばあさんが寝たきりになってしまい、そこから介護の生活が三年間続きました。
来る日も来る日もおばあさんのお世話です。
ご飯を食べさせて、体をきれいにふいてあげます。
とこずれやオムツかぶれがあると、どくだみの葉っぱをかわかし、それをにだしたお湯を体に塗ってあげました。

 おばあさんは花嫁さんに文句ばかり言っています。
嫁は信用できないと言われても、いつもやさしくお世話しました。
あいまを見て家々の電気メーターを見る仕事をして家計を支えていました。
おばあさんが死ぬ少し前、おばあさんがわがままばかり言うもんで、花嫁さんはとうとうおばあさんと言葉でけんかをしてしまいました。
僕から見るとおばあさんが悪かったと思います。
それでもなくなる直前でなかなおりしました。
夏の終わりの暑い日でした。

 おばあさんがなくなった数日後は花嫁さんの四十一歳の誕生日でした。
お姉ちゃんとお金を出し合ってケーキを買ってささやかにお祝いをしました。
 
 僕が高校を卒業するころ、花嫁さんはヤクルトの配達のお仕事を始めました。
僕の小学校の学区内でした。
一軒一軒にヤクルトはいりませんかと売りにいきました。
僕となかよしだった子の家はすぐに買ってくれましたが、僕となかが悪かった子の家は、やっぱり買ってくれませんでした。

 配達で地域の情報を知り、僕によく話してくれました。
僕が東京の大学に行ってからもずっとヤクルトを配っていました。
地域ではヤクルトさんと言われていました。
山あいに住む一人暮らしのおじいさんやおばあさんの家にもヤクルトを配達しました。
三輪のバイクで毎日毎日配達にいきました。
そのうちいろいろな人の悩みや相談を聴くようになりました。
みんな花嫁さんが来るのを楽しみにしていました。
 
 いつも買ってくれていたおじいさんやおばあさんがなくなると香典をもって葬式にいきました。

 僕がいなかに帰省していたとき、家の近くの駅まで花嫁さんが見送りにきました。
たまたま居合わせたおばあさんが「あんた、ヤクルトさんの息子さん?」とたずねてきました。
僕が返事をすると「いつもお世話になっとります。」と花嫁さんに親切にしてもらっていることを話してくれました。
僕は嬉しかった。花嫁さんがみんなに好かれていて。
花嫁さんはみんなに親切にして、みんなからたよられていました。

 おじいさんの弟が寝たきりになったときもお世話になる老人ホームが見つかるまで家で介護をしました。
お父さんより18歳も若い弟が病気でなくなったときも、花嫁さんはなくなる間際までお世話をしました。
 
 花嫁さんが僕の家にきてからたくさんの人がなくなりました。
花嫁さんはいつもみんなのいる仏壇に手を合わせ、ご飯や水をおそなえし、線香をたき「なんまんだ、なんまんだ・・・」ととなえます。

 お嫁にきてからもうすぐ50年になります。
四国から日本海にうつり住んだ花嫁さんの両親も何年も前になくなりました。
もう帰る場所もなくこの岡山の土地で静かに暮らしています。

 僕たちの一族のために花嫁さんは自分の人生をささげて生きています。
お父さんの親や兄弟、しんせきを天国におくり、とうとうこの土地の一員になりました。

 花嫁さんがいないとみんなが困ります。
お父さんも困ります。
しんせきの人たちも困ります。
近所の人たちも困ります。
長い年月をかけて花嫁さんはこの土地の人になっていったのです。

 花嫁さん、ありがとう、僕の家にお嫁にきてくれて。
 花嫁さん、ありがとう、僕を産んでくれて。
 僕の大切な大切なお母さん・・・、いつも、いつもありがとう。

                                   2010年







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# by ikenosai | 2017-05-05 22:05 | お父さんお母さん | Comments(0)

久しぶりに母の実家へ帰省

素敵な風景

私の大好きな場所
母の実家
「島根県浜田市瀬戸ヶ島」

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県立水産高校のドック
生徒たちはここから遠方まで船の実習に

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そのさきは日本海

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大きな吊橋

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昔のままの海辺も

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島にある「厳島神社」

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今だ現役の井戸

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狭い路地

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韓国からの漂流物


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療養中のおじに会いに

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そして1日目の夕日が沈むころ


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漁港の食堂で食べた「のどぐろの炙り丼」


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母と姪
小さなビーチ


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一般道(国道9号線)を通って


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仁万町にある「サンドミュージアム」へ


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世界一の「砂時計」(1年時計)

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間近で見られるレプリカ



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 以前かかわった生徒たちとマレーシアに修学旅行に行ったとき。

その年は精神的に重い女子生徒が何人かいた。

それでもみんな一生懸命に私についてきてくれて楽しい旅行になった。

帰りの飛行機の中。

両サイドに生徒が座り、みんな疲れていたのか眠っていた。

私は、いくつか観られる映画の中からたまたま「砂時計」を選んで観ていた。

心の中がいっぱいいっぱいで壊れそうな生徒たちが少しずつ大人になって・・・

1年生からずいぶん成長したことを旅行の中で感じていた。

そんな思いと重なってか、家族のこと、友だちのこと、恋人のこと、そして、本人のこと・・・

たくさんの悩みを抱えながらも一生懸命生きている生徒たち・・・

それだけで感動し、それとも重なって、涙がじんわりとにじんでいた。

私は誰にも気づかれぬよう涙をぬぐっていた。

いつか、この世界一の「砂時計」を見に行きたいと思っていた。

そして、今回見に行くことができた。

やっぱり、あの時の生徒たちのことを思い出し、胸が熱くなった。

ひとりひとりを思い出し、みんな元気でいますように・・・と、そう祈った。



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蒜山高原から見える鳥取の大山


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蒜山(ひるぜん)



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(岡山県)蒜山のジャージ牛乳と(鳥取県)大風呂敷がコラボしたソフトクリーム(450円)

ここのサービスエリア(蒜山)で一押しのスイーツ










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# by ikenosai | 2017-05-04 22:09 | お父さんお母さん | Comments(0)

第2夜 放課後の続きで・・・



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第2夜 放課後の続きで・・・

 3年生が引退し、しばらく試合はなかった。

放課後の教室は、真面目に部活に出る者、家に帰る者でいつの間にか僕と仲の良い女の子だけになっていた。

別段、話し込むわけではなく、ただ何となく一緒に教室にいるのが心地よかった。

ときどき話したり、ぼんやり外を眺めたりして過ごしていた。

次の日も、その次の日の放課後もいつの間にか彼女と二人きりになっていた。

僕はドキドキしながら過ごす放課後を毎日楽しみにしていた。

彼女もずっといるので嫌ではないだろうと感じていた。

それでも恥ずかしくて好きだとも、付き合って欲しいとも言えなかった。

時折、時間が止まればとさえ思っていた。

胸がキュンと苦しくなる。

そんな毎日を味わうように過ごしていた。

家に帰ってからも、風呂の中でも、朝の練習で走っているときも頭の中はいつも彼女のことでいっぱいだった。

それでも、告白できないまま時間だけが過ぎていた。

そんな僕と彼女が過ごす時間をちゃかす女子生徒がいて、しだいに居づらくなってきた。

そして、何日も続いていたはずの彼女との楽園は終わった。

それ以来、顔を合わすと何だか気まずく、照れくさそうに笑うだけ。

それ以上には進めなかった。

会話がなくなってしまい、お互いの関係がぎこちなくなってしまった。

とうとう僕はあきらめて真面目に部活に行くようになった。

入学当時から、いずれはキャプテンになると言われていたのに、こんなサボり癖からか、キャプテン候補から外された。

信用を失ったこともショックだった。

恋は盲目、彼女のことで頭がいっぱいになり、結局は部活に身が入らなくなって、信用までも失ってしまっていた。

それでも、試合には勝ちたかったので誰にも負けないだけの練習を再び始めていた。

ある日、部活が終わって街に向かって歩いていたときのこと。

幻となった彼女との放課後以来、ぬけがらのように僕は歩いていた。

すると、橋の向こうからニコニコと手をつないで歩いてくるカップルに目が留まった。

男は男子校の奴で僕よりも不良っぽく、かっこいい。

そして、横にいる女の子は僕が好きな彼女だった。

絶望感にさいなまれた僕は、どん底に突き落とされる思いだった。

気まずそうな僕を苦笑いで見ていた彼女。

僕の一方的な思いだったのかは分からないが、恋人に裏切られたような感覚に襲われ、一気に心が沈んでしまった。

そして、彼女はあの男とどこまでの関係なのだろうかと余計な不安までも・・・。

もう、失うものがなくなった感じになって、空っぽの心の中に小さな灯りを必死でともそうとしていた。

その日からだった。

一心不乱に部活に打ち込むようになったのは。

切なさを忘れたいがために練習に励んだ。

練習に励んで、さらに気持ちが晴れないときは、ひたすら走った。

20キロ走った日もあった。

それでも彼女への思いは続いていた。

教室で顔を合わすのが辛く切なかった。

それは、3年生になっても続いた。

やっぱり彼女が好きなままだった。

心の内をずっと言えないままだった。

そのころの僕は硬派で、プラトニックでも心が通う恋愛を求めていたのだと思う。

誰かを思い続けるような恋こそが成就すべき恋だと思いこんでいた。

一方的な思いだったが誰にも遠慮がいらない、そんな片思いは卒業まで続いた。

ずっと彼女が好きだった。

彼女は地元の大学に進学した。

卒業式が終わってから何日か経って僕の進路がきまったので、ほとんどのクラスメートは僕がどうしているかなんて知らなかった。

彼女もそうだった。

僕の存在なんてどうでもよかったのだと思っていた。

 冬休みに帰省し、街を一人で歩いているとき、彼女とバッタリ会った。

相変わらず、可愛いままだった。

あの頃の感覚がすぐに戻っていた。

やっぱり彼女を好きだったことを思い出した。

東京に戻ってから数日後、彼女から手紙が届いた。

僕が東京に出ていたことをどうやら最近知ったみたいだった。

そして、あの二人だけの教室でのことを懐かしく、あの頃が楽しかったと綴っていた。

やっぱり告白すれば良かったと後悔した。

 春休みになって彼女が東京に遊びに来た。

東京の大学に通う兄のアパートに泊まっていた。

すぐに電話をもらった僕は、早々に会いに新宿駅まで出かけた。

西口のカフェで待ち合わせて会った。

僕の片思いだとは思ったが、今夜デートができたらと誘ってみた。

一生に一度しかないチャンスだった思う。

しかし、その日の夜は9時までバイトに入っていた。

そのバイトのあとなら必ず会えるので、夜9時にバイトが終わるとすぐにアパートに帰るから、もし時間があったら連絡して欲しいと伝えていた。

もし、あの時の思いが成就するなら・・・と密かに期待していた。

 バイトは夜9時を過ぎても、客が減らず、交代でくる先輩が電車の人身事故の影響で足止めになっていた。

結局、先輩はこなかった。

僕は閉店までバイトに入り、帰ったのは深夜2時だった。

アパートに帰ってみると、留守番電話に4件のメッセージが入っていた。

彼女が1時間おきに連絡をくれていた。

最後の時間が深夜12時になっていた。

きっとそこまでは会うことにしていたのだと思った。

一瞬にして僕の思いは、伝えられないまま途絶えてしまった。

それは今もずっと。

もう会うのも怖い感じがする。

やはり、閉じこめたまま、開けてはいけない小さな思い出。

ずっとそのまま、遠い記憶に閉じこめたままに・・・。

 今頃になって、遠いあの日を思い出す。
どうにもならない恋だったけど、あの頃好きだった彼女との思い出はやっぱり今でも美しいままになっている。

もう会わないほうがいいのだと思う。

開けてはいけない玉手箱なのだとずっと心にしまい込んでいる・・・。



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# by ikenosai | 2017-04-01 22:29 | 恋別離苦(短編集) | Comments(0)